せいる
2025-07-26 04:24:50
3313文字
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Some things I can't tell you

なんとなく龍兄貴の不調に気づいて、酔っ払ったフリして確認しようとする信一と、気づかれていることに気づいている龍兄貴。

今日は忙しいというほどではないが日中はうまく時間がつかず、普段なら寝支度でもするかという時分になって天后古廟に向かった。
線香をあげて、一服して、壁の傷を眺める。三十年近く続けてきた習慣を誰かに見られても困ることなど何もないと言うのに、我知らず人通りの少ない道を隠れるように自室に向かっていた。
裏路地で咳き込んだ。誰もいない道に自分の咳の音がやけに響く。胸が痛い。三十年近く続く痛みと、少し前に加わった肺の痛み。誰にも言えずに胸の中に抱え続け、煙草の煙で真っ黒に煤けた過去と、現在進行で体を蝕む病。どちらも誰にも知らせるつもりはなかった。
「あー、大佬だぁ!」
後ろからかけられた声に咳き込む姿を見られたのではないかと一瞬身体が強張る。平静を装ったまま振り返れば、龍捲風の緊張などどこ吹く風で、信一がふらふら近づいて来た。
おそらく酒でご機嫌なのだろう。目も口もゆるりと弧を描いている。今日は外に飲みに行くとは言ってなかった。城砦のどこかで飲んでいたのだろう。
安全委員会の仕事と経理をこなし、頻繁に外に遊びに行くこともない。たまに飲むときくらいハメを外しても良いだろうと信一を甘やかしてきたことを、実は少しばかり後悔している。
「ねーなんでこんなとこいんの?仕事?なんかあった?」
酔った頭でも九龍城寨安全委員会の仕事は忘れていないらしい。アルコールのせいでしまりない顔なりに真剣な表情をしているのを可愛いらしいと思ってしまい、苦笑した。
結局この酒癖を直そうともしなかった自分は、阿七が昔からよくいうように親馬鹿というやつなんだろう。
「心配するな。ただの散歩だ」
「散歩ー??」
散歩だってー!!ケタケタと一体何が面白いのか信一は文字通り笑い転げそうになっている。挙動はまさに酔っぱらいのそれだが、龍捲風は何か引っかかりを感じていた。
とにかく酔っていようが信一が城寨で迷うことはない。踵を返して歩き出そうとすると、突然背中に手が周り、幼い頃してやったように持ち上げられた。
「高いたかーい!」
「おい
「おれ、力もち!!」
何度か持ち上げられたあと、ようやく下に降ろされるが回された腕はまだ離れない。
酔っ払いのじゃれつきと言うには随分控えめな手が、下から上へ背中を辿って止まる。抱きしめるような姿勢のまま、信一は龍捲風の肩にぐりぐり額を擦り付けた。
「へへー、哥哥ー」
そのまま肩に顔をうめて何かもにゃもにゃと喋っている。
眼下で手ずからパーマをかけてやった髪がゆらゆらと揺れた。信一の顔は見えないが、どんな表情をしているかは予想がついた。多分楽しそうなのは声だけで、そもそも大して酔ってない。
感じていた違和感はそれだった。龍捲風に信一が酔っているかわからないはずがない。それは本人もわかっているはずだというのに、そうまでしてこんな行動をとる理由に思い当たって、口の中に煙草ではない苦みを感じた。
(まったくひどい養父だな)
まだ抱きついたままの信一の頭をぽんぽんと軽く叩く。
「どうした?眠いならさっさと戻って寝ろ。それとも帰り道も忘れたか?」
そう言うと、パッと顔を上げて暗がりでもきらきら光る目をこちらに向けてきた。
「うん、忘れた!連れてって」
信一はさっさと身体を離して、手を握ると勢いよくぶんぶん振る。腕がもげるだろ、とため息を付いて二人は手を繋いだまま歩き出した。

「もう子守は卒業したつもりだっだんだが」
狭い通路を後ろからついてくる信一を振り返って、わざと呆れたような口調で言ってみても、楽しそうに笑うだけ。龍捲風も手を離す気にはならなかった。
この自分より少し体温の高い手が、さっきまるで身体があることを確かめるように、静かに背中に触れた意味をもう一度考える。
(やはり気づいているか
少し前に「痩せた?」と尋ねられたときは「そうか?」と答えてそれで終わった。ただ実際はずっと気になっていたのだろう。持ち上げて、抱きしめて。酔ったフリをしてまで体調を確認しようとした健気さを愛おしく思う。
それと同時にそうまでしてくれた信一に結局病のことを何も告げようとしない自分が嫌になる。
ひょっとしたら本当に酔っていて、ただ抱きつきたかっただけかもしれない。実際いままでそういうことはよくあった。自身の隠し事の後ろめたさからそう考えてしまうだけかもしれない。そう思いたかったが、共に積み重ねて来た長い時間がそれを否定した。
病について誰にも言わない。そう決めた理由は色々ある。
自分の不在や不調が城寨に与える影響、病院の費用、そして。
知己の墓標として城寨を守り、自身もここで朽ちるつもりだった。その考えは変わっていない。けれど今はただ無意味に最期の時を待つのではなく、城寨でこの子と住民たちの平穏を守り、共にいたいと思っている。たとえそれが嘘と隠し事の上に成り立つとしても、龍捲風はこの日常と、信一の笑顔を失いたくなかった。
  
(気づかれたかなぁ)
さすがに住人に見られるのは恥ずかしいのか、二人は人通りがほとんどない道を歩いている。前を行く背中を見ながら、信一は幼い頃のことを思い出していた。 
まだ道を覚えていなかったから「絶対に離れるんじゃないぞ」と言われて、龍捲風の手をぎゅっと握ってどきどきしながら歩いていた。少しかさついてじんわりと温かい大きな手。どんなことがあっても手を離さず、この背について行けば絶対に大丈夫だと思えた。
昔は安心させてくれたその背中が、今は信一を不安にさせる。
龍捲風は嘘が下手だ。
最近信一から隠れるようにして咳をしたり、皆が冰室でテレビを見ている間に四仔のところに行っているのも知っていた。
痩せた?体調悪い?なんてたずねても、年寄りはそういうもんだ、筋肉が落ちるんだとか濁されるだけとわかっている。四仔が言ってこないと言う事は多分口止めされているだんだろう。なんだかんだ言っても奴はきちんと医者だから守秘義務を守るはずで、だからこんな幼稚な作戦を試みたのだ。
結果、持ち上げても抱きしめても、養父が随分細く軽くなってしまった事実がそこにあるだけだ った。
信一が気づいていることを告げようが告げまいが、龍捲風の体調が悪いのは変わらない。それなら話してくれるまで問い詰めて状況を把握した方が良いに決まっているというのに、できない。
何がそうさせるのか信一自身もはっきりと確信が持てなかった。
大佬の秘密を暴くようなことをしたくない?不安を現実にしたくない?
多分一番の理由は龍捲風を困らせたくないのだ。

「大丈夫だ。なんでもないから早く寝なさい」
もう随分昔、出かけた時と違うシャツを着て夜半に帰宅した龍捲風に遅くなった理由をたずねた時、そう答えた彼はあまりにつらそうで、幼い信一はこんなこと聞くんじゃなかった、哥哥を困らせてしまったとひどく後悔したことを覚えている。
答えられないことを問うた時のひどく痛々しげな表情。自分にはどうにもできないことや、自分が遠因の事件や死を前に見せる、諦めと自嘲を滲ませた笑み。それらを見る度に信一は胸が潰れるような気持ちになる。
天后古廟で長時間ずっと祈っている理由。重症を負って治る見込みのない猫。30年前の殺人王との戦いの話。よく笑い皆にも可愛がられていたが薬に溺れてしまった青年の死体。
きっと龍捲風は山のような隠し事と悲しみを、仕方がない、関係ないと割り切ることもできず、一人で抱えてずっと城寨を守ってきたのだ。
信一が病について問えば、きっとまた龍捲風を困らせる。養父にあんな悲しい表情をさせたくない。できるなら自分は彼を笑顔にする存在であり続けたいし、もし彼もそう望むなら、隣で何も知らないフリをして笑っていよう。
だから多分明日も、その次の日も、信一はきっと何も言わない。そうしてずっと二人の日常を続けていく。
(でも
握った手にぎゅっと力を込めると、無言で龍捲風も強い力で握りかえしてきた。
(でも、俺は哥哥のためなら何があっても笑えるし、つらいことは一緒に背負いたいのにな)