kanaco
2025-07-24 23:01:13
3426文字
Public
 

【四信】名前を呼んで

《四信》一時的に声を出せなくなってしまった信一くんと、やっぱり声が聞きたい四仔さんのおはなし。

信一はしばらく声が出せない。だから注意してやってくれ。

龍捲風に呼び出され、そう言われた四仔は表面上は微かに、内心では大いに動揺した。

龍捲風の隣に立っていた信一は眉をハの字にして困ったように微笑むと、恋人である四仔に向かって「ごめん」とでも言うように両手の平を重ねて鼻の高さまで上げた。龍捲風や四仔よりも口数が多い溌剌とした青年が、どうしてずっと黙っているのかと不審に思っていたが謎が解けた。

“喉に傷がついた”という理由であった。

黒社会の動向について一般人の四仔は詳しくない。ただ九龍城砦内にて信一の姿を3日ほど見ていないことは気がかりに思っていた。龍捲風もつかまらないので何かあったのか。大きな抗争があった雰囲気は見受けられないがなど考えるのは四仔も洛軍も同じ。2人して心配していたところ、3日目に十二が城砦へやってきた。そして「アイツ、入院してたけど今日退院」と2人に告げたのだ。

龍捲風も十二も、信一が喉元をどのようにケガしたのかは教えてはくれなかった。当然のことではあるが、彼らは一般人である四仔や洛軍に対して黒社会ごとの事情を話してはくれない。その上、今回はひとまずの治療は別の病院で行ってきたので、あとは薬を飲みながら自然治癒を待つしかない状態になっていた。

喉についた傷は幸いにも大きくはなく、後遺症が残るような大事にはならないだろうとのことだった。ただし最初の3日間は腫れて痛みも酷く発熱症状もあり、食べ物を口から摂取することは困難であった。そのため点滴生活を余儀なくされて入院にいたったらしい。

油断はできないとはいえ、きちんと治りそうだという話に四仔は胸をなでおろした。信一をしげしげと見つめても目立った外傷はない。声も一応出せるらしいが、その度に痛みを伴うらしい。それで龍捲風から発言を禁止されていた。龍捲風から禁じられれば信一はそれを忠実に守るだろう。兄貴の言う通り「信一はしばらくは声が出せない」というわけだ。

四仔が熱心に見つめるので、信一が「なぁに?」という風に首を傾げてキョトン顔をした。これだけ心配をさせておいて「なぁに」じゃないんだが。と思いながら、龍捲風からのいくつかの言いづけに返事をし、四仔は信一を診療所へと連れ帰った。

診療所へ辿りつくまでの道で信一は次々に声をかけられる。その度に足が数秒止まるので、四仔は信一が後ろをしっかりとついてきているか気にしていなければならなかった。置いていっても大きな問題がないことは分かっているが、どうも調子が狂う。いつも自分の周りを賑やかす声がしない。それがいたく気にかかって過保護な気分になるのだ。

声をかけてくる住民たちに対し、声を発しない信一は実に明るく返事をしていった。

それは笑顔であったり、お道化た表情であったり、泣きまねであったり、安心させるような微笑みであったり、相手への鼓舞であったり。表情をクルクル、コロコロと変えて、そこに大袈裟であるほどの身振り手振りがついて、賑やかに通路を闊歩していく。声がなくとも相変わらず華やかな男だった。

そういえば元来、信一は表情や目でモノを言う男であったな、ということを四仔は思い出した。それで真っすぐに感情を伝えることもできれば、ブラフに使うことさえ得意とする“雄弁さ”を持つ。声がなくとも会話を成立させていく器用な男を見つめながら、四仔はその都度足を止めて信一を待った。そうすると信一が嬉しそうに四仔を見てイソイソと寄ってくる。それから揃って2人で歩き出す。

その繰り返しを重ねていれば、目撃の場所まで辿りつくのにいつもの倍以上は時間がかかってしまった。

診療所に入れば信一がトコトコと歩いて診療所の丸椅子に座った。四仔が真向かいに座ると口をパカリと開けようとするので、四仔がポンと手のひらで口を塞いだ。信一が目をパチパチと瞬かせる。
「今日の午前中にも診察は受けたんだろう?安易に口をあけるな。傷が開く」
………
信一は顔をスッと後ろに引いた。手のひらから口が離れたので、四仔は彼の喉元を丁寧にさすった。
「痛むか?」
信一は右手を右目の前まで上げて、人差し指と親指を隙間をあけて近づける。なぜかウィンクつきだ。
「少し?」
信一が満足げに口元をニマニマさせて首を2回縦に振った。
「他に具合が悪いところは?」
左に首を傾けた信一の両眼がグルン、と右上を見る。右手の人差し指を顎に置いて3回ほどトントントン。それから(他は大丈夫)とでも言うようにニヤリと笑った。どこにドヤる部分があったのかは不明だが、どうしてか誇らしげな顔をしている。

「お前……黙っていてもちゃんとうるさいな」

嫌味ではなかった。素直に四仔が感心したように言うと、信一がムッとして目を吊り上げた。ズイっと顔が前に出て、条件反射で口をまた開けようとする。しかし先ほどと同様に、四仔の大きな手のひらがそれよりも早く口を塞いだ。

「だから口を開けるなと言ってるだろう」
「~~~」

“四仔!”

今のは四仔が悪いじゃん!

そう叫ぶ声が耳に聞こえてくるほどの、不満そうなふくれっ面。
四仔は思わず、フっと笑う息を漏らした。

信一が目を丸くする。その珍しい反応をみただけで怒りは収まったようだった。不思議そうに四仔を見つめている。

四仔はあまり口数が多い方ではない。寡黙というほどでもないのだが、2人きりでいる時に声掛けや話題を投げかけるのは大抵は信一だった。だから信一の声がしない診療所はとても静かだ。それが物珍しいというか、違和感があるというか、寂しさを確かに感じる。

信一がコミュニケーションをとるにあたって声だけを頼らなかったとしても、どうしても四仔には恋しくなる声があった。

“四仔”

名前だ。
信一はいつだって、四仔の名前を呼ぶ。

いろいろな感情を乗せて、その名前をたくさん呼ぶのだ。

あまりにも名前を呼ぶものだから、その声音でいったい彼が何を求めているのか、何を言いたいのかが分かってしまうようになったほどだった。

“ねぇ、四仔”

今だってその顔は、四仔がどうして笑ったのか知りたいと名前を呼んでいる気がする。

しかしその“音”が聞こえない。しばらくの間だけだと分かっていても、それにまだ数日しかたっていないのにもかかわらず恋しさを感じる。自分も大概であるな、と四仔は思った。自分の性分では、そんなことを信一に面と向かって言うことはできないが。

「信一」
ふと、四仔はその名前を呼んだ。信一が四仔を呼ぶことができないからというつもりではなかったのだが「名前」というのを言葉にしたくなったのだ。

え、なんだよ?という風に信一が伺う。

「いやお前が声が出なくても俺の名前を呼ぶから、代わりに俺がお前の名前を呼んでやろうと思って」

信一の瞳がブワっと水分を含んでキラキラと潤んだ。その目が揺らめいて”ほんのり”と頬を染める。

俺は四仔の名前をたくさん呼ぶけど、四仔は俺の名前を滅多に呼ばないから。
だからお前に名前を呼ばれると嬉しいんだよな。

少し前に、信一がそんな風に言っていたことを四仔は思いだす。ちょっとおどけたように言っていたそれが、本心であることも四仔は気がついていた。

その証拠にゔう、と素直に恥ずかし気にする顔が、それでも嬉しそうに熱心な目をして四仔を向く。美しい瞳と睫毛がフルフルと震えていた。


“四仔”

また名前を呼ばれたような気がした。
ははっと四仔はまた珍しく声を出して笑った。
「お前は本当に分かりやすくていいな」

信一の頬にそっと手を触れる。
「絶対に口を開けるんじゃないぞ」
四仔はそう言うと大人しく閉じている唇に自分の唇を落とした。
それからその名前の持つ響きを言い当てる。

「好き?」
信一の顔がボンッと一気に真っ赤に染まった。
とても優しい瞳をして、柔らかくて静かな四仔の声音が”名前”を目の前の青年に返す。

「信一」

その呼ぶ音のあまりの甘さにオーバーヒートを起こした青年が、蕩けてパタリと恋人の肩へと倒れた。

「早く喉を治して、俺の名前を呼んでくれ」

これはもう俺が持たないのでダメですそうしますと言わんばかりに四仔の肩に額を擦りつけたまま、信一が宣誓をするように右手を上げ、コクコクと頷いた。