溶けかけ。
2025-07-23 23:21:46
1854文字
Public ほぼ日刊
 

その煌めきは

フリーナが人魚(ガチ)で鰭と声を奪われ、宝石の涙を流す話


「今日はこれしかないのか?」
男の不機嫌な舌打ちと共に足が飛んでくる。足は幸いにも僕のすぐ横を掠めて鉄製の檻を揺らしただけだった。
蹲っていたフリーナの顎に太く節くれ立った指が絡まり上を向かせられる。手加減などしてくれるはずもなく、指に挟まれた頬骨はぎしぎしと軋んだ。
「もっと出せ」
次の瞬間、視界がぐらんぐらんと大きく揺れた。ああ、今日も殴られたのか。最早、痛みなんて感じないけれど、揺らぐ視界は酷く気持ち悪かった。
「いいぞ! もっと! もっとだ!」
殴りつけられたことで緩んだ涙腺から溢れる雫は足元できらきらと輝く宝石へとその姿を変える。よかった。これで殴られなくて済む、なんて詮無いことが頭を過った。
「次はもっと寄越せよ」
宝石を掻き集めた男は檻に鍵をかけると去っていった。吹き込む風と体温を奪う石畳がより一層、孤独感と寒さを助長する。
「寒い……
地下牢の温度は夏も冬も変わらない。元は天然の洞窟だったせいだろう。
フリーナは薄汚れて雑巾のようになった毛布を被ると粗末なベッドの上に横たわった。
(少しでも怪我を癒さなければ……
空腹を主張する腹の虫の鳴き声を無視して目を閉じる。明日はきっと良い日になる──そんな嘘をつきながら。

「本当に人魚なんて存在してるのか?」
薄暗く、黴臭い地下通路を二人の男が頼りないカンテラの明かりを頼りに進む。階段を一つ下りるごとに温度は下がっていっているようであった。
「ここにいる、とメリュジーヌたちから聞いている……まだ、生き残りがいたとは思わなかったが」
地下の最下層。
忘れ去られたような奥地にポツンと佇む鉄の扉。
「宝物があります、って言っているようなものだな」
男性──リオセスリは扉を見てせせら笑った。内ではなく外に付けられた大量の鍵。それは外というよりは内側から何かを逃さないようにしているようだった。
「鍵は……ないな。一回出直す──」
「その必要はない」
リオセスリの後ろに控えていた男性──ヌヴィレットは一歩前へ進み出ると手を大きく横に振るった。動きに合わせて青く輝く水の刃が扉を切り刻んだ。ひゅう、とリオセスリが口笛を吹いた。
「流石は生粋のお貴族様ってところか。俺たち凡人には出来ないことを平気でやってのける」
リオセスリの世辞を無視してヌヴィレットは中へと歩を進める。その後をリオセスリは追った。

「ここで最後か……
リオセスリは地図と地形を示し合わせる。
他の牢は空であったり白骨した遺体があるだけだった。ここも同じだろう、そう思っていた二人の耳が何かを捉えた。
「聞こえたか?」
「ああ」
二人は表情を引き締めると慎重に最奥の突き当りになっている牢へと進む。
「宝石……?」
リオセスリは足元で存在を主張する煌めきを拾い上げた。見事なカッティングが施された青い石。確か、アクアマリンという宝石だったと記憶している。リオセスリとヌヴィレットは頷き合うとカンテラをゆっくりと持ち上げて牢屋を照らし出した。灰色になった寝具に古ぼけて足が朽ちた椅子。辛うじて面影を残すカーテンの向こうには汚れた簡易トイレ。とてもではないが人が住んでいるとは思えない。
「看護師長が見たら怒り出しそうだ」
扉に手をかけるもびくともしない。リオセスリが目配せをすればヌヴィレットが前に進み出て鍵を破壊する。
「あんた、鍵開師の才能があるんじゃないか?」
「残念だが職務上、転職は考えていない」
「冗談さ」
ヌヴィレットが牢屋へと足を踏み入れる。凝縮された黴臭い匂いが鼻をついた。
「健康状態が心配だ」
鼻と口をハンカチで覆ったヌヴィレットはリオセスリを泡で覆った。
「その中なら黴やウイルスの影響は受けないだろう」
要は大人しくしていろ、ということか。意味を悟ったリオセスリは扉の前で立ち止まったまま微動だにしない。
ヌヴィレットは不自然に膨らんだベッドに近づくと毛布を勢いよく剥ぎ取った。そこには──
「いない……?」
……ッ! 後ろだ!」
ヌヴィレットより一拍早くリオセスリの声が飛ぶ。ヌヴィレットが横へと体を捻れば、食事用のナイフを持った小柄な影が脇腹の辺りを駆け抜けた。
「今のは……
瞠目するヌヴィレット。リオセスリはニヤリと口の端をつり上げた。
「俺たちの探し物ってやつじゃないか?」
攻撃が外れた小さな影は体勢をよろよろと体勢を立て直すと食事用ナイフを両手握り絞めた。憎悪と恐怖に濁った色違いの瞳がヌヴィレットを捉えた。