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千代里
2025-07-23 06:48:49
14323文字
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リーブラ15話
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リーブラの針は問う・15話・その16
「テオさん、薪はこちらに持ってきてください」
「わかりました。こんな感じでしょうか?」
「はい。あとは、食べるものですね」
テオが並べた木の枝は、火勢が弱まってきていた焚き火の中に入れる。火種を得て、焚き火は元の勢いを取り戻した。
洞窟の中ではあるが、空間が広く、風通しもいいので火をおこしても煙で気分が悪くなることはない。その分、温めた空気が逃げやすくもあるので、むしろ焚き火を絶やしてしまう方が死活問題だった。
それでも足りずに、熱を発するように加工したクリスタルや、外套を羽織るなどして、体温を維持している。
それに、焚き火には保温以外にも大事な役割がある。
「食べるものというと、お昼にルーシャンさんが持ってきたものですか?」
「はい。この鳥の肉なら食べられるんです。ちょっと下処理が面倒ですけど」
クラリスとテオの二人組と出会ってから、すでに半日が過ぎている。
明け方に出会った彼らは、昼いっぱいを休息に時間を使い、夕方になってから付近の魔物の様子を確認しに行った。ルーシャンが話していたように、クラリスの剣士としての腕前を確かめに行ったのだろう。
クラリスたちが体を休めている間、ルーシャンはただ暇を持て余していたわけではない。洞窟の周辺で見つけた生き物を魔法で狩ってきたり、オデットを連れ出して周辺の食べられそうな植物を探し出したりしていた。
旅のために持ち出してきた携帯食料にも、限りがある。ルーシャンは、それらをクラリスたちと分け合うつもりはないようだった。
生き物の肉を捌くのは、オデットにも多少経験はある。いつもならヤルマルが隣にいて、あれこれ助言をくれるのだが、今ここに彼女はいない。ルーシャンが途中まで処理を進めていたことに感謝しながら、オデットは肉と骨をわけ、食べられる部分だけを鍋に入れていく。
雪を溶かして作ったお湯を用いて、鳥の骨や周辺に生えていた野草で旨みを出しながら、食べられる野草を入れていく。
硬い木の実も、火を通せば少しは柔らかくなる。元々柔らかな果実は、そのまま食べれば甘味が詰まっていてデザートの代わりになってくれそうだ。
ひとまず、鳥と野草のスープの下拵えを終えて、オデットは一息つく。そこで、ようやく自分に向けられた視線に気がついた。
「テオさん?」
「オデットさんは、すごいですね。何かお手伝いできたらって思ったんですけれど、僕の出る幕なんて全然ありませんでした」
「あ、その
……
ごめんなさい。一人で進めるのに慣れていたものだから、つい」
それに、不慣れなテオに作業を手伝わせて、彼に怪我でもさせたら、クラリスに合わせる顔がない。
そんなオデットの思いも、テオには伝わってしまっていたのだろうか。彼は少し寂しそうな顔を見せながら、オデットの隣に腰を下ろした。
「野営の手伝いぐらいはできるようになりたいって、前にクラリスに頼んだんです。でも、この旅はすぐに終わることだし、目的地に着いたら旅に出ることなんてないはずだから、覚える必要はないって言われてしまいました」
「それは
……
確かにそうかもしれませんけれど、でも、覚えておいたらいつか役にたつことかもしれませんよ」
言いながら、オデットは薪の上に吊るした鍋へと視線をやる。流石に刃物を使う作業は彼に任せられないが、火の番と鍋の番ぐらいは、旅に出なくとも必要となる機会はあるだろう。
「焚き火は、完全に消えてしまうともう一度火をつけるのが大変なんです。だから、この焚き火は大事にしてあげないといけないんです」
「でも、魔道士がいたら火はすぐにつけられるのではありませんか」
「魔道士の方がとても疲れていて、魔法を使えないときもあるかもしれません。魔道士がいつも隣にいるとも限りません。自分でできるようになった方が何かと便利ですよ」
今日は火おこしの方法までは教えられないが、火の重要性は伝わったようだ。何度も頷くテオは、とても素直な生徒である。
「焚き火の中に火属性のクリスタルのかけらを入れておくと、熱と勢いを長時間保てるのでおすすめです。今日も、少し混ぜているから、火の勢いがいいんです」
「シャード、という名前で扱われているものですよね」
「ええ、その通りです。ただ、洞窟の入り口で焚き火をしていると、夜になると外の魔物に居場所を教えることになって危険です。それに、入り口は空気の通りがいいので、煙は篭りにくいですが、近すぎては風で焚き火が消えてしまうかもしれない。ちょうどいい場所を探す必要があるんです」
ノエやヤルマルが教えてくれた野営のコツを、オデットはできる限りテオへと説明していく。
何も知らなかったオデットに、ノエは彼女がわかりやすい言葉を選んで説明をしてくれた。
ヤルマルやオランローは実地こそが全てと、実際にオデットに手を動かさせ、間違ってしまったときは遠慮なく口を挟んだ。
(皆さんのおかげで、わたしは今こうして自分で食事の準備ができているのですね)
たとえ記憶があろうとなかろうと、皆と共にいたからこそ今の自分がある。
何やら懐かしさのようなものを覚え、オデットは胸の奥がツンと痛むのを感じた。
だが、今の自分は指導役だ。郷愁に焦がれている場合ではないと気を取り直し、今度は料理の説明をしていく。
「基本的に、生でものを食べるのは避けましょう。生き物の中には、わたしたちには害がある虫を体の中で養っている場合があるんです。大抵は熱に弱いので、どんな状況でも加熱は忘れてはいけません」
「魔物なども食べることはあるんですか?」
「そのような場合もありますが、魔物は体の中に毒素を含んでいることが多いので、あまりおすすめできません。あとは、周辺の集落の人たちから、普段からどのような生き物を食べているか、事前に聞いておくのもいいですね」
余裕があるのなら、教えてもらった動物を捕獲してきて、実際に調理の場面を見せてもらうといい。このやり方は、ヤルマルが教えてくれた、新しい土地に来たときの処世術のひとつだ。どんな人の懐にも潜り込める彼女の性格は、こういったところでも役立っているのだろう。
一通りの説明を聞き、テオは驚嘆と尊敬を込めて、目を丸くしてオデットを見つめていた。
その視線に、ありし日の友人の姿を思い出し、どきりとする。
「すごいです、オデットさん! クラリスにも聞いたのですけれど、食べ物はだいたい見た感じでわかる、としか言ってくれなかったんです」
「旅慣れている人にとっては、他の土地でも見た生き物と比較して、自然と食べられるかどうかがわかるそうですよ」
そして、口下手な人間ほど、己の直感で判断できると説明してしまうのだ。オデットの仲間の中では、サルヒとオランローがこれにあたる。
「オデットさんは、これまでもずっと旅をしていたのですか?」
「いえ、そういうわけではないのですよ。たまたま、ここ最近は野営をする機会が多かっただけです」
実際、イシュガルドに到着してから雪原を旅していた期間はさほど長くない。長期間の旅を体験したのは、ノエの父の領地からシュガーグレイヴに着くまでと、シュガーグレイヴの騎士団と共に巡回任務を手伝ったときぐらいだ。
イシュガルドに到着してからの期間を思うと、町の宿に滞在している時間の方が長いだろう。
「テオさんは、これまで野営の経験はなさそうでしたけれど、ずっと町で暮らしていたのですか?」
質問をして、オデットは同時に「しまった」と口元に手を当てる。
詮索はなしだとクラリスに言われていたのに、これでは彼女が不在のときにテオに取り入っているようではないか。
「あの、言いづらかったら、言わなくてもいいのですけれど」
「構いませんよ。僕は、これまでは皇都にいたんです。僕の父さんと母さんは、騎士団直属の療養院の医師でした。治癒魔法ももちろん、医術の腕も素晴らしかったと聞いています。僕も、時々二人の仕事場に遊びに行って、患者の騎士様に可愛がってもらってました」
「騎士団の、療養院に
……
」
その言葉に、オデットはハッとする。
テオによく似たオデットの友人
――
ゲルダは、元はといえば錬金術師であるヒューイが作った人形だった。彼女の容姿を作ったのもヒューイであり、彼はかつて、騎士団に属する錬金術師だったと聞いている。
「テオさん。その療養院にヒューイという方は来たことがありますか? 眼鏡をかけた細身のヒューラン族の方です」
「名前は分かりませんが、そのような見た目の人はいたと思います。お薬を時々運んできていた方でした」
やはり、とオデットは心の中で独りごちる。
竜の器とする人形を作る際、ヒューイがテオや彼の家族を参考にしたかどうかは分からない。だが、少なからず接点があったのなら、同僚や彼らの子供を無意識に参考していた可能性はあるだろう。
「オデットさんは、その方とお知り合いだったのですか?」
「ええ、まあ
……
。あの、それでは、テオさんは皇都からここまできたのですか?」
どうして、という疑問が喉まで出かかったものの、どうにか押し込める。もっとも、そんな言外の問いかけもテオにはお見通しだったらしい。
彼は微苦笑を浮かべると、
「
……
父さんも母さんも、病気の人を放っておけなかっただけなんです」
答えになっていない回答の後、テオはぽつぽつと語り始めた。
仕事場こそ騎士団の傘下にある施設であったが、テオの両親は、もともと病や怪我で苦しむ人々を一人でも多く助けたいという信念を抱いていた。
物資に限りもあるので、イシュガルド中にいる全ての人を、とはいかなくても、目についた人に手を差し伸べたいと思う善良な人物だったのだろう。
貧民街にも度々姿を見せる彼らは、一部の平民たちにとっては救世主のように慕われていた。
だが、全ての救いを求める人が、善良な憐れむべき被害者であるわけではない。
「父さんたちが助けた人の中に、異端者として皇都に忍び込んでいる人がいたんです」
大人しく話を聞いていたオデットは、思わず息を呑む。
異端者に関わった人間は、誰であろうと厳しい目を向けられることは、これまでのイシュガルドでの日々で嫌というほど分かっていた。そして、それはテオの両親とて同じだろうということも。
「その異端者の人は、病が治ったあとに、当初の目的通りに行動したんです。彼は、教皇猊下とその配下の蒼天騎士団の方々に剣を向けた
……
と、聞きました」
「
……
!」
「教皇猊下も騎士団の方も、怪我はなかったそうです。異端者はすぐに捕まり、彼に関わっていた人が他にいないか、調査が始まりました。そのとき、彼と父さんたちが一緒にいたと、騎士団の方々に伝えた人がいたんです」
「そんなの、言いがかりです
……
! テオさんのご両親は、ただ困っている人を助けただけなのに」
テオの声に震えが走ったことに気がつき、咄嗟にオデットは被せるように声を発する。
これ以上、彼に辛い思い出を辿らせたくないからでもあり、オデット自身が「間違っている」と思ったからでもあった。
告げ口をした人がいなければ、と一瞬顔も知らない密告者を呪う。しかし、その密告者も、自分が黙っていたことが後でバレたらと不安に駆られ、告げ口してしまったのだろう。
(どうして、いつもこうなってしまうんでしょう)
悪いことをしたのは一人だけなのに、全てを明らかにしようとする過程で、無実の者まで闇に葬られる。これまで繰り返し見てきた惨劇を聞くたび、オデットは「どうして」と叫びたくなってしまう。
「クラリスも、オデットさんと同じことを言っていました。そんなの言いがかりなのに、騎士団の連中の目は節穴だって」
だが、結局テオの両親を助けようと動く者はいなかった。
「クラリスは、昔、父さんたちの世話になったことがあったんだそうです。僕がまだうんと小さかった頃だったそうなので、僕は覚えていないんですが。クラリスは牢に入れられた父さんたちに会って、僕が騎士団に捕まる前に連れ出してくれって頼まれたんだそうです」
「それで、クラリスさんが、テオさんと一緒にいるのですね」
だが、それなら両親はどうなったのだろうか。それを問うほど、オデットも無神経にはなれなかった。テオのそばに両親がいないことが、彼らの結末を示している。
「クラリスさんは、どこに向かうつもりなのですか? 旧エヴラール領に知り合いがいるかのように話していましたよね」
「昔お世話になって、今もやり取りをしている知り合いがそちらにいるんだそうです。剣の師匠でもあると話していました。信頼できる人物だから、その方なら僕の面倒も見てくれるはずだ、と」
教会の孤児院や救貧院に預けようと考えなかったのは、テオの両親のことがあったからだろう。彼らが異端者の協力者として処刑されたのなら、テオもまた異端者の縁者として、一方的に処断されかねない。
(
……
兄さんのように)
かつて、ノエが己の身に何が起きたかを語ったときの様子を思い出す。あの時の彼は、まだ時間が逆転したかのように、震える声で話をしていた。
くしくも、幼い頃のノエと、目の前の少年の状況は似通っている。ノエもまた、異端者に関わったからという疑いから、一方的に異端者として処断された。
幸いなのは、テオは人々の疑いの目に晒される前に、クラリスに連れ出してもらったということか。ノエのように歪んだ大人の正義に翻弄されなかった分、彼の瞳には子供らしい素直さが残っていた。
「クラリスさんは、目的地についた後、テオさんと一緒に暮らすつもりはないのでしょうか」
オデットの素朴な質問に、テオはすぐには答えなかった。
「自分と一緒にいても、悪い意味で目立ってしまうから、長く一緒にいない方がいいと言っていました。これまでのクラリスは、困っている人を見つけては、援助をするような毎日を過ごしていたんだそうです」
テオの口ぶりからも、クラリスは少年を知り合いに預けたあとは、また別の場所に向かうつもりなのだろうと察された。
ルーシャンが語った『暗黒騎士』という者の来歴を踏まえると、彼女の旅路は、結果的に教会や権力に弓引くような状況にもなりかねないのだろう。だから、彼女はテオを遠ざけようと考えているのではないか。
(なんだか、わたしと兄さんが出会った頃を思い出しますね)
ノエも、最初からオデットを自分の手元に置き続けようと思っていたわけではない。オデットの記憶が戻ったなら、家族や保護者に送り届けようと考えていた。
いつか来るかもしれない別れを隣で感じながら、共に旅をする。言葉に表せない寂寥を交えたその関係は、オデットにも覚えのあるものだった。
「でも、僕はクラリスともっと一緒にいたいのですけれど」
信頼出来る人のところに預けられるのなら、身の安全としては最も良いのではないか。そう思いかけ、しかしオデットはすぐに自分のことを振り返る。
かつて、ノエの思惑に反してオデットが彼の隣にいたいと願ったのと同じように。
テオもまた、自分を助けるために手を差し伸べてくれた女性の姿を見て、彼女の隣にいたいと思ったのだろう。
それは、自分の身の安全などという損得では考えられないものだ。
だが、だからと言って軽率に背中を押してしまえばいいというものではない。
「イシュガルドは、戦う力を持たない人が町の外で生きるには、過酷な土地だと思います」
同い年くらいのオデットなら賛成してくれる、と期待していたのかもしれない。テオが肩を落とすのが、オデットにも見て取れた。
「わたしも、同じような願いを持ったことがあります。でも、気持ちだけでは私の願いが叶えられないことを知りました」
「だけど、オデットさんは今はこうして旅をしています。それに、すごい魔法も使っていました」
「少しでも自分の願いを叶えたくて、頑張ったんですよ」
そして、その願いのために背中を押す現実的な手助けをしてくれたのは、サルヒであり、今はここにいないルーシャンだ。彼らの助力がなければ、オデットは魔法が使えるだけの女の子でしかなかった。戦いの場に出るための覚悟も、振る舞いも知らないままだっただろう。
彼らのおかげで、こうしてオデットは自分の生き方を選べる冒険者になったのだ。
「僕がクラリスのように強くなれたら、一緒に行くことを認めてもらえるでしょうか」
「ちゃんとお話ししたら、クラリスさんも分かってくれると思いますよ」
そんな話をしながら、ふとオデットは思う。
自分はこうして、ルーシャンと共に行く事を選び、旅を続けている。オデットの父が遺した魔法の発動の鍵はオデットに委ねられており、オデットの指先一つで、ひょっとしたらイシュガルドの歴史が覆るかもしれないのだ。
それは、邪竜を滅ぼすという称賛だけではなく、この土地を巡るエーテルをどうしようもない形で傷つけるという負の意味も混ざっている。
(もし、わたしがニーズヘッグを倒したいと思っていて、その代償も含めて、そうしたいと望んだ時
……
兄さんは何と言うのでしょう)
ちゃんと話せばわかる。テオにはそう言ったものの、オデットは胸中に混ざる一抹の疑問を無視できなかった。
冒険者になりたいのだと真摯に訴えた時、ノエは現実的な問題を整理して、オデットの願いを叶えるために力を尽くしてくれた。
ノエと共に旅を続けたいと申し出た時、彼は自分の心に隠した本音を打ち明けて、オデットに自分は真実どんな人間であるかを語ってくれた。
だけど、この選択をしたとき、ノエがどんな顔をするかが、オデットにはわからない。
オデット自身、心底から自分が魔法の発動を望んでいるのか、大地を犠牲にしてまで邪竜を滅ぼしたいと胸を張って宣言できるのか、今もってはっきりしないところがあった。
(でも、多くの人がこの先竜に怯えずに生きられるのなら、それは意味があることのはずです)
たとえ、土地を失ったとしても
――
と言い切るのは、外からやってきた自分の傲慢な言い分だろうか。
「オデットさん?」
「
……
すみません。少し考え事を。火の番をしておかないとですよね」
テオを安心させるために微笑みかけ、オデットは平静を取り繕う。鍋の中身を木匙でかき回しているテオは、オデットの抱える悩みなど全く想像すらしていないのだろう。
(旅立ってからの日を数えると、そろそろ目的地が近いはず。
……
わたしは、答えを見つけられるのでしょうか)
幸せになって、と友は言った。
だが、その幸せは、多くの人を助ければ満たされるものなのか。
ルーシャンの夢を無視して、自分勝手に求めた先にあるものなのか。
答えはまだ、出そうにない。
***
雪の塊が、もぞりと動く。本来動くはずのない白の塊がふるふると震えて蠢く様は、粘質の高い液体を雪原にたらしたかのようだ。
だが、ゆったりと蠢いていた液体が、にわかに素早く形を変える。変形した表面に浮かび上がったのは、目と口と思しき裂け目だ。
その塊が、自分に迫る何者かの気配を探り始めた時、
「遅い」
降り続ける雪よりも冷たい声が、蠢く雪
――
妖異の一種であるソルベの聴覚に届く。それが、妖異が最後に聞いた音となった。
真っ二つにソルベを切り裂いたのは、無骨な鉄製の大剣だ。重さを感じさせない仕草で、剣を軽く振る。同時に妖異の肉が刃から離れて点々と雪の上に落ちていった。
大剣の持ち主の動きはそこで終わらない。仲間の消滅を知ったかのように、そこかしこから数体のソルベが姿を見せる。これまで微動だにせずに雪原に溶け込んでいたのだろう。
「ふっ」
と、息をひとつ吐いて、大剣の主
――
クラリスは妖異へと迫る。
ノエのように魔力を足元で爆発させて瞬発力を稼いだ突進ではなく、さながら己自身が影となって地面を滑っていったかのような俊敏な歩法だ。
突如目の前に現れた敵に、ソルベは粘性の体を叩きつけて牽制しようとしたが、それよりも早くクラリスの周りに広がった闇色の光が壁となり、ソルベの渾身の一撃を受け止めた。
ばん、と破裂したような音と共に、砕け散った光がクラリスの持つ剣の刃に集まる。
「丁度いい。手間が省けて助かった」
一閃。
刃を振り下ろした刹那、放たれた闇色の剣撃が一直線にソルベを貫通する。
対峙していた一体だけではなく、後ろで密かに様子を伺っていた個体も、暗色の光に飲まれて霧散していくのが見えた。
残心を解かず、クラリスは次のソルベを探す。
だが、新たに目にしたソルベにクラリスが剣を向けるよりも早く、後方から雪崩のように押し寄せた雷が、あっという間に妖異を消し炭と化した。
「一丁上がりだな。どうよ、俺の魔法の腕前は」
わざと軽さを残したような物言いは、即席のペアを組んだ男
――
ルーシャンのものだ。
彼の言葉を聞いても、さらに念には念をと周囲を見遣ってから、ようやくクラリスは剣をおろした。
「たしかに、そちらも口で言うだけのことはあるようだな。剣の腕前も、並以上ではありそうだ」
先ほどの戦闘の前、数体の魔物を退治したときの様子を思い出し、クラリスは慎重に男の腕前を評価する。
「それで、私はお前のお眼鏡に適ったのか?」
「見慣れない剣技だが、背中を預ける程度の腕前はあるってことは分かったさ。その剣から出ていた黒い光が、噂の暗黒騎士の秘技ってやつか?」
「そこまで分かっているものに、わざわざ教えてやる必要もないだろう」
にべもない回答は、ルーシャンにも予想できたのだろう。肩をすくめて、苦笑を浮かべていた。
「負の感情を操るなんて技、眉唾物だと思っていたが、大したものだな。魔法とは違うのか?」
「似たものではあると感じている。私は、あまりエーテルの操作が得意ではないからな。扱いづらさの感覚は魔法に類似している」
話しているクラリスの大剣の周りには、いまだにドロリとした暗色の光が瞬いていた。戦いを終えても攻撃の予兆が残っているのは、警戒しているからではなく、制御しきれていないからだろう。
「自分が制御できる以上の力を操っていたら、いつか自分が火傷するぞ?」
「お前に言われずとも分かっている。この力が私を焼くのが先か、私が完全に操れるのが先か、と言ったところか」
そんなことを薄い笑みを交えながら言ってのけたのは、どこか強がりもあるとクラリスも分かっていた。同時に、目の前の男が本気で案じていることもわかっていたが、今のクラリスにはどうしようもないことだ。
「技以外にも、注目してもらいたいものだがな」
「そうだな。複数の妖異を前にしても、的確に個体と位置を把握していたのは、評価できるってところか」
「当然だ。その程度のことができずに、この地を旅するなどということができるか」
「戦闘が終わってもすぐに気を緩めていない。警戒を続けられたのも加点対象だな」
そこまで話してから、ふ、とクラリスは相好を崩す。
「お前の評価は、まるで教官のようだな。誰かを指南するのに慣れている者の口ぶりだ」
まるで微笑ましいものを見るかのような口ぶりでもあり、どこか揶揄っているようにも聞こえた。
だが、それ以上に内容で意表を突かれ、ルーシャンは細剣を手に取ったまま固まっていた。
「胡散臭い男のように見えるが、お前が私を追う視線は、厳しくはあれど、他者を利用するだけ利用してやろうという悪辣さはなかった。その意味でも、私はお前を一時的に信じるに値すると評価できそうだ」
「
……
そいつは流石に買い被りすぎじゃないか?」
「先ほどよりも発言に覇気がないな。まあ、お前が自分はそのような人間ではないと言いたいのなら、敢えて否定はしない。だが、あの子にまでそのような道化を気取っているのなら、やめた方がいいとは言っておく」
気取っているつもりではない、と言いたげなルーシャンの視線を、クラリスは受け流していた。
自分でも、こんな風に賢しらなことを言うつもりはなかった。わざわざ、忠言めいたことを言ってしまったのは自分の傷を癒してくれた少女の存在が、妙に心に沁みてしまったからだろう。
今まで受けた理不尽な仕打ちの数々のせいで生まれた緊張が、オデットのような裏表のない善性を前にして、緩んでしまったのかもしれない。できるならば、あの娘はいつまでも、美しいとすら言えるあの優しさを大事にしてほしい。
そう思うからこそ、彼女と共にいる男にこのようなことを言ってしまうのだろうか。
「先ほどの妖異どもは、恐らくは異端者たちが呼んだものだろう。こちらに呼び寄せたはいいが、おおかた、制御しきれずに放置したと言ったところか。今、倒したのは尖兵だろうから、奥にはもっと蔓延っていそうだな」
「だな。そちらさんに先頭を任せて、俺とオデットで周囲の連中をまとめて退治する。何も駆除を依頼されたわけじゃないんだ。道を作って、どうにか通り抜ければいいさ」
「そうしたら、旧エヴラール領まではすぐそこだ。お前たちとの縁もそこで終わる」
そこまで話してから、クラリスはぼんやりと自分たちの状況を思い返す。
テオを連れて、目的地に向かったら、その後はどうすしたものか。
テオの予定は決まっている。彼は本来送るべきだった平穏の日々を過ごすのだ。それがたとえ、これまでとは全く違う形をしていたとしても。
だが、その後の自分は何をするつもりなのか。
最初から、取り立てて目的を決めて生きているわけではないが、相変わらず行き当たりばったりだと、向かう先にいる師匠に叱られてしまうかもしれない。
そんなことを考えた矢先、ふと思う。
「お前たちは、この先どうするつもりなんだ」
「おいおい、詮索は無しだって話だろ?」
「具体的な目的地を聞くつもりはない。お前たちが目的地に着いて、その後はどうするつもりなんだ、と言う意味だ。旅を続けるのか、それとも目的地とやらがお前たちの新しい家になるのか」
そこまで話して、やはり一方的すぎたかと反省する。クラリスも自身のことを話していないのに、お前だけ胸の内を明かせと迫るのは誠実ではないだろう。
「恥ずかしながら、私はテオを目的地に連れて行った後、私自身が何をしたいのかを未だに決められていない。これまでは、その日暮らしだった上に、思いつきのままに行動していたからな」
「存外に考えなしなんだな。あの坊ちゃんよりは、そちらさんはもっと冷静かと思ったが」
揶揄も混ざったとわかる声音だったが、不思議と悪い気はしなかった。改めて客観的な視野から指摘されて、その通りだと自分の中で納得できてしまったからかもしれない。
「だから、似たような立場の先人の知恵に頼っているんだよ。迷える子羊に、ご教示願えないか?」
てっきり、この男のことだから、得意げにそれらしいことを言うか、あるいは適当な言葉で煙に巻くのではないかと思っていた。
まさか、何かを言おうと口を開きかけたと同時に、再び黙ってしまうとは思わなかった。
「
……
どうかしたのか」
「いや、気がついただけだ。
……
そういうことは考えてなかったな、俺も」
*
暗黒騎士の女剣士。
子供を連れて、イシュガルドの雪原を越えるなどという無謀な旅をしている者。
適当に力量を測り、使えそうなら程々に背を預けて、この窮地を手早く乗り切ろうと思っていた。
だが、指摘されてしまった。自分への指摘や視線は、指導者のそれであると。
(ノエと一緒に冒険者稼業をしていた時の癖が出ちまったか)
クラリスを観察している時、ついルーシャンは『彼』に比べてクラリスは信用に値するのかと考えてしまっていた。
剣の腕前には見どころはあったが、馬鹿正直なところが玉に瑕だった青年の姿を、無意識に基準としてしまっていたのだ。よりにもよって、背中を預けられるかという目線からの基準に。
クラリスの指摘を聞いて、ルーシャンは気が付かされた。自分は、どこかでノエと再会して合流する未来を無自覚に織り込もうとしていたのだ。そして、その甘さに笑い出しそうになった。
今更、どのツラ下げて彼らの元に戻るというのか。すでにゲームは始まり、駒は動き出してしまっているのに。
そんなルーシャンの自嘲を知らず、クラリスは自分自身がこの旅の先で、己が何をして生きていくか考えていなかったと語る。
若者らしい向こう見ずさだ。そんな所も、彼女はノエに似ているのかもしれない。
――
ああまた、あの青年を思考の片端に置いてしまっている。
そのような行きつ戻りつの思索を繰り返していた時だった。
「だから、似たような立場の先人の知恵に頼っているんだよ。迷える子羊に、ご教示願えないか?」
少しばかり情けをかけるつもりで、それらしい指導者の顔を貼り付けようと思った。
自分も目的のある旅を続けていることに変わりはない。己と照らし合わせて、もっともらしい返事をすればいいと。
――
なのに、答えが見つからなかった。
エヴラール家が秘めた魔法に辿り着き、その発動を見届けて、更にその後。
オーバンが何やら策を仕掛けてくる可能性もある。保身に走る必要も出てくるかもしれない。ノエたちの目から逃れるため、行方を眩ます必要もあるだろう。
だが、それらを全て乗り越えて、首尾よく生き延びたとして、自分がその先に目指す未来はあるのか。
「
……
どうかしたのか」
「いや、気がついただけだ。
……
そういうことは、考えてなかったな、俺も」
答えは、なかった。
考えてなかったからではない。どれだけ自分の中をひっくり返しても、答えに当たるものが見つからなかったのだ。
何もないこと。
それこそが、答えだったのだ。
「目的地に辿り着いて、それで何もかもが終わるわけがないだろう。それとも、まさか心中でもする気か?」
「それこそ、まさかだ。だが、俺にとっては目的地に辿り着くまでが全てだったんだよ。そればかりが、俺の全部を占めちまっていたみたいだ」
こんな話、オデットにはできない。サルヒだって、他のどんな人間にだってできない。
目の前にいるのが、縁などほぼない赤の他人に近い者だからこそ、ルーシャンは己の思考を切り分けて、語れていた。
「頼る相手がいないからそう言っているのなら、手を貸すのも吝かではないが」
「そういうことじゃないさ。気持ちだけはありがたく受け取っておくがな」
「だったら、どうしてお前はそんな考えなしの旅を続けている。オデットは、それを知っているのか」
ルーシャンの無言が、そのまま答えのようなものだ。
このまま帰ってしまえば、このお節介な女はオデットをルーシャンから引き離そうとするかもしれない。だから、それらしいことを言って誤魔化すべきだとわかっている。
だが、ちょっとやそっとの誤魔化しでは引かないだろうともわかっていた。ならば、多少は真実を話す必要があるだろうと腹を括る。
「
……
俺は、死んだ親父の遺した宿題を片付けるために、旅をしているんだ」
全てを話すつもりはない。だが、少しばかりの本当が混ざった方が説得力が増すのは、嘘をつく時の定説だ。ゆえに、大枠をぼかして、ルーシャンは彼女が納得しやすいだろう理屈を模索する。
「目的地にたどり着いたら、俺は少なからず何かの答えを出すつもりだ。だが、ずっと親父のことばっかり考えてたせいだな。答えを出したとして、その後に何をしたいかなんて、考えたこともなかったんだよ」
「驚いたな。オデットはお前と血が繋がっているようには見えないが」
「俺は養子だったんでな。親父は、それでも俺こそが自分の出した課題を解くのに相応しい人間だって指名していた。ずっと、俺もそう信じていたんだが
……
どうやら、そういうわけではないってことが後で解っちまってな。そうなると、あとは俺の意地だ」
そう、最初から自分はただの意地を張っていただけだったのだ。
父親は、ルーシャンに渡すべき課題を、挑戦すらさせずに取り上げてしまった。その行為は、ルーシャンにとっては、ただの驚きや悲しみで受け止められるものではなかった。
それは、父からの裏切りでもあったのだ。
(
――
どうして、俺じゃなかったんだ)
あの日の言葉には、悲しみや混乱以上に、父への憎悪が込められていた。
あれほど生前は自分を信頼したように見せかけて、結局は自分の血しか信用しなかった。あるいは、より優れているオディールに全てを託した。それが認められなかった。
もとより、父の死の真相を知りたくて始めた旅だ。そして、次に生まれた目的もそんな形で歪んでしまった。
ルーシャンという男の全てが養父に連なった結果、目的を果たしたその後の自分を想像すらしたこともなかったのだ。
「紆余曲折あったが、俺は親父の課題を片付けられそうだってことで、オデットにはそれに付き合ってもらってる。だけど、その先は、ちっと考えるのが難しいな。俺が親父に答えを突きつけたその後は
……
そう簡単に見つけられそうにもない」
そこまで言い、ルーシャンは重いため息を吐く。自分は考え無しではない、と伝えたかったのだが、結局これでは避けたい結論に自ら迫ってしまっただけではないか。
どう取り繕うかと思案していると、
「だが、お前にはオデットがいるのだろう」
当然のように、クラリスは言う。
「あの子なら、お前が旅の先に続く目標が見つけられないと言ったら、何かが見つかるまで一緒に悩んでくれるだろう」
「
……
それは、そちらさんも一緒じゃないのか?」
「なるほど、確かにそうだな。子供に考えさせるのはどうかとも思ってしまっていたが、時には頼るのも一つの手かもしれない」
自分で思考のゴールに辿り着き、うむと頷いてから、クラリスはルーシャンに向けて口角を釣り上げる。
「お前が見つけられない『その先』も、お前を思うものがいるのなら、答えの出ないお前に代わって見つけてくれるだろうさ。私も、たまには師匠に甘えてみるとする」
さっさと己の中で結論を出してしまうのも、また若さの成せる技なのか。どこか眩しいものを見つめるかのように、先に背を向けて洞窟へと向かうクラリスをルーシャンは視線で追う。
「
……
俺の代わりに、ね」
今までだったらそうかもしれない。
オデットを勝手に連れ出す前なら、ノエたちは率先してルーシャンの迷いを解きほぐそうとしただろう。
だが、もし、全てが終わった後で、彼らはそれでも自分のために手を差し伸べるだろうか。
「いいや、それはありえないな」
想像するまでもなく、答えはわかる。故に、ルーシャンは思索をそこで打ち切った。
「この辺で、適当な終わり方を見つけておくか。氷天から親父に笑われるのはごめんだからな」
どうせ、行き着く先は違うだろうとは最初からわかっていた。
自分の向かう先は、勇士が迎え入れられる戦女神の座す氷天の宮殿ではなく、臆病な卑怯者が堕とされるという氷獄なのだろうから。
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