千代里
2025-07-21 11:09:07
12238文字
Public リーブラ15話
 

リーブラの針は問う・15話・その15


 無理をさせて申し訳ない。そう思いながらも、いつもより強めにチョコボを手綱で打つ。
 急いでいるこちらの気持ちが伝わったのか、チョコボもクエと一声鳴いて更に加速して山道を走ってくれた。
 頭の中に叩き込んだ地図と目の前の光景を照らし合わせ、サルヒは前へとチョコボを走らせる。後ろから皆が追いかけてくれていると信じられるのは、これまで培ってきた経験と、遠くから聞こえる雪を蹴散らす音を辛うじて角が拾えているからだ。
「地図によると、この辺りから上り坂になる。制御に気をつけて」
 リンクパールで皆に連絡を残してから、サルヒは目の前の斜面を睨みつける。これまでの道中も獣道のような雪道を通ってきたので、道の悪さは変わりない。だが、やはり角度がつくとチョコボへの負担も上がる。
「あなたを潰すつもりはない。踏破してからも、走ってもらわないといけないのだから」
 チョコボに言い聞かせるように、ぽんと柔らかな背中を叩く。
 覚悟を決めたチョコボは、小さな翼をばたばたと羽ばたかせると、ゆっくりと斜面を登り始めた。
 なるべく岩や木々がない道を選び、少しずつ傾斜を上がっていく。視界は粉雪のせいでやや不明瞭だが、前方が見えないわけではない。この調子なら、問題なく坂道を超えて峠の向こう側まで行けるだろう。
 そう安堵しかけたときだった。
……! 危ないっ」
 横から飛来する何かの気配に、咄嗟にチョコボの進行方向を切り替える。同時に、彼女が通る予定だった地点に、氷の小爆発が起きた。
「これは……
 騎士団が追いついてきたのか。一瞬そう思ったが、再び飛んできた複数の礫の気配に、サルヒは背負っていた斧を下ろしてチョコボから飛び降り、迎撃の構えをとる。
 考えるのは後だ。ちらちらと舞う雪の中から飛んできた礫を、サルヒは己の得物で次々砕いていった。チョコボも心得たもので、障害物となる岩の陰にすぐさま身を隠す。
「皆、気をつけて。何かいる」
『攻撃を受けているのですか』
『そうなると、騎士団がもう追いついてきたのかい? それにしては随分と早いね』
 リンクパール越しのヤルマルの推測は、この状況において最も妥当なものだ。
 だが、同時にあり得ないとサルヒはかぶりを振る。
 追跡している人物が宿から消えたと知り、チョコボの足跡を見つけて、同じくチョコボで追跡を始める。その間にかかる時間は、いくら土地勘があるといっても限度があるはずだ。話している間にも、礫が更にいくつか飛んでくる。一つは払い落とせたが、一つはチョコボに向かって飛んできたため、咄嗟に彼を庇う必要があった。
 ぐ、とくぐもった声が漏れる。甲冑越しではあったが、体に響く一撃は重い。
「どこかから攻撃を受けている。ノエ、ヤルマル、斜面を上るのは待った方がいい」
「悪いけど、ボクはもう着いてしまってるんだな。これが!」
 全てを吹き飛ばす軽やかな風のような声が、孤軍奮闘していたサルヒの角に響く。
 かつて、そうやってサルヒの警告を無視して窮地に飛び込んできたのは『彼(ルーシャン)』だった。だが、瞼の裏に焼きつくほどに心に残っている男の姿は、今ここにはいない。
 代わりにやってきたのは、ヴィエラ族の麗人。ヤルマルは斜面を駆け上がるチョコボに乗ったまま、器用にも弓を引き絞っていた。
「何をするつもり?」
「視界の悪さを利用して隠れているのなら、引き摺り出してやればいいと思ってね。見逃すんじゃないよ、サルヒ!」
 景気良く言い放つと同時に、ヤルマルの放った魔力の矢が天を打ち抜く。矢に込められていた魔法が発動したのだろう。二人を包むように空に風の渦が広がり、雪を一度に吹き飛ばした。
 おかげで、雪煙で隠れていた斜面の様子が明らかになる。
 一面の白に思えた雪原に転々と乱立する、ほっそりとした黒い影。ゆらりと揺らめくそれは、真っ白の紙にインクで線を引いたかのようにくっきりと目立つ。
 そこまで確認した時、
「サルヒ、後ろ!」
……!」
 背後にぶわりと膨らむ、何かの気配。振り返りざまに斧を振るったのは、彼女が鍛えた直感のおかげだ。
 肉厚の刃が叩き切ったのは、サルヒを丸呑みしそうなほどに巨大な植物型の魔物だった。似た個体はグリダニアの近辺でも頻繁に見かけていたが、この個体は寒冷地に適応したものなのだろう。
「ケッドトラップの亜種とはね。どうりで気づけなかったわけだ!」
 声で弾みをつけるかのように、ヤルマルは雪の只中に見える細身の植物へ、魔力でできた矢を放つ。敵の正体が分かれば、どこに潜んでいるかを見つけ出すのは、簡単ではなくとも不可能ではない。
「ヤルマル、私はあいつらの攻撃を防ぐ方に集中する。反撃は任せていい?」
「その方が良さそうだね。チョコボたちを守ってあげないと、彼らの攻撃で怪我をさせたら可哀想だ」
 役割をはっきりとさせて、サルヒは植物の魔物が投げ込んできた氷の礫をまた一つ撃ち落とす。隙間を縫うように、ヤルマルの曲芸じみた射が植物の口と思しき部分に突き刺さった。
 できる限り身を細め、微動だにせずにいることで、この魔物は雪原に溶け込んでいたのだろう。そして、何も知らずに通りがかる獲物へ奇襲をかける。寒冷化によって体力の無駄な消費を避けようと、魔物なりに知恵を働かせた結果、このような狩りの方法を編み出したといったところか。
 斜面に揺らめく影は、一体や二体では済まない。これは暫くかかりそうだと、サルヒがリンクパールを装着した角に指をかけたときだった。
『サルヒさん、聞こえますか。そっちにヤルマルさんが向かったと思います。斜面は降りずに、そのまま襲撃者を迎え撃てますか?』
「ノエ、何かあったの?」
『少々厄介な魔物の群れに遭遇しました。こちらも魔物たちを倒してから、そちらに向かいます』
 リンクパールの通信が切れる。残してきたノエたちの状況は大いに気になるが、かといってここでのんびりと確認をとっている暇はない。
 痺れを切らして急接近してきた植物の魔物を、今度は斧で上段から切り付け、地面へとたたき伏せる。チョコボたちも果敢にも威嚇の声をあげて、植物たちを牽制してくれていた。
「ノエたちの助けは求められなさそう。今は二人で乗り切る。それでいい?」
「了解。ただ、彼らも魔物を相手にしているとなると、ちょっと気がかりだな」
「彼らでは倒せないということ?」
 ノエたちならば、この辺りに棲息する魔物程度で遅れをとるとは思えない。意外そうにサルヒが尋ねると、
「そうじゃないさ。ボクたちが魔物たちの足止めを喰らうってことは、ボクたちの追跡者が追いつくってことだろう?」
「たしかに。……ノエでは荷が勝ちそう」
 魔物に対してなら、ノエも躊躇なく剣を向けられるだろう。しかし、生きた人間に向けて容赦なく剣を振るえるような青年ではないと、二人ともよく知っていた。
「ノエが彼らと接触しないことを祈るよ。彼はまだ、人を傷つけることに慣れていないだろうから」
「彼は、生涯慣れないと思う」
「だけど、それこそがノエだ。彼が冷酷無比な人間になってしまうような未来は、ボクは見たくない」
 ヤルマルの結論に、サルヒは小さく頷き返した。
 オデットを追いかける障害になると分かっていても、ノエは容易く武器を抜けないだろう。
 けれども、そんな彼の善良さが報われてほしいと二人は願う。
 たとえ、それが絵空事だとしても、願うぐらいは許してほしいと、ヤルマルは近づく魔物に矢を放った。
 
 ***
 
 雪原での魔物との攻防は、これまでも何度か経験があった。
 寒冷化に適応した獣や魔物たちは、ときには寒さに負けないために強靭な肉体を得て、予想以上の力強さでノエたちの障害となり、立ち塞がった。
 あるいは、仲間との連携を活用したりして、一同を追い詰めたこともあった。魔物が魔物を利用して狩りに用いる、などという場面もあった。
 だが、今目の前にいる脅威はそれらとは一線を画している。
「こいつら、一体どこから湧いてきたんだ?!」
 足元ににじりよるそれらは、言葉にしがたい異質な姿をしていた。
 ぶよぶよとした半液体状の魔物たちは、たとえるなら、大きなインクだまりと言えるだろうか。見た目が白いので、ぱっと見ただけでは溶けかけの雪にも見えるだろう。
 しかし、それは確かに生きて、ノエたちを獲物として捉えて、今もゆっくりと滑るようにこちらへと向かっている。
「淀んだエーテルの吹き溜まりのそばに、偶然屍体が放置されていたのでしょうね。要はスプライトと同じようなものです」
 オランローの不愉快そうな声に、淡々と答えたのはミラベルだった。
「エーテルの吹き溜まりぐらい、きちんと手入れしておけないのか。それも、為政者の仕事だろう!」
「オランロー、後ろだ!」
 愚痴をこぼすオランローの隙をついて、ひと抱えはありそうな体躯の魔物が彼へ襲いかかる。
 見た目は雪の塊にも似たこの魔物は、屍肉や屍汁にエーテルが溶け合って生まれるものであり、冒険者の中ではスライムと呼ばれていた。
 オランローに触れさせてはならないと、ノエは咄嗟に剣先から雷撃を飛ばして、スライムを吹き飛ばした。
「知っていると思うけれど、こいつらは触らないほうがいい。毒があるかもしれないから」
「屍体から生まれた魔物は、大体腐毒か強酸を持つ……だったか。冒険者ギルドに、そのような注意書きがあったな」
 スライムはぶよぶよとした頼りなさげな姿とは裏腹に、触れるだけで人に害をなすという特徴がある。
 おまけに、考えるための頭などないように見えるのに、知性だけは備えているのか、複数で連携して行動する姿も目撃されている。ちょうど、今のように。
 寒冷な気候であるというのに、凍りつくこともなく不定形の体を蠢かせて迫る何体ものスライム。それは、まるでたちの悪い悪夢のようだった。
「この手の魔物が生まれないように、魔物の屍骸を適切に処分するのも、オランローさんのいう通り、管理者の仕事なのでしょう。とはいえ、ここは僻地ですからね。街道に彼らが侵食するまでは、気づかれずに放置されてしまったのでしょうね」
 話をしながらも、ミラベルの放った魔法がスライムの一体を焼き尽くす。
 不定形かつ半液体状の体を持つスライムは、物理攻撃に強い耐性を持つ。エーテルを依代に生まれた彼らを破壊するのに手っ取り早いのは、エーテルによる攻撃――すなわち、魔法だ。
 一方、剣を武器とするノエは、スライムの飛びつきを盾を振るって叩き落とし、返す攻撃として剣から放った雷を一体一体に叩き込んでいた。
「相手の数が多すぎます。これでは、敵の物量に押し切られてしまう」
 最初は五体ほどに思えたスライムは、いつのまにか、見渡す限りスライムがいない場所を探すのが難しいほどに、大量に集まってきている。スライムを見かけた時点で、チョコボを降りて、距離を置かせておいたのは正解だったようだ。
「一体、どれだけでかい屍体があれば、これだけのスライムが出来上がるんだ」
「大型の魔物が死亡した後、運悪く淀んだエーテルが噴き上がってしまったのかもしれない。どのみち、数を減らさないとサルヒさんたちと合流するのも難しそうだ」
 ノエの的確な状況判断に、ため息をつきつつ、オランローは手元に戻ってきた円月輪を見やる。スライムを両断したそれは、まだ腐食こそしていないものの、表面にその予兆が見て取れた。
 力押しの攻撃を続けていては、いずれは武器そのものが先に使い物にならなくなってしまうだろう。
 このまま、魔法で数を減らして突破口を探すか。それとも、大規模な魔法を発動させて、一掃するか。それが最善だと分かりながらも、ノエはゆっくりとかぶりを振る。
(もし、ルーシャンさんがいたら、悩む必要もなかったんだけどな)
 ここにいるはずもない人物が、ノエの脳裏によぎる。彼ならば、得意とする魔法でスライムたちを一網打尽にしてくれはずだ。
 そんな思考に、一瞬囚われていたからか。
「ノエさん!!」
 ミラベルの叱責に、ノエは自分に落ちる影に気がつく。
 それが何か確認するより早く、体はすぐに回避の姿勢をとっていた。大きく飛び退った彼が元いた場所に、ずん、と落ちてきたのは、先ほどから相対しているスライムだ。
 だが、その体の大きさときたら、今まで目にしてきたスライムの何倍も大きい。
 長身のオランローすら、あっさりと丸呑みできるほどの巨大なスライムが、ノエたちを睥睨していた。目などない魔物ではあるが、確かに自分たちはこの魔物に狙われていると直感が訴えている。
 すぐさま、ミラベルが魔法を放ち、ノエも遅れて得意とする雷撃の魔法を叩きつける。
 だが、スライムの表面が薄皮一枚剥がれた程度の変化しかない。
「まずいですね。この規模となると、強力な魔法を重ねなければ完全に沈黙はさせられないでしょう」
「ミラベル、あんたにそういう魔法は扱えるのか」
「大規模魔法の重ねがけなど、本来はそう簡単にできることではないのですよ。範囲の広い魔法を放つのにどれほど時間と集中力がいるか、あなたも冒険者なら知っているでしょう」
 だが、その規格外を片手間にやってのける男がいたと、ノエもオランローも同時に同じ人物の顔を思い出していた。
 ルーシャンならば、詠唱の時間を作らずに強力な魔法を立て続けに放てただろう。しかし、やはり彼はここにいないのだ。
「僕があいつを惹きつけます。魔法の準備をしながら牽制しますので、ミラベルさんはオランローを守ってもらえますか」
「それは構いませんが、オランローさんは魔法が扱えるのですか」
「魔法を使うわけではありません。でも、エーテルをまとった広範囲の攻撃なら、オランローが適役だ。そうだろう?」
 ノエの問いかけに、オランローはすぐさま首肯で返した。そこには、初めて背中を預けあったときから積み上げてきた信頼と実績があった。
「少し時間をもらう。ノエ、無理をするなよ」
「分かっている。オデットたちに追いつくまでに、こんな所で怪我をしている場合じゃないからな」
 オランローとノエの意図を汲み取り、ミラベルは迫ってきたスライムの一体を素早く撃退する。ひとまず、二人の作戦に乗ることを選んだようだ。
 ノエも彼に倣い、剣から放った雷撃でスライムを数体吹き飛ばしてから、巨体を誇るスライムへと肉薄する。
 その間にも、一歩後ろに下がったオランローが呼吸を整え始めたのを背中で感じる。今頃、彼は武の舞の技を放つために、独特の歩法で陣を描いているのだろう。
 援護として飛んできた円月輪が、巨大スライムに迫るノエを阻む雑兵たちを吹き飛ばしてくれた。
 オランローとミラベル。二人分の連携を背で感じながらも、ノエは感情に苦いものが混じるのを無視できずにいた。
(ミラベルさんは、僕たちにはこんなにも協力的なのに……
 だが、彼はハンフリー司祭を殺したと言った。これまでも何人も、罪を犯し続けた司祭を殺めたと言い放った。
 孤児院の子供たちやオデットに笑いかけるミラベルと、ハンフリーたちを殺したミラベル。
 どちらもが真実で、どちらもが全てではない。
 分かっているのに、心のどこかが軋みを上げている。どうして、と。
……今は、目の前のことに集中しろ」
 己に対してわざと厳しい言葉をぶつけて、逸れかけていた思考を戻す。
 雪を押し除けて姿を見せた、巨大なスライムようやく辿り着いた標的に、早速雷の魔法を叩きつける。真っ向から戦っては、剣技を得手とするノエでは不利だ。魔法の牽制を交えながら、今はそのときを待つしかない。
「できるなら、僕一人で仕留めたい所だけれど……
 だが、ノエの希望を嘲笑うように、小さなスライムが隙あらばノエに張りつこうとする。そのたびにミラベルやオランローのの援護がなければ、ノエの鎧はスライムの毒で溶けていたかもしれない。
 巨大なスライムは、その巨体を動かすだけでノエの行動に制約を与えていく。巨大スライムに触れるわけにはいかないため、どうしても立ち回りが限られてしまうからだ。
 さしずめ、この巨大スライムは他の個体の司令塔といったところか。不思議と統率の取れた行動をするのは、同じ屍体から生まれた縁が彼らを結びつけているからかもしれない。
「一人じゃ、すぐにスライムに取り囲まれて溶かされていただろうな」
 三人でよかったと思う一方で、いつもの六人ならと思う気持ちを捨てきれない。そんな逡巡を切り払うように、再び雷撃の魔法を放ったときだった。
「ノエさん、後ろ!!」
 前方に躍りかかっていたスライムを叩き落とした瞬間、背中にのしかかった重みと、わずかに露出していた鎧の継ぎ目――首筋に焼けるような痛みが走り、背筋に冷たいものが走る。
……!」
 痛みを無視して、すぐさまノエは全身を覆うように障壁を生み出す。異物を弾き出す障壁は、ノエの背中に張り付いていたスライムも引き剥がしてくれた。
「ノエ!」
「大丈夫、ちょっ火傷を負っただけだ。それよりも!!」
「ああ、準備はできている!!」
 後ろから響くオランローの言葉に、ノエは己を鼓舞するために口角を釣り上げる。
「それなら――今だ!!」
 巨大なスライムに向けて、ノエは巡る魔力に弾みをつけて光の剣を生み出す。
 スライムの真下から噴き出る、光の剣。次の魔法が発動するタイミングを縫うように、オランローが舞によって生み出した光の風が、スライムを微塵に切り刻む。
(出し惜しみはなしだ……!)
 消耗が激しいと道中では控えていたが、ノエは次の魔法へとエーテルを編み直す。
 スライムの頭上に浮かび上がった光の剣は、指揮棒のように振るわれたノエの剣を合図に、標的へと突き立つ。続く詠唱に繋げる前に、今度はオランローの舞が生み出した魔力から生まれた衝撃波がスライムを貫いた。
 鳥の形をしたそれは、あたりにも魔法の津波のように衝撃波を残して虚空へと消えていく。
 そして、それが巨大スライムと、周囲のスライムたちの最期となった。
 命ある他の魔物と異なり、周辺へと飛び散り、動かなくなったスライム。彼らは、自信を保つエーテルを維持できず、そのまま本来の姿――屍体へと還ったのだ。
「ノエさん、無事ですか。すみません、取り囲まれてしまって、気づくのが遅くなってしまいました」
「構いません。この程度なら自力で治せます」
「先ほどの大魔法の後で、エーテルの消耗は避けた方がいいでしょう。見せてください」
 ノエが手で庇っていた首筋を目にして、ミラベルが一瞬息を呑んだのが分かった。
 スライムに直に触れせいで、肌が焼け爛れてしまったのだろう。ぴりぴりを通り越してずきずきと脈打つように響いていた痛みが、ミラベルの治癒魔法が発動すると同時に、すうっと消えていく。
「すぐに塞いだので、目立った痕も残らないでしょう。長期戦にならずによかった」
「ありがとうございます。オデットに見られては、また心配されていたでしょうから、助かりました」
 礼を述べつつも、やはりノエの心に引っ掛かるものが残る。
 自分に優しくしてくれた人が、誰に対しても優しいとは限らない。そんなことは、当然だと分かっていたはずなのに。
 それでも、今ここで「どうしてハンフリー司祭を殺したのか」とミラベルに問いただしたかった。
 ノエが続く言葉に、一瞬の迷いを抱いたときだった。
――――――!!」
 彼の耳が、悲鳴を拾う。
「今のは……?」
「ヤルマルたちじゃないぞ。あいつらの声はもっと高いし、あんなみっともない悲鳴を上げる前に、リンクパールで連絡をとってくるだろう」
「だけど、こんな山中に一体誰が……
 そこまで言いかけて、ノエは気がつく。自分たちは、追われる側として山に入った。
 つまり、追跡者もまた、この山中にいるのだ。
「おい、ノエ!」
「先ほどの騎士たちもスライムに襲われているのかもしれない! 魔法が苦手な騎士だったら、そのまま倒されてしまう!」
 放っておけばいい、とオランローが言いかけたことには気がついていた。
 だが、彼の発言を耳にする前に、すでにノエは剣を抜いて悲鳴の元へと走り出していた。
 彼らが自分たちを追ってきた者だったとしても、見殺しにしても構わないなどとは思えなかった。
 もし、ノエがそのような選択を経て助けにきたと話しても、オデットも喜んではくれないだろう。何より、ノエ自身が、消えない後ろめたさを生涯にわたり引きずると分かっていた。
 走り始めて数分も経たないうちに、先ほどまで散々目にしてきたスライムの群れが目に入った。予想通り、剣や槍を構えた騎士たちが、必死にスライムを追い払おうと武器を振るっている。鎧の端々には、スライムの毒によって溶かされたのか、焦げたような跡が見て取れた。
「く、くるな! くるなってば!!」
「切りつけても全然効いていない上に、剣が溶かされちまう……! 一体、どうすれば――
「皆さん、伏せてください!!」
 警告を叩きつけながら、ノエは騎士の最も近くにいたスライムへと雷の魔法を叩きつける。数条の雷はスライムを貫き、飛び散ったスライムは動かずに雪の中へと溶けていった。
「お、お前たちは……!」
「この魔物には、魔法の攻撃が有効です。魔法に精通している方はいますか!」
 問答をしている場合ではないと、騎士たちも気がついたのだろう。お互いに顔を見合わせたが、しかし、我こそはと名乗り出る者はいなかった。
 見れば、騎士の装備はノエたちが見てきたイレーナやピヌヌたちのものよりも、真新しい。おそらく、実戦にはさほど参加していない新人なのだろう。
「すまないが、我々は火おこし程度にしか、魔法を使ったことがないんだ」
 代表して、いくらか年嵩の男がノエへと事情を説明する。話しながらもちらちらとこちらを見ているのは、自分を助けた人間が何者か、気になっているからだろうか。
 だが、今はそんな疑いの視線は全て無視する。
「じゃあ、それで構いません。近寄らせないための牽制ぐらいにはなるでしょうから、そばにやってきたスライムには魔法を放ってください」
「わかった。おい、聞いたかお前たち!」
 素早く指示を出す男。しばらく彼には任せてよさそうだと、ノエは再び近づいてきた一群に、再び雷を落とす。
 スライムの数は、先ほどノエたちが相手にしたものに比べればずっと少ない。だが、それでも、ノエは己の消耗をじわりと感じていた。
 先ほどの先頭から続いて、魔法ばかりを連続で使用しているせいだろう。
 魔力の源であるエーテルは、己の体力にも通ずるものである。消費し続ければ、肉体の疲弊とは異なる形で、己が削られていくような喪失感に襲われる。
「だけど、ここで倒れるわけにはいかないんだ」
 ちらっと後ろを見やると、騎士たちがノエの背後から迫ってきた数匹のスライムを追い払おうと、おっかなびっくり小さな魔法を発動させている。彼らを守るためにも、ノエが本隊を相手どるしかない。
 腹を括り、じわじわと響く頭痛を堪えて、再び己のエーテルを削り取ろうとしたときだった。
「一人で突っ走るのも大概にしろ。何度オレがあんたに忠告したと思う」
「そうだよ。君の悪い癖だ。と、ボクが言っても、どっちもどっちだと叱られてしまいそうだけどね」
 ノエに迫っていたスライムの一群が、横合いから飛んできた無数の光輪によって切り裂かれていく。ダメおしとばかりに、頭上から大量の光の矢が降り注ぎ、スライムたちを地面へ縫い付けた。
 エーテルを纏った広範囲の攻撃を受けて、スライムたちは形を保てず、地面へと溶けていく。
「ヤルマルさん!? それに、オランローも……!」
「私も忘れないで。あなたが一人で騎士たちの様子を見に行ったと聞いて、急いで戻ってきた」
 ノエの前に姿を見せたのは、弓を構えたヤルマルと、呆れたように戻ってきた円月輪を受け止めていたオランローだった。さらに後ろからは、チョコボに乗って他のチョコボたちを牽引してきたサルヒがいる。ミラベルも、同様にチョコボたちをこちらまで引っ張ってきてくれていた。
 ヤルマルたちの放った攻撃により、スライムは完全に退治されたようだ。彼らがいなくなったと分かり、騎士たちはへなへなと腰を抜かす。
「た、たすかったあ……
「あいつら、剣も槍も効かないし、そのくせこっちの武器は溶かしてくるし……おたくらが いなかったら、どうなっていたことか」
「まったくだ。こんな山中、あなたたちが運良く通っていなければ……
 リーダー格と思しき、指示を出していた年嵩の男は、そこでようやく一同の顔とまともに相対した。
 ノエだけならばいざ知らず、アウラ族やヴィエラ族などイシュガルドではあまり見かけない種族と、その人数。そして、警戒をにじませた視線が騎士たちに降り注いでいるのに気がつき、
「もしかして、お前たちは……!」
「そのまさかだよ。君たちが真夜中に宿に押しかけて、雪山の中まで追いかけてきたのが、このボクたちというわけさ」
「だ、だが、それならどうして、私たちを助けたのだ!」
 至極当然の質問に対して、一同は揃ってノエを見やる。疲労の色が濃いノエは、ちょうどサルヒから魔力補給の錬金薬を渡されているところだった。
「その質問には、彼が答えてくれるだろうさ。ノエ、君はどうしてこの連中を助けようと思ったんだい」
「彼らが助けを求めていたからです」
 何を当たり前のことを聞いているのかと、ノエは即答する。
「この連中は、ボクたちを追いかけていた奴らだよ」
「ですが、それは彼らが魔物に殺されていい理由にはなりません」
 全く間を置かず答えたのは、それだけノエにとって当たり前の質問だったからだ。
 しかし、騎士は驚いた様子でノエをまじまじと見つめていた。
「とはいえ、ここで僕たちを捕まえようとするのなら、残念ながら、僕も抵抗するしかなくなります」
 錬金薬を飲み干し、ノエは腰の剣に手を添える。金属質な音が、朝を迎えて静けさを増した山中に響いた。
「あなた方が、どのような理由で私たちを追いかけているのかは、敢えて問いません。ですが、私たちは……少なくとも、そこにいるノエさんは、自分の消耗を承知であなた方を助けた。そんな彼に、あなた方は剣を向けるのですか?」
 躊躇する騎士たちにとどめを刺したのは、静々と歩みでたミラベルだった。
「それがあなた方の信じる道だというのなら、相応の抵抗はいたしましょう。とはいえ、仮にも騎士としての役割を帯びた者が、そのような真似をするのなら、神殿騎士団の騎士道も地に堕ちたと評価するしかなくなりますね」
 騎士たちは、自分たちの窮地を助けたノエたちを、当初の予定通り捕えるか躊躇っていた。その上で、騎士道まで持ち出されては、彼らの迷いはますます大きくなっていく。
……たしかに、あなた方の言うとおりだな」
「隊長! ですがこいつらは」
「私たちがお前たちを追跡したのは、教会にとって有用な情報をお前たちが持っているかもしれないと、ある司祭が私たちに命じたからだ。だが、命の恩人を売るほど、私の騎士道は地に堕ちていないつもりだ」
 抜いたままだった剣を鞘におさめた隊長は、ぐるりと一同に背を向ける。
「我々は、山中で標的を見失い、一昼夜を彷徨い続けた。あなた方がどこへ向かったか突き止められず、悪天候のため追跡は中断した。それで良いだろうか」
「はい。……ありがとうございます」
 頭を下げるノエに、騎士の隊長はゆっくりと首を横に振る。
「礼を言うのはこちらの方だ。功績を求める前に、我々にはまだまだ修練が足りなかった。そのことを反省をする前に、先に命を落とすところだったのだから」
 これ以上、ノエたちを追いかけないという意思表示のためか。彼らは一同から少しばかり距離を置いてから、そこから動かなくなった。
 彼らのお目溢しに甘えて、ノエたちはチョコボへと騎乗する。一瞬ふらついた視界を、かぶりを振って追い払おうとしたが、ヤルマルはノエの不調を見逃さなかった。
「斜面を上り切って、この峠を越えて少し行ったところに、旅人向けの山小屋があるらしい。そこで、小休止をとろうか。戦闘時の損耗も確認しておきたいからね」
「わかりました。助かります、ヤルマルさん」
「まだまだ道は長そうだからね。万全の状態で、オデットたちに追いつかないと、また彼に逃げられてしまうよ」
 ヤルマルはノエの背を軽く叩いてから、先に走り出していたサルヒの後ろを追いかける。己に喝を入れるように、両頬を己の手でぴしゃりと挟んでから、ノエもまた手綱を握る。
(僕は、追手である彼らを助けた。それは、間違いではないはずだ)
 騎士たちを見殺しにしておけば、安全は確保できただろう。しかし、そんな形で得られた安全はノエの望むものではない。
……たとえ、この先、彼らが僕らを教会の人間に売ったとしても)
 その末に、オデットや仲間が傷つけられたら、自分はそれでも、見逃してよかったと言えるのだろうか。
 ミラベルが司祭を手にかけた理由も、そこにあったのではないだろうか。
 彼もまた、事業に参加していた司祭を、最初は法の下で裁く道を選んだはずだ。だが、彼は二度目の情けはかけなかった。彼が目溢しをしたことで、アンディ少年は姿を消したとも言えるのだから。
「そんな後悔をしないためには、僕は、どうすればいい……?」
 力を得れば、全て解決するのか。守りたい人の手を握り続けていればいいのか。だが、ノエの手は二つしかなく、守りたい者は今では以前よりずっと増えてしまっている。
 答えが出る前に、斜面を踏破したチョコボが、一度声高に歓声をあげた。
 それは、今のノエの迷いとは裏腹に、とても澄んだ鳴き声だった。