朝見草
2025-07-21 01:12:36
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一路順風



錆刀


「もうすぐ子が産まれるからなぁ」
 そう呟くと友は目を丸くした。それを見て、またやったか、と思う。
「辰壬の子?何の神?水の神を産むというなら僕は怒るぞ」
「違う違う、俺のではない」
 怪訝な表情を崩さない天候の神に否と首を振ってみせる。言葉が足りないのは俺の常だ。しかし今回に限り行き着く結論は同じことか。酒で口を湿らせ何から話したものかと口を開く。
「俺の社の世話をしている人間に、子が出来てな。それも、俺達が見える子供だ」
 ふうん、とあまり興味なさそうな相槌が返る。向かい合う位置に腰を下ろす友は己の盃に酒を注いでいる。
「俺が近くに居ては子供に良くないだろう。だから眠ることにした」
 神主たちの供えたつまみを食べながらふんふんと聞いていた友が、え、と顔を上げた。
 人間の技術が発達した現代、天候の予測や水の管理の質が上がり、友も俺も力を失って来ている。それでもまだ消滅を恐れる程では無かった。故に青天の霹靂だったのだろう。
「僕と居るよりその子が大事なの」
 思わずという風に言って、それから、本意ではないとばかりにそっぽを向く。
「なんでもない、お前さんを困らせたいわけじゃない」
 俺は二度ほど瞬いた。長い翠の髪が丁度目元を隠してしまったが、機嫌を損ねたことはわかる。しかし同業の頼みひとつで覆せる決意でもない。
「そうさな、大事ではあるなぁ」
 もう随分長い間俺を祀っていた一族だ。それの末裔が俺のせいで苦しむというのは敵わない。彼らが頼る己の力は良いものばかりでないと、己自身が良く判っている。
「七つ前は神の内という。私に免じて、同胞と思って見ていてやってくれんか」
 大事だから頼むのだ。大事な友であるお前に。
 そう言うと久堅は、辰壬の頼みなら仕方ない、と渋々頷いてくれた。
 
「濁山を頼む」
 減っていた友の盃に酒を注ぐ。そうすると瓶にはもう僅かになったので、残りも自分の盃に注いでしまう。
 かつてこの村を何度も危うい目に遭わせた己の言えたことでは無いが、先にこの地に居た神として、引き継ぎたいことはあった。
「少しの間だけなら引き受けてやってもいいよ。でも、僕も近々お前さんと同じになるよ」
「それでもいいさ」
 杯に残る最後の酒をぐっと呷った。
「俺達のような存在ものを慕う人間が、俺達を忘れるまで。それで十分だ」



 切ることも守ることも叶わないなまくらはもう必要のない世になった。良いことだ。
 部屋の隅の折りたたまれた手紙と、それに同封されていた日付の書かれた小さな紙が視界に入る。知らぬ間に本殿の戸に挟まれていた封筒には、『入学式のご案内』と記されていた。得体は知れないが、悪いものでは無さそうだった。
 友はきっと上手くやるだろう。それが神の役目のことか、これから生まれる者との縁のことかは判らないが、そうした予感があった。それに、俺の予感はよく当たる。

 目を閉じる。神には必要のない微睡みがすぐにやってきて、己の力の弱まりに苦笑する。微睡みに身を委ねると身体が浮く感覚がする。風が吹く。花びらのような雪のような何かが視界を満たす。
 そうして俺は、白く深いところへと落ちていった。