kanaco
2025-07-20 22:55:06
2190文字
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【龍信】熱帯夜

《龍信》龍信ワンドロライに参加させていただき、お題「熱帯夜」をお借りしたものです。

それはひどく蒸した熱帯夜だった。

湿気を重く纏ったような暑い空気がぬるっと肌に纏わりつく。何もしていなくとも、じんわりと肌が湿っていくような夜であった。

信一はその不快感に、もともと不機嫌であった表情をますます渋くさせた。

龍捲風から直下指示を受けた信一は昼間から黒社会事の任務に励んでいた。日中は情報集めや現場の調整に走り回って日照りに晒され、散々に体力を奪われた。それなのに夜になってもこの鬱陶しい暑苦しさだ。静かでどんよりとした空気の中で、信一はターゲットに向かって華麗にナイフを煌かせる。生死を決めるのは一瞬だ。その刃先はいつものように凛と鋭く美しい軌道を描く。闇夜に包まれた信一の動きだけが、軽やかでいっそ涼しげでさえあった。

任務は無事に完了。

仕事から解放されて晴やかな気分になれるはずだったのに、信一の気持ちは重いままだった。気持ちだけでなく、体も重い気がする。いつもであれば切り裂いて流れた血の臭いが気になることはないのに、蒸した空気によって血液すらむせ返る匂いを醸している気がして、信一はより気を滅入らせた。

喉が渇く。少しだけ眩暈がするかもしれない。額から滑り落ちる汗を手の甲で拭う。


早く帰りたい、と信一は思った。
兄貴のところへ早く帰らなくちゃ。


九龍城砦に戻っても冷房なんてものは存在しない。信一がHOMEに戻っても、肌に纏わりつくような蒸し暑さは変わらなかった。けれど信一が通い慣れた一室日中は龍捲風の理髪店であり、夜は龍兄貴と自分のリビングとなる赤い格子窓の部屋に明かりがついているのが見えただけで、信一の気持ちは晴やかになるのだ。もう深夜0:00を回っているが、自分の帰りを待っていてくれた人がいるらしい。

ドアをゆっくり開けると、思っていた通り龍兄貴がソファに静かに座っていた。

「ただいま」
信一は言った。
「待っててくれたの?先に寝てくれて良かったのに」

その言葉に龍兄貴は返事せず、ただ穏やかに「ご苦労だったな」と信一を労った。
しかし数秒、信一のことをしげしげと眺めて眉を寄せる。

「信一、怪我は」
「怪我?ないよ。今日すごく順調だったから。一戦交えることすらしてない」
「そうか」

おいで、と龍兄貴は言った。

信一は素直にソファに行きその隣に腰を降ろす。龍兄貴が信一の頬に手を置いた。触れてきた体温の低い手が優しくて心地よくて、信一は顔をほころばせた。ずいぶんと真剣な様子で自分の目を覗き込むので(キスしてくれるのかな?)と仄かに期待をする。しかし期待は外れた。龍兄貴はスッと立ち上がり台所の方に向かう。

「軽い熱中症だな」
「熱中症?」
「顔が火照ってるし、すこしだけ目が揺れている」

なるほど、だから喉が渇くし、立眩むし、体がちょっと熱いのか。憂鬱な気分もそのせいかな。

それでも具合が悪いってほどじゃないんだけどと信一が思っていると、龍兄貴が手にコップ2つ持って戻ってきた。

ソファにもう一度座った龍兄貴が信一の顎をそっと掴む。
「信一、口を開けなさい」
信一は素直に従った。言われてもいないのに目を閉じて、あどけない無防備な表情で口をパカリと開ける。

コロン、と口の中に個体が放りこまれた。

冷たい。

氷だった。信一の舌の上で転がってゆっくりと溶けていく。その冷たさが火照りをじんわりと抑えていくようで、信一が心地よさにフワリと笑った。美味しい。気持ちいい。しかし氷はすぐに溶けきってしまう。

「ね、兄貴。もっと」
目を開いてねだると、龍兄貴がまたコップから氷を一つ取り出して信一の口元へと運ぶ。
信一はその氷を龍兄貴の指ごと口に放り込んだ。氷と一緒に舌をその指に器用に這わせる。

……まったく、しょうがない子だな、お前は」

具合が悪いだろう?信仔。

そう言いながら龍兄貴が指を引き抜いてしまったので、信一は残った氷を舌の上でコロコロと転がしながら寂しく冷たさを堪能した。龍兄貴は呆れていそうではあったが、その実、優しい瞳は変わらない。

「美味しいもん。ね、祖哥哥。もっと欲しいな」
だからもう1回、と信一はねだった。

龍兄貴がまたコップから氷を一つ取り出した。しかしパクリ、と自分が食べてしまう。

(あ)
信一がそう思った次、龍兄貴に秀麗な顔が近づいてくる。 見惚れている間に唇を塞がれた。龍兄貴の口の中で溶かされた氷が、信一の口へと流れ込んでくる。

氷が、信一と龍兄貴の舌上で気ままに転がってゆったりと溶ける。
キンとした冷たさは落ちている、それでもまだ少しだけヒンヤリとした溶け氷。
冷めていくような、熱していくような夢心地に信一がうっとりとしていく。

「んっ」
信一の喉元がコクリ、コクリとなる。

氷が小さくなるにつれて、信一の上半身がソファにゆっくりと押し倒されて、氷はなくなれどもその冷たさが移った舌が信一の口内をグルリと気ままになぞった。信一が艶っぽく鼻から息を漏らす。それから口がそっと離れれば、覆いかぶさる龍兄貴が悪戯っぽい瞳で信一を見つめ、彼の親指が濡れた信一の口端をゆったりと拭った。

「もう!祖哥哥。俺、溺れちゃうよ」

信一がふふふと嬉しそうに笑う。

熱帯夜の憂鬱な気分は、なくなった氷と一緒にすっかり消え失せていた。