紫輝
2025-07-25 21:00:00
4349文字
Public リとヌと御仔の話
 

『お茶の日じゃない日』の話

リとヌと御仔とお茶会の話。二人ともお役目は普通にこなしているので勿論定例報告もあるわけで、普段夜まで会えないパパととうさまの執務室で突然出くわしたら御仔はテンション振り切るだろうなっていうアレです。可愛いね。

 響くノックの音に、レヴィが小さな肩を跳ね上げる。この音は『お客様』の合図だ。これが聞こえたらすぐに隣の部屋に行く――それがヌヴィレットとレヴィの約束だった。普段はそろそろ『お客様』が来ると事前に伝えるのだが、今日の『お客様』は特別なので声はかけなかった。それを知る由もないレヴィが約束を守ろうとあわあわと広げていた本を閉じソファを飛び降りるのを「ここにいなさい」と制すれば、戸惑ったように扉とヌヴィレットを交互に見てこちらへ駆け寄ってくる。不安そうにへにょりと眉を下げ袖を掴むレヴィの頭をそっと撫でてやり、どうぞ、と返じれば、ゆっくりと開く扉。きゅ、と強く布地が握られるのに笑ってしまいそうになるのを堪えて、努めて「お仕事中のとうさまの顔」をした。
「ごきげんよう、最高審判官殿」
「ごきげんよう、公爵殿」
 重い足音を絨毯に吸わせながら入室してきた『お客様』に、小さな手が握りしめていた布を強く引っ張る。ちらと傍らへ目をやると、息子はアイオライトをこぼれ落ちそうなほど見開いていた。
「レヴィ様のご機嫌はいかがかな」
 にっ、と笑んだ『お客様』に語りかけられて、宝玉がぱちぱちと瞬く。どうやらこぼれ落ちずに済んだようだ。ぽかりと開いた小さな口から、ぱ、と一文字が転がり落ちる。ヌヴィレットを見て、『お客様』を見て、またヌヴィレットへと戻ってきた息子の問うような視線に微笑みとうなずきで答えれば、ぱあと喜色を浮かべた息子は一直線に飛び出していった。同じように微笑み、その場に屈んだ『お客様』の、そっと広げられた腕の中に向かって。
「パパ!!!」
 親愛のこもった力いっぱいの体当たりを難なく受け止めて、『お客様』――リオセスリはレヴィの頭をよしよしと撫でる。
「これだけ元気に体当たりできるならご機嫌も上々かな」
「パパ! なんで!! おちゃのひ?!」
 喉奥で笑うリオセスリへなんでどうしてと大興奮で話しかける息子に、ヌヴィレットも肩を振るわせる。『お茶の日』とは、主にレヴィがリオセスリに着いていった平日にこのパレ・メルモニアで開かれるお茶会のことだ。「子どもは毎日陽の光を浴びないと」「この仔もヌヴィレットさんに会いたいだろうしな」なる理由を掲げたリオセスリによって、パパと『お仕事』に行った日はこの執務室でお茶会をするのが通例となっている。大抵の場合リオセスリとの『お仕事』は午前限定なので、「とうさまと帰りな」とここに置いていかれるのがレヴィは大層不満そうだが、平日に、リオセスリと選んだ茶菓子で行われる特別なお茶会はその不満をいつだって帳消してしまうようで、『お茶の日』のレヴィは概ねご機嫌だ。当日は結果として昼に一度伴侶と言葉を交わす時間が取れる事になるため実はヌヴィレットもレヴィと同じくらい『お茶の日』を楽しみにしている――というのは、口にこそ出していないがリオセスリの事だからとっくに気づいているのだろう。
 当然ながらリオセスリがこうしてヌヴィレットの執務室を訪れるのは初めてではない。パレ・メルモニア内を探検していたり、図書室で宝探しをしていたり、メリュジーヌ達と遊びに行っていたりとレヴィが活発に動き回っている時にやってきているだけだ。けれどレヴィは今日初めて、偶然、パパがここへやってきたのだ、と思っているのだろう。面会後のティータイムでカップを片手に元気で何よりと笑うパパと結構な回数すれ違っていることは二人が秘密にしているからだ。知ってしまえば可愛い息子は絶対に拗ねてしまうので。
「今日は『最高審判官』様とお話をしにきたんだ」
「『おうさま』のおしごと!」
 手にした書類ケースを振って答えたリオセスリに、小さな拳を握ったレヴィがそわそわと応じる。ふよりと揺れる触角がその興奮具合を雄弁に語っていて微笑ましい。
「『最高審判官』様に時間があれば、お茶も飲んでいきたいんだが」
……!!」
 忙しいひとだからどうだろうなぁ、なんて悪戯っぽく笑われて、ぱっと振り返ったレヴィの大きな瞳がじっ、とヌヴィレットを見つめる。期待と希求と少しの不安。リオセスリの口にする「目を見ればわかるよ」の意味が、彼とレヴィを相手にした時だけは理解できるようになったヌヴィレットは、もじもじと発された「とうさま」に、小さく笑んで答える。
「公爵殿との会議は大切なものなので、少し長めに時間をとっている。もしおまえがいつものようにお利口にしていてくれたら、会議が早く終わるかもしれない。残った時間でお茶を飲むのも良いだろう」
 ぱあと顔を輝かせたレヴィの瞳に見つめられたリオセスリが、楽しげに肩を揺らした。
「『最高審判官』様の時間がたくさん残るように頑張るよ」
「ん!」
 くしゃくしゃと頭を撫でられたレヴィは、興奮冷めやらぬ様子でヌヴィレットの傍へと戻ってくる。
「あのね、ぼくおりこうにしてるから、おへやにいてもいい?」
 ちらとこちらを見上げそっと聞いてくる我が仔の愛らしさに頬をゆるめヌヴィレットはうなずく。首を振る理由が今現在ないので。
「リオセスリ殿、」
「俺も構わないよ。今日は『怖い話』はしないからな」
 執務机の前までやってきていたリオセスリへ許可を求めれば、彼も笑顔と是を返してくれた。やった、と呟いたレヴィが定位置のソファにちょこんと腰掛けぬいぐるみを抱え、わくわくと、きらきらとした眼差しでこちらを見つめてくるのに二人笑みをこぼして、可愛い息子とお互いのために会議を可及的速やかに終わらせるべく頭を仕事へと切り替える。
 『サプライズ』に成功したようだ、と達成感に近いものを感じていたこの時のヌヴィレットは、お茶会の後「おみおくりしたい」とリオセスリと共に執務室を出た息子がそのまま彼に着いていってしまったとセドナから報告を受け、自宅で二人の帰りを迎えるという『サプライズのお返し』をされるとは夢にも思っていなかった。
「おまえはこちらに来なさい」
「お、おみおくりするの!」
「そう言ってパパと帰ってきた日があったな?」
「むぅ……
 それ以来『お茶の日じゃない日』には決まってそんなやり取りをしてリオセスリを笑わせているヌヴィレットとレヴィだが、ヌヴィレットも鬼や悪魔ではない。数回に一回くらいは『おみおくり』を許可することもあって、そんな時のレヴィは「パパに着いて行く気持ち」を思いきり前に出して行ってきますとヌヴィレットに手を振るので、詰めが甘いなと肩を振るわせている二人だ。
 そんな、『お茶の日』や『お茶の日じゃない日』が生活の一部となって久しいとある日のことである。
 こん、こん、こん。低い位置から響くノックの音に、ヌヴィレットはおやと軽く目を見開く。“今”聞こえるとは思っていなかった音だったからだ。どうぞ、と応じれば、ゆっくりと扉が開く。ひょこりと顔を覗かせたのはやはり『おみおくり』を任せたはずの愛息子で。
 ててて、と小走りにヌヴィレットの元へやってきて膝に懐いたレヴィはどうにも元気がない。
「パパの見送りをありがとう」
 萎れる小さな頭をそっと撫でて声をかけると、ぐりぐりと膝に顔を擦り付けるようにしてレヴィが唸る。やはり少しばかりご機嫌斜めのようだ。その身体を抱き上げ膝の上に着地させてやるとぴとりと胸元にくっついてくるのが可愛らしい、などとレヴィに知られたら更に機嫌を損ねてしまいそうなことを考えながらその背中をぽんぽんと撫でてやっていると、息子はぽつりと呟いた。“パパ、つれてってくれなかった”。
「きょうはとってもこわいおじちゃんがくるからだめだって。あぶないからっていわれちゃった」
 レヴィがむすりと口にするここへ戻ってきた理由に得心を得る。そういえば今日は要観察対象の罪人が一人、要塞へ送られることになっていた。なるほどリオセスリであれば、見えているリスクにこの仔を晒すなど絶対にしないだろう。収監のスケジュールの把握をきちんとしておけばよかった。可哀想な事をしてしまった。
「それは残念だったな。だが、パパが危ないと言う時はおまえに怪我や怖い思いをして欲しくない時だと、レヴィもわかっているだろう?」
 ヌヴィレットも、リオセスリも、親ばかの自覚はある。この仔が望む事はそれがこの仔自身の健康と安全を損なう事や公序良俗に反する事でなければ――今現在後者の理由で首を横に振ったことがないのは幸いだ――力の及ぶ限り応えてやってきた。この仔にもきっとそれが伝わっている。だから駄々を捏ねる事もなく(多少は食い下がったかもしれない。なにせ彼の事になると諦めの悪くなる自分の仔なので)素直に戻ってきたのだろう。賢い仔だから。
 果たしてヌヴィレットの装束を握りしめて胸に埋まっていたレヴィの頭が縦に動いて是を示した。そのまま背中を撫でてやっていると息子は顔を見せてくれる。眉間の皺は無くなっていた。あのね。何かを言おうとしている息子の声にヌヴィレットは耳を傾ける。
「パパとやくそくしたの。とうさまよりさきにおかえりっていうって」
 頑張ってくるから一番に「お出迎え」してほしい、と頼まれたらしい。リオセスリらしい気遣いだ。彼のそういうところが、『父親』として素晴らしく優秀だと思うし堪らなく好きだと思う。
「そうか。ではデザートを食べすぎないようにしなくてはな。お腹いっぱいになると眠くなってしまうだろう?」
 くすくすと笑みのこぼれるままに問うと、はっと大きな瞳を更に大きくした息子は真剣な顔つきで唸る。
「うんとたべるの、はんぶんだけにする。パパがかえってきたら、はんぶんたべる」
 やがてこっくりとうなずいて『作戦』を披露してくれる愛らしい様にまた肩を揺らして、ヌヴィレットはもちもちと頬を撫でしろい額に唇を落とした。
「ではその『作戦』を実行するためにも、いつも通り帰れるようにしなくてはな。とうさまはお仕事を頑張るとしよう」
 もう少し待っていておくれ。アイオライトを覗き込んで囁くと、良い仔のレヴィはこくこくとうなずいてくれる。
「とけいが“5”になるの、ぼくまってる!」
 とうさまがんばって。
 ぎゅ、と抱擁で元気とやる気をチャージしてくれた息子が膝から降りて定位置のソファへ移動し、何冊かの絵本から一冊を選んで開くまでを見届けて、ヌヴィレットはペンを握り直す。
 『作戦』を完遂し、勇んで出迎えに行った『パパ』が「怖いおじさんと筋肉でお話してきた」成果――口元の絆創膏と共に帰ってきたのを見てレヴィがその小さな顔いっぱいに雨を降らすのは、時計の針が"8"を指した頃だった。