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RINGO
2025-07-20 14:17:17
4517文字
Public
境界の灯
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境界の灯2-1
初稿です
「しっかり休めよ!」
そう言って、北部の駐在所の隊長であるロウェルは、昨日から配属の新人を送り出した。
新人は一礼する。
執務室の扉がキィとわずかな音を響かせ、閉まった。
まるで、最初から誰もいなかったかの様な静寂が訪れる。
(中央から、わざわざこんな遠方に配属されて、疲れが出たんだろ。)
誰もいない部屋で、小さくため息を吐いた。
頭を掻きながら、今日渡そうと構えていた資料を机の中に戻す。
「ん
……
?」
ふと、ロウェルは引き出しを閉める手を止めて、わずかに鼻をひくつかせた。
頭を上げて、二回三回と鼻をクンクンと動かす。
「
……
妙に懐かしい匂いがするな?なんだったか
……
。」
鼻の下を人差し指で軽くこする。
臭いわけではない。
言葉で表現をするのなら、動物というか、自然由来の匂いと言うのか。
とにかく、この室内では無縁な類の匂いだ。
ロウェルは、その残り香を何処で嗅いだのか記憶を探る。
眉を潜ませ、顎に手を置いて鼻を動かす。
草原の草が、風で揺らぐ。
激しい諍いで、舞い上がった土。
大きな獣。
そして、僅かな鉄の臭い。
その匂いに引きずられるように、まぶたの裏には、鮮やかな景色が思い浮んだ。
おぼろげな記憶が徐々に輪郭を増していく。
やがて、ロウェルはゆっくりと目を開いて、わずかに口を開いた。
「これは
……
、アイツとやりあった時の匂いだ
……
。」
一人残された部屋に、確信した声色で呟く。
そして、ロウェルは先ほど彼以外の人間が出て行った扉を見つめた。
自然と、その獣につけられた左頬の古傷を指でなぞる。
どうして今更?考えれば疑問は尽きない。
しかし、これから何かが起こる。
そんな確信めいた予感をロウェルは感じた。
紙一枚で、人間は一喜一憂するものだ。
エリオットの目から、外の様子を伺うモフモフは思う。
何が書いてあるかは、さっぱりだ。
だが、紙に触れるエリオットの指が震えているし、鼓動は速い。
(
……
別に、気にならないわけじゃないが。いや、場合によっては気にはなるんだが。)
エリオットの身体の中にいるという状況で、エリオット自身に深く関わるべきではない。
そもそも、自分の回復の為に身を置かせて貰っている身だ。
大人しくしているのが吉であると、モフモフは思っている。
――
だが、身体を共有しているからか、心臓の鼓動が、汗がしっとり体を濡らす感覚が、モフモフにも届いている。
宿主であるエリオットの、ここまでの動揺は自分が正体を明かした時以来だ。
少しだけ、ほんの少しだけ心配になる。
(これじゃあ、聞かない方が不自然だろう。)
そう言い聞かせるように心の中で呟くと、はぁ、と小さくため息を漏らした。
なるべく気にしないような声色を心がける為に、一回咳払いをした。
『
……
どうした、エリオット。さっきから心臓の音がうるさいんだが、何かあったか?』
モフモフの声に気づいたエリオットは、紙から顔を僅かに逸らせた。
眉間に皺が寄る動きや口元の固い動きで、モフモフは彼の不安な気持ちを察する。
『
……
あぁ、そうだね。君にも知らせなきゃいけない事だった。』
そう思いだしたかのように、エリオットが呟く。
『一応確認するけど、どうして僕がフィオナの宿屋で下宿しているか、君は知っている?』
「そっか、駐在所の寮、工事が終わったんだね。」
少しだけ残念そうな顔をしたフィオナが、声を漏らした。
夕暮れ時の、宿屋が食事処として開く時間には、すこしだけ早い時刻。
時間を貰ったエリオットが、郵便で届いた紙の内容をフィオナに伝えた。
「
……
完成したっていう事は、エリオットはここから出ていく、って事かな?」
フィオナは、どうしても避けられない質問をする。
こういう事は、中途半端にしてはいけないという事を、彼女は知っている。
しかし、エリオットは予想に反して首を振った。
「それは
――
……
無理、だと思う。」
フィオナは、目を丸くする。
「え?どうして‥‥?」
「確かに、ここに来たばかりの時なら、フィオナに負担は掛けたくないから、すぐに移住しただろうけど。」
そう言って、自分の胸をコンコンと指で突いた。
「
……
俺がいるからって?」
エリオットの意思に反して、不満げな低い声が彼の口から零れた。
勿論、口を挟む許可はエリオットにとってある。
「いや、現実的に夕方から僕の体の主導権は君に変わるんだろう?寮っていうのは、職場の人間と仕事の時間以外で会う機会が増えるんだ。
……
君、僕のふりができる?」
そう言い切ったエリオットの喉が、ぐるる
……
と不満げに鳴った。
その様子にフィオナは、二人が大分打ち解けている事に対する安堵と、一人芝居のようなエリオットの様子に少しだけ笑った。
エリオットは少しだけ頬を赤くするも、場を仕切り直すように、一度ごほんと咳をする。
「そういう訳だから、寮の件は断ろうかと思っているんだ。」
それで
……
、と彼は遠慮しがちに目線を下げて、口ごもった。
話の流れから、エリオットが言いたい事を察したモフモフは、いつまでも開閉するも、言葉の出ない口から、無理矢理声を上げる。
「
—
―
……
本来、寮の工事が終わるまでの約束だった滞在期間を延ばしてほしい。
……
魚みたいに口をパクパクするような話でもないだ
……
むぐっ」
まさに図星だったのか、エリオットは勝手に喋りだす口を手で覆った。
『そのとおりだけど!君は少しだけ黙っていてくれ!これは僕がフィオナに言わなきゃいけないことだからっ。』
そう心の中で、いつもより強めにモフモフに言い聞かせる。
この勢いには、思わずモフモフも驚いて言葉を失った。
静かになった事を確認して息を整えると、目の前のフィオナに視線を合わせた。
「
……
その、モフモフに言われてしまったけれど。僕から改めてお願いするよ。
――
この宿屋に、引き続き下宿させてほしい。」
そして、エリオットは頭を下げた。
膝の上に置いた拳に力が入り、喉がごくりと音を立てた。
(
――
情けない。)
エリオットは、昔から彼女が困っている人を放っておけないことを知っている。
それを知っていて、頭を下げる自分がどうしようもなく卑怯で情けない。
更に言うのならば、駐在所で働く身としては、不測の事態であるモフモフの件も本来であれば、一般市民であるフィオナを巻き込んではいけなかった。
しかし、彼女の働きかけが無ければ、この事態を収めることはできなかった。
(僕は、彼女の世話になりっぱなしだ。)
『
—
―
おい、何を考えているんだ?』
食堂の少しだけ開いた窓から聞こえる自然音、フィオナの呼吸、少しだけ早くなった自身の鼓動。
頭を下げてから、静かになった食堂とは裏腹に、低い声がエリオットの頭に響く。
それは彼の喉を通した声よりずっと低く、腹に響くような声だ。
少し前まではエリオットの恐怖の対象でしかなかったこの声は、すっかり日常になってしまったモフモフ本来の声だった。
『さっきから、気持ち悪いほど何かが揺れてる
……
。どうせ、自分が情けないとか思ってるんだろ、お前。』
ハッと鼻で笑う声がした。
元はと言えば
……
と言い返しそうになるが、対処できなかったのは自分の落ち度だと、エリオットは口を噤んだ。
僅かに漏れ出た呼吸と唾を飲むエリオットの様子で、モフモフは大きなため息を吐いた。
『
……
どうして頼らない?群れるのは、お前ら人間の特性だろ?俺たち魔族が一番見下す行為であり、一番嫌う特性だ。』
『嫌う
……
?』
ようやく応えたエリオットに、モフモフは安堵したのか軽く笑う。
『
—
―
束になられると面倒臭いんだよ、お前らは。一人一人が弱くても、それを補われて相手する方にもなってみろ。』
モフモフは苦々しく、何かを思い出すかのように言った。
そして、少し間を置くとエリオットに向けて、まっすぐに尋ねる。
『
……
俺たちから見れば、人間は弱い。支え合わずにどうやって生きていくつもりなんだ?』
エリオットは、微かに目を開けた。
しかし、次の瞬間エリオットの下げていた頭は勢いよく落ちていった。
ガン!!と食堂のテーブルに痛そうな音が響く。
一瞬の静寂。
「~~~~~~っ!!」
額を抑えて、エリオットの体は縮こまった。
「だ、大丈夫?!
……
えっと、モフモフ、かな?」
窓に映る夕焼けや、痛みに耐える彼の表情を見て、フィオナは慌てながらも確かめる。
涙目ながらフィオナを見つめて、モフモフは小さく頷いた。
「なにか冷やすもの、持ってくる!」
フィオナは椅子から立ち上がると、足早に厨房に向かった。
(くっそ
……
今、このタイミングで切り替わるのかよ。)
恨みがましく体の中に意識を向ければ、エリオットの意識はいつもの様に眠り始めていた。
「痛かったね
……
。」
氷のうで額を冷やすモフモフの頭をフィオナが優しく撫でる。
久しぶりに撫でられた喜びは、痛みと熱で飛んでいってしまった。
モフモフは、じんじん痛む額に当たる冷たい感触に、安心したように目を細める。
ちらりと窓に目を向ければ夕暮れで、意識が切り替わる定刻になっていることに気づいた。
「フィオナ、もう食堂開く時間だろ?俺はエリオットの部屋に行くよ。」
氷のうを支えるフィオナの手に触れた。
彼女は心配そうな眼差しでモフモフを見る。
それに対してモフモフは首を傾け、困ったように笑う。
「
……
心配しすぎだ。この袋をこいつの額に当てて安静にしてるから。安心しろよ。」
そう言って安心させるように、フィオナの髪を撫でた。
「私は
……
君たちがどういう風になっているか、分からないけれど。反応を見る限り痛かったのは、モフモフ
……
、君だよね?」
視線を下げて、遠慮しがちに言うフィオナの言葉に、モフモフは目を開く。
弄っていたフィオナの髪がするりと指から落ちていった。
「君が、エリオットの体に入ってからずっと
――
……
君が一歩引いて、私たちと接しているように感じるんだ。見えない線があるみたいに。」
そう言うとフィオナは、静かに一呼吸した。
「モフモフ
……
大丈夫だから、ね?エリオットの体を大事にしてくれているのは分かってる。けど怪我をしたら痛いのはみんな一緒だよ。
……
痛かったでしょう?」
氷のうの中の氷がカランと動いた音がした。
モフモフは氷のうを持ち上げるように、フィオナの手から取って立ち上がった。
「
……
そうだな、痛かった。あっちの姿じゃ、軽い傷は魔力で治るんだ。
――
人間はこんなちっぽけな傷で、こんなに痛いんだな。」
モフモフは、いつものようにフィオナに向かって優しく笑う。
「ありがとう、フィオナ。」
一言そう言って、彼は階段に足を向ける。
その背中を見送りながら、フィオナは彼が子狼の時よりも、少しだけ距離を置いている事を感じたのだった。
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