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珠穂
2025-07-20 08:48:32
6887文字
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幽霊をさがす
アラスターとチャーリーのバディものが読みたいなーと思って書きました。
本文中ではきっちり説明はしてないけど、地獄に堕ちずに地上で悪さしている罪人を回収しに、チャーリーとアラスターが人間界をうろうろする設定です。アラスターにはほかに、チャーリーには秘密の目的もあったりして。
書ければ同設定で他の話も書いてみたい。
実はこれも、小さい時に読んだ本の内容が忘れられなくて書いたもの。
ニュージーランドの児童文学作家、マーガレット・マーヒーのお話集『魔法使いのチョコレートケーキ』所収の、同名のお話の展開ほぼそのまんまです。
*
テディはゆっくりと周囲を見回した。目の前の古びた洋館に続く並木道には、誰の姿もない。時刻は午後、日が暮れるにはまだ少しだけ早い時間だ。テディだって、こんな明るいうちに幽霊が出るなんて考えてはいなかったけれど、あんまり遅くなると晩ご飯に間に合わなくなってお母さんに叱られるから、と自分自身を納得させていた。決して暗くなったら怖いからではないのだ。
街はずれの小さな洋館は、もう長いこと誰も住んでいなかった。そこに幽霊が出るという噂を聞いたのはつい最近のことだ。二階の窓から白っぽい影がぼんやりと外を眺めていたとか、誰もいないはずの家の中から話し声が聞こえたとか、荒れ果てた庭をうろつく人影を見たとか。それで、ちょっとした好奇心で、テディは今日、この家の前までやって来たのだった。
「ぼくひとりで、幽霊を見てやる。それで、ちっとも怖くなんてなかったって、みんなに話してやるんだ」
そうわざと口に出して、テディは意を決して錆びついた門扉に手を伸ばした。ぎい、と鈍い嫌な音が響いて、テディはほんの少しだけ飛び上がった。急にうるさくなった心臓を胸の上から押さえて、息を殺してしばらくじっと周囲を伺う。こんな明るい時間なのに誰も通りがからなくて、妙にしんとしていて
――
でもそれは、ここが街はずれで、テディと同じくらいの子どもたちの遊び場所になるような所もないからだった。何も変わりがないのを確かめ、ひとつ大きく息をついて、テディは再び門を押した。鍵はかかっていなかったようで、ひどい音を立てながらもゆっくりと男の子一人分が通れるだけの隙間が空く。中からひんやりとした風が吹き抜けたような気がして、またどきどきと鳴る胸を押さえながら、テディは門を潜り抜けた。
庭は荒れ果てていた。元は何が植えられていたのかも分からないほど、今は背の高い雑草に覆われている。その草が風にゆれるたびに、影から何か恐ろしいものが飛び出してくるような気がして、テディはじっと目を凝らして庭を見つめた。
「
……
ここ、昔は綺麗なお庭だったのよ。今じゃそんなこと、ちっともわからないけど」
突然、後ろから声がして、テディは肩を跳ねさせた。勢いよく振り向くと、いつの間に入ってきたのか、テディと同じくらいの年の女の子が錆びついた門の前に立っていた。
色白の、長い手足を黒っぽいワンピースに包んだ女の子だった。茶色の瞳が、興味深そうにテディを見つめている。長く伸ばした髪は金色で、端の方を緩やかに結わえていた。
「君、だれ? ここに住んでる人?」
自分をびっくりさせたのがただの女の子だとわかって、ちょっとぶっきらぼうにテディは言った。女の子はそんな態度を取られても気にしないようで、ちょっぴり微笑んだ。
「チャーリーよ。
……
ここはもう、ずっと前から誰も住んでいないわ」
「じゃあ、君、幽霊なの?」
「幽霊だったら、こんな靴は履けないんじゃないかしら」
言われて、テディは女の子
――
チャーリーの足元に目を落とした。可愛らしいリボンのついた赤い靴が、アプローチの石畳の隙間から生えた雑草を踏んでいる。
「
……
幽霊じゃない」
呟いた視線の先で、可愛らしい靴は軽やかに動く。目を上げると、チャーリーはぼろぼろの玄関ポーチのステップを上がってゆくところだった。結わえた長い髪の先が、踊るように跳ねる。三段上がった先の、虫食いと雨に傷んだドアをチャーリーの白い手がそっと引くと、ドアは音もなく開いた。テディは目を丸くしてチャーリーを見上げた。
「さっき、見たんだけど。鍵がかかってなかった?」
「開いてるみたいね」
あっさりとそう言って、チャーリーはするりと中に滑り込んでいってしまった。
正直なところ、テディとしては、幽霊を見るという勇敢な遊びに女の子が一緒なのは恰好がつかないような気がして気に入らなかった。けれど、そんな彼の気持ちにチャーリーはまったくお構いなしという様子だったので、仕方なくテディも急いでポーチを上がった。玄関のドアノブに手をかける。重い木のドアをゆっくりと引くと、ドアはきしんだ音を立てた。まるで、ゆっくり眠っていたところを起こされて文句を言っているみたいな音だった。
家の中に一歩足を踏み入れて、テディは立ちすくんだ。午後の柔らかな陽が差す庭から一転して、玄関ホールは暗かった。
「君、どうしてドアを閉めちゃったの? 何も見えないよ!」
テディが叫ぶと、思いがけず近くからチャーリーの声がした。
「あら、家の中に入ったらドアは閉めるものでしょう?
……
こっちはダイニングね。窓からさっきのお庭が見えるわ。昔はちゃんと手入れされたバラのアーチがあったのよ、きっとね。その奥はキッチンかしら。かわいいタイルが並んでるわ」
「チャーリー、君、こんなに暗いのに、どうしてそんなによく見えるの?」
「目が慣れたらあなたもすぐに見通せるわよ、こんなにちっちゃなかわいいおうちなんだもの」
その言葉通り、少しずつ目が慣れてきて、ようやくテディは家の中を見渡すことができた。確かに左手にはダイニングらしき部屋が続いている。キッチンまで見えるだろうか、と目を凝らして、なんとはなしに奥の棚に置かれた箱型の機械のようなものに目が留まった。ダイヤルや目盛りが並んでいるところは、おばあちゃんの家で見た古めかしいラジオによく似ている。さして珍しいとも思わないのに、不思議と目が離せなかった。吸い寄せられたように視線を外せずにいると、ジジ、と鳴るはずのないノイズまでが聞こえる気がする。
夢を見ているような気分で一歩踏み出した時、「テディ」とチャーリーの声がした。はっと我に返って振り向くと、彼女は思っていたよりずっと先にいて、こちらに顔を向けながら更に奥を指さしてみせた。
「階段があるわ。幽霊がいるなら、二階の寝室じゃないかしら」
言いながら、今にも階段をのぼっていきそうな様子を見せるので、テディは慌ててチャーリーに駆け寄った。こんな暗いところに一人で残されるのはごめんだった。チャーリーの隣にならんで、ふとテディはぼんやりと白く輝く女の子の横顔を見つめた。
「
……
ぼくが幽霊を探しに来たって、言ったっけ?」
「誰も住んでない家に訪ねてくる人なんて、幽霊を見に来たか泥棒か、どっちかじゃない?」
なるほど、と納得して、テディはチャーリーの示す先を見た。そこには確かに二階へと続く真っ直ぐな階段があって、中頃から先は暗い闇の中に溶けるように見えなくなっている。そこから幽霊の青白い顔が覗く様子を想像して、テディはごくりと喉を鳴らした。口の中がからからに乾いている。チャーリーという突然現れた不思議な女の子の存在によって忘れかけていた、怖いという気持ちがむくむくと膨れ上がってきたようだった。
けれど、やっぱりチャーリーはそんなテディのためらいに気づかない様子で、あっさりと階段を上がっていく。腰のあたりで結わえられた金の髪が、とんとんとん、と階段を上がるのに合わせてリズミカルに揺れる。それを追うように、テディもおっかなびっくり段に足をかけた。踏みしめるとわずかに板が沈む。埃をかぶった手すりを掴みながらゆっくり三段のぼったところで、テディはまた、はたと気づいて顔を上げた。
「それに、ぼくの名前も。君に教えたっけ?」
階段のずっと上のほうから、笑い含みの声が降って来た。
「いかにもテディって顔してるんだもの、あなた」
それ以上は何も言わずに、チャーリーは階段を上がりきってしまったようだった。今度は、なるほど、とは思うことはできなかったけれど、そのまま真っ暗な中に独りぼっちで取り残されるのはいやで、テディはできる限りの急ぎ足で、きしむ階段をのぼっていった。
二階の廊下は、等間隔に並んだ窓から差し込んだ光でぼんやりと照らし出されていた。けれど、もう日暮れ間際の陽の光は弱々しく、そこかしこに張り巡らされた蜘蛛の巣にも遮られて、足を踏み出すのには心もとない明るさだ。こわごわと視線を巡らせて、真っ直ぐに伸びた廊下の奥に目をやったとき、さっと黒い影が廊下を横切るのをテディは見た。
「幽霊!」
思わず叫んだテディをたしなめるように、チャーリーが言った。
「蜘蛛の巣に映った影が揺れただけよ、テディ!」
「
……
本当に?」
まだ廊下の奥から目を離せずにいるテディに、柔らかな声が答える。
「本当よ。ほら、このドアを開けたから、空気が動いたんだわ」
その言葉に、やっとテディは顔を上げた。廊下に並んだ部屋の一番手前、半開きになったドアの前で、チャーリーはテディを見つめて立っていた。
「あなたが探してる幽霊って、もしかしてこの部屋がお気に入りなんじゃないかしら。窓から夕陽が良く見えるもの」
彼女の言葉に促されるように、テディはチャーリーの後ろから部屋の中を覗き込んだ。もちろん、いつ幽霊に出会ってもすぐに逃げ出せるように、身体の半分は階段のほうを向いていたけれど。
チャーリーの言うとおり、折しも西向きの大きな窓から夕陽が差し込んで、この部屋の中だけ何もかもが赤く染め上げられていた。埃にまみれて白くけぶっているベッドも、すりガラスのように曇って何も映さなくなった鏡台も、蜘蛛の巣がカーテンのように垂れてすっかり絵を覆ってしまっている壁の額縁も。
「まるで地獄みたいに真っ赤ね」
誰に言うともなく呟いたチャーリーは、迷いのない足取りで赤く染められた部屋を横切り、窓辺に向かう。ちらりと外を覗いて、すぐにテディの方へ振り返った。
テディはあっと声を上げそうになった。
こちらを向いたチャーリーの目が、赤々と燃えるように光っていた。
けれどそれは一瞬のことで、彼女の背後から射す落日の最後の光が街の屋根の向こうに消えていくにつれ、チャーリーの瞳も初めに見た通りの落ち着いた茶色に戻っていた。
テディはぱちぱちと目をしばたかせた。見間違いだったのだろうか。
あれほど赤い光に満ちていた部屋の中は、もう薄青い夜の初めの影に沈みつつあった。夢から覚めたような気分になって、テディはチャーリーを見つめて言った。
「幽霊、いなかった」
チャーリーは小さく肩をすくめた。
「幽霊なんて、いない方がいいのよ」
「
……
そうかな」
「そうよ。みんな、ちゃんと帰るべき家があるんだから」
家、という言葉に、急にテディは自分がとてもお腹がすいていることに気がついた。気づけばこんなに遅い時間になってしまった。お母さんもテディがなかなか帰って来ないのを心配しているかもしれない。
「ぼく、もう帰らなくっちゃ」
そわそわとテディは階段の方を振り向いた。けれどやっぱりどうしても気になって、思い切ってチャーリーの顔を見つめた。
「ねえ、さっきのことだけど。
……
君が先に二階についたのに、廊下の埃に足跡がついてなかったように思うんだ」
喋りだしたら勢いがついて、それに、とテディは言葉を繋ぐ。
「君、どうして庭のアーチがバラだって知ってたの? この家に住んでた訳じゃないんだよね? ここが空き家になったのはぼくが生まれる前だし」
チャーリーは可愛らしく小首を傾げてみせた。
「足跡がつかなかったのは、あなたよりずっと軽いからじゃないかしら。それか、光の加減で見えなかったんだわ。庭のことは、パパから聞いて知ってたのよ」
ふいに、テディは目の前に立っている女の子が恐ろしくなった。
そもそも、幽霊が出ると噂になっているような家に女の子がひとりで遊びに来ることなんて、本当にあるんだろうか。テディでさえこの家に幽霊を探しに行くと決めてから、たくさんの勇気を振り絞る必要があったというのに。今も、チャーリーはほとんど夜が迫っている埃だらけの部屋の真ん中に立って、まるで自分の家にいるかのように落ち着いている。
長い髪もワンピースも、こんなに埃と蜘蛛の巣にまみれた家の中を探検したのに汚れひとつつかず、日焼けなどしたことがなさそうな肌は、生きている人間とは思えないほどの白さだ。
暗がりの中で、テディを見つめ返す女の子の瞳がさっきのように赤く光りだすような気がして、テディは背筋にぞくぞくとしたものが走るのを感じた。足をしっかりと踏みしめて、テディはチャーリーに向き合った。
「チャーリー、君はいったい
……
」
意を決してテディが言いかけた瞬間、さぁっと雨が降るような音がした。チャーリーもテディも、はっとして窓を見やる。けれど窓の外には夜の帳が下りた家々の影と、その上に星が輝いているだけだった。
雨音のようなノイズがしたのはその一瞬だけで、気のせいだったのだろうかとテディは首を捻る。
「
……
じゃあ、ぼく、帰るから」
なんだか強張っていた身体がほどけたようになって、テディはそう言うなり踵を返して部屋から離れた。
後ろでチャーリーが何かを呟いたようだったが、大急ぎで暗い階段を下りているテディの耳には届かなかった。そのまま一階のホールを横切り、きしむ玄関のドアを開けて、錆びついた門の隙間から外に出ても、一度も振り返らなかった。
「幽霊なんて、いなかった!」
小さく口に出して、それからテディはお母さんと晩ご飯が待っているはずの自分の家に向かって駆け出した。
チャーリーはテディが駆け去っていくのを、二階の部屋の窓から眺めていた。その背後、夜闇に沈んだ部屋の一角の、より暗く濃くなっているところの影が、まるで生き物のようにぐっと盛り上がって、うごめいた。
「チャーリー、今回はどうやら、空振りのようですねぇ。それに、あの少年も、この世ならざるものに出会っても、そうと気づかなければいないのと同じでしょうに」
チャーリーしかいないはずの部屋に、男の声が響く。男の声に被って、先ほどの雨音のようなホワイトノイズがした。
呼びかけられたチャーリーは、小さく息をついて振り向く。盛り上がった影の方を一瞥して、肩をすくめてみせた。
「彼が探してたのは幽霊よ。私たち悪魔じゃないわ、アラスター。だから彼を怖がらせる必要は無かったのよ」
アラスターと呼ばれた影は、いつの間にかねばつく液体のように溶けて形を変え、一人の悪魔がそこに立っていた。右目に嵌めたモノクルが、わずかな明かりに部屋の中を反射している。その映り込んだ景色の中で、チャーリーも幼い少女の姿から赤いタキシード姿に変わっていた。
テディにちょっかいをかけていたことをたしなめられても、アラスターはいつもの笑顔を貼り付けたままで、元の姿に戻ったチャーリーを見る。
「どちらにせよ、この屋敷には死んでなお地上を彷徨う不届きな罪人はいないようです」
「そうね、でも勘違いしないで、アラスター。空振りで良かったのよ。地上に残って人間に悪さをしてる罪人がそんなにたくさんいたら、またパパが天国に怒られちゃう。地獄に堕ちてこない罪人がいるのはパパのせいじゃないのに」
言いながら、すっかりいつものお喋りが戻ってきたチャーリーは、うんと伸びをした。小さな身体に押し込めて強張った肩や背中を伸ばしながら、部屋を出ていく。
アラスターはチャーリーに気づかれないように、ゆっくりと部屋を横切った。奥の、すりガラスのように曇って何も映さなくなった鏡台、その横に立つ。目の前の壁には額縁がかけられていた。カーテンのように垂れ下がる蜘蛛の巣が、額におさめられた絵画をすっかり覆ってしまっている。赤く鋭い爪を伸ばして、その白い覆いをそっと払った。
瞬間、アラスターは大きく目を見開いた。
「これはこれは、私のほうは収穫があったようです」
静かな興奮のためか、いつも貼り付けたような笑みを浮かべる口角がぐっと引き上げられて、細かく震える。
額縁の中に飾られた絵の中には、先ほどまでここに立っていた地獄のプリンセスに瓜二つの女性の姿があった。腰まで伸ばしたブロンド、白磁のような肌、それに怪しく輝く赤い瞳。地獄の誰が見ても、これはチャーリーのポートレートだと言うだろう。
その絵画に、アラスターは躊躇いなく爪を突き立てた。そのまま横に一閃する。無残に切り裂かれたかのように見えた肖像画は、しかし魔法のように消え失せ、後には額に入った真っ白なキャンバスだけが残されていた。
アラスターは満足げに息をついて頷く。
「アラスター? 早くホテルに帰りましょう?」
階下から呼ぶ声に、アラスターは顔を上げた。
「今行きますよ、ダーリン」
声を上げながら、ゆっくりと部屋を横切り、戸口でなんとはなしに振り向く。部屋の中を見渡して、ふと一点に目を止めたが、すぐに興味を失ったように踵を返し、アラスターは暗い部屋を後にした。
誰もいないはずの部屋で、閉ざされた窓にかけられた白いカーテンが風もないのに揺れていた。
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