夢篠
2025-07-20 06:20:51
2782文字
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あなたの枷になりたい

お互い枷になりたい雑渡夫妻

ナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエ
褥に誰かが入り込んで来る気配がした。誰か、といっても一人しかいない。昆奈門さまだ。タソガレドキ忍軍の組頭で私の背の君。優しくて、でもとても悲しい人だと思う。昆奈門さまが、ゆっくりと私の褥に入って来られた。昆奈門さまの褥も隣に用意してあるというのに。いつぞやそう言ったら「ナマエの温もりを感じながらだとよく眠れるんだよ」と言われた。だから私はもう、何も言わない。ただ、寝たふりをしたまま、寝返りを打って昆奈門さまに擦り寄るように顔を寄せる。

……ナマエ?」

昆奈門さまが窺うように私の顔を見詰めているのが分かる。きっと私が起きているのなんてとっくに分かっている筈だ。でも、何も言わない。ふふ、と空気を揺らすように笑って、彼は私を腕に閉じ込めた。あたたかい、と眠そうな声が聞こえた気がする。寄せた胸許からは真新しい着物と薬の匂いがした。きっとまた、とても丁寧に水浴びをなされたのだろうな、と思った。

昆奈門さまと出会ったのは丁度今くらい、雨が良く降る季節の事だった。私が父に連れられて初めてタソガレドキのお城に上がった七歳頃の時の事。私は初めてのお城に少し気持ちが昂ってしまってお城で迷子になってしまった。その時に道案内をしてくださったのが、私より三つ年上の昆奈門さまだった。不安で歩みの遅い私の手を取って辛抱強くお城の長い廊下を歩いてくださった昆奈門さまは父に会えて泣き出してしまった私にたった一言「もう、迷うなよ」と声を掛けていなくなってしまった。それが最初で、私の初めての恋だった。

昆奈門さまにまた一目、お会いするためにお城の雑用として働くようになった私だったけれど、お城の仕事は忙しくてそれどころではなくて、私の淡い想いは少しずつ薄れていった。いつしかあの日の面影は影も形も無くなって、私は年頃になってしまって、父の持ってきた縁談を二つ返事で受けた。その相手が、昆奈門さまだった。天はとても面白い采配をするものだと思った。

昆奈門さまはきっとあの日の少女の事なんて覚えていないだろうと思った。だから私は知らない振りで昆奈門さまに嫁いだ。彼はとても優しくて、忍軍の組頭としての冷徹な一面を私には一つも見せた事が無かった。いつもいつも私を気遣ってくださって、愛して、大切にしてくださっていた。まるでぬるま湯に浸されているような気分だった。

昆奈門さまの事が大好きだった。初めて恋をした男の子だからじゃない。きっとあの男の子が昆奈門さまでなかったとしても、私はこの方に恋をしていたと思う。だってとても優しくて、でもとても悲しくて、どうか私がこの人に降り掛かる火の粉を払えるようになりたいのだと思ってしまうのだ。この人が死ぬ事を選ぶ時、枷になりたいとそう願ってしまうのだ。

きっと昆奈門さまはタソガレドキのためなら死ねるだろう。でももし、その時に私のために僅かでもその選択を躊躇してくれるなら、これ程幸せな事は無いのだと思う。私があなたの枷になれたのなら。この人が私を起こさないようにと気配を殺して褥に入って来る度に思う。どうか、生きて帰ってきて、と。



疲れた身体を引き摺って、屋敷の寝室に向かう。月もそろそろ山の端に掛かろうとしている。嗚呼、今ナマエの褥に入ったら、彼女を起こしてしまうだろうか。ゆっくりと寝室に入って後ろ手に障子を閉めた。規則的だったナマエの寝息が少しだけ、不自然になる。愛おしさに胸が詰まる。

ナマエを初めて知ったのは私が十の頃だったろうか。忍軍の見習いとしてようやっと城への出入りも許された頃だった。初めて城に上がって迷ったナマエに手を差し出したのは偶然だったけれど、あの日握ったナマエの手の柔らかさと、廊下に面した庭から聞こえる雨音はきっと生涯忘れないと思う。初めてこの人と別れたくないと思った。言葉も交わしていないのに。

ナマエが城勤めを始めたと聞いた時は嬉しくて声が出てしまった。私なんかに話し掛けられては驚くかも知れないから、声は掛けられなかったけれどそれでもずうっと、その姿を見ていた。私たちが大きくなって、私が人を殺すようになってからも。

初めて人を殺した時、曖昧にナマエの顔が浮かんだ。これであの子にはもう二度と触れられないのかな、と少し残念だった。その時はナマエの生きる道と私の生きる道は二度と交わらないと思っていた。それがまさか、こんな事になるなんて。

目の前で三つ指をついて頭を下げるナマエを呆然と見ていた。何の因果か、彼女は私の妻になった。嬉しかったけれど、少し、困惑した。だって、私の手はもう幾人もの数えきれない血で汚れていて、あの頃のようにナマエの手を引く事なんて出来るとは思えなかったし、しようとも思えなかった。

その頬に触れるのすら躊躇う私に、ナマエは美しく、そして愛らしく微笑んでくれた。その時にふと、思ったのだ。この子のために生きようと。私はタソガレドキのために死ななければならないから、生きている間はせめて、この子のために生きようと思った。

ゆっくりとナマエのいる褥に潜り込む。隣には私の物も準備されているけれど、ナマエの隣でナマエの温もりを感じていたかった。ナマエの温もりが私に生を感じさせる。生きて帰って来たのだと実感させる。

ナマエの寝息がまた不規則になって、彼女が寝返りを打って私の胸の内に頬を摺り寄せる。不器用な寝たふりが愛おしい。もしかしたら、目を開けてくれるかもと思って名前を呼んでみたけれど、流石にそれは駄目なようだ。ナマエは目を開けてはくれなかった。でもそれでも良い。彼女の身体を抱え直す。自分から、こんなに穏やかな笑い声が出て来るなんて思ってもみなかった。

ナマエはきっと私があの時手を引いた男児だとは知らぬだろう。今の私はあの日の私とは何もかも違う人間になってしまったから。でも、あの雨の日から、私はナマエの事が大好きで、愛していて、とても大切な宝物だった。

だからこそ、ナマエの枷になりたいのだ。いつか、そう遠くない未来に私がタソガレドキのために死んでしまう時、私の存在がナマエの「その次」を惑わさないかとそう願っている。本当はこんな因果な生業の男の事なんて綺麗さっぱり忘れてしまうのが良いのは分かっているのに。私は願ってしまう。

ナマエのために生きた私をどうか忘れないで欲しいと。己のために何一つ決めてはならぬ人生の中でたった唯一、あなただけは私が選んだのだから。もしも「その次」があったとして、それでもあなたの心の中で消えない枷になりたい。それくらい、願っても許されないだろうか。