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2025-06-10 12:32:52
11996文字
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人気俳優花城とカフェ店主謝憐が初めて一緒に誕生日をお祝いする話/現代AU花怜


「もう来週か」
 謝憐はリビングに飾られているカレンダーを見つめながらぽつりと呟いた。壁掛け型のカレンダーの暦は六月。そして数字の十は赤い色の二重丸で囲まれている。
 何を隠そう六月十日は花城の誕生日だ。
 夫婦の契りを交わし、一緒に暮らすようになってから初めて共に過ごす特別な記念日である。
(楽しみだなぁ)
 この日のために謝憐はこれまで色々と準備を重ねてきた。
 掃除機をかけていた手を止めた謝憐は、先程届いたばかりの荷物の包みを開けた。片手サイズの小さなジュエリーケースには、オーダーメイドで頼んでいたピアスが入っている。謝憐はケースの中のピアスを手に取り、美しく輝くルビーを魅入ったように見つめた。
(やはり私の目に間違いはなかった。とても良い!)
 値段はそれなりにしたけれど、花城に喜んでもらえるなら安いものだ。花城の喜ぶ顔を思い浮かべるだけで、謝憐の心は弾み、春に芽吹く花々のようにあたたかい気持ちでいっぱいになる。
 そして宝箱を開ける瞬間の子供のように、生き生きとした表情で謝憐は誕生日当日のスケジュールをゆっくりと頭の中で反芻した。

 花城が誕生日当日に休みをもぎ取ったと謝憐が知ったのは今から一ヶ月ほど前のことだ。大人気俳優として多忙な日々を過ごす花城が丸一日休めるなんてとても珍しい。その話を聞いたとき、謝憐は目を瞬かせて驚いたものだ。そんな謝憐の耳元に唇を寄せた花城は秘密を共有するかのようにそっと囁いた。
 ――今年の誕生日は、兄さんと一緒に過ごしたい。
 大好きな夫にそんな嬉しいことを言われて、張り切らない男がどこにいる? 謝憐は「もちろんだ! 兄さんに任せなさい!」と言って胸を叩いた。
 とはいえ残念ながらその日はカフェの営業日である。そこで常連たちにはあらかじめ六月十日はランチ営業までとし、早めに閉店することを伝えた。すると勘の良い常連客の数人――主に女性たちに「マスターが早上がりなんて珍しい」「絶対何かある!」と質問攻めにあってしまったため、謝憐は観念して大まかな事情を説明した。そして彼女たちに尋ねた。
 ずばり、大切な人の誕生日をどうやって祝ったらいいのかと。
 彼女たちはとても親切で、何をしてあげたら相手が喜ぶかを細かく丁寧に教えてくれた。そして皆、口を揃えてこう言った。
 大切な人との誕生日はいつもとは一味も二味も違う――特別な時間を演出することが大切だと。特別な場所で、特別なプレゼントを用意して、とびきりのサプライズで相手を祝うのだと。
 彼女たちの話を聞いた謝憐は、思い立ったが吉日と言わんばかりにすぐさま名店と呼ばれている一流レストランのディナーの予約を勝ち取った。そしてプレゼント探しのために街中をぶらついていたときに店先で一目惚れした紅玉を使って、世界に一つだけのピアスを仕立ててもらったのだ。
 
 謝憐はオーダーメイド製のピアスの出来栄えに満足しつつ、頭の中で当日の動きを確認し始める。
 まず、誕生日サプライズ大作戦の全貌はこうだ。当日の朝、謝憐はいつも通り朝早くから店に向かい、モーニングの仕込みをする。と同時に、手作りケーキの仕込みも済ませる。これも謝憐が考えたサプライズのひとつだ。通常営業もこなしながら、花城のために心を込めて誕生日ケーキを準備するのだ。そしてモーニングとランチの営業が終わり次第、準備していたケーキを持って一度自宅へ帰り、花城を連れてウインドウショッピングに繰り出す。そこで花城の好きなブランドが並ぶセレクトショップに行き、ディナー用の服を見繕ったあとは、煌びやかな夜景が一望できるレストランで、ロマンチックなひと時を過ごす。最後にとっておきのサプライズとして、朝早くから丹精込めて準備した手作りケーキと、彼のためにあつらえたオーダーメイド製のピアスをプレゼントして、彼がこの世に生まれてきてくれた奇跡を共に祝うのだ。
(うん、完璧だ!)
 頭の中に描かれた完璧なプランに、謝憐の口元が自然と緩む。
 
 ――だがしかし、謝憐の人生においてこれまで順調に事が運んだ試しがないことを当の本人はすっかり忘れていた。
 
 大切に過ごすはずだった記念日にとんでもない大事件が起きることになるとは、このときの謝憐は想像もしていなかった。

 ◆

「おはよう、兄さん」
 誕生日当日の早朝。まだ花城の眠るベッドから抜け出して、仕事へ向かうための支度をしていた謝憐の耳に甘い低音が届いた。と同時に後ろから包むように優しく抱きしめられ、謝憐は小さく笑みをこぼした。
「おはよう、三郎。すまない、起こしてしまったかな」
「いや、大丈夫。でも目が覚めたら兄さんがいなくて、寂しくなっちゃった」
「起こしたら悪いと思って声をかけなかったんだ。昨日も遅かっただろう?」
 ここ数日、花城は相当過密なスケジュールをこなしているようだった。早朝から家を出て、日付が変わる頃に帰宅する――そんな日がしばらく続いていたのだ。花城いわく次クールのドラマ撮影が始まり、外ロケも多い現場だそうで、最近は四時間も眠れれば良い方だとこぼしていた。
 そんな中、ようやく迎えた貴重なオフの日。何の気兼ねもなくゆっくりと過ごせる唯一の日なのだから、少しでも身体を休めて欲しいというのが謝憐の本音だった。それに今夜は誕生日を祝うため、花城を外に連れ出すことになる。プライベートで外出するときはマスコミやファンの目を気にしなければならないため、大なり小なり花城に負担をかけることになってしまう。ありがたいことに予約したレストランでは個室を用意してもらえたため人目を気にする必要はないけれど、道中はそうはいかない。謝憐は柔らかい拘束を解いて向き直ると、花城の両頬に手を添えて言った。
「今日の夜は、楽しみにしていて。だからそれまでは家でゆっくり休んで」
「うん、わかった。兄さんが一からデートプランを考えてくれたってだけで嬉しいよ。すごく楽しみにしている」
 花城の嬉しそうな様子に、謝憐も嬉しくなって顔を綻ばせた。
 具体的にどこで何をするかといった詳細は一切花城には伝えていなかった。これも常連客たちからのアドバイスである。サプライズをするなら徹底的にやること、と念を押されたのだ。
「もうこんな時間か。そろそろ行かないと」
 腕時計を見てはっとする。出掛けないといけない時間がすぐそこまで差し迫っていた。
「兄さん、兄さん」
「ん? どうしたんだ?」
「いい子で待っているって約束するから、三郎にご褒美をちょうだい?」
 そう言うと花城は人差し指で自分の唇を指し示した。
「ご、ご褒美!?」
 花城の言うご褒美とはつまり謝憐からの口付けが欲しいという意味だ。遠回しな言葉の意味を理解した途端、謝憐の視線が彼の魅惑的な唇に釘付けになる。花城の薄くて形のいい唇は、夜になると惜しげもなく愛を囁いて、謝憐の身体中いたるところに口付けを落としていく――という一連の流れを思い出し、謝憐の頬が真っ赤に染まった。
……ランチ営業が終わったらすぐに帰ってくるから。待っていて」
 どうにか声を絞り出した謝憐は、待っていて、と口にすると同時に踵を上げてつま先立ちになり、花城の唇に自らのそれを重ねた。
「店を出るときに電話するから!」
 立ち去ると同時にそれだけ言い残して、謝憐は玄関を後にする。一方、花城といえば貴重な謝憐からのキスに驚いてしまい、暫くの間その場所から動けずに呆然と立ち尽くしていたのだった。

 ◆

 ほんのりと赤く色づいた頬を隠すように俯きながら、カフェまでの道を駆け足気味に歩く。今日のサプライズは上手くいくだろうか、なんてことを考えながら歩いているとあっという間に店の前まで辿り着いてしまった。
 いつも通りポケットから店の鍵を取り出して開錠すると、店内に足を一歩踏み入れた。早朝特有のピンと張り詰めた空気の室内。店の中に入ると、まるでスイッチが入ったかのように気が引き締まる思いがするから不思議だ。
 さぁ、いつも通りの朝がやってきた。今日は通常の仕込みだけでなく、花城の誕生日ケーキを作るというミッションもあるのだ。一刻の猶予もない。謝憐は急いで開店準備に取り掛かり、いつもの倍のスピードで終えるとすぐにケーキの生地を作り始める。
 実はこのカフェで取扱っているケーキは近くのケーキ屋から取り寄せているもので、謝憐が作って提供しているわけではない。つまり今日が謝憐にとって正真正銘初めてのケーキ作りなのである。ふと謝憐は「お菓子作りは分量が命だ」と言う慕情の言葉と仏頂面を思い出した。つまり分量を正しく計れば失敗することはまずないということだ。ご存知の通り謝憐は料理が大の苦手である。慕情の協力のもと、カフェのグランドメニューくらいは一通り作れるようになったけれど、それ以外の料理の腕は相変わらずさっぱりなのである。手作りケーキに挑戦しようと決めた時、最初は慕情に手伝ってもらおうかとも考えた。しかし結局思いとどまって自分一人で作ることにした。
 このケーキだけは誰の手も借りず、全て自分だけでやり遂げたかったのだ。それが謝憐の真心だから。
「よし! まずはスポンジ作りからだ」
 謝憐はあらかじめ準備していたレシピに沿ってまずは土台となるスポンジ作りに取り掛かった。

 ◆

 平日とはいえランチどきとなると人の出入りも激しく、時間はあっという間に過ぎていった。用意していた数量限定ランチも全て完売し、店内が落ち着きを取り戻した頃には既に十四時を過ぎてしまっていた。
「そういえば例の勝負の日って今日なんですよね?」
 カウンターで洗い物をしていた謝憐に声をかけてきたのは、このカフェの常連の一人であり、近くのジュエリーショップに勤める女性だ。謝憐は手を止めて答える。
「えぇ、そうなんです。あと一時間くらいしたら早めにお店を閉めて、準備をしようかと」
「きっと喜んでもらえますよ。プレゼントの用意もバッチリですか?」
「はい。相談に乗ってもらったおかけで、最高の物が用意出来ました」
 実は花城へのプレゼントを用意するにあたり、ジュエリーショップで働く彼女には色々とアドバイスをもらっていたのだ。彼女のアドバイスがあったからこそ、最高のプレゼントが用意出来た。謝憐は感謝の言葉を述べると共に、お礼にと淹れたてのコーヒーを一杯サービスすることにした。
「それはよかった。彼女さん、喜んでくれるといいですね」
「あはは」
 本当は彼女ではなく、夫なのだが……とは流石に言えず、謝憐は顔を引き攣らせながら笑う。
「あらもうこんな時間。そろそろ行かなきゃ。マスター、お会計をお願いします」
「ありがとうございました。またいらしてくださいね」
 その後すぐに彼女は仕事に戻るからと席を立ち、店内の客はゼロとなった。少し早いけれどそろそろ閉店の準備をしよう。謝憐はカウンターから出ると入り口の扉へと向かい、外の看板を営業終了の文字に切り替えようとした……そのとき。
「謝憐!」
 自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきて、謝憐は声のした方を振り返った。
「慕情? 風信も一緒なのか?」
 君たちが一緒にいるなんて珍しい……と思い、事情を尋ねようとした謝憐だったが、随分と緊迫した雰囲気を纏う二人の様子に、謝憐の身にも僅かに緊張が走る。
「阿軒を見ていませんか?」
「阿軒? ここには来ていないが……どうしたんだ?」
 阿軒というのは慕情の勤め先である児童養護施設で預かっている七歳くらいの少年である。非常に明るく活発な子供で施設ではムードメーカー的な存在として皆から愛されている。
 カフェの定休日には施設に顔を出して、子供たちと一緒に遊ぶことも多かったため、謝憐もよく知っている子供の一人だ。
「朝から姿が見えないんです。施設の中を隈無く探したんですがどこにも見当たらなくて」
 慕情の代わりに風信が答える。慕情の顔は真っ青だ。
「それであの子が行きそうな場所を片っ端から探しているんですが、謝憐の店にもいないとなると……くそっ。他に心当たりがある場所なんて思い浮かばないぞ」
 慕情が悔しさと怒りを滲ませた声で呟く。
「慕情、大丈夫か? 随分と顔色が悪い」
 慕情にとって施設の子供たちは皆大切な存在であることを謝憐はよく知っている。そしてそれは風信も同じだ。だから風信も阿軒探しを手伝っているのだろう。謝憐は迷うことなく言った。
「私も手伝おう。人手は多い方がいいだろう?」
……すみません」
 珍しくしおらしい慕情の態度に、謝憐は場違いだとわかっていても思わず笑ってしまう。
「謝る必要はない。私は近くの公園あたりを見てこよう。君たちはどうする?」
「俺はあっちの商店街を見てきます」
「私は一度施設に戻ってから、もう一度めぼしい場所を探してみます」
「わかった。何かあればすぐに連絡を取り合おう」
 各々の役割を明確にした三人は、すぐさま行動に移すためその場で別れた。そして謝憐は店を閉めるとすぐに公園に向かって走り出した。
(そうだ。三郎に連絡を入れておこう)
 スマホを取り出し、電話帳から花城の番号を探し出してタップすると、三コールほどでスピーカー越しに花城の声が聞こえた。
『もしもし兄さん? もう仕事は終わったの? 思ったよりも早かったね』
「すまない三郎。実はちょっとトラブルが発生して、帰るのが少し遅くなりそうなんだ」
 そうして謝憐は事のあらましを簡単に花城に伝えた。慕情の勤め先である施設で預かっている子供がいなくなってしまったこと、その子供を探すため帰宅が遅くなってしまいそうなこと。そして見つけ次第すぐに帰るので少しだけ待っていて欲しいということ。
 謝憐の脳裏には今朝自宅を出る前に目にした花城の嬉しそうな表情がチラついていた。二人で出掛けることをあんなにも楽しみにしてくれていたのだ。申し訳ない気持ちでいっぱいになり、謝憐は無意識のうちに拳を握りしめた。
「謝らないで。兄さんは兄さんがやりたいと思ったことをやるべきだ。俺はいつまででも待っているから」
 しばらく謝憐の話に耳を傾けていた花城は、全てを聞き終えたあと謝憐を安心させるように穏やかな口調で告げた。
「ありがとう」
 花城との通話を終えた謝憐は、スマホをポケットにしまうと勢いよく駆け出した。早く阿軒を探さないと。日が暮れれば、探すのはますます困難になるだろう。
 だが思ったように上手くいかないのが現実というものだ。いくら探しても阿軒の姿はどこにもなかった。捜索を始めてから既に三時間以上が経過している。すっかり日は沈み、辺りは暗く染まっていった。何度スマホを確認しても慕情からも風信からも連絡はなくて次第に謝憐の表情に焦りが滲み始める。
(もしも阿軒に何かあったら……
 最悪の事態を想像してしまいそうになった謝憐は脳裏に浮かんだ映像を振り払うようにかぶりを振った。それでも不安は拭えきれない。
 謝憐はなんだか無性に花城の声が聞きたくなった。彼の声で「落ち着いて」と言ってもらえたら、少しはこの焦燥感を掻き消せる気がして。謝憐は無意識のうちにスマホを握りしめていた。すると突然手の中のスマホが震え出したではないか。謝憐が慌てて画面を見ると、ディスプレイに表示されていたのはまさに今頭の中で思い浮かべていた人物――花城の名前だった。
「さ、三郎!?」
 まさか花城から電話が掛かってくるとは思ってもいなかったので、驚きのあまり声が少し上擦ってしまう。
『電話に出てくれてよかった。今どこにいる?』
「大通りにあるコンビニのすぐ近くにいるんだけど……実はまだあの子が見つからなくて」
 事実を伝えただけなのだが、改めて言葉にすると心にずっしりと来るものがある。これだけ探し回って手掛かりが一つもないのだ。謝憐は小さくため息を吐いた。
 だが次いで告げられた花城の言葉に謝憐は驚きのあまり、手に持っていたスマホを落としそうになってしまった。
『そのことなんだけど、実はついさっきその子供を保護したんだ』
「本当なのか!?」
『うん。今ちょうど兄さんの店のすぐ近くにいるから、そこで落ち合うでいいかな?』
「わかった。すぐに戻る!」
 通話を切った謝憐は、すぐに慕情と風信にメッセージを送った。花城が阿軒を見つけてくれたのだと。そしてすぐに店に集まるよう二人に追加でメッセージを送り終えた謝憐は、急いで店までの道のりを走った。
 十分も経たないうちに戻ってきた謝憐は、店先によく見知った顔を見つけてようやく緊張の糸を解いた。
「三郎!」
 謝憐の声に気付いた花城は、口元を綻ばせると「兄さん、お疲れ様」と言ってから、視線を腕の中の小さな存在に向けた。花城の視線の先にはぐっすりと眠る子供の姿があった。阿軒である。どうやら阿軒は泣き疲れて眠ってしまったようだ。目元が赤く腫れているのがその証拠だろう。
「阿軒! 無事でよかった。でもどうして三郎が?」
「兄さんから電話をもらってすぐに知り合いに連絡して、探してもらうよう頼んだんだ。前に一緒に仕事をしたやつに人探しが得意なのがいてね」
「なるほど。そういうことだったのか。さすが三郎だな」
 だけど、と謝憐は続けた。
「せっかく貴重な休みだというのに、付き合わせてしまってすまない。それに今日は……
 貴重な休みを潰してしまっただけではない。今日は花城の誕生日なのだ。特別な記念日だというのに――……
「あ!」
 そうだ、ディナーだ! 阿軒の一件ですっかり頭から抜け落ちていたが、花城の誕生日を祝うために十九時から高級レストランの豪華ディナーを予約していたことを思い出す。
 謝憐が慌てて腕時計を確認すると、なんとそこには二十時の文字が刻まれていた。
(嘘だろう!?)
 いつの間にこんな時間になっていたというのだろう。なんだか急に頭が痛くなり、ついこめかみを押さえてしまった。
「阿軒! 謝憐!」
「無事だったのか!」
 ちょうどそこへ慕情と風信が合流し、謝憐はひとまず花城から阿軒を預かると慕情へと預け渡した。すると二人は謝憐の隣に立つ花城のことを訝しげな目で見つめ、「なんでここにこいつがいるんですか?」と疑問を投げかけた。
「それは……
「お前ら二人が無能だからだろう」
「「なっ!?」」
……はは」
 謝憐が答えるより先に花城が口を開いたかと思えば、憎まれ口を叩くので謝憐は苦笑いするしかなかった。
 花城は畳み掛けるように続けた。
「朝から探し回っているというのに子供一人も見つけられないとは。無様だな」
「貴様……!」
「まぁまぁ、落ち着いて。阿軒が起きてしま…………阿軒? 起きたのか?」
 今にも殴り掛かりそうな二人をなんとか宥めていると、慕情に抱えられていた阿軒がゆっくりと目を覚ました。
……あれ? ここはどこ?」
「ここは私の店だよ。私たちは君のことをずっと探していたんだ」
 無事で本当によかった、と謝憐が頭を撫でてやると阿軒は自分の置かれている状況を思い出したのか、目からぼろぼろと大きな雫を溢し始めた。
「あ、ご、ごめんなさい……おれ、おれ……
「何がごめんなさいだ! 自分が何をしたのかわかっているのか?」
「うっ、うわああん!」
 慕情が怒号を放ったことで阿軒の涙は止まるどころかますます勢いを増してしまう。
(はぁ……このままでは埒があかないな)
 助け舟を出すことを決めた謝憐は「阿軒、おいで」と言って両腕を広げた。すると阿軒は謝憐に思いきり抱きつき、涙でぐちゃぐちゃになった顔を謝憐の肩に埋めた。
「阿軒、大丈夫だよ。大丈夫だから落ち着いて聞いてくれ。慕情は誰よりも君を心配していて、だからあんな風に強く言ってしまったんだ。わかるかな?」
 阿軒はこくんと小さく頷く。
「よし、いい子だ。どうして誰にも何も告げず出て行ったりしたんだ? 何があったのか私たちに話してごらん」
 謝憐の温もりと穏やかな声音に、ようやく阿軒の涙も止まり、阿軒は泣き腫らした目を手で擦りながらゆっくりと話し始めた。
「あのね……阿玥の誕生日プレゼントを買いたくて、街に出たんだ……そうしたら道に迷っちゃって、帰れなくなって……それで……途中でつかれちゃって河原で少し休んでたんだけど……だんだんねむくなってきて……
 そのときの恐怖を思い出したのか、阿軒の目に再び涙が浮かび始め、段々と声も弱々しいものになっていく。すると花城が彼の代弁をするかのように話し始めた。
「河川敷の橋の下で眠っているその子供を俺の知り合いが見つけたんだ」
「なるほど」
 阿軒と花城から聞いた話を整理するとつまりこういうことだろう。まず、阿玥とは阿軒の妹である。彼らは幼い頃に親に捨てられて施設へと預けられた。阿玥は阿軒の三つ下――つまりまだ四歳の少女だ。阿軒と違って物心がつく前に捨てられた彼女は自分の親の顔さえ知らない。だからたった一人の肉親である阿軒にとてもよく懐いていた。そして阿軒も妹のことをとても可愛がっていた。
 そして彼らが暮らす施設では子供たちが職員の手伝いをすると僅かばかりだがお小遣いがもらえる制度になっていて、阿軒はよく大人たちの手伝いをしていた。おそらくその手伝いで貯めた金で、妹のためにこっそり誕生日プレゼントを用意してやるつもりだったのだろう。なにせ今日は阿玥の記念すべき五歳の誕生日なのだから。
 だが施設を抜け出して街で買い物をしている途中、道に迷ってしまい、ようやく辿り着いた河川敷の橋の下でうっかり眠ってしまったのだ。花城が見つけてくれていなかったら今頃どうなっていたか……想像するだけで恐ろしい。
「とにかく無事でよかった。でも二度とこんなことをしてはいけないよ。それから……
 謝憐は一旦言葉を区切って慕情と正面から向き合うと「阿軒も反省しているようだから、ね?」と言った。
「わかりました。……阿軒」
……うん」
「一緒に阿玥のプレゼントを買いに行こう。買い物が終わったらすぐに帰って誕生日パーティーの準備をするぞ」
……! うん!」
 慕情の一言でようやく阿軒の表情にも笑顔が戻る。謝憐も風信もほっとしたようにお互い顔を見合わせた。
 
 こうして阿軒失踪事件は無事に幕を閉じた。慕情と阿軒は誕生日プレゼントを探しに行き、風信は自宅へと帰っていった。そして店の前には謝憐と花城だけが残った。
「立ち話もなんだから一旦店の中に入ろうか」
 店の扉の鍵を開けながら花城に声をかけると、花城は静かに微笑み頷いた。
 正直なところ、色々な出来事が起こりすぎて少し休む時間が欲しかったのだ。謝憐はすぐ近くにあった椅子に座ると、花城に問い掛けた。
「ところでどうして三郎は阿軒の居場所がわかったんだ?」
 花城は片眉を上げて謝憐を見つめながらゆっくりと答える。
「実はハッキングが得意な奴が知り合いにいるんだ。それで監視カメラの映像にアクセスしてもらって、そこからおおよその場所を特定して見つけたってわけさ」
「三郎は本当にすごいな」
 まさかそんな方法なあったとは。以前から花城のことはすごいと思っていたが、こんなにも簡単に人探しまでしてしまうとは思ってもみなかった。
 だが花城は小さく被りを振りながら言った。
「いや、兄さんには敵わないよ。ずっと走り回って探していたんでしょう?」
 それに、と花城は一度言葉を区切ると、再び口を開いた。
「兄さんの行動と、兄さんが掛けたあの言葉はあの子供にとって救いになったと思うよ」
……そうかな?」
「うん。兄さんがあの子供を抱きしめるところを見て、昔を思い出したんだ。俺がまだどうしようもない餓鬼で泣いてばかりいたあのときも、兄さんは俺を抱き締めてくれたよね」
 花城はそう言うと、昔――謝憐と出会った幼少期のことを思い出しているかのように目を細め、遠くを見つめた。
「ふふ。そうだね。あの頃の私はまさか君と再び出会って、こうして共に未来を生きることになるなんて思ってもいなかったよ」
 運命という言葉だけではいいあ表すことの出来ない縁によって再び巡り会えた二人。謝憐はそっと花城に近付くと、両腕をそのたくましい背中に回した。
「三郎、誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。私と出会ってくれてありがとう……それから共に生きてくれてありがとう」
 それと同時に「ごめん」とぽつり呟いた。
「どうして兄さんが謝るの?」
「だって……
 せっかく予約していたディナーの時間はとっくに過ぎていて、無断キャンセルすることになってしまったのだ。しかもそれだけではない。朝から準備していた手作りケーキも散々なことになっていた。スポンジはオーブンに入れっぱなしにしていたため焦げてしまい、クリームも塗れていなければイチゴのトッピングだって出来ていない。なんともみすぼらしい手作りケーキとなってしまった。
「俺は兄さんが今日という日を一緒に過ごしてくれるだけでとても嬉しい。だから顔を上げて」
 花城に言われるまま顔を上げると、羽のように繊細なタッチで唇が触れた。 
「でももし我儘が許されるなら、今すぐ帰ってあなたを抱きたい。……いいかな?」
 花城の瞳に情欲の色が灯る。
(そんなの……答えは決まっているじゃないか)
 でも素直に言葉にするのは恥ずかしくて、謝憐は返事をする代わりに自ら唇を押し当てたのだった。
 
 ◆

 ◆

 ◆

「改めて誕生日おめでとう、三郎」
 情交の痕跡が色濃く残る身体を起き上がらせ、シーツにその身を包ませた謝憐は少し掠れた声で祝いの言葉を口にした。そしてこの日のために準備していたプレゼントを花城に渡す。
「これは……?」
「開けてみて」
「とても美しい赤色だね。もしかしてルビーのピアス?」
 花城の目がわずかに見開かれる。
「正解。よかったらつけてみてくれないか」
 街中で運命的に出会った美しい赤い色。石言葉を知ったとき、謝憐は直感的にこれしかないと感じたのだ。
 ルビーの主な石言葉は「情熱」「愛」「美」であり、まるでそれは花城のために存在するのではないかと思えるほどだった。
 彼のためだけに作った世界に一つだけの贈り物。ずっと脳内に思い描いていたピアスをつけた花城の姿がようやく見れると、謝憐の心は弾んだ。
「もちろん。でも出来れば兄さんにつけて欲しいな」
 花城は蕩けるような笑みを浮かべ、甘えるように謝憐へと擦り寄った。
「いいよ。おいで」
 美しく輝く紅玉を受け取った謝憐は、紅玉と同じくらい――否、紅玉以上に美しい顔立ちの花城の両耳にそれをつけてやった。
(やっぱりよく似合う。私の目に狂いはなかった!)
 随分とご満悦な様子の謝憐に、花城もつられるように目を細めた。耳元で煌めきを放つ紅玉を指先で触れながら何度も「ありがとう」と感謝の気持ちを口にする。
「ところで兄さん。ルビーはたしか七月の誕生石だったよね?」
「そう言われてみればそうだったね」
「つまり兄さんの誕生石でもある。兄さんがいつでもそばにいてくれるみたいですごく嬉しいよ。一生大切にするから」
……!」
 初めて見る花城の本当に幸せそうな笑顔に謝憐の胸がときめく。ドキドキと鼓動が高鳴ることを止められない。だが同時にはたと気付いた。図らずも自分自身の誕生石をプレゼントとして贈ってしまうなんて、思い上がりも甚だしいのではないか? 謝憐は慌てて言った。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 私は別にそういうつもりでこれを君に贈ったわけじゃ……!」
「本当にありがとう兄さん。あとで写真を撮ってSNSにアップしてもいい?」
「それは構わないけど……! 三郎! 君、わざと聞こえていないふりをしているだろう!?」
「あはは。ごめんごめん。兄さんが可愛くてつい。謝るからどうか三郎を許して」
 許して、と言いながらも花城は悪びれる様子もなく、ふいに謝憐の唇を奪っていった。
「ん……っ」
「でも、どんなに美しい宝石もこの赤には負けてしまうな」
 口付けによって赤く色付いた謝憐の唇に指先で触れながら花城は囁いた。
「もっと見せて?」
……うん」
 吐息混じりの艶声と共に、身を包んでいたシーツが剥ぎ取られる。謝憐はそのまま花城と共に寝台という名の海へと再び溺れていくのであった。

 
 
 翌朝、不格好な手作りケーキを持ち、紅玉のピアスを耳元に輝かせる花城の写真がSNSに投稿された。「愛する妻からの贈り物」というハッシュタグ付きで。
 花城が既婚者であることは周知の事実であるため、投稿自体には何の問題もない……はずだったのだが。目敏いファンたちは見つけてしまったのだ。花城の首筋に残るキスマークに――……。それによりネットは騒然。大騒ぎの事態となった。
「めちゃくちゃ幸せそうな顔してる」
「おもいっきりキスマついてるじゃん!」
「惚気か?」
「奥さん自慢したかったのかな。かわいいな」
「奥さんといつまでも幸せにな!」
 とはいえ大半の意見は肯定的なものだった。
 
 一方、SNSに疎い謝憐は花城の投稿が物議を醸していることなどつゆ知らず。
 後々、二人の関係を知る常連の女子高生たちに揶揄われ、ルビーよりも顔を真っ赤にする謝憐がいたとかいなかったとか。