せいる
2025-07-19 09:58:41
1739文字
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助け合う場所

燕芬姐と魚蛋妹と洛軍。助け合いの中に少しづつ少しづつ入っていく洛軍。ずっと違う国にいた洛軍にとっては、もしかしたらあの叉焼の配合は尚更地獄の高速リスニングだったかもしれないと思ったので。

「はい、これ」
 つみれ作りが終わり、次の仕事に向かおうとエプロンを外す洛軍に燕芬は小さな紙切れを差し出した。なにやら文字と数字が沢山書いてある。つみれ作りに必要になるのかと、しばらく眺めてからいくつか馴染みのある単語を見つけて、洛軍はどうやらそうではないということに気づく。
「叉焼の味付け?」
 魚蛋妹の当たり〜!の声に燕芬が頷いた。
「あんた普通に話せてるけど、そこまで広東語になれてないでしょ。あの速さで言われたら聞き取りだけでもきついかと思って」
「これ全部おぼえたら、あとはどれがどの調味料かわかれば平気だよ」
 手のかかる新入りもこれなら大丈夫だろうということなのか、魚蛋妹はどこか満足気だ。洛軍は視線を歳下の大先輩からメモに移して、もう一度書かれた内容を確認する。どうやら調味料の名前と杯数を順番通りに書いてくれたらしい。確かにこれを覚えておけば、後は調味料の実物と名前が一致すればよいだけなので大分楽になる。次、もしくはその次くらいには完璧に覚えられるかもしれない。
 昨日調味料の配合と格闘していたとき、休憩中らしき二人が近くでその様子を眺めていたのを訝しんでいたが、このメモのためだったようだ。 
 洛軍はメモを見つめる。燕芬と魚蛋妹がわざわざ自分のために行動してくれた。きっとこういう時は何かしら言うものなんだろうが、一向に口から言葉は出てこない。普段から無口な洛軍が無言のままでもいても二人は特に嫌な顔もしなかったが、勝手に居心地の悪さを感じて
「やってみる」
 とだけ答え、つみれ工房を後にした。後ろから魚蛋妹のがんばれー!という声が聞こえた。
 人々の話し声や笑い声、機械の動く音、何か道具を使う音、その間に聞こえてくるテレビのニュース。今日も城寨の中は人々の営みの音が溢れ騒がしい。しかし今の洛軍の耳にはあまり入ってこなかった。
 二人はどうして助けてくれたのか。そんな疑問がつい頭に浮かんでしまう。いや、わかっている。魚蛋妹も燕芬も紹介されたとはいえ、突然やってきた洛軍を受け入れ丁寧に仕事を教えてくれような人間だ。今回もきっとただ洛軍が困っているだろうから助けてくれたのだ。 そんな風に他人を気遣うことができる人間は確かにいる。そう理解はしているが、もう随分長い間そういう優しさに触れていなかったから、咄嗟にお礼も出てこない。そうだ、ああいう時は感謝の言葉を伝えるべきなんだろう。
 少しづつなれてきた道を歩く。叉焼の配合は絶対に覚えたかった。できる仕事ならなんでもやって金を稼ぎたいのはもちろんだが、教えてくれるならちゃんと応えたいと思ったからだ。あまりに聞き取れなくて、聞き取れても覚えられなくて、正直一回目でクビを覚悟したものの、叉焼屋のオヤジはなぜ覚えられないと怒鳴るように言うわりに、何度尋ねても答えてくれるし、暴力を振るうこともない。
 この九龍城寨に来てまだそう日も経ってにないが、洛軍には気づいたことがあった。
 ここの住人は洛軍を見捨てない、人間として扱ってくれる。
 城寨に来た日、怪我をして薄汚れてボロボロの自分に食べ物と飲み物をくれた。赤い格子の部屋に行けと助言をくれた。助けたって何の得にもならないのに。容赦なく痛めつけられたものの、龍捲風もけっきょく洛軍を追い出しはしなかった。黒社会に騙された側の洛軍に借金を背負わせたが、信一という男も仕事を紹介してくれた。しかもつみれ作りなんていう、外からヤクを持ち込んだ人間には不釣り合いなくらい真っ当な仕事だ。 誰かを傷つけなくてもいいし、自分も傷つかない、働いた分だけきちんと給料がもらえる仕事。

「助け合う場所だ」

 四仔と呼ばれていたマスクの医者の言葉を思い出した。その時はどちらかといえば、同じく男が言った「やる気があれば稼げる」の方に希望を感じていた気がする。でも今はうっすらと期待しているかもしれない。ここでなら自分もその「助け合う」一員になれるのではないかと。
 騒がしい通りから細い脇道に反れて、辺りに人気がないかを確認してから靴下に隠した紙幣を数枚取り出す。そっと丁寧に燕芬がくれたメモを挟んでから紙幣を靴下の中に戻し、洛軍はまた歩き始めた。