usagipai
2025-07-19 07:34:22
3684文字
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スペーラ・シンフォニア

ストーリー

第一話 始まりの鐘

この世界は、嘘でできている。

誰かを愛したふり。
誰かを赦したふり。
誰かを忘れたふり。

戦争も、平和も、祈りも。
本当のようでいて、たぶん違う。

それを "だいじょうぶ”という言葉で包んで、そっと、赦すのが私の仕事

この世界が私を必要とする限り、私は存在し続ける。

——このシンフォニアが、私のすべてなのだから。

神殿の、光に満ちた回廊を歩く。
透き通るような床。天井には、祈りを紡いだ曲線の文様が広がっている。
何度も通ったこの道は、今日もまた変わらず美しい。
……けれど最近、その変わらなさが少しだけ哀しく感じられる。
何億光年という時を超えて、この神殿は変わらない。
それは誇らしく、そして、時に残酷でもある。

歩きながら、やがて目的の扉が見えてきた。
私は静かに息を整え、扉に手をかける。

今日もまた、“宿命”に取りかかる時が来たのだ。扉をくぐると、すでに神子たちは勢揃いしていた。

「スフィー、おっそーい!まちくたびれちゃったよ〜!」
最初に声を上げたのは、“戯言”を司る神子・リーフェン。
足を投げ出してソファに寝転びながら、蝶のような羽をぱたぱた揺らしている。

……いいご身分だな」
隣で冷ややかに返したのは、“誠言”の神子・ユースティス。
背筋をまっすぐに伸ばし、目も口も一切、笑っていない。

「ちょとちょと、冷たいよ〜ユースく〜ん?」
「言葉は真実だ。無意味な飾りなど、要らん」
「え〜〜、つまんな〜い」

二人の軽妙なやりとりをよそに、他の神子たちも、それぞれのスタイルで席についていた。

静かに祈る者。
影の中に身を溶かしている者。
中には、堂々と眠っている者までいる。

この部屋には、"世界の声"を司る神子たちが、すべて集まっている。
そして──
その奥、ひときわ高い玉座には、
一見やる気のなさそうな——けれど間違いなくこの世界の“神”。
ジュピターが、葡萄をつまみながらこちらを見ていた。

「ジュピター様、スフィー、ここに……
「おっせーよ。早くしろ」

その声は、思っていたよりずっと乱暴だった。

……はい」
私は一礼し、静かに目を閉じる。

世界の“声”が、わたしの内側へと流れ込んでくる。
祈り、嘘、怒り、希望──
人々の感情が、祝音として軋むように響いていた。

……でも。
今日は、そのどれもが、まだ“閾値”に届いていない。

今のところ、わたしの力は必要なさそうだった。
それが嬉しいのか、それとも寂しいのか。
自分でも、よくわからなかった。

──けれど、その安心も束の間。

「今日もうやることねぇだろ?
だったら警備ついでに、街に行ってこい」

ジュピターの、雑な命令が飛んできた。

……えっ」

つい、小さく声が漏れる。
見渡すと、他の神子たちはすでに部屋を後にしていた。
まるで最初から、私だけが残ると決まっていたかのように。

(街……

……かしこまりました」

私はひとつ礼をして、その場を下がる。
こうして、今日も“仕事”がひとつ、増えた。

神の街――
天界の者たちが暮らすこの国は、神々と天使たちが健やかに息をし、
高い神聖力によって守られた、穢れなき場所。

空気さえも光に満ち、祈りと祝福が静かに流れている。
.....けれど、この街にも、歓迎されない者がいる。
私のように。
わたしは、そっと息を吐き、門の前に立った。
誰にも気づかれぬよう、認識阻害の術をかける。
視線の先にある神の街は、今日も変わらず、美しかった。

白亜の塔が陽光を反射し、空には幾筋もの祝福の羽根が舞っている。
石畳の道には淡い魔力の文様が浮かび、
天使たちが行き交いながら静かに祈りを捧げていた。

そんな穢れなき光の中で、私はまるで滲んだインクのようだった。

誰も何も言わない。
けれど、誰も目を合わせようとしない。

「嘘を司る神子」──
その名だけで、私を遠ざけるには十分だった。

通りでは市が開かれていて、果物を売る声や祈祷歌が、風に乗って流れてくる。
子供たちの笑い声。

祝音の鈴が、どこかで微かに鳴った。

……だからこそ、その声は異質だった。
(この鐘は、本来“危険”を知らせるもの――

「た、助けて! 誰か――!」
「暴れてる! 逃げろっ!」

通りの向こうから、騒がしい叫び声が響いてきた。


声が重なる。
怒鳴り声、叫び声――そして……
何かが、泣いていた。

祝音の奥に、濁った“声”が混ざっている。
音が、歪む。
わたしの胸が、静かに軋んだ。

……魔獣がいる。

すぐにそう確信した。
けれど、信じられなかった。

ここは神の街――
神殿に最も近く、魔獣など発生しないはずの聖域。

それなのに。
この祝音は、確かに“それ”を告げている。

魔獣は、叫んでいた。
泣くように。誰かを責めるように。
その巨体が唸りを上げ、暴れまわるたび、民の悲鳴があがる。

中でも、ひときわ目を引いたのは――
通りの石畳に倒れ込んでいた、小さな子どもだった。

その子を庇うように、ひとりの青年が両腕を広げ、魔獣の前に立ちはだかっていた。

……動ける人は避難を! 誰か、この子を――!」

声を張り上げながらも、
彼は一歩も引かなかった。
震える背中を、魔獣がいまにも呑み込まんとしていた。

考える暇もなく
思った時には、もう体が動いていた。

――下がって」

風を裂く声が届く。
鈴の音のような祈りが空気を満たし、光が足完から溢れ出した。
わたしはそのまま青年の隣に立ち、手をかざす。

「.....大丈夫」

祝音の中に混ざる "濁音"を聴き取る。
私の祈りが魔獣に触れると、その巨体が小さく震えた。
動きが止まる。
「今です、離れて」
私は魔獣の胸に浮かぶコアへ駆け出す。
小さな濁った結晶。

誰かの“願い”の残骸。

祈りの刃を手に、その中心を貫いた。
コアが砕ける音とともに、魔獣の身体が崩れ落ちていく。
まるで、安心したかのように。

子供と青年は、無事のようだった。
少しだけ、胸を撫で下ろす。

……けれど。

……嘘の、みこ……

ぽつりと、子供が呟いた。

次の瞬間、
鈍い衝撃が、頭を打つ。
石が飛んできたのだ。

「嘘の神子だー!」
「なんでここに……? 魔獣が出たのも、まさか……

街に、ざわめきが走る。

視線が刺さる。
……まずい)
フードが取れて、正体が露わになっていた。

その場から離れようとしたとき——
大きな声が響いた。

「やめろ!!」

声の主は、あの青年だった。

「何をしてるんだ!!
この人は……この人は、何もしてねえだろ!!
助けてくれたんだぞ!? 目、見えねえのか……!」

彼が、私を——庇った。
この“神の街”で。

……私のことを、知らない?)

……それだけじゃない。

よく見ると、青年の気配は——
この街のものじゃなかった。

祝音の響かない“静けさ”が、彼の身体から滲み出ている。
(この空気……まさか、人間……

思わず、私はその背中を見つめた。
(でも、神の街に……

私は青年の手を取った。

「こっち……こっちに来て」
「えっ、どこに……!」

返事も聞かず、私は振り返らずに走り出す。
細い路地に足を踏み入れた。

神の街の石造りの裏路地。
祈りの光も届かない、
——私の“居場所”。

人の気配がなくなったところで、ようやく立ち止まる。

……さっきは、助けてくださり、ありがとうございました」

息を整えながら、できるだけ穏やかに言葉を紡ぐ。

青年は、少し驚いたように目を丸くした。

「はぁっ……はっ、はは……いや、いいよ、いいよ……
「いや、助けてもらったのは俺のほうだし。あの子も、ね」

少し間を置いて、眉をひそめながら続けた。

……にしても、街のやつら。なんで君にあんな——

言いかけて、ふと気づいたように表情をゆるめる。

「あ、悪い。自己紹介がまだだったな」

彼は胸に手を当て、丁寧に言葉を発した。

「俺は、ラウル。……君は?」

……私は、スフィー」

その名前を口に出すたびに、街では拒絶された。
けれど——ラウルの目は、変わらなかった。

……スフィーか。変わった名前だけど……きれいな響きだね」

そう言って、彼は笑った。

その笑顔に、私は少しだけ言葉を失った。

私の名を、穢れとしてではなく、
ただの“名前”として受け取ってくれた人が——
この世界に、まだいたのだ。

それだけで、胸の奥が、少しだけあたたかくなった。

……けれど、
私も彼も、まだ知らなかった。

彼が“この街にいる”ということが、
ゆっくりと、世界を揺るがせ始めているということを。

そして、
私の運命が、今、音を立てて変わり始めていたことを。