aoisoujou02
2025-07-19 06:08:03
5254文字
Public ゼンゼロ
 

しっぽのきもち。

アキ狛。しっぽ!狛野くんがお兄ちゃんに尻尾を洗われる話。

「狛野くん!」
 ロープウェイを降りた先の広場に足を踏み入れた途端、アキラくんの悲痛な声が響いた。買い物帰りなのだろう、両手に下げた荷物の重みにふらつきながらも急いでこちらに駆け寄ってくる。
「またホロウに入っていたのかい? 尻尾の先が汚れてボサボサになってしまっているじゃないか」
 アキラくんは厄介ごとに首を突っ込みがちなオレのことをいつも心配してくれる、とてもいい人だ。ホロウでの戦いと侵蝕でボサボサになってしまったオレの尻尾にまで悲しそうな目をしてくれる。
「こればっかりは仕方ねぇっスよ、シリオンの毛は侵蝕症状が出やすいんで。ま、最悪カットしちまえば済む話っスから」
 自分のことなどで気に病まないでほしいとそう言ったが、アキラくんはますます悲しげな表情になってしまった。
「だめだよ! せっかくふわふわの立派な尻尾なんだからきちんと手入れしないと。よし、適当観においで。シリオン用のソープがあるから洗ってあげる」
 思わぬ提案に驚いたが、アキラくんはおそらくシリオンのことに詳しくないのだろう。シリオンの尻尾は易々と他人に触らせたりしないということも知らないのだ。だから人間の基準で親切にしてくれようとしている。なるほどシリオンとしては突飛な提案にも得心がいく。
 さすがに尻尾を洗ってもらうなんて気まずいけれどアキラくんの親切心を無碍にするのは申し訳ないし、自分だけが意識していると思うと余計に恥ずかしい。それにアキラくんになら触られるのもきっと嫌ではないから。
 どちらにしろ細っこい体に似合わない重そうな荷物を引き受けて適当観まで送るつもりだったのだから行き先は同じだ。じゃあお願いするっスと小さく頷き、アキラくんの両手を塞いでいる荷物を引き受ける。そうして重荷から解放された腕に引かれるがまま、適当観の門をくぐった。この細くて綺麗な手が自分の尻尾に触れるのかと思うと、なんだかどきどきした。

◻︎ ◻︎ ◻︎

 短い距離だったにも関わらず律儀にお礼を言って荷物を置きに行ったアキラくんの背中越しに見る建物は以前よりずっと綺麗だ。改装で壁も塗り直されているのだろう、年季の入った荘厳な雰囲気は残したままに真新しい清潔感があった。
「お待たせ、狛野くん」
 アキラくんが荷物の代わりにタオルやブラシなどのバスグッズを入れた大きめの桶を抱えて戻ってきた。わざわざシリオンの兄弟子さんから専用のソープも借りてきてくれたようだ。本堂の左手にある広い手洗い場に案内されて、風呂にでも入れられるのかと思っていたオレは少しだけ安心した。裸の付き合いはさすがにまだ早いよな。

◻︎ ◻︎ ◻︎

「濡らす前にまずはブラッシングするね。絡まった毛をきちんと梳かさないと」
 アキラくんの白い手が大きな埃や汚れを優しく払い落とす。そして目の粗いコームが地肌に当たらないよう気遣われながら、ごわついた毛を梳かしていった。いつもは服を脱いだらすぐシャワーを浴びるので、こんなにも丁寧に扱われるのはなんだか慣れない。
 尻尾の先から付け根までを梳かし終わればやっと蛇口から水が出された。手洗い場に尻を向けているのでわからないが、どうやらアキラくんは真剣な表情で水温を調節しているようだ。しばらくすると納得のいく温度になったのか、濡らすよと声をかけられてからお湯で満たされた桶に尻尾が浸かる。
「ソープをつける前の予洗いが大切なんだ。お湯で落ちる汚れはここで落としていくよ。お湯の温度はどうかな、熱すぎないかい?」
「ほぁ……温かくて気持ちいいっス」
 毛の根本から汚れを掻き出す動きのほんの少しのくすぐったさと他人の手による不思議な気持ちよさについ尻尾がゆらゆらと動いてしまう。いけない、これでは洗いにくいだろう。緩んだ表情筋を引き締めると尻尾にも力が入ったのが伝わったのか、アキラくんがリラックスしててねと嬉しそうに笑った。
「ふふ、お湯、気持ちいいね。次は泡で洗っていくよ」
 予洗いに使った桶の湯が流されて、アキラくんの手でモコモコに泡立てられたソープが尻尾を包み込む。自分の使っているものとは違ういい香りがあたりに漂って思わずスンスンと鼻を鳴らしてしまった。
「かゆいところはありませんか〜、なんてね」
 美容師さんの真似をしたアキラくんに、ありません、とお客さんのように返してふたりでくすくす笑い合う。
 本当は他人に触られるのは恥ずかしくて落ち着かない。泡でぬるぬるの尻尾を上から下まで細い指で洗われるのだってくすぐったい。でもアキラくんがひどいことなんてするわけないし、何よりアキラくんは真剣にオレに向き合ってくれている。今からどんなことを何のためにするのか丁寧に説明してくれるし、尻尾に触る前には必ず一言添えて教えてくれる。オレを尊重してくれているのがよくわかるから、尻尾を預けたことに後悔はない。
 オレのために洗ってくれてんだから少しくすぐったいのくらい我慢できなきゃ男じゃねぇだろ。
 気合いを入れ直したところで、アキラくんの整えられた丸い爪がしつこくこびりついた汚れをカリカリと引っ掻いた。敏感な先端の方を擦られて、手のひらで作った筒で何度も全体を扱くように行き来される。
「ぅひ」
 甲高い声が出てしまい思わず両手で口を塞いだ。アキラくんに変に思われていませんようにと横目でちらりと様子を伺う。尻尾の汚れに集中しているのかアキラくんに変わったところはなくてほっと胸を撫で下ろしたのも束の間。
「く、ぅんっ……あ、あの、アキラくんっ、ちょっと、くすぐったいっス……!」
 少し強めに擦られて仔犬のような声が鼻から抜けた。誤魔化すように慌ててくすぐったいとアピールをして尻尾を揺する。
「ごめんね、でも少し我慢してくれるかな。先端が特に汚れてる、ちゃんと綺麗にしてあげるからね」
「や、あの……ぁっ」
「こら、逃げちゃだめだよ」
 先端を指でくりくりと縒るようにされておかしな気分になってしまう。泡でぬめった尻尾はたまらずアキラくんの指からぬるりと抜け出し、しかし再び捕まってはくりくりと弄ばれる。アキラくんはただ洗ってくれているだけなのに、オレだけが息を乱して膝を震わせていた。
「ん、んっ……ふ」
 早く、早く終わってくれ。このままだと尻尾どころか不自然に腰まで動いちまう。
 左手は口元に残したまま、右手でズボンをぎゅうと握る。こんなことで体の中心が熱くなるのを認めたくなかった。アキラくんの善意にはしたない反応をしているのが申し訳なくて、しかし他人に触れられる初めての感覚をうまく受け流すこともできない。できることといえばアキラくんの手の中で尻尾を硬くしながら声を抑えることだけだった。
「うん、綺麗になった。流していくね」
 満足げに微笑んだアキラくんが尻尾を湯に浸して柔らかく撫でる。流し残しがないかの入念な確認は、何度か桶の湯を張り替えてすっかり泡がなくなるまで続いた。
 やっと終わったと安堵のため息をついた途端に、次はトリートメントだと言われて思わず耳がぺたんと寝そべってしまう。そんなオレの様子に、もうちょっとだから頑張って、と励ましをくれながらもアキラくんは容赦なくトリートメントを手に取った。
「つやつやにするためにしっかり馴染ませようね」
 毛の奥まで浸透させるようにきゅっきゅっと優しく握られる。ぬるついたトリートメントがくちゅくちゅと音を立てているだけでなんだか恥ずかしいような気持ちになるのを止められない。
「ひ、ぅ、う……っん」
 だらしなく開いた口から唾液がこぼれそうになり慌てて飲み込んだが、アキラくんの指が動くたび得体の知れない何かがぞくぞくと背筋を駆けあがる。トリートメントの音なんかよりもずっと恥ずかしくてはしたない声が唇からこぼれ出た。
「はっ……、ん、あっ、ァキラ、く……
 アキラくんの手つきはどこまでも優しくて、柔らかくて、そしてもどかしい。いっそその綺麗な手で強く握って、付け根から先っぽまで思いきり扱いてくれれば……いや、何を考えているのか、そんなことをされたら恥ずかしいどころでは済まない。きっと耳も尻尾もピーンと立てて情けない声で鳴いてしまうに違いなかった。
「トリートメント流すね」
 湯の中でふわふわと踊る毛を、指で作った輪っかで緩やかに拘束されたり。かと思えば輪っかがきゅうっと窄まって優しく尻尾全体を扱かれたり。背筋に走る感覚に目を背けながら、ソープを流したときと同じように何度も桶の湯を交換されるのをひたすらに耐えた。
「よし、綺麗になった」
 終わった、やっと終わった、今度こそ終わった。
 ぶは、と大きく息を吐き出すとアキラくんに笑われてしまった。
 ぽんぽんとタオルで優しく水気を吸い取られていく。腰が落ち着かなくて、気を抜くと膝から崩れ落ちそうだ。
「さあ、最後はドライヤーだよ。僕の部屋に行こう」
 まだあるのか、と顔に出てしまったのだろう。アキラくんはズボンをぎゅうぎゅうに握りしめていたオレの手を取って、小さい子を連れて歩くみたいに部屋へ案内してくれた。

◻︎ ◻︎ ◻︎

 アキラくん本人は自分は一番下の弟子だからみたいに謙遜していたが、やっぱりすごい人なんじゃないだろうか。敷地内の奥まった広い部屋なんて、そんなのだいたい偉い人の部屋だろう。
 オレには使い方さえわからないような機械もある部屋をきょろきょろしているとベッドにどうぞと促されて、躊躇いながら乗り上げた。ひとりで寝るにはだいぶ大きく、マットレスもふかふかだ。
 自然乾燥でいいと言ってみてももちろんアキラくんは聞いてくれない。べたりと座ってシーツを濡らしてしまわないよう心持ち尻を上げて正座になる。アキラくんが膝の上に尻尾を乗せて手櫛で毛並みを整えてくれた。いい香りがしたのでスンと鼻を鳴らすとどうやらオイルを使うらしい。
「アウトバス用のオイルだよ。乾燥防止と艶出しにいいんだって」
 使いすぎるとベタついてしまうから、と白いてのひらに薄く広げられたオイルが尻尾全体に馴染んでいく。柔らかく揉み込まれてまた体が熱を持ちそうになるのでこっそりと太腿に爪を立てた。熱すぎない温度でドライヤーの風が当てられブラシで梳かされていく。濡らす前に使った荒いコームとは違う目の細かなブラシだ。アキラくんの手がブラシを動かすたび毛がふんわりと空気を含んでボリュームを取り戻していく。毛を逆立てるように先端から根元に向けて風が抜けていくのが気持ちいい。あらかた乾けば最後に毛並みに沿って風を当ててブラシで整えて、これで本当に終わりだ。
「うわ……ジブン、尻尾がこんな綺麗になったの初めてっス」
 アキラくんの手によってオレの尻尾は今まで見たことがないくらいにふんわりつやつやとしていた。まるで自分の尻尾ではないようにさえ思えるのに自分の意思でゆらゆらと動くのだから不思議な気分だ。
「頑張ったね、お疲れ様。桶を返してくるから狛野くんはゆっくりしていてくれ」
 そう言ってアキラくんがベッドから腰を上げる。
「あ、いや、オレは」
 オレはただ立っていただけで、頑張ったのも疲れたのもアキラくんの方なのに。続く言葉を綺麗な微笑みで遮ったアキラくんは優しく頭を撫でてくれた。
「汚れたらまたおいで。今度はお風呂で耳も洗ってあげる」
 アキラくんの白い指先が侵蝕でパサついたままの耳の輪郭をくすぐる。同時に吹き込むように囁かれた声はどうにも妖しく色っぽくて耳の毛が逆立った。
「あと……部屋にあるものは好きに使ってくれていいから」
 ちらと目配せされたアキラくんの視線の先にはボックスティッシュ。え、と声に出す間もなくアキラくんはひらひらと手を振って出て行ってしまった。
 しん、と静かになった部屋でふにゃふにゃとベッドに倒れ込む。清潔なリネンの香りの奥にわずかにアキラくんの匂いがした。鼻がいいのも考えものだ。視界の端にボックスティッシュがちらつく。いやいやいやいや、さすがにそれは合わせる顔がない。そもそもどうにかしなければならないほど切羽詰まってはいない。
 アキラくんはいつから気付いていたのだろうか。嫌悪感はなさそうというか、むしろ楽しんでいそうだったけれど。
 尻尾を洗ってあげると言われたときはシリオンに詳しくないから軽々しくそんなことを言うんだと思ったのに、実はわかっていたのだろうか。もしそうだとしたら。オレが尻尾を許すくらいの信頼関係はあるとアキラくんが思ってくれているのだとしたら……それはちょっと、いや、かなり、嬉しいかもしれない。くふん、とご機嫌に鼻を鳴らせばふわふわの尻尾がなめらかにシーツの上をすべる。
 ひとまずオレはこのゆるゆるとした疼きをどうすべきか、アキラくんの足音が聞こえないうちに決めなければならなかった。