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くこ
2025-07-16 22:51:37
6987文字
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過子×拓海(ハンドラ)
今馬×拓海の続き
手鏡を覗き込んで、過子は前髪を整える。後ろの扉が、いつ開いてもいいように、準備をしている。
ふわふわとした高揚感。嬉しい、楽しい、わくわくする、そういう、柔らかく甘い、優しいものをすべて混ぜてこねたものが、過子の胸を占めている。だから、最近、とても機嫌がいい。
今までの自分といったら、自分でもうんざりするほどの悲壮感を漂わせていて、少し思い出すだけでも目をそむけたくなる。あんなに陰気な顔をして、今馬に言われるがままに色々なことをさせて、自分だけが安穏としていただなんて、考えられない。戦うチカラを得られて、本当に、よかった。
澄野は、過子を一人の女性として認めてくれた。否、一人の人間として、認めてくれた。初めて顔を合わせたときから、妹ではない、他の何者でもない、ただの過子として接してくれた。未来からやってきたと言っていたから、もしかしたら、別の世界線の過子を知って、そうしてくれていただけかもしれない。それでもいい。今この時、過子を一人前として尊重してくれたのは、まぎれもなく澄野その人だけだった。
澄野にまとわりつくようになってから、今馬も、過子のことを名前で呼ぶようになった。扱いはまだ妹としての色が強いが、それでも、有無を言わさぬ「妹ちゃん」よりも、はるかにいい。
だから、過子は、機嫌がいい。
ぽわぽわ、ふかふか、心地のいい綿毛のような、手触りのいいシルクのような、舌でとろける生クリームのような、目を楽しませるカラフルなゼリーのような。
ずっとずっと感じていたい、甘い感情だ。
かたっ、とドアの金具が鳴る音がする。
過子は髪の毛をなびかせながら、くるりと振り向いた。きっと、すぐそこにあるはずの赤色を探す。
「
——
?」
笑顔は、怪訝な顔に変わった。
たしかに、四方に跳ねる赤髪は、予想通りの位置にあった。でも、そこにあるはずのない色も、同時に存在していた。
「お兄ちゃん
……
なんで、澄野先輩の部屋から出てくるの?」
咄嗟に、名前で呼べなかった。
兄は、ゆるく笑みをたたえていた。動揺は、特にしていないように見える。だが、今馬があからさまな感情を見せるときなんて、過子に何かあったときくらいしかないから、それはあまり参考にならない。
代わりに
……
と、言っていいのかわからないが、澄野が、慌てた様子で過子の名を呼んだ。澄野の声が自分の名前を呼んだので、少し、機嫌を直す。
「過子
……
えっと、今馬は、少し、相談があって」
「お兄ちゃんが、澄野先輩に? 自分に黙って?」
「
……
それは
……
えっと
……
お、オレ、オレが、今馬に、だ!」
ぐっ!と、澄野がこぶしを握る。
いかにも、たったいま取り繕いました、といったていであるが、否定するだけの素材を用意できていない。過子は、下から見上げるようにして、澄野の目をじっと見つめた。
今馬が、過子と澄野との間に、体を挟んだ。
澄野に、背を向けて、過子に、顔の正面を向けて。
それは、過子がいつも見ていた光景と、真逆。
「ご飯に誘いに来てくれたんすよね? こんなとこにずっと立ってても、暑いだけっすよ。さ、行こう、妹ちゃん」
「
…………
」
過子に合わせるかのように、過子の名前を呼ばない今馬を、睨む。
直感が告げている。
今馬は、今日の朝、澄野に何かしたのだ。
名探偵過子は、それを白日の下にさらさねばならない。
「おい、今馬
……
過子がめちゃくちゃ怪しんでるぞ
……
いいのかよ
……
」
ぷくっと頬を膨らませたまま前を歩く過子に聞こえないようボリュームを落として、澄野が今馬に耳打ちをする。
よくないに決まっている。そんなわかりきったことを聞くだなんて、やはり澄野は愚鈍である。
「
……
仕方ないんすよ。今は、何を言っても、無駄っす。妹ちゃんのなかで、もう、自分らは容疑者なんで」
「というか、被告人になってるような気もするけど
……
」
澄野先輩にその違いがわかるんすか?と嘲り笑えば、澄野は、オレは高校生だ、と喚いた。高校生だからといって、相応の知識が身についているかどうかは別だろう。
今馬はあのあと、過子からどう隠そうかと考えを巡らせていたが、結局、あまりいいアイディアは浮かんでいなかった。よかったことといえば、澄野の髪型が坊主ではなかったので、耳の傷が髪で隠せていることくらいか。それも、いつバレてしまうか、わかったものではない。血は滴っていないが、かさぶたになりつつあった。
ちらりとその傷跡を見止めて、今馬は前に向き直る。そろそろ、食堂に到着する。ドアの前に立った過子が、初めて後ろを振り返った。
「
……
中で、ゆっくり聞かせてもらうから」
むう~、と、むくれる過子は、この世の何より可愛らしい。今すぐに抱きついて頬ずりをしてしまいたいくらいだ。だから、隣で顔を青ざめさせている澄野の態度は、失礼極まりない。澄野の足首を蹴り飛ばす。
「っ、な、に、する
……
」
「不細工な顔してないで、さっさと入るっすよ」
痛みに文句を発した澄野を素通りし、今馬は、過子の後に続いて食堂へと入る。行き場のない怒りを持て余し、澄野は手を伸ばしかけたが、今馬の体に触れることはためらわれて、諦めてこぶしを握り込んだ。
相変わらず、双子の食事は一般人の食欲を削ぐ。本人たちがいいと言っているのだから、他人が口出しすることではないのだろうが、それでも、なぜ
……
という気持ちにはなる。澄野は、ケチャップやらマヨネーズやらにまみれた食事から目を逸らした。
「それで。澄野先輩は、今馬に何を相談してたの」
まずは言い分を聞いてやろう、という、名探偵の寛大な措置だ。
ちらちらと横の今馬を見ながら、澄野がたどたどしく口を開く。そんなに動揺していて、本当に本当のことを言っていたとしても、怪しまれてしまうとは考えないのだろうか。素直なことは、いいことだが。
「その
……
アレだ。男同士のことだから
……
その、過子にはちょっと、言いづらい」
「自分だって、人並みの知識はあるよ。からかったりしないし、むしろ、アドバイスできることがあるかも」
澄野の『相談事』とやらが何かは不明だが、過子にだって年相応の知識がある。それに、特防隊に入ってからは、先輩女子たちから色々な話も聞かせてもらっている。まったく役に立たないなどということはないはずだ。
澄野は、眉をハの字に下げて、口ごもる。
澄野が、他者の善意を簡単にないがしろにしないことを、過子は知っている。今馬も知っている。
相談があったというのは嘘だと、とっくのとうに気が付いているが、今馬の出方を見るために、その嘘に付き合う。会話は澄野としているが、実際は、その隣の兄と駆け引きしているのに等しい。
今まで、今馬の考えていることは過子の考えていることだったし、今馬の振る舞いは過子のためのものであった。だから、たとえそれが自分の自由を奪うものだったとしても、意思としては同一であったので、異を唱えることをあまりしてこなかった。
もちろん、行き過ぎた過保護の場合もあったし、細部の意見が食い違うことはあった。でも、根底に、過子を守るという今馬の強い意志があったから、何も、言うことができなかった。
今回は違う。
それを、過子はもしかしたら、喜んでいるかもしれない。
「今馬とべったりじゃなくなろうとしたのは、自分が先だから
……
今馬が、好きなように動くことに、文句はないよ」
でも、と、過子がスプーンを置く。
正面に並んで座る、澄野と今馬の2人を視界に収めて、目をすがめた。
「コソコソするのは、違うと思う」
仲間はずれにされて、ふてくされているように見えてしまっているかもしれない。それでもいい。実際に、そうかもしれない。
今馬はきっと、過子の気持ちに気付いている。もしかしたら、澄野自身も。
淡い恋心と言っていい、澄野への感情。
何をどうこうするまで至ってはいなかったが、状況が変わるならば、対応も変えなければならない。
ふ、と、今馬が息を吐いた。過子は、二人の中間に置いていた視線を、今馬の方へ向ける。
「食事、ほとんど終わったみたいっすね
……
ここじゃ目立つんで、部屋に戻りましょうか」
今馬の言うとおり、3人の前に置かれた皿には、ほとんど食べ物は残っていない。
話す気になったのかと考え、過子は最後のひとくちをスプーンで口に運んだ。
澄野の部屋まで戻ってきて、今馬が話し出すのかと思ったが、口火を切ったのは澄野の方だった。表情には出さなかったが、過子は、今馬がそれを意外に思ったのを読み取る。
澄野は、過子の目をまっすぐ見つめて、「オレには大切な幼馴染がいるんだ」と言った。
「カルアっていうんだけど
……
実は、霧藤にすごく似ててさ。似てるっていうか、オレからすると、本人そのものなんだけど。でも、名前も違うし、オレと幼馴染だった記憶もないって言ってて
……
」
過子は、じっとして澄野の言葉を聞いていた。今馬も、口を挟まずに聞いている。
双子をベッドに並んで座らせ、澄野は椅子に腰かけていた。二人並んでじっとしているさまは、まるで可愛らしい飼い猫のようだな、と澄野は思う。
「その話をしたのも、タイムリープをする前だし
……
だから
……
その。今の霧藤とは、別に何でもないんだけど
……
あ、いや、カルアとも、付き合ってたわけじゃないけど
……
、そ、それは置いておいて」
誰に咎められたわけでもないのに、恥ずかしくなって、澄野がコホンと咳払いする。双子が微笑んでくれるかとも思ったが、真顔のままで澄野の言葉を待っていた。その様子を見た澄野は、膝に乗せたこぶしを握り締め、居住まいを正す。ゆっくりと、まばたきをした。
「オレの心の中には、ずっと、カルアがいる。カルアは、オレが絶対に守ると決めた女の子で、オレは、その約束を果たさなくちゃいけない」
澄野は、双子の顔のまんなかあたりを見ていたが、不思議と、二人ともと目が合った気がした。どちらからも、反応は無い。もしかしたら人形にでもなってしまったのではないかと、心配になる。オカルトじみている発想だが、特防隊として戦っている現在の状況だって、一般人からしたら、十分にオカルトだ。これ以上のオカルトが発生しない、と断言することなど出来ない。
澄野の抱いた明後日の心配は、数分後に払しょくされる。過子が、口を開いた。
「澄野先輩が言いたいことは、わかったよ」
「そうか、わかってくれたか」
澄野は、ほっとして顔をほころばせる。自意識過剰なことを言ってしまったと、後から羞恥心に襲われていたが、過子が理解を示してくれたということは、そう見当はずれでもなかったということだろう。
こういう牽制の仕方がいいのかは、わからない。けれども、いい機会だと思った。今馬もきっと、これで納得してくれるだろう。丸く収めることが出来てよかったと、胸を撫で下ろしていると、澄野の視界が反転した。
「えっ」
椅子に座っていたはずなのに、自分の背中に布団が当たる。今朝もあった出来事。一瞬のうちに、ベッドへ押し倒された。
今馬ではなく、過子に。
「えっ?」
もう一度、澄野が声を上げる。何が起きたのか、理解できない。視界の端に、呆れたような顔をした今馬が見えた。隣にいるのだから、何かしら助け舟を出してくれてもいいのではないか!
その訴えを拒否するかのように、今馬が顔をそむけた。足を組み、膝の上に頬杖をついて、我関せずを全身で表現している。
「なんで、今馬、おまえ朝はっ
……
」
真逆の忠告をしてきてただろう!と、言いたかったが、叶わなかった。
両手で澄野の肩を押さえつけた過子の顔が、目の前にあった。
普段はあまり思わないが、間近で見ると、造形が似ている。双子だもんな、現実逃避で目の前とは関係のないことを考えた。
乱暴に払いのけるわけにもいかない。しかし、このままにしておくことも、いけない。気がする。今馬が助けてくれれば、それで済む話なのに。なぜ、シスコンの兄が動かないのか、澄野にはまったく理解が出来ない。
今馬のときとは違って、舌は入れられていない。だがそれも、「まだ入れられていない」と表現した方が正しい。耳年増な過子は、経験がなくとも、どうすべきかは知っている。
左手をごそごそと動かし、今馬の制服の裾を掴む。下手に過子の体に触れでもしたら、今馬からナイフが飛んできそうだ。いや、現状を許されているのだから、ナイフは飛んでこないのか?
今馬が気だるげに振り返る。半眼で澄野を見下ろしてくるが、動く様子は無い。なぜ。なぜだ、九十九今馬。今こそ動くべきだろう。
「あ、」
声を発そうとして、澄野の口が開いた瞬間を、過子はもちろん逃さなかった。
「ひゃ、
……
っ
……
」
制止の意で、過子、と名前を呼ぼうとしたが、音にはならなかった。
過子の舌は、今馬より少し小さく、薄かった。甘い味がする。先ほどの食事に、ジャムがたっぷり乗っていたからだろう。イチゴだ。女の子らしい。たしかに、そういう甘酸っぱい経験をしたいと、望んだことはある。あるが、双子の兄もいる部屋で、心に決めた
――
はずの、女がいる状態で、受け入れるべきものではない。
どうしよう、と、混乱するなかで、澄野は考える。いい案は浮かばない。
だから、今馬が頼りなのだ。それなのに、彼は一向に動く気配がない。いの一番に阻止しそうなのに。今馬のことがわからない。
(
……
とか、考えてるんすかね)
今馬は、澄野の心中を推測する。
なんてことはない。今馬が動かない理由なんて、当然、過子にしか存在しない。ここで邪魔をしたら今馬は、過子から一生恨まれるし、嫌われる。だから、邪魔をしていない。それだけだ。
めずらしいことではある。今馬は、たとえ過子が望んだことだとしても、自分の意に沿わないことは、けしてやらせなかったし、今でも、やらせないと思っている。だからつまり、今馬は、心の底では認めている。過子が、澄野を好きだということを。そしてそれが、邪魔をしたら兄でも敵視するくらいに、相当に大きな感情であることを。
妹の恋路を、妨げることはあっても、許容するなんて、思っていなかった。
いずれは認めなければならないだろうとは考えていた。でもそれは、もっと大人になった後のことでいいと考えていたし、学生のうちに認めるつもりなどなかった。自分の感情は、恋情慕情を超越したもっと崇高なものなので、その立場になるものではない。恋人など、口約束でしかなく、簡単に切ってしまえる関係性なんて、自分たちの間にふさわしくない。
澄野の左手は、未だに今馬の服を掴んでいる。もう片方の手は、所在なさげに、過子の背中で右往左往している。
かわいそうに。
今まで、執着の強い人間に関わってこなかったのだろうか。
今馬が「そういうこと」から遠ざけていた反動か、過子は、漫画や雑誌でよく恋愛ものを読んでいた。今馬が送迎した夜の蝶とキスをしているのも、陰からこっそりと見ていたことが何回もある。だから、初めてだとしても、正真正銘初めての澄野より、よっぽどうまくやれるだろう。まあ、本当の初めては今馬が奪っているので、厳密には初ではないのだが。それは、過子には言わないでおく。
「すみのせんぱい」
熱っぽい声が、澄野を呼ぶ。鈴のような、可愛らしい過子の声。澄野の体が、大げさなくらいに揺れるのがわかる。同じベッドに座っているので。
澄野の指が、ひときわ力強く今馬の服を引く。無意識だったかもしれない。
溜息をついて、今馬が口を開いた。
「過子。そのへんにしておきなよ」
過子が、ゆっくりと今馬を振り返る。頬は膨らんでいなかった。過子自身も、初めての経験にいっぱいいっぱいではあるのだろう。
ハイハイ、と、今馬は手を叩いた。
「澄野先輩も、これでわかったっすよね? さっきの説得が、逆効果だった、ってこと」
「
……
な、なん、で
……
だよ
……
」
胸の上に過子を乗せたまま、澄野があえぐ。童貞が、今馬が視線だけで罵倒する。
「カルアさんっていう、大切な幼馴染がいる。幼馴染ということはつまり、ここには居ない。少なくとも100日目を迎えない限り、二人が再び出会えることはない。その人に似てるっていう霧藤先輩とは、今回、その話をしていない。でも、今後、可能性はある。だったら
……
」
「今のうちに、澄野先輩をオトすしかないよね」
今馬の言葉を、過子が続ける。
ちゅっ、と、またしても可愛らしくキスをされた。今度は、舌は入ってこなかった。
「まあ、諦めてくださいっす。自分ら、温室育ちのお坊ちゃんたちとは、違うんで」
そう言って今馬が見下ろすと、澄野は、目を見開いた後、過子の背中を押さえて起き上がった。過子を抱き込むかたちになることを、澄野は意識していないに違いない。腕の中の過子は、笑ってはいなかったが、嬉しそうだ。
前途多難だな、と、今馬がまた、馬鹿にしたように笑った。もちろんその道は、澄野にとっての話である。
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