らん
2025-07-16 20:45:55
7951文字
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ちかやま

新刊最初のあたりを尻叩きにアップ


 あなたの御手が昼も夜も、わたしの上に重かったからである。
 わたしの力は、夏のひでりによってかれるように、かれ果てた。


「無い」
 その一言を棪堂哉真斗は聞き逃さなかった。
 おもむろにキッチンへと足を運んだ焚石矢の様子には気づいていた。いつものように無表情のまま壁に設置されたテレビを眺めていたかと思えば、棪堂がクローゼットに詰めておいた私服に着替え、それからまたソファに座って無表情でどこか遠くを見るだけ。そこから立ち上がり向かった先、キッチンで冷蔵庫を物色し、焚石はそうぽつりと呟いたのである。
「悪ィ、なにか食いたいモンあったか?」
「アイス」
「あー……
 嗜好品を比較的口にするのは棪堂だ。焚石も気が向けば食べるものの、自ら求めて食べる事はそう多くない。先週まで冷凍庫にはいくつかカップアイスを入れていたはずだが、棪堂が2つほど食し、残りの数個を既に消費していたらしい。気付かなかった事に謝罪し、ちょうど着替えも済んでいる焚石に対して棪堂はにこやかに誘いをかけてみた。
「近くのコンビニでも行くか? 焚石の食いてーモン買おうぜ」
 こういう時、大体焚石は無表情で頷く。自らの欲求に素直な棪堂の神様は、いつだって気の赴くまま生きているからだ。
 食べたいから食べる。寝たいから寝る。殴りたいから殴って、蹴りたいから蹴る。勝ち負けや理性、プライド、複合的な精神論の類は全て焚石矢にとって意味を為さない。何故なら焚石矢は神であり、そこにあるのは一次的でただ純粋な欲だけである。二次的な意味づけなど、焚石にとっては足枷でしかなかった。
 棪堂はそう理解しているし、焚石自身に正誤など尋ねた事は無いが、大抵の場合それは正解、もしくは、興味さえ無い選択でしかなかった。合わない場合は純粋な力でねじ伏せられるだけであり、至ってシンプルな解はいつだって棪堂にとって心地良いものだ。
 それだから、今日の返答は棪堂を戸惑わせるのに一役買うだけの威力があった。
「お前の選んだ物でいい」
 はて、と口に出さなかっただけでも褒めてもらいたい。
 棪堂は焚石からの即答にいくらか瞬きを繰り返し、それから一応の確認を重ねる。
「オレの選んだモンって……食いたいヤツねーの?」
「棪堂哉真斗が選んだものでいいと言っている」
「いや、ああ、うん……? んじゃ、とりあえず焚石が気に入りそーなアイス選んで買ってくるわ」
 三度目の正直は神様に通じない。棪堂はすぐさま焚石の発言を飲み込み、脳内で彼の意図を鑑みていく。
(冷たいモンがいいけど、味に拘りはねえってところかな。ついでに家から出る気分でもない、と)
 誕生日プレゼントとして梅宮とのタイマンを綿密に計画した結果、焚石は大層満足したのかここ最近はずっと機嫌が良い。共に暮らしている棪堂だからこそ分かる変化かもしれないが、あの日以降自分の名前を呼ばれる事も何度かあった。その焚石が、今日はアイスを選ぶ事を任せてくれている。
 両腕に入った墨を隠すために手ごろな位置に置いてあったシャツを羽織り、棪堂は焚石に何か言葉を掛けることもなく家を後にした。
 この家では挨拶が無い。言ったとしても焚石は反応もしないし、本人から発せられる事も無いからだ。周囲の住人も基本は棪堂と焚石を避けているため、ふたりが交わす挨拶といえば命令と承諾が良いところではないだろうか。
 それでも、その命令には少しだけ棪堂の意思が介在しても許されるようになった。
 望んでなどいなかったが、与えられるのならば心地良い。梅宮一という人物のことはとかく嫌いだが、焚石を笑顔に出来るのも梅宮だけである。ただその一点だけ、棪堂は梅宮に対して譲歩している。
 焚石が喜ぶなら、それでいい。
 だから、今日のアイスも焚石の気に入りそうなものを買いたい。
 オートロックのエントランスから出ると、むわりとした蒸気のような湿気が全身に纏わりつく。雨の匂いと薄暗い空に分厚い雲を視認し、棪堂はひとつだけ溜息をついた。
 一番近いコンビニエンスストアで片っ端からアイスを買い込み、大袋ふたつぶんに詰まったそれを両手で持ちながら帰路を辿る。その最中に降り出した雨の勢いは強く、手に持っていた袋を抱えて少しでも濡れないように両腕に抱えてほうほうの体で棪堂は駆け出した。直線距離としては遠くないが、コンビニと棪堂たちの住むマンションまでには横断歩道が2カ所存在している。これがなかなか厄介で、ショートカットするように道路交通法を無視した。
 それでも全身は雨にまみれ、アイスも上の方は濡れている。ビニール素材の包装は良いとしても、問題はカップアイスだった。
「うーわ、これ凍らせたら平気か……?」
 誰にもはち合うことなくオートロックを開け、数十分前に出たマンションへと戻る。エレベーターで自身の住まう階まで上がり、玄関扉を開けようとしたところ、なぜか鍵がかかっていた。
 これは異常事態だ。
 棪堂はすぐに扉を引くことは止め、ゆっくりとしゃがむ。買ってきたばかりのアイス達は扉脇に丁寧に置いておくと、今度はドアノブに手を掛けた。
 濡れそぼったデニムが肌に張り付くが、現状としては好都合だ。それでも、家の鍵がカードキーのせいで解錠音が鳴ってしまう事は惜しい。これが物理キーならもっと方法があるのに、なんてゴチたところで何が変わるわけでもなく、それでもなるべく音を立てないようにカードキーを差し込む。
 ガチン、と解錠音が耳に届き、棪堂は先手必勝とばかりに低位置のまま居内へ勢いよく入り込む。すると、そこには誰も立ちはだかっていなかった。
 全身濡れたままお構い無しに部屋を観察し、トイレや浴室まで確認したものの、おかしな点はひとつもない。棪堂が出る前に記憶されている居内と様子は何も変わっておらず、しいて挙げるならば、普段は絶対に動くはずのない焚石のカードキーが玄関先から無くなっていた。
 そして、焚石本人もどこにも居ない。
「もうアイスに興味なくなっちまったかー」
 つまるところ、鍵を掛けて焚石は出ていったのだ。何処かしらに、ひとりで。
 べつに今更どこに行ったのか確認などしない。焚石の行動は焚石にしか基本縛れないのだ。時たま縛れるのは梅宮くらいで、棪堂に出来るのは誘導くらいのものである。焚石のスマートフォンも見当たらないので、当人の意思での外出だろう。
 てっきり誰かが侵入して待ち伏せでもしているのかと考えたが、もし焚石が在宅だったら返り討ちにしているはずだ。考え過ぎだった自身に苦笑し、ようやく棪堂は雨にまみれた自身の服を雑に脱ぐ。
 タンクトップのまま一度外に出て扉脇に大事に置いておいたアイス達を拾い上げると袋のまま冷凍庫内へしまい込み、濡れた床を綺麗にし、いつ焚石が戻ってきてもいいように玄関はいつものように開けたまま、ようやく棪堂は自分のためにシャワーを浴びに行った。
 結局その日、焚石が戻ってくることは無かった。

 焚石が戻ってこないまま一週間が経った。この程度の外出は些事ですらない。スマートフォンの充電はおそらくもう切れているだろう。いつ戻ってくる? なんて聞かない。前にも何度かこんな事があったからだ。
 15日が経った。最長記録かもしれない。どこかへ旅に出たんだろう。もしかしたら、焚石は棪堂を置いてひとりで面白い奴を探しに行ったのかもしれない。オレだって手伝うのになあ。ごちた声はひとりの居内で霧散する。
 あの雨の日、焚石を追えたりしただろうか。雨で痕跡は全て掻き消えている。尚更無理だろう。そんな事を考える意味も、キャパシティも勿体ない。
 一ヶ月が経った。今日も鍵を開けたままの扉はひらかない。挨拶なんてしないから、帰ってきていたとしても分からない。そんな戯言は棪堂哉真斗自身の脳が否定する。完全記憶保持は時たまひどく残酷だ。忘れたい事も忘れてはくれない。
 ここで確かに自分達は暮らしていた。数年一緒に過ごしてきた。焚石が一番気に入っていた服が残っている。焚石の手に馴染んでいたコップだけは割れていない。そこかしこに神様の痕跡があり、記憶は焚石を描くのに、この家に焚石矢は居ない。
 正常とは、一体なんなんだろうか?
 箱庭の崩落はあまりにも呆気なかった。



鍵のかけ方



1.砕けた魂

 焚石矢が自分と住んでいた家に帰ってこなくなり、気づけば二ヶ月近く経つ。
 もし本当にひとりで過ごしたいが故の旅行だったら申し訳ないが、あの焚石がひとりで行動して何も起こらないとは棪堂には到底思えなかった。
 自分のような誰かが焚石と行動を共にしているのかもしれない。そんなこと、あり得るだろうか?
 棪堂は自分の価値を俯瞰して見ることが出来ている。どこぞの馬の骨よりは有用性を示してきたし、それを買われて焚石の隣に居ることを許され、最終的に一緒に暮らすようになったと思っていた。
 焚石自身はそこまで考え及んでいないだろう。ただ、そこに棪堂がいて、棪堂が勝手に用意したものの中で選択をしただけであり、焚石が自ら望むものはいつだって棪堂が用意したくないものにも近い。
 焚石にではなく、周辺に居ると思われる誰かに苛つく。自分ではなく、焚石のお眼鏡に叶う人間がいたのだろうか。どこで見つけたんだろうか。そんな人物など、ずっと一緒に過ごしてきた棪堂には梅宮一しか思い浮かばなかった。
 焚石に連絡をしようと思った回数は一度や二度ではない。けれど、焚石はそもそもスマートフォンを持ち歩かない。この家から焚石のスマートフォンと財布も消えていたので持っていったのだとは分かっているが、本当に繋がるかは不明だ。
 意味が無い事はする意味さえも存在しない。結局、棪堂は焚石に連絡をしなかった。
「梅宮なら出るかもなー」
 ひとりの室内、記憶のストレージを埋めたくなくていつもなら見ないはずの興味もない映画を流していたが、やはり憶える価値も無さそうだ。なぜこれが世間のランキング一位を獲得出来るのか。使い古されたセオリーに、ハリボテの演技。つまらなくて反吐が出る。
 ひとりでも何かと話す癖は抜けない。焚石には何年もこうして話しかけていたか。棪堂にとっては今も昔も変わらないルーティンだった。
「そもそも焚石って電源も切ってるからな……梅宮でも出ねぇか」
 むしろ、出ないでほしい。
 なんて、どの口がほざくのか。
 焚石矢の行動は縛れない。なぜなら、焚石矢は棪堂哉真斗にとっての神様である。神様は、決して人間に縛られない。執着はしても、その執着は神から授けられる恩寵であり、呪いでしかない。
 それなのに、自身の名前を覚えてもらっていた。それだけで舞い上がっていた。
 舞い上がっていたから、少しでも興味を持ってもらえていたと、何かを恵んでもらえると、自分を見てもらえていたと錯覚していたのかもしれない。
 こんなに呆気なく終わるほど、歯牙にもかけない人間だったのに。
「どうして、どうせ戻ってくると思ったんだろうな」
 そんなものは自明の理だった。一番の安寧と希望を与えられていると誤認していたからだ。敬虔な使徒だと、少なくとも一番使える人間だと自分で納得していたから。
 焚石の中で自分の上位互換が居るかもしれない事実には辟易とするが、こればかりは仕方ない。棪堂は全知全能ではなく、焚石のために粉骨砕身この身を捧げたかっただけである。見返りを求めてはいけない。理解している。
 何も貰えなくたって良かった。名前を呼ばれなくても、あの瞳が自分を映さなくても、たったひとつ、神様と同じ消えない傷が傷がある。それだけでこの世を生きていくには充分だった。これは棪堂の本心だ。
 けれど、まだ、あと少しだけ。
 焚石が自分に興味を失っても、棪堂はまだ焚石矢に興味がある。
 オレの神様。もう少しだけ、まだ足掻いていたい。

 桜遥という人間は自虐的で、自尊心がない。そのくせ他者共感は出来、自罰的な態度故に自己犠牲を厭わない。そういう人間は独りであればあるほど輝いて、まるで一番星の最後の煌めきのように綺麗だ。
 焚石矢とは全く違う道を歩いている人間である桜だけは、棪堂哉真斗という人間を棪堂哉真斗として存在を視認した。その姿に惚れたと言えば心底不思議そうな顔をされたが、少なくとも約束通り茶をしばいてくれる程度にはまだ縁が続いている。
 神様と同等だったり、人間としては異物のような輝かしい称号を貰うことは棪堂にとってありふれた事象だった。しかし、桜は棪堂をただの人間として扱う。人間としてすら視認されていなそうな焚石を神だと崇めるようになってから、是も否も含まずに棪堂をフラットに人間として見てくるのは桜くらいであった。
「最近の風鈴はどうだぁ? そろそろこっち来る気になったか?」
「行かねぇって。もう妥協してんのに、諦めてないフリすんな」
 そして、最近の桜は周囲の影響を受けてかどんどんと惚れた姿からは離れていく。本来の桜に戻っている、というのが正解だろうか。タイマン以降ふたりで話をするようになってから、棪堂は桜の本質をどことなく悟っていた。眼前の男は、存外常に冷静なのだ。それが嫌いな人間とまるで似た性質であることも理解しており、僅かに煩わしい。
「あ〜あ、寂しーぜ」
「つか、ここのコーヒー美味いな」
「だろぉ? 焚石には不評だったんだが……
 桜と会う時は風鈴からひとつかふたつ駅を離れた距離の公園や、棪堂が見繕った外のカフェなどが多い。今日は後者であり、以前焚石が気に入りそうな店を探していた時に見つけたうちのひとつに入店していた。
 最後に会ったのは焚石が居なくなるより前だ。近況を聞いていると夏休み故かやれ海に行っただとか、友人と遊んだという話が多い。棪堂はいくらか相槌を打ちながら聞き役に徹していた。
 ふと桜は自分が話しすぎたと悟ったのか、お前はどうなんだと棪堂に話を振ってくる。まだ話してて良かったのに、と内心で思いつつも棪堂は当たり障りない回答を口にした。
「アイス買いに行ったり、映画見たり?」
「お前はいつでも夏休みってか……
「なはは、そりゃーそう。そーいえば今の風鈴って夏休みの宿題とかあんのか? 勉強教えてやろうか」
「いい。なんでオレが出来ねぇか分かんなそうだし。……クラスの奴等が教えてくれる……
 少しばかりはにかむ桜を前に、棪堂は誤魔化すように口角を上げる。
 桜は意外と鋭い。研究などでなければ、学校の授業など教科書をなぞるだけだ。一度読めば覚えてしまう棪堂にとっては学問、勉強が分からないという状況そのものが分からない。
 躓くポイントというものがてんで理解できないのだ。教科書に読めば書いてあることを問われるだけのテストで学力が測れるというのだから、この世は随分単純だとも思うが、ひとえにそれは自身の能力があるからだということも棪堂は充分に理解していた。
 そして、自分には出来ないポイントさえ一度他者から学びさえすれば教える事だって出来る。
 それなのに、焚石矢はいつだって初めて見せる顔がある。だからこそ彼奴を神様だと頭を垂れるのだった。
「オレが勉強出来るのはまあ否定しねぇが、寄り添うくらいできるぜ?」
「胡散臭え」
「おいおい、ひでーなぁ」
 夏でも薄手のシャツとハイネックを着ている棪堂を一瞥し、桜はそのまま目を逸らさない。視線に気づいた棪堂も見つめ返すと、いくらか経って桜から目線を外された。コーヒーと共に頼んでいたアイスに食指を伸ばし、ひとくち含む様まで見送っていると、もう一度視線がかち合う。
「で、今日は何の用だ」
「べつに何も? 桜と話したかっただけ」
……いつもうるせーくらい喋るヤツがオレに話させるなんて、なんかあると思うだろ……
 じとりと睨まれ、棪堂はたまらずに感極まってテーブルに肘をついた。掌に頬を寄せると、満面の笑みで素直な称賛を送ってやる。
「この短期間で成長してんなぁ……! やっぱオレのとこ来るか」
「行かねぇって。焚石? のこともよく知らねぇし。お前の話だとなんか……神様ってより……
 その後の台詞は大抵聞き覚えのある蔑称が続くことが多い。いくら桜でも容認出来ない事がある。棪堂は笑顔で桜の口を封殺すると、相手からは溜息が返ってきた。
 涼しい店内でもアイスはゆっくりと溶けていく。溶け始めたアイスの端を掬いながら、桜は仕切り直すように今一度棪堂へ問いかける。
「なんか探ってんなら、オレが分かるわけもねぇよ。タイマンしたお前が一番理解してんだろ……複雑な事は得意じゃねえ」
「桜はよく見てるだろ。瞬発力は高いしな」
……本当になんか探ってんのか? あの街に関してなら、オレは絶対協力しない」
 射抜かれる瞳の強さは揺るがない。突如増した殺気を感じ、棪堂はまるで犬でも落ち着かせるようにどうどう、と声を発しながら両手を振った。
「手ぇ出さねぇって言ったろ。関係ねーよ。焚石が風鈴に行ってねえかと思ってよ」
「焚石が?」
 なぜ焚石が、とでも言いたげな顔をしたものの、屋上でのタイマンを最後まで見届けた桜はすぐに意図を悟ったようだ。
……いや、梅宮も流石に風鈴には呼ばねぇと思う。お前らに対する反応の悪さはあいつが一番分かってるだろうし……
 かくいう桜も棪堂と会うことに関しては苦虫を噛み潰したような顔をされて送り出される事が多いのか、覚えのありそうな雰囲気が滲み出していた。
 アイスを食べ続けながら桜は少し宙を見上げ、いくらか記憶を巻き戻してくれたようだ。
「街でも会ってねぇな。あの炎みたいなロングヘア、目立つし」
 確かに焚石の髪は派手な色合いであるから、記憶に残りやすいのは仕方ない。しかし、それは彼の本質ではない。見た目なんていくらでも変えることが出来る。もし棪堂と似たような性質の人物が焚石の傍に控えていると仮定した場合、まずは見た目から変えさせるだろう。
 案外桜も平凡であることをすっかり忘れていた。やっぱり独りの方が感覚が鋭敏になるんじゃないかとちょっかいをかける気になったものの、コーヒーでその考えは胃に押し流す。
 空振りに終わるだろうと思っていたのも事実であり、棪堂に大した落胆は無い。探そうとするのが土台無理な話かもしれないが、棪堂は既に一度焚石を見つけ出した事がある。その時は小学校を転校し、そして今、一緒に此処まで堕ちた。
 自分としては天国に近づいているが、周囲から見れば崩落でしかないだろう。あんなに良い子だったのに、素晴らしい才能があったのに。聞こえた悲壮な声はてんで気にならなかった。そんな称号、さして欲しくもなかった。
 他人に都合良い人間である事は一定の水準であれば有利に事を運べるが、度を過ぎれば足枷でしかない。人生は死ぬまでの暇潰しで、どうせ、自分は焚石より先に死ぬ。
 逃げ切りたいだけの生を受けた中で、棪堂にとって焚石以外からの評価など鳥のさえずりと同等のものだった。
「あいつ、迷子にでもなってんのか?」
 溶け切る前にアイスを食べ終えた桜からの問いに、棪堂は店内からでも窓越しに見える有象無象の命の塊を眺めつつ答えた。
「オレはよぉ、梅宮が大嫌いなんだよな」
 意味が分かんねえよ。呆れた様子の桜に返す言葉は無い。棪堂は視線を桜に戻し、黒と黄色の虹彩に微笑みかける。
「オレに見る目が無いって話」

続く