ながひさありか
2025-07-16 01:22:31
8469文字
Public STR-Phaidei
 

六度目の春

現パロ。
大学入学前から付き合い始めた男は、今やふらふらと海外を飛び回ってなかなか帰ってこない。それでも何故か嫌いになれずにずっと待っている。
嘘はつかないし許しちゃうのでハピエンです。

 司書を目指している。そう話すと、大抵冗談だろ、と笑われていた。俺自身は何故他人がそう思うのか理解しがたかったが、あまりに言われ続けるので、今ではもうその反応には慣れていた。
 九つの頃から漠然と将来の夢が決まっていて、スポーツでもなんでもやってはみたが、結局その夢は変わらなかった。
 誰しもプロにだってなれるのに勿体ない、恵まれた体格を持って生まれたのにと口にする。しかし、体格と理想の姿こそ、誰しもが合致するものではないだろう。親友だけは「君は本が好きだし、やりたいことをやるのがいいよ」と肯定してくれるのが幸いだった。
 大学入学前に恋人が出来た。同じ予備校に通い、たまたま帰り道が途中まで一緒だと言うだけの男だった。
 ある日、「君って僕と同じ大学目指してるって聞いたんだけど」と声をかけられ、そいつに連れられて夕食代わりにはじめてファーストフードを食べに行った。「味が濃いな」と言うと、「そんなはじめて食べたみたいなこと言うなよ」と笑う。笑顔の眩しいやつで、今までの友人にはいないタイプだった。家の者がうるさいから本当にはじめてだ、と笑うと、君ってお金持ちなんだな、と目を丸くして口にした。素直な言葉に悪意は見えず、久方ぶりに嫌な気分にはならなかった。そう感じたから、それから何度か同じファーストフード店にも行ったし、夏季休暇がくればお互いの中間地点にある図書館でわざわざ待ち合わせをして勉強をしたのだろうと思う。
 おやつや夕飯代わりに食事にいくと、勉強のこと、親が口うるさい話、最近好きな音楽、クラスで流行っている漫画、そんな他愛もない話をいくつもした。そうするうちに、大学の志望動機の話になり、「司書を目覚している」と何年も答えてきた言葉を口にする。
 ぱちぱち、と大きな青い瞳を瞬かせ、「意外だ」と笑い、「君は本を読んでると眠くなるって言いそうな顔してるのに」と失礼なことをストレートに口にした。
 だったら受験勉強などしないだろう、と答えれば、確かに、とまた素直に頷かれ、腹が立ってトレーに残っていたポテトを数本勝手に奪った。

 もし同じ大学に合格できたら、そのまま遊びに行かないか、どっちか片方が落ちたら気まずいだろ。意を決したような顔で言う男に、何かを感じたがその正体はまだわからなかった。
 いいだろう。それでも首肯したのは、きっとそうなるだろう、という確信が何故かあり、この男とは長い付き合いになるような予感がしたからだった。
 そういうわけで、合格発表を見てすぐに遊園地へ来ている。何年振りかな、と笑う男に、そう言えばこう言う娯楽とは長い間無縁だったことを思い出した。中学に上がってからは親の監視がうるさく、碌に外出をした覚えがない。それを不幸だと感じたことはなかったが、あまり子どもの頃の感覚を他人と共有できないことがあった。
 観覧車に乗ると言って聞かない男に根負けして、陽が落ちた後、ライトアップされた観覧車に乗る。大して速度もないそれにはカップルばかりが乗っていて、俺たちもそうだと思われていそうだ、と普段ならけして考えない余計なことを考えていた。自意識過剰だ、と気まずくなり、何かを話している向こうの言葉を碌に聞かずに外を眺めていると、メデイモス、と今までとは明らかに違うトーンで名を呼ばれる。この男は時折俺を故郷の古い呼び名で呼ぶ。通名より厳かでいい、と真面目な顔をしていうのがおかしかった。
 君が司書を目指しているのってどうしてだい?
 その言葉は揶揄っているわけでもなく、真剣そのもので、まるで世界の命運を決定づけるかのような問いかけだった。
 本が好きだからだ、とそいつ以外には答えていた。それもけして間違いではなく、真実のひとつだった。だが、本心ではない。何故なら、本当の答えはあまりに突拍子もないものだったからだ。
 俺の図書館を作る必要がある。上手くは言えないが、そうする必要があると物心ついた時から感じているからだ。
 その答えに満足したのか、以降、同じ質問を二度とされることはなかった。
 窓から眼下を眺め、ぽつぽつと取り止めのない話をした。てっきり告白でもされるのかと思ったがそうはならず、正直なことを言えば拍子抜けをした。されなくてよかったと思うのと同時に、少しがっかりもしていた。
 遊園地から帰路へ着く途中、乗り換え駅で別れるその時、「また来週」とそいつが笑う。
 来週でいいのか? 思わず奴の腕を掴み、引き留めていた。
 真意を探るようにじっと目を見つめると、夏の快晴と同じ色をした瞳が微かに揺れ、それから困ったように頬をかき、うーん、と唇と頬を緩めた。
 明日は? そう尋ねられ、引き止めておいてと自分でも思ったが、明日は無理だ、と首を振った。よくよく考えれば今週はもう遊んでいる暇はなく、奴が言う通り、週明けが最短だった。まるで予め予定を全て把握していたかのように。
 結局週明け、受験勉強をするのによく使っていた図書館で待ち合わせをした。もう気づいてると思うけど、と昼食をとりながら、まるで世間話の延長のように、奴が向かいの席ではにかんで笑う。
 言うのが遅い、と意地悪なことを言ってやってもよかったが、あいにくハンバーガーにかぶりついたところで、すぐには言葉を返すことができなかった。どう考えても先週の遊園地で言うべきだっただろう、と思いながらひとまず頷き、オレンジジュースで流し込む。

 司書として勤務をはじめるのには少し時間がかかってしまった。なかなか席の開かない職だったからだ。
 その間、奴は海外を飛び回ってはふらりと帰国し、またどこかへ旅立って行く。
 相変わらず恋人ではあったが、あまりにも気の置けない関係すぎて、時々、友人と言う方が正しいような気もしていた。「友人とはキスもセックスもしないだろ」と少し不機嫌に言われれば返す言葉もないが、年の半分以上、海外を歩き呆けている男を果たして恋人と呼べるのかと疑問でもあった。
 なぜそう頻繁に旅に出るのかと問えば、どうしてもそうしなきゃならない気がするんだ、子どもの頃から、と真剣な顔で奴は答えた。
 そう言われてしまうと、俺にも覚えのある感覚で何も言うことはできなかった。俺は司書にならなければならないと感じていたし、奴は旅に出なければならないと感じている。何故だかずっと。
 喧嘩は時折したが今も嫌いになったことはないし、愛しているかと問われれば愛していると言えるだろう。頻繁に旅先から連絡を寄越しては「次の休みには君もこっちに来ないか?」と必ず誘ってくる男に、「無理だ」と答えるのもいつものことだった。
 司書の仕事は魅力的だったし、人員も少なく、長期休暇を取るには向いていない。いい給料がもらえるわけでもないが、その生活には満足していた。

 いつしか「来週には帰国する」と言う連絡がなくなって半年が経ち、一年が経ち、二年が経った。旅先でさまざまな写真を撮って見せてくる男に、いい加減に帰って来いと言うべきかずっと悩んでいた。
 それって付き合ってるって言えるの? 親友もとうとう痺れを切らし、暗に別れを提案されたが、何故か別れる気にはならなかった。
 これから先もずっと待つのか、と聞かれれば、待てる確信は何故かあった。嫌いになったことはなく、笑って連絡をしてくる顔を見れば、俺は単純すぎるのか、それだけでいつも幸福を感じていた。
 君はさみしくないの、と諭すように聞かれて、はじめて、そう言う言葉もあるのか、と感じた。さみしい。口の中で呟き、そうか、もしかすると少しはさみしいかもしれない、とは思った。空虚が肺を通り抜け、時折深夜に、意味もなくスマートフォンの待受を眺めていることがあったからだ。
 勤めていた図書館が閉鎖となり、転勤を言い渡され、引っ越しをしたが、引っ越し先を奴には言わなかった。連絡先を消したわけでもなく、聞かれれば教えるつもりでいた。
 しかしそもそも、もう五年も帰国していない男だ。何年後に帰ってくるかもわからなければ、その頃、俺が引っ越し先にそのまま住んでいるとも限らない。
 出先から手紙を出されたことはなく、いつもメッセージとビデオ通話を介しての連絡だった。それも近頃はひと月に一度も連絡がない。前回の連絡は半年は前だっただろう。
 旅行に頻繁に行ってはすぐに帰ってきていた頃、浮気しないでくれよ、と冗談なのか本気なのか何度か言われていて、「して欲しくないならさっさと帰ってくることだな」と俺も笑って返していたが、今ではそんなやりとりも発生していない。
 もしかすると向こうで新しい恋人が出来ているのかもしれないと思ったが、自分からは聞かなかった。あいつの人生はあいつのもので、俺の人生は俺のものだ。最後がどうなろうと、結果が判然としない今はこのままでいいか、と何故か思っていた。
 
 その日はスマートフォンを自宅に忘れて出勤していた。日中は誰から連絡が来ていても読むだけにすませ、退勤してから帰路で返事を打っていた。だからそれ自体は特に気にもしなかった。もし万が一の緊急の連絡があれば職場に連絡が来るとわかっていたし、そんな事態にはきっと大学卒業を機に疎遠になっている父親が死んでもならないだろう。
 閉館間近、自主学習スペースの忘れ物がないか館内を見回っていた俺は、慌ただしく駆け寄ってくる足音に驚いて振り返った。
 椅子の下に落ちていた文庫本を拾っていた俺は、忘れ物を取りにきた利用者だろうか、と思いつつ、「館内では走らないように」と言う準備をしていた。
「君、なんで転勤したなら教えてくれなかったんだ!?」
 日焼けした赤い顔の男が、泣きそうに声を張り上げるのを聞き、「館内では静かにしろ」と自分でも驚くほど淡々とした声が出ていた。
 いつ帰ってきた? 何故ここにいる? さまざまな言葉が頭を巡ったが、それは言葉にならなかった。
 やっと見つけた。そう小さくつぶやいた男は俺の職場だとか、勤務中だとかは考えもせずに俺を強く抱きしめて、二度と会えないかと思った……、と震える声で呟いた。どこからきたのかは知らないが、外を延々と走ってきたのか、汗ばんで熱い体だった。
 やっと見つけた。その言葉に、思わず唇を歪めて笑ってしまう。俺はもう、お前は二度と帰ってこないつもりなのだろうと思っていた。よっぽどそう言ってやりたかったが、そんな意地悪を言ってやる気力はなかった。
 あと一時間で勤務が終わるからカフェで待っていろ。離れない男の背を強く叩いてなんとか離れさせようとすると、体を離した男が目を潤ませながら、「図書館の入り口で待ってるから、逃げるなよ」と怒った声で言う。
 怒る資格はお前にないだろう。そう思ったが、職場で言い争う気にはならず、わかったから離れろ、と呆れてため息をつくふりをした。
 裏口の鍵を閉めて退勤するから、裏に回っておけ。そう助言して。

 一時間後、裏口の鍵を閉めて退勤すると、本当に大人しく敷地の外で奴が待っていた。待つ間気が気でなかったのか、顔を見せると露骨にほっとした顔を見せる。それがお前が俺にした仕打ちだぞ、と少しだけ溜飲が下がる。
 スマフォ見た? と聞かれ、家に置いてきてしまったんだ、と口にすると、「なんだよそれ……」と奴はその場でしゃがみ込んでしまう。
 連絡をろくに寄越さないお前より俺の方が連絡無精のような反応だな、と思ったが、「それで、次はいつまでこっちにいるんだ」と数年前、こんな風に長期間どこかへ行ってしまう前日に尋ねたのと同じ言葉を口にする。
 今日泊まるホテルはどこだ? と返答を待たずに続ければ、「君の家に泊めてもらおうと思ってた」と図々しい言葉が落ちる。俺をなんだと思っている? お前の便利なタダ宿か? そう口にしたいのはやまやまだったが、どうせそう来るだろうと踏んでいた。
 しゃがみ込んだ男を置いて、駐車場へ向かう。今の職場は電車通勤には不向きな場所だった。
 無言で車のドアを開けて乗り込むと、奴はしばらく戸惑ったような顔をしていたが、助手席の窓を叩き、乗っても? と情けない顔で尋ねた。鍵を開けてやるのを答えの代わりにし、「家に大したものはないぞ」と乗り込んできた男の顔を見ずに言う。
 帰国日が事前にわかっていれば手料理の二つや三つ、あるいはケーキを買ったりしていたが、本当に知らなかったのだから残り物でどうにかするしかない。
 普段はつけない自宅までのナビをつけ、予測時間:三十分、と無機質に響く案内音声をBGMに無言のドライブをする。きっと一生で一番長いドライブだっただろう。
 以前はやつが転がり込んで来るのを見越して少し広い家に住んでいたが、今は一人暮らしには十分な狭いマンションの一室を借りていた。自宅に書斎を作りたい、と以前話したことがあったが、実際は現実的ではなく、引越し可能な分の本棚しか家の中には置いていない。
 家の鍵を開け、ドアを閉める。鍵のかかる音を聞きながらリビングへ向かうと、お邪魔します、と遠慮がちな声が落ち、まるでよそゆきの声だ、となんだかおかしくなった。
 適当に座れ、と言うのも腹立たしく無言で棚と冷蔵庫を確認すると、手を洗って鍋に湯を沸かし、二人分のパスタを茹でる。あらかじめ下味のついたトマトピューレが一箱だけ見つかり、それにツナとオリーブオイル、塩胡椒を加えて炒めておく。所在なさそうにバックパックを背負ったまま突っ立っている男には声をかけない。
 荷物を床に置いてもいいかな。痺れを切らしたように背中から尋ねられ、好きにしろ、と答えた。パスタが茹で上がるまであと三分必要だった。

 パスタが茹で上がると茹で汁をソースに少し移し、一緒に火にかけてソースを絡める。完成したパスタを皿に移そうとして、そういえば、もう、同じサイズの食器を二つずつ揃えるのをやめてしまったことを思い出した。
 適当な皿を二つ用意して盛り付けを終え一息をつくと、背後に気配を感じた。
 邪魔だ、そこに突っ立っているなら皿を運べ。
 わざとらしくため息をついて先にフライパンや鍋を洗うが、奴は一向に皿を持ち上げる気配がない。
 ごめん、連絡を頻繁に出来なくなってから、もしかするともう出てくれないんじゃないかってだんだん怖くなった。
 唐突な謝罪だった。電波があんまり通じないとこにいてさ。言い訳のような言葉に、何も返事を返すとことができなかった。それならそうといえばいいだろう、とは思った。
 連絡無精になったところで、俺はお前を咎めなかった。今までただの一度も。それを今更「怖くなった」と言われても、何を言っているのかわからなかった。
 パスタが冷める。そう口にして食卓につこうとしたが、皿を掴んだ俺の手首を後ろから掴み、皿を置かせると、そのまま腹の前に腕を回される。
 ごめん。肩に顎を乗せながら呟かれ、懐かしい——もう、懐かしくなってしまった。——体温と、陽のにおいに、ふいに喉が震えかけた。口を開けばとんでもない声が出そうで、必死に唇を噛み締める。
 君が怒るのは当たり前だ。わかってる。だけど君の昔の職場無くなってたし、自宅も違う人が住んでるし、君は連絡をくれないし……いやくれなくて当たり前なんだけど、それでも最後にちゃんと話がしたかったんだ。だから必死に伝手を辿って、今の職場を教えてもらった。
 最後。
 その言葉だけが耳に強く残り、思わず拳を振り上げかけて、なんとか止める。怒りで体が震えるのが分かったが、「帰れ」となんとか言葉を絞り出すのが精一杯だった。
 無言で俺を抱きしめたままの男に、もう一度、帰れ、とはっきり口にする。はっきり? いや、俺の声は震えていて、それが怒りのせいなのか、そうでないのかはもうわからなかった。
 待たされるのは別にいい。したいこともすればいい。「君もこっちに来ないか」と誘われて、仕事が大事だから無理だと俺も散々誘いを断ってきた。だからそこはお互い様だろう。俺たちはお互いに自分のやりたいことを優先して、傍に居ないことを許容してきた。ずっとそう言う歩み寄りだった。
 俺は俺で好きに暮らしてきたし、お前もお前でずっとそうだった。それは互いに責められない。
 それでも俺はお前が連絡をくれれば返事は欠かさなかったし、帰ってくるとわかれば休みをとって迎えにも行き、出て行く時には見送りもした。そうしてやるのがいいと思ったからだ。
 モーディス、こっち向いてくれよ。話がしたいんだ。
 ねだるような声だった。一体何度この声に絆されてきたのかはもうわからなかった。許してやりたいといつも思っていた。何故かはわからないが、長い付き合いになるだろうと心の底から感じていて、傍にいると居心地のいい相手だった。
 話? 今更、どんな告白をするつもりだ? まさかあの時のように「わかってると思うけど」などと言うつもりか。——そう口にしたかったが、喉は相変わらず震えていて、碌な言葉を出せそうになかった。
 腹の前に回された手を右手で押さえて、帰れ、ともう一度口にする。冷めて固まったパスタが視界に入り、余計に情けない気分になった。今更食卓を囲もうと考えていた自分に呆れて、けれど、そうしてやるべきだと本気で思っていたのだから仕方がない。変えられない俺の性分だった。
 帰らないよ。甘えるように肩口に唇を落としてくる男に嫌悪感が湧かないことも情けなかった。「君って一度身内だと思うととことん甘いから心配だな」と親友に言われていたことを唐突に思い出し、確かに甘すぎるかもしれない、と反省した。
 今更別れ話なんぞ聞きたくもない。
 どうにか声を絞り出し、手を外させようとした。けれども拘束はかえって強くなり、「そんな話僕だってしたくない」と泣きそうな声に変わる。泣きたいのは俺の方だといえればどれほどよかっただろう。
 今更五年も放っておかれて、突然帰ってきて責められたかと思えば、家にまで押しかけてくるめちゃくちゃな男を俺はお前以外に本当に知らない。……それでも何故か、嫌にはならなかった。
 許してくれ、と言う男に、許してやる、と言うのは簡単だった。言ってやれる自信もあった。しかしそう口にはしなかった。
 次はいつ帰って来るんだ。これ以上、明日か明後日かとお前を待ちたくない。
 シンクに手をつき、俯いた。震えた喉があまりに痛すぎて、鼻と目の奥までツンとしている。もう今夜は何も言いたくない気分だった。
 ……もう君のいないところには行かない。満足したって言うより、懲りたから。
 力を緩めた不意をつかれ、体の向きをひっくり返される。俯いていた顔を覗き込まれ、ごめん、悪かった。僕が悪い。本当に全部。……信じられないかもしれないけど、本当にもう君を置いてどこに行くつもりもない。真剣な声で、焦ったように、低く、少し早口で紡がれる。俺がそれを受け入れて許すとはあまり信じていない声で。
 これが最後だ。次はもうない。
 叱るように言ったが、全て嘘だった。きっとまたふらりと消えてしまっても、俺はこの男を最後までは責められないだろう。何故かはわからないが、やりたいようにやらせるべきだと心の底から思っていた。俺を仮初の波止場にしようが、終生の家にしようが、どちらでも構わなかった。
 この男と人生が交差した事実だけがきっと俺には重要で、終わりはなんだっていいと思っていた。
 ……君って嘘が下手だよな。
 苦笑する男を、なんだと、と睨みつける。青い瞳の色鮮やかさは五年経っても変わらず、相変わらず眩しくきらきらと輝いている。
 わかっているのならいい。……したいようにしろ。俺のことは気にするな。ただ、
 言葉は半ばで途切れた。情けないことを口にしそうで、それが自分に許せなかった。お前のいない日々はどこか虚しい。張り合いがない。素直に口にする代わりに、後悔はするなよ。やりたいことがあるのならしっかりやれ、と胸を押す。きっとそれでわかってくれるだろう。
 ごめん、ずっと君の優しさに甘えてきた自覚がやっとできるようになったんだ。だから帰ってきて、君に謝ろうと思ったんだ。君がいない人生は考えられないってわかったから。
 都合のいい言葉で、今更そんなことを言うなと張り倒してやりたいとも思った。こんな何年も待たせる男より、もっと常識的で、連絡もしっかりした人間の方が世の中にはいるはずだった。
 それなのに、やはりこの男しか俺にはいないのだろう、と何故か感じていた。
 理屈ではないし、こんな身勝手な男と縁を切れないことを運命だなんて呼びたくもない。

 それでも、出会ってから今もずっと、どうしようもないほど愛している。


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