kanaco
2025-07-15 23:00:40
2483文字
Public
 

【四信】夕影

《四信》四仔さんに恋する信一くんのキスチャレンジ。さっくりと。

珍しい、と信一は思った。

外は夕刻。
各々の仕事がひと段落したらいつもの場所で麻雀をしよう。お馴染みのメンバーでそう約束をした。時間は細かく指定しないため、1人ずつポツポツと集まって陽が沈み切る頃には全員集合するのだが常だ。

仕事が早めに終わった信一は、先に集合部屋へ行ってのんびり寛ごうと考えた。そしてドアを開けて中の様子を伺うと、すでに先客がいるのに気がついた。

くたびれた空色をした中古の長ソファー。
そのはじっこに遠慮がちな風をして、四仔がポツンと座っていた。

手元には本。医学書なのか小説であるのか、ややボリュームがあるその書物は開かれてはいるものの、男の膝の上に落ちている。ページは一向に進む気配がなかった。信一が目線をずらせば、どうやら四仔はうたた寝をしていたようだった。部屋は静寂に包まれている。唯一、四仔の微かな寝息だけが穏やかに聞こえていた。

早めに着きすぎて待ちくたびれてしまったのだろうか、それとも疲れているのだろうか。いつも一緒に遊ぶメンバーの中では、性質が一番落ち着いていて隙があまりない男であるので、信一にはその姿が新鮮に映った。

信一は起こさないように気を使ってドアを閉め中に入った。その空間があまりにも静かだったので、1つの音すら出すのを憚られたのだ。足音も立てないように気を配りながら、ゆっくりと友人に近づいていった。

日はまだ落ち切っていない。カーテンなど取り付けていない窓からは、薄いオレンジの光が差し込んでいた。その柔らかな夕影が四仔の温良な寝顔を照らしている。眩しくないのだろうか、と信一は心配した。それでも四仔は眠り続けていた。ソファに体をあずけて、ゆるやかに呼吸を繰り返している。

白いマスクが橙色に染まっている。そこから覗いている形の良い閉じた瞳と長い睫毛が、安らかで美しい情景に溶け込んでいる。

きれいだな、と信一は思ったのだ。

しばらく見つめて、目を細めた。

信一はもう少しだけ四仔に近づいた。
自分の心臓の音がどんどん高鳴っていくのが分かる。

恋する相手に、キスをしてみたい。

そう思った。

寝ているところにするなんて、卑怯かもしれないけど。けれどもこんなチャンスはもう二度と訪れないかもしれない。普段憎まれ口をたたいてしまう男に、すぐ怒らせてしまう男に、ずっと思っている女性がいる男に、自分が見初められるわけはない。だったら。

だったら、1度だけ。

信一の瞳が水分を含んでキラキラと揺らめく。慎重に、密やかに、たとえ息さえも四仔の眠りを邪魔しないように。自分の心臓の音がうるさすぎて、それが彼を起こしてしまうのではないかと、余計に胸を張り裂けそうにして。

なぁ、震えないでよ。
あと、もう少しなんだ。


唇と唇が触れる寸前であった。
お互いの吐息はすでに触れ合っていたかもしれない。


四仔の瞳が、パチっと開いた。


あ、やばい。


信一が瞬時にパニックを起こした。言い訳の前にまず逃げねば!と顔を後ろに反射的にそらす。しかし四仔の大きな手のひらが素早く動いてそれを阻止した。

怯えて逃げた唇を追うように、四仔が身を乗り出して信一の薄い唇を奪った。唇だけを食むように、何度も触れて、含んで、その感触を堪能する。信一が少しの苦しさからくぐもった声を出す。あまりの驚きに鼻で息をするのも忘れてしまったからだ。

「んっ」

信一の後頭部に手が回って固定され、逃げ出さないように押さえつけられる。細い腰にもう一本の腕が回って、ぐいっと手前に引き寄せられた。本はいつの間にか余所へと退けられて、空いた膝の上へと引きずり込まれる。

たっぷりと唇を弄ばれて涙目になった信一が、勘弁してくれというように四仔の胸をドンドンと叩いた。

四仔が唇をそっとはなす。潤んだ瞳がその原因をつくった相手を見ると、いつもと変わらない涼しげな目元と目が合った。ただいつもと違うのはその奥に激しい熱を孕んでいることだった。その球体にグルリと渦巻くような炎が見えるかのように、信一を一心に見つめている。

……寝ぼけてる?」
「寝ぼけてるわけあるか」

頓珍漢な信一の問いに、四仔が呆れたような声を出す。

「だってよ

どうしていいか分からず居心地悪そうな信一が、半分四仔に抱きしめられているような状態で身を捩る。思わぬ方向に動いている気がした。これはいったいどういうことなのか。戸惑って逃げ出したいのに、四仔の腕はいまや両方ともその腰に回って、逃げることを許してはくれない。

………俺が近づいたの分かったのか?」
「分かる」
「うるさかった?」
「お前の気配は分かる。匂いでも」

え、なに俺臭いってこと?と眉間に皺を寄せる信一に、四仔がふっと笑った。
これも珍しい微笑みに信一が思わず惚けて、それから「四仔」としおらしく名を呼んだ。

「ごめん、俺、さっき……
「信一」
遮るような声だった。しかし声音は穏やかで優しく、まるで愛おしむようだった。
「もう1回しろ」

信一の瞳が瞬いた。
四仔の瞳が、真剣であった。

夕影が相も変わらず四仔の顔を円やかなオレンジで照らす。四仔に寄り添う信一の顔も、今や同じ夕影に照らされていた。でもそんな優しい色合いなど全て取り消すように、信一の顔は真っ赤に染まり上がっていた。朱に染まったのは耳の先まで。緊張は全身へ。それは指先までしっかりと。

「四仔、……好き」

振り絞った声だった。感情が高まり過ぎて、一粒だけボロリと涙が流れるほどだった。

「俺もお前が好きだ」

確かに、四仔はそう言った。

夢のような瞬間だった。こんな都合のいい話は、夕明かりと一緒に消えてしまう幻かもと思うほど、信じられないことだった。

それでも良かった。夢でも、今だけでもいい。
信一はゆっくりともう一度、今度は自分から恋する男のもとへと唇を落とした。


それに応えるように信一を抱きしめた力強い腕が、それが夢ではなく本物であることを伝えていた。