しちろ
2025-07-15 17:42:06
5790文字
Public LOM・連載主人公の短編
 

永遠の花園にて

LOM、W主とグラシエール、白雪の話。幻のセイレーン編(第一話部分)をお話にしてみました。

 風はそよともしなかった。淡い雲が点々と浮かぶ空の色は、吸い込まれそうなコバルトブルーで、地上には優しげな日差しが注いでいる。
 それでもなお、この寒さは並の人間には耐えがたい。温かな防寒具で全身を包んでいても、常に動き血を巡らせていなければ、たちまち身体の芯まで凍つりく。
 見渡す限り白銀の大地。雪に閉ざされた極寒の地、フィーグ雪原。
 カイとシオンのふたりは、ポルポタに住むマーメイドから『とある依頼』を受けて、ここを訪れている。
 いくら鍛えているとはいえ、人の身にはいささか厳しすぎる環境下。長居はできそうもない。近隣の村で手に入れた地図を片手に、足早に奥地を目指していた。
「また分かれ道、どっち?」
「ええとね、このまま大きい方の道で合って……あ、違う。こっちだ」
 木々の梢や氷柱のうえや、あちこちから、ころころと笑い声がする。
 ここには妖精が多く住み着いていて、たまに訪れる人間を興味津々で観察している、らしい。
 『よその地域には、気性の荒い妖精もいるというけどね。ここいらのは基本、のんびりしてるねぇ。たまにイタズラすることもあるけんど、可愛いもんさ』とは近隣の村人の談である。
 続けて村人は、目的の品がある場所を教えてくれた。つまり。

『氷原に咲く、枯れない花の園』

 吹雪で道に迷ったときに偶然見つけた、という。
 風雪の最中になお輝き、存在感を示すその花は奇跡の美しさだった。心吸い寄せられた彼は、無意識のうちに手を伸ばし……だが花に触れる直前、奇妙な雪の渦に巻かれてしまい、気がつけば元の道に戻されていたのだった。
『さてあれは、妖精の仕業とかだったのかねえ……まあ、そのおかげで帰れたわけだけども。だから、わたしも途中までしか道わからねんだ。すまねえな』
 地図を見れば、そのとき村人の戻された地点にバツ印がつけられている。その先は自分の足で探すしかないようだ。
 カイは道の端に歩み寄り、腰をかがめた。雪にも寒さにも負けず、健気に花が咲いている。
「こんな寒い所にも、花って咲いてるもんなんだね。でも、これじゃないんだよね」
「この地方では普通に咲いてる種類だよ。雪の上で咲いて結実し、種を落とす」
「へえ~。すごいねえ、万年雪の中で育って咲いて、増えてくなんて」
 逞しい大自然に比べてしまえば、人間などまこと些細な生き物である。
 上を見れば、雪の積もった木々の枝先が凍りついて、先端に氷の花を咲かせていた。無垢の氷が陽光を受けて光る様は繊細で美しいが、もちろんこれでもない。
「あまりのんびりしてないほうがいいぞ。この寒さ、日が暮れたらこんなもんじゃない」
「うん、そうだね。急ごうか」
 マイホームは温暖な地域にある。カイは雪中行軍に慣れていない。
 永遠の花園を求め、万年雪を踏みしめて最深部まで進み、さらに奥。
 ちょうど岩の影になっていて目立たない場所に、それは隠されていた。
「あった! ここだ!」
 急に日陰に入り、身震いする。
 さながら、氷でできた秘密の花園だった。
 内部からほのかに光る花は、植物にも氷にも、鉱物にも見える。色は、紫や青や薄水や……それが花自体の色なのか光の加減ゆえなのか、一目では判別できない。園の半分には天蓋に岩がせり出して半洞窟のようになっており、隙間から細く射し込む光が寒色の花々や純白の深雪に反照して、花園の幻想性をいや増していた。
 この場所、どこかに似ている。
 そんなことをふと思う。メキブの洞窟の大空洞にすこしだけ雰囲気が似ている気もするが、もっと違う。だが、その思考も眼前の美しさに絡めとられて、たちまち消える。
……すごい。きれい」
 カイは、まるで魂が奪われたように吸い寄せられた。
 永遠に枯れない神秘の花。茎も花も同じ色。植物といえばそうだし、水晶のようにも見える。
 吹雪の中でさえ美しかったという花は、天候に恵まれた今、何にも阻まれることなく極上の輝きを放っていた。
「枯れない花……きっと、この花だよね」
 半ば夢心地になりながら、カイは光る花に手を伸ばす。青い花弁は、向こう側が透けて見えそうなほどに透明度が高い。

「勝手に触らないでいただけますかしら?」

 凍てつくような声だった。
「ご、ごめんなさい!」
 びっくりしたカイが、慌てて指をひっこめる。まさか人がいたとは。
 立ち上がり振り向くと、背の高い、青白い女が花園の入り口に浮かんでいた。
 氷の四肢、青い肌。やはり氷でできた長い髪。いずれもが、この花園の花に似た色をしている。底冷えのするような空気と妖艶さを備えた、美しい女だった。明らかに『人』ではない。
「断りもせず失礼しました。あなたの花園ですか?」
 シオンが頭を下げると、氷の女はにこりともせず言った。
「礼儀を知っている人間というものも、まれにはいるようですね。とくに私のもの……というわけではないですわ。私はただの、管理人」
 グラシエールと申します、と女は名乗った。
「ドミナの方から来た、カイです。グラシエールさん、ごめんなさい。勝手に入って」
「ドミナ……それはまた、ずいぶんと遠くからお越しで」
 ねぎらいの色は、当然ながら皆無である。グラシエールの声も表情も、氷よりさらに冷たい。
「べつに入ってくださっても問題はありませんわ。この花園を害する前に、私の魔法で速やかにお帰りいただきますから」
 なるほど、花園に迷い込んだ村人を帰したのは妖精ではなく、グラシエールだったようだ。
 カイがおそるおそる訊ねた。
……その、それって、あたしたちも?」
「そうしようかとも思いましたが、未遂ですからね。見たところ、何やら事情がおありの様子。話を聞いてからでも遅くはないかと思いまして」
「あ、あの……ほんとに、その、ごめんなさい」
 どうやら、どこの時点からか様子を窺われていたらしい。ひとまず話は聞いてくれそうだが、答えを一つでも間違えれば即強制送還となることは間違いない。
「では、さっそくお聞かせ願いましょうか。なぜ、この花をお求めに?」
 カイの顔がわずかに曇る。その程度には深刻な理由があったからだ。
「暖かい海のそばに、歌を歌わない、枯れかけのセイレーンがいるの。その人の友達に頼まれたんだ。枯れない花を彼女の萎れた翼に挿すんだって」
「そのために、ここの花を。セイレーンの延命になる、というわけですね」
「うん、そうなんだ。自分で歌えればそれが一番いいんだと思うけど、どうしても歌えないって」
 鳥乙女とも呼ばれるセイレーンは、歌とともに生きている。
 歌わなければ花でできた翼は枯れ、やがて衰弱して死に至る。それでも歌いたくない理由がそのセイレーンにはあり、彼女を案ずる友人のマーメイドはセイレーンの頑固さに歯噛みしつつ、カイに依頼してきたのだった。歌を歌えない友人に、少しでも命を長らえてもらうために。
「そのセイレーンのために、そして、あるかもわからない花一輪のために、遠路はるばると……なんと人の好いお方。この雪原を往くには、人間はあまりに脆弱な種。吹雪で道を見失い、寒さに凍えて命を落とす者も少なくないというのに」
「グラシエールさん。あたしの話、信じてくれるの?」
「人によります。そちらのボウヤはどうだかわかりませんが、少なくともあなたは、嘘がつけるほど器用には見えないわ」
「うう~ん……信用してくれて嬉しいけど、いまいち褒められてる気がしないなぁ」
「美徳ですわよ、正直であることは。……まあ、そのせいで命を縮めることも、ありますけどね」
 グラシエールはカイたちから視線を外すと、遠くを薄目で眺めるような顔をした。その方角、たしか『ロストギルティ』と地図には載っている。
 その方角を向いたまま、グラシエールがぽつりと言った。
……あなた方は、珠魅という種族をご存じ?」
「珠魅!」
 まさかその名称をここで聞くことになるとは。
 驚きを隠せないカイに、グラシエールは大きく反応はせず、ご存じのようですね、とだけ言った。人間で珠魅を知る者は決して多くはない。
「この雪原にも珠魅がいました。いくら珠魅とは言え、もっと過ごしやすい場所はいくらでもあったと思うのですけど、彼は人のいる土地をひどく嫌った。雪や花や、ここから見えるオーロラが好きだった」
「この花の持ち主は、もしかして……その、珠魅なの?」
 カイが訊ねると、その通りだとグラシエールは肯定した。
「これはその珠魅が咲かせた花。ここは彼の花園であり、墓地でもあるの」
「つまり……それって……
「亡くなりました。ここの花と引き換えに」
 息がつまった。と同時に理解した。
 ああ、滅びし煌めきの都市だ。岩の割れ目から射し込む陽射しと、反射する千々の煌めき。人目を忍んで存在し、静かに時を重ねる、物言わぬ園。それらがあの悲しい街に少しだけ似ているのだ。
「珠魅を知っているのならば、きっとご存じでしょう。珠魅の核を狙う『宝石泥棒』という者がいました。雪原の珠魅──氷晶石の珠魅もまた、宝石泥棒に狙われ……。ですが彼は、素直に核を奪われるには、あまりに気性が激しすぎた」
 グラシエールはそこで一度、言葉を切り、囁くように言った。彼は、核を奪われる前に自ら核を抜き取り、叩き割った、と。
「宝石泥棒に核を渡すことを、彼は文字通り命を懸けて拒みました。……珠魅の核って、あれほどまでに脆いものなのですね。おそらく彼は、自分でわかっていたのでしょうけれど。岩場にたたきつけられた核は粉々に砕け散り、砕けた破片と彼の遺した煌めきはやがて、永遠に枯れない花となりました」
 カイはすぐには、何も言うことができなかった。
 死んだ珠魅は、肉体の一切を残さない。胸の核を除いては。
 友人の珠魅が砕け散り、一面の花となるまで、彼女はただ一人この地で見守ってきたのだろう。
 グラシエールはカイの隣までやってくると、先ほどの花にそっと手を触れた。
「この花には正式な名はありません。私は『氷晶花』と呼んでいますけれども」
 グラシエールの指に触れ、花弁の色が青に紫にと煌めき、うつろう。花であり、氷であり、石であり、そしてそのどれでもない。ここにしか咲かない、氷晶石から生まれた花。
「カイさん。この花は確かに枯れることはありません。元は珠魅の核ゆえ、彼の力もいくらかは遺されているでしょう。ですが、雪原から持ち出すことはできませんわ。すぐに溶けて消えてしまいますの」
……
 そうだ。この花を摘むために、カイはここを訪れた。
 だが、カイには迷いが生じていた。セイレーンを救うためには氷晶花が必要だ。だが、グラシエールの話を聞いてしまった今、たとえ一輪でもこの園の花を手折って持って帰る気には、とてもなれなかった。
「ねえ、グラシエールさん」
 グラシエールの手の中で光る花を見つめ、思ったことをつい口にしてしまった。
「この花が珠魅なら、もしかして涙石があれば、元の姿に戻れるかな」
……なんとまあ、そんな古い珠魅の伝説を」
 グラシエールの表情が、初めてわずかに動いた。
「伝説じゃないよ。本当の話。核だけになった仲間をよみがえらせるために、仲間を探している珠魅たちがいる」
 カイは説明した。滅びつつあった珠魅が涙をとりもどし、ふたたびひとつの都市に集まりつつあること。グラシエールには初耳だったようだ。
「なるほど、そんな奇跡が……。ですが、安易にお願いできることではなさそうです。珠魅が甦るためには、核は必須。けれど彼は、自分の意志で砕けてこの通り。彼のために涙を流したとして、泣いた珠魅の命を無為に削ってしまうかもしれません」
 これは、グラシエールの言う通りだった。涙石は基本的には、核が無事でなければ力を発揮しない。
 けれどカイは諦めたくなかった。たとえ花に変わってしまっていても、彼がまだここにいるのなら。彼の煌めきがここに残っているのなら。
……今はそうかもしれない。でも、何か方法がないか探してみるよ。都市の珠魅たちにも相談してみる」
「顔も知らない珠魅のために……? 本当に人の好い方ですわね。ですが、あまりにも難問ですわ。彼を戻す方法が見つかるより先に、あなたの寿命が来てしまうかもしれませんよ」
「うーん、もしかしたらそうかもしれないね。でも、珠魅たちはあたしよりうんと長生きだもの。どんなに時間がかかっても、あなたの友達を助ける方法、きっと見つけてくれるって信じる」
……私がこの場でお断りしても、あなた、勝手に手段を探しに行きそうですわね」
 「そのとおり」とカイが開き直ると、雪女の瞳の奥がはじめて笑ったように見えた。
「長い時をかければ、もしかしたら、その日が来るのかもしれません。幸いにも私は悪魔として生を受けた。いつの日か彼が戻ってくることがあるとすれば、その日を待つだけの時間くらいなら、雪女にはありますのよ。その日まで、私の役割はこの花園の守り人」
 言いながらグラシエールは、氷晶花を一輪手折った。
 そして、煌めきの零れる花に氷の吐息を一息、吹きかけた。
「差し上げましょう。雪原でしか咲けぬ花もこれで溶けることはありません」
……いいの? 大事な花、持っていって」
「あなたになら渡してもいいかと思いました。きっと彼もそう言うでしょう」
 管理人に差し出された氷晶花を、カイは両手で受け取る。手渡された際の、雪女の指先はひどく冷たく、氷の息吹をまとった氷晶花もまた、薄く霜が降りてひんやりとしていた。
「『白雪』」
 グラシエールの唇が、聞き覚えのない言葉を紡ぐ。
「その花を咲かせた彼は、名を白雪と言いました。カイさん。その氷の花とともに、彼の名もお持ちになってくださいな」

 いつかまた、彼に会えるその日のために。

 最後の一言は、カイがそう聞いたような気がしただけだったけれど。
 氷晶花と白雪の名、そしてグラシエールの願いを胸に、カイたちは雪原をあとにした。
 枯れない花とそこに込められた想いが、歌を失くしたセイレーンの心にも伝わることを静かに祈りながら。