ぬいぐるみがないの、と女の子が泣いていて、一緒にいた男の子が今にも泣きそうな顔をしている。
それは大規模侵攻のあった後の、夕方だった。
大規模侵攻で失われる最大数を回避して撤退に追い込んだこの戦いは、ボーダー的には防衛成功、という結果だが、失われたものは決してなかったわけではない。
家が壊された人だっていれば、ケガをした人たちもいる。対外的には、「一般人の死亡はゼロ」と報告されているけれど、「関連しているか」という点でグレーだったものを除外したり、政治的判断、というやつでそれは上層部が行っているはずだ。
「どういうやつだ、特徴は言えるか?」
その日、荒船の通りかかった先で、女の子が泣いていた。親は近くにはおらず、そのかわり同年代の男の子がその子にぴったりくっついていた。
「わんちゃん」
「わんちゃん
……」
オウム返しにして、荒船は一瞬眉間の皺を深くしたが、それは荒船の都合なので、どうにか営業スマイル的な笑顔を向けた。
「ワンちゃんは、どんなサイズだ?」
「これくらい
……」
女の子が表現した「ワンちゃん」のぬいぐるみは、彼女の手を精一杯伸ばして「これくらい」と表現された。おそらく誇張されている部分もあるだろうが、きっと彼女にとってのぬいぐるみの存在感への表れだろう。
「色はわかるか?」
「白いの」
「白い大きなワンちゃんね
……」
とはいえ、そう簡単に見つかるものではなさそうだった。彼女が泣いて見つめる先は、半壊している一軒家だ。戦闘に巻き込まれたのだろう。周辺の家も同様の被害があり、彼女が見つめる一軒家はその中でも特に酷い有様だった。コンクリートがむき出しになっていて、鉄筋まで見える。家の家具だった残骸もその中で破壊されて飛び散った様子だった。
荒船は一つ息をつくと、周囲を確認しつつ、その瓦礫の中に踏み込んだ。瓦礫の状況から、形の残ったものもあれば、全くなくなっているものもある。望みがないとは言えないだろう。
瓦礫の中を歩くたび、形のあったものたちを踏みしめる音がする。
倒れて朽ちかけている棚を見て、咄嗟に手を伸ばす。下敷きになっている可能性を考えたのだが、不思議なほど重くて、持ち上げられる気がしなかった。
「
……」
ふと荒船は違和感を覚えた。
そもそもなんでこんなところに子供が、子供だけでここにいるのか。
第一今、自分はなんでここにいたんだったか。
おかしい、と思う。
だが、どうにも思考が鈍っている気がする。視界に靄がかかっているような、そんな感覚だ。自分が今、どこに向かっているのか、何を見ているのか、全ての輪郭が曖昧になっているような。
『荒船!』
そんなぼんやりとした脳内に、電撃が走るような衝撃があり、声が響いた。
「
……っ」
息を呑む。気づいた瞬間、機械的なシステムメッセージが聞こえてくる。
『トリオン消失。ベイルアウト』
そして次の瞬間、気づいて瞬きをした時には、荒船は隊室のベイルアウト用のベッドの上だった。
「荒船くん、大丈夫!?」
「
……加賀美?」
「そうだよ、大丈夫?」
焦ったような声と、心配そうなその声が聞こえてきて、こっちが現実か、とようやく実感する。
よろりと起き上がって状況確認の為に加賀美の後ろまでたどり着けば、画面上には荒船隊の面々。そしてもう一つのモニターには、今日の防衛任務の協力相手である鈴鳴第一が見える。
「
……防衛任務」
「そうだよ」
加賀美の声はやはりどこか焦りと心配の色があって、自分がどういう状況だったのか不安になった。
『加賀美、荒船大丈夫か?』
通信で聞こえてくるのは村上の声だった。
「ちょっとぼーっとしてるけどたぶん大丈夫じゃないかな。ね?」
「あぁ、悪かった」
『どうしたんスか突然』
荒船の声が通信に乗ったことで、明らかに全員の緊張が解れたようだった。半崎の問いに、荒船はどう答えたものかわからず押し黙る。
「
……いや、悪い」
それ以上は言えず。
鈴鳴第一との防衛任務。荒船はいつものように高所を陣取ってイーグレットを構えていた。周囲の警戒の為、スコープを覗き込んでいて。
「
……あ」
立入禁止区域の中で、半壊した一軒家周辺をくまなく確認していた時に、その子供を見つけたのだ。
しかしそこからの記憶がおかしい。
気が付いたら荒船はその子供たちの横に立っていて、しかも制服だったと思う。
白い大きな犬のぬいぐるみが見つからない、と言われて。
しかしそんなことが起こるわけがない。
「加賀美、俺はどれくらい変だった?」
通信は切った状態で問えば、加賀美もそれを察して首を傾げた。
「結構長い間だったよ。それにネイバー出てきても動かないし」
「
……近くにいたのか?」
「いたよ。呼びかけても反応ないし」
「
……」
「それで、村上くんが荒船くんのところまで行ってくれたの。ベイルアウトさせたのは、いい判断だったと思うけど
……」
荒船は呆然として、加賀美の言葉を聞く。
敵が近くにいたのに反応しないなど、明らかに様子がおかしい。加賀美のいう通り、荒船を戦力外と判断してベイルアウトさせるのは良い判断だと思う。
という事は、雷に打たれたような衝撃と共に荒船を呼んだのは、村上だったのだろう。
その後は、特に問題なく防衛任務をこなした面々が姿を現わした。
荒船は、事情を説明しない事にした。
何となく、触れてはいけない事のような気がしたのだ。
とはいえそれを許してくれなかったのは村上だった。
「教えてくれないのか」
「
……」
「明らかにおかしかったんだよ、荒船」
ついには帰る道すがらも詰問される状況である。
「
……他の奴には言うなよ」
前置きして、荒船はあの時あった事を話した。
一見して聞くと脈絡のない展開だ。
防衛任務をやっていて、哨戒としてイーグレットで周囲を確認していた。スコープ越しに覗いた半壊した一軒家。そこで一瞬見えた気がした影。そして次の瞬間には見えた気がする、としていた子供たちが目の前にいて、泣いていた。犬のぬいぐるみがない、と言っていた。
「
……あの場にそんな子供はいなかったよ」
「わかってる」
変な感じはしたのだ。あの半壊した家の中のものは朽ちかけていて、最近のものとは明らかに違った。
親の姿はなくて、子供しかいない状況も。
「
……狙撃手の世界って狭いんだよな」
「え?」
唐突に違う話を始めた荒船に、村上は困惑している様子だった。
「スコープ越しに見る世界が全てみたいなもんなんだよ」
「
……そうなんだ」
「あぁ。だから気づいたのかもな」
「
……」
もしかしたら彼女たちは、まだボーダーという組織が大掛かりなものになる前の時代に、ネイバーによって亡くなっていたのかもしれない。昔あった大規模侵攻時は、今ほど戦闘員は多くなく、技術もしっかりとしていなかった。その時に、何かあったのかもしれない。
「
……荒船」
「あー、あぁ。悪い」
どうもまだぼんやりしがちな荒船に、村上は心配そうな眼差しを向けている。こういう時、誰よりも冷静に判断しなければいけないのだが、頭に靄がかかったままな気がする。
「どうもダメだな。引っ張られてる気がする」
「ダメだからな」
「
……おう」
頷いてはいるものの、生返事なのには気づかれていたのだろう。村上は、酷く真剣な眼差しで村上を見つめていたと思えば、唐突に顔を寄せてきた。
ハッと気づくより早く、村上の唇が荒船の唇と重なった。こういう事をする時、村上は常に遠慮気味で荒船に許可を取る癖があっただけに、今のは完全に不意打ちだった。
「
……っ、おい」
その衝撃で、荒船はみるみるうちに顔が赤くなっていく。
「よかった」
「え?」
「やっと目があった気がする」
「
……あー
…悪い。助かった」
「うん」
「
……」
「同意なしで不意打ちとかより、ちゃんと了承得た上でしたいから。
……ごめん」
「いや
……そ、そうか」
「うん」
意識がそっちに引っ張られているのがわかったのだろう。荒船に対する強い眼差しが、靄を打ち消していく感覚があった。
「おまえがいてよかったよ、鋼」
本当に助かった、と続ければ、村上は少し恥ずかしそうにして、はにかんだ。
「だからもう一回頼む」
そしてだからこそ、少し悪戯っぽい笑みで言われたその言葉に、村上は今度こそ安堵した様子で頷いたのだった。
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ひむり
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