和綺
2025-07-13 18:54:37
4440文字
Public
 

旧「  」高等専門学校の教室から

学生パロ・モブ生徒目線

 うちの学校には有名人が何人かいる。顔がいいとか喧嘩が強いとか家が金持ちとか理由は様々だが、校外からわざわざ顔を見に来る人間がいるくらいには有名だ。クラス替えのときに、そのうちの二人と同じクラスになったときは、結構な人数から羨ましがられた。
 そのうちの筆頭が、五条悟という白髪に青い目のそれだけでも目立つビジュアルに加えて、大層顔もよければ勉強運動なんでもできる男子生徒だ。運動種目の校内の記録は大抵塗り替えていたし、公式試合に出れば高校生の日本記録レベルらしい。本人は面倒がって出場しないため、陸上部の顧問が嘆いているとよく噂になっている。ノリがよくてファンサも多いことから女子の人気は高いが、どちらかというと「皆の五条くん」として、アイドルのような扱いだった。男子としても、普通にスケベな話もゲームの話もするし、担任の物まねがやたらうまかったりと、それなりに付き合いやすい。個人的に巨乳派なところも共感している。
 だけど、やっぱりどこか住む世界が違う、そんなふうに感じさせる存在だった。
「お、歌姫ぇ。また餌やってんの?」
 後ろの扉から入ってきた五条が、庵に声をかけた。
 庵歌姫も校内の有名人だった。まず顔立ちがきれいで目立つ。表情がよく変わるからかわいいとも言われているけれど、多分美人の部類なんだろうなと思っている。ぱつんと揃えられた前髪とふたつに結ばれた髪が示すとおり、真面目でいつも何かの役職についている。今は生活委員長だったはずだ。クラス毎の行事ではよく担任に仕切り役を任されている。真面目だが、お堅くて融通が利かないわけでもなく、この前の文化祭では大人のバー(ノンアルコール仕立て)の企画を実行委員会にごり押しして承認をもぎ取り、クラス中から拍手喝さいを受けていた。
 教室の後方にある、理科担当である担任が置いていったもう誰もが忘れているメダカの世話や、国語担当の副担任のおすすめが並んでいる小さな本棚の整備など、教室内のこまごました雑務をちょこちょこと片付けている姿をよく見かける。
 男子との交流は多くはないが、話しかけると明るく応えてくれるし、笑顔がかわいいと評判がいい。女子ともいろんなタイプと分け隔てなく付き合っていて、彼女がいるとクラスがちょっと明るくなる感じがする。
 そしてなんといっても歌がうまい。うますぎる。めちゃめちゃうまい。音楽の個人テストでは、普段真面目に授業を受けていないような人間も、姿勢を正して、一言も発せず、一音も聞き漏らさないように耳を傾けているし、時間があれば、音楽担当の教師とセッションが始まったりする。うちの学校には合唱部がないので新たに創設する動きがあったらしいが、庵のレベルが違いすぎて断念したと、これも実しやかな噂だ。軽音部の勧誘はこの三年間途切れることなく続いているらしい。去年の文化祭で五条と庵と他の有名人仲間で組んだバンドは伝説である。
「一日二回よ。ちゃんと時間決めてあげてるんだから」
 いつも明るく朗らかで優しい庵は、五条相手だと少し違う。今も五条の顔など見向きもせず、つんとした冷たい態度で答えている。そして五条も気にすることなく、むしろにこにこ、いや、にやにやしながら、庵が餌を撒く様子を眺めている。
 あのメダカは生物の授業のときに理科担当の教師が持ってきたもので、ほかのクラスでも使用したのち、なんとなくこのクラスに置かれた。それから多分ずっと庵が世話をしていて、三匹のメダカはすくすくと育ち、きれいな光を放っている。前に五条がザリガニを入れようとして、庵にこっぴどく叱られていたことを思い出す。そういえば、水槽の水は誰が取り替えているのか。水槽は重いし、さすがに教師だろうか。
 ぶはっ、と噴き出した声に、逸れていた意識が戻った。教室の何人かもなんだなんだと視線を向けている。人気がある五条は基本的に誰か彼かがそばにいたり、隙あらば話しかけようと遠巻きに見つめられていることが多い。けれど、このクラスの人間は、庵と話しているときの五条に話しかけることはほとんどない。別にそれで機嫌を損ねられるというわけではないが、なんとなく入り込めないふたりの世界のようなものを感じるのだ。
「歌姫、メダカに名前つけてんの? ふっ、くっ……
「な、なによ、いいでしょ! 世話してるうちにかわいくなっちゃったんだから!」
「ぶ、くく、ね、もっかい名前教えて、メダカの……
 羨ましい長身を折り曲げるようにして、笑い続けている五条をにらんでいる庵がそれでも口を開く。
……めーちゃんとだーちゃんとかーちゃん」
「かーちゃん!」
 ぎゃはははと品も遠慮もない大きな笑い声をあげている五条に、庵がこぶしを振り上げる。片手で腹を押さえ、片手でそのこぶしを受け止めた五条は、滲んだ涙を拭いながらもまだ笑っている。
「か、かーちゃんはさすがにあれでしょ、こいつオスだし」
「え、うそ!」
 こぶしを握られたままの庵は、驚いたように叫ぶと、勢いよく水槽を振り返った。
「まじかよ! それ小学校で習いましたけど~? 忘れちゃいましたか~?」
 ほら背びれ、とふたりが顔を寄せ合って水槽を覗いている。
 校内の有名人たちには様々な噂があるが、そのひとつに、五条と庵は恋人同士である、というものがある。その内容もバリエーションに富んでいて、生まれたときからの幼馴染とか、中学から付き合っては別れ付き合っては別れを繰り返しているだとか、実は既に結婚しているとか、親が決めた許嫁であるなど多種多様だ。
 五条は家が宗教法人(怪しい教祖じゃないとよく言っている)のなんとかだし、庵は家が神社らしい。長期休みには巫女服で手伝いをしている、とこれは噂ではなく事実である。いわゆるぼんぼんとお嬢様のようなふたりなので、なんとなく古めかしい言い方がしっくりくるのだ。
「いや、そもそもかーちゃんはお母さんじゃなくて、めだかのかだし!」
「お、懐かし。見てこれほら」
 言い訳めいた庵の叫びなどまったく聞かずに、五条がロッカーの上の本棚から、一冊の本を抜き出している。
 そこは副担任がおすすめと称して置いていった様々な本が並べられている。児童書や絵本、よく知らない文庫本がいくつかと、誰かが置いていった昔のジャンプがいつまでもある。どれもこれもが古くぼろぼろで、多分家で読まなくなったけれど、捨てに捨てられない本を置いていってるのだろうと思う。
「聞けよっ!」
「ほら、見て、歌姫。懐かしい」
「えぇ……ああ、むらさきのひかりの本」
 庵が口にしたのは多分皆が子どもの頃に一度は読んだことがあるであろう絵本のタイトルだった。人間を皆殺しにしようとした大妖怪を倒した仏の御使いたちの物語だ。話の冒頭が紫色の光の大技で始まるから、通称でむらさきのひかりの本と呼ばれている。そういえばその技を放っているのは、五条と同じ白髪で青い目をした男だ。そばにはよく巫女服の女性の姿が描かれている。その男と巫女との合わせ技なのだ。
 先ほどまでぎゃあぎゃあとやりあっていたのに、今は同じ絵本を覗き込んで、なにやらくすくすと笑いあっている。その距離の近さがいろいろな噂の元なのだろうが、本人たち曰く、付き合ってない、とのことだ。少なくとも同じクラスの人間は、誰も信じていない。何もないわけない! とは二人に対してある種過激派一派の言である。
「歌姫せんぱぁい」
 気だるげな声が、教室にのんびりと響く。
「硝子!」
 弾かれたように扉を見た庵が、満面の笑みで体を弾ませた。
「帰りましょ~」
「迎えに来てくれたの? ごめんね。今鞄取ってくる」
 硝子と呼ばれた彼女は一年下の後輩で、こちらも有名人仲間のひとりだった。家入硝子という彼女は、目元のほくろが妙に色気のあるテンション鬼低の美人だ。庵と仲が良いらしく、よくふたりでいるところを見る。
「あれ、硝子ひとり? 傑は?」
「職員室寄ってる」
 絵本を本棚に差し戻した五条が、家入へ近寄った。あまり人を寄せ付けないタイプらしい家入は、なぜか五条とそれからもうひとりの後輩(傑と呼ばれた家入の同級生だ)ともつるんでいる。しかし、仲が良いんですね、と言われると、あのきれいな顔を見るも無残なものへと歪めて、あんなクズどもと一緒にされたくない、と吐き捨てるらしい。一体何があったのか、家入には謎がとても多い。個人的にも家入の不思議発言を以前に聞いたことがあり、ミステリアス度は深まるばかりだ。
「日誌書けた?」
 鞄を取りに近くに寄ってきていた庵が、こちらを見ていた。
「ん、もう少し」
 日直の業務である学級日誌の今日の授業内容を取りまとめ、クラス内で気づいたこと欄を埋めている最中だった。
「明日の朝活なんだっけ」
 尋ねられて、日誌の項目を確認する。
「明日は座禅だって」
 はるか昔は宗教法人経営の仏教系学校だったらしい我が学び舎は、その名残でこうした特別なカリキュラムがある。座禅のほかは写経と読経だ。
「座禅かぁ」
 そこはかとなく忌避するような響きに、庵を見上げる。
「苦手?」
「まぁ、別に好きではないかな。足痛くなるし」
「え、いつも全然平気そうじゃん」
「慣れてはいるけど、痛いものは痛いわよ」
 おかしそうに笑う庵に、そりゃそうか、とこちらも笑う。
「歌姫ぇ、行くぞ~」
 扉の方から、五条が呼んだ。
「ん。じゃあね、また明日」
「うん、じゃあ」
 バイバイと振られる手に振り返すと、庵は鞄を手に取り、待っている五条と家入のもとへ行ってしまった。おまたせ、と言う庵に、家入はいいえ、と柔らかく微笑んでいる。
 あれは二年生に進級したときのクラス発表のときだった。昇降口に掲示された白い大きな紙に並んだ自分の名前と、一年生から引き続き同じクラスになった有名人ふたりの名前を見上げていると、少し離れたところに件のふたりが見えた。五条は隣の庵を見下ろして、また一年よろしくね、とにやにや笑っていて、それを庵は嫌そうに受け止めていた。その更に隣に、五条に隠れるようにしていたのが、一年生の家入だった。
「自分だけ追いつきやがって」
 呆れたような響きのそれに、五条はただ笑っていた。庵には聞こえていなかったようで、家入に同じ学校で嬉しいわ、と朗らかに笑いかけていた。
 もう既に有名だったふたりにそんな態度を取る新入生に少し驚いて、だから今でもずっと覚えている。程なくして全国模試一位の称号とともに、家入も有名人の仲間入りをした。
 結局は彼女も住む世界が違うという話なのだ。
 学級日誌のいまだ空欄のそこに、メダカの名前が判明しました、と書いたら庵に怒られるだろうか。五条にするみたいに。
 多分ないな、とすぐに自分で否定して、特になし、と記した日誌を閉じ、日直業務は無事に終了した。