めまめ
2025-07-13 18:26:57
6445文字
Public 鋼徹ワンドロワンライ
 

第八回 鋼徹ワンドロワンライ 

お題「ぬいぐるみ」

「不眠症になっただぁ?」 
「眠りのエキスパートのキミが?」
「ああ」
 影浦と王子に口々に言われ、村上は苦笑いしながら頷いた。土曜日の午後で賑わっているとはいえ、ファミリーレストランで大きな声を上げた影浦に一瞬だけ注目が集まる。影浦は自分に視線が集中したことでなにかを感じたのか、顔を険しくさせたがそれ以上は反応せず、顎をしゃくって村上に話の続きを促した。
「不眠症ってほどでもないんだ。ただ四、五日前から寝つきが悪いというか……寝ても寝た気がしなくて」
「それって、サイドエフェクトへの影響は?」
 興味深げにこちらの目を覗き込んでくる王子に気圧されつつ、また頷く。
「影響は、いまのところあまりないと思う。浅い眠りのときに記憶が定着できてるみたいだ。ただ……この状況が続いたらどうなるかはオレでもわからない」
「それは大変だね。忍田本部長たちには相談したのかい?」
「まだだ。自分でできることはやって、それでもダメなら近々相談しようと思ってる」
 昔から、寝付きが良い子だったと親に言われていた。睡眠にまつわるサイドエフェクトを持つせいか、悩んだり落ち込んだりした日に一時的に寝れないことはあっても長くは続かず、だいたい翌日には脳が眠りを欲して自然と、あるいは強制的に夢の中へといざなってくれた。
 だが、今回はなぜかそうならない。脳は休息を欲しているのに体が拒んでいるような、そんなチグハグな感覚がずっとあった。無理やり目を閉じているあいだに朝になっているので寝れてはいるようだ。しかし安眠にはほど遠く、常にうっすら意識がある気がして寝た気がしない。初めての経験に、村上はすっかり疲れ果てていた。
「ヒカリが作戦室に置いてやがったやつだけどよ、枕に吹きかける香水みてーなのがあっから、かっぱらってくるか?」
「それか、いい香りがするお茶とか。ぼくのおすすめでよかったら明日にでもお裾分けできるよ」
 影浦がスプレーのトリガーを引くような仕草をし、王子は優雅な手つきで紅茶に口をつけた。ドリンクバーにあったカップなのに、王子が持つと高級なティーカップに見えてくる。そんな王子とはファミリーレストランに向かう途中でたまたま出会い、流れで一緒に行くことになったのだが、予想に反して真面目にこちらの話を聞いてくれている。影浦も、香水と言っているのに消臭剤を振り撒くようなジェスチャーが笑いを誘う。だが瞳の奥にはこちらを心配する色が浮かんでおり、二人のおかげで睡眠不足で鬱屈としていた気分が晴れていく。
「王子もカゲもありがとな。来馬先輩に教えてもらってリラックスするお茶とお香と、音楽も試したんだけど、あまり効果が無かったんだ。だから二人の気持ちだけ受け取っておくよ」
 穏やかな気持ちで首を横に振れば、影浦は唸るようにため息をついた。それから視線を横へとずらした。正確にいうと、村上の隣の席に。
「だってよ、荒船。なんかいい案ねーのかよ」
 荒船は、村上の悩み相談が始まってから一切発言していない。事前に「相談したいことがある」と伝えてあったので、あえて口を挟まず三人の会話から必要な情報を拾い上げていたのかもしれない。村上と目が合った荒船は組んでいた腕を下ろし、口を開いた。
「鋼。いま言った以外に、試したことはあるか」
 研究者のような一見冷たく感じられる口調は、彼がなにかをじっくり思考しているときの癖だ。それだけ真剣に話を聞いてくれていたのだと、村上は密かに口元をゆるめながらこたえた
「それ以外だと……湯船にゆっくり浸かったあと、ストレッチしてから布団に入る、っていうのもやったな」
「わかった」   
……荒船? 帰るのか?」
 頷く荒船がポケットから財布を出しはじめたので、つい怪訝な声が出る。千円札をテーブルに置き、席を立った荒船は村上をじっと見下ろした。
「帰らねえけど、いまから鋼の部屋に行ってもいいか」
 
 
 
 あのあと、部屋に来ると突然言い出した荒船をなんとか説得し、一時間だけ時間を貰うと、村上は全速力でアパートへと戻った。部屋に駆け込み、目につくものをクローゼットに押しこんで、脱ぎっぱなしの服を洗濯かごに放る。理由はわからないが、荒船がこの部屋に来る。想像しただけで混乱の極みに達した村上は、洗面所にいるついでにシャワーを浴びた。とにかく、何かしていないと落ち着かなかった。石鹸がきれていたので慌ててシャンプーで身体を洗い、五分で風呂からあがった。
 そうやってあたふたしているうちに、あっという間に約束の時間がやってきた。ドアチャイムに呼ばれるがまま玄関のドア前に立つ。この向こうに、荒船がいる。村上はごくりと唾を飲み、ドアノブに手をかける。そして今まさに鍵を開けようとする腕が、水色と白のストライプの生地で覆われていることに気がついた。
 それは、寝るときに着るパジャマだった。
 風呂に入ることが就寝前のルーティンとして組み込まれているせいか、シャワーを浴びたあと無意識に部屋着を通り越してパジャマに着替えていたらしい。ランク戦で作戦を立てるときのように、村上は瞬時に考えを巡らせる。
(パジャマを着てオレに出迎えられたら荒船は……、いや、荒船はあまり気にしなそうだけどオレのほうが無理だ恥ずかしい)
 待たせてしまうが、急いで着替えてしまおう。ちょうどそのとき、外から「……鋼?」と控えめな声が聞こえた。
 村上は、突き動かされるようにドアを開けていた。荒船にあんなふうに呼ばれたら、待たせるなんてできるわけがない。言い訳をしながら、おのれの短絡さを恥じる。荒船はというと、村上の明らかな寝間着姿に軽く目を見開き、
「ちょうどいいな」
 と、呟いた。
 
「荒船、さっきの『ちょうどいい』って?」
 荒船の前でパジャマを着ているせいで、自室にいるのに居心地の悪さを感じつつ、彼に座布団を勧める。荒船は首を横に振り、着ている白いパーカーを指差した。
「それはあとで言う。それより……俺が、外を歩いてきたこの服で、おまえのベッドで寝たいって言ったらどうする」
 予想外の発言に、村上はやや面食らう。もしかして荒船は、ファミリーレストランにいたときから眠かったのだろうか。学校で課題も出ているだろうし、そういえば月末が近いためボーダーへ提出する報告書を作成しなければいけないはずだ。疲れているところを、無理して相談に乗ってくれていたのか。それだったら合点がいく。きっと荒船はファミリーレストランから一番近いここで、休憩したかったのだ。
「もちろん、好きなだけ寝てもらって大丈夫だ」
 村上は大きく頷いた。体調に気を遣えず呼びつけてしまったことへの申し訳なさもあったが、何より荒船に頼ってもらえたことで思わず声が弾んでしまう。身体を休める場所として、この部屋を選んでくれた。嬉しくないわけがない。
「よかった。じゃあ、邪魔するな」
 荒船がほっとしたように帽子を脱いだ。それから静かにベッドへ腰かけ、靴下を脱ぐ。他人のベッドだからかぎこちない動きで毛布をまくり、きゅっとしまった素足をそこへ滑りこませている。
 荒船が、オレのベッドで、寝てる。思った以上に刺激的な光景に[[眩暈:>めまい]]を覚えながら、
「ああ。オレはキッチンに行ってるから、たくさん寝てくれ」
 村上はなんとも思っていないふうに言った。すると荒船もなんでもない顔で、とんでもないことを言った。
「鋼も一緒に寝るぞ」
「え?」
「そのために来たんだから」
「えっ⁉︎」
「ほら、はやく。理由は寝っ転がってから説明する。とりあえずこっちに来い」
 ベッドに横向きで寝ている荒船に見上げられ、絶句する。白昼夢を疑い、手の甲を抓るとしっかり痛かった。痺れを切らした荒船がぶんぶんと手招きする。「鋼」
 そのたった一言で抗えなくなり、手の甲を抓ったまま隣に潜りこんだ。 
「おまえ、いつもその縞々のやつで寝てんのか?」
 向かい合わせでひとつの枕を共有しているため、顔が、体温が、吐息が、何もかもが近い。シャワーを浴びていて良かったけど、よくない。荒船が喋るたびに、空気の震えまで形になって見えるみたいだった。
「そ、だけど……
「ふーん。なんかパジャマのCMにそのまま出られそうだな」
「いや、」
 自分の息が彼にかかってしまいそうで、目を合わせることもできず、村上はボソボソと返事をする。
「あらふね……これ、なに……」 
 一体何がしたいんだ、と質問したいのに、震える唇からは要領を得ない言葉ばかりが出てくる。荒船はパーカーの紐を襟の内側に仕舞い込んでから、こたえた。
「鋼が不眠症になったって聞いて、俺なりになにかできないか考えた。それで、小さい子はお気に入りの毛布とかぬいぐるみがあると安心してよく眠れる、って説があったのを思い出してよ」
…………おまえとオレは同い年だったはずだが」
 まさか幼稚園児並みの精神だとでも言いたいのだろうか。ついじっとり睨むような目つきになると、荒船はおかしそうにくくっと喉を鳴らす。
「知ってるっつの。まあそれで、子どもだけじゃなく、おとなでもぬいぐるみを抱きしめるとリラックスするんだと。でも俺もおまえもぬいぐるみなんて持ってないし、それなら俺がぬいぐるみの代わりになれば手っ取り早いだろ?」
「すまない。言ってることがまったく理解できない」
「おそらく『抱きしめる』って行為がリラックスに繋がってるはずだから、ぬいぐるみの代替品が俺でも問題ないんじゃないか、って話だ」
……オレが、荒船を、だ、抱きしめて寝るのか?」
「そういうことだな」
 あまりに平然と言い切られるものだから、「問題しかないぞ」と感じるこちらがおかしいのかと錯覚しそうになった。
 だって荒船は、何かの代わりにはならない。ぬいぐるみの代わりだと彼は言うが、彼のことを代替品などと思いたくないし、思えない。だがそうなると共に眠るのは『ぬいぐるみの代替品としての荒船』ではなく、本物の荒船哲次になってしまう。村上は毛布の中で拳を握った。
「荒船……
「なんだ?」
「その提案にはのらせてもらう。オレも眠れなくて困ってたから、試せるものはなんでもやってみたい。……けど荒船は、代わりなんかじゃないから」
 夕暮れ色の目を真っ直ぐに見て、言う。荒船がぽかんと口を開けた。
 そんな反応にもなるだろう。ぬいぐるみとしてではなく、そのままの荒船と一緒に寝たいと宣言したようなものなのだから。ただ正確に言葉の意味が伝わっているかわからないし、もし伝わっていたとしても変な奴だと思われたに違いない。それでもよかった。村上にとって唯一無二のひとだからこそ、どうしても伝えておきたかった。荒船は口元に手を添え、くすくすとどこか上品に笑った。
「わかったよ。じゃあ、ちゃんと俺だって噛み締めながら寝ろよ」 
「ああ……!」
 村上と荒船は、噴き出すように笑った。戯言たわごとだと受け流さず、受けとめてもらえて耳がじわじわと熱くなっていく。荒船と視線が交わったのを合図に、身じろぎすればすぐにぶつかるほどの距離をもっと詰めた。そして村上は、失礼します、と小声で宣言する。
 荒船の二の腕に——ほとんどパーカーの生地に手のひらを置く。このままでも充分な気はしたが、これでは抱きしめたことにはならない。とにかくゆっくり、驚かせないように時間をかけ、慎重に背中へと手を這わせる。ぴくりと荒船の肩が震えた。
「鋼……。触りかたが、いやだ」
「え゛ッごめん!」
 困惑まじりの拒絶の言葉に村上はざっと青褪め、大慌てで手を引っ込めた。
「ふわふわしててくすぐってぇ。やるならもっと一気にやれ」
 と荒船はそう言って、困ったようにさらに眉根を寄せた。
「くすぐっ……そっか、そういうことか」
 村上はほっと胸を撫で下ろした。
「それ以外になんかあんのか?」
「なんでもないよ」
 訝しむ荒船をいなす。彼は意外にもくすぐったがりだったようだ。添えた手から、今までひた隠しにしていたものが伝わってしまったのかと思った。
「そうかよ」
 そうは言ったものの、納得がいっていないのか荒船がむっとした様子で口を閉ざした。機嫌を損ねたかのようなその態度に村上も焦る。咄嗟に荒船の肩に触れようとし、手が届くまえに後頭部を鷲掴みにされた。「まどろっこしいんだよ、おまえ」
 村上の頭は重力に従うように荒船のほうへと引き寄せられた。鼻先が何かにぶつかる。
「あり、ふぇ」
「そこで喋られるとくすぐったい。もっと下に行け」
 荒船を抱きしめるどころか荒船に後頭部を固定され、半ば抱き込まれるような状況に叫びそうになっていると、はやくしろ、と急かされる。
(下、って……
 今は鎖骨のあたりに鼻を押しつけているので、それより下となると鳩尾か胸になるのだが。村上は息を詰めつつ、頭を押さえつけてくる荒船の手をギブアップのつもりで叩く。すると力が緩まったので、とりあえず彼の希望どおり、もぞもぞと身体を移動させた。荒船は、そこからどうしていいかわからずに硬直する村上の後頭部をすぐに捕らえ、また自分の胸元へ押しつけた。
「寝ろ……じゃなくて、目、閉じとけ」
 向こうの声が直接脳に刺さってくるような距離。もはや未知の領域に等しかった。
 強引すぎる寝かしつけに村上は極限まで呼吸を止めていたが、もちろん無理だった。ぶは、っと大きく息を吐き、酸素を取り戻すように吸った。とたんに荒船が着ているパーカーの匂いが鼻に届く。クリアになりかけた思考が一瞬で動揺に染まった。
「柔軟剤、なに、使ってるんだ」
「俺が悪かった。鋼、目と一緒に口も閉じろ。いいな」
 動揺した勢いで質問すれば呆れたようなため息が返ってくる。観念して目をつぶってみても、数秒もしないうちに開けてしまう。こんな状況で落ち着けるわけがない。そわそわしている村上に気がついたのか、尋ねてくる。
「苦しいのか?」
 村上の後頭部を押さえていた手が離れ、ふわりと背中に回された。そのおかげで呼吸はしやすくなっても、密着度が減ってしまった。反射的に、村上も荒船の背に手を添える。荒船は少しだけ目を丸くして微笑み、「おやすみ」と囁いた。
 
 もちろん村上は眠れない時間を過ごした。まぶたを閉じていると余計に荒船の気配に集中してしまうからだ。それでも久しぶりに穏やかな時間を揺蕩っている。
 そうやって、どれくらい経っただろうか。変わった呼吸が聴こえてきたので、そうっと目を開ける。
……寝たのか?」
 返事はなかった。ピクピクと荒船のまぶたは震え、小さく開いた口から寝息がこぼれていた。
(荒船、どんな夢をみてるんだろう)
 村上は笑い混じりの吐息をもらす。
 ぬいぐるみで安眠効果が得られるという話は、荒船に教えてもらう前から実はすでに知っていた。サイドエフェクトの特性上、睡眠や記憶に関する知識はたくさんあったほうがいいだろうとボーダーに入隊してから勉強したのだ。そのとき参考にしたウェブサイトには、
『お気に入りの毛布やぬいぐるみがあると、安心して眠りにつける場合があります。しかしぬいぐるみを好きすぎるあまり、無い場面では逆に落ち着かず眠れなくなってしまうこともあるため、依存のしすぎには注意』
 と書かれていた。
 彼のことをぬいぐるみだとは思っていない。けれど共通点はある。
 一緒に居ると落ち着くのに、落ち着けなくさせるのも彼なのだ。
 村上は眉を下げ、荒船をそっと抱きしめた。腕の中の荒船はぬいぐるみよりも温かで、抱き心地が良くて、ほっとするのに触れていると少し切ない気持ちになる。弾む鼓動は子守唄にするにはうるさすぎた。