千代里
2025-07-13 15:31:35
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リーブラの針は問う・15話・その14


 テオと名乗った少年に連れられた先は、イシュガルドの山中ではたびたび見られる洞穴のひとつだった。
 魔物が巣として作るのか、はたまた頻繁に起きる雪崩などが自然の地形として生み出すのか。雪深い山奥では時折こうして岩が崩れ、雪が吹き込まない休息所が生まれる。オデットたちにも馴染み深い自然の休憩所のひとつに、テオは迷うことなく飛び込んだ。
 彼の後を追うと、程なくして焚き火が赤々と照らす空間にたどり着く。洞穴の中でも、ここは天井が高く、広い空間を持っている場所のようだ。
 怪我人と思しき人物は、洞穴の壁に擬態するように暗い毛布を羽織り、片膝をついて洞窟の壁に背を預けていた。傍らに置かれている、オデットの背丈ほどもある長剣がその人物の得物なのだろう。
(武器に対して小柄な方に見えますが……もしかして、サルヒさんのように力持ちの方なのでしょうか)
 相手を警戒させては傷に響くだろうと、オデットはいくらか距離を置いて、テオの様子を見守る。 
「クラリスさん。怪我を治してくれる人を連れてきましたよ」
 少年は声を弾ませ、暗がりに埋もれるようにしていた人物に声をかける。
 すると、暗色の外套が揺れて、中の人物が顕になる。焚き火に反射し、中に隠れていた金髪が鮮やかにその場を彩る。その姿を見て、オデットは驚きで目を丸くした。
 なぜなら、
(女性、だったのですね)
 年端もいかぬ子供と護衛の剣士という組み合わせに、つい自分とノエを思い出してしまっていたからだろう。おまけに、長剣という巨大な武器を目にして、無意識でテオの連れは男だと思い込んでしまっていた。だが、テオが話しかけた相手は、長身ではあるものの、どこからみてもヒューラン族の女性だった。
「怪我を治す人を連れてきた……? 一体、誰のことを――……っ」
 顔を持ち上げた女性は、テオの言葉に一拍遅れて反応を見せる。
 続けて、彼女は目を見開き、素早くその場に立ち上がった。立ち上がりざまに、腰にしまっていた短剣を抜き放つ。
「貴様ら、何者だっ!!」
 威勢のいい誰何とは裏腹に、焚き火に浮かび上がる顔色は決していいとは言えない。どこかぎこちなさの残る姿勢は、おそらく負傷による痛みのためだ。
 どう答えたものかと迷っていると、ルーシャンから視線が送られていることに気がついた。彼は、オデットからまず切り出せと言いたいのだろう。
「あの……わたしたち、狼に襲われていたテオさんを助けた者です。お連れの方が怪我をして困っていると聞いて、わたしは治癒魔法を使えるので、それならお手伝いができるかと思いまして」
「俺たちは、なるべく早く、山を越えて行きたいんだ。だが、どういうわけか、向かう先には妖異がうじゃうじゃ湧いている。一人で突破するには少々荷が重いから、手当てをする代わりに手伝っちゃもらえないかと思ってな。悪い話じゃないだろ?」
 悪巧みなど一つもないと言わんばかりに、ルーシャンは軽やかな笑みを送ってみせる。
 女性は、素早くオデットやルーシャンの旅装に目をやり、
……神殿騎士団の者ではなさそうだな。異端者たちの持つ胡散臭さもなさそうだ」
 そう言うと、短剣をおろして、一歩こちらへと近づいた。
 傷の出血のためか、顔に青白さはあるものの、強い意志を思わせる眼差しがオデットたちを射抜く。深い海のような青の瞳は、戦う者が持つ特有の鋭さを帯びていた。ルーシャンよりもやや濃い色合いの金髪がゆるく編まれ、粗末な紐でぞんざいに結ばれている。
 同行しているテオの温かそうな防寒着と比べると、彼女の旅慣れた服装は対照的に映って見えた。
「神殿騎士団だけじゃなく、異端者にも目をつけられてるのか?」
「詮索するのなら、先ほどの協力の話は無しだ。私たちも、山を越えた向こう側の領地に向かう必要がある。お前たちは知らないかもしれないが、かつてはエヴラールという名の貴族が治めていた土地だそうだ」
 知っているも何も、当事者二名と話をしているとは、女性は夢にも思っていないだろう。
「その話なら聞いたことがある。領の境なら、妖異どもを倒せばすぐそこだ。そこまで協力してもらえるなら、そちらの傷を治す。これでいいか?」
「妖異の姿は、私も観測している。……いいだろう。どのみち、この傷では動けずにこの子の足手纏いになるばかりだ」
 大人二人の交渉は成立したらしい。ようやく張り詰めていた緊張を緩めた女性に、テオがすぐさま駆け寄る。
「お話が済んだのなら、クラリスは座ってください。立ちっぱなしだと傷が悪化してしまいます」
 テオに促されて、女性はようやく再び腰を下ろした。体を無意識に庇うような仕草からも、彼女の気丈さが窺える。
「傷を見せてもらえますか」
 オデットもクラリスにゆっくりと近寄り、普段よりもゆったりとした仕草で膝を折った。同じ女性同士の方が、傷も見せやすいだろうと思ってのことだ。
「感謝する。……そういえば、名乗りがまだだったな。私はクラリス。そちらがテオだ。少々訳があって、旧エヴラール領まで向かおうと、こうして山中を抜けているところだった」
「わたしはオデットです。あちらの方がルーシャンさん。わたしたちも、この山を越えてエヴラール家の領地に行く必要があるんです」
 話をしながら、自分はルーシャンに連れ攫われているはずだったのに、と不思議なおかしさを感じていた。
 本来なら、エヴラール領にある目的地に行きたいと思っているのはルーシャンだけのはずだったのに、オデットもごく自然に彼の向かう先を目的地と定めていた。
……でも、今ここで兄さんたちに追いつかれるというのも、何か違うと思うんです)
 自分がここまで深く関わっていると分かっている以上、中途半端なままで旅を終えたくない。オデットは、いつしかそう考えるようになっていた。
 オデットが思案している間にも、クラリスは外套の紐をゆるめていく。纏っていた装備を脱いでいくごとに、出血の酷さが明らかとなっていた。
 露出した肌は、本来の色を失い、代わりに殆どどす黒い赤に染まっている。応急手当てとして巻かれた包帯にも、変色した血の中に、まだ新しさの残る赤が滲んでいた。
「まずは、汚れを拭きますね。傷が塞がっても、これでは傷から病が入ってしまうかもしれません」
「その前に、少しでいい。お前の治癒魔法を見せてくれないか」
 腕を疑われているのだろう。まずは患者の信頼を得る方が先決だと、オデットは彼女の傷に手を翳し、少しばかり癒しの魔法を発動させる。ゆっくりと傷が端から塞がっていく様子を見て、クラリスも納得したようだった。
……たしかに、よい魔法の腕を持っているようだな。すまないが、手当は任せる」
 言うと、彼女は肩の力を抜いて今度こそオデットへと身を預けてくれた。警戒はしているのだろうが、痛みが和らぐという変化が彼女の張り詰めていた緊張をいくらか緩めてくれたようだ。
 少し離れたところからは、ルーシャンがテオと話している声が聞こえる。この近辺に詳しいかどうか、会話をしながら探っているようだ。
「オデット、といったか。お前は、どうして旧エヴラール領に行こうと?」
 痛みを誤魔化すためか、不意に質問が飛んできてオデットは目を白黒とさせる。
「ああ、いや。すまない。詮索をするなと言ったくせに、私の方が詮索をしてしまった。忘れてくれ」
「あの、それは……
「ただ、これは念の為の確認だが……お前は、あの男に無理やり付き合わされているわけではないのだな」
 真剣さを帯びたクラリスの鋭い視線が、治癒魔法の光に照らされている。
 ひょっとしたら、彼女はオデットが無理やりルーシャンに連れ出されたのでは無いかと疑っているようだ。たしかに、年端もいかぬ娘と、年嵩の男性が共にいるのは、仲間というにはやや不自然に見えるのかもしれない。それに、無理やり連れ出された件については、全くの見当違いとも言えない。
(たしかに、最初はいきなりで、何が何だか分からなかったですけれど……
 だからといって、オデットはルーシャンから解放されたいとは願っていない。何がなんでもノエの元に戻らなければと、焦っているわけでもない。
 何より、ルーシャンはオデットにとっても大事な仲間の一人だ。
「はい。わたしは、自ら望んでルーシャンさんについていっています。この先は、どうなるかはわかりませんが、少なくとも今は」
……そうか。それならいい。どんな手段を使ってでもと言っても、さすがに悪事の片棒を担ぐ気はない」
 クラリスの何気ない物言いに、オデットは彼女は善良な人なのだろうと思う。
 見ず知らずのオデットの身を案じ、たとえ己のためであろうと、自身の矜持に逆らうようなことはしたくないと口にする。その考え方は、ノエにも通ずるところがある。
 話している間にも、傷の手当ては進めていく。錬金薬で浸した布で血を拭い、はっきりと確認できた傷口を魔法で塞いでいく。ひどく痛むだろうに、クラリスは悲鳴ひとつあげず、オデットの治療を見守っていた。
 傷が塞がった後は、流れた血で汚れた肌を、布で拭っていく。すると、先ほど塞いだ傷以外にも、いくつかの傷跡がいくつか露わになった。
 激しい出血こそしていないものの、傷の治りが悪いのか、まだ赤みを帯びて、中には薄く血が滲んでいるものもある。
「これは……
「子供に見せるものではなかったな。後は自分でやる。あの男に、傷は塞がったと言ってくれ」
 クラリスはオデットからやんわりと布を奪い、自分一人で手当てを進めようとした。
 だが、ここで大人しく引き下がっては治癒魔法使いの名折れだ。オデットは構わずに、傷に触れ、治癒魔法を施した。普段よりもやや時間はかかったが、魔法は確実にクラリスの傷を塞いでいってくれた。
「傷の治りに障りがあるようですが、思い当たることはありますか。病とか、相手の魔物が毒を持っていたとか……
「安心してくれ、病ではない。それに、魔物のせいというわけでもない」
 クラリスは、ちらりと傍に置いた大剣を見やる。
「私の剣技は、体の魔力を使うだけではなく、私の中の感情をエネルギーにしているらしいんだ。おそらく、その分だけ、予想外の負荷がかかっているんだろう」
「感情をエネルギーに……?」
「私の師匠の言葉を借りるなら、己の怒りや悲しみのような負の感情を力とするのだそうだ。とはいえ、私として、この術を自分で使えるようになったのは、ここ数ヶ月の話だ。新しい技を制御し損ねて、肉体に影響が出ているのだろう」
「そんな……! それでは、いくら傷を塞いでも、また倒れてしまいますっ」
 大声を出して、テオやルーシャンに気づかれてはいけないと声を殺したものの、オデットは驚きの声をあげる。だが、女剣士は心配するオデットにゆっくりとかぶりを振った。
「テオは、私の恩人の子供なんだ。なんとしてでも、彼がこの先無事に過ごせるように、山を越えねばならない。そのためならば、私がいくら身を削ろうとも……
 傷を塞ぐ際に消耗した生命力が、クラリスに眠りを齎そうとしたのだろう。無理に立ちあがろうとした彼女の足がふらつき、慌ててオデットは体を支える。
「すぐに動こうとするのは無茶ですよ。出血も酷かったんですから、ちゃんと休んでください」
「だが、お前の連れは、すぐにでも山を越えたいと言うだろう」
「ルーシャンさんには、ちゃんとわたしから説得します」
 彼がなんと言おうと、この女性をしっかり休ませてから出立しようと心に決めて、オデットはクラリスを再び岩壁にもたれかけさせる。荷物から毛布を取り出し、体にかけると、ようやく観念したように彼女は目を閉じた。
 続けて、オデットは少し離れた場所でこちらの様子を見守っていた二人に近寄る。オデットが駆け寄ってくるのを見て、ルーシャンの方から彼女へと近づいてきた。
「ルーシャンさん。手当ては終わりました。だけど、クラリスさんはまだ疲れが残っているようなのです。彼女が休んで体力を回復してから、出発としましょう」
「そうか。やむを得ない、か。体力が落ちた剣士を囮にしても、大して時間は稼げないだろうしな」
「ルーシャンさんっ!」
「冗談だ。だが、十分に動ける状態になってから、どれほどの腕があるかは見せてもらうつもりだ」
 傷が塞いだばかりのクラリスを戦わせると聞いて、オデットは眦を釣り上げる。だが、ルーシャンは表情を変えない。
「あちらさんの戦い方も分からないんじゃ、協力なんて夢のまた夢だ。それに、足手纏いになるっていうなら、囮にでもして活用するしかないだろ。……もっとも、あの坊主はともかく、あっちはそれなりに手練れではあるみたいだがな」
 ルーシャンは、テオから道中の話を聞いて、クラリスの腕前を測っていたらしい。
 彼女の負傷は、数体のミロドン――四つ足の巨大な魔物だ――を相手どり、テオが十分に逃げる時間を稼ぐために耐久戦となり、相手を振り切る際に受傷したものだそうだ。
「あの大きな剣と、何体もの魔物を相手どる耐久力。彼女は、ひょっとしたら噂に聞く暗黒騎士なのかもしれないな」
「暗黒騎士?」
 随分と禍々しい名前だが、その名はオデットの身すら案じてくれたクラリスには似つかわしくないように思えた。
「俺も噂しか聞いたことがないが……イシュガルドは見ての通り、弱者がものを言いづらい環境だろ。そんな中で、弱者の味方になると決めた騎士がいたそうだ。そいつらは盾じゃなくて身の丈ほどの大剣を扱い、魔法だけでなく、自分が感じた理不尽に対する怒りや悲しみすらもエネルギーに変える技を身につけている……と言われている。それが、暗黒騎士だ」
「何だか、御伽噺みたいな話ですね。……でも、クラリスさんも、実は同じようなことを言っていました。ただ、そのせいで傷の治りが悪くなっているのかもしれないって」
「感情をエネルギーにするっていうのが、どういうことかっていうのは、流石の俺にもさっぱりだ。だが、あまり肉体にとって良い状態ではないんだろうな。ただでさえ、自分の許容量以上のエーテルを扱えば、反動で肉体はダメージを受ける。最悪、死に至る場合もあるだろう」
「では、クラリスさんには暗黒騎士の戦いをやめるように言うべきでしょうか」
 言いながらも、オデットは暗黒騎士の件とは別に、頭の隅にひっかかるものを覚えていた。
 だが、すぐにルーシャンが返事をしたので、彼女は疑念を一旦棚上げする。
「彼女がこの場を乗り切るために必要だと思っているのなら、無理に止める必要はないだろう。今ここで、坊主を抱えて野垂れ死ぬか、多少体にダメージはあっても、目的地まで辿り着くか。どっちを望むかは、オデットの方が知っているんじゃないか?」
 そう言われてしまっては、オデットとしても返す言葉はない。体に負荷がかかろうとも、クラリスはこの場を乗り越える方を選ぶと分かっていたからだ。
「俺たちは、偶然あの二人組に出会っただけの旅人だ。連中がどこに行こうと、俺の知ったことじゃない。その辺り、お嬢ちゃんも承知の上だろうな?」
……はい」
 返事をしながら、オデットは思う。
 もし、自分が目的地にたどり着いて邪竜を滅ぼすことができれば、今こうして関わっている二人もまた助かるのだろうか。
 クラリスに駆け寄り、無事を喜ぶテオの横顔は、その髪色や瞳も相まってありし日のゲルダを否応なく思い出させる。彼女もまた、オデットが幾許かの土地を、人々の暮らしを犠牲にして、多くの人を救ったと聞いたら喜んでくれただろうか。
 ――幸せになって。
 友人の遺した一言が、オデットの心に淡く波紋を残していった。
 
 ***
 
 オデットたちが、新たな同行者としばしの休息を取っていたころ。彼女たちを追いかけるノエとその一行は、街道沿いの小さな宿場町で体を休めていた。
 ルーシャンたちが皆の前から姿を消して、この夜で五日になろうとしている。
 ノエたちは一日遅れて出立していたが、ルーシャンたちのように人目を憚って山を抜けていく必要がない分、距離はじわじわと詰められているようだった。
 夜間に無理な移動をしていないのも、彼らが休息を十分にとっているという報告がミラベルからあったからこそだ。イシュガルドのような厳しい環境下では、強行軍は結局己の命を縮めるだけとなる。追う方も追われる方も、それを承知しているので、休息を十分にとった上での追跡が続いていた。
……とはいえ、連絡が取れたらとは思っていたんだが」
 日が昇るにはまだ早すぎる闇の中、ノエは自分の耳に指をかけて、応答のないリンクパールにため息をつく。休息の合間に何度かオデットに連絡は取ろうとしていたが、結果は梨の礫だ。
 何となく目が冴えてしまい、ノエは外套を羽織って部屋の外に出る。
 同室のオランローとミラベルは、布団にくるまって微動だにしていない。洞窟や天幕の中以外で寝るのは久しぶりなので、熟睡しているのだろう。誰も見張りに立つ必要のない休息は、それだけで旅人の心身を癒してくれる。
 今日の宿は、二階建ての木造の建物で、廊下に出ると床板が軋んだ音を立てた。
 人気のない廊下を行き、何気なく窓の向こうに目をやる。
 街道沿いの宿場町には、旅人こそ訪れるものの住人の数は少ない。このような真夜中では人の気配もない――と思ったが。
「あれは……?」
 宿場町の中心にあたる小さな広場にて、数名の人間が集まっている。その中の一人は一般的な外套を着込んでいたが、他は何やらものものしい、どこか見覚えのある武装をしていた。
「ノエ、何をしているんだ」
「妙なものでも見えましたか」
 声をかけられ、振り返ると、オランローとミラベルが眠たげな様子でこちらにやってきていた。どうやら、ノエが出てきた気配で目が覚めてしまったようだ。
「こんな夜中に、人が出歩いているようなのです。夜遅くに訪れた旅人でしょうか」
「いえ、あれは……神殿騎士団ではありませんか」
 ミラベルの答えに、ようやくノエは武装の既視感に気がついた。あれは、神殿騎士団の標準武装のひとつだ。シュガーグレイヴにて、神殿騎士団から派遣されてきたイレーナやピヌヌと行動を共にしていたときに何度も目にしたものと同じであることからも、間違いない。
「神殿騎士団が、どうしてここに? 駐屯所が近くにあるのでしょうか」
「だとしても、このような深夜に集まって行動する理由がどこにある」
「オランロー殿の言う通りです。ひょっとしたら彼らは……
 武装集団に話しかけている人物の横顔が、立ち位置を変えたことでランタンの灯りに晒される。一瞬見えたそれは、今晩ノエたちが泊まっている宿の主人だった。
 それに気がついた瞬間、ノエは訝しげに表情を歪める。
「かれは、ここの主人ですよね。神殿騎士団にいったい何の話をしているのでしょうか」
「オランローさん。すぐに、ヤルマルさんたちを起こしてきてもらえますか」
 ミラベルの鋭さを交えた声音に、オランローが「なぜだ」と問う。
「オーバン卿の手先も一枚板ではない、と言ったでしょう。他の者からも、オーバン卿の挙動は注目されています。それは、決して貴族に限った話ではありません」
 あれは、てっきり他の貴族のことだろうとノエも思い込んでいた。
 だが、イシュガルド正教というこの国で最も権力を持つ組織も含んでいるのだとしたら。
 イシュガルド皇国にとって最も人々が支持する組織が、邪竜との戦いにおいて終止符を打てるかもしれない存在を見過ごすだろうか。
「ミラベル。あんたは、イシュガルド正教の司祭でもあったな。あんたを尾けてきたのか」
「もともと、私が遺産の分析に携わっていると彼らは知っています。それについて、どれほど真剣に注目していたかは分かりませんが」
「ともあれ、こんな夜中にやってきて、宿の主人だけを連れ出して話を進めている時点で、穏やかに話をしようと考えている風には見えないな。ノエ、オレはこいつの言うようにヤルマルたちを起こしてくる。身支度を済ませておいてくれ」
 これ以上の説明は後から聞くと判断して、オランローは隣室のヤルマルたちの扉を勢いよく開く。ノエもミラベルを伴い、窓から目を離して部屋へと戻った。
「神殿騎士団も、オデットを狙っているのでしょうか」
「可能性はあるでしょうね。全てではありませんが、私からもいくらか遺産の内容は伝えていました。教会の通常の務めから外れて、遺産の分析に集中するためには相応の報告が必要だと伝えていましたから、オーバン卿も教会に情報が漏れていたことは承知の上でしたでしょう」
「ですが、全容は話していなかったのですよね」
 頼みの綱に縋るようなノエの確認に、しかしミラベルは首を横に振る。
「エヴラール家の悲願は、知ろうと思えばすぐに知れることです。そして、ここに至って、オーバン卿が自ら出向いて一人の少女を回収した。因果を結びつけるには容易いでしょう」
 その話を聞きながら、ノエは一つの可能性を頭によぎらせていた。
 オデットに因縁がある教会関係者は、ミラベル以外にもいる。その人物が、もしかしたらオーバンの動きを教会に報告したのではないか。
……ミラベルさん。ハンフリー司祭が、情報の漏洩元という可能性はありますか」
 唐突に出てきた名前に、ミラベルの動きが止まる。
 シュガーグレイヴの教会にて、一人で祈りを捧げていたオデットを殺しかけた人物。
 それがハンフリー司祭だ。
 かつての復興事業の関係者を次々殺めている謎の人物がオデットであると思い込み、同じく事業に関わっていたハンフリーは、次は自分が狙われるものと思い込んでいた。思い詰めた彼は、オデットを教会に閉じ込めて殺そうとしたのだ。
 オデットは辛くも難を逃れたものの、ハンフリーの凶行はそれだけではなかった。
 彼は、シュガーグレイヴで行方不明になっていた子供たちもまた、私欲のために手にかけていたのだ。
「彼は、教会から逃げるように姿を消しました。シュガーグレイヴで自分が重ねていた罪が露見するのを避けるためか、それとも保身のためかは分かりませんが……ともあれ、教会の張り紙には、皇都に向かうとありました。そのときに、教会で何か告げ口をした可能性があります」
――それはあり得ません」
「なぜ、そう言い切れるのですか。彼がどれほど恐ろしいことをしていたか、あなたにも話したでしょう」
 言葉を交わしながらも、ノエは腰に剣を帯び、まとめた荷物を背負う。
 一方、ミラベルもまた、自身の武器である細身の剣を腰に吊るした。こん、と鞘が宿の壁にあたり鈍い音が響く。
「ハンフリーが皇都に向かうことはない。これまでも、これからも。この先一生」
……それは、どういう意味ですか」
 今まで交わしていた何気ない日常の気配が、不意に切り替わる。
 一瞬落ちた沈黙は、ここで踏みとどまれば何も知らずにいられるとミラベルなりに示した一線だ。
 そして、ノエは、それを踏みこえることを選んだ。
――ミラベルさん。答えてください」

「俺が、ハンフリーを殺したからだ」

 司祭然とした顔は、もう、そこにはない。ミラベルの温度のない視線が、まっすぐにノエを射抜いている。
 追手が迫っているかもしれないという状況すら、一瞬忘れかけた。
 ミラベルの口にした言葉の意味を理解するのを、ノエの頭が拒否してしまっていた。
 だが、ノエの混乱をよそに、ミラベルは続ける。
「あの事業に関わってきた連中も、俺が手にかけた。奴らは、左遷先ですら同じような所業を繰り返していたからだ。だから、あの子があいつらに脅かされることはない」
 これまで、オデットの身を共に案じていた青年の姿が、不意に遠くに感じられた。
 まるで、ノエの全く知らない姿が影から滲み出てきたかのような。
……ミラベルさん、あなたは、どうしてそんな真似を」
「だが、イシュガルドの教会そのものを真っ向から敵に回すのは流石に手に余る。どうせ、あいつらのことだ。オデットとエヴラール卿の魔法のことも、そこまで本腰を入れていないだろう。動いているのは、手土産を持ち帰りたい下っぱどもといったところか」
「ミラベルさん、答えてください! あなたは、本当にハンフリー司祭を手にかけたのですか!!」
「今、その問答をしてる余裕があるのか」
「それは――っ」
「おい、いつまでぐずぐずしている!」
 押し問答を続けるより早く、開け放たれた扉からオランローの声が響く。
 同時に、階下から大きな物音が響いた。作戦の段取りを決めた神殿騎士団が動き出したのだろう。
 漏れ聞こえてきた話し声に背中を押され、ノエは部屋から飛び出る。
 廊下の窓の一つが大きく開け放たれ、オランローに起こされたヤルマルたちがちょうど外へと飛び降りていく姿が見えた。ちょうど、宿の裏手に降りる形になるので、玄関から入ってきた神殿騎士団とは鉢合わせにならずに済むだろう。
「すぐに町を出て、山の中に入る。サルヒが先頭を切るそうだ。連中がどこまで追いかけてくるかは分からないが」
「彼らの目当ては、あくまで私たちの持つ情報でしょう。そして、それは私たちではなくても得られるものです」
 ミラベルの口調は、先ほど司祭を殺したと言い放ったときの激しいものから、常の司祭然としたものに変わっていた。今はあの話はしない、とノエに宣言しているかのようだ。
「ルーシャン殿とオデットを監視し、追跡している者は他にもいるはずです。そちらを追いかけた方が楽だと思ってもらいましょう」
 話しつつ、ノエもまた開け放たれた窓を飛び越える。チョコボ留めはすぐそばだ。出立自体はすぐにできるだろう。だが、宿がもぬけのからと知れば、すぐにチョコボの足跡を追いかけ始めるはずだ。
 チョコボ留めに隠れるように滑り込むと、一分も待たずにミラベルとオランローもやってきた。鳴き声をあげないようにチョコボを宥めつつ、ノエは素早く鞍にまたがる。
「もし、彼らが僕たちに攻撃してきたなら、どうするつもりなのですか」
 先ほどのハンフリーの一件を思い出したせいで、ノエの顔は暗い。対照的に、ミラベルは素知らぬ顔のままだった。
「山中で攻撃されたのなら、迎撃するしかないでしょうね」
「そんなことをしたら、僕たちが教会に弓を引いたことになりませんか」
「構いません。山中で攻撃してくるものなど、神殿騎士団を騙った偽物に決まっているでしょう」
 彼らが本物の騎士であるのは、ほぼ確実だ。なのに、ミラベルは敢えて偽物だと言い捨てた。
「人々の安寧を護る教皇猊下が、山中を行く旅人を一方的に殺害するように指示をだした。そのような疑いを持たれても構わないと判断するほどに、この件に肩入れしているようには見えません」
「要するに、上の連中の許可を取らずに追いかけてきているってことか」
 オランローの確認に、ミラベルは首肯する。
「ええ、まず間違いなく。権力に頼れないのは、あちらも同じです。その上で、相手が賊と同じ振る舞いをするのなら、こちらも相応の対応をすればいい」
「だったら、オレもこいつの意見に賛成だ。無理に傷つける必要はないが、オレたちが負傷すればその分ルーシャンの追跡も遅れる。その意味は、あんたが一番よく知っているだろう」
 オランローの確認に、ノエは言葉を詰まらせるしかなかった。
 追い詰められたルーシャンが、オデットには何も告げずに、自身の父が遺した魔法を使えと迫るかもしれない。その末に、オデットが背負わなければならなくなる罪がどれほど重くなろうとも。
 彼がそこまで短絡的ではないと信じたいところだが、不確定情報が多すぎるのが現状だ。
「わかりました。……ともあれ、彼らが僕らの不在に気がつく前に、できる限り距離を置きましょう」
 鞍に腰を押し付けるよりも先に、ノエはチョコボの手綱を打ち、宿場町を後にした。できるならば、神殿騎士団たちがこちらの追跡をすぐに諦めてくれるようにと祈りながら。
 チョコボを走らせながら、前を行くミラベルの背中をノエは見つめる。オデットを、罪もない子供たちを傷つけた司祭を殺したと告げた彼の言葉に、迷いはなかった。
(彼が間違っていると言うのは、簡単だ。でも、だったら僕は、ミラベルさんが間違っていると本当に言い切れるだろうか)
 彼が間違っているのなら、一体どこに『正しさ』はあるのだろうか。
 震え上がっていた、あの時のオデットを思い出す。
 帰ってこない友人を待っていた、孤児院の子供たちを思い出す。
 堂々巡りの迷いの先にあったのは、竜に変じ、ノエが手にかけた少年の姿だった。
(仮に、僕がミラベルさんと同じ立場だったのなら……僕は、一体何を選んだのだろう)
 そして、それはノエが己自身を裏切らずに済む『正解』と言えるものなのだろうか。
 ノエたちを覆う星のない夜と同じように、彼の心は暗渠へと沈んでいった。