ふにょり
2017-02-18 22:21:40
49065文字
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Star Of Hearts 後編 君のくれた星の朝

FFT長編小説の後編です。 シャルロットという白魔道士と、ラムザさん、ムスタディオ、アグリアスさんがメイン。 オリジナルのキャラ、町、また一部固有×汎用ちゃんのCP表現がありますので大丈夫な方のみご閲覧ください。 サブタイトルはエバーラスティングブルー様よりお借りしました

「う……
 囚われた意識がようやく解放され、少女はゆっくりと目を開けた。昼間のような明るさは、暗闇に慣れた目には眩い。
 周りに誰かがいる。それも複数だ。
 ムスタディオ? それともラムザ?
 そんなことを考えながらどうにか視界を捉えると、白い影が見えた。否、影ではない。それは……
「え……?」
 その正体がわかったと同時に、意識もはっきりと形を帯びた。










  Star Of Hearts
  後編 君のくれた星の朝











***


……誰も人がいないわ」
 中心街に出てまずこの第一声をあげたのはラヴィアンだった。誰もいない屋台と、明かりも灯されていない建物が無機質な顔で通りに立ち並ぶばかり。梟の声すらせず、まるで廃墟のように街は息をしていない。
 この町に着いた今日の昼前——今日だって? まるで何ヵ月も前のようだ!——はこの辺り一帯人が途切れもなく歩いていた筈である。酒場すらないこの都市なら、夜となった今では外にわざわざ出てくるような人間は旅人でなければ盗賊やら悪漢やらくらいであろうが、それにしても人の気配がない。狭い裏路地も、建物の中からも、何の音もしない。
 この町は、どこかおかしい。
 何度思い、何度言ったか最早わからないこの言葉が今度こそはっきりとした不安となり再び胸に沸き上がる。
 胸騒ぎを覚えたアグリアスは、一人の青年の後ろ姿が脳裏に過った。ここからでも彼が向かうと告げた時計塔が遠くに見える。
 知らず知らずの内に、唇は彼の名を紡いでいた。
「ラムザ……

 生き物の気配すらもしない木々に囲まれた道を進む。時の流れを忘れてしまったかのような停止した空気は息が詰まる程である。
「昼間はこんな様子じゃなかったのに……
「どうやら、消えたのはシャルや宿の家族だけじゃないみたいだな」
 ラムザの言葉をムスタディオが付け加える。
 ここまでくれば、流石にこの町全体で何かが起こっているのではと、これを疑わない余地などどこにもある筈がなかった。
「忽然と消えるなんて、まるで幽霊のようだ……
……幽霊、か……
……ムスタディオ?」
 呼ぶと彼は立ち止まってこちらを振り向いた。
……なあ、ラムザはこの町の人々が生きてる人間だと思うか?」
…………は?」
 聞かれた意味がわからず裏返った声で聞き返してしまった。
……いや、ちょっと思っただけなんだけどよ」
 ムスタディオは何でもないから気にするな、と言うように肩を竦めた。しかしラムザはその言葉がひっかかって問い詰めずにはいられない。
「それってどういう……?」
 だから何でもないって、と言おうとしたが、このラムザの様子でははぐらかすだけ無駄だな、と考え話を続けた。
「俺たちの格好見て変わってるとか、昔の刃物売ってるとか、白魔法使っただけで大騒ぎとか、なんか過去の記憶が具現化してるみたいだなーって」
「それじゃあ、このスターリアという町は幻だとでも言うのかい?」
「幻とはちょっと違うだろ? 現に俺たちはここで飯食ってるわけだしよ」
「そっか……
「でも、実際おかしいことばっかり起こってるのも確かだしな」
「だとしても、誰がいったいどうやって、そもそも何のためにこんなことを……? やはり白魔法が目的なのか?」
「そこまではわかんねえ」
 ムスタディオは再び歩き始めた。ラムザもすぐに続く。
「どっちにしろ、シャルを見つけたらわかるだろ」
「そうだね……
 きっと彼女を見つければ真実も自ずと見えてくるだろう。その期待が、今の自分たちを支えている。祈りを天に捧げるように、ラムザは晴れた星空を見上げた。


***


「え……?」
 意識がはっきりと覚醒したと同時にシャルロットは体を起こした。
 天井はなく、上には巨大な歯車がいくつも音を立てながら動いている。その隙間から満月の光のような白い光が差し込んでいる為か辺りは決して暗くはない。円形の広い広間の中心に寝かされていたようだった。自分たちが泊まる予定だった宿ではない。ここはいったい……
 その上この広間にいるのはシャルロットだけではない。何よりも気になったのは彼女の周りにいる者たちだった。目が覚めるきっかけになったのもこの者たちが見えたからだ。
 人間……なのだろうか……
 人の形はしている。しかしそれは人間というよりも人間の形をした白い光でできたシルエットのようである。大小のこれらが広間いっぱいに集まり、ゆらゆらと揺れながら彼女を囲んでいる。四方八方から視線を感じる。皆こちらを見ているのだ。
…………
 シャルロットは怯えるように体を縮こめる。
 だが彼らは動じていないようだった。
『目を覚ました……
『覚ました……
『覚ました……
 生気のない複数の声が耳元で囁いているかのように聞こえた。囲まれてはいるがそんなに近くにいないはずなのに。
 この声たちは……聞き覚えがあるような……
「あ……あの…………
 どうにか出した声は震えていた。仲間たちはここにはいない。自分一人でこんなところにいて恐怖を感じない筈がない。
 人の形をしたものの中に、極めて小さな者がいた。それが持っているものが目に留まる。
……!!」
 これを見ただけで、この者たちの正体を確信した。
「あなたたちは……もしかして……
 彼らはかなりゆっくりとした動作で察した通りだと頷いた。
「どうして……私を……?」
『助けて……
 光の群れの中からそんな言葉が聞こえた。
「助けて?」
 言われた言葉を繰り返すシャルロットの前に、光が一人近づいてきて彼女の肩に手を触れたその時、一閃の映像が脳裏に映し出された。
……!!」
 時計塔に入っていく武装した人間たち。崩れて行く街。そして現れたのは、まさか、これは……


***


……そうだ、思い出したぞ!」
 アグリアスは突然声をあげた。彼女らしくもないその挙動に一緒にいたラヴィアンは飛び上がってしばらく呆然と見ているばかりだったが、やがて何を、と問い返した。
「この町は……、スターリアという町は……、既に滅んだ町の名だ……
「どういうことですか?」
「畏国史の歴史の講義で講師の無駄話で聞いたことなのだが……
 ……五十年戦争初期、ある夜突然燃やされ滅ぼされた街があったという。普通ならば一軒の火事が燃え広がったか、盗賊に襲われ火を放たれただろうと考えるだろう。実際よくあったことだからな。
 ……だが、廃墟を見ても出火元が見当たらない。何者かが強盗のために荒らした形跡もない。その上住居は上から潰されたかのような状態で、まるで何の前触れもなく空から無数の流星群が小さな隕石となって落ちてきたかのような有り様だったという。あまりにも妙な状況であったため、スターリアが何が原因で滅んだのかは誰にも立証出来なかった」
「生き残った人はいなかったのですか?」
 ラヴィアンの問いにアグリアスは首を横に振った。
「誰もいなかったらしい。死体の殆どは外にあったという。皆町の外に逃げようとしたのだろう。……だが、何故かそれは叶わなかった」
「おかしくありません? 皆外に逃げようとするくらいの時間の余裕があれば、一人くらい脱出できても不思議ではないのに……
「そこなんだ」
 アグリアスは眉を寄せた。
「まるで牢獄に閉じ込められたまま火炙りにされたような状態だった。その上、スターリアという名前は何故か歴史上から消えた。その名が残っているのは僅かに現存する戦中以前の書物だけだ」
「歴史から消えた……?」
……もしかしたら、国か教会の圧力かもしれませんね」
 首を傾げるラヴィアンの後ろから突然声が聞こえ、彼女はまたしても飛び退いた。
 そこにいたのは黒魔道士の青年。
「おそらく、この町の人々は街が焼かれる前に何かを見て、口封じのために殺されたのかもしれません」
「ラッド!」
 もう、驚かさないでよとラヴィアンは胸に手を当てて息をついた。
「ごめんごめん」
 謝りながら彼の隣にアリシアがやってきた。
……盗み聞きは趣味が悪いぞおまえたち……
「それは申し訳ありません」
 呆れて注意をするアグリアスにラッドは詫びを入れるが悪びれる様子は全くない。
「気になるお話をされていたものですから」
……まあいい。話を戻すが、おまえの言う口封じという可能性は考えられないこともないな」
 ラッドはアグリアスに頷いた。
「あり得ない話ではないと思います。でなければ町を焼いて全滅させるなんてそんな面倒なことはしない」
「それほどまでに見られたらまずいものをスターリア全体の人々は見てしまったのかしら。なんだかリオファネス城のことを思い出すわね……
…………
 アリシアの言葉に何を思ったかアグリアスとラッドは眉間に眉を寄せた。
「あの……
 それまで黙って話を聞いていたラヴィアンがおずおずと口を開いた。
「大事なことを忘れていません? もし本当にスターリアという町が何十年も前に滅んでいたとしたら、何故今その滅んだ町が何事もなかったかのようにここに存在しているのでしょう? 殺された筈の街の人々も生きています」
……彼らは生きている人間ではないんじゃないかな」
「!?」
 ラッドのいい放った言葉にアリシアとラヴィアンは目を見開いた。
「確かに」
 アグリアスはラッドと同意見のようだ。
「その方が辻褄は合うな」
「ええ。服装が違いすぎる、魔法を見て騒ぎになる、現在既に生産を終了している筈の旧式のナイフが店に大量に売っている……。彼らは既に死んだ人間で、過去の記憶の中でここにいるのだとしたら全て説明はつきます」
「白魔法も五十年戦争中期までは他の魔法同様知られた存在ではなかったからな」
 ラッドの説明にアグリアスが補足を付け足す。
「じゃあ、この町は人々の記憶が具現化した街ってこと……?」
 アリシアの問いに女騎士は髪を払いながら答える。
「近いかもしれんな」
「ですが、いったい何故……、そもそもどうやって記憶が具現化しているのでしょう」
「もしかしたら……
 再びラヴィアンから飛び出した疑問にラッドは言葉を紡いだ。
「聖石かもね」


***


 そこで手が離れた。
「あ……あなたたちは……もう……
 この町も、そこに住む人々も、既に……
 だが、では何故滅ぼされた筈の町が自分たちの目の前に現れたのだろう……
『助けて……
 もう一度、光の人はそう言った。
『助けて……
『助けて……
 呼応するように他の光も言葉を発した。彼らは何かに苦しんでいるようだ。
「どうして、欲しいのですか……? 私の力では、あなたたちを生き返らせることは……
 シャルロットの言葉を遮るように人々は首を横に振った。それから、広間の奥を指差す。
……?」
 彼らはそこへと案内しようとしているようだ。シャルロットはまだ消耗した体でふらつきながら立ち上がった。
 人々が道を開ける。すると奥へと続く口が見えた。
……! この感じ……
 口の奥から魔力の気配を感じた。聖石によく似ている。だが、ルカヴィのような悪い感じもしない。
 そこへ行け、ということなのだろう。シャルロットは恐る恐る奥の部屋に進んでいった。

 奥の部屋は先程目を覚ました部屋とほぼ同じ構造であるようだ。明るさも石造りの壁や床の模様も同じである。しかし、ただ一つ違うものがあるとすれば一番奥に固く閉じられた扉があることだ。
 金でもなく銀でもない光に輝く不思議な金属で出来た二枚の両開きの扉には六枚の翼を持つ貴婦人のような姿をした天使が彫られている。聖石と似た力を発している正体はこれなのか。いや、違う。これから発しているわけではないようだ。
 しかしその扉のあまりの美しさにシャルロットは思わず見とれていた。気がつけば光の人々が彼女を囲んでいる。
「これは……?」
『生と死の世界を繋ぐ扉……
……!」
 誰かが答えたその言葉に、はっと昼間果物屋から聞いた悲劇を思い出した。
 スターリアの時計塔にある天への扉。ではここは、その時計塔の中なのか。結界で守られている筈なのに、いったい何故中に入れているのだろう。
『この扉を、開けて……
「えっ?」
『私たちは、天に昇りたい……
『神の御元へ……
『私たちだけでは、旅立てない……
「どうして……?」
『わからない……。見えない壁に阻まれて昇ることができない……
「見えない壁?」
『この扉も、開かなくなった……
『でも……あなたの力なら、開ける……
「私の力なら? どういうことですか?」
『あなたの魔法……結界と似ている……
『扉を開く力にも……
「扉を開くには、白魔法が必要なのですか?」
『魔法だけでは開かない……。純真な心を持つ者でないと、開かない……
『どんな穢れを見ても、決して曇ることのない心……。私たちを滅ぼした者は、穢れの化身だった……
『その穢れによって、スターリアの時は滅ぼされる日で止まり、繰り返され続けた……
『穢れは、私たちの記憶を形にして、終わらない今日を作り出した……
『けれど、あなたが現れた……
『現れたことで、時は動き始めた……
『もう、終わりにしてほしい……
『今日を終わりに……
『この地に明日を……
『私たちが召天すれば、このスターリアも消えるかもしれない……
「だけど……
 シャルロットは扉を見た。
「どうやって……?」
『あなたは、この扉を開くことができる……
「私が?」
 人々はゆっくりと頷いた。
『あなたには……それだけの力がある……
「そんな……、そんなこと突然言われても……
 困った少女は扉を見上げる。
 その時、人々がはっと先程の部屋の方を一斉に振り向いた。
『来る……
「え?」
『穢れが……あの怪物が、来る……!』
「怪物? あなたたちを殺してしまった者のこと……?」
『そう……。再び穢れが現れれば、きっと今度こそ、私たちはここに縛り付けられる……
「そんな……
『きっと彼女を奪いに……
『迎え撃たねば……
『無力だったあの時とは、違う……
 すると彼らを形成していた光が膨張を始め、内側から影が生じ始めた。
「これは……!」
 ルカヴィたちと同じ、黒い光……
「待って! 駄目!!」
 シャルロットの制止の声は、既に彼らの耳には届いていないようだった。
 憎しみに彩られた光が泡のように溢れだし、彼らを呑み込んでいく。
「お願い、やめて……!! このままでは、あなたたちは……!」
 怒りの感情が魔力となりこちらにまで針のように突き刺さる。とても立ってはいられずうずくまって頭を押さえた。
 恐怖に怯える心の中、脳裏に浮かんだのは、やはり彼女の大好きな者たちだった。
「怖いよ……! ムスタディオ、助けて……! ラムザ、アグリアスさん……
 本来天に召されるべき死者の魂は現世に留まるべき存在ではない。未練あるまま、負の感情があるままさまよい続ければ。
 ……やがて彼らは呪われた存在となる。
 恐らく彼らは既にそのような存在へとなりかけていたのかもしれない。天に昇ることすら叶わずこの土地に縛り付けられ、同じ日を延々と繰り返される地獄を思えば当然だろう。
 しかし、魂を天へと送り届けなければ彼らはいつか畏国を荒らし、生者に災いをもたらすこととなる。
 これを防ぐ手立ては彼らの堕落を防ぎ、天に送ること以外にない。この扉を開けば可能なのかもしれないが、いったいどうすれば……
……!」
 何かを感じ取ったシャルロットははっと顔を上げた。外から覚えのある気配。これは……
「パイシーズ……? それにタウロスのこの感じ……
 その正体を悟った時、白魔道士の顔にみるみる涙と共に笑顔が浮かんだ。


***


「これが結界か、こりゃ参ったな……
 ムスタディオが扉を叩くように宙に拳を軽く振ると、こんこん、と固いものが当たる鈍い音が聞こえた。見えない壁が立ち塞がっているらしい。
 昼間果物屋の言った通り、時計塔の周りには誰も入れない壁があるようだった。しかもどんなに月明かりに透かしてみてもガラスのように光を反射することもない。全く目に見えない。不思議な感じだ。
「これを何とかしない限り、塔には入れないということか……
 ラムザが呟く隣で何かを考えていたムスタディオが不意にブレイズガンを取り出した。
……ラムザ、ちょっと下がってろ」
「何をする気なんだい?」
「こいつを壊す方法を考えるっきゃねーだろ?」
 と言い銃を構え引き金を引いた。銃声と共に打ち出された氷の銃弾が宙を……貫きはしなかった。
 弾は壁があるだろう地点にぶつかった先端から粉々に砕け散っていったのである。
 これにはムスタディオもラムザも目を見張った。
「!?」
「銃弾が……!」
 弾がぶつかった筈の場所を見ても傷らしきものなどどこにもない。
 今度はラムザが一刀だけ懐に入っていた手裏剣を試しに投げてみた。……が、やはり手裏剣も壁に当たった部位から粉々になって地面に沈んだ。
「これでは剣も使えないな……
「物理じゃ無理ってか。つっても俺魔法苦手だし……拳術でもやってみるか?」
「うーん……
 考え込むラムザの懐に何かが蠢いた感触を覚えた。
 はっとしてそこを探り当て、取り出すと、それはリオファネス城で手に入れた双魚宮の聖石、パイシーズだった。
……ラムザ?」
 不思議そうな顔で首を傾げるムスタディオの横をすり抜け、見えない壁の前に立つ。
「出来るかわからないけれど……もしかしたら」
 すっと差し出すように手に乗せた聖石を上げると、石が光り、それに呼応するかのように見えない筈の壁がパイシーズの青に染まった。これにより結界が可視化できるようになり、透明な壁は時計塔の周りを筒のように囲っており、空高くどこまでも続いていることがわかる。いったいどこまで伸びているのかは全くわからないが。
 やがて彼らの前にあった壁にぷつ、と穴が開き、広がり、人一人が潜れるほどの大きさの口が形成された。
「まさか……
 ムスタディオが呆然と口を開いた。
「聖石が必要だったってのか……?」
「そうなのかもしれない……。だから聖石が反応したのかも。……とりあえず、これで塔に入れるようになった。行ってみよう」
 二人は結界を潜り抜けた。

 ラッドははっと向こうを見る。
「ラッド?」
「どうした?」
 アリシアとアグリアスが声をかけると、ラッドは向こうを向いたまま気配がする、と呟いた。
 彼の視線を辿ると、その先には時計塔がある。
「これ……、聖石の気配か……?」
「あっ、見て!」
 ラヴィアンが叫ぶと共に塔の周りが星空の下でもはっきりとわかるほど青く染まり輝いたかと思えば、しばらくすると消えた。
……なんだったの、さっきの……?」
 というアリシアの横で、さっとアグリアスの顔色が変わった。
「まさか……、ラムザたちか……?」
「えっ?」
「ラムザとムスタディオはあの時計塔へ向かったんだ」
「もしかしたら……
 ラッドはやっと彼女らに視線を戻した。
「あの塔が全ての鍵を握っているのかもしれません。恐らくシャルもそこに」
「最早そうとしか考えられんな。ラファとマラークを探して合流次第私たちも向かおう!」
 アグリアスの言葉に否を言う者はいなかった。


***


 重い石造りの扉をやっとの思いで開けると、上から眩い光が射し込む広間のような円形の薄暗い空間に出た。
 上を見上げると天井の代わりに巨大な歯車がいくつも重なり合い動いていた。時計の針を動かしているのだろうか。
 背筋に寒気が走るほど空気は氷のように冷たい。寒い季節だから、という説明で終わらせられないほどである。何故なら、外気よりもよっぽど気温が低いからだ。
 不自然なまでに空気は重く沈黙している。まるで嵐の前の静けさという典型的な表現がぴったりと当てはまりそうだった。
……こりゃ何か出そうだな」
「ああ」
 ムスタディオの言葉にラムザが同意したその時、奥に続いている口から次々と黒い煙……否、光が漏れだした。ホーリーのような神聖なものではない。もっと邪悪で、良い気分はしないものだ。
 よく見ると、これらはただの光ではない。一つ一つが人間の形をしている。数は100、いやもっといるようだ。
「なんだこいつら!?」
「これは……!?」
 まるで出てきた出入り口を守るかのように大勢の光は二人を囲んだ。
 人間の形をした不思議な黒い光から感じる露骨な強い殺気に彼らは身の毛がよだった。
 一つの光が喋った。
『また……、我々を滅ぼしにきたのか……、怪物共め……!!』
 生気がないものの憎しみの感情を帯びている声。
 その声の主とは距離は離れている筈なのに、まるで目の前にいるかのように聞こえる。耳で聞くというよりも、頭の中に響くと言った方が近いのかもしれない。
「怪物……?」
 わけがわからずラムザとムスタディオは顔を見合わせるしかない。
『しらを切っても無駄だ……。我々にはわかる……。おまえたちは穢れた化け物であることを……
「いったい何を言っているんだ……?」
「俺たちを何かと間違えているんじゃねえの?」
『間違いなどであるものか……
 別の声がムスタディオの言葉を否定した。
『貴様たちにこびりついたその穢れの血こそが……、かつて我々を滅ぼした者である、揺るぎない証拠となる……
『我々を地獄に落とした異形の者共よ……、今度は許さないぞ……
「黙って聞いてりゃ勝手なこといいやがって……!」
「待て!」
 銃に触れようとしたムスタディオの腕をラムザが掴んで止める。
「僕たちの目的はシャルを見つけることで、彼らを倒すことじゃない!」
「けど、この様子じゃ話を聞いてもくれなさそうだぜ!?」
「僕たちまで武器を構えればますます警戒される! 今はまずシャルのことを聞いてみるのが先だ!」
「ラムザ……
 その言葉を聞いてムスタディオは銃から手を下ろした。ラムザはありがとう、と言うように頷き、黒い大群に向き直った。
「何か誤解されているようですが、僕たちはあなた方を滅ぼそうとは考えていません。仲間を探しているんです。シャルを……、シャルロットという白魔道士の女の子を知りませんか?」
『白魔道士だと……?』
「突然いなくなってしまったので探しているんです。お心当たりはありませんか?」
 すると、大群の様子が一変した。
『貴様ら、やはり“彼女”を我々から奪い去る気か……!!』
……!?」
 黒い光から巻き上がる怒りと憎悪のエネルギーは黒い霧のようになったかと思えば竜巻のように渦巻き、この広間全体を巻き込んでいった。
「なんでおまえが説得するといつも裏目に出るんだよ……
「ぼ、僕だってそんなつもりは……!」
 呆れた様子のムスタディオに慌てて弁明するが、黒の群れはそれすらを許さない。
『我々の命を奪い、町を奪い、今度はやっと巡ってきた最後の希望すらも奪うのか……!!』
 黒い霧に染まった風が二人を襲う。彼らは互いに別方向に飛んで避ける。正体のわからない攻撃の直撃を食らうのはリスクが高すぎる。
……けど、これで一つはっきりしたな」
 飛んだ弾みで転がりつつ起き上がったムスタディオが口を開く。
「え?」
「シャルを連れ去ったのはこいつらだってことだ!」
『今度は逃がさない……!!』
 再び嵐を巻き起こさんとする大群にムスタディオは叫んだ。
「頼む、シャルを返してくれ! 希望だかなんだか知らないけど、あいつはまだ体調が悪いんだ! これ以上無理させたら本当にやばいんだよ!」
『貴様らの戯れ言を聞き入れる気などないッ!!』
 再び黒い風が渦から吹き荒れる。今度は規模が大きい。
「やっぱ話にもならないな……
 走って避けながらムスタディオが舌打ち混じりに吐き捨てるように言う。
「シャルをさらったのがこの人たちだとしたら、きっと近くにいる筈だ」
 気がつけば同じく走ってきたラムザと合流していた。
「シャルを探そう」
「こいつらがなんなのかも気になるけど、そっちが最優先事項だな。一番怪しいのは……
 二人は黒に輝く人間たちが守るようにして固めている奥の口を見た。
……あの先だよね」
「それ以外ないよな」
「どうする?」
「どうするっておまえ……
 彼は腰にしまっていた銃を取り出す。
「強行突破しかないだろ?」
 その案にラムザは少々苦い顔をしつつ剣を鞘から抜き放った。
「できれば避けたいところなんだけど……
「つっても、あいつら本気で殺しに来てるぞ」
「仕方ない、こっちの言葉も聞いてくれそうにないし、やるしかないようだね」
 話している間にも闇がにじりよってきていた。
 彼らは各々の武器を構える。
「どうしてもここを通す気がないというのなら、力ずくで行かせてもらいます!」
『通しはしない……!』
 部屋の中で嵐が巻き起こっているようなものなのに、空間を形成するレンガも上に吊り下げられている歯車も外れたり壊れたりする気配が全くない。それほど頑丈な作りなのか、それとも外にあった結界のように何かの力が働いているのか……
 その時、彼らが自らの体で固めていた出入り口の奥から白い光が一瞬射し込み、同時に辺りが微かに震えた。
「なんだ!?」
『おお……!』
 黒い光に輝く者たちは一斉に歓声を上げた。
『ついに扉が開く……! 我々は救われる……!』
「ラムザ……、さっきのって……
「僕も思った。ホーリーの光に似てるなって……
 ラムザがそこまで言いかけ、はっと二人は互いを見た。
「まさか……!」
「そうだとしたらシャルが危ねえ! 一気に片付けるぞッ!」
 ムスタディオは銃をしまいぽんと両手を叩いてから右の拳で勢いよく床を殴り付けると、彼の正面一直線に地面から波動が走り、その場に立っていた者は皆2ハイト程吹き飛ばされ奥への道が開けた。
 拳術の一つ、地列斬だ。機工士の生身の力ならばそれほど致命傷にもならないだろう。
「今だ、走れ!」
 機工士のかけ声を合図にラムザも走り出した。
『しまった!』
『早く怪物どもを止めろ! でなければ我々は救われん!』
 彼らが慌てて行く手を阻もうとするが、こちらが入り口を通り抜ける方が早かった。
『何故だ、何故開かない……!?』
『バカな、条件は揃った筈なのに……!』
 という声が向かっている方向から聞こえる。
 抜けた先もまた似たような部屋だった。ここにも無数の人の形をした黒い光が奥の方に集まっている。入ってきた時に現れたものより数倍の数はいる。途中から舞台のように階段で結ばれた一段上がった場所があり、更にその一番奥には固く閉じられた大きな扉があり、その扉と光との間には一人の娘が座り込んでいた。間違いない、彼女はずっと探していた……
 二人が立っていることに気付いた光の人々は驚きと恐怖の声を上げどよめいた。それに気付いたのか彼女はゆっくりと顔を上げ、仲間たちの姿を捉えると青白い顔の中で嬉しそうに、しかし儚げな笑顔を浮かべた。今にも消えそうな笑み。
 何故か宙に手をついている。もしかしたら見えない何かに閉じ込められているのかもしれない。
 そんな彼女の姿をみてしまっては、安堵などとても出来なかった。最後宿で見た彼女は歩くことは出来たのに、今は立ち上がることすら出来ないようだ。
「シャル……!」
 ムスタディオがシャルロットに近付こうと走りかけるが、周りの光がその道を幾重にも塞ぐ。その間にも先程の部屋にいた者たちもなだれ込んできて、あっという間に囲まれてしまった。
 行く手を遮る一番前に出たのは小さな黒い光だった。子供だろうか。恐怖からか震えている。
『お……、お姉ちゃんに近づくな、バケモノッ!!』
 この声、聞き覚えが……
「!!」
 二人はその子供を見て目を見張った。子供の言葉にではない。その子が持っているものに、である。
 つやつやと輝く赤い果実。昼間シャルロットが果物屋から貰い、その後彼女が怪我から回復した男の子にあげた……
 これだけで、彼らの正体に確信が持てた。
 ラムザはその子供に近づき目線に合わせるように腰を下ろした。
 子供は驚いたように身を固くし、周りの者も何をする気かと気色ばむ。しかし青年は動じなかった。
「ずっと、変だと思っていたんだ……
 ぽつりと呟いた。俯いているせいで表情は見えない。
「そうじゃないと今までの説明がつかないのもわかっていたけれど、そうだと思いたくなかった……。だって、今まできみたちは普通の人間のように生活していたのを僕たちは見ていたのだから。……でも」
 ここで言葉を切り、顔を上げて再び子供を見据えた。
「やっぱり、この姿がきみたちの本当の姿で、そしてきみは……いや、きみたちは、このスターリアの人々だったんだね」
『そ……、それがなんだ!』
 子供は恐怖に怯えつつも出来る範囲の中で肩肘を張っているようだ。
『お姉ちゃんは渡さないぞ!!』
 シャルロットが心配そうな表情でこの状況を見守る。
 このままではこちらが確実に不利だ。打開するにはどうしたら……。ラムザは立ち上がって周りの光を見回した。
「あなた方がもう生ける者ではないのだとしたら、スターリアという街も既に……。だとしたら、何故あなた方は天に昇らず再びこの地に現れたのですか?」
『何故、だと? 我々が天に昇ることができないのは貴様らのせいだろう!?』
「えっ?」
『貴様たちの仲間である穢れの化身が我々の流した血を汚したことで、我々は永遠にこの世界に縛り付けられ続けているのだ!』
「何のことだよ……?」
 身勝手な主張に隣でムスタディオが本音を洩らす。
「つまり、あなた方の言う穢れの化身があなた方を、そして街を滅ぼしたのですね?」
『貴様らの同胞が行った悪行をよくもまるで他人事のようにほざけるものだな……!』
 光はいかにも憤慨したように言った。
『我々を滅ぼしたであろうに!』
「ちょっと待て!」
 ムスタディオが叫ぶ。
「さっきから俺たちのこと好き放題言ってくるけど、俺たちは昼間あんたたちをベヒーモスから助けただろ!」
『あんなもの、“彼女”の力を見極めるための茶番劇に過ぎぬわッ!!』
「!?」
「茶番だと!?」
 驚くべきその台詞にラムザとムスタディオは衝撃を受けた。
「では、あのベヒーモスはあなた方が……!?」
『そうだッ! 我々が傷を負えば、彼女は聖なる魔法を使うだろう。そのために動けぬ我々が知恵を絞り出した手段だ』
「自作自演ってやつかよ……!」
『さあ、無駄話は終いだッ! ……もう一度試すんだッ!!』
 光がシャルロットを振り向いて何やら合図らしき動作をすると、その視線の先の彼女は何かに驚いたように一瞬目を見開き、それから突然苦痛に顔を歪ませ悶え苦しみ始めた。
「シャル!? どうした!?」
 ムスタディオが声をかけても少女は反応しない。反応できる余裕がないのか……。と、ここでラムザがあることに感付いた。
「まさか、魔法を無理矢理詠唱させているのか……!?」
「魔法を!?」
「さっきのだって、もしかしたら……
 唇を噛むムスタディオを見、ラムザは言葉を切った。
 彼らの目的はシャルロットの魔法の力であろうことは何となく察することができる。いったいそれで何をする気なのだろう?
 だが考えている余裕はない。街の人々が、一斉にこちらを向いたからである。
『これ以上の邪魔立てはさせない! 消えてもらおうッ!』
「お願いです、詠唱を中止させてください! これ以上は彼女の命が……
『貴様らの戯れ言は聞かぬと言った筈だッ!!』
 ラムザの制止も聞かず、憎しみに満ちた風は天高く舞い上がった……


***


「間違いない、これは魔法で出来た壁だ」
 マラークが前に出、見えない結界に手を添えた。
「刃物とか岩とか、そういう単純かつ原始的な手段では突破できないようになっている。こんなのちょっと勢いよくぶつかっただけで全身の骨が粉々に砕け散るぞ」
「つまり、この壁を突破できる方法はないってこと、兄さん?」
 ラファが問うと、兄は後ろにいるラッドを見た。
「物理攻撃じゃ無理だが、ラッドの言うことから推測すれば聖石の力がこの壁を通り抜ける鍵になるんだろうな」
……でも」
 アリシアが口を開ける。
「聖石はみんなラムザが管理しているのよ? 私たちは持っていないわ」
「この結界にかけられた術はかなり強力なものみたいだ」
 とラッド。
「こんなことが出来るとは、これをかけた魔道士は今考えても飛び抜けて高い実力の持ち主だったんだろう」
……ラムザが使った方法は私たちでは使えないということか」
 何やら考え込んでいたアグリアスがやっと言葉を発した。
「単純な物理攻撃が効かないのなら、聖剣技や魔法はどうなのでしょう?」
 これを言ったのはラヴィアンだった。
「聖石の力だって、それらに近いものですよね?」
「厳密には違うものだけど、これができた当時は魔法そのものが今よりも珍しい時代だったわけだし、聖剣技も言わずもがなだからね」
「つまり試す価値はあるということだな」
 アグリアスが剣を抜いて前に出る。
「そういうことです」
 ラッドもロッドを出す。
「やってみるしかないってことか」
「物は試しね!」
 マラークとラファも持っている棒を出した。
「では行くぞ! 『鬼神の居りて乱るる心、されば人 かくも小さき者なり! 乱命割殺打!』」
 一斉に詠唱を始める魔道士たちの前に立ったアグリアスの聖なる光を帯びた剣から放たれた大剣は地から天を貫かんとし、結界がまるでガラスのようにビーンという音をたてた。その震えはまるで地震のように辺り一帯にまで伝わる。
「『悪鬼羅刹、天水をゆるがし その爪で引き裂かん 水磨龍穴!』」
 ラファの声に応じるように光の印の字が結ばれ、魔法から生まれた大量の水の塊が六つ、壁に向かって飛んでくるが、あえなく壁に阻まれる。ものともしていないようたが、彼女の狙いは水磨龍穴で壁を砕くことではないようだ。
「やった、六発!」
 歓声をあげる妹の隣でマラークもまた術を発動させようとしていた。
「『怨敵調伏、金剛炎を現出させ 邪を焼き尽くさん 裏阿修羅!』」
 ラファのものとはまた違う印文字が描かれ、炎の玉が二つ、冷えた壁に直撃した。
「ってマラーク兄さん! 二発じゃ温めきれないじゃないの!」
「わ、わざとだっ!」
 文句を言う妹にそう言ってみせるが、本来裏阿修羅の発動回数は本人でも操作出来ない筈である。
「ラッドの分をくれてやったんだよ!」
「俺は炎とは微妙に違うけど、せっかくだし甘えさせてもらうよ。ちょっと下がってて下さいね」
 ラッドは余計な一言を交えつつ呪文の言葉を唱えた。
……『滅びゆく肉体に暗黒神の名を刻め 始原の炎甦らん! フレア!』」
 何もないところから突如大爆発が起こる。その爆炎は水磨龍穴が濡らした水分をも蒸発させる。またしても透明な壁が震えた。
「フレアって……、本気出しすぎでしょ……
「だって結構強力そうな壁だし、そのくらいした方がいいのかなあって」
 苦笑して言うアリシアに黒魔道士は笑いかける。その優しげな笑みの中には疲れが見え隠れしていた。最上級黒魔法フレアはそれだけ精神力の消耗が激しいのだ。
……どうやら、本当に本気を出した方が良いようだな」
 様子を見ていたアグリアスが口を開く。
「そんな、全く効いていないってこと……!?」
 ラヴィアンの言う通り、目の前には亀裂一つ走っていない。今までの攻撃は無意味だったということか……
……いや」
 誰もが胸を駆け抜けた不安をラッドが一蹴した。
「よく見て、月明かりに照らせば分かりやすいと思うけど、結界の色が変わってる」
「えっ? …………あっ、ホントだわ! なんだか白っぽくなってる! 今まで全然見えなかったのに!」
 目を細めてよーく見ていたラファが嬉しそうに声を上げた。
「これは俺たちの攻撃によるものなのか?」
「そうだと思うよ」
 マラークの問いを黒魔道士は肯定する。
「もしかしたら、少しずつだけど効いているのかもしれない」
「体力がある限りもう少し続けてみよう。突破できるかもしれん」
 女騎士の言葉に皆は再び精神を集中し始めた。


***


『貴様らの戯れ言は聞かぬと言った筈だッ!!』
 広間の中でより一層強く風が吹いた時、突然辺りが大きく揺れ始めた。
「今度はなんだ!?」
「これもあいつらが何かやってんのか!?」
 しかしながら、ムスタディオの言葉と裏腹に光の人々もまた動揺している。
『何が起こっている……!?』
『まさか、結界を抜けようとしている者がいるのでは……?』
 立っていてもわかるほどに足元からはっきりと伝わる揺れと地鳴りの音。どうやらこれは外からのものであり、彼らの仕業ではないようだ。
 よく見れば風は止んでいる。そして予期しなかった事態に彼らの動きも鈍い。先程もそうだったが、彼らは横槍を入れられるとすぐに気をとられやすい。同じ過ちを繰り返しやすい。戦い慣れていない、戦士ではない者に見られる典型的な兆候である。これはもう一度現れた絶好の機会だ。
 そして互いは互いが同じことを考えていることに気付いた。
……ムスタディオ。僕が注意を引くから、きみはその隙にシャルを」
 聖石を渡すラムザにムスタディオは目を瞬いた。
「え……、注意を引くのは俺の方が良いんじゃないの?」
「だけど、誰よりもきみが彼女を助けたいと思っているんじゃないのかい?」
 すると機工士はなんとも言えない苦い顔をした。
……からかってんのかそれ?」
「別に? 思っていることを言ったまでさ」
 その間にももう一度揺れが起こる。人々の動揺は増すばかりだ。
「話してる時間はない、頼むよ!」
 とだけ言って今度は剣を鞘ごと持って走り出すラムザの背を見て、ムスタディオは肩を竦めてから銃を出して後に続いた。
「ったく……、ラムザにまでこんなこと言われると収拾つかなくなるっての……
  ——ラムザに借りだな、これ……

 地面だけでなく、空間そのものが震える揺れの中足をとられそうになりながら二人は光の群れの中に飛び込んだ。
 間近にまで来た敵に彼らの多くは揺れへの動揺と相手への恐怖に錯乱し、逃げ惑い始めた。だが群れの中でも正気を保つものは少なからずいるようだ。
『逃げるな! 怪物共に我々の希望を奪われるぞ……!』
『このままでは永遠にこの穢れた大地に縛りつけられる……!』
 彼らの言葉ではっと我に返る者は先を行くラムザの前に何重にも重なって立ちはだかる。
「すみません、通させてもらいます!」
 剣を鞘にさしたまま小振りに振って光の身体をどかしていく。鞘をつけたままなら必要以上に傷つけずに済む。先程の地烈斬が効いたといい、彼らの身体は見た目に反して実体を持っているらしい。
「やっぱこんな数まともに相手できないな……!」
 後ろのムスタディオも後ろから襲ってくる者たちの腕や足を次々と撃ち抜いていく。動けなければこちらに向かうこともできない。
「そもそもこの人たちは民間人だ、敵意があるとはいえ、できれば傷つけたくはないんだけれど……
「ラムザらしい意見だな」
 逃げ惑う光、向かってくる光、動けない光……まさに乱闘状態であった。
 どけてもどけても現れる。シャルロットを奪われてたまるものかという強固な意志が彼らを突き動かしているのだろう。生憎昼間の戦闘の疲れが癒えきっているわけではない。早く片付けたいのに……
 大分進んだところで次に立ち塞がってきた者に思いがけずラムザの動きがぴたりと止まった。
「!」
 目の前にいたのはあのリンゴを持った小さな男の子だった。未だに身体を震わせながら、精一杯こちらを睨みつけているようだ。
 こんな幼い子を無理矢理剣でどかすなど出来るわけがない。
 どうすれば……と考える間もなく気が付けば頭を殴られた衝撃と共に地面に叩きつけられていた。
「ラムザッ!」
……ッ!?」
 ムスタディオの声を聞きながら、だが自らのそれを上げることも出来ず、しかしなんとか倒れ様に振り向くと、黒い風を纏う黒い光が見えた。さっきのは、その風によるものなのか……
 みる間にその風が巻き上げる黒光りする霧のような影が広がり、風もまたこちらの体が飛ばされそうになるほどにまでの猛烈な威力へと膨れ上がろうとしていた。
『消えろ、我々を滅ぼした怪物……!』
 この声は、宿屋の主人……
 風の刃に切り裂かれそうになっているのは頭ではわかっている筈なのに、体が動かない。殴られたダメージが残っているのだろうか?
 風が全てを巻き込まんと渦を巻き続け、目の前に立っている人間の形をした黒い光がいるその場がまるで台風の目のようだ。
 その腕を振り上げ、ラムザに叩きつけんとする。
 うねるような風音の中に混じって何かが聞こえた時、掲げた腕を銃弾が貫いた。光が思わず腕を下ろし踞ると、風もまた消えた。
 それを呆然と眺めていたラムザの腕を突然誰かが掴み、やや乱暴に引き上げて立たせた。
「ぼけっとすんな!」
「ムスタディオ……
 立たせた者の正体はムスタディオだった。
 あの風のためか彼の耳の後ろで纏めている金の髪が少し乱れている。
「怪我はないのか?」
「ああ……、まだ少しくらくらするけど」
 だが立たせた時に彼が叱咤してくれたおかげでどうにか正気は戻ってきていた。
 どうやらムスタディオが宿屋の主人の腕を狙撃したらしい。
……借りは返したからな」
 借りって何の、と言おうとしたがその言葉を飲み込み、ラムザはわかった、と微笑んだ。
 何故敢えて聞かなかったのかは、自分でもよくわからない。
『おのれ……
 背筋が凍る程の低い声が響いた。先程の風を避けるためだったのか力を増大させるために必要だったのか、彼らは二人を中心に少し離れて囲んでいる。
「何かする度にどんどん状況が悪くなっているような……
「仕方ないだろ、実際状況を悪くすることしかしてないからな、俺たち」
 ある意味一番的確な指摘を入れてくるムスタディオに返す言葉はない。
 その間にもシャルロットの表情は険しさを増すばかりだ。自らの意志で詠唱を止めることはできないのだろう。
「それより早くしないと魔法が発動されちまうぞ!」
「あともう少しだ、急ごう!」
 走り出しても行く手に立つ者はこれでも退いてはくれない。それどころか果敢にも立ち向かってくる。
『しつこい奴らめ……!』
「あなたたちが彼女を解放する気はないのなら、力ずくでも返してもらいます!」
『解放だと!? 貴様らのやることはただの略奪ではないか……!』
「違うッ!」
 ラムザが思いきり剣を鞘ごと振って光をどかすと、ついに奥への道が開けた。
「ムスタディオ、今だッ!」
「わりぃ!」
 振り向きもせずに叫ぶと、彼が横をすり抜けていった。すぐに後に続こうとしたが、
『行かせない!』
 光の一つが機工士の腕を掴もうとする。
「ッ!」
 間一髪でそれを逃れたかと思った時、真っ黒な手はムスタディオの手を掠め、その衝撃で手に持っていた石が放り出されてしまった。
「しまった!」
「聖石が……!」
 ラムザが落としてしまった聖石を追いかけようとした姿が見えたところで黒い群れの口は閉じ、ムスタディオは一人そこから投げ出されて尻餅をつく。
「ラムザ!」
 即座に立ち上がり戻ろうとしたが、まるで闇が凝り固まっているかのように蠢いていてとても入り込めそうにない。
 そして、自分の近くには……
 はっと振り向くと、踞るようにして詠唱させられているシャルロットがいる。
 駆け寄ろうにも寸前のところでやはり見えない壁があり触れることができない。
 膝をついてその壁に手を当てると、少女はすぐに気がついたのか顔を上げる。脂汗が浮いた青白い顔の中で精一杯の儚い笑みが灯った。そして当てられた手を重ねるように自らのそれを壁に触れる。
「シャル……
 姿は見えるのに、こんなにも近くにいるのに、たった一枚の壁があるせいで直接触れることも出来ない。近くて遠い、そんな距離。
「詠唱をやめられないのか?」
 彼女は微かに首を横に振る。
「ダメ……力が……抑えられないの……
 壁に反響しているような泣きそうな声が返ってきた。
 考えた通りこの見えない壁が外にある結界と同じなのだとしたら、それを消すには聖石を使う他ない。
 ムスタディオは蠢く影を振り向いた。
「どうすりゃいいんだよ、これ……!」

 床に転がった結晶を誰かが拾わんとする。
「それを触ってはダメだッ!」
 ラムザが言いながら剣で伸ばされた手をはたく。
 聖石はただの石ではない。とんでもない力を秘めている。そんなものをこんな負の感情の塊のような彼らが手にしてしまえば何が起こるかわからない。
 そのまま床を転がる。人混みの中で探し物をしているようなものだ。立っていれば動くこともままならないため、敢えて体勢を低くした方が動きやすいのである。
 また別の誰かが拾い上げようとしたすんでの所で滑り込み、どうにか聖石を拾い上げることに成功するが、
『それを渡せ……!』
 すかさず石を奪わんと襲いかかる者を剣で払い、腰を浮かせる。ムスタディオに渡す余裕など到底ない。
 ならば少々乱暴だが方法はこれしかないだろう。あの時、忍者をやっていた時は敵を倒すためだったけれど、今度は……
「頼むぞ、僕の仲間を助けてくれッ!」
 剣士は聖石をシャルロットのいる方へ放り投げた。
 放物線を描き、天高く投げ出された石はその頂点に達した時光を帯び、シャルロットを閉じ込める壁を青く染めた瞬間、壁が液体のように溶解し、消えていく。
『ば……ばか………………
 壁が溶けてゆくのと同時にシャルロットの体から抜けるように黒い霧が現れた。否、これは霧などではない。人だ。周りにいる者たちと同じ黒い光だ。抜けていくのと同時に詠唱も止まる。
 それは聖石の光から逃れるように退いていった。
「スターリアの人がシャルに取り憑いて無理矢理詠唱させていたのか……!」
 呆然と崩れていく壁を眺める人の群れをすり抜け、聖石を拾ったラムザもそれを見上げていた。だが、何よりも大事なことは別にある。
「シャル、大丈夫か!? しっかりしろ!」
 ムスタディオが倒れこむ華奢な身体を抱き起こす。
 いつもの透き通るような乳白色の肌は青白く染まっていた。当然だろう、あんな体でさらに消耗の激しい上級魔法を発動させられていたのだから。
 チャクラを施すと、息を吹き返したように渇いた唇からはあっ、という吐息が漏れた。少しずつではあるが顔色も僅かばかりか良くなったように見える。
「シャル!」
 そこにラムザが駆け付けた。その声に気付いたのか、彼女はゆっくりと目蓋を開き、視界の中に大好きな二人が……ムスタディオとラムザが額を付き合わせてこちらを覗きこんでいるのを捉え、本当に……本当に嬉しそうな愛らしい笑顔が弾けた。そしてこちらに触れようと力なく、だが精一杯手を伸ばそうとする。
 その手をラムザがとる。氷のように冷たいそれに愕然とした。
……ごめんね…………
 彼女が最初に言った言葉はこれだった。
「私のために……、こんなに迷惑……かけちゃって……
「こんな時に何バカなこと言ってんだ!」
 ムスタディオが潤んだ瞳で怒鳴る。
「助けに行くのは当然だろ!?」
「そうだよ!」
 ラムザも頷く。
「きみは……、僕たちにとって…………
 それ以上の言葉が続かない。言ってしまったら、涙が溢れてしまいそうだったから……。ただ今は、握った手に力を込めるしかなかった。少しでも、僕の体温が移ってくれるように……
「うん……
 わかっている、というように少女は薄く微笑んだ。
……ありがと…………怖かった、よ……、ずっと……
 そこまで言いかけたシャルロットの細い身体をムスタディオが抱き起こしたままの格好で折れんばかりに強く抱き締める。
「あの時、一人にするべきじゃなかったんだ……。一緒にいてやれば良かったのに……、ごめんな……
 少女を抱き寄せる彼の肩は微かに震えていた。それを見たラムザは何も言えずに握った手を下ろす。
 その時、背後から悲鳴のような激しい声が飛んできた。
『お姉ちゃんを返せッ!!』
 はっと振り向くと、いつの間に来ていたのか目の前にあのリンゴを持った子供が立っていた。
『やっと神様のところに行けると思ったのに、どうしていつも僕たちの邪魔をするの……!?』
「きみたちの邪魔をしようとしているわけじゃないよ、でも……
『返してッ!!』
 子供は宥めるラムザの声が消えてしまうほどの金切り声を上げ、彼に掴みかかってきた。同時に果実がラムザの足下に落ちて転がる。
『お姉ちゃんを返せ!! バケモノ!!』
 腕を掴んでくるその力は驚くほどに強かった。実際子供というのはその小さな体のどこからこんなに力が出るのかというくらいに力が強いものだ。それは死して尚、この姿になっても変わらないということだろう。
『やめろ!』
 そこに誰か成人した男らしき大きな光がやって来てラムザの二の腕を掴む小さな手を掴み引き離す。この際同時に大きな手が彼の上腕に触れた。
……!!」
 その光に触れられた時、ラムザは突然目を見開き、動かなくなってしまった。
 様子がおかしいのを見てムスタディオがシャルロットを離し腰を浮かせる。
「ラムザ? どうしたんだ、おい……
 友の肩を掴んだ瞬間、彼の意識もまた遠退いていった……


***


 意識は粉々に砕かれ、分解され、時という河に押し流されるかのように漂い、沈殿し、再び結晶化する。そんな不思議な感覚を伴いながら、やがて目の前にスターリアの街が現れた。

  ——昼間見た、あの賑やかな中心街。

 スターリアという町は元々広い草原の中心にいつから出来たのか、それは誰も知らない時計塔を中心に栄えた都市である。他の街とは隔絶された陸の孤島で、顔見知りの貿易商人が休憩しにくる中継場所であった。生活は地形や気候上農業には適しておらず、その貿易商人とのやり取りで得た食料や道具で賄っていた。彼らの存在により、町の人々は他の都市に比べて約半年遅れではあるものの畏国の情勢を知ることも出来た。
 やがて後に五十年戦争と呼ばれる内戦が始まったことがこの町にも伝わってから間もなくの穏やかに晴れたある日のこと。街に見慣れぬ男たちが数人、現れた。見たところ鎧姿で貿易商人ではない。身なりのよい格好で、腰には剣をさしている。
 何をしに来た者たちだろう……? 人々は噂しあった。
 彼らは街の人間に話しかけることもなくずんずんと街の中心……すなわち時計塔に向かっていった。

  ——時計塔は一度入れば帰っては来れない……。今まで何人時計塔へ向かったきり帰ってこなかったことだろう。

 そもそもあの塔には死の世界への扉があり、生と死を繋いでいる、というのを誰が言ったのかはわからない。誰も見たことがない筈なのに、皆疑いもせずその話を信じきっていた。悪さをする子供に「あの塔に放り込むよ!」と叱るような、親から子へと脈々と受け継がれてきていた話だった。
 あのよそ者があまりにも真っ直ぐあの塔へと向かうので、町の者たちはさっと青ざめた顔で彼らを追いかけ、追い付くとある男が行く手を塞いだ。
「あんたたち、この先は危険だ。あの塔に行ったら死んじまうよ! そもそも、あの塔には誰にも入れないように……
 すると彼らの内、長なのかもっとも重厚な装備を纏う男が腰から剣を抜き、なんと突然何も言わずに立ち塞がる男を横様に真っ二つに斬り捨てた。
「脆弱な人間共よ」
 悲鳴すらあげられず恐れおののく人々を見、彼はにたりと笑った。
「同じ目に遭いたくないのなら、邪魔はせぬことだ」
 彼は刃についた血をはらってからそれを鞘に納め、倒れた死体をそのままに従者を連れまたすたすたと歩き始めた。

 塔には結界が張ってあった。
 かつて入った人々が次々と消えていったあの塔を怖れたスターリアの住人は当然何とか出来ないかと考え、その知恵を絞った結果である。

 初めは取り壊そうとした。中に入るから人が消えるのなら、外から壊していけば良い。しかし、一人が煉瓦を砕こうと外壁を鎚で叩いたところ、傷すらつかないどころか叩いた反動で鎚の頭がその者の額に激突し、彼は即死した。
 その他にも作業員が取り壊し作業をしようとした途端、何の前触れもなく突然発狂しだしてそのままぱったり死んだり、心臓発作を起こしてショック死したり、何も深刻な悩みもない筈の若い作業員がある朝何も言わずに首を吊ったり等、不可解な事件が立て続けに起き、何一つ壊せないまま僅か三日の内に気がつけば数十人はいた作業員は僅か十人前後を数えるだけとなった。やがて町を執り仕切る長が取り壊しの中止を決定し、その時から不気味な現象はぴたりと止まった。
 取り壊しが出来ないのなら、近付かないようにするしかない。だが、行方不明になる者の多くは子供だった。
 親の言うことをよく聞く聞き分けのよい子供ならば言いつけを守って近付かない。しかしながら、いつも大人の言うことを聞かずに怒られてばかりのやんちゃ坊主ともなれば話は変わる。皆が怖がって近付かないようなところに、一体何があるのだろうと興味を引かれるのは自然なことであろう。もしかしたら幽霊がいるのかもしれないし、はたまたそんな話は誰かが見つけたお宝を他人に取られないようにするために広めた方便に過ぎないのではないかとも考えた。その好奇心の赴くままに動く子供たちは、親に内緒で夜中こっそり塔に向かい、消えたのだという。
 そのために、塔には誰にも入れないようにする必要があった。そこで外の世界を知る貿易商達に助けを求めたところ、魔道士に頼んで結界を張ったら良い、と言われた。貿易商人以外に他所の人間を招くというのは前例がないスターリアにとっては一大決心だったが、これ以上の犠牲者を増やすことを考えればやむを得ないことだった。街の人々は貿易商達から教えてもらった優れた実力を持つという魔道士を呼び、大金を支払う代わりに強力な結界を張って貰ったのだった。
 その後魔道士はこう言ったと伝えられている。
『ゆめゆめこの封印を解かぬように……
 と……

 武装したよそ者は塔に張られた結界にそっと手を当ててから、迷うこともなく懐から不思議な石を取り出した。それを掲げると結界が目に見えるようになり、たちまち彼らの前に穴が開き、よそ者達はやはりわき目も振らず塔の中へと入ってしまった。
 人々は心配した。彼らはこのまま死の世界へと引きずり込まれてしまうのではないかと気が気ではなかった。
 が、その予想は外れた。それどころかとんでもない結末にたどり着くことになる。
 塔から雷のような音が鳴り、暗闇に染まった空の下人々が何事かと塔の前に集まった。その扉が開いた時……現れたのは見たこともない怪物だった。何だあれはと皆騒いだ。
 怪物は言った。
『運がなかったな。これを見た貴様たちを生かしておくわけにはいかん……。丁度良い、我等が主のために贄となってもらおう……
 腕を振り上げると塔の周りに張られていた結界は消え、それから怪物は無数の炎の星を人へ建物へ見境なく落とし始めた。
 町の者たち青ざめ一目散に逃げ出した。まずは町から脱出しよう。荷物をもつ余裕もなく、子供がいるものはその手を引いて逃げた。その間にも降ってきた炎によって建物は次々と燃え、崩壊していく。石で出来ている筈のものまで、まるで木のように盛んに燃えている。
 と、やっと町の外に出られると思った時、先に行く者が町と周りを囲む森の境目で何もない筈なのに何かにぶつかったような動作をして、そのまま倒れこんだ。近づいてみれば、その者は既にこときれていた。身体がありえない方向にねじ曲がっている。他にも何かにぶつかり死んでゆく者も同じような状態である。どうやら、全身の骨が折れているらしい。
 まさか……。そっと宙に手をかざすと、つるりとした滑らかな感触が空中に感じられた。目に見えない、壁。
 他の住人も町から出られないことに気がついたらしい。
「出して、出してよ!!」
「嫌あぁッ! 助けてッ!」
 泣き叫ぶ声が四方八方から聞こえる。その声を聞き付けたのか、怪物が空から飛んできた。
『ククク……、自らの過ちで滅ぶが良い……
 怪物はこちらを嘲笑うかのように炎を流星群のように降らせ、その内の一つが目と鼻の先に落ちてきて……


***


……ッ!?」
 はっと気がつくのと同時にムスタディオはラムザの肩に置いていた手を反射的に引っ込めていた。
「な……、なんだよ今の……!?」
 言いながら己の声が震えているのが自分でもわかった。
「わからない……
 ラムザはふるふると首を横に振る。彼の声も震えている。ということは、こいつも同じものを見たということか。
 機工士が二つの光を見ると、彼らも何かに怯えたように慌ててラムザから手を離し後退していた。
……二人も、見たんだね……
 地面に座り込んだシャルロットが言った。
「この町が滅んだ時の記憶を……
「記憶?」
「二人も、って……おまえも見たのか?」
 再び腰を下ろしたムスタディオの問いに彼女はこくんと頷いた。
「ここに連れてこられた時に、見せられたの……。助けて欲しいって……。そのために、あの扉を開けて欲しいって……
 娘が示したのは、彼女の背後にあるあの天使が彫られた巨大な門だった。
「あれを?」
「じゃあ……
 ラムザは恐る恐る光の群れに視線を移し、そして足下に落ちていたリンゴを拾って眺めた。
「やっぱりスターリアはもう…………そして、この町を滅ぼしたあの怪物……
「キュクレインやベリアスに似ていたよな」
「うん……。姿はよく見えなかったけれど、雰囲気が……
「僕も思った」
 ラムザはムスタディオとシャルロットを振り返って頷いた。
「まさか、この街はルカヴィに——
 言いかけたその時、塔全体が地面の底から突き上げるような振動に震えた。
『なんだ……!?』
「これって……!」
「またかよ!?」
 あまりにも強い揺れに立っていられずラムザは膝をつき、ムスタディオはシャルロットを抱き寄せる。
 町の人々は先程と同じくパニックを起こしているらしく、逃げ惑っている。しかし中には揺れに足をとられ転ぶ者も続出しているようだ。
「危ない!」
 ラムザは彼らに叫んだ。
「動かないで!」
 揺れは何度も襲ってくる。このままでは上で動いているあの巨大な歯車やこの塔を作っている煉瓦が崩れて頭上に落ちてくる可能性がある(あのビジョンでは鎚で叩いても傷一つつかなかったようだが)。非常に危険だが、こんなに激しい揺れでは身動きをとることも出来ない。下手に動いて皆で転べば圧死する危険があるからだ。
『やはりおまえたちの仕業か……!』
 光の内の誰かが叫ぶ。
「違います!」
……本当さっきから何なんだ?」
 ムスタディオが当然の疑問を挙げる。
「自然のものじゃないみたいだけど、この町の人のせいでもないとしたら、また別の誰かが起こしてるのか?」
……外から、聖剣技の気配がする……
 彼の腕の中にいるシャルロットが言った。
 それを聞いたラムザが目を丸くする。
「まさか、アグリアスさん……!?」
「魔法の気配もする……。きっと……、この塔の結界を壊そうとしているんだよ……
「ラッドたちもか、皆無茶するぜ……
「他人のことが言えるのか?」
 ムスタディオに小言を挟みつつ、ラムザは剣を立てて体を支える。
『怪物共……、我々の希望を破壊するためなら手段を選ばないということか……!』
「そんなつもりは……!」
 否定しようとするラムザの後ろでシャルロットが怯えるようにムスタディオの背に腕をまわした。
「シャル?」
「怖い……
 彼女が恐れているのは揺れではなく、この町の人の怒りのようだった。
 元々心を感じ取ることができる分、負の感情に弱い彼女にとって、この怒りと憎しみはただでさえ衰弱しているシャルロットの体力を奪いかねない。
……
 ムスタディオは泣きそうな顔で体を震わせる幼馴染みの体を守るように抱き締め、黒い群れを睨んだ。
「あんたたちにとってもこいつが大事なら、こんなに怖がらせることないだろ!?」
『なんだと……!?』
「ただでさえこいつは具合が悪いのに……、その上その原因を作ったのはあんたたちだろ! なのに無理矢理ここに連れ出して、怖がらせて魔法使わせて! あともう少しでシャルは死ぬかもしれなかったんだぞッ!! そんな当たり前のことすらわからなくなっちまってんのか!? だとしたらバケモノはおまえらの方だッ!!」
「ムスタディオ……
 昼間を連想させる彼の形相にラムザは名を呼ぶしかなかった。シャルロットも幼馴染みを見上げていた。
『貴様ッ、怪物の分際で我々を侮辱するのか……!』
「自分たちが助かれば、助けてくれる人がどうなってもいいのかよ……!? あんたたちは、助けを求める相手を自分たちで殺そうとしてるんだぞ!」
……!』
 何かに驚いたような、気がついてしまったかのような、そんな息遣いだった。
 その時、外から硝子が砕けるような大きな音がしたと共に揺れは収まった。
「止まった……?」
『なんということだ……
 誰かが言った。
『まさか本当に結界が破壊されるなんて……
 中には座り込む者もいる。
 彼らの時代では決してあの見えない壁を力ずくで破壊することなど、まず不可能なのだから。
……誰か来るぞ」
 ムスタディオの言う通り、耳をすませば駆ける足音が向かいの口の奥、塔の出入り口がある部屋の方から聞こえてきた。それはこちらに近づいているらしくどんどん近づいてくる。足音が重なって聞こえないということは一人のようだ。
 そして、足音の主は間もなくこの広間に到着した。
 広間を照らす光に当たってその者の編み込まれた長い金の髪が、身に纏った甲冑が、そして持っていた騎士剣が煌めく。顔が影のヴェールに隠されたその者は、凛とした声の叫びと共に姿を明らかにした。
「ラムザ、ムスタディオ!」
「アグリアスさん……!」
 ラムザが思わず立ち上がる。
 女騎士は仲間たちの姿を見るや安堵の笑みを浮かべかけるが、その前にいる黒い人影を見て目を見開いた。そして警戒からかディフェンダーを構える。恐らく無意識の内だったのだろう。
「な、なんだこの者共は……!?」
「彼らは……
 ラムザは一瞬躊躇ったが、答えた。嘘を言う必要などないのだから。
「スターリアの町の人々です」
「なんだと!?」
『おまえが結界を破壊したのか……?』
 黒い光の内の一人が言ったのだろう低い声が頭に届く。アグリアスも一瞬頭に手を触れたが、すぐに気を取り戻して剣を下ろした。
「どうやらラッドの推測は正しかったようだな…………その通りだ。悪いが力ずくで破壊させてもらった」
『なんということを……!』
 また別の誰かが批難すると、彼女は険しい顔で塊を眺めた。
「我々の仲間を誘拐したのは貴公らで間違いないようだな。それを棚に上げて被害者ぶるのはやめていただきたい」
『この女ッ……!』
 一人が何をする気か群れから飛び出しアグリアスに詰め寄ろうとする。ラムザが一瞬動きかけたが、彼女は一切動じずディフェンダーの剣先を相手の目と鼻の先に留めて制した。男ですらもて余す騎士剣を片手で軽々と持ち上げる様は、彼女に秘める強さを証明するのにこれ以上のものは必要なかった。
……そこを退いてもらおう」
 剣を突きつけられた光は何か反論しようとしたが、後ろから来たまた別の光がその肩を掴んで止めた。
『あの者はあの結界を力ずくで破壊する力を持った人間だ……
「人間……?」
 すかさずラムザが反応する。彼らにアグリアスは人間に見えているらしい。
『下手に動けば、何をするかわからんぞ……
『ッ……
 その諫めるを聞いた光はもう一度顔をアグリアスに向け、舌打ちまじりに横へ退いた。それを合図に、光たちはアグリアスから見て前から順に右へ左へと滑り彼女の前には一本の道が出来上がった。
『我々はまだ、あの少女に用がある……。勇猛な女騎士……、おまえが通れ……
……彼らを帰すわけにはいかないということか。……承知した」
 アグリアスはディフェンダーをくるりと回して鞘にさし、小走りにその道を通り抜けた。
「アグリアスさん!」
 彼女が到着すると共にラムザ階段の上で出迎えた。
「無事か!? 随分と埃まみれだな……
「僕たちはなんともありませんが、シャルが……
 彼が振り向く視線に導かれた先を見て、彼女の整った美貌が驚愕の色に凍り付いた。
 何故なら、
「アグリアスさん……
 ムスタディオに支えられるようにして座り込むシャルロットがいたからである。
「シャルロット、大丈夫か!? 何をされた!?」
 言いながら頬に触れる。白魔道士の表情は嬉しそうだが、あまりにも弱々しい。顔は血の気が引いた蒼白であった。
「魔法を……しかもホーリーを彼らに無理矢理詠唱させられたんです……
 ラムザが説明する。
「ホーリーだと!?」
「そうなんですよ、早くラッドに診せないと……!」
 しかし、アグリアスはムスタディオの言葉にかぶりを振った。
「無理だ、あいつもこの結界を破壊するためにフレアを二度も唱えたんだぞ。これ以上はラッドの命にも関わる」
「ラッドまで……
 最強の黒魔法フレアは一発でもホーリー以上の魔力を消耗する。ラッドは元々シャルロット程に消耗していたわけではなかったため、二度発動させても持ちこたえられたのだろうが、既に限界であろう。
「ラファもマラークも魔力を使い果たしろくに動けない状況だ……。アリシアとラヴィアンに看病させているが、思っていた以上に状況は最悪だな……
 というアグリアスの顔もまた重い疲労が見える。この塔の結界を破壊するために相当の力を使ったのだろう。
「動けるのは僕たちだけということですね……。魔道士は全滅、ポーションもエーテルもボコも宿に置いてきてしまっているし、アリシアとラヴィアンも呼べない……
「回復は俺が出来るけど雀の涙程度だしな……どうする? この町の連中も、俺たちをすんなり帰してくれそうにはなさそうだぜ」
 ムスタディオの言葉にその通りだとラムザは眉を寄せた。
「そもそも」
 アグリアスが訝しげな顔で群れに目をやる。彼らは隙あらばシャルロットを奪おうと機会を伺っているように見える。
「あの者たちは何故シャルロットを誘拐したのだ?」
「あの扉を開けさせようとしてたみたいです」
 機工士が後ろの扉を指差す。
「あれが、生と死を繋ぐ扉か?」
「だと思います」
 ラムザが頷く。
「もしかしたら彼らは、この土地に縛られた地縛霊なのかもしれません……。あの扉を開くことで、天に昇ろうとしているのかと……
『相談事は終わったか?』
 恐ろしい声が彼らの頭に響き、見れば黒い光が皆こちらを見ていた。なんとも不気味な光景だ。顔は見えないはずなのに、突き刺さる視線を感じる。
『そこにいる娘を渡してもらいたい……
 指を差されたシャルロットは怯えたようにびくりと肩を震わせる。
 彼女を守るようにムスタディオが細い体を抱き寄せ、ラムザとアグリアスが二人を背にまわし立ち塞がる。
「それは出来ません」
『あくまでも我々の邪魔をする気か……、怪物共め……
「怪物?」
「彼らには、僕とムスタディオが怪物に……ルカヴィに見えるようなんです」
 言われた言葉を繰り返すアグリアスにラムザが囁いて補足をする。
「ルカヴィに? どういうことだ?」
「この町は、ルカヴィによって滅ぼされたんです」
……なるほど、そういうことか」
 彼女は驚くどころか納得したような顔をした。
「アグリアスさん?」
 狐につままれたような顔をするラムザを尻目に、女騎士は相手を見回した。
「事情はわかった。この者たちは死んでから五十年程経った今でも、こうして地上をさまよっているのだな……
「えっ」
 ラムザは声を上げていた。
 さっき説明した時、スターリアが五十年戦争の初期に滅んだらしいことなんて一言も言っていない。
「アグリアスさん……、この町のこと知っていたんですか?」
「ついさっき思い出したばかりだ。存在そのものがこの世から消された都市……、それがスターリアだ」
「存在を消された……!?」
 ムスタディオが声を上げる。
「ああ。おまえたちの説明でやっと繋がった。彼らが昇天することができないこと、そして滅んだ筈のスターリアが何事もなかったかのように存在していること。そして、滅亡の原因がルカヴィにあるということ……その全てがな」
 一度言葉を切り、固唾を飲んで耳を傾ける仲間たちと町の住人たち、この場にいる全ての者たちを見据えてからアグリアスはずばり口にした。
……この町には、元々聖石があったのではなかろうか」
「!?」
 ラムザとムスタディオが、そしてシャルロットが目を丸くした一方で、黒い光はざわめき始めた。
 聖石? おとぎ話の? という声が聞き取れる。
 何も知らない者が突然そのようなことを言われれば戸惑うのは自然なことであろう。自分たちだってそうだった。ライオネル城で、あるいはゴーグの地下で、実物を見るまでは聖石が実在するものだとは信じていなかったのだから。
「アグリアスさん……、それって……
 彼女はラムザを横目で見、それから背後の門を見上げた。
「これは、半分ラッドの受け売りが入っているのだが……


***


 ことは半刻前に遡る。
 誰もいない町の中で、アグリアスやラッド、アリシアとラヴィアンはこの町はそこで死んだ人々の記憶が具現化することによって現れたものであるという結論にたどり着いた。
 しかし、その推論を真の意味での結論とするには未だ不足要素がある。
「ですが、いったい何故……、そもそもどうやって記憶が具現化しているのでしょう」
「もしかしたら……
 ラヴィアンの疑問にラッドはゆっくりと次の言葉を告げた。
「聖石かもね」
「!?」
 驚く顔をする彼女らに、黒魔道士はあまり考えたくはないけれど、と付け加えた。
「沢山の人間の記憶があれば、聖石がそれを読み取り、その石の魔力一つの町を作ることなんて、もしかしたら造作もないことかもしれない」
「いやいや、ちょっと待って!」
 アリシアが慌てて待ったをかける。
「この町の人々は死んでるのに、どうやって読み取るっていうの?」
「むしろ、死んでいるから読み取りやすいんだよ」
「どういうこと?」
 ラヴィアンが首を捻る。
 ラッドは足元の地面に視線を落とした。
「この町の住人全員分の魂が天に昇ることもできずにこの大地に染み付いているのだとしたら……考えられなくもないだろう?」
「えっ!?」
 ね、とにっこり意味深な笑みを見せる彼を見て、まるで死体を踏んでいるような心地がしたアリシアとラヴィアンがたまらず飛び退くが、無論本当に住人のそれがあるわけではない。
「まあ、天に昇るなんてグレバドス教の死生観に過ぎないから実際どうなるのかは実際死んでみないとわからないだろうけどね」
……しかし、聖石は本当にそのようなことができるのか?」
 アグリアスが話題を元に戻す。
「魔力というものは時にこちらが予期しない形になって現象を起こすものです。聖石そのものにそんな力はなくとも、町の住人の心に反応した可能性はありますよ」
「心?」
「はい。魔力は魔法という様々な現象を引き起こすための源ですが、その源の源は心です。つまり、魔法というものはそれを発動させる者の心が起こすものなんですよ。記憶もまた、心の一部です。魂は心を内包していますから」
「この町の住人の魂は死後この地に何らかの理由で留まっていて、その魂に含まれる心……記憶が聖石と反応して魔力を生み出し、この都市を作り上げた、ということだな?」
「そういうことです」
 流石アグリアスさん、とラッドはにっこりと微笑んだ。
「あくまで推測の域を出ませんが、もし本当にこの件に聖石が絡んでいるのだとしたら……この町に住んでいた人間が口封じのために虐殺されたというのも説得力が出てくるのではないでしょうか」


***


「ルカヴィは聖石を求めてこの都市に現れ、結果として見つけた。その後始末として町を焼いた……。リオファネス城よりも規模の大きい虐殺だ」
「確かに……
 アグリアスから話を聞かされたラムザはあの時見た映像を振り返る。
「ルカヴィが聖石を目当てにここに来て、あの人たちに正体を見られてしまったのなら…………けれど、そうだとしたら何故聖石がこの町にあったんだろう?」
「あの扉……
 シャルロットが口を開く。
「ここ……、聖石に似ている力を感じるの……。もしかしたら……、生と死の扉は、聖石の力と関係しているのかも……
「扉だけじゃないだろうな」
 ムスタディオも口を挟む。
「この塔にある時計。あれも聖石で動いてたんだ。もしかしたら自動修復機能も……。いや、そんなことできるのかわからないけど、でなけりゃ旧文明時代の代物が何千年の間壊れずにいられるなんてこともまずあり得ないし」
『そんな石ころのことなどどうでも良い……
 黒い光が言った。
『我々は一刻も早く神の御元へ行きたいのだ……
「そのことと聖石が関係しているのだとしたら?」
『石のことなど知らぬわ!!』
 アグリアスの言葉を苛立った様子で返した。
『あの扉を開くには聖なる力と清い心が必要であり、石ころが必要などとは伝わっておらん!』
 今まで生気を感じられなかった声に、急に熱がこもったようだった。
「聖石は最初からあるものという前提があれば伝わらんだろうな。聖石そのものも世間からは隠された存在だ」
『こじつけだ!』
「確かにそうかもしれん。……だが、否定することも出来ないだろう? 私たちも、おまえたちも」
『ッ!』
 やりとりを尻目に、ラムザには未だ気になっていることがあった。
……だけど、聖石そのものはここにはない筈なのに、何故この町が出来上がっているんだろう? 聖石の力がこの地に残っていたのか?」
「ラッドもそう言っていたな」
 アグリアスがそう声をかける。
「それなら、この塔の結界が広がり、あの人たちを閉じ込めたのも聖石……もしくはルカヴィの力……? 魔法は心で発動するものだからか……?」
……なあ、あの扉が聖石の力で機能していたんだったら、俺たちが持っている聖石で開けられないのかな?」
「あっ、そうだよ!」
 ムスタディオの言葉に、やっとラムザは重要な解決策を思い出した。
「僕たちは聖石でここに来れ、シャルを助け出せた。本来あった力をもう一度だけ戻すことが出来れば、或いは……
『我々は神の御元へ昇ることができるのか……?』
「はい、可能性は十分あると思います」
 きっぱりと言い切るラムザに、群れの中からどよめきとも歓声ともとれる声が聞こえてきた。喜びと疑いが混じっているのだろう。
「しかし、私たちが持っている聖石の中に、この町にあったものがあるのか……?」
「心当たりはあります」
 当然の疑問を口にする女騎士に、彼は安心させるように微笑み、一つの聖石を取り出した。
 双魚宮の紋章が刻まれた、上から見た魚のような青い結晶。
「パイシーズ?」
「この塔の結界に反応したのはこの聖石でした。イズルードが持っていたもののようですし、元々スターリアにあったのかどうかはわかりませんが、やってみる価値はあると思います」
 その時、男の声が頭に届いた。
『本当に我々を助ける気なのか……?』
「え……
『信用ならない……
『我々を騙すつもりなのでは……
『人間と彼女は言うが……
『きっと騙されているに違いない……
「この期に及んでまだそんなこと言ってんのかよ……
 怖がる幼馴染みを宥めつつ、呆れる機工士にアグリアスは仕方あるまい、とため息混じりに言った。
「彼らには何故かおまえたちがルカヴィに見えているのだろう? 私があの者たちだったらまず信用できん」
「それでは、どうすれば……
「私がやる……
 困り果てたラムザに名乗りをあげたのはシャルロットだった。
「けどおまえ、そんな体じゃ……
 言いかける幼馴染みを制して大丈夫、と健気に愛らしい笑みを浮かべた。仲間たちがここにいることとあまり動かないことで幾分か顔色は良くなっている。
「あの人たちに、あなたたちのこと、信用してほしいもの……
 確かに、彼らはシャルロットのことは信用しているようである。自分たちが試してみるより波風は立たないだろう。
 ……しかし、もし失敗したら……
 不安から聖石を握りしめるしかないラムザに、その考えを読み取った彼女は元気付けるように微笑む。
「私、ラムザの考えてることは正しいと思うよ。それに……、あの人たちが言っていたじゃない、聖なる力と清らかな心が必要だって……。多分、私がそれを持っていると思われてここに連れてこられたんだと思うの……。後ね……皆、私のためにここまで来てくれたんだもの……、私も皆のために、この町の人たちのためにも……、私も何かしなくちゃ……
「シャル……
 シャルロットは三人を一人一人見回してまるで本物の天使のように微笑んだ。
 彼女は一度言い出せば聞かない。かわいらしい外見とは裏腹に芯の通ったその意志は、簡単には曲げられない。そして彼女もまた、それを最後までやり遂げる。こちらの期待を裏切ったことなどない。
……わかった」
 ラムザは彼女の前に膝をつく。
「きみにお願いするよ。……彼女なら、良いですか?」
 黒い光を見回す。返答はなかったが、しぶしぶ、といった具合の空気だ。それを肯定と判断し聖石を出した。
「頼む」
「うん。ありがとう、ラムザ」
 受け取って嬉しそうに頷く。
 立ち上がって下がるラムザと入れ替わるように、今度はアグリアスがやって来た。
「シャルロットは私が連れていく。ムスタディオも彼らからルカヴィに見えているのなら、扉に近づかない方がいいだろう」
 ムスタディオは何か言い返しかけるが、腕の中にいる娘がその通りだよ、本当に大丈夫だから、と視線で告げていることに気がつくと諦めたように息を吐き、もう一度だけ彼女を見据えた。
……無茶するなよ、シャル……
「うん」
 こくんと頷くのを確認してから、お願いしますと細い肩に手を置き背中を押すように前に出させる。アグリアスは聖石を持っていない方の少女の手をとり自らの肩に回す。肩を貸してもらって初めてシャルロットはなんとか立ち上がり歩き出すことが出来た。それを見届けムスタディオも立ち上がって下がる。
「ありがとうございます……
「気にするな。……私はおまえを信じている」
 会話を交わしながら十歩程歩くと扉の目の前に到着する。
 ラムザとムスタディオ、そして黒い光の人々が固唾を飲んで見守る中、アグリアスが腰を下ろして少女を座らせて半歩下がる。
 シャルロットはまず大きな扉に刻まれた六枚の羽根を持つ天使を見上げた。生者の世界と死者の世界を繋ぐ扉に、何故天使が刻まれているのだろう。魂を天に運んでくれると信じられていたのだろうか。
 翼や両手でつまみ上げているたっぷりとしたスカート、瞳を閉じる長い睫毛、空虚に微かに開いた唇、滑らかな頬……本当にこの場にいるかのように、そして本当に動き出しそうにも思わせるその柔らかな質感の見事な表現は並大抵の彫刻技術ではないだろう。こんなに美しい天使を今まで実家の屋敷にあった本でも見たことがない。きっと、古代の畏国人たちが信仰していた存在なのだろう。ルカヴィという悪魔とは対照的だ。
 その天使に願うように、次に青い聖石を見下ろした。
 あの時、リオファネス城で聖石スコーピオがマラークの命を救ったように、きっと奇跡を起こせる筈だ。
……この町の人たちを助けたいの……。皆苦しんでる……。小さい子だって、ずっとここに縛り付けられて……。こんなの悲しいよ……。お願い……一度だけでいいの……、力を貸して……
 聖石を包み込むようにして握りしめ、それを胸に当てると、手の中にあるものが徐々に温かくなっていっているような気がした。
 心の熱はやがて光となり、新たなる力を呼び覚ます。
……!」
 驚いて思わず手を開くと、聖石が仄かな光を抱いていた。
「聖石が……
 手元を覗きこんだアグリアスが呟いた時、地鳴りのような音が響き始め、これに共鳴するように空間が振動した。聖剣技や魔法によるものとは明らかに違う。この大地全体が産声を上げているかのようだ。
『おお……おおお……!』
 黒の群から声が上がる。
「リオファネス城の時のように、シャルの心に反応しているのか?」
「ラムザ、あれ見ろ!」
 指をさすムスタディオに導かれて見ると、固く閉ざされていた天使の中央に走る扉の隙間が振動に合わせて徐々に広がってゆく。眩いばかりの光が扉の向こうから溢れでてまともに直視できない。
 扉が開いていくにつれ地鳴りの音も大きくなっていき、最早その音しか聞こえない。広間が光に覆い尽くされて誰もが顔を庇った……

 ……やがて地鳴りと振動と光が同時に収まり、皆そろそろと顔を上げる。
 シャルロットの背中を抱き締めるようにして顔を伏せていたアグリアスも恐る恐る瞑った目蓋を開く。
 ——扉が……開いたのか……
 ちかちかする視界の中状況を確認する。
「シャルロット……大丈夫か……
 言いながら少女を見る。どうやら無事なようだ。良かったと一先ず安堵するが、彼女は真顔で真っ直ぐ扉の方を見つめている。その先を見た時、女騎士は驚いた。
「扉は!?」
「さっきまでそこにあったよな……!?」
 後ろにいたラムザとムスタディオも唖然とするしかなかった。
 何故なら、先程まであった筈の扉も、眩い光に満たされていたその扉の向こうもなく、それがあった筈の場所はただの壁と成り果てていた。扉があった痕跡など何処にもない。
 更に後ろにいる黒い光たちも不安げにざわめいた。
「いったいどうなっているのだ……
……大丈夫です」
 アグリアスの言葉の中の動揺を沈めるように、シャルロットが穏やかで、かつ冷静な声音で言った。
「扉は開きました」
「え……?」
「私たちはずっと、扉というのは目に見えてあるものだと思い込んでいましたが、そうではなかった」
 その時、頭上から光が舞い降りてきた。
 広間から感動と歓喜の声が上がる。
「本当の扉は、目に見える形ではなかったんです」
 白魔道士は天を見上げた。
「扉は、上にあります」
 時計を動かしていた歯車が光に溶けてゆく。降り注ぐ真っ白な光は、神聖で、温かくて、心地よいものだった。見ているだけで心の中の邪悪な部分、辛い記憶、何かに対する怒りや憎しみすら消えていってしまいそうだ。
 その光に照らされた黒い光の人々は真っ白に染まってゆく。膨張した憎しみの色は収縮され、蒸発するように消えていく。その次に、閉じ籠っていた殻が取り払われるがごとく、纏っていた光が次々と消えた。
「あ……!」
 その姿を見たラムザが思いもよらず声を漏らす。ムスタディオも驚いた。
 しかし、同じ顔をしたのは彼ら二人だけではなかった。
『!!』
 目の前に立っていた黒い光だったものは、昼間見ていたあのスターリアの人々で、顔も服装も髪型も判別できる、正真正銘人間と呼んでよい姿だった。が、やはり生きている人間と区別がつかないわけではなく、紙に描かれた人間——もっと技術が進んでいる時代ならスクリーンに写し出された人間と形容できるだろうか——のようにどこか立体感に欠けている。彼らはやはり、魂だけの存在なのだろう。
 彼らもまた、ラムザとムスタディオを見て一様に驚愕と、そしてどこか罪悪感を感じているような表情を浮かべていた。
『に……、人間だ……! 本当に人間だったのか……!』
「もう、僕たちのことは人間に見えるのですか?」
 恐る恐るラムザが聞く。
『ああ……。彼女の言う通りだった。怪物の血がついていたのだな……
「怪物の血?」
 ラムザが言われた言葉を繰り返すと、若い男が無言で頷いた。
『きみたちは、怪物が持つ何かを持っている』
『きみたちは……、存在そのものに怪物の血がついている……。昼間の我々は、死ぬ間際の姿……その記憶でできた肉体があったから、きみたちはどこにでもいる青年たちに見えた』
『しかし、彼女が我々を救う者だと確信した時、肉体は我々の魂を包みきれなくなった……。天に昇れるという期待と、怪物への憎しみがあふれでたんだろう』
『そして、憎しみに囚われた我々には、怪物と同じものを存在に持つきみたちが怪物に見えた……
「じゃあ、魂しかなかったから、さっきまで俺たちがルカヴィ……怪物に見えてたってのか?」
『その通りだ……
 ムスタディオの確認に老人が肯定した。
『恐らく……怪物と切っても切り離せぬ宿命を背負う者なのだろう……
 ラムザとムスタディオは互いに顔を見合わせた。
『我々には怪物と見えていたが……そなたらは、寧ろ怪物を討ち滅ぼす者であると見受ける……
「確かに……、僕たちはあなた方の言う怪物と戦ったことがあります」
 ラムザが口を開いた。
「今、その怪物が畏国を、そして世界全体を危機に陥れようとしています。このままでは、スターリアの悲劇が繰り返されるのも時間の問題……いえ、もう既に繰り返されていると言っても良いでしょう……
 言葉を切り替えたのは、頭の中でリオファネス城のことを思い出したからである。
「僕たちは、それを止めるために戦っています。それが宿命だというのなら、確かにそうなのかもしれません」
『そうだったのか……。再び怪物が……。我々は、その使命を持つそなたらをこの手で殺そうとしたのか…………謝らせて欲しい……
「い、いえそんな」
 つむじを見せんばかりに頭を下げる死者に慌ててラムザが手を振る。
「僕たちも、あなた方に危害を加えてしまったのは事実ですから……。こちらこそ、本当にごめんなさい」
『たが、大事なことに気付くことができたよ……
 聞き覚えのある声と共に出てきたのは
「あなたは……
 昼間シャルロットにリンゴをくれたあの果物屋の男だった。
『あのお嬢さんと、あんたにね』
「俺?」
 ムスタディオが自らを指して目を瞬く。
『ああ……。“自分たちが助かれば、助けてくれる人がどうなってもいいのか? 助けを求める相手を自分たちで殺そうとしてるんだぞ”って言われた時、目が覚めたよ』
「あ、あれは…………シャルのことがあったっつっても……酷いこと言って悪かった……
『いいや……、良いんだ……。そう言われて仕方がなかった……。俺たちは……どんな手を使ってでも助かりたかった……。気が遠くなるくらいの時間、ここから動くことすら出来ず……、住人の演技をさせられ続けていたからな……。だけど、やっときてくれた救世主なのに、あのお嬢さんのことなんて微塵も考えなかったよ……。自分が助かる方法しか頭になかった……
 男は自嘲の笑みを浮かべていた。
『そんな傲慢なことしか考えない俺たちに……、神は助けてくれるわけなかった……。神は、あんたたちに味方したんだなあ……
……えーっと……
 一瞬の沈黙の後、機工士は言いづらそうに頭をかく。
「こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど……、俺、神様とかそういうの……あんまり信じてないんだよね」
 苦い笑みを浮かべる青年に目の前の大勢の死者たちは仰天したような顔をした。
「神様って、なんか自分にとって都合のいい存在みたいでさ……、腑に落ちないんだ。でも、魔法とか幽霊とか、うまく説明できない不思議なこととか、そういうのは受け入れられるんだよ」
『では……奇跡を何とする……?』
 別の老人が問うた。
「奇跡っていうのは、自分で起こすもんだ」
 控えめだった態度から一変して自信ありげに言い切る機工士に最初住人たちは呆気にとられたような呆けた顔をしていたが、果物屋の男はその表情からふっと様々な感情が見え隠れする、先程のものとは明らかに違う笑みが溢れ、それを隠すように微かに視線を落とした。
 好奇心と、得心と、自らへの羞恥心……であろうか?
「どんなものでも、自分が行動しなけりゃ奇跡も何も起こせないだろ?」
『なるほど……、自分で奇跡を起こすなんて、考えたこともなかった……
 彼は機工士の青年を改めて見据えた。
『あんたたちは、奇跡を起こしたんだな……
……別に。俺たちは仲間……を助けたかっただけだよ」
『そうか……
 男の表情が何かを察したような色を見せたのをラムザは見逃さなかった。途中の詰まった言葉と言葉の間に隠された意味——ムスタディオにとってシャルロットがどんな存在なのかを察したのだろうか。
 話している間にも、頭上の光の輝きは増していっている。
『時間はないようだ……。そろそろ行こう……
 誰かが告げた。
「これで、貴公らは救われるだろうか?」
 アグリアスがおぼつかない足取りのシャルロットを支えてやりながらやってきた。
『ああ……。やっと、旅立つことができる…………ありがとう』
 皆はラムザたちを一人一人見、そしてシャルロットと目が合うと深々と頭を下げた。感謝と、謝罪の意だろう。その思いが伝わったのか、もう彼女に怯えや恐怖の色はどこにもなかった。具合は決して良くないながらも柔らかな表情で微笑む。
 それを皮切りに、天から降り注ぐ光に誘われるように一人、また一人と魂がふわりと浮きあがり扉の向こうに吸い込まれるようにして消えていく。
 人の形から人魂のようになり、やがて夜空を走る彗星のように尾を引いて、光の粒子を振り撒いて消えて行く。
 人々の魂一つ一つが、天に昇る星のようだ。
 生の世界と死の世界、ラファやマラークの言葉を借りるのならまさに常世と黄泉が繋がった瞬間である。
……ラムザ?」
 死者を見送る者たちはこの光景に見とれんばかりだったが、不意にアグリアスが声をかける。名を呼んだ彼は、星になる死者のことには目もくれず、旅立ちの時を待つ住人たちを見てきょろきょろしている。何かを探しているようだ。
 が、やがてすぐに
「いた!」
 という声と共に待ち人たちの方へと駆け出してしまった。
 残された三人は顔を見合わせて隊の長を追いかける。

「きみ!」
 走りながら呼ぶと、宿屋の両親と共にいる小さな男の子がこちらを振り向いた。
「良かった、間に合った……
 安心からほっと息をつく。
『お兄ちゃん、どうしたの?』
 彼は腰をおろして小さなこちらに目線を合わせ、持っていたものを出した。
「はい、これ」
 と言って差し出されたそれは、赤く艶やかな大きな宝石……否、リンゴだった。
『え……
 男の子は目をぱちぱちさせてそれを見つめる。
 怪我が治って白魔道士の少女にお礼を言いに行った時、彼女から貰ったものだ。彼女を奪われた悔しさから目の前にいる彼に掴みかかった時、落としてしまっていたのを彼が拾っていてくれていたのだ。
「きみのものだろう?」
 年不相応なあどけなさが見える微笑を浮かべながら小首を傾げて受け取ってくれるのを待っている。
 全部わかっている筈なのに、それでもわざわざ届けに来てくれたのか。後ろの夫婦も少し吃驚しているようだった。
 小さな男の子はその果実を暫く見つめていたが、やがて相手へと視線を移した。
『僕、もう食べられないよ……?』
「わかってる。……でも、きみはこれをシャルに貰ってから、ずっと大事に持っていただろう? いつまでも僕が持っているわけにはいかないよ」
 その時、青年の背後に彼の仲間たちが追い付いてきた。しかし、ラムザは彼らを見ることはしなかった。
 男の子は手を伸ばすことはせず、ただ首を横に振った。
……ううん、いらないや。お兄ちゃんたちにあげる!』
「えっ?」
 ラムザは目を瞬いた。
『本当は、あのお姉ちゃんがもらったものだったんでしょう?』
「それは…………そうだけど……。いいのかい?」
 やっと後ろにいる白魔道士をちらりと振り向いてから向き直る。この男の子にリンゴをあげたのはシャルロットの意志だったからだ。
『うんっ!』
 男の子は大きく頷いた。
『僕がもっていっても、だれもおなかをいっぱいにはできないから』
……
『おねがい。お兄ちゃんたちが食べて。その方が、きっとリンゴもうれしいよ』
 彼は後ろの少女をもう一度だけ見る。女騎士に支えられるようにしている彼女は口元の両端を上げたまま頷いた。それを確認し、ラムザはリンゴを胸に抱く。
「わかった。ありがとう」
『どういたしまして』
 男の子は屈託のない笑顔を浮かべている。
……僕も、お兄ちゃんたちみたいなかっこいい大人になりたかったなあ』
「生まれ変わったらきっとなれるよ」
 生まれ変わりなんて、本当にあるのかはわからないけれど……とは口にしなかった。
『うん。……お兄ちゃんたちは、僕たちのことわすれないでね』
……!!」
 子供のものとは思えない言葉の重みに、四人ははっとした。
 人間が死を恐れるのは、自分という存在が消えてしまうこと、そして残された者たちが自分を忘れていってしまうことへの恐怖感を感じるからだ。しかしスターリアは意図的に存在を消され、この町で死んでいったこの子たちのことを誰も知らないように仕向けられてしまっている。忘れられることがどれだけ辛いことなのか、それは死者のみがわかるわけではあるまい。
「忘れないよ」
 ラムザは言い切った。
「僕たちがきみたちのことを覚えていよう。そうすれば、きみも、きみのご両親も、この町の人々も、皆僕たちの中で生きられるんだ」
「ラムザ……
 親友の機工士の声が耳に届いて、後ろに立つ仲間たちに笑いかけてみせた。そうだろう、と。
 ——もし死んだとしても、誰かが覚えていれば、その人はその誰かの心の中で生きることができるんだ。
 それは誰の言葉だっただろう……。覚えてはいないけれど。
『ほんとう?』
「勿論さ」
 答えると、迎えの光は彼ら親子を照らした。順番が来たのであろう。
 宿の夫婦が先に行き、男の子が遅れて続く。
『僕からも、ありがとう。お兄ちゃんたち、お姉ちゃんたち! ばいばい!』
 小さな手を四人に大きく振って、光の中に消えていった。
「さよなら……
 立ち上がって開いた扉の真下に来たときには、もう既に宿屋の親子の姿は見えなかったが、ラムザは彼らを見送り続けた。
『我々もゆかねば……
『ありがとう……、すまなかった……
 その間にも横を他の住人たちがすり抜け、声をかけ、光と一体になる。
「生と死を繋ぐ扉……
 動かないラムザの隣にムスタディオが歩み寄り、共に光の先を見上げた。
「あの伝説は、本当だったんだな」
「ああ」
 人々の魂は次々と光に変わり、四人の周りを回って天に向かって昇ってゆく。
「彼らは呪縛から救われたのだな」
 二人の青年が振り向くと、アグリアスと彼女に支えられて立っているシャルロットがいた。二人とも表情は穏やかだ。
「ええ、そう願いましょう」
「きれい……
 シャルロットがため息混じりに呟く。
 人々の魂が星のように輝き、天に昇ってゆく……本当に美しい光景だ。
 やがて全ての人々の魂は天へと向かい、射し込む陽射しのような光は静かに弱まっていった。
 それを見届け、ラムザは改めてシャルロットに向き直った。
「ありがとう、シャル。きみのおかげでこの街の人々を救うことが出来たよ」
 彼女はふるふると首を横に振り、手に持っていた聖石を出す。
「ううん。私はただ、私の思いと……、三人のお願いを伝えただけ」
「でも、聖石は答えてくれた」
 差し出された聖石を受け取り、男の子からもらったリンゴとそれぞれ片手に持って二つを見下ろした。
「良かったんだ……、これで」
「皆救われたもの、ね……
 その時、シャルロットの華奢な身体がぐらりと揺れ、アグリアスの手をすり抜けた。
「シャル!」
……!」
 ラムザは両手が塞がっていて助けられない。突然のことにアグリアスの反応が一瞬遅れる。
「ッと……! 大丈夫か!?」
 間一髪、ムスタディオが素早く彼女を抱きとめる。
 腕の中で、娘は薄く目蓋を開いて少し照れたように微笑んだ。
「ごめんなさい……、疲れちゃったみたい……
 その顔色はますます蒼白を濃くしている。
「すまん、無理をさせすぎたか」
女騎士が膝をついて詫びる。
「いえ……、アグリアスさんのせいでは、ないですから……。ムスタも、ごめんね。もう、平気だから……
「そんな顔で平気なわけないだろ!」
 恥ずかしいのか幼馴染みの胸を押し戻して独りで座り直そうとするが、彼は離さなかった。
「おまえはいつも我慢しすぎだ! たまには俺のこと頼れ!」
……。ん……、ありがとう……
 彼女は最初いわれた言葉に目を瞬いたが、感謝の礼と共にその体を預ける。
「さっきよりも顔色が悪いな、早く休ませた方がいい」
 ラムザも腰を下ろして彼女の顔を覗き込む。
「アリシアたちとも合流せねばならないしな……
 アグリアスがらしくもなく若干ふらついた様子で立ち上がる。が、それはラムザたちも例外ではない。
 思えば昼前にこの町につき、正午すぎにベヒーモスの群れと戦い、シャルロットを探して町を走り、ついさっきもその剣をふるった。今まで緊迫して感じなかった疲労が、全てが片付いて緊張が解けた途端ずっしりと身体に降りかかっている。
「急いでここを出ましょう」
 ラムザも剣を杖代わりに立てて立ち上がる。
「鳥車に行けばシャルを寝かせてあげられる」
「だな」
 ムスタディオも少女を抱き上げる。
「シャル、すぐに横になれるからな」
 出発しようと出口を振り向いた時、彼らは初めて周りの様子がおかしいことに気付いた。
「これは……!?」
 塔の壁が上階から光の粒子となって分解し、煙のように上に立ち上ってゆく。ラムザたちが見た頃には既に歯車はなく、星空が丸くかたどられた形で容易く見えていた。
 粒子は星明かりの中に溶けて消えてゆく。こんな時でなければ、美しいと見とれられるだろう。
「塔が……、消えているのか?」
「もしかしたら」
 機工士が呟く隣でアグリアスも口を開く。
「この町はスターリアの住人の記憶が具現化して形成されたもの。彼らが天に召された今、その記憶もこの大地から消え、塔も消失しているのかもしれん」
 その間にも分解は続き、あんなに高かった時計塔はあっという間に跡形もなく消え去ってしまった。外へ出る手間が省けたということを考えれば結果としてよかったのかもしれないが……
 冬の冷たい風が吹き抜け、シャルロットが身体を震わせて温もりを求めるようにムスタディオの身体に自らのそれを寄せる。
「うわっ、すっげー寒い!」
 彼も幼馴染みの身体を抱きしめて暖をとる。明らかに塔に入る直前よりも気温は下がっている。
「雪が降ってもおかしくないな」
 アグリアスも自らの身体を抱きしめるようにして腕をさする。
「ラッドたちは大丈夫でしょうか……
 ラムザが心配しかけた時、
「アグリアスせんぱ——い!! 皆さーん!!」
 竜騎士の娘がこちらに向かって走ってくるのが見えた。
「ラヴィアン!」
 彼女は来るなりいきなりアグリアスに抱きつき、眉尻を下げた顔で見上げる。
「ご無事で何よりです……!」
「心配をかけたな」
「ラッドたちは?」
 ラムザが訊くと、彼女は大丈夫ですよと答えた。
「すぐに来ます」
 その言葉を証明するがごとく遠くから車音が聞こえてきた。
「クエ〜〜!!」
 という聞き慣れた鳴き声と共に、ラムザ隊を今まで運んできた鳥車が五人の前に現れた。
「良かった! 丁度いいタイミングでしたね!」
 ボコの手綱を引く騎手席には忍者の少女が座っていた。
「アリシア!」
「大丈夫かい?」
 扉が開くと共にラッドが、そしてラファとマラークも顔を出した。
「ラッド! ラファ、マラーク!」
 ラムザが呼ぶと、ガルテナーハ兄妹は喜び勇んで飛び出す。
「良かったー! 心配したのよ!」
「外からじゃ何もわからなかったしな」
「鳥車持ってきたのか!?」
 驚いて声を上げる機工士にラッドがふふふと笑った。
「アリシアとラヴィアンの提案だよ。おかげで大分休めたんだ」
 その言葉にアグリアスは後輩二人にでかしたぞと褒める。それを尻目に黒魔道士はムスタディオに抱きかかえられたシャルロットを見る。彼女も嬉しそうに微笑んだ。
「ラッドさん……
「見つかって良かった…………実際、鳥車を持ってきておいて正解だったみたいだね」
「ああ、早く休ませてやらねーと」
「これはまた随分消耗しているみたいだね。生憎俺もまだ魔法は使えないけど、安静にしていれば回復できる筈だ」
「二人とも、疲れている所悪いけれどシャルのこと頼むよ」
 ラムザの言葉に二人は頷く。
「ごめんね……、本当にありがとう」
「だから謝るなって」
「当然のことなんだからいいんだよ。……こっちへ」
 ラッドは白魔道士を抱えたムスタディオを鳥車の中に招き入れた。
……ねえ、あれ見て」
 残された者たちはラファの指差す方を見る。
 それは、先程塔で見たのと同じように、町の建物たちが光の粒子となり夜空の中に吸い込まれていっている様子であった。
「やっぱり、町全体も消えていっているんだね」
「ああ。もう、終わったんだ……
 ラムザたちが眺めていると、
「ラムザ、それなんだ?」
 マラークの声に振り向くと、彼はラムザの手を指差していた。そこにあったのは、リンゴである。
「ああ……これね、もらったんだ」
「もらった?」
「そう」
 深紅の果実は星明かりに照らされて鈍く輝いていた。
「とても綺麗ですね、シャルちゃんが持っていた時も思いましたが、宝石みたい」
 手元を覗き込んだラヴィアンがうっとりと言う。
「町は消えていっているのに、これは消えていないのね」
 ラファの鋭い指摘に周りは確かにと不思議そうな顔をするが、ラムザだけは全てをわかっている表情だった。
「これは、僕たちがこの町の人々を忘れないためにもらったんだよ。だから、これは本物になったんだ」
「よくわからないわ……
 アリシアが懐疑的な顔をする。
「この世界には、常識で考えられないこともある」
 とアグリアス。
「あまり深く考えるだけ野暮というものだ」
「そういうことです」
 言葉少なに会話を畳んでしまったラムザに、事情を知っているアグリアスを除く仲間たちはわかったようなわからないような、なんとも不可思議な心地を感じていた。


***


……じゃあ、その扉は何だったの?」
 塔の中の出来事を聞いたラファが尋ねる。
「シャルロットは、『元々扉は目に見える形では存在していなかった』と言っていた。恐らく、私たちが見たあの天使らしき者が彫られたあの扉はスターリアの人々がイメージした生と死の扉だったのかもしれん」
 アグリアスが答える。

 あれから、体力がまだあったアリシアとラヴィアンにかわりばんこで見張りをしてもらいながら——ついでに宿屋があった場所に散らばっていた隊員の荷物やアイテムも回収してもらって——戦った者、魔力を使い果たした者は重点的に身体を休めた。結局昨日は殆ど休めていなかったため、ラムザが目を覚ました時には既に日が昇っていた。起きてきた時にはラッドやラファやマラークはすっかり元気を取り戻し、アグリアスも剣の手入れをしていた。もっともムスタディオは遅くまでシャルロットの看病に努めていたらしく彼女の寝ている寝台に伏せるように眠っていたのだが(背に毛布がかけてあったのはラッドあたりの仕業だろう)。シャルロット自身も未だ本調子ではないようだが随分と回復しており、眠る幼馴染みの頭を撫でてやりながら入ってきたラムザに微笑んで自分の唇に人差し指を当てた。
 隊の運営としては、皆の体力回復と、スターリアの人々への弔いのために日程をずらしてでも天気がもつ限り日中は町があった付近に滞在し、出発しないことになった。女将からの朝食も消えてしまったため——昨夜回収しておけばリンゴのように何か変わったかもと誰もが思った——ただでさえ少ない食料の問題はあったが、それは今あるものを切り崩すしかなかった。その代わり明日は早急に次の都市に入る必要がある。
 見張りとしてラムザとアグリアス、ラッド、ラファとマラークが外で話し込んでいる間、今はアリシアとラヴィアンが休んでいる。

「アグリアスさんの言う通り本来塔には誰も入れなかった筈。つまり、塔の中がどうなっているのか誰も知らなかった。としたら、具現化していたのは町の人々の記憶だけではなく、想像も入っていたのかもしれません」
「なるほど」
 ラムザの説明にマラークは腕を組んで頷いた。
「たしかに、普通扉があるって言われたら目に見えるものかと思うよな」
「本物の扉が開いた時目に見えた扉が消えたのは、聖石が関係しているんだろうね」
 ラッドが口を挟む。
「それより、その扉に描かれていた天使とは何だったんだろう……。何も知らない人間が、六枚もの羽を持っていて、優雅な貴婦人のような姿の天使、なんて複数一致で想像できるわけないし」
「すっごく綺麗だったんでしょう? 私も見てみたかったなあ」
「のんびり見ていられる状況ではなかったがな」
 ぼやくラファにアグリアスが嗜めの言を入れる。
「昔、地域で信仰されていたとか?」
 ラムザが話題を元に戻す。
「天使って信仰されるものなのか? 聞いたことないぞ」
「あの時計塔そのものは旧文明時代かそれ以前に建てられたものだったみたいだし、あり得るかもしれないよ? 当時の文明や文化がどうなっていたのか、今の時代を生きる俺たちにはさっぱり情報がないけれど、あの町には何か伝わっていたのかもね。陸の孤島だったみたいだし」
 マラークとラッドがそう言う。
「それ以上に気になるのは」
 アグリアスが話に入る。
「町の住人たちが言っていた言葉だ」
「ラムザとムスタディオにルカヴィの血がついている、のことですね」
 ラッドが確認する横でラムザは顔を曇らせた。
「僕たちについていて、シャルやアグリアスさんにはついていなかった、ということですよね……
…………
 隊の長の沈んだ声音に、仲間たちは口を閉ざしてしまった。しかし、その重苦しい沈黙を破ったのはラッドだった。
「詳しいことは全然わからないけれど、もしかしたらきみたちとルカヴィには宿命的な何かがあるのかもしれない」
「それって、具体的には?」
 ラファに問われ、ラッドは手を顎に当てる。
「うーん、そうだね…………二人のご先祖か前世がルカヴィと戦った英雄だった、とか」
「僕たちが? ……まさか」
「でも、否定することも出来ないだろう?」
 ラッドの金色の瞳に見つめられ、ラムザはぐっと息を呑み込んだ。
「ラムザはともかくムスタディオが? あり得るのか?」
 あくまでも懐疑的なマラークだが、ラッドはやはり動じなかった。
「わからないよ。もしかしたら、彼の家はかつて大貴族だったかもしれない」
 その言葉にそんなことあるの?、と言いたげな空気が仲間たちの間に流れた。大貴族、というとベオルブ家のようなものを想像し、恐らくそれがあのムスタディオと結びつかないのだろう。なんだかムスタディオが不憫だとラムザは思ったのだが。
 ラッドもそれを見抜いてか、笑顔のまま小首を捻った。
「でも、それだって否定できないじゃないか。断定できる証拠がないんだから」
……ラッドの言う通りだな」
 認めたのはアグリアスだった。
「我々は、他人どころか自らが何者であるかを探ることもできん。この体に流れる血が元は誰から受け継がれたのかも、何もわからないのだ……
 胸に手を当てて言うその様に、誰も反論の余地はなかった。
「まあ、結論の出しようがないことを頭の中でこねくりかえしていても何もならないよ」
 ラッドが重い空気を払うようにぽんぽんと手を叩く。
……でも、一つだけ言えることがある」
「一つだけ言えること?」
 ラムザが繰り返すと、黒魔道士は仲間たちを見回した。
「俺たちが昔滅んだ筈の都市に来たのは、偶然じゃないってことさ」
「どういうこと?」
 ラファが問う。
「あの町にはかつて聖石があった。そして、あの町の人々にはシャルの力が必要だった。この二つの要素が揃った時、土地に残っていた聖石の魔力や、住民たちの魂が俺たちを引き寄せたんだと思う」
「もし、シャルがいなかったら……俺たちはここにはこなかったかもしれない、ということか」
「そうだろうね」
 ラッドはマラークに頷く。
「そしてシャルの力が本物かどうかを確かめるために、ベヒーモス……多分あれも町の人々の恐怖の象徴か何かが具現化したものだったのかもしれないけれど、魔物を連れてきた。癒しの力は大勢の人間がいっぺんに重傷を負わないと必要とされづらい。一見回りくどいように見えて無駄なことはやっていない、実に賢いやり方だ」
「僕たちは、まんまとそれに乗せられたというわけだね……
「そうだけど……、まあ、結果として沢山の人を助けられたんだ、良かったじゃないか」
 彼はラムザにも笑みを向けた。
「むしろ、これ以上あそこに留まっていた方が危険だったと思う。何百人もの人々が一斉に悪霊になっていたら……
 そこまで言いかけたところで、ラファが肩を震わせる。
「考えたくもないな……
 アグリアスも眉を寄せて呟く。
「そういうことです。ルカヴィと聖石の力が魂を閉じ込めていたことまで彼らが意図していたとは思えませんが、今後今回の件と似たようなことは、リオファネス城同様繰り返される可能性は非常に高いと思われます」
……ラムザ」
 ラッドの考察を聞いてから、女騎士は隊の長を振り向いた。
「一刻も早くこの戦争を終らせ、ルカヴィ共の野望を止めねば、また多くの人々が犠牲になるぞ。今後このようなことが再び起これば、スターリアの人々の死も、リオファネス城で死んだイズルードたちの死も、皆無駄になってしまう」
「そうですね……
 言いながらラムザは手に持っていたリンゴを見下ろす。
「もうこれ以上、誰もやつらによって殺されないように、危険にさらされないように」
 そこで言葉を切り、彼は顔を上げて立ち上がった。
「僕たちには、ルカヴィを討つ使命が……、義務と責任があります。これからもどうか、力を貸してほしい」
「勿論」
「あったり前でしょ!」
「そのつもりでここにいるんだぞ」
「当然だ。私の力、変わらずおまえに捧げよう」
 口々に同意してくれる温かい仲間の言葉たちに、ラムザはありがとう、と微笑んだ。
「あ、そうだ。それとね」
 と言って赤い果実を出した。
「これ、皆で食べようよ」
「いいの? 折角貰ったのに」
 とラファ。
「あの子は、僕たちに食べて欲しいって言ってくれたからね」
 ラムザは笑った。
「それに、これがなくなったからといって僕たちがスターリアのことを忘れる訳じゃないだろう?」
 リンゴを弱い陽射しに当てると、赤く眩い光をそこに帯びた。
……でも、ただ切って食べるのも忍びないな……
「アップルパイにでもするかい?」
 ラッドの助言にそうだね、と果実を下ろす。
「明日町に入ったら、材料を買おう。調理は……僕よりきみかムスタディオか、それかアリシアかラファの方が美味しく作れるだろうね」
 隊の中ではこの四人が特に料理が得意だ。
 途端に言われたラッドが笑いだす。
「きみが作ればいいじゃないか」
「えっ?」
「きみが直接貰ったんだろう?」
「そう……だけど」
「材料とレシピは教えるけど……、きみは傭兵団にいた頃から随分料理が上手くなったし、その男の子と直接話していない俺たちが作るよりも、きみに作って貰った方があの子にとっては嬉しいんじゃないかな」
「ラムザならアグリアスさんみたく鍋からモルボルを生み出すわけでもな……いてててて!!」
 余計なことを言おうとしたマラークの耳をアグリアスがつねる。
「私もラッドの意見に賛成!」
 その横でラファが大きく手を上げる。
「私もその子だったら、ラムザに作って欲しいなあ!」
「自分が持ってきたものは自分で片付けるべきだ」
 天冥士の耳をつねり上げたままアグリアスも微笑みかける。
「おまえが約束を果たせ」
 ラムザはしばし目を瞬いたが、やがてわかりました、と仲間たちに笑い返した。


***


 昨日までスターリアの町があった筈のその土地は、広大な更地に変貌していた。
 皆で初めてここに来た時に足を踏み入れたこの高台には、ラムザたちが冬の季節ながら苦労して見つけたと思われる小さな草花が供えられてある。それらを前にして、一人両膝を地面につき手を胸の前で合わせ、死者に祈りを捧げるのは白魔道士の少女だった。
 緩い風が彼女の下ろした朝日色の長い髪を揺らす。
……こんなところにいたのか」
 後ろから聞こえた声に閉じた瞳を開いて振り向くと、そこにはサロペットを着て髪を耳の後ろで結った青年が立っていた。
 いつも私を見つけてくれる、いつも私のことを守ってくれる、私の大切な人。
「ムスタディオ……
「もう出歩いて平気なのか?」
 幼馴染みの問いに彼女は答える前に町があった更地に視線を戻した。
「本当は、ラッドさんからもう少し安静にしているようにって言われたんだけど……。どうしても、ここに来たかったの」
「そうだよな……。最後のお別れだもんな」
「皆、いくべき所へ行けたかなあ……
「きっと大丈夫だ」
 機工士は薄曇りの空を見上げる幼馴染みを励ますように笑いかける。
「信じていようぜ」
 彼女は振り向いてそうだね、と自分をも納得させるように呟いたが、すぐに更地の方に顔を戻した。
「昨日は、私のせいで大変だったよね……、ごめんね」
「シャルが謝る必要ないだろ」
「でも、皆に心配かけちゃって……
「おまえはいつも俺たちに心配かけてるっての」
「えっ!? そ、そうなの!?」
 振り向くと頬を赤くしてあわてふためく顔があった。
「散々何度も消えておいて自覚なかったのかよ……
 と言いつつ、その愛らしさに思わず笑みがこぼれた。すると彼女は顔を戻して俯き、
「ご、ごめんなさい……。気を付ける……
 何度目かの謝罪をする。
「おう。もしまたいなくなっても俺が探してやるから」
「うん……
 頷いた彼女の仄かに紅潮した横顔は、嬉しそうな笑みを浮かべているようにも見えた。
 それから少女は突然そうだ、と言うと、立ち上がって青年の前に立った。
「ムスタにはまだ、お礼言ってなかったね」
 その言葉に何のことだかわからずきょとんとする。
「お礼?」
 その時、目を閉じたシャルロットの顔が間近に来たと思った瞬間、唇に何かが触れるのを感じた。柔らかい感触にとろけるような甘い味。理性が麻痺していく感覚。それが何なのかわかるまでに一瞬の時間も要さなかった。

 スターリアの町の人たちが背中を押してくれたようだった。
 彼の両肩に手を置いて、その身長に合わせ、かかとを上げて少し背伸びする。
 一緒に苦楽を経験して、私をまだ知らなかった現実の世界に一緒に連れ出してくれたラムザ。
 皆に厳しいけれど、その裏側で私たちのことを何よりも大切にしてくれるアグリアスさん。
 傭兵団で魔法を教えてくれたラッドさん。
 楽しい隊の皆。
 優しい私のお姉さまたち。
 士官学校の時からラムザと一緒に私を助けてくれたディリータ。
 会う度にティータも一緒に三人で何度も遊んで、沢山文通してくれたアルマ。
 純粋で誰よりも畏国を優しく見つめようするオヴェリア様……
 皆のことも、皆がいるこの世界も大好き。
  ——でも、ムスタディオへの好きは、ちょっと特別。
 彼は知らない人が皆怖くて、自分の中に閉じこもっていた小さな私の手を引いて、外に出してくれた。誰かに心を開くことは怖いことじゃないと教えてくれた。
 いつも私たちの心に太陽のような光を灯してくれて、夜空の星のように私たちを希望に導いてくれる、そんなムスタディオが小さい頃からずっとずっと大好きで、ずっとずっと愛している。
 私は彼が、皆がいる大切な世界を救いたい。守りたい。そう思えるのがとても嬉しい。
 そっと離して目を開けると、微かに目を見開いたまま真っ赤に頬を紅潮させて硬直してしまっているらしい想い人がそこにいた。
 不意にこちらも恥ずかしくなって一瞬目を伏せるが、すぐに努めてはにかみまじりな満面の笑顔を向けた。
……助けてくれて、ありがとう!」
「シャル……
 思いもよらない幼馴染みの行動に、急上昇した体温で寒さなど彼方へ吹き飛んでしまった。同時にこの笑顔を守れたという安堵と喜びと、そして達成感を感じていた。
 そんな調子の良い自分にほとほと呆れながらも、表情は笑顔だった。
「おまえが無事で良かった……
 頭をそっと撫でてやると、彼女も嬉しそうな微笑を浮かべる。
「うん……
 昨夜彼女がいなくなった時、どうしようもなく怖かった。もしどこにもいなかったら。もし死んでしまったら。もし……もし、もう二度と触れられなかったら。そう考えるだけで恐ろしくて、怯えてしまう。もしかしたら父がバート商会に人質にされていた時のことを頭のどこかで思い出していたのかもしれない。
 そこに冷たい風が吹いてきて、シャルロットがくしゃみをした。
「今日も寒いな……。風邪引く前に戻ろうぜ」
「うん、そだね」
 そこで差し出された手に彼女は少し驚いたように目をぱちぱちさせたが、やがておずおずと自らのそれを重ね、握った。
「また……、皆にからかわれちゃうよ?」
「別にいいさ。それに、こうすればおまえはどこにも行かないだろ?」
「えへへ……
 照れたように笑う娘を促し、青年は仲間たちのいる方へゆっくりと歩き出した。少しでもこの時間が続くように。少しでも長く、この手に触れられるように。
 ……昨日も、今も、想いを伝えてくれるのはいつも彼女の方だった。今日も先を越されちまったな……
 いつか。いつか俺からも伝えたい。
 ——でも……今はいいよな? 手を繋ぐだけで、幸せだと感じるくらい……。ほんの少しだけ、幸せになるくらい……

 残された花々が彼らを応援するように風の力を借りて揺らめく。


 ——空にかかる薄雲の隙間から朝の陽射しが顔を覗かせ、選ばれし者たちを優しく照らしていた……


  ——Fin.