ふにょり
2017-02-14 22:26:05
40548文字
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Star Of Hearts 前編 白色矮星の泣いた夜

FFT長編小説の前編です。
シャルロットという白魔道士と、ラムザさん、ムスタディオ、アグリアスさんがメイン。

オリジナルのキャラ、町、また一部固有×汎用ちゃんのCP表現がありますので大丈夫な方のみご閲覧ください。
サブタイトルはエバーラスティングブルー様よりお借りしました

 ——この世界には、残酷なことや、悲しいことが溢れている。何年も、何十年も、王のためという建前の刃が人々を抉って、この大地に血や涙を流した。
 大切な人が帰ってこない悲しみ。
 大好きな人が殺されてしまった怒り。
 争いばかりを繰り返して、闇を作り出してしまった、救いようもない世界だけど。
 ……でもね。
 私は、この世界が、イヴァリースが大好きだよ。
 どうしてかって?
 それは——……











  Star Of Hearts
  前編 白色矮星の泣いた夜











***


 真冬の盛りに入った畏国の空はさらさらと柔らかいパウダースノーの雪を降らす。自然がもたらす氷の贈り物は地面を真っ白に染め上げ、銀世界を作り出した。畏国の冬は夏と違って乾燥しており、降る雪も水気がないためなかなか溶けない。
 この日の前日も、随分遅くまで吹雪いていたため、森の中は秋に落とした葉の代わりに雪を被っている木々ばかりで真っ白になっていた。
 その森の外れ、雪がなければ草原だったかもしれない開けた野原に、一人の少女が立っていた。
 羽織ったマント状の外套の下に着た赤の三角模様に縁取られた白いローブは華奢な身体には少し大きい。東から昇る朝日の陽射しのような淡いブロンドの長い髪は緩く編まれて両肩に乗っている。その特徴的な姿は、わかるものはすぐにわかるであろう、白魔道士である。
 大きくぱっちりした空色の瞳は、彼女が見上げる霞みのない冬の青空の美しさにも決して負けてはいない。
 どこからか吹いた冷たい風が彼女の滑らかで透き通った白い頬を撫でる。それを感じてから、少女は両手を肩と同じ高さにまで真横に広げて、それから片足を軸にくるりと回った。着ているローブがドレスの裾のようにふわりと広がった。それが楽しくて少女は何度も何度も回った。それは踊り子が踊る艶かしいダンスではなく、小さな子供がよく遊びでやるようなものだ。
 回る度にゆったりとしたローブが広がり、風が巻き、雪が舞った。くるくると単純に回っているだけなのに、その姿は雪の妖精のようである。
 この光景に変化が訪れたのは十数回程回ったところだった。
……あっ!」
 思わず声を上げた。
 回りすぎて目が回ったのだろう。バランスを崩して細い身体はそのまま仰向けに倒れこんだ。幸い下にあった雪がクッションとなって衝撃を吸収してくれている。
 また風が吹いてきて前髪を揺らす。
 彼女は冬の空気を肺一杯に吸い込んで真っ青な青い空を見上げた。
 どこまでも高く、どこまでも青い。ところどころに浮かぶ真っ白な綿雲がこちらを見下ろしている。昨夜まで雪を降らせていた空とは思えない。
「綺麗だな……
 うっとりと呟いた時、
「わあっ!」
 視界の上から一人の陽気そうな青年が逆さまになって現れた。
「ふわあっ!?」
 突然のことに驚いて飛び上がる。
 秋の麦畑を思わせる金の髪をオールバックにして後ろにまとめた青年はいたずらっぽく笑って少女の頭をわしゃわしゃと少し乱暴に撫でた。
「やっと見つけたぞこの野郎~!」
「ム、ムスタディオ……!」
 彼女は頬を微かに赤くする。恥ずかしいところを見られてしまっただろうか。よりにもよって、ムスタディオに。
 だが彼の方はというとそんなこと気にもしていないようだった。
「シャル、勝手に消えるなっていつも言ってるだろ。おまえになんかあったら真っ先に怒られるの俺なんだぞ」
 言葉と裏腹に、その声音は優しかった。
「ごめんなさい……
 シャルと呼ばれた少女は申し訳なさげに小さくなる。
「分かればよし」
 ムスタディオは笑って相手の頭に置いた手をぽんぽんと軽く叩いてから彼女の髪や服についた雪を軽く払ってやった。
「他は大丈夫か? 怪我とかは?」
 身体中を見回される視線に更に縮こまった。なんだか落ち着かない。
「へ、平気だよ……! それより、もう出発なの?」
「ああ、マラークが帰ってきたんだ。行こうぜ、皆心配してるぞ」
 立ち上がりながら言う彼に頷いて自分も立ち上がって一歩踏み出そうとしたその時、
「あっ!」
 ローブの裾を踏んづけてまたしても転びそうになってしまった。
 その様にムスタディオは呆れたようにため息をついて、それからバランスをとろうとばたばたと上下に振る一方の片腕を掴んで立たせた。
「おい大丈夫かよ……
「あ、ありがとう……
「おまえいつもぼんやりしてるんだからよ……
「ごめんね、迷惑ばかりかけて……
「いいってば。……ほら、今度また転びそうになってもいいように手繋いでやっから」
「え……
 目を丸くする彼女を尻目に、掴んだ方の手を取る。
「さ、戻ろうぜ」
「う、うん」
 手を掴んだまま歩き出す彼に引かれて歩く。少し固くて、しっかりとした大きな手。触れているだけで守られているような安心感をくれる。
 彼女は彼が繋いでくれている手を見て、それから彼の背中を眺めた。
 背伸びたな……と幼い記憶が微かに蘇る。小さい頃は、お互いそんなに差なんてなかった筈なのに。
 まさしく太陽のように明るくて、朗らかで、温かくて、誰に対しても気遣いを忘れない、自分たちを支えてくれているムスタディオが好きだ。それは友として、または兄のような存在として、というだけでなくまた一人の男性としても……。仲間の女性たちから共感を得られたためしがないが、少なくとも彼女にとってムスタディオはそんなちょっぴり特別な存在だった。
 手を繋ぐことくらい、ましてや彼に触れられたことくらい幼い頃から数えきれないほどあった。その度に胸が高まって顔が赤くなってしまうのだけれど、彼の方はそのようなことは思わないのだろうか。手を繋ぐことなんて、なんともないことだと思っているのだろうか。
 それはそれで、なんだか複雑……。だけれど、嬉しくないわけもなかった。せっかく与えてもらったささやかな幸せを噛み締めたい。繋いだ手から伝わる温もりに浸るように、彼女はその手をそっと握り返した。

 休憩場所に向かって森の中を進んでいると、よく見慣れた人影が二つ見えた。相手もこちらに気付いたようだ。
「ムスタディオ。……あっ、シャル!」
 人影の内の一つがそう言ってすぐにこちらに駆けてきた。もう一人も続く。
「ラムザ、ラッドさん!」
 少女が二人の名前を呼ぶと、先にやってきたラムザが彼女を見るなり
「勝手にどこかへ行ったらダメじゃないか! 心配したんだよ!」
 と妹を叱る兄のようなことを言う。
「う、うん……ごめんなさい、ラムザ……
 ムスタディオの影に隠れるようにして謝った。
 日溜まりのような温もりのある金の髪。その前髪の一房がぴょんと反り返っているのが印象的で、男性離れした中性的で端正な容姿を持つラムザだが、これでも彼はムスタディオや彼女の隊の長であり、あの名門貴族のベオルブ家の名を継ぐ者であり、この畏国の教会が血眼で追っている第一級の異端者である。もっとも、この異端宣告は真実を知られることを恐れた教会が着せた濡れ衣に過ぎないのだが……
 少女にとって彼はかつて通っていた士官学校の同級生に加え、入学したばかりのころから彼の幼馴染みとディリータと共に仲良く遊んだ昔馴染みのような存在だ。
 そこへラムザと共にいた青年がやってきた。タンポポのような色の柔らかなクセっ毛、青いマントを羽織い、その下に黒のインナーと緑と白のズボンを穿いている。
 白魔道士と対をなす、黒魔道士だ。彼がラッドである。
 彼はムスタディオの手を見るや含み笑いを浮かべた。
……一緒だったんだね?」
「? ……あっ!? お、おう……
 最初ムスタディオは何を言われているのかわからず首を傾げる。が、その視線の先を見、彼女と手を繋いでいたことを思い出して慌ててその手を離しては関係のない方を向いてしまった。見ると、その頬は少し赤らんでいるようだった。
「やっぱり、きみが見つけてくれていたんだね。ありがとう、ムスタディオ」
 ラムザがまるで保護者のような口ぶりで礼を言うとムスタディオは大したことじゃないって、と手を振った。
「それよりおまえこそ休憩場所離れていいのか? アグリアスさん良い顔しないだろ?」
 するとラムザはああ……となんとも言えない渋い顔をした。
「一応断ってはおいたんだけど……
「怒られるのはきみの方じゃないのかい?」
 ラッドが割って入ってきた。
「シャルから目を離しただろうって」
「結局俺に返ってくるのかよ……
 ムスタディオはうんざりした顔をする。
「あのアグリアスさんがシャルを叱るとは思えないからねえ」
 ラッドがくすくす笑う。どうやらこの状況を楽しんでいるようだ。
「帰りたくねえ……
「そう言っていられないだろう? 面倒事は早く終わらせよう」
 ラムザが肩を竦めて言った。
 この三人のやりとりを、少女はただ柔らかい眼差しで見守っていた。ラムザもラッドも大好きだ。皆優しくて、温かい。大好きな人たちがこうして話しているのを見るのが、彼女は好きだった。

 案の定、四人が休憩場所に到着すると端麗なその顔をいかにも不機嫌そうに歪めている女騎士が立っていた。
 この空気の悪さにムスタディオがそそくさと少女の後ろに隠れるように移動する。
……やっと帰ってきたか」
「す、すみません、アグリアスさん……
 先程彼女を兄のように叱っていた勢いはどこへやら、ラムザは気まずそうに謝った。
「まったく……、シャルロットのことが心配なのはわかるが、ムスタディオやラッドが探しに行ったんだ、隊の長たるおまえまでもが簡単に陣営を離れて良い筈がないだろう」
「は、はい……
「また始まったわ先輩のお説教……
「ラムザさん可哀想に……
 アグリアスと呼ばれた女騎士に説教されるラムザを見て、女騎士の後ろで事を見ていた忍者と竜騎士の二人の少女がこそこそと小声で言葉を交わし合う。アリシアとラヴィアンだ。彼女らは同じ騎士学校の先輩後輩の仲らしく、二人はあの女騎士のことを先輩、と呼ぶ。
 アグリアスはそれから白魔道士の少女を見た。
「シャルロット、怪我はないか?」
「あ、はい!」
「アグリアスさん、シャルには何も言わないんだよなあ……
 ぴんと背筋を立てて頷く彼女の背後でムスタディオがぼそりと言ったその一言を、女騎士は聞き逃しはしなかった。
…………
 睨み付ける視線からくる無言の圧力に、ムスタディオは猫を前にしたネズミのように震え上がった。
「おまえもおまえだ。シャルロットのことはおまえが一番よく知っている筈だろう。目を離すなと何度言わせる気だ?」
「一日中なんて無理ですってばーっ!」
 少女を盾にするように後ろに隠れて泣き言を言う。
「あ、あの、アグリアスさん。勝手に出ていってしまったのは私なんですし、あまりムスタたちのこと責めないであげて下さい。私が悪いんですから」
「シャルロット……
「私はなんともありません。ご迷惑かけてごめんなさい」
 彼女がぺこんと頭を下げてひとまず事は収まった。
 ラムザがほっとしたように息をつき、その横でムスタディオが彼女に小声でありがとな、と礼を言った。少女はそれににっこりと笑いかけてからうっとりとアグリアスを眺めた。
 編み込んださらさらと流れる蜂蜜色の金髪。残った耳の前の髪を払うその立ち姿は美しいの一言に尽きる。その辺りの男よりも男気に溢れ、その中にある女性らしい可愛らしさと慈悲深さを併せ持つアグリアスは少女の憧れの存在だった。
「クエ~」
「ボコ!」
 タイミングを見計らうように停めてある鳥車からチョコボが彼女の頭にすり寄ってきた。頬に当たる黄色い柔らかな羽毛が心地よい。
 甘えるチョコボとそれを撫でる彼女の姿に周りの空気は一気に和んだ。
「話は済んだってことでいいのか?」
 先程まで後ろで見守っていた天冥士のマラークが前に出る。
「ああ、どうだった?」
 ラムザが聞くと、彼は浅黒い手で東の方角を指差した。
「あの先すぐに大きな町が見えた。今日も野宿するはめにはならないだろう」
「この辺りに町?」
 すかさずすっとんきょうな声を上げたのはラッドだった。
「そんな筈ないよ。この近くに大きな町があるなんて、地図には描かれてない」
 そう言って持っていた地図を手頃なサイズに畳んで見せた。確かにこの辺り一帯は森と更地の表示である緑と茶色が混在している。
「見間違えたんじゃないの?」
 マラークの妹であるラファが口を挟と、彼はむっとしたような顔をした。
「んなわけないだろ! 大きな町を見間違えたりなんかするもんか!」
「普通に考えてそうでしょうねえ」
 とアリシア。
「どうするの、ラムザ?」
 少女が問いかけると、隊員も結論を待つように考えているのか空を見つめる隊の長を見た。
「そうだね……。妙だとは思うけど気になる。とりあえず行ってみようか。マラーク、案内してくれ。」
「わかった」
 相手が頷くのを見届け、ラムザは仲間たちを見回す。
「出発するから、皆準備してくれ」

 雪の積もった道は人通りがないため踏み固められているわけでもなく、とても進みづらい。昨夜吹雪いたから余計であろう。鳥車を引くボコも走りづらそうだ。蝶の家紋らしき飾りがつけられた立派な鳥車はいつになくもたもたと動いているように見える。
 昨夜は夕方から降り出した雪が時間が経つ度に次第に風と共に強まり吹雪いてきた。アリシアとラヴィアンが道すがら山小屋を見つけたためどうにか吹雪をやり過ごすことができた。でなければ自分たちはひょっとしたら雪の中で遭難していたかもしれない。
 少女は……シャルロットは走る鳥車の車窓から外を眺めた。木々が纏っている雪が冬の太陽に照らされて水晶のようにきらきらと輝く。その美しさに彼女は目を細めた。
 シャルロット。これが彼女の名だ。少々長い名前のため、物心がついたころから気がつけば一部を除く仲間や家族から“シャル”という愛称で呼ばれていた。
 生まれはガリオンヌ地方の東に位置する貿易都市ドーターの上流貴族だ。古来から女子ばかりが生まれる女系家系らしく、実際彼女には四人の姉がいる。この鳥車も、彼女の一番上の姉であるシンシアがムスタディオに古い柱時計の修理依頼をし、その謝礼として譲り受けたものである。あの家紋はシャルロットの実家の家紋なのだ。
 しかしながら、シャルロットは貴族の令嬢、という単純な肩書きでは終わらなかった。
 四人の姉は当時その家の当主だった父と貴族出身の正妻から生まれたが、シャルロットだけは父親に仕える召使いの妾から生まれた。その妾は機工都市ゴーグの機工家の出身で、父親はその街の機工士だったという。シャルロットらの父親であった当主も元々ゴーグで度々見つかる機械に大変興味があり、彼の功労もあって家柄としてもゴーグと縁が繋がれていた。ドーターの屋敷には今も彼が持ち帰った時計が至るところに置かれており(依頼されたムスタディオが直した柱時計も元はゴーグで発掘され機工士の手によって使えるようにしたものだ)、娘たちを呆れさせたことまであった。
 妾はシャルロットがこの先妾の子として世間から白い目で見られる可能性を恐れ召使いを辞職し、娘をつれて故郷へと逃れた。
 そこでまだ幼かったシャルロットにできた初めての友達が、一つ年が上のムスタディオだった。十五歳までゴーグで暮らしていたため彼とは毎日のように遊んだし、機工士たちが発掘する機械も触った。
 後にガリランドの士官学校に入学するためゴーグを出ることになった。彼女の家は騎士や魔道士を輩出する武家の家であったため、これは必然といえる。
 だが一番の問題は彼女が幸か不幸か持って生まれてしまったたぐいまれな美貌であった。
 着飾らなくとも街を歩けば誰もが振り向くその美しさは学校中の噂となって駆け巡り、机の中を覗くと大量の恋文が入っていたり、直接言い寄ってきたり、挙げ句の果てにはストーカー行為をしだす男子候補生がいる始末で、元から対人恐怖症だったシャルロットを怖がらせる結果に至ってしまう。これを見かねたラムザとディリータが彼女を庇ってくれてから、シャルロットは彼らと行動を共にするようになった。
 そして、卒業を控えて行われた骸旅団討伐作戦で当時入っていたラムザの班から全てが始まった……

……食うか?」
 不意に声をかけられ、振り向くと隣に座っていたムスタディオが黒パンを半分にちぎったものを差し出していた。
「うん、ありがとう」
 受け取ってにっこりと微笑むと、彼もまた明るい笑顔で笑い返す。
 貴族は普通柔らかくてふわふわした贅沢な白パンを食べるものだが、幼い頃平民の暮らしを強いられていたシャルロットには黒パンは懐かしい味がした。それに、何よりムスタディオと食べられるんだし……
「いいなあ、シャルは皆からちやほやされて」
 それを見ていたラファが不意にこう言った。
「どうして?」
 きょとんとした顔のシャルロットが聞くと、彼女は自分の膝の上に肘を置いて頬杖をついた。
「だって、さっきみたいに突然いなくなっても皆キツく叱らないでしょ? ムスタディオからも優しくして貰ってるし」
「なんだそりゃ……
 パンを食べる手を止めてムスタディオが怪訝な顔をする。
「おまえ俺に優しくして欲しいの?」
 するとラファはうーん、と渋い顔をして彼を眺めた。
…………それはちょっとあれかも」
「なんだよあれって!?」
「ラファ、当然だろう」
 諭すような口ぶりのマラークが隣の妹に人差し指を立てた。
「シャルはおまえと違ってわがままじゃないし生意気でもないし、何より可愛いからな」
「あっ、酷い兄さん!」
「ふふふ、そんなことないよ」
 シャルロットが宥めに入る。
「ラファちゃんはとっても可愛いよ」
「本当?」
「うん。私より女の子っぽいし、大人っぽいもの。ラファちゃんに優しくしてくれる人はきっといっぱいいるよ」
 その言葉に救われたのか、ラファは嬉しそうに両頬を両手で包んで嬉しそうに、それこそ花開くような可愛らしい笑みを浮かべた。
「私も、早くそういう人に会いたいなあ……
「それならまずその凶暴な態度をなんとかしないとな…… ……っ!!?」
 ラファは横やりを入れるマラークの脹ら脛を思いきり蹴りあげ、兄はひきつった顔をする。
「マラーク、大丈夫!?」
「どうせ大したことねーって。おまえが手当てする必要ないだろ」
 介抱しようと腰を浮かせたシャルロットの肩をムスタディオが呆れ顔で掴んで止める。
「信じらんない! だから兄さんはモテないのよ!!」
「大丈夫よ~、ラファちゃん」
 彼らの会話を何を意味しているのかにこにこ笑顔で黙って聞いていたラヴィアンが話に入ってきた。
「マラークは、将来他の男に妹をとられてしまうのが怖くてそんなこと言ってるだけよ」
「えっ?」
 狐につままれたような顔をしたラファが兄を振り向く。
「父親とかお兄さんっていうのは娘や妹が可愛いものなのよ」
「そういうもんなのか?」
 ムスタディオが首を傾げる。彼には兄弟がいないので実感がわかないのであろう。
「ええ。きっと、アルマちゃんに恋人が出来たらラムザさんだって動揺しちゃうわ」
「ラムザが」
「動揺」
 シャルロットとムスタディオは同時にそんなラムザの顔を思い浮かべては互いに顔を見合わせて吹き出した。
 その時騎手席にいたラムザがくしゃみをしたのはその場にいたボコのみが知る出来事である。
「それと同じでマラークだってラファのことが可愛くて、その裏返しにそんなこと言ってるんじゃあない??」
 窓の外の様子を伺っていたアリシアも茶々を入れる。
「えー……? そうなの?」
 ラファが疑わしげにちらりと兄を見ると、彼は蹴られた脹ら脛を擦りながら全く関係のないところへ顔をそらしている。
……知らね」
「照れてんのか?」
「ムスタディオだけには言われたくないっ!」
 からかうような笑みのムスタディオが訊けばマラークが僅かに紅潮した顔で反発した。
「おまえだってシャルの前だと別人みたいにデレデレしてるじゃねーかっ!」
「なっ……!?」
 すると今度はムスタディオの頬が赤くなった。これにはアリシアやラヴィアン、ラファが笑い転げる。
「おお俺のことは関係ないだろっ!」
「ほーら、すぐに顔に出る照れ屋なおまえに言われたくないっつってるんだ!」
「違うっての!」
……大丈夫!」
 言い合う二人の間に挟まれたシャルロットは何が何だかわからずに彼らを交互に見るばかりだったが、やがて口を開いた。
「私はムスタのことが好き」
「!?」
 今話している話題がわかっているのかいないのか(おおよそわかってはいまい)、突然飛び出た突拍子もない発言に繰り広げられていた大人げない言い合いはぴたりと止んだ。まったく外れたその言葉に固まるムスタディオとマラークであったが、今まで黙って騎手席の近くで地図を見ていたラッドが笑いを堪えきれずに吹き出せば、アグリアスがたまたまそのタイミングで飲んでいた水筒の水を喉に詰まらせかける。
「私の一番は、ムスタだよ」
 ふわ、と蕾が花開く愛らしい微笑を向けられムスタディオは耳まで真っ赤になってしまった。
「お、おま……それ人前で言うことじゃないだろ……!」
「?」
 照れ隠しなのかわざとぶっきらぼうに言う彼に、シャルロットは不思議そうな顔をする。
 彼女はこういうことになると空気を読めなくなってしまう。恐らく彼女なりに解釈をしているのだろうが大抵検討違いで思わぬ突飛なことを言い出して論点がずれていってしまうのは昔からそうである。この間もラムザとアグリアスが神殿騎士団のことで話していたのにいつのまにかドラゴンの赤ん坊は可愛いか否かという議論になっていた。
「何言ってるの~良かったじゃない!」
「勿体なさ過ぎるわよ~! この無駄に幸せ者め~!」
 ラヴィアンとアリシアが意地の悪い笑みでからかい始めれば
「聞いちゃった~! 告白シーン!」
 ラファが恋愛小説を読んでときめく少女のような顔をし、
「羨ましいぞ! なんでおまえみたいなのがモテるんだ!」
 マラークから日頃の恨み(?)をぶつけられる。
「な!? ばっ、そういうのじゃないって!」
 言いながらちらりと助けを求めるように黒魔道士を見るが、彼はまたしても含み笑いを浮かべるだけであった。俺傍観してるから頑張ってくれ、の意である。頭がキレ、隊の参謀のような存在で何かと頼りになるラッドだが、こういうことになると誰の肩も持たず考えの読めない笑顔で傍観する。その上地獄耳で情報通なのであらぬところからあらぬ面倒ごと(持ち出された当人からすれば)を持ち出すため隊で一番恐れられている存在でもある。
 ラムザは騎手席だから援護を求められないし、アグリアスは論外。結局孤軍奮闘するしかないわけでムスタディオは大きな大きなため息をついた。
「あの、ごめんね。私変なこと言っちゃったかな……?」
 どう考えても今この状況の主原因は彼女なのだがやはり自覚はないらしい。これで思いきり叱れれば話は変わるのだが、彼女の目を見るとそうした刺々しい感情が溶けて消えていってしまう。
 彼女には相手の負の感情を消し去ってしまう不思議な力があった。先程ラムザが彼女を叱ったのはその力故の心配からであるし、アグリアスが彼女にキツく言えないのもこのせいだろう。敵意に囚われ襲ってくる魔物や人間、負の感情の塊であるルカヴィには効かないのだが。
「おまえなあ……
「???」
 文句を言う気すら失せ、ムスタディオはわけもわからず小首を傾ける白魔道士の頭を撫でた。きっとこの不思議な力も自分では気付いていないのだろう。
「気付いてないならいいよ。うん、ありがとな」
「ムスタ……
 少女の白い頬がぽうっと仄かな赤みを帯びる。
 その間にもヒューヒューとはやし立てる仲間たち。シャルロットに向けた笑顔のままムスタディオは口を開いた。
……マラーク、おまえ後で覚えてろよ」
「何でだよ!?」
 そのやり取りにアリシアたち女性陣が笑ったその時、あっ、あれは!?というラムザの声が騎手席から聞こえた。
「どうした?」
 アグリアスが声をかけると、騎手席の扉が開いた。
「あの先に町が見えました! 降りてみましょう」


***


「そんな……こんなことって……
 ラッドが地図を手にしたまま呆然としている。
 彼らがいる高台を臨むようにして広がっているのはそこそこの規模はあろう町が広がっていた。町の中心には高い時計塔がそびえ立っている。
「ほら見ろ」
 とマラーク。
「見間違いでもなんでもないぞ」
 しかし、他の一部の隊員は納得した顔をしなかった。
「この辺りにこんな大きな都市などあったか……?」
「ありえないですよ」
 怪訝な顔を浮かべるアグリアスにラッドは首を横に振る。
「地図には何も書かれていないんです」
「その地図は、新しいものだよね?」
 これを聞いたのはシャルロット。
「そうだよ。今年改訂されたものだ」
「じゃあ、あの町はその地図が出来た後に出来たってこと?」
「それはないだろう」
 ラファの言葉をラムザが否定した。
「町なんて普通、そんな短期間で出来上がるものじゃないよ。しかもこんな大きな町が……
「確かにな」
 ムスタディオも同意する。
「ザランダくらいの規模はあるぜ。それにこの建物の感じ、新しいとは思えない」
「なんていうかさ、むしろちょっと古臭いわよね」
 これはアリシア。
「どう考えても私たちがいつも見ている建物の建築方式じゃないわ。いつの時代に建てられたものなのかしら」
……ラムザさん」
 竜騎士がラムザを振り向いた。
「私とアリシアで偵察に行って来ましょうか?」
「大丈夫なの?」
 シャルロットが心配げに声をかけるとラヴィアンは安心させるような穏やかな笑顔を浮かべた。
「ええ、気になるし。それにここにいても何も変わらないでしょう」
「そうだね……
 ラムザは決心して竜騎士を見た。
「お願い出来るかい?」
「はい。なるべく早く戻ります。……行きましょ」
「ええ。それじゃあ」
 ラヴィアンがアリシアを連れだって町へ続く道へ向かう。
「頼んだぞ」
 アグリアスの呼び掛けに二人は手を振って応え、走っていった。
……何だか、不思議な感じがする町だねえ」
 シャルロットがぽつりと呟く。
「不思議な感じって?」
 ラムザが聞くと、彼女はうーん、と考えるように立てた人差し指の先を己の顎に当てた。
「うまく言えないんだけど、他の町にはないような雰囲気っていうか……今目の前にあるこの光景が、本当に現実のものなのかわからなくなるというか……
「それって、蜃気楼みたいなもの?」
「そうなのかな……蜃気楼よりもはっきり見えるし……よくわからないけど」
 娘は天道士に曖昧に笑った。
「だが、シャルロットの言いたいことはわかる。この町に本当に入って大丈夫なのだろうか……?」
 アグリアスが町を眺めながら言う。何事にも慎重な彼女らしい意見だ。
「けど、それじゃあどうするんだよ?」
 マラークは少し不機嫌そうだ。折角自分が見つけてきたこの町に対して皆がこの反応では致し方ないのかもしれない。
「今日こそ野宿するのか?」
「それは勘弁だよなあー……
 ムスタディオが手を頭の後ろに組んで苦笑した。
「昨夜は運良く凌げる場所見つけたから良かったけど、また吹雪いてきたらって考えると難しいぜ」
「鳥車だと、ボコを入れてあげられないものね……
 シャルロットは近くに停めてある鳥車と一緒にいるボコを見た。
「きみたちの言うことももっともだ」
 黙って意見を聞いていたラッドが残った仲間たちを見回す。
「とにかく、まずはアリシアたちを待とう。こんな町でも、騎士団や教会関係者がいるかもしれないからね」
「ラッドの言う通りだよ」
 とラムザ。
「まずはアリシアとラヴィアンが帰ってきて、そこから得た情報で入るかどうかを決めた方が堅実だろう」
 その時、ラムザの懐の中で何かが蠢いた気がして、瞬時にそこを押さえた。
……!?」
……ラムザ? どうしたの?」
「いや……なんでもない」
 首を傾げるラファにぎこちなく笑ってみせる。その裏で胸がざわめいたことも事実だった。
 ……何故なら、その懐の中には聖石が入っていたのだから。
 今までどこの街に行っても
こんなことなかった。言いようのない不安に駆られかけるが、本当にさっきのものが聖石なのか確かめようもない。
 気のせいだと、そう思うことにした。

 暫くしてアリシアとラヴィアンが帰ってきて、町の状況を伝えた。
「あの町はスターリアという町だそうです。騎士団や教会関係者らしき人間は全く歩いていませんでした」
「全く?」
 ラヴィアンの言葉をラッドが繰り返した。
「今内戦中の筈なのに、騎士団の騎士も歩いていなかったのかい?」
「ええ……
「というかさ、なんか雰囲気も他の町と違うのよね」
 頷く竜騎士の隣でアリシアが口を挟む。
「全体的にのーんびりしているのよ。内戦が起こっているっていう緊張感の欠片もないの。なんていうか、つまり……平和? 町の人の格好もちょっと古い感じがするし」
「そんなことが?」
 ラムザが眉を寄せる。
「見たところ城塞などが見えないが。入る前に検問はあったのか?」
「いいえ。門もなく高原に建物がそのまま建っているような状況です。」
 アグリアスの問いにラヴィアンはそう答える。
「なんだそりゃ!?」
 驚くムスタディオの隣でシャルロットはラムザを見た。
「ラムザ、どうする? 思っていた以上になんだか変わった町みたいだけど……
「そうだね……。怪しいと言えば怪しいのだが……
「あんなに大きな町ですし、迂回するにも厳しいかと……。つまり」
「町に入る他ないというわけか」
 ラヴィアンの言葉をマラークが引き継ぐ。
「まあ気にかかることは多いけれど、教会関係者がいないとなればラムザのことがバレる可能性も低くなるだろう」
 ラッドが意見を述べると、アグリアスが息をついた。
「致し方ないようだな。天気もどうなるかわからん」
「そうですね」
 ラムザも首を縦に振る。
「入ってみましょう。宿に空きがあれば今晩はそこに泊まるということで」
 隊の方針が決まったところで、ラムザ隊はスターリアというらしい町に向かって歩き始めた。

「それにしても、スターリア……
「どうかしましたか、アグリアスさん?」
 気難しい顔で考え込む女騎士に気付いたシャルロットが話しかける。
「いや……、私が近衛騎士団に入団する前に通っていた騎士学校でこの名前を聞いたことがあるような気がするんだ」
「町のお名前ですし、あの町の出身の方がいらっしゃったとか?」
「そうではなかったような……。シャルロット、おまえやラムザが通っていた士官学校でこのような名前を聞いたことはあったか?」
「私は覚えていませんが……。ラムザ、覚えてる?」
「いや、僕もわからないよ」
 話は聞いていたらしく、先頭を歩くラムザはすぐに反応した。
「そもそもさあ」
 出発してかららしくなく沈黙を保っていたムスタディオがそれを破った。
「よく城壁もないのに生き残ってるよなあ。今のご時世、こんな丸裸じゃ盗賊とか魔物とかに入られたらおしまいだぜ」
「たしかにね」
 ラッドも同じ意見のようだ。
「五十年戦争の時だって、国民を守る筈の騎士団の人間が略奪行為を行って、そのまま火をつけられて滅んだ集落だって星の数ほどある。決して険しい道のりでも山に囲まれているわけでもないし、今日までこうして存在しているなんて不思議で仕方ないよ」
「じゃあ、あの町は相当ラッキーなのね!」
「ふふ、そうだねえ。ラッキーなんだね」
 ラファが無邪気なことを言うのでシャルロットは笑った。
 仲間たちの話を聞きながら何故か、ラムザの脳裏に先程懐の中の聖石が動いたことがちらついていた。
「僕たちが来たときに何も起こらないと良いけど……
「おいおい、変なこと言うなって。俺たちは疫病神かよ」
 ムスタディオの言葉にラムザはそうだね、ごめんと苦笑を浮かべた。
…………
 彼らの会話を聞きながら、シャルロットはちらりと町の中心にそびえ立つ、あの大きな時計塔を眺めた。なんだかあそこから、視線を感じるような気がして……


***


 町に入ったラムザたちは早速思わぬ待遇を受けた。歓迎されたわけではない。町で働く商人や道を行く通行人たちは皆手や足を止めてぎょっとしたような顔で鳥車をひいて歩く彼らをまじまじと見つめたのである。まるで王族が突然公式訪問にやってきたかのような反応のしようであった。
「思いきり目立っているではないか……
 アグリアスが周りにしか聞こえない程度の小声で呟いた。
「そうですね……。こんなこと初めてです……
 ラムザもなんだか自分たちが見世物になっているような気分で居心地が悪かった。
 裏口からこそこそ町に入るより正門から堂々と入った方が怪しまれない。長い間異端者として追われてきたラムザ隊の生き延びる知恵であったが、これはむしろ逆効果であったらしい。
 恐々と見つめる大人たちと比べ、子供は興味津々であった。ラムザたちのことが気になるのかこちらにとことことやってこようとし、親が慌ててそれを止める。
 シャルロットは母親に押さえつけられて暴れている一人の子供と目が合った。それに気付いた母親はびくりと怯えたように肩を震わせるが、彼女がにっこりと笑って子供に手を振ると驚いたような、安心したような、どちらともとれる顔をした。手を振られた子供は嬉々として振り返す。
……そんなに外から人が入ってくるのが珍しいのか?」
「さあね。警戒心は強いみたいだけど一目散に逃げるわけでもないみたいだ」
 ムスタディオの疑問にラッドが答える。
 町に入って少し進んだところで今まで探るようにこちらを観察していた人々の中から一人の男が声をかけてきた。
「あんたたち、変わった格好してるけど、どっからやってきたんだい?」
「えっ?」
 この問いにラムザは面食らった。何故なら、今まで変わった格好、などと言われたことなんて一度もないからだ。
 だが、改めてこの町の人々の格好を見ると、たしかにどこか自分たちとは違う気がする。明確にどこが違う、とは言えないが他の都市の町人たちや百姓とこの町の町人では形状や構造が違っている。ラムザたちの目で見れば、どこかなんとなく古いのである。
「異邦人とか?」
「鴎国とか呂国から来たのか?」
 人だかりの中から次々と声が聞こえた。
 鴎国とはかつてイヴァリースが五十年戦争で戦って敗北を喫した相手、オルダリーア国で、呂国はロマンダ国のことである。どちらも畏国の近隣国だ。
「い、いえ、僕たちは畏国人です。たしかに他所から来ましたが……
 ラムザが答えると最初に話しかけてきた男が感心したように声を上げた。
「はえ~、じゃああんたたち相当遠くからわざわざこんな辺鄙なところにまで来なすったのか。この辺りじゃこんな綺麗な服着てる人間なんて見たことないからねえ」
「はあ……
 この辺りでは見たことないって、ここ以外の畏国の人々は皆こんな格好なんだけれど……
 返事に困ったラムザはラッドを見た。彼は肩を竦めて話に合わせた方が良いかもね、と合図を送る。それを受け取ったと頷いて相手に向き直る。
「そ、そんなところです。僕たちは旅の者でして、近くを通りかかった時偶然この町を見つけたのです。休息をとりたいと思っているのですが、宿屋か何かありませんか?」
「ああ、宿ならあっちにあるよ。わざわざ呼び止めてすまんかったね」
「いえ……
 ラムザは愛想笑いを浮かべて軽く会釈をし、行こうか、と仲間たちを促して早足で歩き出した。こんな好奇な目で自分や仲間たちを見られるのは、慣れないし我慢ならなかったからだ。それは隊員全員も同じだったらしい。

「本当に妙な町だな、どうなってんだ?」
 人が集まっている道から外れたところでムスタディオがこの場にいる隊員全てが思っているであろう言葉を口にした。
「私たちの格好を見て変わっているって言っていたものね」
 シャルロットは自分の着ているローブを見下ろす。
「それどころか外国人だと間違われたわよ」
 アリシアも訝しげな顔をする。
「なんというか」
 ラッドが自分たちが通って来た道を振り返った。
「俺たちの常識が通用しないところみたいだ」
「あまり長居はしたくないな」
 アグリアスは髪を払いながら言った。
「アリシアやラヴィアンが言う通り教会の者や騎士に加え、ラムザの手配書も見当たらん。ラムザが異端者だということは気付かれていないようだが、道を歩くだけでこれでは目立ちすぎる」
「外部にラムザさんがここにいると知られれば危険ですね」
 ラヴィアンが顔を曇らせる。
「とりあえず、このまま宿に入りましょう。今夜はここに泊まって、天候も見つつではありますがなるべく早い時間にここを出た方が良いかもしれません」
 ラムザの提案に否を言う者はいなかった。

「スターリアへようこそ。長旅なのでしょう? 小さな宿ですが旅の疲れを癒していって下さいね」
 案内された宿の主人と女将は先程の出来事を見ていたのかラムザたちを見るなり温かく迎えてくれた。
 少し大きなログハウスというべきだろうか、可愛らしい建物だ。木造の内装は温もりを感じさせる。畏国やその周辺諸国は火を放たれる危険性を考慮し通常建物の材質は石で、内装も無論防火から石の壁が剥き出しになっていることが多い。しかしこの宿の場合、石は……使われているのかもしれないが一面木の板が内外ともに張られており見えない。森の中にいるような匂いがする。
 やはりラムザが第一級の異端者ということは気付かれていないようだが、念には念を入れて名簿には偽名を書いた。
「お食事のお時間になりましたらお呼びします。それまでごゆっくりおくつろぎ下さいませ」
「ありがとうございます」
「御出立の時間はお決まりなのでしょうか?」
「天候次第にはなりますが、なるべく明け方頃にしたいと……
 女将とラムザが会話をしている間、ムスタディオは女将の腰に巻き付くようにしてくっついている小さな影を見つけた。よく見ると、その正体は少年と呼ぶにはまだ小さな男の子だった。この宿の主人と女将の息子だろうか。彼はこちらが自分を見ていることがわかるとはっと目を丸くし、母親の影に完全に隠れてしまった。これを見て、ムスタディオは不意に幼い頃の記憶が蘇ってふっと懐かしげな笑みが溢れた。
「ムスタ、どうしたの?」
 シャルロットが声をかけると彼はくすくす笑いだした。
「いや、なんか……、おまえと初めて会った時のこと思い出してよ」
「えっ?」
「おまえ俺と初めて会った時、ルシフェルさんにしがみついてこっそり俺のこと見てただろ、あんなふうにさ」
 ルシフェル、というのはシャルロットの母親の名だ。
 機工士の青年が指差した方向に導かれて覗きこみ、すぐに何を思い出していたのかがわかったのか赤い頬を膨らませた。
「あ、あんな小さい時のことまだ覚えてたの……!?」
「おまえだって覚えてるじゃん」
「そ、それは……
「何々? のろけ話??」
「違うっての……
 言葉を詰まらせるシャルロットの横からラファがからかうようなにやにやした顔で入ってきては、ムスタディオが疲れたような顔で否定した。
 初めてムスタディオと出会ったのはシャルロットが三歳の頃だった。あの時の彼女は対面する人間全てが怖かった。

 ……シャルロットには、他の人間には見えないものが見えるのである。

 人間の体の中に星のように燃え、輝く光。自分や肉親、幼い子供にそれは見えないが、逆に言えばそれ以外のシャルロットの視界に入る人間全てにはそれが見える。
 光は二種類存在していて、一つは眩く希望に満ち溢れた純白の光。もう一つは邪悪で負の感情を帯びた、漆黒、というような良い言葉では言い表すことのできないおどろおどろしい黒の光。シャルロットはこの後者を持つ者に恐怖を抱いていた。あの光を見ると、その人間が抱える恨みや妬み、怒りの矛先が自分に向かってくるからである。しかも殆どの人間が白と黒の入り交じった光——無論どちらの度合いが大きいのかは人によるのだが——であるがためにシャルロットは物心がつき始める頃から既に対人恐怖症となってしまっていた。
 ある意味人によって幽霊が見えるか見えないかのようなものであるが、どんな魔法の才を持った人間でも霊媒体質者でもシャルロットと同じものが見えるという人間は出会ったことがなく、また例を見ない特殊な体質であるため畏国の知識人たちですらも軒並みこの現象の解明には至らず白旗をあげる他なかった。
 だが、ムスタディオに見える光は違っていた。あの黒い光はどこにも見えなかった。その混じりけのない白の光は彼女の恐怖心を解かせることに大した苦労は要さなかった。
 黒い光を持たない者は彼だけではなかった。その後ゴーグを離れ入学した士官学校で出会ったラムザとディリータ、彼らの妹のアルマやティータに続き、ラッドにアグリアスやアリシアとラヴィアン、オヴェリアにオーラン、ラファやマラークとこれまで味方になってくれる人は皆黒い光が見えなかった。逆にアルガスやガフガリオンのように後に対立してしまう人間には近づかないし、ルカヴィに至ってはひどく怯えていたため(初めてライオネル城に行ったときでさえ城だけには入りたがらなかった)、ラムザたちもまたシャルロットの反応が相手を信頼できるか否かの判断材料の一つとしていた。そしてシャルロット自身もまた、彼らといることが心の安らぎになっていた。負の感情をあまり感じなければ、安心することができるから……


***


 町の中心部は大きく、そして数多くの人々が道を行き交っていた。道の左右には粗末な屋台が並び、そこで商人たちが果物やら魚やらを売っていた。
 町を行く人々は変わった格好をした三人を相変わらず不思議そうな顔で見ている。
「わざわざお建物を作らずに屋台で商いをするなんて……、なんだかドーターのお祭りみたいだ」
「だよなあ。雨とか降ったらどうすんだ?」
 ラムザが漏らした言葉にムスタディオも同意する。彼らの隣でシャルロットが無邪気な顔で町の店を見回している。
 夕飯まで一時的に自由行動ということにし、それぞれ好きなようにやらせることにした。手持ちの食料が少ないことに気付いたラムザは一人では危険だから一緒に行く、とありがたくも申し出てくれたムスタディオやシャルロットと共に中心街に出た。他の隊員はラムザたちと同じく外に出たり、まだ宿で休んでいる者もいる。
 当然何があるかわからないので武装は解かずに外に出た。
「こんな平和ボケした要塞もなにもない町じゃ、安心して寝られる気がしないな」
 頭の後ろに腕をまわしてぼやく友にラムザは少し寂しげに笑って腰にさした剣の柄を触った。
 たしかにそうだ。僕たちが生まれてきた頃だって畏国は五十年戦争のまっただ中で、気がつけば屋敷の周りや街の周りにはなにかしら防壁があるのが当然だった。ゴーグも山で守られている。何か壁が立っていなくては、僕たちは安心できないんだ……
……あれっ!?」
 ムスタディオの驚いたような声にはっと我に返った。
「どうしたんだい?」
「シャルがいねえ!」
「ええっ!?」
 ムスタディオの隣を見るが、さっきまでそこにいた筈の彼女の姿はなかった。
「勝手にどっか行くなって言ってるってのに……!」
「ここなら目立つからすぐに見つかる筈だ! 探そう!」
 二人は大急ぎで来た道を戻り始めた。

「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
 白魔道士の少女は渡されたものを受け取って嬉しそうににっこりと笑った。
 受け取ったそれはまるで大粒の紅玉のようにぬれぬれとした手の平よりは少し大きいくらいの大きさの深紅の果実。日にあたると赤く美しい光を放った。
 思わぬ来客に町の人々も彼女の姿をもっとよく見ようと集まりいつの間にか人だかりが出来ていた。
「シャルー!!」
 その人だかりの外から自分の名を呼ぶ聞き慣れた声が聴こえて振り向くと、ラムザとムスタディオが人を掻き分けているのが見えた。
「あっ! ラムザ、ムスタ! こっちだよー!」
 果実を持っていない方の手を大きく振る。間もなく二人は彼女の前に来ては荒い息をついた。
「勝手に消えるなって言ってるだろ!」
 ムスタディオがこつんと拳で軽くシャルロットの額を小突いた。
「あう……
「でも、無事で良かったよ」
 突かれたところを押さえる娘を見てラムザは安心して胸を撫で下ろした。
「あのね、果物屋さんの御主人様からリンゴ貰ったの! 綺麗でしょう!」
 彼女は二人に先程受け取った果実を見せた。
 果物屋の屋台を見ると、その屋根の下で人の良さそうな男がにっこりとこちらに笑いかけていた。
「それは可愛いお嬢さんにサービスだよ。その子には私から声をかけたんだ」
「どうもありがとうございます」
 売り物なんだから悪いと思ったが、折角の好意を無駄にする方が失礼だと考え、ラムザは礼を述べて会釈した。
 その後ろでこいつの声かけられたらなりふり構わずほいほいついていっちまう自己防衛力の無さはどうすりゃいいんだ……、とムスタディオがぶつぶつ言っている。
「?」
 隣で両手でよく熟れたリンゴを両手で包み込むようにして持っているシャルロットが、笑顔のまま小首を傾げてこちらを見上げているのに気付いて、青年はやれやれといった苦笑いで彼女の頭をそっと撫でた。

 コーン、コーン……

 遠くで鐘の音がなった。三人が振り向くと、都市の中心に建っている時計塔が見える。どうやらあの塔から鐘を鳴らしているらしい。
「ああ、あれは正午ですよって意味だよ」
 不思議そうな顔で塔を見上げる三人に果物屋の主人が説明してくれた。
「日が高くなるとこうして毎日知らせてくれるんだ」
「毎日あんな高い塔に人が登って鳴らしているんですか?」
 驚いたラムザが尋ねると、主人は一回きょとんとした顔をしてからすぐに笑いだした。
「まさか! 時間になったら自動で鳴るようにからくりが仕組まれているんだよ」
「それって機械のことかい?」
 そういった話になるとすかさずムスタディオの目が輝く。機工士としての血が騒ぐのだろう。
「ああ。あの塔は旧文明時代からあるらしいよ。もっとも、いつも人が入らないように結界みたいなものが張ってあるんだけれどね」
「結界? どうしてそのようなものを……?」
 シャルロットが訊くと、主人はいきなり険しい表情を浮かべた。
「あの塔には時計としての役割の他に生と死を繋ぐ扉があると言われていてね」
……それ、伝説か何か?」
「そんなわけないだろう! 本当の話だッ!!」
 懐疑的な顔をするムスタディオに主人が品物の果物など忘れたのか商品の上に身を乗り出して恐ろしい形相で睨み付けた。
「わ、わかった! 悪かったって!」
 慌てて謝る幼馴染みの様子にシャルロットが可笑しげにくすくす笑った。
「生と死を繋ぐ扉とは、どういうことですか?」
 ラムザが話題を元に戻す。
「誰も見たという人間はいないんだけどね。……いや、正しく言うとそれを見た人間は誰一人帰って来ていないから誰も見ていないんだ」
「つまり、見た人間は扉を開けてしまい、死の世界に引きずりこまれる……ということでしょうか?」
「恐らくね。きもだめしと言って入っていったきり帰ってこなかった子供も大勢いたそうだ。だからスターリアの人間は皆怖くなり、外から魔道士を呼んで何人たりともたとえ魔物でもね入ってこられない、見えない壁を張り巡らせたんだ。あんたたちも、絶対に近づいたら駄目だよ。」
「しかし、どうして時計塔にそのようなものが……?」
 シャルロットの問いに主人はかぶりを振った。
「それは私もわからないんだよ。随分昔のことだからね」
「てか、誰も入れなかったら時計とか鐘を鳴らす機械が壊れた時とかどうするんだ? 誰も直せないだろ」
 ムスタディオの素朴な疑問に男も肩を竦めた。
「さあ、なんせ壊れたことがないからね」
「壊れたことがない!?」
 思いもよらず三人の言葉が重なった。
「旧文明時代の代物だぞ! 一度も壊れずに今の時代でも現役で動いているなんて普通ありえないだろ!」
「私は技術者じゃないからなんだかよくわからないけど……
 技術者でなくともわかりそうなことだが、主人はそういうものなのかい?、とでもいうような顔でぽりぽりと頭をかいた。
 その素人を通り越した他人事のような態度に現技術者である機工士ムスタディオは頭痛がするかのように眉間のしわを揉んだ。
 その時、突然遠くからキャーッ、という悲鳴が上がった。
「なんだ!?」
 ラムザたちがその声のした方角を見ると、血相を変えた町人らしき男がこちらに走ってきた。
「大変だ! 魔物が、魔物の群れが町に入ってきたぞ!」
 その叫びに町中は大騒ぎになった。そんなバカな、まずくないか、早く逃げよう……人々が一斉に逃げ惑い始める。さっきまで話していた果物屋の主人も果物も屋台も放って飛び出してしまった。
……まあ、城壁とかないんじゃ魔物なんか簡単に入ってこられるだろうな」
 とムスタディオ。パニックに陥っている町の人々の一方で、部外者であるラムザたちは至って冷静だった。
 そこにシャルロットが首をかしげる。
「でも、普通魔物は人間を怖れて町には入ってこない筈だよ。いったい何が……?」
「行ってみよう!」
 ラムザの言葉を皮切りに、三人は走り出した。

 逃げ回る人々の流れに逆らうのは、川登をしているようなものだ。もたもたしてうまく進まない。苦労してなんとか進むと、魔物の雄叫びらしき声が聞こえてきた。
……! あれは!」
 三人が人混みから脱出したとき、彼らの前にいたのは屋台や建物を破壊する数頭ものベヒーモスだった。ただのベヒーモスだけではない、ダークベヒーモスやキングベヒーモスといった上級モンスターたちも混ざっている。
「ぐおおお――ッ!!」
 ベヒーモスたちは相当気が立っているらしい。
「侵入してきた魔物というのはベヒーモスのことだったのか……!」
「けどラムザ、ベヒーモス系のモンスターなんてこの辺りにいたか!?」
「じゃあ、あの子たちは誰かが連れてきたってこと!?」
 三人が話している頃も、ベヒーモスたちは逃げ遅れた人々を鋭い爪で刺し、引っ掻き、抉っていく。無論老人も子供も、見境なく。その光景は目を背けたくなるほどに惨いものだった。
「このままじゃ町の人々が……!」
 青ざめたシャルロットが叫んだ時、
「おまえたち!」
 という声が後ろから聞こえた。振り向いて見ると、逃げる人々の川の流れを逆らうようにしてこちらに向かって走ってくる一人の女性の姿。ラムザが思わず叫ぶ。彼女は――
「アグリアスさん!」
 であった。女騎士はディフェンダーを手に三人を見回した。
「無事か!?」
「僕たちは大丈夫です。」
 ラムザが頷く。だが、背後で暴れるベヒーモスたちに目をやった。
「ですが、このままではこの町の人々が……。僕たちで止めましょう! ……ムスタディオもシャルも、武器は持ってきてあるよね?」
「おう!」
 ムスタディオがブレイズガンを出す。シャルロットも魔術師の杖と肩にかけた袋を示して頷いた。
「それしかあるまいな」
 アグリアスがディフェンダーを鞘から抜く。
 同意してくれた仲間たちに感謝し、ラムザも腰からルーンブレイドを抜いて構える。
 シャルロットを一番後ろにまわし、その
前に彼女を守るようにムスタディオとアグリアスが、そしてさらに彼らを背に庇うようにしてラムザが一番前に立つ陣形だ。
「シャルは補助を! ムスタディオはシャルの護衛と僕たちの援護を頼む! 攻撃は僕とアグリアスさんでやる!」
「わかった!」
「了解!」
「頼んだぞ!」
 ベヒーモスの群れは次の標準をラムザたちに定めたらしい。逃げもせず武器を構える彼らを見ても微動だにもせずいっそう甲高い雄叫びを再び上げるだけだった。
 シャルロットが肩にかけていた袋を地面に下ろし、中に入っているものを取り出す。出てきたのは……刀だった。
「清盛、私たちに加護を!」
 シャルロットが刀を鞘から抜いて掲げると、これに答えるように刀身が光を帯びた。優しい光はラムザたちの体を一人一人守るように包み込む。
 その間にもどこに隠れていたのかベヒーモスたちが続々と姿を現していく。
「おいおい……、こりゃ大群だな」
 ムスタディオが魔法の鎧を纏われながらひきつった笑みで言う。
「この数ではムスタディオを入れて一人五頭が目標といったところか」
 目視でベヒーモスの数を数えたアグリアスが口を開く。
「アグリアスさんならもっと倒せるんじゃないすか?」
「時と場合によるな」
 背中でムスタディオとアグリアスのやりとりを聞きながらベヒーモスの動きを観察していたラムザは仲間たちを目で振り向いた。
「この数ではこちらが圧倒的に不利です! 無理だけはしないでください!」
「あんたたち!」
 後ろから声が聞こえて見ると、自分たちがこの町に入ってきた時声をかけてきたあの男が、逃げる足を止めて他の町の人々と共に不安そうな顔で立っている。
「僕たちで止めます! 危ないので下がって下さい!」
「皆、来るよ!」
 シャルロットが叫ぶのと同時にベヒーモスがこちらに猛突進する。ラムザたちは闘牛士のような動きでそれをかわし、散らばる。
 目の前にいる者たちに避けられたもののベヒーモスは止まろうとはしなかった。
「まずい!」
 その意図に気付いたラムザが叫んだ。
「町の人々を狙うつもりだッ!」
 人々が青ざめて走り出すが、どう見ても逃げきれる速さではない。その時、銃声と共に氷の刃が空を裂き、走るベヒーモスの体を切り裂いた。潜血が吹き出して巨体が横倒しになる。
「ムスタディオ!」
「町の人は俺たちが守るから、ラムザとアグリアスさんは早く他の奴らを!」
「わかった、頼む!」
 その間にもアグリアスが聖剣技でキングベヒーモスを斬り飛ばしている。
「民間人を巻き込むわけにはいかないな……!」
「そうですね、ベヒーモスは攻撃力も高い……長期戦は僕たちにとって不利です」
 言いながらラムザが角で突き上げようとするダークベヒーモスの脳天を上から剣で突き刺す。相手は人間ではない。魔物だ。それだけ鎧を砕くほどに力が強く、そして頑強だ。その上奴らは手加減を知らない。殺す気で臨まなければこちらが殺される。自然の生み出した力は殺生は嫌だという言葉を、思いを、あっさりと打ち消してしまう。
「それにしてもこいつら、いったい何が目的で……ッ、シャルロット! あのキングベヒーモスを!」
 アグリアスの放つ無双稲妻突きで複数体を巻き込むが、キングベヒーモス一頭がその射程のぎりぎり外を通り走り抜けてしまった。ベヒーモスを斬り捨てたラムザがすかさずとびすさる。
 ——ベヒーモスたちは積極的に武器を持った僕たちを相手にしようとしていない。奥に進むには僕たちを無視し、逃げるしかない町の人々を襲う方がずっと楽だからだ。最初から標的は僕たちではなく力のない町の人間たちだったんだ。
「またこっちに来るぞ!」
「逃げろ!」
 散り散りに逃げ始める人々とベヒーモスの間、何もない場所に突然刀を構えたシャルロットが瞬間移動してきた。
「この先には行かせない!」
 赤い刀身から苦悶の表情を浮かべた無数の亡者たちが飛び出しベヒーモスの魂を食らいつくそうと襲いかかる。凍りつく迫力にベヒーモスの体が仰け反る。
「殺(と)った!」
 その隙に後ろから飛んできたラムザが背中を切り裂いた。
「ギャアッ!!」
 断末魔を上げて倒れるベヒーモスの上に着地し、剣についた血をはらいながら白魔道士を見る。
「大丈夫かい?」
「うん、まだ平気!」
「ラムザ!」
「はいッ!」
 向こうからアグリアスの呼ぶ声が聞こえ、ラムザはこれを返してから横目でシャルロットに気を付けて、と目で言い、彼女もこれに頷くのを見届けるとベヒーモスの死体から降り、前線に走った。付き合いの長い彼らはそれほど言葉を交わさずとも単調な会話はこれだけで十分である。

「しっかり、しっかりしてッ!!」
 一人の女性が座り込んで、傷付いてぐったりと動かない子供を抱き起こし、その小さな肩を揺さぶっている。子供の背中に纏っていた服は切り裂かれ、ぼろ切れのようになっている。そして露になった小さな背中はばっくりと服が破れ、大きな傷が走っていた。
「ガルルルルルルルル……
 背後から唸り声らしきものが聞こえ、女性は恐る恐る振り向くと、すぐそこにダークベヒーモスが彼女を見下ろしていた。その鋭い爪を振り下ろさんとしている。
……!!」
 恐怖で声すら上がらない女性は腕の中の子供を抱き締めるしかなかった。
……どうか……どうかこの子だけは…………どうか……
 震える小さな声で何度もそれを繰り返す。腕が振り下ろされ空を凪ぐ音が聞こえた。ぐっと抱き寄せる腕に力が入る。
…………?」
 何も起こらなかった。ぎゅっと閉じた目蓋をそろそろと開けると、サロペットを着た一人の青年が両手でベヒーモスの太い腕を立て膝をついて受け止めていた。その細身の体のどこからそんな力が入るのだろう?
「あなたは……!」
 女性は目を瞬いた。何故なら、自分たちを助けてくれたこの青年は、今家で運営している宿の客の一人だったからだ。
「何やってんだッ! 早く逃げろッ!」
 彼は振り向きざまにそう怒鳴った。青年を護らんと光でできた加護の鎧がちかちかと点滅している。どうやらそれもまたベヒーモスの腕を受け止める為の力になっているらしい。
 彼女は更に何か言おうとしたがやめ、蒼白な顔で微かに頷き子供を抱き抱えたままふらふらと走った。
 獲物をとり逃したダークベヒーモスは、空いた腕で彼を弾き飛ばそうとしたが、その瞬間の隙を突いて青年は魔物の腹を膝で蹴りあげた。そこが急所だったのか巨体がふわりと浮く。ベヒーモスの口から唾液が滴った。青年は素早く銃を出してベヒーモスの胸に銃口を当て引き金を引いた。ゼロ距離による銃撃から放たれる氷の槍がダークベヒーモスの体を貫く。
 銃撃の反動に青年も地面に尻餅をつくがすぐに転がるようにして死体の下敷きになる前に脱出した。
「やれやれ……、あと八体か」
 青年が荒い息の中で呟いた時、彼の後ろからシャルロットが姿を現した。
「ムスタ、大丈夫?」
「ああ、おまえこそ何ともないみたいだな」
「私は平気。それより、さっき宿の女将さんが見えたんだけれど……
「女将さんとこの子供が大怪我してるっぽかった。ベヒーモスにやられたんだろうな」
「そんな……!」
「にしても、あのベヒーモスたちはなんでこの町の人を襲っているんだろうな。そもそもこの辺りであんな大型モンスターは見たことないし、ベヒーモスは人を食うようなモンスターじゃない。殺すことが目的でもないような気がする」
 ムスタディオの意見にシャルロットも同意する。
「それは私も気になっているの……。町を襲うことそのものが目的だったとしても、ベヒーモスたちに利益があるとも思えない。だとしたら、やっぱり……
「誰かが操っているのかも、だよな。けど、魔獣使いみたいなのは見えなかったぜ」
「私たちの見えないところで隠れているのかもしれないね」
 遠くから斬撃の音と魔物の悲鳴らしき声が聞こえた。
「とりあえず、今はベヒーモスをなんとかしねーとな」
「町の人たちも逃げたし、ラムザとアグリアスさんの援護に行こう!」

 大きな体が大きな音を立てて倒れる。その前でラムザは荒い息をついた。
順調にベヒーモスの数を減らしてはいるが、こちらの体力も消耗が激しい。ベヒーモスは高い攻撃力に加え打たれ強い。生半可な攻撃ではトドメを刺せないのである。
「ラムザ!」
 聖剣技でまとめて数体ものベヒーモスを始末したアグリアスが駆けてきた。消耗具合はラムザとそう変わらないようだ。
「まだ戦えるか?」
「ええ。手早く倒したいところですが、僕たちがどこまでもつか……
 ラムザが向かってくるベヒーモスを引き付け、剣で受け流してから頭目掛けて斬る。
「アリシアたちが加勢にきてくれれば楽なのだがな……
 アグリアスが聖光爆裂破でベヒーモスたちを吹き飛ばす。
「ラッドも算術が使えますし……そういえば彼らがどうしているのかアグリアスさんはご存知なんですか?」
「三人ともどこかに出掛けたところまでは把握している。私はこの騒ぎを聞き付けて宿を飛び出してきたからな」
「そうだったんですか……。これくらいの騒ぎになれば気付かないわけがないと思うのですが……
 突き上げる角を受けとめ、脊髄を叩き斬る。
「数ヵ所で侵入している可能性もある。そちらに向かったのかもしれん、……『命脈は無常にして惜しむるべからず葬る! 不動無明剣!』」
 剣から放たれる聖なる結晶が魔物を複数体まとめて一気に凍てつかせ、時を止める。
「止まった!」
「今の内に叩くぞ!」
 ラムザとアグリアスが動けないベヒーモスたちの元に向かおうとした時、頭上から猛獣の気配が覆い被さった。
「!!」
 彼らがすかさず後ろを見上げたが、その時には既にひときわ大きなキングベヒーモスが行かせまいと二人に飛びかかってきていた。これではかわす余裕などない。
「しまったッ!」
「くッ……!」
 叫ぶラムザの横でアグリアスが聖剣技を飛ばそうと剣を構えかけたが、その必要はなかった。何故なら、キングベヒーモスの更に頭上に巨大な氷が降りてきていたからだ。
 冬の弱い日に輝く水の結晶は美しくも冷徹な色を帯びる。それは獣の強靭な筋肉をも貫き地面に縫い付けた。
「ギャアアアアッッ!!!!」
 キングベヒーモスが上げる悲鳴は背筋に悪寒が走る程であった。が、未だ息の音を止めるには僅かに至っていない。
 地面に刺さった氷の下でもがく魔物の側に銃を肩にかけた青年が現れた。
……仕留めそこなったか」
「ムスタディオ! きみだったのか!」
「ああ、運良くブリザガの弾に当たったみたいだな。後残ってるのはそこの動けない奴等だけだろ? とっとと片付けようぜ」
 ムスタディオはそう言ってキングベヒーモスの頭に銃口を向け、そのまま銃弾を撃ち抜いてトドメを刺した。
 さらに時が止まったベヒーモスたちの間に白魔道士が現れ、手に持っていた刀を掲げると、刃から霧のような光が渦を巻き、ベヒーモスたちを切り裂く。
「この天のむら雲で倒しやすくなる筈です!」
「シャル! ありがとう!」
「二人とも助かった! これで他のベヒーモスどもにも惑わされず片付けられる!」
 加勢の力を借り、ラムザとアグリアスが跳んで体を捻り、時間の狭間に縛り付けられたベヒーモスたちをそれぞれ一刀両断する。
 あっという間の出来事に、遠くから不安げに様子を見ていた町の人々からわあっという歓声が上がり、ベヒーモスたちの死体を避けつつ四人の前に走りよってきた。
「あんたたち凄いなあ! こんなに強かったなんて思わなかったよ!」
「おまえさんたちはこの町の恩人だよ! このままだったら、スターリアは壊滅していたかもしれない!」
 勝手に手を握られて戸惑った笑顔でそれを受けるラムザの後ろで、アグリアスが剣先を地面について立ち上がりため息をついた。
……見世物ではないのだがな」
 小声で呟いたそれは、おそらく共に戦ったラムザたち三人にしか聞こえなかっただろう。
 命をかけて戦ったのに、パフォーマンスをしたような反応は幾度も命がけの戦いを経験した彼女には快く思えないようだ。ラムザたちも内心は、そう感じているのだけれど。
 ラムザが曇った顔で仲間たちに目配せをすると、機工士は肩を竦め、白魔道士は弱々しい苦笑いを返事代わりに返した。
 その時
「お願い、起きて! 目を覚まして!!」
 人混みの中から聞いたことのある声が聞こえた。ムスタディオが何やらはっとした顔になってその声の方に向かう。ラムザたちも続いた。
「ちょ、ちょっとすみません!」
 人と人の間をこじ開けて見ると、子供を抱えて踞る女性がいた。先程ムスタディオが助けた宿の女将だ。
 彼女の息子は相変わらずぴくりとも動かない。
 目を見張るラムザたちをすり抜け、ムスタディオは女将の近くに来て腰を下ろした。それに気付いた女将は顔を上げて涙が浮かぶ目で彼を見た。
「見つけた時にはこうなっていて……。私があの時、目を離さなければ……
……こっちこそ対応が遅れてすまなかった……。もう少し早く攻撃していればこの子も……
 詫びる機工士に彼女は首を振ってから俯いてはらはらと涙をこぼした。
 そこにシャルロットが近づいてきて、手袋を外した手をそっと子供の首に当てた。
……まだ間に合う」
「治せるか?」
「うん、もう少し遅かったら蘇生できなかったけれど、今の内なら大丈夫そう」
 娘は青年に微笑みかけ、持っていた杖を子供に向ける。それを見た女将の顔が強張り子供を隠すように抱き締めんとするが、すかさずその手をムスタディオが止める。
「見ててやって。こいつの腕は確かだからさ」
 人の好い笑みに女将は口をつぐむほかなかった。
……『生命を司る精霊よ、』」
 少女の桜色の唇から詠唱の言葉が歌のように流れる。
「『失われゆく魂に、今一度命を与えたまえ!』」
 天から優しい光が降りてきて、それが子供の胸に吸い込まれるようにして入っていった。
……うう……
「!!」
 間もなくして子供が呻いて、女将がその顔を覗き込む。薄目に目蓋が開き、母の姿をみとめる。
……お母さん……
 掠れた声で母を呼ぶ幼い息子に、女将はより一層涙を溜めてその小さな体を抱きすくめた。周りの人々も驚いたような、歓声にも悲鳴にも似つかない声を次々と上げた。
「ああ……! 良かった!」
 それから彼女はシャルロットに何度もありがとうと頭を下げた。
「本当にありがとうございます……! 貴女はこの子の恩人です……!」
「いいえ、私も息子さんを助けられて良かったです」
「この子がまた死んでしまうのではないかと思うと……、もう……
 女将の言葉をムスタディオは聞き逃さなかった。
……“また”??」
 不可思議そうに言葉を繰り返す機工士に女将は何やら慌てたような顔で口を押さえ、何でもないと茶を濁した。
 ラムザとアグリアスもやって来た。
「やったね、シャル」
「うん!」
 小声で話しかけるラムザを前に白魔道士もまた嬉しそうにうなずき返した。
「お嬢さん、あんた、まさか怪我を一瞬で治したり、人を生き返らせる魔法が使えるのかい?」
 人混みの中からこんな声が聞こえた。
「えっ? は……、はい……
 シャルロットが控えめに頷くと、人々が一斉に今度は先程とは全く違って、歓喜の声を上げた。
「そりゃすごい! 奇跡だ!」
「こんな魔法が本当にあったんだ!」
「あの刀の不思議な力といい魔法といい、ああいうのはお伽噺じゃなかったのか!」
 口々に言う彼らの言葉は異様に高揚しており、ラムザたちは驚きで目を白黒させるしかなかった。
「なあなあ、この怪我は治せるのか?」
「うちの子供も怪我をしているんだ、治してやってくれないか?」
「どうやったらそんな凄いものが使えるんだ?」
「もう一度見せて!」
 町の人間たちは神を前にしているかのように目を輝かせてシャルロットに迫る。しまいには他の三人は押しのけられてしまった。
「なんなのだこれは……
「白魔法使ったくらいでこんな大騒ぎになるのかよ!?」
 アグリアスとムスタディオが言葉をもらす。一方でラムザが真っ先に考えたのはシャルロットのことだった。彼女は知らない人間が何よりも苦手だ。こんなに大勢の人々がいっぺんに来られたら自分ですらも恐怖を感じる。ましてや彼女はパニックになってしまうかもしれない。
 彼女には非常に高い魔法の才があったが、その分魔法干渉力——精神の振り幅で魔力が上昇しやすい度合い——も高かった。ある程度魔法が上達し、傭兵団に入っていた頃、シャルロットに無理に迫った傭兵に対して恐怖を抱いた彼女の精神が大きく高まりホーリーを発動させるという大事件を引き起こしたことまであった。今はラッドが矯正してくれたが、もし再びこれが起これば……
「あ、あの、落ち着いて下さい!」
 危険を感じたラムザが声を上げる。
「先程彼女が使ったのは白魔法と呼ばれる治癒魔法で、決してどんなものでも治せるわけでは……
「治癒魔法! やっぱりか!」
 まだ喋っているにも関わらず男の声がそれを遮って叫んだ。どうやら、ラムザの言葉はかえって人々の興奮を増幅させてしまったようである。これでは火に油だ。
「他所にはそんな素晴らしいものがあるのか!」
「お姉ちゃん、神様みたいだね!」
「死んだ人を生き返らせる魔法……家の旦那も生き返らせられるのかい?」
「こんな時に来てくれたということは、我々をお救いする度に来てくださったに違いない!」
 異常なまでの驚きと喜びと感激に狂う町の人々の様子に、ラムザたちは顔を見合わせた。
「我々をお救いするために!」
「ありがとうございます……! ありがとうございます!!」
 口々から飛び出す歓喜の叫び。痛いくらいまでに真っ直ぐこちらに突き刺さる興奮した視線のエネルギー。それらを感じてシャルロットは震えた。喜んでくれている筈なのに人々の光がみるみる黒に染まっていく。それがかつて見たルカヴィに虐殺され死んでいくリオファネス城の人々の光と、あの悪夢のような凄惨な光景と重なった。
 真っ直ぐに立っていられないほどの目眩に肺が潰れそうになる。深呼吸しようにも吸った空気が体に入る心地すらしない。
 凄い! 素晴らしい! 奇跡だ! ありがとう!
 良いことをして、良い言葉をかけてくれているはずなのに、なんだか違う。言葉を盾に何か裏があるような……そんな何かがあるような気がしてしまって……
……いやあぁッ!!! やめて!!!」
 突然激しく首を振って耳をふさぎその場で踞った。
「!!」
 悲鳴を聞いたラムザたちが駆け出す。
「いや………………、もうやめて…………!」
 踞ったままうわ言のように同じ言葉を繰り返す少女の背中を人々をかきわけ先にたどり着いたアグリアスが触れる。
「シャルロット、大丈夫か!?」
 声を聞き分けはっと顔を上げて、そこに心配そうにこちらの顔を覗き込む女騎士がいるのがわかって、シャルロットは泣きそうに顔を歪ませすがるように彼女の腕を掴んで震える。
「シャルロット……
 アグリアスは慰めるように怖がる白魔道士の体を抱き寄せて頭を撫でる。
「彼らは単に、おまえの力に驚いただけで悪意はないんだ。おまえを怖がらせようとしているわけでもない。……わかるだろう?」
 優しい囁き声に少女は目を瞑り震えたまま何度も首を縦に振る。
 それを見た町の人間たちも一瞬顔を見合わせたが、
「なあ、怪我を治してくれないのか?」
「わしの方もお願いしたいのだが」
 まるでシャルロットが怯えているのを見ていなかったかのような口ぶりで相変わらず彼女に迫る。
 彼女が嫌がっているのがわからないのか、とアグリアスが少女を腕で庇い彼らを睨むが全く効果がない。それどころかまた余計に人が集まり、騒ぎが大きくなり始めている。
 その後ろでラムザは眉をしかめた。どう考えても変だ。白魔法は確かに傷を一瞬で治したり死の淵に立つものを蘇生し呼び戻す強力な力がある。僕たちだって、何度その力に助けられたことか。しかし、今や白魔法は完全に確立した魔法であり、士官学校に通えるくらいの裕福な家庭の少年少女なら勉強すればある程度使えるようになる。貴族でなくとも戦士、特に魔道士を志望する者ならば必須だ。全国の目で見ても、白魔法はもう決して珍しい存在ではないのだ。なのに、この人たちはまるで初めて見る神の業のように讃えている。今まで町で彼女やラッドが使ったことなんていくらでもあったが、こんな反応などされたこともない。いったいこれはどういうことなんだろう。いや、その前にこの状況をどうするべきか……
 ラムザが頭を巡らせようとした時、
……いい加減にしろよッ!!」
 という怒鳴り声が響き渡った。
 その声の主はラムザの隣で無言で事を見ていたムスタディオのものだった。はっとラムザが見たその横顔には、いつもの笑い上戸な彼からは想像もつかないほど激しい怒りの炎が燃え上がっていた。
「あんたたちがこいつの力をどう思おうが勝手だだけどな……、こいつは命がけでその魔法を使っているんだぞ! 対価があって出来ることだってことくらい考えてみりゃわかるだろ! そんなことすら考えようともせずに手品みたいにやってくれやってくれって、そんな無神経なことを言うあんたたちに助けられる資格なんかないッ!!」
 ムスタディオの激しい物言いに人々は押し黙ってしまった。驚いた表情のアグリアスの腕の中で、シャルロットもまた救われたように彼を見た。
「ムスタディオ……
 言葉としては乱暴ではあるものの、これはラムザが言いたいことでもあった。恐らくアグリアスも同じだろう。
 シャルロットは暫く彼を見つめ、それから覚悟を決めた表情でアグリアスの腕を外してすっと立ち上がって前に出た。
 皆が私を助けてくれた。だから私も、気持ちを伝えなきゃ。
「あの、私の魔法は万能ではありませんし、どこまで出来るかわかりませんが、出来る限り治療させて下さい」
「おお!」
「お願いします!」
「シャルロット……!」
 良いのか、とアグリアスが細い肩に手を置くが、彼女は大丈夫ですと健気に振り向いて笑いかけた。それから複雑な表情を浮かべるラムザとムスタディオにも頷いてみせた。


***


 冬は空の主役足る太陽があっという間に月と交代してしまう季節でもある。燃え盛る光の王からバトンを受け取った闇の女神は大勢の他の星々の使者を連れて天に居座る。
 誰もが疑問も抱かないこの自然の摂理の下、時計塔は日暮れを告げる鐘を鳴らした。

……ん」
「わっ!?」
 突然熱いものを頬に当てられ、宿屋のロビーに設置されているソファに座っていたシャルロットは飛び上がった。見上げるとムスタディオが飲み物が入っているらしいマグカップを差し出しながら自分の分が入っている方に口をつけている。おまえの分も入れたから飲め、ということである。
「あ……。ありがとう、ムスタ」
 カップを受け取って微笑みかける。しかし、その顔には色濃い疲労が浮かび上がっていた。
 あれからシャルロットは昼間の襲撃による怪我人数十人の傷を全て白魔法で治したのだった。これによる疲労はいつもなら守護星座の相性により最大以上の効力が出るムスタディオのチャクラですらもあまり効果がない程である。
 ちなみに別行動をしていたラッドたちは、ラムザたちが相手をしたもよとはまた別の口から侵入してきたベヒーモスたちを撃退したり、街の人々を避難させていたという。ラムザたちの方とは違い中心街に位置しているわけではないため被害もそこまで深刻ではなかったようだ。
 結局スターリアに何故突然ベヒーモスがやってきたのか、何が目的だったのか、連れ込んだとしてもそれらしき人物の姿は誰も目撃しておらず、謎に包まれたまま事態は収束してしまった。
 カップに入っているのはミルクと蜂蜜がたっぷり入ったコーヒーらしい。一口飲めばまろやかな甘さと、その中にあるほろ苦さが疲れた体に染み渡る。
「やれやれ……相当無理したね、これは」
 魔法の力で彼女の容態を診ていたラッドは立ち上がって困ったような笑顔で彼女を見下ろした。それは呆れているというよりもいつものこと、という表情だった。
「どうなんだい?」
 ラムザがやってきて尋ねると、ラッドが説明を始めた。
「魔法というものは普通精神、そして心由来の魔力から引き起こされる現象なんだけれど、シャルは魔力を使いきっても自分の生命力を削って魔法を使っていたんだよ」
「そんなことができるのか!?」
「彼女の魔法の才能はすごいからね……。魔法干渉力もかなり高いし、自分の体力すらも魔力に変換することぐらい容易なことなんだろう」
……おまえ、そんなことばっかしてるとぶっ倒れるどころじゃすまねえぞ」
 彼らの話を聞いていたムスタディオから拳で頭をぐりぐりと押さえ付けられ、シャルロットはごめんなさいと弱々しい笑みで詫びた。
 ラムザも顔を曇らせて彼女の前で腰を下ろした。
「シャル、夕食が終わったら今日は早めに休むんだ」
「でも、明日の打ち合わせが……
「そんなの明日聞けば良いだろ?」
「ムスタディオの言う通りだよ。それに明日は夜明け前には出る予定だからね。今の内に休むんだ」
 言い聞かせるラムザにこくんと頷いた時、お姉ちゃん、と遠慮がちにこちらにかける声が聞こえた。振り向くとそこに立っていたのは、昼間シャルロットが蘇生したあの宿屋夫婦の息子だった。
「もう、体は大丈夫?」
 シャルロットが問うと、男の子は大きく頷いた。
「うん! お姉ちゃんも、お兄ちゃんたちも、ありがとう!」
「僕たちはベヒーモスたちを倒しただけさ。でも、良かったね」
 ラムザが小さな体と同じくらいの目線になって頭をそっと撫でた。自分たちが宿に来たときは人見知りして隠れていたのに、もうすっかり慣れたようである。昼間の出来事のおかげだろう。
 それを見たシャルロットが突然立ち上がり、前にあるテーブルにカップを置いた代わりに側にあったあの時果実屋から貰ったリンゴを手に取った。疲労のせいか足取りが若干ふらつく。ムスタディオが慌てて肩を掴んで支えるが、彼女はありがとうとにっこり微笑んでからその手を外し男の子の前に座って持っていた果実を差し出した。
「え……?」
「これ、あげる。ベヒーモスたちが来る前にね、市場の果物屋さんから貰ったものなの」
 男の子だけでなく予想外の行動にラムザたちも驚きのあまり目を瞬く。が、シャルロットは動じず優しい笑顔で赤い果実を差し出していた。
「本当は私にって下さったものだけれど、折角元気になったんだもの。だから、これは私からのお祝いだよ。あなたのお父さまやお母さまと一緒に食べてね」
……ありがとう!」
 リンゴを受け取った男の子は嬉しそうに笑った。それから食堂へ繋がる口に立っていた女将の方へ走った。リンゴを見せ、それからこちらを指差して何かを言うと、母親は何度もありがとうと頭を下げていた。
 シャルロットは立ち上がり、仲間たちに微笑んでみせた。
「ったく……
 ムスタディオはおまえらしいよと言いたげな笑顔で彼女を軽く小突く。疲れた身体に障らないように、本当に優しく。
 それに彼女は照れたように笑った。
「えへへ……これで良かったんだよ」

「こんな古いものが売られていたのか?」
 一方、アグリアスはロビーのテーブルの上に置かれていたものを眺めていた。そこにあったのはナイフであるが、いつも自分たちが使っている短剣とは形状が異なる。ラファとマラークがベヒーモス退治の礼だとよろず屋から商品を譲り受けたのだという。
「ああ、こんくらいしか渡せるものはないけどって言って売ってる品をくれたんだ」
「お店の中にあるのは皆こんな形のナイフだったわよ」
 マラークとラファの説明にアグリアスは訝しげに形の良い眉を歪めた。
「これ、五十年戦争の時によく武器としても使われていたナイフよね? 騎士学校で見たことあるわ」
 女騎士の横でこれを見ていたアリシアが口を挟んだ。
「こんな平和な町でも武器は売られているんですね……。緊急時用のためかしら? それとも料理用?」
 ラヴィアンも不思議そうだ。
……昼間この街に来たときから思っていたが……、この街の住人は過去の世界に生きているように見えるな……
「どういうこと?」
 ラファが尋ねるとアグリアスはぐるりと首を回してすっかり暗くなった窓の外を眺めた。
「街を行く人々が私たちを見て変わった格好だと言っていただろう。衣服というものは時代に合わせて変わりゆくものだ。勿論衣服だけには留まらない。常識も、武器の形状も、街の様相も。時の流れは世界を変える強大な力を秘めている。……だが、この街は五十年戦争の時代から時が止まっているかのようだ」
「どんなに古くからある街でも、現代の要素がまったく入らないなんて普通ありえないですよねえ」
 アリシアのフォローにその通りだと同意する。
「それに昼間のシャルロットの白魔法に対する反応も異常だ」
「すごい大騒ぎになっていたみたいですけど……
 ラヴィアンが顔を曇らせてシャルロットらのいる方へ目をやる。合流した時、消耗し切ったシャルロットを見て仰天したものである。
「白魔法は今では珍しいものじゃない筈なんだが」
「ああ。魔法の普及と戦争激化に伴い怪我人が都市に運び込まれることも五十年戦争と比べて随分と増えたからな。騎士や傭兵でなくとも簡単な白魔法程度なら目にする人間も多いだろう」
 マラークの指摘にアグリアスは説明を加える。
「つまり、レイズやアレイズを使って蘇生したところで驚く者も畏国では殆どいなくなったということだ。その証拠に以前シャルロットやラッドが魔法を使っても子供以外は声すらも上げなかったからな」
「でも、ここでは違った……
 ラファが独り言のように重々しく口を開いた。
「まるで魔法がまだ普及していない時代のような反応のされ方だった。だからアグリアスはこの街は過去の時代に生きているみたいって言ったのね」
「そういうことだ」
 言葉を返してから女騎士は隊の長へ近づいた。
……ラムザ、打合せが終わったら私たちも早めに休もう。出発が遅れてシャルロットのことを聞き付けた者たちがまた押し掛けてはこの宿の御家族にも迷惑がかかる」
「そうですね」
 ラムザは頷いて隊員たちを一人一人見回した。
「夕食が終わったらすぐに明日のことを話そう。その代わり明日の朝の打ち合せは省略する」
「あの、ラムザさん」
 皆が頷く中、ラヴィアンが控えめに手を上げて声をかけた。
「私はシャルちゃんと同じお部屋なので、御夕食が終わりましたらシャルちゃんをお部屋におくって行っても宜しいですか?」
「そうだね。お願いしていいかい?」
「勿論です」
「ありがとう、ラヴィアン」
「お礼なんて良いのよ」
 礼を言う白魔道士に竜騎士は当然のことなんだから、とかぶりを振った。
 話がまとまったところで御夕飯が出来ましたよ、という女将の声が聞こえたのはすぐのことだった。


***


「皆、何度も言っているけれど明日は日の出の前にこの街を出よう。寝坊しないように気を付けてくれ」
 夕食を終え、ラムザ隊はそのままの席で明日の打ち合せに入った。具合が悪いシャルロットは先に部屋に上がり、ラヴィアンも彼女を送るため一時的に席を外している。
「朝飯はどうするんだ?」
 これを問うたのはマラーク。
「女将さんにはラッドが話をつけてくれたんだ。朝食用のパンをいくつか包んでもらうことになったよ。今準備をしてもらっている」
 ラムザは厨房の方へと目をやる。
 ラヴィアンが「お待たせしました~」と戻ってきたのはその時であった。隣の席のアリシアがここまでの話の経緯を簡単に話し始める。
……そんで、明日はどこまで目指す?」
 ムスタディオが皆の意識をラムザに戻すように訊く。
「今日はベヒーモスの騒ぎで結局食材も手に入れられなかったし、できれば次の街に入っていたいね」
「こんな真冬じゃ野宿もごめんだものね~」
 椅子の上で立てた膝に顎を乗せたラファが口を挟む。
「そういうことさ。それにシャルの体調も心配だし……
「明日の早朝に出れば、昼には近くの街に入れているだろう」
 地図を広げて眺めていたラッドが口を開く。
「天気とか魔物や盗賊に襲われなければね」
「そればかりはどうにもならんな」
 アグリアスが溜め息をつく。
「その通りです。運良く通り抜けることを願おう。それでルートの確認を……
……あら?」
 ラムザの言葉を遮るように上げた声は後ろを振り向いたラヴィアンのものだった。
「どうしたの?」
 その驚いた声音にアリシアを筆頭に皆彼女を見る。ラヴィアンの視線の先にあるのは荷物が入った鞄と刀が入った皮袋だった。彼女は席を立ってそれらを手に取る。
「あらやだ、シャルちゃんの荷物部屋に持っていくの忘れてたわ!」
 急を要することかと思いきや大した話でも何でもなく隊員は一気に脱力した。
「なんだよ……
「ああ、ビックリした……
 呆れるやら胸を撫で下ろすやらの仲間たちに竜騎士の少女は驚かせてごめんなさいと謝った。
「私、シャルちゃんに届けてきますね」
「わかった。何度もすまない」
「いえいえ」
 荷物を肩にかけた彼女は気にするなとラムザに手を振ってから階段を上がっていった。

「どうしよう、私の荷物下に置いたままだった……
 客室の中でシャルロットが一人呟いた。
 髪をほどいてさて寝間着に着替えて明日の準備をしようと思った時荷物を持ってきていないことに気付いた。
 今までそんな些細なことを忘れたことなど士官候補生だった頃からただの一度もなかったのに……。それほどまでによっぽど今日は疲れていて、一刻も早く休みたかったということなのだろう。一緒に送ってくれたラヴィアンや仲間たちですらも気付かなかった程に心配をかけてしまっていたのだから。
 今頃皆は打ち合わせをしているだろう。こっそり行けばきっと大丈夫。
 シャルロットが扉の取っ手に手を触れようとしたその瞬間
……誰!?」
 即座に後ろを振り向き、寝台に立てかけてあった杖を構えた。誰かの気配を背後から感じたのだった。
……?」
 だが、目が合ったのは閉められた窓掛けだけだった。不審な音も聞こえない。
 気のせいだったのだろうか……
 疲れていて、必要以上に敏感になっているのだろう。そう思い構えを解いた時、誰も触れていない筈なのにひとりでに窓掛けが開いた。
 外が見えた窓の中心には丁度丸い月が見えた。吹き込む夜風が彼女の白い頬を撫でる。
「あ……
 ガタン、という音と共に握りしめていた杖が床に転がった。
 おかしい、と思った時には既に意識の輪郭がぼやけていた。何かの魔法に操られているのか、それとも誰かが自らの体を乗っ取り支配しようとしているのだろうか。はっきりと見えない視界の中で、いつの間にか立っていた人影がこちらに手を差し伸べる。こちらの意志に反して自分の手がそれをとろうと伸ばされる……


***


……これで全員入ったよね? シャルとラヴィアンには後で知らせて……
 ラムザが今後の夜番の順を書き出しているところに客室のシャルロットに荷物を届けに行っていたラヴィアンが慌てた様子で戻ってきた。
「シャルちゃんここに来ていませんか!?」
「シャルロット? 来ていないぞ?」
 アグリアスが不思議そうな顔で答える。皆も一様に同じような表情を浮かべていた。
「そうですか、やっぱり……
「何かあったのか?」
 妙だと感付いたムスタディオが問う。
「シャルちゃんが、シャルちゃんが客室にもどこにもいないのよ!」
「なんだって!?」
 ラヴィアンのこの言葉で、ロビーは大騒ぎになった。

「シャル! いるのか!?」
 扉にノックもせずに客室に飛び込んだムスタディオは、部屋の中身を見て息をのんだ。
 たしかにシャルロットの泊まる部屋はここに間違いない筈である。その証拠は床に転がっている赤い杖だ。いつもシャルロットが使っている見慣れた魔術師の杖。
 しかしながら、むしろ杖だけが残されていることがこの事態が普通ではないことを意味してもいた。
 異端者として追われるラムザ隊では、たとえ用を足す時であろうが武器から手を離すことはまずない。それに今滞在しているこの街も不可思議な点がいくつもあり、ラムザは警戒のため武器だけは持っておくようにと再三注意を呼びかけていた。聞き分けのよいシャルロットがラムザの命令を無視する筈がない。
 そしてもう一つ、単純に冬の夜だというのに窓が開けっ放しというのも不自然な話である。
 出入り口のすぐそばにはラヴィアンが運んだ荷物が落ちていた。恐らくこれを見たラヴィアンが取り落として慌ててラムザたちに知らせに行ったのであろう。
 杖を拾うムスタディオの後ろで、僅かに遅れてやってきたラムザとアグリアスももぬけの殻となった部屋に目を見張った。
「シャルロット! どこだ、いたら返事をしろ!」
 アグリアスの言葉に返事は返ってこない。
「シャル!」
 ラムザも部屋に入って開け放たれた窓の外を見回すが、呼んだ名前の主の姿はどこにも見えなかった。
「いったいどうなっているんだ……!?」
……連れさらわれたのかもしれないね」
 ラムザの問いに答えたのは後からやってきたラッドだった。
「連れさらわれたって……誰に……
「さあ、この街の人が一番怪しいと思うけど」
「白魔法のことか?」
 アグリアスが横から入ってくると、ラッドは首を縦に振った。
「あんなに騒ぎになっていたんです、理由はあるのではないでしょうか。例えばまだ治しきれていない昼間の怪我人がいる、とか」
「そんな、おかしいよ!」
 ラムザが声を上げる。
「そもそもどうやってここからシャルを連れ去ることができるんだ? 宿には誰も来ていないし、窓からにしたってここは三階、高低差無視とかレピデトとかゲルミナスブーツとか、何かしらの戦闘技術や武装がないと上れない筈なのに……
「それじゃあ、どうしてシャルはいなくなったんだよッ!?」
「まあまあ、落ち着いて」
 珍しく声を荒らげるムスタディオをラッドが宥める。シャルロットが突然消えて一番動揺しているのは彼なのかもしれない。彼女のことを一番可愛がって、一番気にかけていたのはムスタディオなのだから。
「もしかしたらシャルのことを聞き付けた外部の人間かもしれない」
「それも考えられるな」
 とアグリアス。
「それに、この窓は街の中心部に面している。ここから侵入したとすれば目撃者がいる筈だ」
「街に出て人に聞くしかないですね」
 ラムザがそう言った時、廊下から皆さーん、というアリシアの声が聞こえた。部屋から廊下に出てみると、アリシアとラヴィアンが息を切らしながら四人の前にやってきた。どうやら相当急いでいたらしい。
「どうした?」
「この宿のご夫婦か、息子さんをお見かけしませんでしたか?」
「いいや……
 ラヴィアンの問いにラムザが軽く首を振り、残りの三人を見たがやはり誰も見ていないようだった。
「女将さんなら、明日の俺たちの朝御飯を作りに厨房にいる筈だろう?」
「それがいないのよ」
 ラッドの言葉をアリシアが否定した。
「シャルちゃんを見ていないか聞こうと厨房を覗いたら誰もいなかったのです。私たちの朝食も包みかけのまま放置された状態で、二階の客室も人がいる気配がありませんし……
 ラヴィアンが説明する。
「住居側の方はラファとマラークに見に行ってもらっているけど……
 更にアリシアが付け加える。
「いったいどういう……?」
 ラムザたちは顔を見合わせた。


***


 ラムザたちがロビーに戻ってくると、ラファとマラークも戻ってきていた。二人の暗い表情からある程度察することができたが、ラムザは念のため尋ねた。
……ご夫妻と息子さんは?」
「どこにもいなかったわ……
 ラファは首を振る。
「ついさっきまでそこにいた痕跡はあったんだが、まるで人だけが消えたような状況だよ」
 マラークも口を開く。
「シャルロットに引き続いて宿のご家族も消えたというのか……
 アグリアスは疲れたように眉間を揉んだ。
「シャルどころか、この宿のご家族までいなくなるなんて、いくらなんでもおかしすぎる……
 ラッドがまるで探偵のように顎に立てた拳を添えて独り言のように呟く。
「まさか、あのご家族がシャルをさらったとでも言うの?」
 そう言うアリシアにラッドはそれはわからない、と断りつつ、こう続けた。
「けれど、可能性は否定できない。そうだろう?」
 穏やかな声音とは裏腹に、ある意味冷酷で、しかし十分有り得る話であることはこの場にいる誰もがわかっていることだった。
……ここのご家族が荷担しているのかはともかく」
 ラムザは皆を——そして自分自身も——落ち着かせるように静かな声音で言葉を紡いだ。
「手分けして街の人にシャルとご家族、それと彼らを目撃している人がいないか探しましょう。何が起こるかわかりませんので武装は外さないようお願いします」
「一度皆集合する時間を決めておいた方が良くないか?」
「そうだね」
 マラークの提案にラムザも同意した。
「では見つからなかったら一刻後、もう一度ここに集まりましょう。戦闘はなるべく避けたいところですが、何かあったら大声を出すなり何かしらのSOSを出してください」
 一刻後、とは二時間後のことだ。
 仲間たちが全員頷くのを見届けて、ラムザの口から解散が告げられた。

…………
 街へと赴く仲間たちに混じって、機工士は先程拾ったシャルロットの杖を肩にかけて街のどこか遠景——端から見ればどこを見ているのか見当もつかない——を見つめていた。
 月明かりに照らされたその横顔は、いなくなった幼馴染みへの憂いなのか、それとも何か決意を固めているのか、どちらともとれる深刻そうな表情だった。いつもの彼からは想像もつかない顔である。
……ムスタディオ?」
 恐る恐る声をかける友に気がついた青年は、彼を見てぎこちなく笑った。
 シャルロットが消えてからというもの、彼はろくに口を聞いていない。話しかけるなという空気まで纏ってしまっているのを果たして自覚しているのだろうか。どちらにしろ、いつもと様子が違うのは確かである。
「大丈夫かい……?」
 とても大丈夫そうではないのだが、それ以外にかける言葉は思いつかなかった。
 ムスタディオは一瞬、本当に一瞬だけ困ったように目を伏せてからもう一度友を見る。そして出た言葉は、問いの返事ではなかった。
……俺、あの時計塔に行ってみる」
……!?」
 思わず耳を疑った。
 あの時計塔、とは昼間果物屋から絶対に近づいてはいけないと言われた、あの……
「で、でも……
 果物屋の男に言われた言葉が頭の中で蘇り、止めようとしたがその口は動かなかった。
 ラムザの言いたいことを察したらしい。ムスタディオはわかってる、と小さく口の中で呟いた。
「けど、シャルはあそこにいるんじゃないかって俺の勘が言ってるんだ」
「ムスタディオ……
 いつもそうだった。
 今朝も、昼間も、ずっと前からも、勝手に消えたシャルロットを見つけるのはいつも、どんな時でもムスタディオだった。彼女絡みで彼の勘が外れたことはない。自分が一番に見つけたことなんて、ただの一度もなかった。士官候補生だった頃はディリータが、傭兵だった頃はラッドが見つけていた。
 彼女の幼馴染みであるムスタディオが言うのだから、という非合理的な理由ではあるもののラムザもまた、次第にあの塔が怪しいと思い始めていた。
……わかった、僕も行く」
 その言葉に、今度はムスタディオが驚いた顔をした。
「何があるのかわからないところなんだから、きみを一人で行かせるわけにはいかないしね。後、シャルとはきみの次に付き合いが長いんだよ? きみだけじゃない、僕にとっても、彼女は大切な仲間で親友なんだ」
「おまえ……
「それに……、いつもシャルを真っ先に見つけているのはきみじゃないか。……なんだか、ずるいよ……
 自分で言って自分で驚いた。僕はずっと、そんな本音を抱いていたのかと。
 僕とムスタディオではシャルに対する感情は違うだろう。僕からすればいつもふわふわしていてなんだか放っておけないシャルは同い年だけれどなんだか妹みたいな存在で、アルマと重ねてしまうこともあった。しかし、ムスタディオは違うだろう。家族のような存在で、そして一人の女性として見ているに違いない。彼女への感情は、僕よりずっと重くて、ずっと大事な筈だ。
 それでも、たとえ比べることそのものが間違いだったとしても、僕がシャルの友達であり、大切な存在で心配であることは少なくとも同じ筈だ。
 ラムザの思いを察したのか、ムスタディオは瞬きをしてから苦笑いを浮かべて息を吐く。
「なんだよそれ」
 その声音と表情はいつもの彼のものだった。
……わかった。そんじゃ宜しく頼むぜ、隊長」
「ああ」
 ひとまずムスタディオが元に戻って良かったと、ラムザは内心胸を撫で下ろす心地だった。
 それから彼は後ろを通りがかった女騎士に気がついて呼び止めた。
「アグリアスさん、僕とムスタディオは時計塔に行ってみます。もし約束の一刻後、僕たちが戻って来なかったら何かあったと思ってください」
 彼女はすぐに驚いた——だけではなく心配と不安も入り交じった複雑な——顔をした。
「あの時計塔に? 本気か!?」
 時計塔に何があるのか、どんな不幸が起こったのかはアグリアスも承知していた。彼女の背後にいるラヴィアンも不安そうな顔をする。
「はい」
 言い切る隊の長を見、それからムスタディオを見ると彼も真顔で無言のまま頷く。二人の決意は本物だと悟り、再びラムザに向き直った。
……わかった……。くれぐれも気を付けるのだぞ」
「ありがとうございます」
 ラムザは深く頭を下げ、それからムスタディオに行こうと促し時計塔へと一歩を踏み出した。
……行かせて宜しかったのですか?」
彼らを見送ってからラヴィアンが尋ねる。
「二人を信じよう。もし彼らが危機に晒されているとわかればすぐに助けに駆け付ける。それが仲間として最大限出来ることだ」
 アグリアスは今出来うる精一杯の優しげな笑みでそう言い聞かせ、遠ざかる二つの背中を見つめていた。


  Star Of Hearts 前編 「白色矮星の泣いた夜」 了