匣舟
2025-07-13 01:35:55
2655文字
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ぜんぶ、愛のせい

同棲土井乱の話です。ワカメがぎっしり詰まった味噌汁を作る乱とそれを食べる土の話です。

ぜんぶ、愛のせい


 夕暮れのオレンジが空を染め、街路樹の葉が風にそよいでいる。仕事を終え、帰宅途中である半助は重い一日の疲れを背負いながら時折汗を拭いながら住宅街を歩いていた。駅から家までの道のりで最後の角を曲がると、自分が住んでいる部屋の明かりが見えた。
 二階の窓から漏れる暖かな光は、半助が何よりも大切で愛おしい恋人が帰ってきている証だ。先程まで仕事をして疲れていたり、暑さにやられて重い足取りだったのが、今は羽が生えたように軽い。
 半助はそんな自分の単純である心にひとりで呆れながら、岐路を急いだ。一段、また一段と階段を上るたび、今日の夜ご飯はなんだろうか?と期待に胸を膨らませ、半助の足取りはまた軽くなった。
 今なら空を飛べそうな気分だと思いながら部屋の前に着くと、ドアの前で深呼吸をする。そして、ガチャリと鍵を回しドアノブを回した。
「ただいま〜。」
 玄関で靴を脱ぎながら声をかけると、キッチンの方からふんふんふ〜んという鼻歌の後でおかえりなさい。という恋人の声が聞こえた。半助は靴を脱ぎ、丁寧に玄関の端に揃えると、少し小走りでリビングダイニングのある部屋へ向かう。
「ただいま、乱太郎。」
 キッチンにいた恋人に声をかけると、恋人は料理をする手を止めてこちらを見た。そして、おかえりなさいと優しく微笑む。半助はその笑顔を見るのがとても好きだった。仕事の疲れが吹っ飛ぶような、気がするから。
「あ、もうすぐご飯できるので手を洗ってきてください。」
 乱太郎に抱きつこうとしていた半助を阻止して、料理にまた戻った恋人に、少し拗ねた半助はわかった。と返し洗面所で入念に手を洗う。
「洗ったぞ〜。手伝うことはあるか?」
「ううん、大丈夫です。椅子に座ってて下さい。」
「わかった。」
 乱太郎がいるキッチンへ戻ると、すっかり配膳の準備は出来ていてあとは味噌汁をよそうのと、ご飯が炊きあがるのを待つだけになっていた。半助がテーブルについて待っていると乱太郎がおかずと味噌汁を持ってきた。それと同時に炊飯器から炊き上がったことを知らせる電子音が聞こえてくる。
「炊けたな。よそおうか?」
「いいですよ。半助さんは座っててください。」
 お仕事でお疲れでしょう?と笑った乱太郎は先に半助のご飯をよそって置いて、半助の向かいに自分の分のご飯と味噌汁を持ってきて座った。
「いただきます。」
「はいどうぞ。」
 乱太郎が作ってくれた今日の晩ご飯は肉じゃがとほうれん草のおひたしと豆腐が乗った和風サラダにワカメと豆腐の味噌汁だ。豆腐は、乱太郎と半助がよく知っている豆腐を愛する生徒がご贔屓にしている豆腐屋さんのものらしい。半助はいつも最初に味噌汁から手をつけるので、汁椀を手にしようとすると乱太郎から待ってください。とストップがかかった。
「ん?どうした?」
あの、えっと……。」
 言いにくそうに頬を掻いているので自然と味噌汁の方に目線を向けると、乱太郎が恥ずかしそうにしている理由が分かって、半助は少し笑った。
ああ、またやったのか。」
「ご、ごめんなさい……。」
 またやっちゃいました。と申し訳なさそうな顔をしている恋人の目線の先にあるのは、ワカメがぎっしりと詰まった味噌汁だった。乱太郎は半助と暮らすようになってから、ズボラな半助にちゃんと健康に良い食事を摂ってもらいたいという想いからよく料理をするようになった。
 実家で暮らしていた時も乱太郎は料理をしていたのでできないことは無いのだが、不摂生な半助のために週末に実家に帰って両親に料理を教えてもらい、今では和食・洋食・中華でもなんでも作れるようになったのである。
 そんな料理の腕前がピカイチになった乱太郎だが、未だにワカメの味噌汁を作る時にワカメの膨張率を間違えてしまい、毎度の如くワカメがぎっしりと詰まった味噌汁が食卓に並び、その度に恥ずかしそうに謝ってくるのだ。しかし、その落ち込んでしゅんとしている姿がとても可愛くて半助はこの味噌汁が好きだった。
ほんとに不思議ですよね。味噌汁に入れてしばらく置いておくとあんなに増えるなんて……。」
 首を傾げながらいっぱいのワカメを頬張る乱太郎に半助は笑みを零しながら、乱太郎の入れてくれたワカメがぎっしりの味噌汁を口に運んでこう言った。
「そうだなぁ。私は乱太郎の愛情も沢山入ってるからだと思うけど」
「そうですか……って、はぁ!?」
 半助の言葉に恥ずかしそうにしていた乱太郎だったが、半助の最後の言葉を聞いて顔を真っ赤にして慌てふためいた。
「いやだって、私が喜ぶと思って入れてくれてるんだろう?」
「そ、そりゃそうですけど。」
 そう言って俯いてしまった乱太郎を見て半助はクスッと笑うと再び箸を持ち直して食べ始めた。
「そんな顔するなよ。かわいいなぁ、おまえは。」
「もう!やめてください!」
「ふふ、すまん。」
 照れ隠しのように怒ったふりをしている恋人の頭を撫でるともっと赤くなって可愛らしい。半助は乱太郎と過ごすこんな日常がとても幸せだと思っているし、何よりこのワカメの味噌汁が好きだった。毎回ワカメが多いだけで味は文句なく美味しいし、乱太郎が毎回可愛い顔を見せてくれるから半助は毎日がワカメの味噌汁が出てきて欲しい。と思っているほどだ。
 まあ、それを乱太郎に言ってしまったら怒られるだろうから言わないけれど。
「ご馳走様でした。美味しかったよ。」
「よかった。お粗末さまです!」
 ふたりで食器をシンクに下げると、半助は乱太郎の肩を抱き寄せてそっと額にキスを落とした。
明日も楽しみにしてるよ。」
 私のためにいつも作ってくれてありがとう。と次は頬にキスすると、みるみる乱太郎の顔が赤くなっていた。それに微笑んでいると、いつの間にか乱太郎が半助の唇にキスをしていた。
楽しみにしててください。」
 乱太郎は半助の言葉に応えると、半助からの仕返しを恐れたのか明日は洋食ですからね!私、お皿洗ってきますね。と言ってそそくさと逃げるように台所へ行ってしまった。その反応に半助は愛おしさを感じながら彼の後ろ姿を目で追いかけていた。
(ああ可愛いなぁ、仕返しは後でしようか。今日はたっぷりと時間があるし。)
 何もしてこないと安心しきって、隣に座ってきたら唇でも塞いでやろう。そんなことを思いつつ半助は食後のコーヒーを淹れる準備を始めるのだった。