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柚子子
2025-07-11 21:07:31
8476文字
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Dog Days of Summer
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Dog Days of Summer (2)
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黒尾とはじめて話をしたのは、高校一年生の春。けれど黒尾という男子を最初に認識したのは、それより前、たしか中学三年生の冬のことだったと思う。
都立音駒高校の推薦入試の日。黒尾と私はその日、入試の個人面接前の控え室を同じくしていた。
入試とはいうものの、その日の私はそれほど緊張していなかった。もともと私は緊張というものをあまりしないたちだ。加えて周囲の受験生たちはみんな、はたから見てそうと分かるほどに緊張しきっていた。周囲の緊張を感じ取った結果、私はかえって平静を保てていたのだと思う。
控え室として開放された教室で、自分の受験番号が呼ばれるのを待ちながら、私はそれとなく周囲の受験生を観察していた。推薦入試だけあって、誰も彼も素行がよさそうな優等生然としている。彼らから見れば、私もそう見えているのだろうか。
そのときだった。教室内を巡らせていた視線がふと、ひとりの男子生徒の横顔に縫いとめられた。優等生集団のなかにあって、彼はほんの少しだけ、異質な雰囲気を纏っていた。
その男子生徒こそ黒尾だった。
黒尾はその日、その教室内の誰よりも身長、というか座高が高かった。漫然と周囲を眺めていた私が黒尾に目を留めるのも、だから当然といえば当然のことだったのかもしれない。
あんなに身長が高いんだから、スポーツ推薦でもおかしくなさそうなのに。
そんなふうに思ったことを、妙にはっきり記憶している。音駒はスポーツ推薦で生徒をとるような、部活強豪校ではなかったはず。体格をいかすならば、もっとほかに適した高校がありそうなものだと、そう思った。
まあ、体格がいいからといって、スポーツ少年とはかぎらないか。
しばらく黒尾の横顔を眺めながら、私はそんなことを考えた。あるいは学外でスポーツをしていて、進学先は学力に見合う相応の学校に決めたのかもしれない。そうであるなら、彼はよほどハイスペックな男子ということになる。
音駒は都立校のなかでも、比較的偏差値が高いことで知られる。推薦入試を受けようと思ったら、学力も内申点も相応の数字が必要だ。
彼は体格に恵まれて、学力にも恵まれて、地元中学から推薦してもらえるだけの素行の良さもあるのだろう。そういう人もいるのだと思うと、感心せずにはいられなかった。
こうして思い返してみると、結構長い時間にわたって、私は黒尾の横顔を見つめていたのかもしれない。もっとも、黒尾は緊張しきった顔をしていたし、周囲を観察する余裕なんか少しもなかっただろう。私のことなど覚えていなくても無理はない。事実、入学後に同じクラスになった黒尾は、入試のときのことなど一言も口にしなかった。
それでも黒尾と私がトントン拍子に仲良くなれたのは、私が黒尾に近づきたいと思ったから。もっと平たく言えば、入試のときに見た男の子をかっこいいと思って、ちょっといいなと私が思っていたからだった。
私はあの頃、黒尾を好きになりかけていたのだと思う。
しかしその恋心の稚魚は、度重なる黒尾からの完全お友達扱いによって、わりと早々に私の胸の奥底にしまいこまれた。びっくりするくらい脈がない相手に、見込みのない恋心を抱き続けるなんて、そんな不毛なことをする気もない。
私は黒尾への恋心を、一年の夏休みを迎える前にはなかったことにした。そうして黒尾のお友達扱いに乗っかって、一番仲良しのお友達でいることを選んだのだ。
……
だというのに、それがまさか、こんなことになろうとは。
意味が分からなさすぎる黒尾の告白を受けた日から、私はひとり頭を抱え続けていた。
告白の返事なんて「ありがとう、私も黒尾のことか好きです」以外にありえない。それなのに、告白の返事をさせてもらえないだけでなく、私が片思いされる側みたいになってしまっているのは、一体全体なぜなのか。
夏休みが始まった。またメールをすると黒尾には言ってあるけれど、夏休み開始から三日経ってもまだ、私は黒尾に連絡していない。黒尾からも今のところ連絡はない。
そもそも黒尾は夏休みが始まるのとほとんど同時に、一週間にも及ぶ他校での合同合宿に突入している。合宿中でも連絡していいとは言われているけれど、わざわざ用事がないのに連絡するのもなと思い、なんとなく遠慮している状態だった。別に告白云々を気にして、連絡が疎かになっているわけではない
……
と自分では思っている。
私と黒尾は普段から、それほどまめに連絡を取り合う仲でもなかった。休日に遊びに行くことはあっても、用事がないのにメールを送ることは滅多にない。
用事さえあればメールなり電話なりするし、そうなればついでに暇つぶしがてらの雑談が数往復することもある。この二年間、私たちはずっとそんな感じの付き合いをやってきていた。それをちょうどよく感じてもいた。
それなのに告白されたからといって、いきなり用もないのにメールを送るというのも一体どうなんだろうか、とか。そういうことを、思ったりして。
もちろんそんなことを思うのは、自意識過剰の勘違い女でしかないのかもしれない。けれど如何せん、この手の話に私は不慣れだ。考えれば考えるほどよく分からなくなってしまう。
黒尾への恋心未満の何かをしまいこんだ高一の夏から、私は完全に恋愛というものから遠ざかっている。それまで彼氏がいたというわけでもないから、私の経験値はせいぜい中学生と同等だ。そんな私に、こんなややこしい状況を好転させられるとは思えない。
「
……
はーぁ、ねぇ」
誰にも聞こえないくらいの小さな声で、そっと溜息を吐き出した。夏期講習の合間の休み時間、教室内はどこか倦んだような空気で満たされている。その空気を肺いっぱい吸い込んで、私は窓の外に視線を投げた。
舞い上がった砂埃が日光を受け、校庭は白くけぶって見える。この暑いなか運動部が白球やらサッカーボールやら、それぞれお好みのボールを追いかけているのが見えた。
そこまで考えて、私は思わず苦笑いをした。
こういう言い方をすると、またぞろ黒尾から「スポーツに興味関心がないやつのコメントすぎるだろ」などと言われかねない。そんな黒尾も今頃は、自分の好きなボールを追いかけているのだろう。
今日あたり、一回メールしてみようかな。
黒尾が合宿を頑張っていることは知っている。そうだろうなと想像しているという意味ではなくて、実のところ黒尾の合宿先には、私のスパイがひとり入りこんでいるのだった。なので、黒尾本人にメールを送るよりもっと気楽に、私は黒尾の近況を入手することができる。
そのスパイに『黒尾どうしてる』と昨晩聞いたら、『バレーしてる』と返事があった。そりゃそうだろ。
「
名前
ちゃんの席暑くない? 直射日光がんがん当たるじゃん。日焼けしそー」
同じ講習を受けていた知り合いが、机の隙間を縫うようにしてこちらに歩いてくる。講習の席は事前に決まっており、私は教室の角、窓側の一番後ろの席を割り当てられていた。
「もうちょっと暑くなってきたらカーテン引くよ」
「そうしなー、ずっとこんな席座ってたらあっという間に黒くなるよ」
顔をしかめながら言うと、彼女はあいていた私の前の席についた。そうしてから半身でこちらを向くと、
「夏休みだってのに、夏休みっぽいことが一個もない!」
脈絡なく不満をこぼし始める。夏休みが始まってまだ三日。その手の文句を言うには少し時期が早すぎるような気もするけれど、彼女の頭はすでに夏休みを楽しむことでいっぱいらしい。
「夏休みっぽいこと、あるじゃん。今とかまさに、夏期講習やってるし。夏休みらしさ満点」
「それ本気で言ってるなら、
名前
ちゃんはもう二度としゃべらないで」
「言葉が強いなー。機嫌悪い?」
「夏休みなのに一学期と同じ時間に登校して、みっちり数Ⅱばっかり三時間やらされて、それで機嫌いいわけない」
ふくれっ面の彼女に、私は「まあねぇ」と相槌を打った。夏期講習は通常授業より一コマの時間数が長い。うんざりする気持ちも、まあ分からなくはない。
「でも午後からはリーディングじゃん。よかったね」
「よくはないでしょー
……
」
と、そこで彼女は
項垂
うなだ
れかけていた上体をがばりと起こすと、元気よく私の顔を覗き込んだ。
「そうだ、黒尾に夜久くん元気か聞いてよ」
「なんで。嫌だよ、自分で聞けばいいじゃん」
「いや普通に考えて、黒尾にメールしたことない私が、急に『やっほー、夜久くん元気?』とか送るのおかしいでしょ」
「そう? 黒尾だし普通に返事くれると思うよ」
「くれはするだろうけど」
「というか黒尾にメールしたことないんだ」
「わざわざ黒尾にメールする理由も用事もない」
ばっさりと切り捨てるような物言いに、思わず笑ってしまった。別にこれといって酷いことを言っているわけではないはずなのに、そこはかとなく黒尾が不憫になる物言いだ。
「黒尾と仲悪いの?」
私がそう聞くと、
「いや?」
彼女は真顔で首を傾けた。「本当に文字通りの意味で、メールするような理由がないってだけ。わざわざメールで雑談するような仲でもないし、なんか分かんないことあって緊急で誰かにメールで確認するとかのときは、普通は女子に聞くでしょ」
「そう? 私は黒尾に確認すること多いけど」
「
名前
ちゃんはね。黒尾と仲良いから、そりゃそうなるでしょうよ。だってたしか二人、修学旅行も一緒に回ってなかった?」
「よく知ってんね」
「あれでなんで付き合ってないんだろうねって、みんな言ってたよ。何なら今も言ってるし」
そう言われていたことは私も知っていた。私自身、そう思わなかったわけではない。ただ、黒尾は普段から私と一緒にいることが多いし、私も一番の友人として黒尾を挙げることが多い。だからなんとなく、そういうものかと受け入れていた。
何より、修学旅行を黒尾と一緒に回れるのが、そのときの私は単純に嬉しかった。だからその嬉しさに余計な水を差すようなことは、極力考えないようにしていたのだ。
うっかり告白なんかしていたら、こうはならなかっただろう。早々に友情路線に切り替えておいてよかったな
……
なんて、当時はしみじみ思ったものだ。事情が変わった今となっては色々思うこともあるけれど、そのときは本当に、心底からそう思っていたのだ。
黒尾とつるむのに、恋人である必要はまったくない。黒尾と一緒にいるというだけで、私にとっては十分すぎるほど気楽で面白いことだった。だから別に恋心が実らなくても、いっそ最初から恋心などなかったことになってすらも、それはそれでいいかと思っていた。
今にして思えば、あのとき黒尾はどういう心持ちだったのだろう。思い返してみるけれど、特に変な雰囲気になった記憶はなかった。ということは、あのときはまだ、黒尾は私のことを好きじゃなかった? うーん、よく分からない。
ひとりで首をひねってみるけれど、これといって過去の黒尾の態度に不審な点を見出すことはできなかった。思索にふけるのは諦めて、私は視線を友人へと戻した。
「まあでも、ほら。今は黒尾にメールする用事もあるじゃん。夜久くんの近況聞きたいんでしょ? 聞きなよ」
私が言うと、友人は顔をしかめて自分の携帯を見た。
「夜久くんの近況聞く前に、いったん黒尾への用件を考えるのが面倒」
「別にいきなり夜久くんの近況聞いてもいいと思うけど」
「それは
名前
ちゃんと黒尾の関係値だからそう思うのであって、私と黒尾の関係値では無理な話なんだって」
そうだろうか。私がいきなり夜久くんの近況を聞くのだって、十分おかしなことのような気がする。私と黒尾の関係値がどうこうではなく、私と夜久くんの関係値の問題で。
「ねー、おーねーがーいー、夜久くんの近況聞いて。あとできれば写真も送ってって言って」
「写真は無理でしょ。まあ、近況くらいはいいけど、でもすぐには返事来ないと思うよ。合宿中は全然携帯見ないって、前に黒尾が言ってたもん」
「最速でいつ返信くる?」
「お昼かな」
「じゃあそれでいいです。それでいいから黒尾にメールして」
「偉そうだなぁ
……
」
ぼやきつつ、私は新規メール作成画面を開いた。もっとも、口で文句を言うほどには面倒がってもいない。友人のおかげで黒尾にメールする口実ができたと思えば、ラッキーだと言えなくもない。
『やくくんは元気?』
それだけ打ち込んでから、一度読み返す。これではあまりにもそっけなさすぎるだろうか。メールの意図が意味不明である以上に、可愛げというものがないかもしれない。でも私が絵文字とか使うタイプじゃないことは、黒尾だって知っている。可愛げがあるメールなんか送ったら、それこそ変に意識していると思われかねない。変に意識しているのは事実だとしても。
しばし悩んだのち、私はぽちぽちと文章を付け足した。どのみち相手は合宿中だ。どうでもいい話や可愛いメールをするのは今ではない。
『やくくんは元気? 合宿がんばれ』
たったそれだけの文章を三回読み返してから、私はメールを送信した。
☼
午前の練習を終え、食堂へと移動するさなかに携帯を確認し、俺は思わず不機嫌な声を出した。
「はーぁ??」
俺の声につられてか、リエーフと夜久がこちらを向く。「なんでもない」と一言告げてから、俺はもう一度視線を携帯の画面に移した。
土日が明け、合宿が始まって今日で三日目。今回の合宿は一週間だから、スケジュール的には折り返しというところだ。
合宿のため森然にやってきてからというもの、俺はらしくもなく、練習の切れ間になるたび携帯を確認している。もちろん練習中に雑念を抱きはしないし、合宿に全力投球しているという自負もある。
しかしひとたび練習が途切れると、意識はどうしたって携帯に向かった。夏休み前、わざわざメールしていいか聞いてきた
苗字
のいつになくしおらしい様子を思えば、そうなるのだって仕方ないことなんじゃなかろうか。ついついそんな言い訳をしてしまう。
が、終業式以降、
苗字
からの連絡はなしの
礫
つぶて
。これはもしや、こっちからメールを送らないと来ないやつか? と思った矢先の、
苗字
からのメールだった。俺が心の中でガッツポーズをしたことは言うまでもない。
にもかかわらず。
送られてきた文章はといえば、『やくくんは元気? 合宿がんばれ』である。『やくくんは』と来たものだ。どういうことなんだと、溜息のひとつだって吐きたくなる。
そりゃもう、夜久くんなら元気ですよ。今日もおかげさまで絶好調ですとも。主将としてもありがたいことこの上ないですよ。
で、俺は?
がんばれはともかく、俺の近況は聞かなくていいのかよ? 俺への興味がゼロか? 俺、数日前にあなたに告白したんですけど。
いやまあ、
苗字
からメールが来ただけでも、本来ならば十分すぎるほど嬉しいことではある。何せ
苗字
は業務連絡しかしてこないようなやつだから、『がんばれ』の一言をもらえただけでも奇跡的だ。なんなら『がんばれ』の後ろにハートを幻視することだって、ちょっと頑張ればできるかもしれない。
それでもメールの第一声、正確には一単語目が『やくくん』ってなんなんだ。しかも平仮名。可愛いかよ。
「おい黒尾、なにを携帯に向かってメンチ切ってんだ」
寄ってきた夜久が俺のわき腹を小突いた。お前のことで悶々としてんだよ、と言うわけにもいかず、俺は釈然としない気分で携帯をポケットに戻す。
「
苗字
から、夜久は元気かってメール来た」
「
苗字
さん? なんで
苗字
さんが俺の調子を気にするんだよ」
「そんなこと俺が知るか」
我ながらふてくされた物言いになる。夜久は俺が
苗字
を好きだなんて知らないが、この際バレても構わなかった。夜久は
苗字
相手に余計なことを言うタイプじゃないし、今後もし俺が
苗字
に振られたとしても、俺がひとりで恥をかくだけだ。
苗字
さんなぁ、と夜久が呟く。
「そもそも夜久と
苗字
って接点あんの?」
「廊下ですれ違ったら挨拶くらいするけど」
「逆になんで挨拶する程度の付き合いあるんだよ」
「そりゃいつもお前の横にいる相手を、毎回毎回無視すんのも変だろ。向こうも同じ感じで俺に挨拶してくるんだし」
言われてみればその通りだ。俺だって
苗字
の女子の友達とはそれなりに面識があるし、すれ違ったら挨拶くらいするようにしている。場合によっては立ち話することだってある。
「つっても黒尾のでかい図体のせいで
苗字
さんが見えないときあるし、そういうときは無視してるみたいになるけどな」
と、俺と夜久が
苗字
の話をしていると、
「
苗字
さんって、黒尾さんと仲いい女の先輩ですよね?」
夜久の後ろにいたリエーフが会話に混ざってくる。
「リエーフまで知ってんの?」
「なんとなくですけど。同じクラスの女子が、黒尾さんと
苗字
さんって付き合ってるのかなって話してました」
「え、俺って一年の女子にモテてんの? そういう話?」
「いや全然! じゃなくて」
「おい。じゃなくてってなんだ、じゃなくてって」
「
苗字
さんの方にきゃあきゃあしてる? っぽかった? かもです!」
「あー、そういうノリ」
リエーフの言葉に、得心がいった。
「まあ、美人だもんなぁ。
苗字
さん」
夜久もしみじみとうなずく。その様子を見て、俺は何とも言い難い気分になった。
そう、何を隠そう
苗字
は可愛い。系統でいえば美人というほうが正しいのかもしれないが、外見だけでなく内面までひっくるめると、やはり可愛いという方が
苗字
にはしっくり来ると俺は思っている。
しかしここで重要なのは、
苗字
が可愛い系なのかきれい系なのか、ということではない。重要なのは、
苗字
が人並み以上にモテる女子だということだ。
そしてそれこそが、俺にここまで『守り』を徹底させた要因ともいえる。
忘れもしない高一の一学期
……
、あれはたしかゴールデンウィークを目前にした頃だったか。
苗字
は当時のクラスメイト男子のひとりから、かなり唐突に告白された。その告白を
苗字
が退けたのは言うまでもない。
苗字
は丁重すぎるほど丁重に、入念なお断りを告げた。そしてそののち、一年後にクラス替えを迎えるまで、
苗字
はその男子を徹底的に避けまくった。それはもう、他人事ながら見ているこちらが若干気の毒になるほど、徹底した避けっぷりだった。
今思えば、あのとき告白したやつは告白するにしたって時期尚早すぎだった。深く知り合うこともなく、
苗字
の見た目だけで気持ちを盛り上げ、挙句暴走していたのは誰の目にも明らかだ。
ただ、その一件があって以降、
苗字
にちょっかいをかける男子は激減した。そのくらい、ちょっと怯むくらいの
苗字
の避けっぷりだったのだ。その後、
苗字
の横を俺が陣取るようになってからは、その手の男子は完全に滅亡したといってもいい。
告白して玉砕した男と、友達として隣を陣取る俺。完全に明暗分かれたコントラストが、その手の男の意気を挫いていたことは想像にかたくない。
もしも
苗字
に、彼氏をつくろうという気が少しでもあったなら、話は多少違っていたのかもしれない。もしもそうであったなら、
苗字
の横にどんと陣取る俺のことを、ほかならぬ
苗字
本人が疎ましく思うこともあっただろう。
しかし幸か不幸か、
苗字
にはそういう気が微塵もなかった。男を引き寄せたい理由も必要も、
苗字
にはまるでなかった。そこに俺は、まんまとつけこんだ。
苗字
はむしろ、俺のことを体のいい虫よけくらいに思っているのではないだろうか。であれば、俺が虫よけ扱いに甘んじて乗っかるのも、当然の決断だ。俺が巧妙に下心を隠していたのは、そういう事情もあってのことだった。
もっともその決断をしたときには、まさかここまでの長期戦になろうとは、まったく思いもしなかったのだが。
「
苗字
さんと黒尾だぞ。付き合ってるわけねーだろ、だよな?」
夜久が俺を仰ぎ見て問う。まったく邪気のない、心底からそう思っているだけというような問いに、俺は苦虫を噛み潰したような顔になった。
「なんだその腹立たしい断定。事実ですけど」
その事実だって、今はまだ、というだけのことだ。今に見てろよ、と俺は内心で反論した。
ひとまず、昼飯を食ったら
苗字
に返信しよう。夜久の調子が絶好調であること、俺も絶好調であること。
食堂に入ると、早くも飯を食い終わったらしい梟谷の木葉が、険しい顔で携帯を睨みつけていた。
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