もち粉
2025-07-11 19:49:30
6838文字
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虹の橋はまだ遠く


カブミス
フレキ視点

「手を伸ばすにはやや遠い」の続き
これだけ読んでも大丈夫
カブはもう自覚済
フレキは島主の所で「ちゃんと食えてるのか?」ってお姉さんぽかった時のイメージで書いてます

黒い巻き毛、青の瞳。ご主人に寄り添う子犬のように、あるいは静かに深く見守る老犬のように。フレキから見たカブルーは、まるで大きな犬のようだった。
王宮で働いているはずのその犬は、夜半にミスルンを訪ねてきては、他愛ない話をし、講義を受け、ご主人に撫でてもらうのを期待するようにミスルンを見つめていた。

 *****

メリニの市場をフレキは歩く。
とりどりの天幕の内、野菜や布や小間物たちが色の洪水となって瞳になだれ込んでくる。ミスルンに身柄を引き受けられた当初は、こんな未開の地に残るのかと絶望したが、この発展の早さなら悪くない。

青い空、白い雲。
嘘みたいに青い空に、真っ白な雲がぽかりと一つだけ浮かんでいた。

買い物を済ませて、市場の外れの広場に待たせていたミスルンを迎えに戻ると、彼は大きな木にもたれてだらりと座っていた。

光る梢、木漏れ日が散る。
その姿にどきりとする。あの日の空もこんな、作り物みたいな青だった。

悪魔の消失したあの日、フレキの上司は空っぽになった。

麻薬を買う金欲しさに、古代魔術に手を出して、代償に耳を切られてカナリア隊に送られた。厄介者揃いのその隊で、フレキが会ったのは、彼らを率いるミスルンという、一際変わった上司だった。
かつて悪魔に欲を食われて、たった一つだけ食べ残された、悪魔への復讐心だけを原動力にして生きていた男だ。

あの日。今日みたいなこんな、風の気持ちのいい日。悪魔の消えた日。
最後に残った欲も失ったミスルンは、今みたいに木に背中を預けて座っていた。いや、転がっていたのをリシオンが運んで座らせてやったんだっけ。

シスヒスは膝の上に顔を伏せてしまい、オッタは唇を噛んで立ち尽くす。
パッタドルは忙しく本国と連絡を取り、副隊長のフラメラと話しながらも、合間合間にミスルンの様子を見に戻る。
私はリシオンと二人で、隊長を挟むように座って時々声をかけていた。

あの日、彼には誰の言葉も届かなくって、みんな心配してたのにさ、隊長はカブルーの言葉で帰ってきた。あいつが吠えて唸って、くぅんと寄り添い体を寄せてやったら、子犬の頭を撫でてやるように、ミスルンはカブルーの手を取ったのだ。

「隊長!買い物終わったぜ!」
思わず、必要以上に大声で呼び掛けると、普通に首を動かして、石炭の断面みたいな目できろりとこちらを見上げてきた。
「もう隊長ではないと……
「いーじゃん、なんか"たいちょー"って感じなんだよ」
「そうか」

立ち上がったミスルンの首筋に汗が光る。外で待たすには今日は暑かったか。水分を補給させないと。日陰を選んで歩きながら話を続ける。

「迷宮調査も大規模な時は、本国からあいつら呼び寄せれるんだろう?なら隊長でいーじゃん」
「まだ調整中だ、わからない」
「決まるといいよな。てゆーか、大規模じゃなくても呼んでくれよ。蘇生術もなしに二人で探索とか無茶だって」
「死ぬ前に、回復魔法をかければ良い。私が使える」
「いや、そーいう問題じゃねぇよ」

「あー、果実水売ってんぜ。隊長、奢って」

黙って財布を渡してくるので、嬉々としてお使いに行く。金払いがいい所はこの上司の長所だ。あとはもう少し、人間らしさを取り戻せればいいのだが。すでに悪魔はいないんだから、第二の人生楽しみなよ。

迷宮探索なんて止めて、悠々自適の貴族暮らしがオススメだ。犬でも飼って、暮らしなよ。パッタドルも提案してたし。
いやでも、日差しの中、芝生で犬と遊んでる隊長とか想像できないな。

犬なら自分も子どもの頃に飼ったことがある。白くてふわふわで可愛くて、こっそりベッドに入れて、毎日一緒に寝てたのに、びっくりするほど早く死んでしまった。けれど一緒にいた時間は確かに楽しかった。
だから、犬を飼うって悪くないと思うんだけど。

短命の生き物たちは私たちの人生を一瞬だけ彩り、あっという間に通り過ぎてゆく。私たちは取り残され、やがてそんな存在がいたことすらも忘れてゆく。
あの白い犬、どんな瞳の色だったろうか。

そういえば、誰に聞いたんだっけ?ろくすっぽ通わなかった学校の教師にだったかな?
仲良くなった犬は、虹の橋を渡って、天国の手前の草原で、私たちがその橋を渡る時まで、待っているそうだ。

甘ったるい話だよな。
でもまあ。そう思うのは悪くなかった。

――まあ今も、犬なら飼ってるようなもんだよね。
黒い巻き毛で、青い目をしたデカい子犬。

 *****

果たして隊長の子犬は、今夜もやってきた。まるでご主人のもとに喜び勇んで走ってくるように。
「お前、最近ちょっと来すぎじゃね?ほぼ毎日じゃね?」
「そんなことないですよ、週に1回くらいでしょう。エルフの感覚からしたら頻繁になるでしょうけど」
「頻繁って解ってて来てんのかよ」

苦笑するカブルーが、いつもの応接室へ行こうとするのを止めて、階段に足をかける。
「今日からこっち」
「え?」
「お前が、あんまりしょっちゅう来る上に、最近じゃ荷物置きっぱなしにしてマーキングしていくからよ。とうとう掃除係のメイドから苦情が出たんだよ。そしたら隊長が今度から自分の私室に通せって」
「私室……!」

見えるぜ、カブルーの背後に花が。ぱあぁって。本当に犬なら、しっぽブンブンしてる所だろ。はいはい、よかったな、ご主人さまのお部屋に入れてもらえて。
「たいちょー、カブルー来たぜー」
雑にドアをノックして、犬の訪いを告げた。

 *****

「うわ、こんな時間じゃん」
廊下の時計で気がついた。ミスルンの就寝時間を四半時ばかり過ぎていた。常なら彼の様子を確認に行き、必要ならば、再収監前のシスヒスに叩き込まれた眠りの魔法を掛けてやる時間だった。

「あれ?カブルーのやつ、帰ったか?」
通常ならミスルンの持つ懐中時計がちりんと鳴って、就寝準備を始める時間を知らせるのを合図にカブルーも席を立つ。
二階にいられると、様子が分からなくて困る。

フレキが階段を昇っていくと、ちょうどカブルーがミスルンの部屋から出てきて、静かにドアを閉めたところだった。

気配を察して振り向いたカブルーが、そっと人差し指を唇の前に立てる。その顔はなんだか、愛おしいものを見ているかのようだった。
「今、ミスルンさん寝付いたところなんで。俺もこのまま失礼します。おやすみなさい」
「あ、ああ……
なんとなく気圧されて、そのまま階段に立ちつくして見送った。いつもなら、もう遅いから馬車を出すかって聞いてやるところだった。毎度子どもではないからと断られるが、フレキからみたら、22歳のカブルーなんて、てんでガキンチョだったから。

でもなんか、今のはさ。なんかさ。
しーっとやったカブルーの笑みに、なんとなく。
その日からフレキは、馬車はいるかとは聞かなくなったし、カブルーはどんどんミスルンの生活に入り込んで来るようになった。

 *****

以来、黒犬は昼間や休日の朝にも来るようになった。一度来たら、先日のようにミスルンを寝かしつけるまで帰らない。

前からだけど、この家でカブルーはすでに客人扱いされてないので(来すぎなんだよ)隊長はカブルーを置いて風呂に中座する。またびしょびしょで出やがった。手巾を持って追いかけたけど、私室の中ならメイドに頼んだほうがいいだろうか。部屋の前で一瞬考えていたら、ドアが空いてカブルーが顔を出し、俺がやっときますよと、手巾を取り上げ、また閉められた。

最近じゃ、ミスルンの世話のほとんどをカブルーがやるものだから、フレキはすっかり手持ち無沙汰だ。元々ミスルンの迷宮探索が始まったらの随行員の予定で引き取られたのだ。まだ各所調整中の現在、屋敷のほかの使用人たちのように、決まった仕事もなくって、なんとなく身の置き所がない。
クスリをキメて、「本当の世界」へトリップしたいところだが、あくまでミスルンの監督下での自由。刑期は残っており、問題を起こせば牢屋に逆戻りだ。


「お前ほんとに来すぎだぞ」
ドアを開けて、思わず半眼になったフレキに、最近ますます訪問頻度を高くしているカブルーが、苦笑いして頬を掻く。
「あんまりお前が来るからさ、来ない日は隊長がなんか、そわそわしてる」
「えっ!」
嬉しそうにすんな、バカ。

既に勝手知ったるとばかりに、案内人より先に立って2階に上がろうとするカブルーの背中に声をかける。
……あんまりさ、お前がいるのが隊長の当たり前にしないで欲しいんだ」
「フレキ?」

振り返ったカブルーに、私の顔はどう見えていただろうか。
「だって……」 
だってお前短命種じゃん。
喉まで出かけた言葉は、2階から降ってきた深くて低い声に遮られた。

「カブルー」

隊長が、自室のドアから顔を出している。出迎えなんて、したことなかったろ、隊長。

口元に手をやって表情を隠して、言葉に詰まった私を見ていたカブルーは、視線を2階に転じて明るい声を出す。「こんにちは、ミスルンさん」ご主人に呼ばれた犬のように、軽やかに階段を駆け上がる。

「うん」
短く返して、カブルーを自室に招き入れるミスルンの顔は、ほんのわずかに微笑んでいた。

なあ、今の。ほかの奴らが見たらどう思うかな。
リシオンは面白くないだろう。ちょっと関わったくらいで隊長の理解者ぶるなとカブルーの事を気に入っていなかった。
シスヒスはどうだろうか。結局私らの中で、一番隊長の事好きなのあいつだもんな。でもシスヒスは意外とカブルーの事、一目置いてたようにも思う。あの日、空っぽの隊長にカブルーが声を掛けるのを許可したのはシスヒスだった。
オッタはどうだろ。短命種を恋愛相手に選ぶオッタだから、カブルーを応援するかもしれない。

犬はかわいいよな、わかるよ隊長。自分に懐いて、全身で大好きと訴えてくるならなおさらだ。
でもさ、隊長。犬をなでるなら、これは一時のぬくもりだとわかっておかなくちゃ。

夕暮れの街、金色のひかり。
あかがね色に染まる部屋の中、窓際に背筋を伸ばして座っているミスルンの瞳が門の前に人影が差すたび、わずかにゆれる。

そんなんしてたら、まるで隊長の方がご主人さまの帰りを待ってる犬みたいだ。

……思い出した、あの白い犬。真っ黒でくりくりした瞳で私を見つめてくれたんだ。

 *****

なんとなくあれから気まずくって、カブルーとは顔を合わせていない。

イヤな感じはしてたけど、やっぱりどっか油断してた。私らエルフが短命種を相手にすることは基本ない。
オッタみたいのが例外で、彼女たち短命種は、私たちが思うよりもよっぽど成熟してるなんて力説するけど、実際22歳なんて赤ん坊じゃん?それこそ犬みたいなもんだよ。そのぬくもりに心慰められることはあるけれど、私たちとは違う生き物だから、恋愛なんて考えられない。
犬好きで家族の一員ってやつは理解できても、犬と本気で結婚するやつがいたらドン引くだろ?そういうこと。

隊長だってそうだと思ってた。

 *****

澄んだ空気、ひばりの声。
朝もやの中、露に濡れた草を踏んで、ざかざか歩く。
昨日は昼からカブルーが来てたもんだから、逃げ出すように大使館の方に顔を出したのが間違いだった。パッタドルに捕まって、夜遅くまでこき使われて寝落ちして、気がついたら明け方だった。
ちくしょーパッタドルのやつ、まだ自分が私の担当看守のつもりでいやがるな。

館の門扉に手をかけた時、玄関の扉が静かに開いた。まるで人目を忍ぶように出てきたのが、その褐色の肌と巻き毛でカブルーだと気づいた瞬間、咄嗟に門柱の陰に身を隠した。

カブルーは屋敷の中に向き直り、小さな声で誰かに言葉をかけている。普段カブルーを見送るのは私かメイドだ。隊長はカブルーを玄関まで見送ったことはない。でもメイドにあんな甘やかな調子で話しかけはしないだろう。
門柱の陰からそっと覗けば、予想に違わずミスルンだった。しどけない寝間着に上着を羽織り、いつも白い頬には赤みが差している。その頬に手を滑らせたカブルーに合わせて顔を傾けたミスルンの、石炭を割ったような黒い瞳に朝日が入って銀色に光る。
見てはいけないものを見たような気になって、思わず門柱に置いた指先に力が入って息を殺す。

名残惜しげに手を離し、背を向けて歩き出したカブルーに、追いすがるように隊長の指先がぴくりと動く。
その手をすっと胸元に引き戻して目を伏せた隊長は、もう一度だけカブルーの背中に目をやり、そっとドアを閉じた。

一方でカブルーは門扉をくぐって外に出た。当然門柱の陰の私と鉢合わせだ。きっと信じられないような顔をしていた私に向かって、カブルーという男は「しー」っと人差し指を立てて見せた。
その微笑みは、秘密の共有者への親密さを伺わせるようでもあったし、油断していた私を嘲笑うかのようでもあった。

ふらふらと屋敷に入ったら、階段の昇りかけで振り返った隊長と目が合った。「フレキ」
まだ部屋に戻ってなかったのかよ、せっかく100数えてから扉を開けた私の努力を返してくれ。あの男が戻ってきたわけじゃなくってスミマセンね。

「あー、えーっと……おはよう隊長、起きてたんだ?」
取り敢えず見なかったふりで切り抜けよう。ちょっと心の整理がついてない。ああ、ここにほかの奴らがいたならなぁ。

パッタドルは真っ青になって、真っ赤になって。リシオンは怒りをあらわにして。シスヒスは「まあ」なんて目を見開くだろう。オッタはきっと口笛を吹く。あ?どうだろ、オッタ口笛吹けたかな?
そしたら私は「マジかよ隊長ー、ホントにあのトールマンとデキちまったの!?ウケるー!!」ってギャハギャハ笑ってやれたのに。私、一人の時のほうが案外真面目なんだぜ?

「うん、今からもう少し寝る。厨房に、今日は朝食は不要だと伝えてくれ」
ほうっとため息をついて、再度階段を昇り始めたミスルンの動きにつれて、その髪からふわりと立ち昇ったのが、あの男の移り香だと分かってしまって、自分の嗅覚を呪った。

ああなんか。なんかさぁ、もう。
なんとも言えないやるせなさで、階上に目をやる。ミスルンは2階の廊下の窓の前で足を止めていた。そこからなら、屋敷の前の道を下っていく男の背中が見えるだろう。

そうして朝日にやわらかく照らされたミスルンが、満ち足りたような顔をして、とても優しく微笑んだ。
穏やかで、静謐な空気に満ちていた。

それはとても美しい光景で。きっと自分はこの光景を一生覚えているだろう。胸が詰まってなんにも言えない。甘くって苦しくって、端から見てる方が恥ずかしい。恥ずかしいから、なんか言うのはやめにした。

なあ。なあ、カブルー、お前どうすんの?
こんなに隊長に自分のこと好きにさせておいて、どうすんの?隊長のあんな顔を初めて見たよ。あんなに空っぽだった人の中に、やさしい気持ちをいっぱい詰めて、お前が消えてしまったらどうすんの?隊長に、窓辺でずっとお前を待たせんの?

その時がきたら、ミスルンは耐えられるだろうか。唯一残された欲だった、悪魔への復讐心を失って、虚ろになっていたように。カブルーを失ったミスルンは、また糸の切れた人形のように座り込んでしまうだろうか。そしてその時、ミスルンを立ち上がらせたカブルーはもういないのだ。

自分はきっとそれを見るだろう。
あの時のように、動かない隊長をつついて、色々言葉を掛けるだろう。フレキの聞いた、虹の橋の話をしてやろうか。

トールマンの寿命は約60歳。順当にいけばカブルーもあと40年。40年あれば、他の連中もそろそろ刑期が明けるはず。

悪魔の滅亡に功績あり。
囚人たちの刑期は恩赦によって短縮された。終身刑だったシスヒスとリシオンだって、刑期の終わりが見えたのだ。
ミスルンが動けば、きっともっと縮められる。囚人たちを呼び寄せ調査隊を組織し、女王の命に特別従事で功績を積む。

なあ、そうしたらさ。
お前ら、刑期が明けたら隊長のとこに来いよ。
行く当てのあるやつは好きにしろ。でもどうせ私ら、行き場のない厄介者だろ?
隊長はきっと、いつもの無表情で「構わない」っていうさ。

そしたらカブルーの代わりに、私たちが隊長の側にいてやれる。そんで隊長が虹の橋を渡るまで、私たちが賑やかしてやればいいさ。

だからさ、カブルー。

お前は虹の橋のたもとで、ちゃんと隊長を待ってろよ。





フレキ伝いに話を聞いたパッタドルが、赤くなって、青くなって。黄金城に怒鳴り込んだので、交際2日目にして城中に知れ渡ったのはまた別の話。