kanaco
2025-07-10 18:00:26
4960文字
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【九信】ペンギンと天使

《九信》しょんぼりな信一が王九の家に置いているペンギンの抱き枕をギョムギョムする話。
※四十二の記述が冒頭のみあります。 ※一部時代が前後します(映画の記述が出てきますが1998年の作品につき)

それは晴天の霹靂とも言える告白であった。

「信一、実は俺たちつきあってるんだ」

いつもであれば鋭い眼光を愛嬌でカバーするその猫目が、少し不安気にゆれる。
いつもであればマスクからのぞく落ち着いて穏やかな目が、反応を伺うように見つめる。

2人仲良く並び、そう告白をしてきた幼馴染と友人を前に、九龍城砦福祉委員会副会長は目を点にしたまま随分と長くフリーズした。咥えていたタバコの灰がいつのまにかポロリと落ちる。実に気まずい沈黙が流れた。信一の人生経験では今のところNO1の気まずさであった。


*******


それは地響きを伴うような足音であった。

オフ日の素晴らしきまったり感。いつもの色模様の派手な服装ではなく、ゆったりサイズのシンプルな白いTシャツに腕を通し、デニムというラフな格好で身軽に過ごす。サングラスもせず、髪すらも適当にアップへまとめた王九は、羽を伸ばすようなのんびりとした昼下がりを破壊しようとも聞こえるその足音を、右耳から左耳へと聞き流した。

空いた腹を満たすためにキッチンに立ち、機嫌よく玉ねぎとキャベツを切っていた最中だ。自分のアパートの階段を怒り任せにドカドカと踏み鳴らすその音を、ご機嫌な鼻歌と包丁がリズムよくトントンと鳴らす音でかき消した。切った豚肉に塩コショウを振っている頃には、これもまた怒り任せのように勢いよく自分の部屋のドアが開閉した音を聞く。

でもやはり作業は止めない。

(まったく...何だか知らないが、もう少し静かに入ってこれねぇのか)
(合鍵を使ったくせに、まるでドアを壊して入ってきたかのような騒音じゃねぇか)

内心そう呆れながら、表面のみ水洗いをした中華麺をペーパータオルで拭く。

俺がやってきましたよ、と言わんばかりの騒音主は、今度はフラフラとした足取りのまま、王九へ声もかけずにキッチンを素通りした。フライパンに麺を広げた王九の耳にボスンッという音が聞こえる。隣の洋室にある王九のベッドにダイブしたらしい。静かになったので、そこでやっと王九は首を傾げた。

「おい」
キッチンからひょっこり顔を出すようにして、リビング兼寝室のワンルームをのぞく。王九が予想した通りベッドにつっぷした信一が、部屋主の枕に顔をうずめたまま転がっていた。

「焼きそば食うか?」
そう言って手に持っている菜箸をカチカチ鳴らせば、

「いらない……
枕からくぐもった小さな声が聞こえた。

あっそ、と王九は言った。そしてふと、ソファにひっくり返っていたペンギンの抱き枕を目に入れる。それを拾い上げて信一に放った。

うつ伏せの姿勢でペンギンが寝ているというフォルム、ゆるくてポッテリした素材の抱き枕その名も“ねむねむペンギンくん”。どういう思いつきか、ある日に「一人暮らしで寂しいお前にこれをやろう、俺だと思ってくれても良いぞ」と信一が得意げに持ち込んだ、大人の上半身サイズのクッションだった。

信一の期待とは裏腹に“ねむねむペンギンくん”は王九の夜のお供になるわけは当然なかった。全てを差し引きしても物理的に邪魔である。だからといって無下にすると信一がぴーちくぱーちくと騒ぐことは分かっているため、結果ペンギンは普段はソファで“ねむねむ”しており、信一がこの部屋に来た時だけ信一によって“抱き枕”本来の役割をまっとうしていた。

しかしペンギンであっても今日の信一の機嫌を好転させることはできないらしい。信一は微動だにしない。王九の投げる腕前によって信一の背中にうまい具合に乗っかって、まるでカメの親子状態になっている。

まぁいいか、と王九は再びキッチンに帰り鼻歌と調理を再開させた。信一の意味不明な行動はそんなに珍しくはないのだ。大抵は勝手に暴れて勝手に機嫌を直す。手早く焼きそばを完成させて皿に盛りつけ洋室に戻れば、今だカメの親子状態の信一が、顔だけを王九に向けて恨めしい目線を送っていた。

それすらも無視して焼きそばを食べ始めれば、信一も気にせず喋りはじめる。

「裏切られた」 
怒っているというよりは拗ねていると形容する方が近い。信一は目を釣り上げながら、口を小さな子供みたいにツンと尖らせた。

「ああ?なんだって?」
「四仔と十二が俺に隠れてつきあってた
「なんだそりゃ?」

十二というのは知っている。油麻地果欄に隣接する廟街の若頭になったばかりの青年だ。眼光の鋭く子虎とも呼ばれている若者であるが、一見の人当たりはよく社交性は高い。しかし王九のベッドを今堂々と占領している青年に比べると、ずっと警戒心が強くて硬派だった。油麻地果欄と廟街自体が敵対しつつも隣区につき、変な擦れあいが起きぬよう距離を保つ。それと同じように十二も王九に対し明確な一線を提示してくるような印象を持っている。

もう一人...四仔という方は情報がなかった。たしか九龍城砦に住む医者だったはずだが。

「つきあって半年経つとかいって!四六時中一緒にいたのに」
「そりゃ気がつかないお前に問題があるな」
「むむっ。四六時中は嘘ついた、盛った。一週間に3回くらい。でも明確に隠してたってことだろう!」
「ほぉん、じゃ、もともとそいつらに嫌われてんじゃん、あだッ」

すごい勢いで柔らかい布の物体が飛んできた。無体な扱いをされる哀れなペンギンは、ベッド上のヒドいマスターに足を掴まれているらしく「そん!な!わけ!ないっ!」という掛け声に合わせ、焼きそばを頬張る男の頭の上に何度も打ち付けられてバインバインと跳ね上がった。

痛くはないが鬱陶しいことこの上なかった。その鬱陶しさと共に王九の鼻を焼きそばよりも強い信一の匂いがくすぐった。信一がその昔に「これを俺だと思え」と言ったのはあながち間違いではない。王九の家の中で信一の匂いがベットリと染みついてるのは唯一このペンギンだけだ。

イラっとした王九が「食事中だ!」と元凶へゲンコツを食らわせれば、信一が「ぎゃあ!」と色気ない声を出す。


「大体、そいつらお前が俺と8年前からつきあってるの知らねぇんだろーが」

お前に怒る筋合いあんのか?


そう言い返せば、スンっとペンギン攻撃が止んた。信一がベッドから降りて王九の隣にペタンと座り正す。抱き枕が最も向いていないだろう“武器”という雑な扱いを受け、ワタの位置が動いてやや不格好になったペンギンを、信一は今更に愛し気に胸にギューゥと抱いてニンマリと笑った。

なんだそりゃお前はDV彼氏かよ、と王九が胡散臭そうな目を向ければ、ますます笑みを深くした信一があざとく小首を傾げる。

そしてどういうスイッチの入り方なのか、唐突にキスをしかけてきた。王九と信一の間でまた可哀想にペンギンがつぶれる。信一の自由にさせていれば、しばらくして唇は離れた。信一が満足気にペロリ、わざとらしく舌で自分の唇を舐める。

「うーん、ソース味」
何が面白いのかケラケラと笑う。
「バレたら修羅場だなー、修羅場」
物騒な未来予知さえ、信一はニコニコと歌うように言った。

「十二は怒るだろうなぁ。怒髪冠を衝くが如く。思いきりドス振り回して来るだろうなぁ」
「お前ら友達なんじゃねぇのか」
そういうのって普通、俺の方に来るんじゃねぇの?と聞けば、
「いいや、俺だね。十二は俺に切りかかってくる。俺のことに関してはアイツ、変な曲解をしねぇもん。ちゃんと俺の気持ちがどこにあるかを理解する。お前に奪われたより先に俺に裏切られたに到達して、物理を持って俺を矯正させることに全力投球してくるね。坊ちゃんは俺のこと大好きだから。かわいーだろ、俺の幼なじみ」
そう答える声音は心底嬉しそうで、王九は“うんざり”とした気分になった。

「もう片方が止めねぇのか?」
「四仔はしばらくの間、なぜ俺はこんなに嫌いな黒社会野郎共に囲まれてるんだって方に気を遠くするだろうな。そのうち全方向にイライラして、やっぱり俺にブチギレて殴りかかってくるじゃねぇかな」
「物騒なヤツばっかりかよ、お前の周りは」
「バカだねぇ、四仔は俺が知る世界で最も優しくて最も誠実な男だぞ。俺はあいつのそこを愛してんの。四仔は自分の平穏を取り戻そうとするね。それはつまり、俺の平穏でもある」

「ふん、俺といるお前は平穏ではないと」
「ふふ、だからたまんないよな」
「お前の性格が終わっている
「そんなに褒めんなよ、お前に夢中な俺が可愛いからってさ」
そうでしょ、とご機嫌な信一の目が蠱惑的に輝いた。自分がどう思われているか、よく知っているとでも言いたげな表情だった。

「話を元に戻せば、2人に襲われるのは俺なわけ。だから俺を守ってな」

俺をあの2人から奪ったんだからさ。
2人は俺の友達なの。

「でも十二と四仔を手にかけたらソッコー別れるから。それはよく覚えておけよ」
頼むぜ、ダーリン。

まるでこちらに首ったけであるような顔をしながら、目だけが冷たく全く笑っていない。王九は面倒そうに肩を上げ下げした。”お前といるせいで平穏でない”というのに当てはまるのはどう考えても”俺の方”だろう、と王九は思わずにはいられない。

なんせ相手は九龍城砦の王子さまである。お姫さまといっても良い。

九龍城砦の界隈において王九の脅威となるような実力者は数少ない。しかし腕力だけで解決できる物事は思いの外少ないのだ。王九の立場を踏まえての総合的な判断を要した場合、自分が8年という間にどっぷりと浸かってしまった信一という青年が、この上ないほど厄介な存在であることは身に染みている。

……“最悪の俺に、とびっきりの天使がやってきた”って思ってたんがなぁ、8年前は」
当時は自分に懐くもの珍しさに、ちょっと手を出してみただけだったのに。

「何それ?ヴィンセント・ギャロ?」
王九から溜息と共に飛び出た言葉に「映画だっけ?」と信一が首を傾げた。

「全くもって”天使”ってタマじゃなかった」
王九が信一の問いを無視してそう続ければ、
「何でだよ、どう考えたって“とびっきりの天使”だろう俺は」
信一がそう、不服そうに返す。

お望みならボーリング場でセクシーにタップダンス踊ってやってもいいし、お前のためだけに色っぽくポールダンスショーを披露してやってもいいぜ?

あの可愛くてセクシーで一途な女の子みたいにな。

「俺、つくすのって得意」
そう、自信満々に話す信一は誘うように妖しく流し目を向ける。
「いや、地雷系ってとこしかあってねぇわ
王九が頭を抱えれば、

「ひひっ」
でも好きじゃんね?

そう言いながら、信一が“ねむねむペンギンくん”を王九の頬にグイグイと押しつけた。信一の匂いの染みついたクッションがまた深く香る。焼きそばはすっかり冷めて匂いもしなかった。そのテーブルの下で信一の右手が王九の股間をいやらしくねっとりと撫であげたので、王九は怪訝に肩眉を上げる。


「なぁ、なんで俺が焼きそばを食わねぇと思ってんの?
お前の天使が友達の秘密知って落ち込んでんだぞ。
こういう時には慰めるために、セックスにもつれこむのが筋ってもんだろ?」


なるほど、と王九は納得した。そのために怒ってますと主張するように足を踏み鳴らしながら、この部屋に入ってきたというわけだ。落ち込んでいるという理由が”半年間知らなかったこと”に対してなのか”8年経っても黙り通していること”に対してなのかは不明だが。

「おい、天使」
「なぁに?」
「慰めて欲しいならもっとしおらしく素直に甘えてこい。ヤりてぇなら先に言え」
「ムードねぇから、ヤ」
「ワガママヤロウ」
「天使」
「はいはい、天使天使」
「焼きそばは?」
「後で温め直すからいい」

そうでしょうとも!

満足気な顔をした天使が「じゃぁお前バイバイ!」とペンギンをポイと放り投げる。
「いや、可哀想だろ」とうまいこと宙でペンギンをキャッチした王九が、ペンギンごと信一を押し倒した。



※『バッファロー'66』1998年製作(アメリカ)監督ヴィンセント・ギャロ