丹羽燐
2025-07-10 21:00:00
3963文字
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秘密のTシャツ

ベルモットが梓さんに変装しようとしたら梓さんが変なシャツを着ていて,そのクレームがバーボンに届く話
五稜星ネタを含みます

秘密のTシャツ

 雨の日の夕方、ポアロの客足はすっかり途絶えていた。何かを試作するには材料がなく、閉店してしまうにはまだ少し時間が早い。持て余したと判断した梓は、うんと背伸びをしてから口を開いた。
「安室さんは明日お休みでしたっけ」
「探偵業の方で……すみません」
 申し訳なさそうに頬をかきながら安室が言う。突然の欠勤や早退と比べれば、事前にわかっているだけマシ。それよりも明後日ちゃんとシフトに来てくれるのか、休みがどうなってしまうのかの方が梓は心配だった。
「梓さんは明後日ですよね」
「はい! 安室さんちゃんと来てくださいよ?」
「ええ。大切な梓さん休日のためにも」
 炎上する……と言うには店内には他に人はおらず、さすがの梓も言葉を飲み込んだ。少し距離感が近くて、迂闊な発言が多いだけで悪い人ではないことを知っている。
 お客様がいないのをいいことに、また眉間に皺を寄せてスマホを開く後輩へ冷めた視線を送る。どうせまた眼鏡をかけた美人さんの写真でも見てるんでしょ。棘だらけの言葉は、言ってもいないのにちくちくと梓に刺さった。
「何しようかなあ、明後日」
「あれ、梓さんって休日に計画を立てるタイプでしたっけ」
 スマホから逸らされた視線が梓と絡み合う。
「そうでもないんですけど……ほら、休みっていつも一瞬で終わっちゃうから」
「一日の長さは変わらないはずなんですけどねえ」
「なんだか短く感じちゃいます」
「楽しいときは一瞬……これは時間感覚に大きく影響するドーパミンの分泌が増加することで体感時間が早くなる、と言われています」
 僕はポアロで過ごす時間が一瞬です、と安室は小さな声で続けた。首を傾げる梓には聞こえていないようだった。
 ポアロの大きな窓の外は暗い。みるみるうちに、ぽつぽつと雨粒がガラスに落ち始めた。
「なるほど……
「この間の定休日はどうでした?」
「お昼までベッドでゴロゴロして、ご飯を食べてのんびりお買い物に行って」
 梓の言葉が途中で切られた意図を、安室は一瞬で理解した。少し考える素振りをしてから口を開く。
「帰ってから大尉と遊んだ、とかですか?」
「うーん、半分正解です。出張帰りのお兄ちゃんとご飯食べてから大尉と遊びました」
「充実した休みだ」
「ふふ、安室さんは? どうでした?」
 梓の問いに安室は記憶を掘り返す。出てきた内容は、おおよそそのまま伝えられるものではなかった。使い物にならなくなった、バーボンの取引相手兼指名手配犯の逮捕など口が裂けても言えない。
 他にしたことといえば、ベルモットの買い物の付き合い。そういえば、梓さんに変装しようとしているとかでクレームのメールが来ていた。理由までは咄嗟に思い出せないが、言えることは見つかった。
「僕も似たようなものです。昼ごろ起きて、夕方からクライアントの付き添いに」
「お休みなのに、探偵さんのお仕事ですか?」
「はい。ちょうどその日しか都合がつかず」
「お疲れの後輩に、クッキーをあげましょう」
 なぜか少し得意げな梓からクッキーを受け取り、口に放り込む。クッキーは見た目の割に甘すぎず、重くない。漂うコーヒーの香りとはペアリングしない、どこかポアロとは他人の味。小麦粉以外のざらついた食感が残った。
……あ、美味しい」
「でしょ! ウィンドウショッピングついでにモールのクッキー屋さんに並んでみたんです」
 気になってたんです、などと言いながら梓がまたクッキーを一枚摘む。心なしか試作のクッキーの時よりも手が伸びるのが早い。
「蘭ちゃんからチョコディップのクッキーが美味しいって聞いてたんですけど、何もかかってなくても美味しい」
「このサクサク感が……。もしかしてココナッツ、ですか?」
「正解! さすが安室さん。ココナッツ入りなのが推しらしいです」
「なるほど」
 ウィンドウショッピング、モール、蘭さんが美味しいと言っていたらしいクッキー。点と点が安室の脳内で線を繋ぐ。脳裏をよぎったのは、あの日のベルモットのクレームだった。
「梓さん」
「はい?」
「つかぬことを聞きますが……その日、どんな服を?」
「え? 普通のシャツにスカートですけど。どうかしました?」
 きょとんとした梓に、聞き方を間違えたと今更安室は気がついた。バーボンの取引相手の時と違って、梓を相手にするとなんともぎこちない。安室という演じる顔が悪いのか、相手が悪いのかはいまだに決着がついていない。
「ああ、いえ」
「あ、でもご飯の時にアイスクリーム持った子とぶつかっちゃって。お兄ちゃんのお土産のシャツに着替え……もしかして、安室さん見ました?」
……いえ、僕は見てませんよ」
 安室の脳内で繋がれた点たちが一つの図形を描く。梓さんが変なシャツ――杉人さんのお土産シャツを着ていたせいでベルモットが変装できないってことだったらしい。危機回避というか、なんというか。
 返す言葉はおろか、浮かべる表情にすら困って、安室の口角が引き攣った。
「ならよかった! もう、変な柄のTシャツだったから安室さんに見られてたらどうしようかと」
「どんな柄だったんです?」
「ちょっと気持ち悪いというか……やっぱり秘密です!」
「ええ……気になるなあ」
 秘密と言い切られると気になるのが人間のサガだ。梓の反応を予想した上で、安室は眉尻を下げた。
「うっ……そんなあざとい後輩の顔しないでください」
「だって杉人さんの選ぶシャツですよ。絶対へ……個性的じゃないですか」
「今変って言いかけましたよね? 絶対、ぜーったいに秘密です!」
 梓はバックヤードの方を向いて視線を合わせようとしない。目線移動に感情の滲みやすい彼女は、誤魔化すかわりに見せない方を取る。それが安室には気に食わなかった。
「む……じゃあ杉人さんはどちらに行かれてたんですか?」
「ええー?」
「いいじゃないですか、そのくらい」
……北海道です。あ、クッキーも一緒に貰ったので今度おやつにも持ってきますね。修道院のクッキーらしいです」
 仕方がないなあと言う声が雨音と共にポアロに響く。いつの間にか外は土砂降りになっていた。
「修道院ですか、珍しいですね。……ちなみに、そのシャツはキャラクターものですか?」
「そうですけど……
「ほぉ……北海道と言ったということは、札幌ではない地域のキャラクター」
 そう続ける安室の脳内ではいくつかの候補に絞られていた。そもそも安室は候補を……ゆるキャラを多く知っているわけではない。
「はい。……って、安室さん当てようとしてるでしょ」
 首元がベタつくのか、髪を結えながら梓は言った。
「バレましたか」
「もう、これ以上答えませんからね! ほらテーブルの片付けしないと」
 逃げ出すように明るいホールへ飛び出す梓を眺めながら、安室は口角を上げた。
「色は赤と白」
 テーブルを拭く梓の手が止まる。
「ずーしーほっきー、ですか」
 ギギギと音を立てそうなぐらいぎこちなく梓が振り向く。どうやら正解らしかった。
「なんでわかるんですか……
「あはは、実はこの間コナンくんたちの写真を見せてもらったばかりで。北斗市に梓さんの好みからは外れそうなゆるキャラがいることは知っていたんです」
 用具入れから箒を取り出しながら、安室は続ける。
「それに、さっき梓さんが言った修道院のクッキー。北海道の修道院といえば北斗市のトラピスト修道院ですから。つながるわけです」
「お、おおー……さすが安室さん」
「まだまだですよ」
 言いながら、見せてもらった写真のキャラが梓の背に描かれているのを想像する。梓の動きに合わせて微妙に歪むあの謎の生き物。安室は思わず吹き出した。
「もう! だから秘密って言ったのに!」
「だって梓さんが」
……わかりました。安室さんにってお兄ちゃんから預かっていたもう一枚持ってきますね。……今度のシフトいつでしたっけ」
 一気に冷え込んだ声に安室がたじろぐ。窓の外の雨よりも、背中に冷たいものが流れた気がした。
「え、いえ、遠慮しておきますよ。梓さんのサイズじゃ着れませんし」
「お兄ちゃんも着れるフリーサイズだから安室さんも大丈夫です。……次の安室さんのシフトは明後日でしたっけ」
「明後日は梓さんの休みですよ。ほら、休みの日はゆっくり過ごしましょう。一瞬だって言ってたじゃないですか」
「夕方まで用事もないし、届けにきますね」
 当たり障りなく断ろうとした安室の努力は梓の無邪気な圧に押し流され、ぬるりと床を滑って消えた。ポアロの雨は止みそうにない。
「大丈夫ですってば」
「安室さんなら似合うんだろうなあ」
「いや、そんな」
「明後日、休まないでくださいね!」
「あ、梓さんーー!」
 楽しげな梓は安室の言い分を聞こうともしない。話術で負けなしを続けるのはバーボンであって、安室透……降谷零自身ではないらしい。

 翌々日の夜、またしても安室はベルモットに呼び出されていた。安室を一目見たベルモットは不快感を隠さない。
「ちょっとバーボン……そのシャツ」
……やめてくださいベルモット、これは僕も被害者なんです」
「浮かれるのもいいけど、あの子の分は早く捨てさせなさい。変装しにくいのよ」
 満面の笑みで着せてきた梓を思い出して、安室は静かに頭を抱えた。
 バーボンとしては捨て、捨てさせるべき。降谷零としては二度と着ないのであればどうでもよい。
 一方、安室透としては着た方がいいんじゃないか、榎本兄妹に見せた方がいいのではないかとすら思う。
 このシャツを自分の意思で着る。
 正気か? と安室は小さく呟いた。


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