三日も雨が降り続くと、何処へ行っても「エーグルが泣いてるね」と言う話を誰もがするようになる。普段晴れ渡っているオクヘイマはいつもより薄暗くなり、火が焚かれておらず、窓からもやや遠い奥まった室内は手許の文字が読めなくなるほどだった。市場はいつもなら店先に並んでいる品々が軒下や店内まで引っ込められていて、人々の声は聞こえてもどこか活気がない。
市民たちはいつもより一層のんびりと日々を過ごしているようだったが、聖都を警戒している山の民やホリプテスのような兵士は、雨に濡れたまま職務についていて、普段はできない悪天候の中、戦闘訓練を行なっている部隊もある。僕も同じように雨の中を走り、そのまま兵士たちの訓練に混ざる。濡れた服や髪が体にまとわりついて冷たく気持ちが悪いし、何より重い。
一人三十分、僕は防戦に徹するから、いつでも打ち込んで来るといい、と何人かの兵士と一対一の手合わせを始めたのは昼頃だったが、僕の頭や首筋、あるいは木剣を弾き飛ばせる兵士は「夜」になってもついぞ現れなかった。自己鍛錬のためを考えればせめて五人一組で来るように言えば良かったかもしれない。
激しく打ち付ける雨による視界不良と肌にまとわりつく髪や服の不快感、普段よりぬかるんだ足元では快晴の訓練よりも兵士の動きが鈍い。
ありがとう、いい訓練になったよ、と兵舎を後にし、自宅に戻る途中で同じくずぶ濡れのモーディスに出くわした。
長い髪が額や頬、首筋から肩にピッタリと張り付いていて、赤い毛先が普段より色濃く濡れている。振り返ったモーディスが鬱陶しそうに髪を左耳にかけると、街の灯りを反射して青い宝石がちかりと輝く。
「君も兵士の訓練か?」
激しい雨の中での会話は思わず怒鳴るような音量になってしまうが、モーディスは眉ひとつ動かさない。
「悪天候はオクヘイマでは滅多にないからな、貴重な機会だ。結果はさほど良くなかったが、各々課題が見つかったことだろう」
「それは重畳。君はそのままバルネアに行くのかい?」
立ち話をしている間に、濡れた外套がどんどん重たくなってくるのを感じた。段々と冷えて来た体に着たままでいるのが億劫になり、なんとか脱いで左腕で持つ。防刃素材で出来た外套は身軽さより防御を考えてアグライアが仕立ててくれたものだが、濡れるとより一層重さを感じる。
「いや、バルネアから部屋に行くまでにまた濡れてしまうだろう、このまま帰還するつもりだ」
モーディスは頭上を見上げ、じゃあな、とそのまま踵を返してしまう。
「ここからなら僕の家の方が近いし、うちに寄って行かないか? もし今夜緊急の呼び出しがあっても僕が出れば済む。着替えなら貸すよ」
石造りの玄関でモーディスを一旦待たせ、濡れた外套を壁に引っ掛けておく。ぽたぽたと裾から雫が床に落ちているので、後で絞らないとダメだろうな、と思いつつ、ピュエロスのそばの棚からバスタオルを持って玄関へ戻る。ガチャガチャと金属音が響いていて、素手になったモーディスが甲冑から片足を抜いているところだった。ひっくり返されたそれから水がびしゃりと落ちていくのがなんだかおかしい。
「甲冑はとりあえず壁にでも立てかけておいてくれ。君の服はここ」
水をたっぷり吸い、熟成された葡萄酒と炭のような色になってしまったモーディスの服を置くための椅子を持ってくると、モーディスが渾身の力で服を絞り、またぼたぼたと床に大量の水が落ちて行く。当たり前だがとんでもなく重そうだった。モーディスにバスタオルを渡し、絞られた服を椅子にかけておく。明日この服を着て帰るのは難しいだろうが、いざとなればモーディスは侍者に服を持って来させるはずだから、今夜さえ凌げれば問題ない。
「先にバニオをすませて来なよ」
「そうさせてもらう」
三つ編みを解き、髪を絞っていたモーディスが足早にピュエロスへ向かう。あいつのことだからきっと朝からずっと訓練に付き合ってでもいたのだろう。
びしゃびしゃになった玄関の水をモップで外に送り出し、念のため空を眺めるが、まだまだ止みそうにない。こう雨が続くと正直なところ気が滅入る。明日こそいい加減に晴れて欲しいものだ。
さておき、僕も体を温めよう。
僕の家ののピュエロスは大男二人で入るには少し狭いが、狭いとモーディスに文句を言われたことはない。
その証拠に、僕が足先を湯につけた時には、モーディスは目を閉じて、大理石の床を枕代わりに、半身を湯に沈ませたまま手足を投げ出していた。
「ちょっと失礼」
浮力で普段より多少軽いとは言っても、筋肉の塊のようなモーディスの体は普通に重い。足の間にモーディスの体を置いて胸に手を回すと、まだ冷えたままの肩が僕の胸に触れて一瞬飛び上がりそうになった。
「ちゃんと浸かった方がいいんじゃないか?」
肩にお湯をかけてやろうとすると、微睡を邪魔するなと言いたそうな顔でモーディスが振り返る。
その鬱陶しそうな表情が綺麗で、思わず唇にキスをする。ここも、予想よりずっと冷たいままだ。
「風邪引くよ」
「病とは無縁だ」
湯に浸した手でモーディスの頬に触れると、熱が奪い取られて行くような感覚がした。
「まあそうかもしれないけどさ」
振り向かせたまま唇を重ね、湯の中に投げ出されているモーディスの手に指を絡ませる。機嫌が悪ければ抵抗されるだろう、と思ったが、今夜はそう言うわけでもないらしい。
時折パシャリと水音が跳ねる以外は、しばらく僕たちの呼気ばかりが室内に落ちて行く。擦り合わせた舌の熱さに夢中になってキスしているうちに、モーディスの頬も唇にも段々と熱を帯びて行く。絡ませあった手をモーディスが強く握り返し、まだか? それとも焦らしているつもりか? とじっとりと濡れた声で囁いた。
その声が僕の胸をこじ開けて、奥底に火をつけてくる。
至近距離で見つめあったモーディスの長い睫毛が頬をくすぐり、そっと腰が水中で浮く。ずっとモーディスの尻や背に擦り付けていたそれを湯の中で熱くなった指先で捉えられて、思わず声が出そうになった。
いい? 念のため尋ねた僕に、しつこいぞ、とモーディスが目を閉じながら腰を下ろす。
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