koto
3435文字
Public れめしし😈🦁
 

holic

同棲してるれめしし
叶さん不在の深夜になぜか焼き菓子作っている獅子神さんの話です

 午前三時を過ぎたキッチンに甘い香りが立ちこめる。それはオーブンの隙間から溢れ出し、シンクに立つ獅子神にふわふわとまとわりついた。香りのもとはたっぷりの砂糖とバター。初めて菓子を作ったとき、獅子神は信じがたいその分量に思わず目を剥いた。
 いつだか真経津にそんなことを零したら、「分かってないなぁ、獅子神さんは。だから美味しいんだよ」と返ってきた。曰く、ワルいものは一度でも身の内に入れてしまえば、繰り返し手を伸ばしたくなる造りになっているのだと。食べものにしろ、なんにしろ、そういうものらしい。自分より四つも年下の男に訳知り顔で言われたところでと思わなくもないが、真経津の言葉には不思議と説得力があった。

 キッチンを満たしていく香りの甘さと重さに、獅子神はげんなりとする。前にゲームで浴びた毒煙よりも、糖と油から生まれるこの香りのほうがよほど堪える気すらしてきた。それでもどんなにぼやいたところで、こんな時間に焼き菓子なんて作り始めたのは他でもない獅子神自身だ。誰かに強要されたわけでもない。
 そろそろ使い切りたかった開封済みのアーモンドプードルや友人の来訪予定は菓子作りの理由になりはしても、深夜にする理由にはならない。誰にもなんの文句も言えないまま、獅子神は洗ったボウルを拭き上げる。
 ……いや、一人いるな。文句言える奴。
 元凶、とするのは言いがかりだろうか。頭に思い浮かんだ男は配信ロケのため泊りがけで出かけている。旅行がてら一緒にどうかと誘われたが、あいにく獅子神にも仕事があった。
 断ると叶はわざとらしく心配そうな表情を浮かべ獅子神の顔を覗き込む。
「敬一君、オレがいなくてもひとりでちゃんと寝られるかなー……
 まるで幼い子どもを宥めるみたいに、叶の大きな手のひらがポンポンと頭に何度も触れる。人をおちょくる仕草に獅子神は鬱陶しそうに頭上の手を追い払う。
「ガキかっつーの。オマエこそ、オレがいなくてもちゃんと起きれるか怪しいとこだな」
 聞けば明け方に撮影する予定もあるらしい。
「じゃあ、敬一君がモーニングコールして?」
 ここでつまらない意地や見栄を張らずにお願いをできるあたりは、獅子神が見習うべき部分かもしれない。相手を選んでいるところも含めて。
「オメーもいい大人なんだから自力で起きろよ」
「より確実な手を取りたいだろ?」
「知るか」
 そんなやりとりの翌朝。留守と言っても一泊二日だ。わざわざ玄関先で別れを惜しむほどでもない。書斎で作業中の獅子神に、出発前の叶が顔を出す。獅子神がデスクから「じゃあな。気ぃつけて行ってこいよ」と声をかけると叶はヒラヒラと手を振り部屋をあとにした。

 その夜、まだ真っ暗な時間帯に獅子神は目を覚ました。別に珍しいことでもない。まだ寝ていられると判断し目を閉じれば、すぐにまたゆるゆると眠りに落ちる。いつもなら。それが今夜はどうにも上手くいかなかった。姿勢を変えてみてもどうにも寝床が馴染まない。
 思い当たった原因は普段この時間にはベッドの半分を占拠している男の不在だった。重みも温もりも寝息も無いことで改めてその存在が際立ってくる。気付いてしまった居心地の悪さを紛らすように獅子神は寝返りを打った。
ーー敬一君、オレがいなくてもひとりでちゃんと寝られるかなー
 恋人が残していった言葉が蘇り、舌打ちと悪態が漏れる。一旦寝るのを諦めた獅子神はベッドから足を下ろす。眠気が再び訪れるまでの暇つぶしをどうするか。スマートフォンやパソコンを見たり、身体を動かしたりするのは、得策とは言えない。起きてしまっている時間を無駄にするのも嫌で、なにか生産的なことを……と考えた末の菓子作りだった。
 寝付けないのも、胃もたれしそうな甘い香りに包まれてるのも、全ては叶のせいだ。獅子神は今、そう決めた。

 突然ピーッピーッという音が上がり、ぼんやりしていた獅子神を驚かせる。振り返ると一仕事終えたオーブンが暗くなっていた。庫内を確認すると出来上がりの焼き加減がちょうどよく、少し気分が上がる。粗熱をとるため型ごと網の上に並べつつ、獅子神は窓の外をチラリと見て、時計へと視線を移した。外はまだ真っ暗だが、日の出まではもう一時間もない。昨夜ベッドに入る前、日の出が何時なのかは確認していた。
 なにもかも叶の思惑どおりにも思えて少し癪に障るが電話を鳴らす。頭の中で数えていたコール音が八回を過ぎ、切り時を見失っているとようやくコール音が途切れた。
「んー……っ、ぅ」
「おい」
「ぉはよ……
「起きるのに何コールかかんだよ」
「えぇ? これでもぉ、がんばった、ほう……
 そんな応答に続きうめき声が聞こえる。どうやら眠気を振り切ろうとしているらしい。
「ったく。オマエこのあとの予定は?」
「日の出と、雲海、撮っておしまい。レイトチェックアウトにして寝直すかなぁー……どうしよう」
 あくびを噛み殺しながらも会話を成立させられる程度には目が覚めたようだ。叶自身も早起きのプレッシャーでいつものようにぐっすりとはいかなかったのかもしれない。声音と口調だけでも案外向こう側の様子は分かるものだなと思う。あちこちに跳ねた毛先や開ききらない目や少しだらしない寝間着姿が像を結んだ瞬間。
「来いよ」
 つい、そんな言葉がするりと獅子神の口からすべり落ちた。
「んぇ?」
「帰ってこいよ、さっさと」
「なんかあった?」
「なんもねーよ」
 なにもない。特別なことなんてなにもない。けど、ただ傍にいたらいいのになんて思うのは、寂しいときに会いたくてたまらなくなるよりも重症なのでは? とじわじわ思い至る。
 受話口から聞こえる小さく柔らかな笑い声が鼓膜を揺らして、その心地好さに獅子神はなんだか悔しくなってしまう。
「オマエの言ったとおりになってんぞ。予測どおりで満足か?」
「拗ねないでよ。そうなったらいいのになーっていうおまじない? みたいなつもりだったんだって」
 叶がもし本気で言ってるなら、それはおまじないなんてカワイイものじゃなく、どちらかと言えば呪いの類に獅子神には思えた。
 話している内容に関係なく、聞こえる声は変わらず耳に馴染む。まんじりとしなかったのが嘘みたいに、すぐそこまで眠気がやってきてるのを肌で感じる。電話越しの声も悪くはない。それでも。
「やっぱ、生のがいいな」
 頭に浮かんだ言葉をひとりごちる。
「え?」
「あ?」
 なんの気なしに呟いた言葉に叶が妙な反応を示す。
「あー、寝れないってそういう?」
「は?」
「持て余して悶々としちゃってた感じ? 前の日しなかったもんな……
 ここまで言われてはじめて叶が何の話をしているのかを理解した。
「なっ、バッカじゃねーのっ!? んなわけあるかっ!」
 勝手に人を欲求不満呼ばわりする男に獅子神はわざと大げさに怒ってみせる。電話の向こうでは叶が完全に面白がっているのが分かり、これ以上はなにを言い募っても劣勢にしかならないだろう。
「あー、もう、バカみてぇ。やっぱ、いーや。オマエ帰ってくんな。ごゆっくり」
「え、ヤダよ。帰る。すぐ帰るから待ってて?」
「知らねー。勝手にする」
 モーニングコールの役割を終えた獅子神は、そのまま通話を切った。けれども、そこから数分も経たずに獅子神のスマートフォンが震えだす。相手はひとりしかいない。叶から届いた画像を開くと、表示されたのは始発の新幹線の予約完了画面だった。
……必死かよ」
 これで帰るから待っててよ?
 そんな声が聞こえてきそうで思わず小さく吹き出してしまう。会いたいのは自分だけじゃない。そう思わせるやり方に、相変わらず魅せ方が上手いな、なんて平然を装ってみる。それでも自然と口端が上がるのは止められない。誰に見られているわけでもないが、どこかきまりが悪く、獅子神はゆるむ口元をその掌で覆い隠した。

 始発に乗ったとしても帰り着くまでにはまだだいぶ時間があった。粗熱の取れた菓子をしまっていると頭がぐらぐらとしてくる。叶の存在一つで待ち望んでいた眠気がやってくるなんて、獅子神自身どうかと思うがどうしようもない。仕方ないなと諦める。なにせ、食べものにしろなんにしろ、そういうものらしいから。
 眠たい頭でそんなことを考えながら、獅子神は大きなあくびを一つして瞼をこすった。



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マシュマロ
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