千代里
2025-07-08 15:47:42
12053文字
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リーブラの針は問う・15話・その13


 真夜中に出立したノエたちは、朝焼けが差し込む少し前に、一度休息をとることにした。
 ルーシャンたちは、一日の全てを移動に費やしているわけではない。不眠不休で追いかければ、ひょっとしたら追いつけるかもしれないとも考えたが、ノエたちもまた安全策をとっていた。
 休息をとらねば、無理が祟ってチョコボから転落するかもしれない。ただでさえ寒冷地のイシュガルドで、寝不足や体力の消耗はそのまま死に繋がりかねない。
 ルーシャンたちも、それが分かっているから、度々休息の時間を挟んでいるのだろう。
 そして、ノエたちもまた同じように、手近な洞穴で小休止をとることとしたのだ。
「もう朝か……
 洞穴の入り口から差し込む朝日に、時間の経過を感じる。目を擦り、ノエはうんと大きく伸びをした。
 見張り番を受け持っていたオランローと交代して、洞穴の外へと出る。きんと冷えた空気が、防寒用の魔道具の範囲外に出たノエを襲った。
 今朝は、珍しく雪雲が晴れたらしい。雪原に太陽の光が反射している様子は、さながら世界がクリスタルに包まれたかのようだ。
「オデット、見てご覧よ。水晶の塊みたいで綺麗だ――
 そこまで言いかけて、ノエは言葉を止める。
 つい、いつものように、自分の目にしたものをオデットと共有しようとしていると気がついたからだ。
(そうか。僕にとって、オデットは……感動を一緒に分かち合いたいと思う人なのか)
 当たり前のように感じていたことを、離れてから漸く気がつかされる。
 ルーシャンがオデットを傷つけることはないとどれほど信じていても、この胸に刺さった氷のような痛みまでは消せるわけではない。それを、きっと『寂しさ』と呼ぶのだろう。
 ゆるゆるとかぶりを振り、寝起きの自分にまとわりつく眠気を追い払う。腰の剣に手を添え、警戒しながら洞穴の周囲を確認していると、
……はい。今は、地図の座標でいうと……ええ。その通りです。そこで休息をとっていました。一人なので、なにぶん休む時間も限られていて」
 声は、ミラベルのものだ。近づくと、案の定彼の姿が目に入った。
 しかし、彼は人差し指を口元に立てて、ゆっくりと首を横に振っている。
「私と、オデットの関係なら、説得もできる……ですか? ええ、まあ……シュガーグレイヴでは何度か交流はしていましたが」
 しばらく沈黙が続く。ミラベルの顔がじわじわと険しくなっていったが、彼に沈黙を促された以上、ノエが声をかけるわけにもいかなかった。
 静寂の後、ミラベルは表情を殺したまま、
「そのように解釈したいのでしたら、ご自由にどうぞ。私は司祭として、平等に子供たちを助けた。ただそれだけです」
 さらに、幾ばくかの言葉を交わしてから、ミラベルは耳から指を離した。会話が終わったと示すためか、彼は軽く両手を広げ、
「もういいですよ」
「オーバンさんからの通信ですか」
「ええ。私がどのような行程で動いているのか、大変興味を持っているようでした」
「僕たちが抜け出たことは、すでにオーバンさんは気がついているようでしたか」
 すでに一晩経った後だ。バレていてもおかしくないと思ったが、ミラベルはゆっくりと首を横に振る。
「わかりません。彼は、あなた方が脱出したとは言いませんでした。言わなかったからこそ、すでに気がついているとも言えるでしょう」
 オーバンにとって、ノエたちの脱出やミラベルの裏切りすら規定事項であるのなら、裏切り者に対してわざわざ話そうとはしないだろう。彼は、そういう男だとノエもすでに察している。
「オデットとの関係について、オーバンさんから質問されていたのですか」
 先ほどの会話から察するに、ミラベルはオーバンにオデットとの繋がりを伝えていなかったらしい。果たして、ミラベルは肯定した。
「あくまで、あの忌まわしい復興事業の被害者として助けた縁があるだけだ、と伝えておきました。実際、私と彼女の縁は、言葉にするなら、それだけに過ぎませんから」
 無論、ミラベルが悪辣な司祭の魔手から彼女を救うために、少々強引な手段を使ったことはノエも知っている。だが、ノエの知る限り、彼とオデットの縁は、確かに一司祭と助けを求めた子供の間柄に過ぎない。
 彼がそこまでオデットに肩入れする理由――オデットの母と旧知であるから、という経緯を知っているのは、ここにはいないオランローだけだ。
「ミラベルさんは、どうしてオーバン卿の手伝いをしているのですか。以前は、実家の縁でそうなったと話していましたが」
「その時に話したことが全てです。エヴラールの家に連なっていた家は、皆、ニヴェール家の傘下に入ることになりました。しかし、元は他の家の系譜ですからね。ニヴェール家に忠誠を誓うと示すためには、何か手土産が必要だったのです」
 それが、ミラベルにとっては、厄介な魔法が山ほどかけられた遺産の調査だった。神学院時代から魔法の解析に秀でていたミラベルを、彼の実家は喜んで差し出し、調査への協力を服従の証としたのだ。
「ルーシャンさんのお父様が亡くなられたのは、もう十年以上も前の話ですよね。ミラベルさんは、オデットが封印を解く鍵だとは知らずに接触して、後から素性を知ったのですか?」
……その質問は、いいえでもあり、はいでもあります。出会ってすぐの頃は、オデットが封印に関わっていると知りませんでした。ですが、彼女の話を聞くうちに、もしやと思ってはいました」
「それでも、あなたはオーバンさんにオデットのことを話さなかったのですね」
 ミラベルの首肯。一見、貴族の面倒な揉め事にオデットを巻き込みたくなかっただけにも見える。だが、ノエにはどうしても気になる部分があった。
「邪竜を討伐できれば、国中の人の生活が大きく変わる。少なくとも、竜に怯えて暮らす必要はなくなるでしょう」
 邪竜ニーズヘッグは、ドラゴン族を束ねる長のようなものだ。旗印がいなくなれば、竜をイシュガルドから全て追い払うのも不可能ではあるまい。
「その意味がわからないほど、あなたが個人的な理由を優先する方には見えません。あなたなら、イシュガルドに生きる全ての人々のために、オデットに魔法発動の協力を求めても不思議ではない。僕は、そう思うのです」
 しかし、ミラベルはオデットの所在を隠した。彼がもっと早く行動していれば、イシュガルドの人々はもっと早くに邪竜から怯える生活に終止符を打てたかもしれない。
「あなたが、オーバンさんにオデットの情報を伝えなかった理由は何ですか」
…………
「それが、ルーシャンさんが僕らに協力を求めなかった理由であるかもしれないのです。教えてはいただけないでしょうか」
 ルーシャンが離反したとはっきり分かった頃から、ノエの胸中に残り続けた疑問と違和感。
 その答えを求められ、ミラベルは今度こそはっきりと視線を泳がせた。
「オーバンさんは、大きな成果に犠牲はつきものと言っていました。魔法の発動には、代償が求められるのですか」
 真っ先に想像できる推測を口にすると、ミラベルは観念したように首を縦に振った。
「あくまで、エヴラール卿が遺した資料の通りに魔紋が作られていたら、という前提ではありますが」
 そうして語られた内容は、実に単純なものだった。
 規模の大きい魔法であるために、発動には大量のエーテルが必要となる。そこで、エヴラールの血筋に連なるものたちは、大地のエーテルを燃料とすることを選んだ。
 大きな魔法には、相応の対価が求められる。魔法の発動のため、体内のエーテルを日常的に消費しているノエには分かりやすい理屈だった。
 ただ、その規模はノエの想像を遥かに上回っていた。大地のエーテルと言われて、思わずノエは自分の足元に視線を落とす。
 終わらない冬を迎えた大地であっても、生命は息づいている。寒さに強い草木が枝葉を広げ、それらを求めて動物たちが活動している様子を、これまで何度も見てきた。寒冷化に適応した魔物たちは、彼らなりの生態系を極寒の地で築き上げていいるのだ。
「もし、大地のエーテルが全て消費されれば……今その地に生きているものは、根こそぎ死に絶えてしまうのではありませんか!?」
「ノエさんが危惧している通りです。とはいえ、魔紋はイシュガルドの国土全てに広がっているわけではない。明確にエーテルが使用されるのは、エヴラール領の領地とその周辺であると記されていました。ですが、前例のないことです。この記述すら、確実に保証されたものではありません」
 エヴラール卿の遺した資料によれば、魔力の結節点を打ち込んだのは、エヴラール領だけであるそうだ。だが、予想外に魔紋の影響が広がり、より多くの大地が邪竜の討伐のために用いられる可能性も否めない。
「しかも、それだけではありません。エヴラール卿は敢えて言及していませんでしたが、大地のエーテルを用いる際、その大地の上で生きている人間たちにどのような影響を及ぼすかも未知数です。エーテルを吸い上げる魔紋が、彼らに悪影響を及ぼすかもしれない」
「それでは、本末転倒ではありませんか! 竜を討つのは、人々の命と暮らしを守るためでしょう。なのに、それを脅かしては、意味がありません」
「ええ。エヴラール卿も、あなたと同じように考えたのでしょうね。だから、魔法の発動を渋った」
 ミラベルは、今はいないエヴラール卿を憐れむように目を細める。
「理論をもとに完成を試み、実際にそれが稼働できる状態になったとき、彼が何を思ったのか。……彼の下した結論だけで、想像がつきそうなものです」
 ルーシャンが語ったエヴラール卿の人となりと、かの家の使命。長年追い続けた末に行き着いた答えは、多くの人の生活や命を犠牲とするものだった。
 半ば承知の上だったのか。それとも、完成間近まで気づかなかったのか。あるいは、考案者の頃から長い時を経たことで、抱えていた欠点が後から浮き彫りになったのか。
 どちらにせよ、答えは一つだ。
 人々の命を脅かす魔法を紡ぎ上げていたと知った時、エヴラール卿の胸によぎった落胆はどれほどのものだっただろうか。
「だから、あなたはオデットをオーバンさんに差し出さなかったのですね。大地を犠牲にするような魔法を、彼女に発動させたくなかったから」
「それだけではありません。単に見知らぬ大地を千年枯れた荒野に変えるだけならば、私も悩まなかったかもしれない。ですが、犠牲になるのはイシュガルドの大地です。そして、仮に邪竜が討伐されても、イシュガルドに生きる人々の全てが、物分かりが良くなるわけではない」
 あなたも見てきたでしょう、とミラベルの視線が無言で語りかける。
「生き残った者が討伐の喜びに酔うのは、一時的なことでしょう。ほとぼりが冷めれば、彼らは間違いなく、自身がこれから住むはずだった土地を奪った者を責める。英雄でいられるのは一瞬にすぎません。大地のエーテルを枯渇させた大罪人として、彼女は非難され続けるのです。恐らくは、死してからもなお」
 ミラベルの予想は、悲観論だと切り捨てられない実感がこもっている。実際、ノエにも彼の語る未来図があっさりと予想できてしまっていた。
 これまでイシュガルドで目にしてきた光景のうち、人々の争いを生んでいた理由に竜が直接関わっていないものも沢山あった。
 身分の差。境遇の差。それらを煽る理由に竜の存在はあっても、揉め事が起きる理由の全てが竜にあるわけではない。
 怒りの矛先である竜が消えれば、むしろ争いの原因はもっと目立つ別の何かに収束するだろう。たとえば、竜を討った英雄などに。
「オーバン卿が、家族であるベリトア卿の力を借りずに、あえて当主を引退してから行動を起こしているのも、恐らくはそこに理由があると私は考えています。仮に、オーバン卿が何らかの手法で魔法を発動させ、首尾よく邪竜を討伐できた場合、討伐のために大地を犠牲にしたという汚名を自分一人で被ろうとしているのでしょう」
「エヴラール領の土地など、どうでもいいと思っているというわけではないだろうとは、これまでのオーバンさんを見ていても、そう思います。彼は、たしかに強引な権力者の一面もありますが、為政者としての責任が分からない人物ではないでしょう」
「とはいえ、彼は、非常に貴族的な考え方の人物でもあります。統率者として、己の責務を果たすべきだと考えているのは事実ですが、小さな犠牲で大きな成果をあげられるなら、躊躇する必要はないと考えているのも、また事実でしょう」
 だが、ノエを見つめ返すミラベルの瞳には、言葉とは裏腹に今も迷いがあった。
 彼もまた、イシュガルドで苦しみ喘いで生きている人々の声を、ノエとは比べものにならないほどに聞き続けている。オデットを早々にオーバンに渡すべきではなかったかと、彼自身今も逡巡を抱えて生きてきたのだろう。
「この話を聞いた上で、改めて問います。それでも、ルーシャン殿とオデットを追いかけますか」
……追いかけます」
 躊躇は、一秒もいらなかった。
「それは、ルーシャン殿を止めるためですか。それとも、オーバン卿の企みを防ぐため?」
 オデットに罪人の烙印を押させないためか。ルーシャンの命を奪いかねないオーバンを阻むためか。
 どんな目的があっての追跡かと、ミラベルは問う。
「ルーシャンさんのためでもあり、オデットのためでもある。そして、僕自身のためでもあります」
「それは、どういう意味でしょう」
 問いへの回答には、時間が必要だった。ミラベルから与えられた情報の意味を取り込み、それぞれの関係者に向ける己の気持ちを整理する。そして、浮かび上がった答えを、一つ一つノエは拾い上げていく。
「まず、僕はルーシャンさんを排除しようとするオーバンさんに反対しています。だから、ルーシャンさんの命を守るため、僕は彼を追いかけたい」
 一つ目の答え。これは、最初から変わらない方針の一つだ。
「それに、オデットが先ほどの話を知っているかもわからない。何も知らない彼女に、とんでもない魔法の引き金を引かせようとしているのかもしれない。僕は、オデットにそんな真似をさせたくないのです」
 二つ目の答え。
 全てを承知の上で、魔法を発動させる。オデットがそう決めたのなら、ノエは全力で彼女を支えるつもりでいた。
 しかし、目隠しをさせた状態で第三者が彼女を利用するつもりなら、そのような企みをノエは許すつもりはなかった。
「そして、何より……僕が、彼女の隣にいたいんです。何があっても、一緒にいたいと願う気持ちがここにある。僕の望みがそこにあるから、追いかける。それだけです」
 三つ目の答えは、最も単純だ。
 ノエの意志を聞き、ミラベルがふっと相好を崩す。
……あんたにオデットを任せると決めて、正解だったみたいだ」
 つい口から飛び出た言葉は、今までの司祭然としたものではなく、ミラベルの本音が浮き彫りになっていた。
「どうか、何があっても、あんたはあの子の味方であってほしい」
「言われずとも。ですが、あなたもオデットの味方ではあるのでしょう」
 当たり前の確認のつもりだった。しかし、ミラベルは柳眉を寄せて、何やら苦味を混ぜた笑顔を浮かべていた。
「もちろん、あの子の味方でありたい。でも、俺は、どうあってもイシュガルドの人間なんだ」
 発した言葉と共にミラベルが浮かべたのは、何やら後ろめたさの残る笑顔だった。
 
 ***
 
 オデットとルーシャンの旅路は、順調に進んでいた。少なくとも、オデットにとっては、いつも以上に楽な旅となっていた。
 というのも、ルーシャンは、オデットが休んでいる間も見張りを続け、なるべくオデットに何かを任せるのは避けようとしていたからだ。
 しかし、そうすれば必然的にルーシャンの負担は増していく。チョコボの手綱を操る手に疲労が見え始めた四度目の夜を迎えた日、見張り番を受け持とうとするルーシャンをオデットは引き止め、
「これ以上無理をするなら、わたしがチョコボの手綱を握りますよ」
 と言い張り、たまたま見つけた放棄された羊飼いの小屋で、ルーシャンにまとまった仮眠を取らせた。
 オデットが逃げたらすぐにわかるように、紐でお互いを緩く繋いだ状態にしておくという案も、オデットはあっさりと受け入れた。もとより、逃げだそうと思って提案したことではない。
 オデットとしては、ルーシャンが十分に休めるなら何でもよかったのだ。
「流石に、一人で何もかもをやるのは無茶があったか」
 明け方近くまで眠り続けたルーシャンは、ぼんやりと明るくなった窓の下、かび臭い寝台の上で身を起こしながらぼやいた。
「当たり前です。ルーシャンさん、一人旅をしたことがないのではありませんか」
「そういえばそうだな。……いつも、俺はサルヒと一緒にいた」
 何気なく呟かれた言葉は、わざと感情を殺したかのように淡白だった。
「てっきり、目を覚ましたらいなくなったふりでもしているんじゃないかと思ったぞ」
 身を起こしたルーシャンは、うんと背伸びをして、寝台の隣で膝を抱えていたオデットを見下ろす。オデットはルーシャンに寝台を譲り、防寒用の魔道具を抱いて床で寝ていたのだ。
「俺から逃げないってことは、お嬢ちゃんは魔法の発動に賛成してるってことか?」
 この質問に、オデットはすぐには返答できなかった。だが、そこまで長い沈黙も必要としなかった。
「何をすれば一番の正解になるのか、わたしには分かりません。問答無用で魔法を使わなくても、オーバンさんと協力して、領地の人を避難させたられないのか、とか。もっと偉い人に相談してはどうか、とか。この前から、色々考えてはみました」
 だが、そのどれもがルーシャンにとって満足のいく答えではないのだろう。だから、ルーシャンは単独でオデットを連れ出した。
「ただ、正解がわからないのに闇雲に逃げ出してしまっては、わたしはきっと後悔します。わたしは、逃げるのではなくて、自分で決めたいんです」
 魔法を使うこと。使わないこと。
 責任に向き合うこと。敢えて目を逸らすこと。
 きっと、どれを選んでも、誰かは喜び、誰かは悲しむ。ならばせめて、オデットは自分が納得できる回答を選びたかった。そのときが来るまでは、選択肢を選び取れる場所にいたいと考えたのだ。
「ルーシャンさんは、お父さんの名前を救世主として後世に残したいのですか。それとも、ルーシャンさん自身の名前を残したいのですか」
 前者はともあれ、後者は違うだろうとオデットは予想していた。
 男は、渋い顔で己の無精髭を撫でて、
……意地だな」
「意地?」
「俺の意地だ。俺の証明のために、やはり俺がその場に居合わせなきゃ意味がないんだ」
 それは、己自身の方針を定め直すような物言いだった。その発言を聞き、彼の心中はまだ揺れているのではないかとオデットは訝しむ。
「だったらなおのこと、ルーシャンさんは体に無茶をさせている場合じゃないですよ」
 しかし、今は彼への疑いを胸に秘め、オデットは明るい声でルーシャンを叱りつける。
「わたしが邪竜ニーズヘッグを倒せるかもってときに、寝不足でちゃんと見ていませんでしたじゃ、意味がないんですから!」
「たしかに。それはそうだな」
「それに、皆さんと再会したときにルーシャンさんがそんなやつれた顔をしていたら、皆が悲しみます。わたしは皆を悲しませたくないです。サルヒさんに代わって、わたしがルーシャンさんの睡眠を管理します」
「これまた、随分と頼もしい子守役だことで。お嬢ちゃんがそう言うのなら、少しは甘えようかね」
 言いつつも、きっと彼は言葉よりも甘えてくれないだろうとオデットは疑っていた。
 今回は、偶然羊飼いの小屋を見つけられたが、洞穴を休息所とするのなら、魔物への警戒を厳にしなければならない。そうなれば、ルーシャンの眠りは今回よりずっと浅くなるだろう。
(たとえ、邪竜ニーズヘッグを討伐できたとしても、オーバンさんからルーシャンさんを守れたとしても、疲労で倒れては意味がありません)
 せめて、目的地に向かう途上までは、自分たちを手伝ってくれる人がいたらいいのだが。
 そんな彼女の願いは、思いがけない形で叶うことになる。
 *
 ルーシャンに十分な仮眠を取らせたその日は、これまでの中でも最も順調な旅路となった。
 街道を通れば追手に見つかるかもしれないので、ルーシャンは常に山林や山の裾野を走っていた。道が整備されていない分、乗り手にもチョコボにも負担は大きく、ときには徒歩を余儀なくされる場合もある。
 だが、おかげで追手に攻撃される場面にも出くわさずに済んでいた。
 ニヴェール領を行き来する人々の多くは、街道を使っているらしい。山林には人の気配が全くなく、この世で自分たちしか生きている人間はいないのではという錯覚に、オデットは何度か襲われていた。
 だが、無人であっても生き物がいないわけではない。代わりに姿を見せるのは、山林に生息する獣や魔物たちだ。
 けれども、今、ルーシャンが足を止めたのは、獣たちがいたからではない。
……ちっ。さっきからなんなんだ。ここにも妖異がいやがる」
 ニヴェール領でも一際傾斜のきつい山林を、チョコボの手綱を引きながら先導していたルーシャン。彼は、もう何度目になるか分からない制止の合図をオデットへと送っていた。
 ルーシャンの視線を追うと、真っ白の雪原に不自然な小山が生まれていた。それは雪独特の質感とは明らかに異なる、ぬめぬめとした表面を蠢かせている。
 泥を捏ね回して作ったような、異世界の生命体――プリンと呼ばれる妖異の亜種だろう。
「随分と数が多いですね。今まで、イシュガルドでは妖異なんて見たことがなかったのに……
「グリダニアには『最後の群民』っていう、過激な思想に染まった宗教組織がいるからな。あいつらは、しばしば妖異を召喚するから、他の地域よりも頻繁に妖異を見かけるんだろうさ。だが、イシュガルドにだって妖異がいないわけじゃない。ヴォイドゲートだって、どこかにあるだろうよ」
 ヴォイドゲートとは、妖異と呼ばれる異形の魔物が棲まう世界と繋がる門のことだ。人間が通れる大きさではないが、小型の妖異はこの門を利用してこちら側にやってくる。
「では、あの白い妖異たちも、門を通って?」
「そうかもしれないが、やけに数が多い。意図的に、誰かが門を大きくしたのか。それとも異端者が教会の連中とやり合う手先として、呼び寄せたのか。どちらにせよ、あいつらのせいで道を変えなきゃならないだろう」
 ルーシャンに言われるがままに、オデットは元きた道を一度戻ろうとした。
 そのときだった。
――――っ!!」
 山間に響く、小さな声。獣の鳴き声ではない。あれは――悲鳴だ。
「ルーシャンさん!」
 誰かが襲われている。そう思った瞬間、オデットの体は悲鳴の元へと駆け出そうとしていた。
 しかし、ルーシャンは彼女の肩を掴み、引き留めた。
「どうして止めるんですか!!」
「どうして止められないと思った。言っておくが、俺が今まで若人のお節介に付き合っているからって、困っている連中を見つけたら手当たり次第に助けるお人好しの仲間入りをしてると思っていたら、大間違いだぞ」
「知っています、そんなこと!」
 今更、そんな子供じみた感情論で説得しようと思われていたのかと、オデットは眦を釣り上げる。今この状態のルーシャンを、単純な勢いだけで動かせないなどというのは、オデットも重々承知していた。
(まったく、子供扱いしているのはどっちですかっ)
 子供としての泣き落としが通用するのなら、とっくの昔に使っている。だが、そうしたところで、ルーシャンは首を横に振るだけだ。
 その上で、彼は後悔する。
 オデットを泣かせたことと、助けを求めていた誰かを見捨てたこと。両方を思い、ささくれのような痛みを胸に残しながら、それでも平然とした顔を装うだろう。そういう男だと、オデットはもう知っている。
 だから、今ここで言うのは泣き言でも嘆願でもない。
「もし、わたしたち以外に山林を越えようとしている人がいるのなら、協力すれば妖異の群れを突破できるかもしれません。そのためには、まず助けに行って、わたしたちが味方であると示すのが一番だと思うのです」
 ほとんど捲し立てるような勢いで説明すると、ルーシャンは数秒挟んでから漸く頷いてくれた。
「お嬢ちゃんは、チョコボを連れてついてきてくれ。俺が先行する」
「はいっ」
 手綱を託され、オデットは懸命に先を行くルーシャンの後を追った。ルーシャンがチョコボを託してくれたのは、オデットが逃げないと信じてくれたからだ。その信頼を裏切りたくないと、オデットは懸命に雪原をかき分けてルーシャンの後を追った。
 幸い、悲鳴の主は十分とかからずに見つけられた。
「もう諦めてくださいってば……!」
 声は、上から降ってきた。救援を求めていた人物は木にしがみついていたのだ。
 木の周りでは、数頭の狼がウォウォと唸り声をあげて樹上の人物を見上げている。だが、ルーシャンが弱い雷の魔法を落とすと、すぐに距離を置き、引き下がっていった。魔法を警戒したのだろう。
 しかし、狼が去っても木の上にしがみついている何者かはなかなか地面に戻ろうとしない。
「あの、降りられますか?」
 恐る恐るオデットが問いかけると、樹上の人物は小さく首を縦に振り、ずりずりと降りてきた。しかし、その途中でぐらりと姿勢が崩れ、
「あっ」
 と、オデットが言う間に、地面に人影が不時着する。
 幸い、下が柔らかった雪であったことと、途中でルーシャンが落下速度を落とす魔法をかけてくれたおかげで、怪我はせずに済んだようだ。
 ルーシャンは、呆れ混じりの目つきで目の前の人物を見下ろしている。
……オデット。こいつが山を抜けるのに役立つと思うか?」
 思わずオデットも回答に詰まる。
 目の前にいるのは、オデットよりも年下と思しき少年だった。
 雪とみまごうほどに薄い髪色と、ルビーのような瞳は、一瞬オデットに失った友達の姿を思い出させる。しかし、見るからに一般人の少年が荒事に向いているようには見えない。
「えっと……でも、人助けはいいことだと思います。それに」
「あの、あなた方は、戦える人なんですか!?」
 オデットが何か言う前に、少年が雪を払いのけながら勢いよく立ち上がる。ルーシャンの冷めた視線に見下ろされても物おじせずに、
「お願いです。山を越えるまで僕たちと一緒についてきてもらえませんかっ」
 厄介なことになったぞという顔を見せるルーシャン。オデットも返答に迷いかけ、そこで少年が口にしてきた言葉の違和感に気がつく。
「僕『たち』? 他にもどなたかいるのですか」
「はい、連れが一人。でも、僕を護るために魔物と戦って怪我をしてしまったんです。何てことないって言っていましたけれど、すごく辛そうで、今は剣を持ち上げるのもやっとで」
「つまり、護衛の剣士がやられたから、山越えができなくて困っているってことか」
 ルーシャンの要約に、少年はこくこくと頷いた。
 だが、彼はなぜ山を越えたいのかは一言も語らなかった。街道を避けて通る理由も、護衛と二人きりで行動している理由もだ。訳ありなのは明らかである。
 急ぐ旅路だ。本来ならば厄介ごとは避けるべきである。しかし、ルーシャンは現状と新たな遭遇者の境遇を突き合わせ、素早く結論を導き出した。
「俺たちも山をこえるつもりだ。急ぎの用事があってな。だが、なぜか妖異がうじゃうじゃいて、一人で突破するのは無理があると思っていたところだ。その護衛とやらを助けてやるから、妖異を切り抜けるために力を貸してくれ。それが、助けてやる条件だ」
「わかりました、頼んでみます。でも、怪我がすぐに治るとは思えません。さすがに、今すぐ動くというわけには」
「それなら、オデット。お前の治癒魔法の出番だ。頼めるか」
「もちろんです」
 相手が誰であろうと、怪我で苦しんでいる者がいると聞いて、黙って見過ごすつもりはなかった。オデットの力強い頷きに少年の顔はぱっと明るくなる。
「あなたは治癒魔法が使える魔道士様なのですね。ありがとうございます!」
 オデットの手をとり、ぶんぶんと握手をする少年。その朗らかな子供らしい声や振る舞いに、今まで非日常に晒され続けてきたオデットは、暫し呆気に取られていた。
 加えて、彼のあっけらかんとした態度は、見た目も相まってやはりオデットにゲルダを彷彿させる。
「僕はテオドールといいます。テオと呼んでください。では、案内しますのでついてきてください」
 防寒具の襟を正して、少年は雪道に負けず、弾んだ足取りで進んでいく。
「よかったですね。困っている人を助けられて」
……寄り道をしている場合じゃないんだけどな」
「でも、お父さんの魔法は、イシュガルドにいる人たちを助けるためのものなのでしょう。今目の前で困っている人を放っておいて、魔法を優先してしまっては本末転倒ではありませんか?」
 オデットの言葉遊びのような問いかけに、ルーシャンは大きく肩を落としたものの、
……そういうところ、お嬢ちゃんはノエにそっくりだよな」
 それだけ言って、テオ少年の後を追いかけたのだった。