溶けかけ。
2025-07-07 22:42:50
2137文字
Public ほぼ日刊
 

星今宵

ある七夕の夜の二人の話。

 夜風が吹くたびに願いをのせた紙片がさわさわと涼し気な音を立てた。夜でも明るさを保つフォンテーヌ廷内の灯りは軒並み息を潜め、遥か上空を見上げていた。いや、見上げているのは僕らか──フリーナは星々の集まりに届くことはないと知りながら指先を伸ばした。名前も知らぬ星々の川の両岸で一際煌めく一等星。
 怠惰の罪で年に一度、今日この日にだけ会える二人の星の逸話は璃月と稲妻でそれぞれ少しずつ形を変えて水を越えたフォンテーヌにも届いている。
 真面目に仕事に取り組んでいた二人は夫婦になった途端、自らの仕事を放棄した。再三の忠告を無視して仕事を放棄し続けた罰として織女の親である天帝は二人を引き離しにかかった。川を挟んで離ればなれになった二人は泣き暮らし、結局、仕事を再開することはなかった。困った天帝は一年に一度だけ、川を渡ることを許した。二人は改心して逢瀬の日まで真面目に仕事に取り組むようになりました、という話だ。
「逃げてしまえば良かったのに」
 二つの星を線で繋ぎながらフリーナは独りごちる。
「それは君にも言えるのではないかね?」
 溢した本音は思いもしない人物に拾われた。
「やあ、ヌヴィレット。独り言の立ち聞きなんてマナーがなってないんじゃないかい?」
「それは失礼をした。だが、独り言を聞こえるほどの声で発する君にも非があるのではないかね?」
 フリーナは息を大きく吸い込んだ。それから口を開き、言葉の代わりに吸い込んだ空気を吐き出した。
「フリーナ殿?」
……やっぱりやめた。せっかくの逢瀬を台無しにしたくないからね」
 フリーナは向きを変えると再び空を仰ぐ。背後でヌヴィレットが溜息をついたかと思うと、足音がすぐ隣でした。
「失礼。同席しても?」
「好きにしたら?」
 横目でヌヴィレットを一瞥したフリーナの視線はすぐに空へと吸い込まれていく。
(逃げてしまえば良かったのに……か)
 ヌヴィレットは先程のフリーナの言葉を反芻する。たった一人で尽力してきた牽牛と織女。彼女は二人の姿に過去の自分を重ねたのだろうか。
……織女が君で牽牛が私なら」
「私なら?」
「君に教えを乞うていたかもしれない。一人では重い荷であったとしても分け合えば軽くなる……技術の習得に時間はかかるかもしれないが生産性が上がれば、結果的に仕事の時間を短縮することが可能になるだろう……仕事が早く終われば共に過ごす時間も増える……
 顎に手を当て、考え込むヌヴィレットにフリーナは、ふは、と息を吐き出した。くすくすと笑い出すフリーナにヌヴィレットは怪訝な顔をする。
「キミの仕事は誰がするんだい!? でも、そうだね……僕が織女ならキミに農業や牛の世話を習うことだろう。重荷を分け合うんだろう? なら、牽牛の仕事を織女が手伝ったっていいはずだ」
 フリーナの頭がヌヴィレットの肩にのる。
「そういえば、稲妻ではまた違う話があるんだ」
 薄い桃色の唇が朗々と物語を紡ぐ。一人の天女と羽衣を隠した盗人の話であった。水浴びをしていた天女に一目惚れをした男は気にかけてあった羽衣を盗み隠した。天へと帰れなくなった天女を言葉巧みに騙した男はまんまと天女を妻にした。
 天女が男と結婚して数年後、隠してあった羽衣を見つけ出し、生まれた二人の子どもとたちと共に天へと帰っていった。
 天女の教えを守り、天までやって来た男は天女の父親から炎天下での畑仕事を言いつけられ、喉の渇きに耐えられず、畑の瓜を食べてしまった。すると、食べた瓜から水が溢れ出し、母子と男を隔てる大河となった。二人は星となり、一年に一度だけしか会えなくなったとさ。
「と、まあこんな感じかな」
「何故、天女は男と結婚したのか理解しかねる」
 眉間に皺を寄せ、嫌悪感を顕にするヌヴィレットにフリーナは噴き出した。
「そりゃあ、困っているときに優しくされたら相手のことが好きになってしまうものさ。それが計算によるものであったとしてもね」
「ふむ……ならば、君もそうなのかね?」
 ヌヴィレットの瞳がぎらりと妖しい色を放つ。フリーナは澄ました顔で「どうだろうね? 試してみるかい?」と返した。
……やめておこう。君がその程度で恋に落ちるとは考え辛い」
「なぁんだ。つまんないの」
 フリーナは唇を尖らせると林檎飴に齧りついた。七夕祭りと称したこの催しはパレ・メルモニアと社奉行による共同事業であった。天の川を観測するため、廷内の街灯は最低限にまで落とされ、街行く人々は千織屋から借りた浴衣に身を包んでいる。主催者側であるヌヴィレットは勿論のこと、流行に敏感なフリーナも朝顔と呼ばれる花の描かれた紺色の浴衣を着用し、後ろで一纏めにされた髪は小さなお団子にされ、青い玉簪が飾られている。晒された項には薄っすらと汗がにじむ。

 ヌヴィレットは傍らのフリーナの肩を抱くと耳元で囁いた。
「私が男ならば天女を天に返すようなミスは犯さないだろう……隠すなど生ぬるい。完膚なきまでに引き裂き、燃やし尽くし、郷愁の念すら抱けぬほどに愛することだろう……
 フリーナの剥き出しの項に口づける。腕の中のフリーナが大袈裟に華奢な肩を跳ねさせた。