ながひさありか
2025-07-07 21:06:06
4948文字
Public STR-Phaidei
 

ピンチヒッター

永劫回帰前のどこかのループ(直前回ベース)。
タコと魚を獲ってきたのでモーディスに調理を任せようとしたところ、タコの下処理を拒否される話。
ちょっとおせっかいな幼馴染のキュレネがいまます。

「お前に任せる」
 珍しく食材を前にものすごい渋面をしているモーディスを面白がって眺めていたところ、まな板の上でまだ動いているそれにナイフをダンッ! と打ち付けながら、モーディスが振り返って僕の顔を見る。
………………
 思わず食材(まだうねうねと動いて逃げようとしている)とモーディスの顔を交互に見比べ、「そんなに気に障るようなことをしたか?」と考えた。
 聖都の子供たちが海で遊びたい、と言うのでたまたま暇だったし見ていてあげようかな、と保護者にも手伝ってもらいながら遊泳可能範囲のロープを張ったり、砂浜にパラソルを立てたり、ベンチをセットしたりしていた時のことだった。波の打ち付ける岩の小さな穴を棒でつついていた子供の一人が大声をあげて、「何かいる!」と泣き出した。慌てて駆けつければそこには、波の間から足を出し、うねうねと動いている生き物——タコがいた。
 エリュシオンでは魚はよく獲れたけれど、タコは滅多にお目にかからなかった。オクヘイマでもメジャーな食品ではないし、魚の形をしていないそれに驚いてしまったらしい。
 なんとかかめの中に捕まえ、「食べると結構美味しいよ」と料理の得意な保護者の誰かにあげようかと思ったのだが、誰もタコを知らないのか、怖がって受け取ってもらえなかった。
 なので、じゃあモーディスになにか作ってもらおうかな、とついでに網に引っかかっていた数匹の魚と一緒に預けたのが二十分ほど前のことで、魚はとっくに捌き終わって下処理も進めているのに、タコだけは睨んだまま微動だにしなかった。
「もしかしてタコを見るのははじめてかい?」
「逆だ。嫌な記憶の方が多い」
 本当にずっと嫌そうな顔をしているモーディスに「ふうん」とそれ以上は詮索せずに相槌を打つ。
「お前も村で魚をよく食べた話をしていただろう、これの下処理はできるな」
「まあ別に嫌悪感はないよ。どうすればいい? とりあえず茹でようか」
「ああ」
 モーディスは「茹で上がったら教えろ」と既に野菜をいくつか洗い、ものすごい速さでカットしている。
 相変わらずの手際の良さだな、と思いながらうねうね逃げようとしているタコを目打ちし、口の周りに切り込みを入れる。大人しくなったのを確認し、ひっくり返して内臓を取り出してよく洗うと、目とくちばしを取り除き、食べるには適さなそうなぼろぼろの足先はカットして捨てる。
 ここからが面倒くさいんだよな、と思いながらボウルにタコをいれ、塩を振り、吸盤の中の汚れを取るため塩揉みをしながらよく洗う。ぬめりがメレンゲみたいな泡になれば綺麗に洗い流して、もう一度塩をふりかけて良く揉んだ。そういえば魚は大概父さんが捌いていたな、と子供の頃の思い出が蘇り、ちょっとだけ感傷的な気分になった。でも、タコを塩揉みしながら考えるのは結構間抜けな絵面だ。
 十五分ほどしてからもう一度水で洗い流し、鍋にお湯を沸かす。沸騰した湯の中に足からそっとタコを入れて、「硬めと柔らかめどっちがいいんだ?」とモーディスの背に声をかける。
「お前の食べたい方にしろ」
 魚のムニエルを作っているらしいモーディスはフライパンに酒をふりかけて、少し鉄面に炎を移しアルコールを飛ばしている最中だった。バターのいい匂いがする。早く食べる係に戻りたい、と考えながら柔らかめに茹でたタコを引き揚げていると、ぐう、とお腹がなる。
「おなかすいたノン……
 ぼそりと呟いたモーディスの声が耳に響き、ばっと振り返ると小さくモーディスの肩が震えている。
 誰だそんな話を君にしたのは!?
「な、なんだよ。言いたいことがあるならはっきり言えばいいだろ!」
「お前は腹が減ると怒りっぽくなるタイプか」
 もう笑い声を隠す気もなくなったモーディスが声の端々を震わせながら皿に盛り付けをしつつ、ふと真面目な顔に戻って「すぐにできるが、我慢がならないならそこのクッキーでも食べて待っていろ」と口にして、すぐに吹き出す。
「ぐ……き、君だって案外そうだろ」
 言い返せばモーディスの言葉を肯定するようで癪だったが、反射的に声が漏れていた。
「そう言うことにしておいてやる。おい、皿を向こうに持っていけ。タコは茹で上がったな?」
 それを渡せ、と茹で上がったタコに視線を向けるモーディスに渋々それを渡し、魚のムニエルと野菜の蒸し焼きの皿を受け取って食卓へ運ぶ。ついでにピタを温めて、冷蔵庫に入っていたかぼちゃと蜂蜜のクリームチーズソースを取り出し、食卓に並べ、カトラリーも二人分用意しておく。
 モーディスは時々作法がどうのとうるさいので、ちゃんと教わった通りに揃えておく。
 水とザクロジュースと杯を用意しつつ一度調理場を見にいくと、薄切りにされたタコがマリネになっていた。オリーブオイルとニンニクのいい香りにさらにお腹が減る感覚がし、また音を聞かれてたまるか、とやることを言いつけられる前に退散した。
 今夜は僕とモーディス以外のみんな——オクヘイマに来ていたヒアンシーとキャストリスさんにキュレネ、アグライア、そしてトリビー先生たちはタベルナにディナーに行っている。普段、時間が合えば僕もみんなと食事をしに行くこともあったが、「今夜は女子会だから、ファイちゃんはモスちゃんとお留守番だぞ!」とキュレネと手を繋いだトリノン先生に言われていた。
 キュレネが意味深に「ちょうどよかったじゃない」とウィンクしていたのを考えると、もしかするとさっきのエピソードは彼女が僕のいない間にモーディスに話してしまったのかもしれない。
 何故かはわからないけれど、キュレネはモーディスと僕は気が合うと出会った当初から信じていて(まあそれはその通りではあったんだけど)時々、「それで、あの王子様とは仲良くやってるの?」と尋ねてくることがあった。
 そうでもないよ、普通だ、と嘘をつけば「でも一緒に朝食を食べているところを見たってディアディクティオで話題になってたわ」とか、「昨日だってバルネアに引きずって行ったって聞いたけど」となんでもわかっているような顔で笑う。悔しいが全て事実で何も言い返すことができない。
 だけど、身内にこういうことを、、、、、、、そう言うふうに揶揄われるのが一番きつい。……とは言った。
 彼女は「嬉しくなっちゃったの、ごめんね」と申し訳なさそうに苦笑して、「だけどもう余計なことは言わないわ」と僕と約束した筈だったのに、それは「僕には言わないって」意味だったのか!?
「何を虚空に向かって百面相している? 腹が減っているならクッキーを食えと言っただろう」
 悶々としていると、食卓に顔を出したモーディスがマリネと良く焼かれた骨付き羊肉を置く。羊肉からは柑橘ソースの爽やかさと肉の香ばしいにおいが混ざって、口の中に涎が思わず出てくる。暴力的な空腹感だ。悔しいことにまたお腹が鳴って、モーディスが一瞬肩を震わせたかと思えば、何事もなかったのようにスンッと無表情に戻る。いや、見えてるよ!
「芋も今ふかしてやってるから好きに食え」
……どうもありがとう」
 ザクロジュースを注いで口をつけるモーディスの満足そうな顔は、たぶん料理の出来栄えに対してだろう。
 羞恥心より空腹が勝り、羊肉とマリネを取り、ピタにたっぷりのソースをつけて、それぞれにかぶりつく。悔しいが、モーディスの料理は(基本的には)いつだって信じられないくらい美味しい。こんな風に美味しい食事を食べるたびに、かつて乾いた木の実を齧って飢えを凌いでいた時期があったことや、食材の貴重なエスカトンの世でこんなに美味しい食事をしてもいいのだろうか、なんて考えてしまうが、遠征や野営があればこんな贅沢な食事はできないのだし、オクヘイマにいる間の特権だと思って気にせず食べてしまったほうがいい。
 僕が羊肉に齧り付いている間に、モーディスは一度食卓を立ち、蒸した芋を持って戻ってくる。
 モーディスはチーズとバターと蜂蜜と塩を食卓に置くと、小さなナイフで熱々の芋に切れ目を入れて、チーズとバターをひとかけ、それから蜂蜜を垂らした。
 熱々の芋の上でとろりと溶けたチーズとバターと蜂蜜が、お皿に黄金色の池を作るのを思わずじっと見つめていることに気づいたのは、「物欲しそうな顔をしていないで食えばいいだろう」とモーディスが穏やかに笑ってからだった。その表情に、なんだか胸が苦しくなる。もうお腹いっぱいだよ、とため息をつきそうになったが、胃腸はまだまだ空腹を訴えていた。
 無言で僕も芋を取り、モーディスにならって芋に切れ込みを入れ、バターとチーズと少しの蜂蜜を垂らす。
 クレムノス人は知性のない蛮族で、言葉を話すけだものだ。殺した敵の血を毎夜飲み交わし、獣の肉は生で齧り付いて食べてしまう。作法とは無縁で戦うことしか脳のない奴らだ——なんて話を、オクヘイマでは今も普通に聞くことがある。だけど目の前で羊肉に齧り付いているモーディスは少なくとも生で肉は食べないし、飲んでいるのもザクロジュースだ。しかも「味がまろやかになる」と大真面目に言って、恥ずかしがりもせず大体は羊乳を入れてピンク色にしていた。
 多分こう言う、文献や人々の噂から抱くイメージとはちょっと、いやだいぶ違うところに、僕は段々と惹かれているのだろう。勿論尊敬すべき英雄というか、いくつもの戦場を率いてきた有能な将としての才能にも抗いがたい魅力を感じているのだが。
「お前は良く食うな」
 ふむ、と骨を皿に置きながら感心したように呟くモーディスの表情には、嘲りや揶揄いは浮かんでいなかった。
 どういう意味だろう、と思いつつ、「昔両親にも良く言われたよ」と笑っておく。エリュシオンは幸いにも食材の潤沢な村で、両親はいつも僕のために余計にパンを焼いたり魚を調理してくれたりしてたっけ。
「いいことだ。体づくりは食事が七割だからな」
「残り三割は?」
 素直に褒められたような気がし、途端にむず痒くなる。モーディスはすでにいつもの表情のわからない凪いだ美貌に戻っていて、僕が食べるのと同じくらいの速度で皿を空けて行く。
「運動に決まっている。まあ、お前は毎朝鍛錬をしているようだからな、俺がわざわざ口を出すことはあるまい」
「そ、」
「? どうした」
「いやえーと、後で食後の運動がてら手合わせでもどうかなと……今日もほら、食べすぎちゃってるような気もするし?」
 モーディスはばくりと一口で大きめのピタを口の中に収めてしまうと、しばらく考えるような顔をしてから、「まあいいだろう」と呟いた。
 その考える間はなんだったんだ? もしかして誘いがちょっと露骨すぎただろうか、とよくわからない羞恥で恥ずかしくなっている僕に、
「どうせそのままピュエロスにも行くのだろう。用意をさせておくから喚くなよ」
 と、ちょっとだけ考えていたことを見透かされて驚いた。
「違ったか?」
「違わないけど、嫌じゃないのかと」
「嫌? お前がか。それとも誘いの方か」
「えっ、突然はっきり聞くな。……まあ、どっちもかな」
 モーディスはザクロジュースを飲み干し、杯にもう一度注ぐ。
「嫌な奴と食卓は囲まん。誘いは日による」
 お前もそうだろう、と視線を送られて、「うーんまあ、そうだね」と答えるのが精一杯だった。
 表面に出てくる答えは君と一緒なのにな、と思いつつ、まだそれ以上に進める勇気がない。
「そういえばどうしてタコを触るのが苦手なんだ?」
 嫌いな食材というわけではないのか、マリネは普通に食べているモーディスに尋ねる。
「昔ステュクスでこの手の海魔と殺し合いを良くしたが、散々な結果になることが多かったからな。生きているこいつを見るとあの頃の怒りが込み上げてくる」
……それ、現実の話だよな?」
「荒唐無稽に思えるか? タイタンの神権や不死の体より不思議なものはそうこの世にあるまい」
 それはそうだけど、海魔と闘った人間も今はそんなにいないんだよな、と変なところで世間ズレしているモーディスはやっぱり興味深い。


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