風邪を引いたサイラスと心配するオルベリクの話です。お題箱にいただいたお題『旅の途中にサイラスがひどい風邪を引いて、薬の材料を探そうとしてなかなか落ち着かない攻め』でした!
はじめに感じたのは、些細な違和感だった。仲間達と談笑する横顔がいつもより生白く見えるとか、食事の量が少ないとか、考え込んでいるような時間がなんとなく長い気がするとか。隣を歩く男はいつも上機嫌で、今日だってそうであるはずなのに、それでも何かが引っかかる。
「サイラス……大丈夫か?」
曖昧な問いかけに彼は視線を上げて、不思議そうに瞬きをする。瞳の奥に輝く好奇心の光がオルベリクを捉えた。
「何がだい?」
「いや、少し……いつもと違うような。体調でも悪いのかと思ってな」
「特に気になってはいないけれど……あなたにそう見えるような何かがあるのかな。どこか気にかかるところがあったかい?」
「どこかと言われるほど具体的ではないが……」
逆に問われてしまうと、言葉に窮した。オルベリクはサイラスのように研ぎ澄まされた観察眼を持っているわけでもないし、小さな違和感を明瞭に言葉にできる豊かな表現力も持ち合わせていない。
サイラスは自分自身の額に手を遣り、平気だと言わんばかりに軽くその手を振ってみせた。
「大丈夫、いつもと変わらないよ。昨日は早く寝たのを、あなたも知っているだろう?」
「ああ、そうだな……」
昨夜はサイラスにしては珍しく、早い時間に休んだところを見届けている。とはいえそれも彼が進んでそうしたのではなく、オルベリクから、蝋燭が切れそうだから読書は終いにしろと進言したのだ。二人が当たり前のように相部屋に泊まるようになって暫く経つが、夜は休むか休まないか、同じ寝台で眠るか眠らないか、ささやかな駆け引きを楽しんでいる。誓って言うが、昨日は本当にただただ一台の寝台で共寝をしただけだ。
すると彼は、やけに嬉しそうに微笑んでみせた。前を歩く仲間達には聞こえないようにひそめられた声が、鼓膜を優しくくすぐる。
「……やっと謎が解けたよ。今日は朝からずっとあなたが見てくるから、ドキドキしていたんだ。心配してくれていたんだね、ありがとう」
「ああ、その……不躾な視線ですまん」
「あなたの心配の証だ、甘んじて受け容れるよ」
そう言われたオルベリクの方が胸を高鳴らせてしまったので、少々ばつが悪い。可愛らしい恋人はいつも、自分より一枚も二枚も上手だ。
しかし悪い予感というのは当たるもので、時間が経つにつれてサイラスは体調を崩していった。こういう日に限って魔物との交戦も多く、少ない体力を使い果たしてしまったことも悪化の一因になっただろう。夕方にはサイラスの口数はめっきり少なくなり、高熱に顔を火照らせてしまっていた。
座り込んだサイラスの口の中を見たり体温を計ったりと診察していたアーフェンが、自身の顎を撫でる。
「かなり熱が高いな……。疲れが出たか、どっかでもらってきたか……まあ旅してると色んなとこに行って色んな魔物と戦うわけだし、やむを得ねえか」
「大丈夫なのか?」
「ちゃんと薬を飲んで休んでりゃ回復するはずだ。だけど休むにしても野宿じゃな……」
「……いや、町まではもうすぐなんだ。日が暮れる前に移動しよう……」
病で弱っている本人がそう言って立ち上がろうとするから、オルベリクは慌てて彼の体を支えた。力が入っていない細い体は、いつも以上に頼りなく感じる。
「この辺りは夜行性の魔物も多いから……。皆を危険にさらしたくない……」
「そういう先生が一番体調が悪いのよ!」
「先生がその気なら、町に行くのは賛成だ。実は薬の材料も足りなくてな……町に行けば売ってるかもしれねえし、なくても先生を休ませてる内に、自生してるやつを採りに行ける」
「アーフェン君もこう言っているんだ……。先に進もう……体はこうだが、魔法は使えるし……」
「やめろ、かえって怪我人が出る」
テリオンの皮肉にも言い返す余力がないらしく、サイラスはぐったりと項垂れている。自分としては今目の前で弱っている恋人に無理をさせたくないというのが本音だが、このままでは薬が手に入らず、苦痛が長引くだけだろう。苦渋の決断であったが、譲れない条件をひとつだけつけて二人の意見を支持することにした。
「……分かった、町に向かおう。サイラスは俺が背負って歩く」
「大丈夫だよ、歩けるから……」
「だめだ。それは許さない」
「はぁ、許さないって……」
半笑いを浮かべたサイラスだったが、オルベリクの表情を見ると眼を丸くした。自分は一体どんな顔をしていたのだろう。新兵を叱る上官のような顔をしてしまっていたか。体調が悪い恋人に見せるべき姿ではなかったかもしれないが、心配してうろたえているよりはましだと開き直ることにした。
「お前を歩かせるよりも、その方が早い。良いな? 嫌なら抱えても構わんが」
「……分かった、分かったよ……」
「よし、では隊列を組み直そう。オルベリク達を中心にして、わたしが先頭を歩く。殿はリンデと……」
ハンイット達が打ち合わせている間に、その場に膝をついて背中を丸める。サイラスは未だ渋っている様子だったが、何も言わずに待っていると、やがて背中に乗ってきた。両足に腕を回して立ち上がる。相変わらず軽いものだ。
「準備ができたら行こう」
「ああ、大丈夫だ」
「サイラスさん、お辛いでしょうね……」
「先生が静かだと調子が狂っちゃうわ。早く休ませてあげましょ」
口々にサイラスの身を案じながら、一行は再び歩を進めた。サイラスの体は服越しでも分かるほど熱を持っていて、荒い呼吸が首筋にかかる。
もっとオルベリクの体温が低ければ、今こうしている間も彼の体を冷やしてやれただろうか。馬のように速く駆けることができる足があれば、もっと早く、彼を安全な場所まで連れて行ってやれるというのに。不甲斐ない自分に歯噛みしながら、気休めにしかならない言葉をかけた。
「サイラス、もう暫くの辛抱だ。耐えてくれとは言えないが……休めそうなら眠っていても構わんから」
「……うん」
清流のように淀みなく紡がれる声が聞こえないというのは、やはり少し寂しくて、そして大いに心配だ。脱力した体をしっかりと抱え直し、逸る気持ちをこらえながら歩き続けた。
***
日暮れ前には無事に町に着き、トレサとアーフェンが商店を駆け回ってきてくれたが、残念ながら薬の材料は見付からなかったらしい。サイラスを寝かせた寝台の傍で、しゅんとしょげたトレサの背をアーフェンが叩き快活に笑った。
「そう落ち込むなって! 俺がすぐ見付けて来るからよ。悪いが旦那、先生の様子を見ていてやってくれねえか?」
「構わんが……サイラスの病は他の者に感染するようなものなのか?」
「いや、そこは大丈夫だ。たぶん魔物や動植物が保菌していたのが傷口から入ったところに、疲労も相まって発症したんだ。看病するくらいなら問題ねえよ」
「では、看病は他の者に任せて、俺も同行させてくれないか」
その提案にアーフェンは目を丸くし、臥せっているサイラスとオルベリクの顔を交互に見た。サイラスは今も短い呼吸を繰り返し、苦痛に眉根を寄せている。傍にいてやりたいのは山々だが、オルベリクが今すべきことは違うという確信があった。
「薬草というのは種によっては魔物も好み、生息域が重なっていることがあると聞く。それなら道中や採集中の身の安全を確保しなければならないだろう。俺にできることは剣を振ることだけだ……看病してやるよりも、お前について行ったほうが役に立てると思ったまでだ」
感染する病なら話は別だが、そうではないのなら看病は他の仲間に任せることができる。問答している時間も惜しくて早口で捲し立てると、アーフェンはすっかり気圧されたように仰け反っていた。
「わ……分かった。そんなら一緒に行こう。旦那が一緒なら百人力だぜ!」
「では、わたしがサイラスさんに付いていますね。どうかお気を付けて」
「ああ。……サイラス、すぐに戻るから待っていてくれ」
「……」
そっと肩に手を添えて言うと、サイラスの瞼が薄く開いた。彼は小さく、そして確かに頷く。それを見届けてから、オルベリクはアーフェンを伴って宿屋を飛び出した。
***
――唐突に、ふと意識が浮上した。カーテンの隙間からは淡い陽の光が差し込んでいて、今が早朝であることを知る。薬を飲ませてもらったお陰か、泥に沈んでいるかのような気怠さはすっかり消え去っていた。
ゆっくりと体を起こし、椅子に座ったままうつらうつらと船を漕いでいる男を見遣る。彼は夜中にサイラスが目を覚ます度に汗を拭いたり、水を飲ませてくれたりと献身的に看病し続けてくれた。部屋にはもうひとつ空いている寝台があるからそこで休めばよかったのに、片時も傍を離れようとしなかったらしい。
「……全く、あなたの方が風邪を引いてしまうよ?」
オルベリクの肩に毛布をかけてやると、ぱちりと瞼が開いた。相変わらず、就寝中だろうが気配や物音には敏感だ。けれど、寝惚けている彼よりはサイラスの行動の方が早い。
「サイラス、」
「心配かけてすまなかったね」
掠めるように頬に口付けて微笑んでみせる。オルベリクはほっと安堵したように表情を柔らかくし、サイラスの頭を優しく撫でた。
「いや、調子が戻ったようで良かった。もう少ししたらアーフェンを連れて来るから、まだ横になっているといい」
「ああ、あなたが眠ったらそうするよ」
「俺は問題ない。鍛えてるからな」
「そうはいっても心配だよ。あなたが私の身を案じてくれたように、私だってあなたのことが大切なのだから……」
恋人のことを大切にしているのが自分だけだと思ったら大間違いだ。顎下をくすぐりながらそう言い聞かせてやると、オルベリクは根負けしたように頷く。
「分かった……。もし気分が悪くなったりしたら遠慮なく起こしてくれ」
「大丈夫だと思うが……その時はあなたを頼らせてもらうね」
「そうしてくれ。さあ、先にお前が横になるんだ」
言うが早いか体を倒され、毛布を掛け直される。サイラスが寝姿勢になると、ようやくオルベリクはもう片方の寝台に潜り込んだ。その姿を確かめてから再び瞼を閉じる。
昨日の記憶は熱のせいか朧気であったが、オルベリクの声だけはしっかりと耳に残っている。サイラスのためにできることを懸命に考えて、行動に移してくれた。仲間の手前平静を保とうとしていたが、一晩べったり付き添うくらい心配していたのだろう。
私が好きになったのは、なんて愛情深いひとなのか――。温かな毛布は彼の愛のようにサイラスを包み込み、健やかな眠りにいざなった。
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