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桜霞
2025-07-06 21:49:07
10266文字
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【RKRN】しのぶれど【雑夢】
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【RKRN】しのぶれど【ZAT夢】8
※つどい設定があります。
※雑高要素が香るほどあります。
※モブがたくさん喋ります。
※捏造がたくさんあります。
※なんでも許せるひと向けです。
誤字脱字がありましたら、該当箇所のみ教えて頂けると、大変助かります。
よろしくお願いします。
初夏。
水を張った田に、稲の緑が瑞々しい。その向こうで、足軽達の雄叫びが轟き、長槍がぶつかり合っている。馬が嘶き、侍の振り上げる刀がきらりと日差しを反射した。
タソガレドキ軍はオーマガトキ軍との戦が終盤を迎えていた。城下ではタソガレドキ軍が勝利したともっぱらの噂で、戦が終わったばかりだと言うのに町には物が溢れ、銭が回り、人々の懐を潤していた。旧オーマガトキ領の惣などから献上された品々もそこに含まれている。大々的な戦でタソガレドキ軍が勝利したので、旧オーマガトキ領においては、徐々にタソガレドキ領へと、統治者の首のすげ替え等が行われていた。
一方で、タソガレドキに雇われようと、腕に覚えのある侍や武将くずれが、続々と城下に集まっていた。町人地では見なかった侍や鎧武者が、あらゆるところで目端につくようになり、殴り合いの喧嘩が絶えないだの、仕事を巡って誰ぞが斬られただのという血腥い話題が城下を席巻した。
「、奥方さま! いらっしゃいませ」
「こんにちは」
暖簾をくぐった彼女は、店の中の人口密度に驚いた。たくさんの客が店員とやりとりをしていて、どこに顔を出したものか分からない。しかし足を止める間も無く、真っ先に声をかけてくれた若衆の一人がどうぞどうぞと彼女を誘って、彼女も微笑んでそれに応じた。
「今日はいつものですか?」
「ええ。お願いします」
「承知しました。少々お待ちください!」
サッと身を翻した若衆と入れ替わるようにして、柔和な面立ちの男が「いつも毎度ご贔屓に」と二人の前に顔を出した。人混みの間を縫って現れた男に応じたのは高坂だった。
「繁盛しているようだな、店主」
「へえ、そりゃもう、お陰様で」
店には老若男女、さまざまな町人が出たり入ったりを繰り返していた。町人以外にも、腰に刀を提げた侍や、鎧を着込んだ男達もいる。店の奥の方では、若衆たちがそれぞれの手に商品を抱えて忙しそうに行ったり来たりしていた。
「今のは新人か」
「へえ。弥太郎と申しまして。何か粗相でもございましたか」
「いや
……
随分人懐こいと思ってな」
高坂はチラリと彼女の方を見遣った。彼女は澄ました顔で弥太郎が荷物を持ってくるのを待っている。
「ああ、これは、大変申し訳ございません。しかし、当の奥方さまが好きにさせよとおっしゃいまして」
「そう
……
なのですか」
「はい。人懐こいのも商売には必要な要素でしょう」
「まことに、奥方さまのおっしゃる通りで」
しみじみと店主が頷いた。
「あれの人たらしのおかげで、うちの店は喧嘩沙汰とは無縁でございます。はじめはとんだ拾い物をしたと思いましたが、いや、覚えは早く、お侍にも物怖じしない度胸とくれば、最早うちには欠かせぬ若衆の一人でございます」
店主の言葉には実感がこもっていた。
「何かあったのか?」
「いえ、他所ほど大したことは。しかし、お侍や武者の方が増えましたからには、道理の通らぬことも増えまして」
弥太郎はそれをやんわりと受け流すのが得意なのだという。
「奥方さまにも、はじめから可愛がっていただいて」
「そうかしら」
あくまでもしらを切る彼女に、店主は笑みを深めて「ごゆっくり」と頭を下げた。入れ替わるように、弥太郎が品物を持って戻ってくる。
「お待たせしました」
にこ、と人好きのする笑顔で弥太郎が品物を差し出した。一瞥して検分を終えた彼女が差し出した風呂敷に、手際よく品物を包んでいく。
「おい!!」
不意に、乱暴な声音が店の間をつんざいた。はたと手を止めた若衆と彼女が顔を上げると、粗忽な男が険しい顔で品物を指差している。
「どうして俺にはあれを持ってこんのだ。俺の方が先に店に来て、注文しただろうが」
「はあ、それは、」
「この店は順番を守らんのか!? エェオイ」
刀の柄に手を置いた男に凄まれて、店員はすっかり震え上がってしまっている。
「お客様、どうか落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるか!!」
店主が柔い声で宥めるが、逆鱗に触れたかのように男がさらにいきり立つ。
「しかし、お客様は以前のお支払いもございまして、」
「それは俺ではない!! 俺を盗人呼ばわりするか、無礼であるぞ!!」
男が喚き散らして濃口を切った。そうだそうだと他の男達も声を上げる。どうやら男の仲間らしく、皆一様に何かの刃物を持っている。慌てて平伏する店主では話にならぬと思ったのか、男の矛先は彼女の方に向いた。
「おい、貴様! お前のそれを俺に寄越せ。それで此度は許してやらんこともない」
瞬く彼女に、男はニヤリと下卑た笑みを浮かべた。
「よく見れば綺麗な顔をしておる。ほら、こっちに持って来い」
一歩前に出ようとした高坂を、口を開こうとした弥太郎を制し、彼女は立ち上がった。品物を持たず、ツカツカと男との距離を詰める。
「奥方さま
……
?」
彼女が何をしようとしているのか杳として知れず、店じゅうが固唾を飲んで見守った。素直な女は嫌いじゃないぞとヤニ下がる男の腕に、彼女がするりと手を這わせる。
「なんだ、随分と積極て」
─直後、背負い投げられた男の体は宙に舞っていた。
「奥方さま!?」
「兄貴!!」
「親分!!」
何人かの男が街道に投げ出された男に駆け寄り、残った何人かが野郎、と刀を抜いた。即座に高坂が彼女と男達の間に入り、いつでも抜刀できるように構える。
店や町のざわつきなど知ったことかと言った風情で、彼女は店の暖簾を手に取った。くん、と細い手首が捻られると、軽い音を立てて、暖簾を通す棒が空を切る。支えられてようやく立ち上がった男を、鋭い突きが襲った。喉を突かれた男に、両脇の男達も続け様に脳天を棒で叩かれる。
「野郎!!」
「女だからって容赦はしねえぞ!!」
「させるか!!」
ワッと店の外に出た無法者たちの刀を、高坂が一刀の元に叩き伏せた。手入れする金もなかったのか、側面から斬られた刀は情けない音を立ててすぐさま折れた。
「いいぞ! やっちまえ!」
「見ろよ、あいつの刀ボロッボロだ!」
野次馬達が賑やかに笑う。彼女の突きが男達を吹き飛ばして尻をつかせると、黄色い声援がキャアキャアとはしゃいだ。
「なんの騒ぎだ!!」
「あっ! お前はこの間食い逃げした野郎だな!?」
「刀が折れてやがる。お前ら、やっちまえ!!」
騒ぎを聞きつけてやってきたのか、若い男達が意気を合わせて侍達に踊りかかった。何人かが荒縄を持ってきて、あっという間に侍達を縛り上げる。
彼女は何事もなかったかのようにスッと身を引くと、店の暖簾を元の位置に戻した。高坂も刀を収め、慌てて彼女の後を追う。街道はやんややんやの大騒ぎだった。唖然とする店の中で、店主が憔悴しきりで彼女に駆け寄った。
「奥方さま、お怪我は」
「ありません。騒ぎにしてごめんなさいね」
「とっ、とんでもございません
……
」
「高坂殿、品物を受け取ってください」
「はっ」
高坂に荷物を任せて、彼女は店主に銭を少し多めに渡した。
「迷惑代も込みで、これで良しなにしてください」
「は、そりゃもう、」
店主が深々と頭を下げる。彼女は高坂が荷物を背負ったのを確かめると、すぐに踵を返して店を後にした。
「おお、ほら、あすこにいるじゃねえか、嫁に行ったくらいで治らなかったじゃじゃ馬が」
「ん? うげエッ、姐さんン!?」
「姐さま!!」
「ひいさま!!」
店を出た途端、若い娘達がきゃーっと歓声を上げて彼女に群がった。
「姐さま、お久しぶりです! 私のこと、覚えてますか?」
「よしこ? 大きくなったねえ」
「はい、ひいさま! じゃなかった、ええと
……
」
「姐さま、お怪我無いですかぁ?」
「姐さま、髪を結い上げてないのもとっても素敵
……
!」
「家に寄ってってくださいよう、最近怖くって」
「姐さまがうちに来てくださったら安心するから!」
きゃっきゃとはしゃぐおなご達に、無法者を縛り上げて引っ立てた男達がなにおうと眦を吊り上げた。
「おい! おれたちがいるだろうが!」
「男衆より姐さまのがかっこいーんだもん」
「臭くない、いーにおいだし」
ねーっ、とおなご達が大合唱する。男達はああ、と音を立ててずっこけて、おなご達から飛んできたハートが、唖然とする高坂の上を跳ねて転がっていった。彼女だけが泰然として、いつもと変わらぬ風情である。
「そんなに怖いことあったの?」
「あったの!」
声を揃えたかと思うと、おなごたちは矢継ぎ早に捲し立てた。
「あっちの店の、若いのがひとり死んじゃったの」
「急な病とかで、でもそんな感じ全然なかったのよ」
「え? なんかの毒に当たったんじゃないの?」
「向こうの方なんか、汚いお侍たちがたむろして!」
「すっごい横暴なの! 男達は全然動いてくれないし」
「姐さま、何とかならない?」
「あんた達! いい加減になさい!!」
きゃあっ、と悲鳴を上げておなご達が蜘蛛の子を散らすように彼女から離れていく。代わりに残ったのは、妙齢のご婦人だった。
「ごめんなさいねえ、奥さま、あの子たちったら分別がまるでついておりませんで」
怒鳴り声とはかけ離れた穏やかな声である。彼女は笑みを深めた。この婦人は昔から、彼女のことを姫さまと呼んでくれた女子衆のうちのひとりだった。彼女が町に馴染めるように何くれと世話を焼いてくれた人で、彼女の頭が上がらないうちの一人である。
「皆、変わりないようで安心したよ。それはそうと、おじじ、あんたまだ酒をやってるのか」
瓢箪を腰にぶら下げた老爺はふぇへへと元気そうに笑った。
高坂は何度目かびっくりした。彼女がこんなに砕けた感じで喋るのを見るのは初めてだったのだ。
「おめぇさんこそ変わりねえようだな。嫁に行ったくらいじゃどうにもならんかったか、このじゃじゃ馬は」
「さあな。しかし、だいぶ鈍ったようだ」
彼女が手のひらを何度か開閉させる。老爺は「そうは見えんがの」と笑った。
「理不尽と見ればすぐに手足が出るところは相変わらずじゃ」
「
……
で、人死にが出てるのか」
無理やり話の向きを変えた彼女に、老爺は声を低く落とした。
「ああ。だいぶ出とる。ちとまずい」
「病か」
「いんや、殺しだ」
ふむ、と思案する素振りを見せる彼女に、老爺は懐かしいものを見る視線を向けた。
「昔ァお前さんがおったからのう、いろいろとなんとかなったもんじゃがなあ」
不意に、老爺に刻まれた皺が深い影を落とす。しかし、彼女はにやりといなせに笑った。
「昔語りとは、らしくなったな、おじじ」
「カーッ、相変わらず可愛くないやつじゃわい!」
ははは、と彼女が肩を揺らす。そうして、少しだけ声を張り上げた。
「力になれずすまん。皆、出歩く時は気を付けろ。必ず二人でな。おじじは、安酒もほどほどにな」
「一言多いわっ」
がなる老人に気楽に笑って、彼女は昔のように手を振って身を翻した。一礼した高坂も後に続く。人通りが少なくなり、町を外れて、すれ違う人もだんだんといなくなり、あとは野山ばかりとなったところで、不意に彼女が口を開いた。
「先ほどは、見苦しいところを見せました。夫には、秘密にしてくださいね」
「、あ、はい
……
」
高坂の知る、いつもの奥方である。先ほどの気風のいい爽やかでいなせな雰囲気とはまたかけ離れていて、高坂は少しだけ反応が遅れてしまった。気付いているのかいないのか、彼女は笑みを深めて、「それにしても」と頬に指を添えた。
「殺しが増えているとは、穏やかではありませんね。兄に文を書きますから、届けていただけますか」
「それは
……
はい、承りましたが
……
」
高坂の足であれば、彼女を屋敷に送り届けてすぐに出発すれば、日が暮れる前に城下に戻ることができる。ひとまず彼女の頼みを受け入れて、しかし高坂は眉根を寄せた。
「
……
まさか、あの老爺の言を信じておいでで
……
?」
もっともらしい疑問に、彼女は片眉を上げた。そこに先程の彼女を垣間見て、高坂は思わず彼女から視線を逸らしてしまった。
「高坂殿は武士といえどもらしくない武士の方かと思っておりましたが、なかなかそうでもないところもおありのようですね」
「
……
と、申されますと
……
」
「町で人が死ぬのは当たり前です。老衰、飢餓、病、怪我、突然脈絡もなく
……
しかし、ある程度予兆はあって、それは自然なことなのです。その程度で町では人死にが出たと言いません」
しかし、ひどく根強い流行病が出る前や、殺しが流行るその直前は、ばたばたと不随意にひとが死ぬのである。予兆はない、ただ昨日と同じ今日の中で、しかし町人達ははっきりとその違いを感じ取るのだ。
「そういうものを、町で人死にが出たと言います。流行病と殺しは違う。悪意がある」
町人達が敢えて言葉にしてこなかったそれに、彼女は悪意と名付けていた。悪意、と高坂が口の中で繰り返す。
町人達は何も言わない。ただ人が死んだという。常のそれとは違うものを感じ取っていながら、常のように言う。ほとんどの場合、その違いの元凶に、自分たちでは太刀打ちできぬと理解しているからである。だからこそ、元凶に気付かれぬよう、身を守るために息を殺して、昨日と同じ今日を繰り返す。
彼女が居た頃は、彼女が力だった。立場ある武家の娘で、彼女にも頭があって、暴れ回ることのできる手足があった。そんな彼女に連帯する仲間もいた。
けれども、彼女はもう、町にはいない。
だからと言って、それは彼女が何もできなくなったという意味ではないのだが。
「おなご達の言っていた、汚いお侍というのも気にかかる。落ち武者ならたちが悪い」
戦に負けて何もかも失った落武者は、大抵荒んでいる。そういう人間が何をしでかすか、徒然なるままに生きている者達には想像がつかない。そして想像のつかないことに、同じ日々を繰り返す町人達では対処の仕様がない場合が多い。だからこそ若かりし頃の彼女が受け入れられたのだ。
高坂は、彼女からの文を預かって、城下に取って帰ることになった。道中を急いだおかげで、彼女の兄はまだ城から下がっていなかった。高坂は彼女からの文を確かに届けると、念のため雑渡に報告すべく、詰所に移動した。
「それがどうも野党崩れの、
……
」
雑渡の部屋の前で声をかけようとすると、押都の声が不意に途切れる。高坂の気配に感づいたのだ。部屋の中から気配を伺う感じがして、高坂は声をかけるか迷ったが、雑渡が「陣左か」と言ったので、「はい」と返事をした。
障子を開けると、押都をはじめとした黒鷲隊の何人かが雑渡に報告をしているところだった。
「お邪魔してしまい、申し訳ありません」
「いいよ。ちょうどお前にも任せようかと思っていたから」
入りなさいと促されて、高坂はすぐに部屋に入った。障子を閉めると、「それで」と雑渡が押都に続きを促す。
「は。戦の噂を聞きつけて、何処からかやってくる剣客や武者の数は今の所増えゆくばかり。我らでも素性を検めておりますが、ほとんどが野党崩れ。足軽や侍として雇用されなかったものが城下を去らず、町人地の空き家や社寺地の廃寺、そう距離のない丘や山に居を構える者も多く
……
物盗りも増えております。今の所、拐かしなどはありませんが
……
」
「関係ないかとは思いますが、事故死も増えています」
五条が押都に言葉を添えた。
「ふむ
……
しかし、城下に限って治安が悪化するとなると
……
」
「何かしらの陽動ですかな」
「如何しましょう、組頭」
「こちらは目付殿にお任せし、我等は警戒に当たりますか」
黒鷲隊の提案に、雑渡は首を横に振った。
「いや、明日以降、目付の父親の方は問題が生じたとかで元アカトキ領の方へ、子息殿は殿のご命令でオーマガトキの方へ行かれるはずだ。調査も警戒も我等が行なう」
「承知仕りました」
押都が拳を床に着く。
「陣左。陣内に、何人か見繕って、黒鷲隊の調査に同行するよう伝えてくれ」
「かしこまりました」
調査の先で戦闘が生じた場合、黒鷲隊だけでは情報が遅れる可能性がある。そのために雑渡は火器を取り扱う狼隊や近接戦闘を得意とする月輪隊に同行を指示する場合が多かった。
タソガレドキ忍軍に、あらゆる忍務をこなせない忍者は存在しないが故である。
「それで、陣左はどうしたの。今日、休みじゃなかったっけ」
「はい。奥方さまの買い物に同行した折り、町人達から押都小頭のご報告されたような内容の噂を耳にしたので、奥方さまから兄君に文を届けるよう仰せつかりました」
「なるほど。町でも随分噂になっているのか」
「は
……
、」
高坂は、彼女と老爺のやり取りをどう説明したものか迷って、結局口を噤むことを選んだ。彼女たちが感じ取っている悪意の雰囲気は、どうにも高坂には説明し辛いことだった。
「大事が起こる前に詰めておきたい。どこから無法者が流れてくるのか突き止めよ」
「は」
しかし、雑渡からの追及はなかった。押都と共に頭を垂れて、高坂は雑渡の前を辞した。
すぐさま掻き消えた気配の後、雑渡も腰を上げた。狼隊が待機している場所に顔を出し、これから帰ろうとしていた尊奈門に言伝を頼む。尊奈門は張り切って返事をし、急いで隠れ里へと向かった。
忍軍の一人として勤め始めた尊奈門には、城下の長屋が与えられていたが、尊奈門は十日に一度、隠れ里へ顔を出していた。今日は里に帰る日ではなかったが、家に帰っても寝るだけであれば勝手場を預かる母に小言を食らうこともないだろうし、尊奈門の足なら夜が更ける前に城下に戻って来ることができる。
「おじゃまいたします、奥方さま」
夕飯の米が炊ける匂いや、焼き魚の香ばしい匂いが漂う屋敷の前で、尊奈門はいつものように声を張り上げた。少し間を空けて、そっと戸が開けられる。
「
……
尊奈門? どうしたんですか、こんな時間に」
「はい。ちょうど勤めが終わったところなんですが、雑渡さまから伝言を言付かっております」
「伝言?」
「はい。しばらく帰れないから、戸締りをしっかりするように、とのことでした」
最近何かと物騒ですからねえ、と続ける尊奈門に、彼女はなんだか肩透かしを喰らったような気分だった。こんな時間に誰ぞが訪ねてくることなど皆無だったので、すわ何かあったのかと、過度に緊張していたらしい心の臓が痛むような気さえした。
「
……
何か、あったのですか?」
「えっ? 何もございませんよ」
嘆息しながら言った彼女に、尊奈門はどきりとしたのをなんとか堪えながらできるだけいつものように返した。じとりと尊奈門を見つめる彼女の目は、時々なんでも見透かしているような気さえする。小さく固唾を飲む尊奈門に、彼女は低い声音で問うた。
「あなたが夫の帰りを報せにくるなど初めてでしょう。何があったんです」
「そ! れは、ですね
……
」
なんと言ったものか、瞬いて固まり、しどろもどろとする尊奈門。何を察したのか、彼女は長く息を吐いた。
「ま、あなたがそうしているということは、怪我などの大事ではないのでしょうけど」
「お
……
おっしゃるとおりで
……
」
尊奈門はごまかすように苦笑した。どうにもしまらない態度に、彼女は尊奈門らしいわと忍び笑いを零し、半身を引いた。
「どうぞ。寄ってらっしゃい」
「えっ。いや、こんな夜分に、申し訳ありません」
「こんな夜分ですから。最近は何かと物騒と言ったのはあなたでしょう。泊まっておゆきなさい」
いいのかしら、と尊奈門は自分に問うたが、さ、と尊奈門を促した彼女が家の中に入っていってしまったので、雑渡に申し訳ないような気もしながら、屋敷の敷居を跨ぐことにした。
「
……
では、お言葉に甘えて
……
おじゃまします」
戸を閉めながら、念のため、辺りに視線を走らせる。こどもの頃は暗いばかりだと思っていた夜も、忍として鍛えられる内に、星と月の灯りだけで随分と遠くまで見通せるようになってしまった。
まさかこんなところで自分の成長を感じるとは思わず、尊奈門はなんだか据わりの悪いような気がしながら、彼女に勧められるまま、囲炉裏の傍に腰を下ろした。
一方、雑渡はと言えば、領地の中でも僻地にある廃寺などを巡っていた。俊足で森林を駆け抜け、しなやかな木々を利用して跳躍して山を越え、あっという間に三分の一を検分し終える。真夜中と言われる頃合いになって、雑渡はいったん城に戻ることにした。
町は時折松明の灯りが見えるものの、見張りのために明るくしている城の周辺以外は、たっぷりとした暗闇が覆っていた。タソガレドキ忍軍にのみ許されている戸から城の詰所に戻ろうとして、雑渡はふと城門の方を見遣った。門番とにこやかに会話をしているのは、彼女の兄、雑渡にとっての義兄である。
「こんなに遅く帰るなんて、奥さんおかんむりなんじゃないですか」
「いやあ、うちは静かなもので」
「そうですかい、羨ましいこった」
そりゃあ静かだろう、と雑渡は覆面の下で片頬を緩ませた。彼に内助はいない。まだ嫁を取っていないのだから、家は静かで当たり前だ。
楽しげに話していたのもそこそこに、彼は他の門番から提灯をもらって、かたじけないと礼儀よく頭を下げた。にこやかに門番達と別れ、暗がりに進んでいく。彼の進む、ほんの一寸先を、提灯が頼りなく照らしていた。
城の松明の明かりが、彼に届かなくなる。雑渡はふと、目を眇めた。光が途絶え、フッと暗くなるその瞬間、しろがねがチラリと伸びる。雑渡が動いたと同時、提灯が鋭く投げ捨てられた。音を立てて雑渡の苦無が刀を弾き飛ばし、侍が呻き声をあげてのけぞったところを雑渡が蹴り倒す。直後、彼が抜刀の勢いで矢を弾き落とし、流れるように脇差しを投擲する。
ぎゃっと遠くで悲鳴がして、駆け足の音が小さくなっていく。雑渡の耳はそれを追いかける足音も拾っていた。
「逃したか」
「いや、お見事」
「嫌味か? 雑渡殿」
にやり、義兄がいなせに笑う。
「危ないところを、助かり申した」
雑渡の足元には、胴の中央への足蹴の衝撃を逃しきれず、男が一人伸びていた。
「助太刀など無用でしたか」
実際、雑渡が苦無を放った時に、彼は反応して抜刀しようとしていた。しかし彼はいやいやと首を横に振った。
「私一人では怪我のひとつやふたつもこさえましたが、雑渡殿のおかげで五体満足でござる」
微笑む雑渡に、彼は飄々と人好きのする笑顔を浮かべた。わざとらしい物言いだが、どこかひょうきんとも取れるそれに、雑渡も笑みを深める。
「御身がご無事で何より。後のことはお任せください」
「まさか。これでひとり先に帰れば父にどやされます」
呆気に取られていた門番が正気を取り戻したのか、目付殿と声を張り上げながら、ばたばたとこちらに駆け寄ってくる。彼は雑渡から刀の下げ緒を受け取ると、慣れた仕草で男を縛り上げた。
「手慣れたものですな」
「昔に色々ありまして」
ほう、と相槌を打つ雑渡に、彼は「後で落ち合いましょう」と声をひそめて言った。
「承知仕った」
雑渡の姿が掻き消える。いつものことだが面妖だな
……
と彼は思ったが、口には出さなかった。先ほど別れたばかりの門番が息せき切って彼に駆け寄るところだった。
「ごっ、ご無事か」
「うん、大事ない。すまぬが、こやつを牢に繋いでおいてもらえるか」
「はっ!」
燃え盛る提灯を拾って、彼は今まさに自分を闇討ちしようとしていた男の顔を照らし出した。苦悶の表情で気を失っている男は、しかし見覚えのあるものではない。
「お知り合いですか」
「いいや。知らぬ。しかし、ふむ。父なら何かご存知やも知れぬ」
「使いを走らせましょう」
「すまぬが、頼む」
「お任せください」
頼り甲斐のある笑顔で、門番はすぐに仲間に声をかけた。彼は燃え尽きてもはや竿の部分しかないそれを堀に投げ入れると、先ほど来た道を戻って行った。
職場である部屋に戻っても、同僚は誰もいなかった。皆自分より先に帰ったのだから当然だった。やれやれと嘆息し、手近の燭台に火を灯す。先ほどの男に見覚えはないが、身に纏っていた足軽具足には見覚えがある。家紋が刻まれている辺りが無理やり削り取られて判別しにくくなっていたが、それと近しいものを彼は思い出しかけていた。記憶を頼りに書類の束を仕分けていた彼は、ふと「それで」と独りごちるようにして言った。
「逃げた者は、手の者に追わせております」
燭台の生む暗がりから応えがある。雑渡であった。
「貴方さまの脇差しがよい目印になりましょう」
「投げた甲斐があったな」
「左様で。おそらくは根城が詳らかになるかと存じます」
そうか、と彼は手元の書類を仕分ける作業を淡々と続けた。
「城下を騒がせている者たちであるという証拠があれば、その場で召し捕って構わぬだろう。なければ数日泳がせるか
……
、しかし、怪我人を抱えていれば大きくは動けまい。素性によっては殿のご差配を待たねばならぬ」
「
……
ということを父君は仰せでしょうな」
「うん。よしなにお頼み申す」
「は」
ふ、と蝋燭の火が揺れる。そこにはもう何者かの姿はなく、ただ陰影だけがあった。
まったく、いつまで経っても慣れぬなあ、と彼は何度目か、嘆息した。
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