ロンド
2903文字
Public くにぐに
 

小さなトゲ(丁諾←氷)

デンノル←アイス。ノルとピアスの話。

 クロスピンとは違う、ちいさなきらめきをアイスは見逃さなかった。
「ピアスホール開けたの」
「ん」
 ノルはさっき上司からややこしいメールが来たとかで、ノートパソコンに向かっている。休日なのにご苦労なことだ。アイスはコーヒーを淹れようと思ってソファから立ち上がって、ノルにも所望されたので淹れてやった。それで、パソコンの中身を見ないようにダイニングテーブルの斜め向かいに座ったところで、見慣れないものがノルの耳に輝いていることに気づいたのだった。
 トレードマークのようにクロスピンで髪を留めているノルだけれど、妖精たちとの窓口という実用であって、べつにアクセサリーの類に興味があるわけでもないらしい。いまや権力を象徴する宝飾品を身に着けることもずっと少なくなって、式典でもなければノルが身を飾っているところは見かけない。だから目についた。
 一見、なんの変哲もない赤い石のようだった。形状はルビーを思わせるプリンセスカットで、銀色の台座に埋め込まれている、シンプルなデザイン。最近はこういうイミテーションのピアスは手軽に手に入るから、よく観察しなければファーストピアスと勘違いするかもしれない。
 アイスは身を乗り出して焦点を合わせる。じっと睥睨し、おのずと確信した。ぜったい、イミテーションなんかじゃない。
「ダンにもらったの?」
……なして」
「だってノーレが、それを自分で選ぶと思えないんだもん」
 ノルは服飾に頓着がない。私服のカラーリングは白と黒と寒色系。素材は一級品でも自分を飾ることにとことん興味がないので、クローゼットの中身は似たり寄ったり、下手すればモノクロで味気がない。ノルの部下が苦労していることをアイスは知っていて、あえて誕生日にピンクのネクタイを贈ったりと協力している。おそろしいことに本人はこんなに適当でも、何を着ても様になっているのだから世の中は不公平だ。
 そのうえ、ルビーを思わせる赤い石、高級感を演出する銀色の台座。飾り気がないと思わせて、それらは惜しげもない最高技術で造られていた。偽物なんかじゃない、職人が丁寧に磨製した、傷も斑もひとつない完璧なプリンセスカットで、宝石の美しさを最大限に引き出していた。そのうえ台座すら、針の穴よりも細かな北欧風の模様がほどこされている。一点ものの芸術作品に相違ない。
 ノルが選ばないカラー、ノルが買わないだろう価格、どう考えてもデンからの、思いがこもったプレゼントであることを示している。
 アイスの返答に少々の不満が乗っていたことが、ノルはどう勘違いしたのか眉をひそめて言い訳した。頬杖をついている指先が石に触れる。
……俺はいらねえっつっだけんど、あんこが押しつけてっだ……
「なにそれ。サプライズだったの?」
「ん」
「サプライズとかほんといらない。こっちが断ったら悪者みたいで、いらないものならよけい最悪なのに」
 アイスとしてはかなり実感のこもった――毎年誕生日会を無駄に企画してくる兄への批判も込めた――発言だったが、ノルはパソコンから視線を逸らさず、おざなりに同意した。まったく響いていなさそうなことにアイスはため息をつく。マグカップのコーヒーはまだ熱そうな湯気を立てている。
 気に食わない。いらいらする。
 なにって、普段はうっとうしいくらいに構い倒してくる兄が一度もこちらを振り返らないことが。デンがノルに、親友に気軽にあげるものとしては高級すぎるだろうピアスを贈った意味を、その色がまさに彼を象徴するものである意味を、悔しいほどに理解できてしまうことが。
 きっとデンは、はにかむようにでれでれの顔で渡したのだろう。ノルは口調こそこき下ろしても突っぱねても、デンにもらってくれと懇願されれば拒否しなかった。それどころか、きれいな形の耳に触れさせて、準備よく用意されていたピアッシングでピアスホールを手ずから開けさせて――動画のように克明に、ありありと情景を思い浮かべてしまって、アイスは舌打ちした。
 はっとしてノルに聞こえていなかったかと顔を上げる。ノルはまだ真剣にパソコンにメールかなにか打ち込んでいた。もうすこしかかるかもしれない。
 ノルの横顔は平坦で、けれどもコーヒーをかたむけようとする耳がさっきより淡く色づいていることにアイスはいやでも気づかないわけにはいかなかった。猫舌のノルは熱くて飲めなかったらしくすぐにマグカップを脇に追いやる。しばらく考え込んで、一文程度を追加してから画面操作した。それから、電源を落としてノートパソコンを閉じる。
 初めて視線が交わった。ノルの夜色の眼にはアイスに向けるやさしい感情が浮かんでいる。その耳に光る石はオレンジがかった照明にきれいに反射して、やっぱり、ノルには赤い石は似合わないなとアイスは思った。
「それ、ルビーなの?」
 訊きたくないと思いながらも訊いてしまった時点でアイスの負けだった。一転してノルはいかにも興味はないという風体を装って、爪先で耳をひっかく。
「スピネル。ミャンマー産だとかなんとかぺっちゃくべってだ」
……そう」
 視線はまたも合わなくなった。ノルはこっだもん俺ん家で採れねえのを当て擦ってんのか、と理不尽な物云いで毒づいていたが、アイスは聞いてやしなかった。
 貴重な宝石を身に着け、与えることがありあまる財力を示す時代は過ぎ去った。けれども、宝石の価値はなくなったわけではなく、いまもなお美しさを競い、特別なひとへの贈り物として殊に愛されている。
 きっとデンはきれいだからと選んだだけでなく、ノルが贈り物をつけてくれることを期待したのだ。ノルも気づかないはずがないのに、あっさりと了承してしまった。――贈り物に秘められた、狂おしいほどの愛と欲を。
 まるで見せつけられているようでもやもやと心が波打つ。そんな些細なことにいらだっている、自分にも腹立たしかった。
……ねえ、もう一個開けてって云ったら、開けてくれる?」
 恨みつらみを吐き出すようにアイスが云うと、ノルがちょっと驚いたように瞠目して、それから、気まずそうな雰囲気は兄らしいやさしい表情に塗り替えられる。
「アイスがピアスくれんの?」
……うん、そう」
「んだら、新しいピアスホールさ開けんでも、そっちゃ着けるべ」
 弟からのプレゼントはいつでも大歓迎だと、ノルが喜色を込める。アイスはごまかすようにうつむいた。ノルはアイスがおなかが空いて拗ねているとでも思ったのか、菓子でも出してやろうとキッチンに行ってしまった。
 そうじゃないんだよ。その、ダンが開けたピアスホールすら塞がってほしいって、思っているんだ。
 次の北欧会議には、ノルはアイスが贈ったピアスをつけてくるだろう。自然のままにくり抜いた、透明度の低い青い石がいい。ノルの夜色のひとみとぴったり似合うような。けっしてデンのための色なんかじゃない。
 それをまっさきに見とがめたデンがなんとおおげさに嘆くのかまで鮮明に思い描けてしまって、アイスは深々とため息をついた。