彼と海に来たのは、考えてみればティーンエイジャーの頃ぶりだった。お互いにそれぞれの友人の誘いでや職場の催し事で浜辺に来ることはあっても、こんな場に二人きりなのは本当に久しぶりのことだった。だからちょっと、俺は浮かれていた。というのも、今回はただ海に来たわけじゃなく、俺の早めの誕生日を海辺のホテルで祝うことになっていたからだ。それも、他でもない彼からの申し出で。
あまりにも上手く出来てる状況に、やっぱり俺は浮かれていた。ゼノが愛しくて、そしてそんな恋人と一緒にいられることがとても嬉しくて。どうしようもなく、浮かれていた。
俺達は昼過ぎに夏場だけ開設される海辺のバーで一杯引っかけて、夏の終わりの強い日差しの下、パラソルの下で緑のビール瓶を砂浜に差し、椅子の上で寝転がった。
ゼノは入念に日焼け止めを塗り、俺も彼に促されて手足に塗りたくった。カクテル一杯で酔っ払ったわけでもあるまいに、彼の肌は見るからに熱っぽく、俺はそれに日焼けしやすい体質っていうのも大変だね、と思った。
とにかく、今年の夏は死にそうになるくらい暑くて、俺達は海に来たばかりだっていうのにほとんどバテてて、だというのに世の人々のように浮かれまくってたのだった。だって誕生日祝いをしてくれるらしい恋人とビーチにいるんだ、そんなの、浮かれない方が難しいじゃないか。
俺達はビールで何度か乾杯をし、素足や手のひらを真っ白な貝殻や、様々な色をしたシーグラスが転がる砂浜の上に置いた。そして指で線を描き、ぼんやりと語らい合った。
俺はゼノに声をかけながら、身体を伸ばしながら海を眺めた。サングラス越しに見る波は大きく、サーファー達がダイナミックな技を決めるたびにどこからか歓声が上がった。ビーチボールをプレイする男女の声も耳に入ったし、浅瀬で城を作る子供達のきゃあきゃあと騒ぐ声も聞こえた。
あたりはどこまでも平和で、そこには何も恐ろしいものはなかった。ライフガードが定期的に見回っていたし、波が高いとサーファーに対して警告する放送は流れていたが、でもそれはいつもの光景だった。悲惨な事件なんて何も起こらない、紛争地からは程遠い、そんな平和な夏の光景だった。
「それで、どうして海に?」
俺は波を眺めたまま、ゼノにそう尋ねた。というのも、今回浜辺に来たのは珍しく彼の提案だったのだ。確かにこの近くのホテルは有名だったが、それでもどうして海? って俺は思った。
「夏もそろそろ終わりなんだ、その前に恋人と海に来たっていいだろう?」
ゼノがサングラスを傾けて言う。俺はそれに、何か隠してるなって思って、それは俺の誕生日祝いに関する何かかって考えて、でも問い直しはしなかった。言ったところで彼は答えなかったろうし、だったら黙っている方が賢明ってものだ。
――俺達はそうして、一日のほとんどを海で過ごした。夕暮れ時に酒でハイになった女達にナンパされて大変だったのと、それを僕以外にはそんな顔をするんだねって彼にからかわれて大変な思いをしたことはあったのだが、まぁ、それは別の話だ。今日みたいなロマンチックな日にする話じゃあない。
あたりが薄暗くなった頃、ゼノはどういうわけか椅子から立ち上がり、パラソルの下に置いていたでかいバッグを触り出した。一体どうするつもりなんだろうって俺は思う。でも彼はそんな俺の視線は気にしないで、何やら大きなものを組み立て始めた。すぐに天体観測用の望遠鏡って分かったが、あたりにはまだ明かりがあったし(特に浜辺に出来たバーが放つライトがすごかった)、ちょっとばかし早いのではないかと思った。しかしゼノは俺の懸念なんてどうでも良かったのか天体望遠鏡を組み立て終えるとそれと脚立が入っているのろうバッグを担ぎ、さぁ、行こうと言ったのだった。
「行くってどこに?」
「ここみたいに、騒がしくないところさ」
もうすぐホテルであんたが予約してくれた、そんな記念ディナーだっていうのに? 俺はそう思ったけれど、結局はゼノに従った。ゆったりと踏み出し始めた彼の後ろを歩き、波打ち際を行った。途中あった大きな、車を二台積んだくらいある石を挟むと、バーの光が遮られ、あたりは一気に薄暗くなった。それに、ゼノは満足そうに笑い、望遠鏡の脚立を砂浜にうち立てる。
「さぁ、見るといい。もうすぐ誕生日の君へのプレゼントだよ」
俺はゼノに言われた通り、望遠鏡のレンズを覗き込む。すると宵の明星、金星が大きく見えて、俺はこれがプレゼントね、と彼のロマンチストな一面を思って笑った。もうすぐやって来る俺の誕生日のために、こんなものを見せようとしただなんて。
ゼノはそんな事を考える俺の側で望遠鏡のレンズを調整しながら、金星の大気は二酸化炭素だらけで、だからそんな風に見えるんだよなんて、NASAの天才科学者らしい調子で語り始めた。俺はそんな彼の声に、いつもみたいにちょっと呆れながら、でもやっぱりこの男に惹かれてる自分に笑ってしまった。
「これを見せるためにわざわざ海に?」
俺に金星を見せたくて秘密にして、わざわざ海に誘った? ホテルの部屋から見るのじゃ駄目だったん? そうからかうと、ゼノは肩をすくめて、今日はここが座標として一番良く見えるんだって言った。そして俺を見つめて、頬や鼻筋、唇を触った。
あ、唇が重なるって俺は思う。そして俺達はやっぱり自然と口付けあって、しばらくの間まばたきすらしないで黙っていた。
あたりには海のさざなみの音が満ち、遠くからはバーで騒ぐ男女の歓声が聞こえる。もう、昼間浜辺を埋め尽くしていた、健康的な家族連れの気配はない。今残っているのは、バーで酔っ払ってハイになって踊ってる、もしかしたらドラッグでハイになってるそんな連中だけだった。でも、ゼノの唇と触れているうちに、やがて俺の頭の中は真っ白になっていった。海の音もバーの喧騒も全部消えて、ただ彼の温もりと、かすかに感じる日焼け止めの匂いだけが世界に残った。俺には、彼以外いなかった。
俺はゼノの唇を食み、少しずつ舌を入れる。ゼノはというと、全く逃げ回ることはなく、ちゃんと迎え入れて俺を抱き締める。
そろそろ、ホテルに戻らなくちゃならない時刻だ。誕生日祝いの記念ディナーの時間は刻々と迫って来ているし、そもそもここじゃああんたを抱くことは出来ない。いつものように、一番奥まであんたを抱くことは出来ない。だから戻らなくちゃいけない。そう思うのに、俺はゼノから離れられなかった。
空には月があり、星があり、天体望遠鏡からは金星が大きく見えた。いつか彼が俺に語って聞かせた、そんな星があった。俺は口付け合いながら横目にそれを見て、やっぱりどうしようもない気持ちになった。わざわざ俺を海まで誘って、天体観測をして、キスをしてくれて、ディナーの用意もされてて、もちろん最後には俺の少し早い誕生日プレゼントとして、あんたを食わせてくれるんだろう?
俺は彼の火照った肌に、自分の指先を伸ばす瞬間を想像する。そしてゼノの火照った中に入り込む瞬間を想像する。その時はすげぇ気持ちいいだろうね、あんたはきっと色々と用意してくれているだろうから、俺はきっと楽しませてもらえるんだろうな。そう思うと、軽いキスがとても楽しかった。彼と触れ合うだけでとても楽しかった。触れ合っているだけで、何もかもが素晴らしく思えた。
月や星の下で、金星を眺めながら俺達はキスをする。長く、長く、口付け合う。そして俺達は抱き締めあってただお互いを感じる。遠くではしゃぐ若者達の歓声を背景に、誰にも邪魔されないで、薄暗い場所で、静かに、静かに。
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