「──このように七つの異聞帯を制覇する事が我々カルデアの目的であり。ストームボーダーは現在残りひとつの南米異聞帯に向かっているところだ。分かりましたか? ドゥリーヨダナくん」
この会議室で開かれた勉強会は先生と生徒のふたりきりだ。先生の言葉を大人しく聞いているのは、召喚されたばかりのレベル1ドゥリーヨダナ。彼は幼児の姿で会議室の椅子に腰掛けていた。
「はい!あちゅゔぁったーまんちぇんちぇい!」
ふくふくとした幼児の手が元気よくあがる。
「ちゅとーむぼーだってなに?」
質問をする幼児のもう一方の手には数枚のプリント。そこには『はじめてのカルデアしょきゅうへん』と書かれている。
同じ内容のプリントを持つ先生は、この会議室の壁のスクリーンを上げた。
「俺たちが今乗っているのがストームボーダーだ」
召喚されたばかりのドゥリーヨダナが驚かないよう隠されていた窓の外の景色に、子供の大きな瞳が見開かれる。
「くもがよこにあるー!」
プリントが舞った。興奮して椅子から飛び降りようとしたドゥリーヨダナを先生が抱きとめる。じたばたと暴れる幼いドゥリーヨダナを容易に抱き上げて先生は窓際へと進んだ。
明るい日差しに先生の姿が照らされる。
ドゥリーヨダナに先生と呼ばれた彼はいつもの半裸の鎧ではなく濃紺のスーツを纏い、細いフレームの眼鏡を掛けていた。赤い髪は後ろに撫で付けられ、額には宝珠が輝いている。
アシュヴァッターマン先生は腕の中で無邪気に窓に手を伸ばす生徒を眩しそうに見つめていた。
◆
時間は少し遡る。
「種火がねぇってどういう事だっ!」
ストームボーダー召喚室。そこで新しく召喚されたばかりのサーヴァントを抱えてアシュヴァッターマンは叫んでいた。
一臨姿のアシュヴァッターマンの腕の中には幼い子供がいる。彼はピックアップガチャをまわしてもまわしても出て来ず、未踏破のクエストというクエストで石を集めて、ミッションで欠片を集めに集めて、最後に呼符で来たサーヴァントだ。
ずっと彼を求めてマスターとアシュヴァッターマンは召喚陣をまわしていた。
それなのに種火が用意されてないとはどういう事だと責めるアシュヴァッターマンの気持ちはマスターも分かる。
召喚されてからずっとお世話になっていたアシュヴァッターマンにマスターの少女は深々と頭を下げた。
「もう来ないと思ったので、とある弓兵に聖杯を全部注ぎ込みました。星ひとつの種火すら残っていません」
聖杯と一緒に種火を飲み込みまくった心当たりがありすぎる弓兵は唸った。
「……俺が吐き出したら旦那の種火が出来ねぇか?」
「それ、おいちぃの?」
アシュヴァッターマンの腕の中で召喚されたばかりのサーヴァントが幼い口調で聞く。
召喚され、たどたどしく口上を言い終わる前にアシュヴァッターマンに抱きしめられた彼はふわふわとした紫の髪をした幼児の姿をしていた。
彼の霊基の名前はドゥリーヨダナ。登録上は成人男性のはずである。
「一種の霊基異常かな? 多分時間を置くか種火を食べたら通常の姿になると思うんだけど」
先程の見解を繰り返したマスターの言葉にアシュヴァッターマンが腕の中の幼児のドゥリーヨダナを見る。その視線を受けてドゥリーヨダナが顔を上げた。
「……おじちゃん、だぁれ?」
「────」
誰よりも大切な主の言葉に絶句したアシュヴァッターマンの再起動を待つ間、マスターは幼児のぷにぷにしたほっぺを突いてみる。至福の感触だった。
「人見知りはなし。暴れたりもしない。でも記憶はなさそう。──もう一度お名前言えるかな?」
マスターの問いに幼児はアシュヴァッターマンの腕の中でちいさな胸を張った。
「わしちゃまはくるぞくのおう!ドゥリーヨダナでありゅ!」
アシュヴァッターマンの体が震える。それは武者震いでも笑いでもなく彼には馴染みのない感情の発露を必死に抑えているのだとマスターには分かった。
それを世間では萌えという。
「ぐえ」
急に強く抱きしめられてドゥリーヨダナが悲鳴を上げる。その瞬間、逆に拘束が緩んで落ちそうになったドゥリーヨダナをマスターが支えた。
「アシュヴァッターマン、落ち着いて!」
「悪ぃ」
謝って自分を抱え直そうとする男をドゥリーヨダナは見上げた。
「あちゅゔぁったーまん?」
「っ!!」
「──オーバーキル。ああ、アシュヴァッターマンよ。死んでしまうとは情けない」
「……死んで、ねぇ」
尊死という硬直から立ち直ったアシュヴァッターマンがマスターに言い返す。深呼吸。今度はしっかりとドゥリーヨダナを抱え込んで、質問する。
「旦那、……サーヴァントとしての知識はあるか?」
問いかけにドゥリーヨダナは小さい首を傾けた。
「──ドゥリーヨダナ、サーヴァントを知っているか?」
言い直したアシュヴァッターマンにドゥリーヨダナはぱちぱちと薄紫の目を瞬かせる。
「──さーゔぁんと?」
不思議そうにアシュヴァッターマンを見上げるドゥリーヨダナに、アシュヴァッターマンとマスターは顔を見合わせた。
「これは放置出来ないね」
「カルデアの中を歩かせるのも無理だろ」
レベル的にもだが、サーヴァントとしての知識が無いものは戦力にならない。それどころか、幼児姿のレベル1のバーサーカーなど廊下でフォーリナーあたりとぶつかっただけで退去するはめになるだろう。
(隔離しよう!!)
隔離と書いて保護と読む。マスターとサーヴァントの心がひとつになった。
「私は種火を集めてくるから、その間よろしくね」
アシュヴァッターマンが力強く頷いたのを確認して、マスターは彼の腕の中のドゥリーヨダナと視線を合わせる。
「ドゥリーヨダナくん。君はここに来たばかりでここの事を何も分からないよね?」
「────うん」
問いかけにドゥリーヨダナはしぶしぶといった感じで返事をする。尖った唇が摘みたい愛らしさでマスターは内心身悶えした。
「このお兄さんの言うこと聞けるかな?」
「やだ」
召喚されて初めての拒絶にマスターはあえて笑顔を浮かべた。
「どうしてなのか、聞いてもいいかな?」
「ちちうえがしらないひとのいうこときいたらだめーって」
「そりゃ、そうだな」
ドゥリーヨダナは王族でしかも長男である。そんな彼が見知らぬ人にほいほいついて行ったら大惨事だ。
アシュヴァッターマンは腕の中の幼児の顔を覗き込んだ。
「なら、どんな人の言うことなら聞いていいんだ?」
その質問に幼児は指を四本立てた。
「あのねー。ちちうえとははうえと、おおおじさまと、……ちぇんちぇ」
幼児より立場の強い者が三人しかいない王族の怖さにマスターは震えたが、アシュヴァッターマンは四人目を確認した。
「先生、か。──俺があんたの先生だとしたら?」
「ちぇんちぇえはよろいきてないよ?」
正論だった。
アシュヴァッターマンは自分の姿を見下ろす。ほぼ半裸の鎧姿は明らかに王族の先生に相応しいとは思えなかった。
そんなアシュヴァッターマンの肩をぽんとマスターが叩く。
「逆に考えたら格好さえ整えれば先生として見てくれるんじゃない?」
「──霊基縫製室か」
白い鶴のテンションを知っているため気が進まない様子のアシュヴァッターマンにマスターはにっこりと笑いかけた。
「アシュヴァッターマンが自信がないならモリアーティ教授に先生を頼むけど。うちインド出身者他にいないし」
新宿のアーチャーならいろんな意味で喜んで教鞭を取るだろう。それを想像してアシュヴァッターマンは唸った。
「……俺がやる。指導役なんてやったことねぇが、父の真似をすればなんとかなるだろ!」
頭の上の会話に不思議そうな顔をしている幼児をアシュヴァッターマンはマスターにそっと渡した。
「すぐに戻る」
言い置いて召喚室を飛び出したアシュヴァッターマンを見送って、マスターは腕の中の幼児に話しかけた。
「じゃあ、私とお話しようか、ドゥリーヨダナくん。まずは……」
◆
「ドゥリーヨダナくん」
「はい、あちゅゔぁったーまんちぇんちぇ」
腕の中のドゥリーヨダナが舌足らずな言葉で自分を呼ぶのを見下ろして、アシュヴァッターマンは金色の目を蕩けさせた。
窓からの光を浴びてきらきらと輝くこの霊基を、もう召喚出来ないと思っていたのだ。集めに集めた石も尽きて、最後と投げた呼符から現れたサーヴァント。
多少の霊基異常があったところでドゥリーヨダナ本人であることに変わりない。この程度ならすぐに治るだろうし。むしろ大人より扱いやすいぐらいだ。
「雲の下。何が見える?」
アシュヴァッターマンの質問にドゥリーヨダナは素直に窓の下を覗き込む。
「ちろいじめんがみえりゅ」
「そうだな。それが地球の白紙化現象だ」
「ちきゅう?」
「俺たちが住んでいた世界の事だな」
「ふぅん」
興味無さそうにドゥリーヨダナは腕の中でもぞもぞと動いてアシュヴァッターマンに体を向けた。
「あちゅゔったーちぇんちぇはいつからここにいるの?」
「俺か?俺は第四…インド異聞帯を攻略した後からだ」
「いんど?」
「クル国とかがあった辺りの今の地名だな」
答えるアシュヴァッターマンの顔にドゥリーヨダナが手を伸ばす。
「めがね」
「眼鏡は知ってんのか」
ちいさな手がアシュヴァッターマンの顔から眼鏡を外す。
何が面白いのか、くふくふ笑うドゥリーヨダナにアシュヴァッターマンは顔をしかめた。
幼児は楽しそうにアシュヴァッターマンの眼鏡を掛けるが、すぐにつまらなさそうに唇を尖らせた。
「ふつー」
「まあ、度が入ってねぇからな」
思わず眉間に皺を寄せたアシュヴァッターマンの腕をちいさな手が叩く。
「あちゅゔぁったーまんちぇんちぇいして」
「ああ? 先生らしくしろってか? しょうがねぇな。──何か質問がありますか? ドゥリーヨダナくん」
幼児の要望に答えたアシュヴァッターマンに、ぶかぶかの眼鏡を掛けたドゥリーヨダナはむふうと満足そうに笑った。
「ちぇんちぇいはすきなひとはいまちゅか?」
「あ゛あ゛!?」
予想してなかった質問に意味不明な声を上げるアシュヴァッターマンのスーツの襟をドゥリーヨダナは引っ張る。
「おちえて、おちえて。ちぇんちぇいのすきなひとはだれでちゅか?」
甘えるように繰り返され、アシュヴァッターマンはよろめいた。
「──おちえてくれないの?」
大きな薄紫の瞳が潤む。それに耐えかねてアシュヴァッターマンは叫んだ。
「好きな人はいる!! ──けど、名前は勘弁してくれ」
両手でドゥリーヨダナを抱えているため、真っ赤になった顔を隠せないアシュヴァッターマンに幼児は勝ち誇った顔で笑った。
「ちかたないでちゅね。──わしちゃま、おいしいおやつがたべたいでちゅ」
交換条件にアシュヴァッターマンは無抵抗で頷いた。ため息をつく。
「あんたはこんな頃からろくでなしだったのかよ」
その呟きに眼鏡をかけたままの幼児はにこりと笑った。
◆
「おやちゅ!!」
交渉通りアシュヴァッターマンが食堂から運んで来たフルーツパンケーキに、ドゥリーヨダナは目を輝かせた。
ドゥリーヨダナの手から眼鏡は取り上げられ、会議室のテーブルからはプリントは片付けられていた。幼児のドゥリーヨダナと先生のアシュヴァッターマンは向かい合わせに座っている。
アシュヴァッターマンが心配そうに見ている前で、ドゥリーヨダナは生前見たこと無い料理に添えられたナイフとフォークをためらいなく掴んだ。
思わず眉間に皺を寄せたアシュヴァッターマンに気づかず、ドゥリーヨダナは逆手に掴んだフォークを大きく振り下ろそうとして、アシュヴァッターマンに手を掴まれた。
「おやちゅ」
うるうると潤んだ目に見つめられてアシュヴァッターマンは首を振った。
「いくら何でもそのままだと食べられねぇだろ。貸してくれ」
ナイフとフォークを受け取ったアシュヴァッターマンがパンケーキを丁寧に切り分けるのをドゥリーヨダナは興味深そうに眺める。
小さく切られたパンケーキをフォークで刺したアシュヴァッターマンにドゥリーヨダナが口を開けた。
「あーん」
「……自分で言うんじゃねぇよ」
ぼやきながらも、アシュヴァッターマンはちいさな幼児の口にパンケーキを放り込んでやる。
はむはむと咀嚼するドゥリーヨダナにアシュヴァッターマンは目を細めて言った。
「幼児の真似は楽しいか? 旦那」
「うぐっ!!」
喉を詰まらせそうになって呻いたドゥリーヨダナは、すぐにパンケーキを飲み込んでにっこりと笑った。
「わしちゃま、よくわかんない」
アシュヴァッターマンもにっこりと笑った。
「あんたが召喚されて舞い上がっていたから今まで気づかなかったけどなぁ。──おかしな点がよっつある」
褐色の指が四本立てられる。その指が一本折られる。
「ひとつ。俺が見知らぬ相手だったなら何故大人しく抱き上げられていたのか?」
「わしちゃま、しよーかんされたばかりでわかんなくってぇ」
ドゥリーヨダナの言い訳に構わずアシュヴァッターマンは続けた。二本めの指も一本めに続く。
「ふたつ。サーヴァントとしての記憶が本当に無いなら、弟たちの存在を確認しないはずがない」
「……おとーとたちはわしちゃまのなかにいるもん」
馬脚を現し始めたドゥリーヨダナにアシュヴァッターマンは三本目の指も折った。
「みっつ。俺のこの格好を『先生』だと認識したこと。現代服の知識なんかサーヴァントじゃねぇと分からねぇだろ」
「めがねってしんせん」
もう隠す気がないドゥリーヨダナにアシュヴァッターマンは全ての指を握り込んだ。
「よっつ。その眼鏡だけでなく、ナイフとフォークをカトラリーだとすぐに分かったこと。俺たちの時代には無かっただろ、これ」
「なかったなー。わしちゃま、しっぱいしっぱい」
てへへと困ったように口元を覆う幼児にアシュヴァッターマンは詰め寄った。
「なんで子供の振りなんてしたんだ!?」
「いやじっさい、わしちゃまのこのれいきはようじだしぃ。おまえもわしちゃまのことようじだとおもっておっただろう?」
「中身が大人だとすぐに、」
「あのじょうきょうで? おまえ、しぬぞ」
召喚されたドゥリーヨダナを口上を言わせる間もなく抱きしめたアシュヴァッターマンは机に頭を打ち付けた。
確かに問答無用で抱きしめた幼児の中身が大人だと知ったら、アシュヴァッターマンは羞恥に耐えきれなかっただろう。
そんなアシュヴァッターマンを眺めながらドゥリーヨダナはフォークを握った。今度は自分の手でパンケーキを口に運ぶ。
「あのまちゅたーとかいうむすめ。なかなかみどころがありゅ。わしちゃまのえんぎにきづいておったぞ」
「分かってんなら言ってくれよ、マスターぁああああ!!」
ドゥリーヨダナは叫ぶアシュヴァッターマンを肴にしながらパンケーキをはむはむする。とても美味しい。
アシュヴァッターマンのオールバックの髪に濃紺のスーツをうんうんと眺めて、ドゥリーヨダナは言った。
「おまえのちぇんちぇいのいめーじはそれなんだな。うみゅ、おもちろい」
「あああああああ!」
頭を抱えて机に突っ伏すアシュヴァッターマンにドゥリーヨダナはにやにやと大人にしか浮かべられない悪辣な笑みを浮かべた。
「ところであちゅゔぁったーまんちぇんちぇい」
恨みがましそうに顔を上げたアシュヴァッターマンにドゥリーヨダナは天使のような笑みを浮かべた。
「ちぇんちぇいのすきなひと、おちえて」
「あんただよ! このお調子者のろくでなし!!」
叫んだアシュヴァッターマンにドゥリーヨダナは満足げに微笑んだ。
その後、しばらくしてドゥリーヨダナの霊基異常はきれいに治ったが、アシュヴァッターマンは恋人との肝心な時に『なにをするのかおちえて、あちゅゔぁったーまんちぇんちぇい』と言われて悶え苦しむこととなる。
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