帰りに寄ったコンビニでつい買ってしまったタバコをテーブルの隅に置いて先に食事を済ませた。もう吸いたくなることもないくらい禁煙してからずいぶん経つのに、喫煙所にいた取引先の方をたまたま見つけてしまい向こうも俺に気がついて手招きされてしまえば断ることもできず煙の中に入り、「一本どうですか?」と差し出されたそれを吸えないわけでもないのに固辞するのも躊躇われて受け取ってしまって、それで。
換気扇をつけた台所に立ち、コンロを使ってタバコに火をつけた。吸い込んだ煙の匂いと重さに安心してしまって、罪悪感が苦味と混ざる。もらったタバコは過去に俺が吸っていたものより軽く、味もそこまで好みのものではなかった。世間話ついでに先の約束を一つ取り付けることができたから不味いタバコ一本吸うくらいなんでもなかったけれど、自分の意思でタバコを買ってしまうことになるとは思わなかった。
口の中に広がる苦味と、それよりも懐かしさと爽快感のある煙に安心してしまう。ダメだなと分かりながらしっかり一本吸いきり、当たり前のように次の一本を咥えて火をつけたところで、テーブルの上に置いていたスマホが鳴った。タバコを吸ったままスマホのところまで行き、画面を見てすぐに台所に戻って吸い始めたばかりのタバコを空き缶に捨てる。電話が切れてしまう前に画面に触れて耳に当てた。
「はい、もしもし。どうかしましたか、逢さん?」
『ゆづる……わるい、いま、へいきか……」
「……今日はお食事会の予定と伺っていましたが。そんなに飲ませてくる方が相手でしたっけ?」
『いまどこ』
「家です。飲んでないので迎えに行きます。住所は送れますか?」
『ああ……。わるい……』
「ちゃんと俺に連絡くれて嬉しいですよ。お水飲んで待っててください。わかった?」
『ん……ありがとう』
「すぐ行きますね」
電話を切った後、家を出る準備をしているうちに逢さんから住所が送られてきた。聞いていた予定の通り渋谷からそこまで離れていないお店だ。相手が誰かだったかは後できちんと調べておこう。
家のすぐ近くにあるカーシェアで借りた車に乗り込んだところで、ポケットにタバコが入ったままだということに気がついた。置きに戻るほどではなかったけれど禁煙車の中でつい手が伸びても困るのでカバンの中に放り、エンジンをかけた。
お店の隣に駐車場があったからそこに車を停め、入り口にむかいながら逢さんに電話をかける。すぐに繋がり聞こえた声はさっきより少しは酔いが醒めているようだったから、ホッとして「着きましたよ」と優しく声をかけた。
『いま出る』
「どなたか一緒にいますか? タクシーを呼びましょうか?」
『いや、先に全員帰らせた。お店の人に水をもらって俺だけ待たせてもらってて、……いた』
スマホから聞こえたのと同じ声が聞こえて、俺は顔をその方向へ向けた。見つけた逢さんはスタスタとほとんどいつも通りの足取りで俺のところまで来て、ぎゅうっと抱きついてきた。誰もいないけれど、お店の前なのに。
「逢さん、まだ酔ってますね?」
「すこし。……ん?」
「どこも寄らずにまっすぐ来てしまったのでコンビニでお水を買ってきてもいいですか? 逢さんは先に車に行っててください」
「……わかった」
鍵を渡して車種を言えば逢さんは神妙な顔つきでこくんと頷いた。少し心配だったけれど予想よりも酔ってはいないようだったから俺は駆け足で通りの角に見えるコンビニへ向かった。水を二本とポカリ、栄養ドリンクとインスタントのお味噌汁を買ってすぐに車に戻る。エンジンのかかっていない車の助手席に逢さんが起きたまま座っていた。
「お待たせしました。眠くはないですか? お水、もういらないかもしれませんが飲めるようなら飲んでくださいね」
「ああ。……由鶴」
「はい?」
「これ、おまえが吸ったのか?」
「え? ……あ」
「カバンを漁ったわけじゃない、後ろに移動させようとしたらたまたま中身が見えてしまって……あと、おまえ、いつもと違う匂いがする」
「ぁ……すみません」
「謝る必要はない」
そう言うけれど逢さんは明らかに怒っている様子で、俺は逢さんの手の中にあるタバコの箱をそっと取り上げてぎゅっと握りつぶした。逢さんが後部座席に移動してくれたカバンを取ってその一番奥に押し込む。いつも使っている香水は持ってきていなくて、仕方なく窓を開けてぬるい外の空気を車内に入れた。
「何かあったのか」
「え、い、いえ、その……今日、喫煙所にいた取引先の方と少し話して、その時に一本もらってしまって、……でも、アレは自分の意思で買いました。すみません、やめるって約束したのに」
「……魔がさしただけなら、良い。ストレスで吸ったわけじゃないんだな?」
「ないです。ストレスなんて、本当に全然、絶対ないです。……ごめんなさい」
「謝らなくていいと言ってる」
「でも、逢さん怒ってる……」
ついこどものような口調になって言った俺に逢さんは少しだけ笑った。だけど窓の方を向いてしまったからその表情は分からない。逢さん、と泣きそうな声で名前を呼んでもこっちを向いてくれなくて、本当に泣きそうになりながら俺は車のエンジンをかけた。
お互いに無言のまま車を走らせて、そう時間もかからずに逢さんの家の前に着いてしまった。ハンドルを掴んだまま、何か、何を言えば良いんだろうと迷っているうちに、逢さんが「由鶴」と俺の名前を呼ぶ。パッと顔を上げると逢さんは横目で俺のことを見ていた。
「……寄っていかないのか」
「……いいんですか?」
「誰もダメなんて言ってない。それにまだ、すこし酔ってる」
「……ありがとうございます」
「面倒を見ている側が礼を言うな」
逢さんがいつも通りに話してくれることにホッとして近くの駐車場に車を停め、貸し出し時間の延長手続きをしてから車を下りた。自分の荷物と逢さんの荷物、コンビニの袋を全部片手で持ち、逢さんに手を差し出す。躊躇いもなく手を取ってくれたからやっぱり少し泣きそうになりながら逢さんの部屋に向かった。
部屋に上がり荷物を置いた俺は、ソファーに座る逢さんに手招きされてその横に座った。甘えた瞳で「脱がせろ」と言われ、上着を脱がせてネクタイを解きシャツのボタンをいくつか外す。されるがままになっていた逢さんは、だけど俺が顔を近付けると手のひらで俺の唇を覆った。
「由鶴」
「……はい」
「風呂入ってこい」
「……今、ですか?」
「いつもの由鶴の匂いじゃない。むかつく」
「あ……。……わかりました。服、何かお借りしてもいいですか?」
「好きに着ろ。ちゃんと歯磨きもしてこないと、キスしない」
「……すぐに戻ります」
「ごゆっくり」
そのままソファーで横になる逢さんの手の届く場所に水を置いてから俺は逢さんが気に入ってよく着ている部屋着を一着持って浴室へ向かった。
まだ二本しか減っていない開けたばかりのタバコは、すぐに捨てよう。逢さんと会う予定がなくたってもう吸わない。タバコで得る一時の爽快感より、逢さんとのキスの方が重要に決まっているから。
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