錘を二十キロつけてどっちがオクヘイマを先に十周できるか勝負だ! と朝から喧しく絡んできたファイノンとの勝負は僅かにモーディスの勝ちだった。
「仕方ない、今朝は朝食を奢るよ」
「朝食?」
そんな決め事はしていなかった筈だったが、「まあまあ」だの「君だって本当は新作のハニーケーキが気になってるんじゃないか?」とかなんとかぐいぐい背中を押され、無理やりピュエロスに連れて来られたかと思えば、気づけば朝食の席についていた。
「今季はぶどうのジャムと焦がしバターをかけるみたいだね」
君もそれでいいだろ、と「店主おすすめ!」とシールの貼られたメニューを指差しながらファイノンが言う。不満はないので「ああ」と首肯しつつも、「救世主、お前もこう言ったものが好きだったのか?」と尋ねた。
「いや僕はあまり拘りもないから、食べ物はなんでも好きだよ。ハチミツは故郷の味と言えるけどね」
向かいの席のファイノンは水と季節のハニーケーキを二つ店員に頼み、「君は何を飲むんだ?」とモーディスに視線を戻す。
「クレムノス人はメーレが好きって聞いたけど、朝からアルコールもまあいいんじゃないか。それにするかい」
「ザクロジュースでいい」
店員はモーディスの顔を見、少し緊張した様子で注文を繰り返した。クレムノス人に向けられる緊張や怯えの視線には慣れているし、まだオクヘイマに移住して間もない自身——血塗られた王位継承者に奇異の目を向けるものが多いのは当然だろうと考えていた。
ちらちらと向けられる視線に内心ため息をこぼしたいのを耐えながら、モーディスはこの男は鈍いのか? と、一切視線を気にする様子のないファイノンに瞳を細める。
「酒はあまり好かない。健康に悪いからな」
「へえ、君もそうなんだ。オクヘイマではネクタールを愛飲する人が多いけど、実は僕は苦手なんだ。だから水をよく飲んでる」
どこか嬉しそうに笑う男の顔があまりにも無邪気で、モーディスはやや毒気を抜かれた。金織に何か弱みで探ってこいと命じられているわけではあるまいな、と勘繰っていたのだが、もしかすると、そういうわけではないのかもしれない。
水とザクロジュースが運ばれ、ファイノンがグラスに口をつける。
「何故俺に声をかけた」
「何故って、君も毎朝鍛錬をしているだろう? たまには誰かと競った方が張り合いがあるじゃないか」
「……そうか、お前はオクヘイマ人ではなかったな」
普通はクレムノス人と積極的に絡みたくはないだろう、と考えていたが、黄金裔として火を追う旅に同行するかわりに、オクヘイマへの一族の移住と生活の保障をアグライアや元老院と交渉した後、モーディスは「新兵」とオクヘイマの将から呼ばれていたファイノンに、オクヘイマを一通り案内されていた。
その際、「僕はエリュシオンという名の小さな村の出身なんだ。と言っても暗黒の潮で滅んでしまったからもう帰ることはできないんだけどね」と自己紹介がてら世間話を少しだけした。
故郷が滅んでいる人間はこのご時世珍しくはないことだったし、モーディス自身もクレムノスからモーディスの考えに賛同した一族を引き連れてオクヘイマへと来ていたから、故郷を失ったようなものだった。
なので、聞いたことのない村だとは思ったが、特に気には止めなかった。
「もしかして君って案外そういうことを気にするタイプ?」
「気にしない方が珍しいだろう。そもそもオクヘイマとクレムノスは長年諍いが絶えず、貴様らから見れば我が一族の文化は野蛮の一言で片付けられるようだからな」
眉を下げて苦笑するファイノンに、モーディスは淡々と口にした。もしこの男が十日間に渡る決闘を互角に渡り歩かなければ、こんな風に口を聞きはしなかっただろうが、モーディスにとっても久々に本気で拳を振るうことの出来る、得難い相手だった。
バルネアの前でどんな鍛錬をしているんだ? と尋ねて来たこの男に、素直に「俺は人より耐えられるだけだ」と教えたのは、隠す理由が思いつかなかったからだ。元より大した秘密でもなく、痛みに耐性があると言うだけの話でもあるのだが。
それから、何故かやたらと街中で声をかけてくるな、とは思っていたが、もしかすると何かを学びたいと感じているのかもしれない。
「うーん、僕もクレムノス人は君と出会うまでは文献でしか知らなかったし、街で見かけるクレムノス人はあまり印象が外れないかもと思ったりしてたけど」
出来立てのハニーケーキが運ばれ、焦がしバターのいい匂いが鼻先をくすぐる。モーディスはすでにファイノンの言葉にあまり意識を割かず、別添えのハチミツをさらに垂らし、ブドウを煮詰めたジャムをたっぷりと乗せる。
「君はなんだか少し、イメージと違うと言うか……」
ファイノンはハチミツでしみしみになっているモーディスのハニーケーキを「そんなに?」と言いたそうな顔で眺めながら、ナイフとフォークを手に取り、一口大に丁寧に切って行く。意外と食事の作法の綺麗なやつだ、とモーディスもカトラリーを手に取った。
「笑いたければ好きにしろ。俺の甘党は一族の誰もが知るところだ」
「意外だとは思ったけど、好みは人それぞれだろ? 聖女様……トリビー先生に君は甘いものが好きだって聞いたから、せっかくオクヘイマに来たんだしどうかなと思って誘ったんだけど、正解だったみたいでよかったよ」
まるで子どものような、眩しい笑顔を真っ直ぐに向けてくるファイノンに、「妙なやつだ」とモーディスは少しだけ、居心地の悪さを感じていた。
きっと長い間、優れた戦士とは殺すか殺されるかの関係だったからだろう。
ここは戦場ではない。聖都での暮らしにも慣れて行かなければ、と切り分けた甘いハニーケーキを口にする。
「……悪くない」
「素直じゃないな。君、さっきから唇がニヤついてるよ」
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