yuugetu
2025-07-05 19:17:17
17544文字
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マルチナの夜 マイラの黎明

WA3サブイベント「マルチナの旅」完遂後の空想。実質マイラがメイン。エピローグは2~3年後イメージ。
どんな解釈違いも許せる人向けです。
ファルガイアに生きるすべての命に幸あれッ!

マルチナの夜


「ヴァージニアさん、またうちの宿屋に寄ってくださいね。ティティーツイスターからここまで連れてきてもらったお礼をしますから」
「ありがとうマルチナ。すぐには難しいけど、指名手配の件が落ち着いたらきっと寄るね」
 マルチナがハンフリースピークを発つヴァージニア達にそう言うのを、シヴィルは笑顔で見ていた。
 隣ではキャスリンとケイトリンがクライヴとの別れを惜しんでいる。
 やがてヴァージニア達が出立すると、キャスリンとケイトリン、マルチナ、シヴィルは、四人が町を出るまで見送っていた。

 簡単な挨拶を残してキャスリンとケイトリンが自宅へ帰っていく。
 乾いた風と厳しい日射し、そして真っ青な空。以前と変わらず穏やかとは言い難い気候だが、今までは咲かなかった花が身近に見られるようになった気がしている。明日に希望を見出だせるようになったのは幸せことなのだろう。シヴィル自身の気持ちの上でも。
 そう思ってシヴィルは隣のマルチナを見やったが、彼女にいつもの元気がない気がして少し心配になった。

 現在、ヴァージニア達のチームは指名手配されている。この町の人々は全く気にしていないが、彼らは周りにあまり迷惑を掛けたくないらしく、しばらくは旅をしながら様子を見るつもりだという。
 今回、彼らのハンフリースピーク訪問の目的は二つあった。
 一つはクライヴの家族に彼の無事を知らせること、もう一つは、ティティーツイスターで助けたマルチナをシヴィルの元まで送り届けること。
 シヴィルはマルチナがティティーツイスターを訪れていたことも初耳だったが、それよりも自分の元を訪ねてきたことを不思議に思っていた。


「ヴァージニアさん達、行っちゃいましたね
 マルチナの表情が沈んでいるのは、仲の良い人達と別れた寂しさだけではないようだった。
 なぜ母親のミレイユの元にまっすぐ帰るのではなく、シヴィルの元を訪れたのだろう?
「ねえ、マルチナ。どうしてひとりでティティーツイスターに行ったの?あの町は危ないわ。無事で何よりだけど、もう無茶は……
 マルチナが覗き込むと、マルチナがこちらを見上げた。何かを訴えたい様子は、いつも明るい彼女には珍しい。
 もしやヴァージニア達が旅立つまで、心配させないように振る舞っていたのだろうか。
……ここじゃ落ち着かないわね。家に戻ってゆっくり話しましょうか」
 穏やかにそう声をかけると、マルチナが小さく頷いた。

「わたし達の気持ち、伯母さんには迷惑なのかな……
 シヴィルはテーブルにお茶を二つ置きながら、こぼれ落ちるようなマルチナの言葉を聞いていた。
 窓から射し込む光がレースのカーテンを通り抜け、室内に落ちた影を揺らめかせる。
 シヴィルの自宅は明るく居心地が良いが、少し珍しい作りをしている。一階には、今マルチナとシヴィルが掛けているソファとテーブル。短い階段を上がった中二階にはいくつかの寝台が設置され、場合によっては診療所としても使えそうな開けた間取りだった。
 窓が多く光が入りやすいが、熱も籠りやすく、昼間はいつもレースのカーテンを閉めている。
 そんなに思い悩むことなのだろうか。これまでマルチナがシヴィルに暗い表情を見せたのは、ミレイユが病に倒れた時だけだった。
「伯母さんがわたしたちをあんなに嫌ってるなんて思わなくて……。母さんに、なんて話せばいいのかなって。ヴァージニアさん達がハンフリースピークに向かうって聞いて、シヴィルさんと話したくなっちゃって……
 マルチナの言葉は珍しく要領を得ない。シヴィルは隣に寄り添い、マルチナの小さな肩を抱いた。とん、とん、と幼子をあやすように軽く叩く。
……落ち着いて、何があったか教えてくれる?」
 しばらくして、言いたいことが纏まったのかマルチナはゆっくりと話し始めた。
「シヴィルさん、わたしの伯母さんには会っていませんよね」
「ええ。……事情はミレイユさんから少し伺ったけれど」
 マルチナの母方の伯母にあたる、マイラという女性のことだ。
 方法までは知らないが、マイラは実妹ミレイユの夫が亡くなったのをきっかけに、ミレイユから宿屋の経営権を奪い取ったのだそうだ。借金を返済するために出稼ぎに出たミレイユを探し出そうと、マルチナはファルガイアを広く旅することとなった。
 シヴィルがマルチナに出会ったのはその時だ。
 医療の心得があるシヴィルは、ヴァージニア達に請われ、病に侵されたマルチナの母を治療したのだ。
 その後、マルチナは無事に母の宿屋を取り戻し、ミレイユと共に故郷であるクレイボーンへ戻っていた。
 それからは母娘二人、穏やかな生活を送っているとばかり思っていたのだが。
「伯母さんはその後、ティティーツイスターに行ったみたいなんです」
「それじゃ、あなたは伯母さまに会いに行ったのね」
 シヴィルが「冷めないうちどうぞ」とお茶をすすめる。マルチナはお礼を言いつつも、喉を湿らせる程度に口を付けただけで、カップをテーブルに戻した。
……クレイボーンに戻ってから、母さんと色々話し合ったんです。伯母さんのこと、お店のこと、旅の間に見たことや知ったこと……。わたし達、どこですれ違ってこんなことになったんだろうって」
 シヴィルは静かに聞いていた。マルチナは少し俯いて続けた。
「母もわたしも、伯母さんの気持ちを知りたくて……もう一度話し合いたくて。これまでのことはお互い水に流して、また一緒に暮らそうって、直に話しに行ったの。手紙も出したけど、返信がなかったから」
 急にマルチナが目元を右手でごしごしとこすった。声も少しくぐもっている。
「そうしたら、あんな手紙を寄越して、どういうつもりなんだ!って……。わたし達の顔なんか見たくないって」
「そうなの……。大変だったのね」
 シヴィルはマルチナの伯母の言葉に腹が立ったが、何も言わなかった。彼女達の間で何があったかはシヴィルにはわからないからだ。
「人間同士だもの。わかり合えないときもあるわ」
「でも、そんなの……悲しいです。わたしにとっては大切な伯母さんで、母さんにとってはたったひとりのお姉さんなのに」
 顔を上げたマルチナに切実な表情でそう言われ、シヴィルは困ってしまった。
 二人のためを思えば、もう関わらないほうが良いと忠告するべきなのだろう。シヴィルとしてはマルチナとミレイユに訪れた平穏を壊してほしくない。聞く限りではマイラはずいぶん気難しい性格のようで、すんなり事が運ぶとも思えなかった。
 しかしマイラがどんな人物かも知らないシヴィルが、マルチナの願いを頭ごなしに否定することは憚られた。
「マルチナ。伯母さまとは、しばらく距離を置いてみたらどうかしら?」
「でも、伯母さんを独りぼっちにするのは……。別れるとき、伯母さんの後ろ姿がすごく悲しそうだったから」
 マルチナは唇を噛んでうつむいた。両手がスカートの裾を悔しげに握る。
「そうじゃないの。少し遠くから見守るということよ。マルチナは伯母さまがこれからどうしたいか、わかっているの?」
 シヴィルの言葉に悔しげにかぶりを振る。
「とにかく話したくて、訪ねたんです。でも追い返されちゃった……
 マルチナはとにかく伯母のことが心配なのだろう。しかし、マルチナがどんなに話をしたいと言っても、反発されればそれは叶わない。
 シヴィルはどう話すべきか迷った。
 マイラが本当に悪人なら、ミレイユやマルチナの好意にすり寄れば良い話だ。そうしないということは、三人の関係には何か複雑なものがあるのかも知れない。シヴィルがどこまで口を挟んでいいものなのかわからなかった。
……もしかしたら、伯母さまに今必要なのは、自分の気持ちに向き合う時間なんじゃないかしら」
「自分の気持ちに、向き合う……?」
 必死で考えるマルチナの言葉を、シヴィルは辛抱強く待つ。
「伯母さん自身はこれからどうしたいのか、決まってないってことですか?」
「そうね……これはわたしの意見だけれど、伯母さまに今必要なのは、ひとりで考える時間なんだと思うの」
 シヴィルはできるだけ言葉を選んで話した。家族の関係はひどくこじれてしまうと修復が難しい。家族を亡くした経験のあるマイラは、できることなら三人に関係を修復してほしかった。
 しかしマルチナの伯母の気持ちによっては、話はそう簡単ではない。
「たとえ血が繋がっていても、心から相手のことを想っていても、他の誰かが人の生き方を決められるわけではないでしょう?」
 マイラが自身の身勝手で傷付けた妹や姪とどんな関係を望むのか。一緒に暮らせないなら、決して若くない女性が親族と疎遠になって、これからどう生きていくのか。
 他の誰でもないマイラ自身が結論を出さなければならない。
 マルチナにもミレイユにも--誰であろうとも、簡単には踏み込めない。
「それでもマルチナが大切に思う限り、伯母さまは孤独じゃないわ。だから焦らないで」
……そう、なのかな」
「そうよ」
 シヴィルは目を細めてマルチナを見た。大きな緑の瞳がこちらを見つめている。
「マルチナに出会うまで、わたしにはアリスの死から立ち直る方法がわからなかった。でも気がついたの。……ハンフリースピークの人達も、わたしをずっと見守っていてくれたこと」
 この町の人々は思慮深い。
 隣人の不幸を憂い、時には歯に衣着せぬ忠告をぶつけてくるが、他者の生き方を尊重する気質を備えている。
「その時間がわたしには必要だったのかもしれないって、今は思っているの」
 人は追い詰められすぎると、差し伸べられた手を取ることもできなくなるものだ。その頃の自分自身と見ず知らずのマイラが、同じ状況にあるかどうかはわからないが。
「だからもう一度、伯母さまのためにどうするのが良いか考えてみて」
 そう言われてマルチナは悩んでいたが、やがて頷いた。そう簡単に結論が出ることでもない。
 ふたりが話す間に太陽は向きを変え、既に窓から光は差し込まなくなっていた。ソファから立ち上がったシヴィルは日避けのカーテンを開けながら尋ねる。
「そういえばマルチナ。ミレイユさんに帰る日は伝えて出てきたの?」
「一ヶ月以内には帰るって言ってあります」
 それを聞いたシヴィルは、驚きであんぐりと口を開けそうになった。慌てて口に手を当てて誤魔化す。
 大人であっても無事に渡りきるのは困難な荒野を、単独で一ヶ月?
 マルチナの行動力と行動範囲の広さは知っていたが、シヴィルは衝撃を隠せなかった。それを許すミレイユもさすがはマルチナの実母と言うべきか。……自分なら心配で胃に穴が開きそうだ。
 そんなことを考えるシヴィルを、マルチナは不思議そうに見つめている。
「ねえ、マルチナ。これから移動すると夕方になってしまうし、良ければ今夜は泊まっていかない?」
 気を取り直して提案すると、マルチナは素直に頷いた。


 夜になると急激に冷え込むのがファルガイアの常だ。
 シヴィルは気温の下がった夜中にふと目を覚まし、隣の寝台で眠っているマルチナが掛け布団を剥がしていないかを確認する。
マルチナが布団をしっかり被ってぐっすり眠っているのを見て安堵した。
 寝返りを打つと、月明かりに照らされた本棚が目に入る。
 その本棚にずっと残してある日記帳には、幼い娘を亡くした十年前の苦悩が綴ってある。どんなに辛い想い出でも、処分することはこれからもできそうになかった。
 アリスが——シヴィルの娘が生きていたら、マルチナに近い年齢だ。マルチナの姿に成長したアリスを重ねたこともある。
 だが自分の娘なら、こんなに勇敢で人懐こく、母親の心臓に悪い女の子には育たなかっただろう。マルチナという少女を知れば知るほど、アリスとは違う存在だと突き付けられる。
 マルチナが未来を見据え、力強く奔放に進んでいく姿を見ていると、シヴィルの心の中で二人の少女は切り離され、アリスは想い出になっていった。
 過去に置き去りにするのではない。アリスとの想い出がシヴィルを支え、先へと進む勇気をくれる。
 そんなとき、たまらなく寂しく——清々しい心持ちになるのだ。

 マルチナの伯母が妹と姪をどう思っているのかはわからない。ひどく嫌っている可能性もある。
 それでも、マルチナとミレイユがマイラを信じる気持ちは否定できない。
 ラクシスランドへの旅は、シヴィルに医者としての矜持を取り戻させ、故郷の人々の優しさに気づかせてくれた。その機会を与えてくれたマルチナとミレイユには心から感謝している。
 だから二人には、家族のことで後悔だけはしてほしくなかった。


 マルチナもシヴィルも、翌朝早く目を覚ましていた。
 今日も朝から日射しは強く、夜の寒さが嘘のように気温が上がっていく。
 ふたりで簡単な朝食を済ませ、台所と寝室の片付けをする。それは以前ふたりで親子のように過ごした日々と同じ風景だった。——マルチナが、旅支度を整えていること以外は。
 シヴィルがお弁当にと用意していたサンドイッチを渡すと、マルチナが笑顔で「ありがとうございます」と受け取る。
……わたし、伯母さんにもう一度手紙を送ろうと思います」
 時刻表で列車の発車時刻を確認してから、マルチナはそう言った。
「五年後でも十年後でも、待ってますって。伯母さんが戻りたくなったら、その時には戻ってきてくださいって」
 膝にサポーターを入れたロングブーツ。両手を守る大きめの手袋。腰から提げた大きな鞄。そして愛用のバンダナを被った旅装束で、少し目を伏せて言う。
「それでも……心配になったら、またティティーツイスターに行っちゃうかもしれないけど」
「気持ちはわかるけれど、危ない場所にひとりで行くのはだめよ。あなたにもしものことがあったら、ミレイユさんも伯母さまも辛いでしょ?」
 マルチナはどんなに危険な目に遭っても、大切な人への想いは譲らないだろう。しかし、だからこそ自分自身の安全も忘れてほしくない。
「だから、その時はヴァージニアさん達に依頼してみたらどうかしら。きっと同行してくれるはずよ」
——はい!」
 シヴィルの言葉に、ひまわりの花が開くようにマルチナが笑った。
「幸運を祈っているわ、マルチナ」
 マルチナの夢が叶うことを願いながら、優しく抱き寄せる。
 羽のように軽い、親愛の抱擁だった。


マイラの黎明


 目の前にひとりの少女がいた。
 十一歳という年齢にそぐわない、着こなれた旅装束。活力の溢れる緑の瞳。バンダナに納められた髪が思いの外長いことを、しばらく前まで一緒に暮らしていたマイラは知っている。
 マルチナ。
 なぜこんな場所に、たったひとりで?
「伯母さん!わたしと一緒にクレイボーンに帰りましょう」
 憎らしいほどに屈託のない笑顔で、姪はこちらに歩み寄る。
 乾いた砂塵が舞うティティーツイスターの裏路地で、眉根に普段よりもことさらに皺を寄せ、マイラは天を仰いだ。


 酒場のカウンター席で、苛立ちを紛らわすためにグラスをあおる。
 後頭部に纏めた長い白髪混じりの髪がほつれ、顔にかかって煩わしい。自身のスカートとエプロン、カーディガンという出で立ちも、このティティーツイスターという町には似つかわしくない。
 この格好のまま、クレイボーンからここまで、どうにか荒野を渡って来た。最低限の金銭と荷物だけを持って。
 肉親を欺いたことが知れ渡れば、もうその町では暮らせない。小さな共同体とはそういうものだとマイラは思っている。

「あんな手紙を寄越して、どういうつもりだい?わたしはね、あんた達の顔なんか見たくもないんだよ!」

 つい先刻、幼い姪に思いきりぶつけた感情的な言葉。
 しかし今になって、その言葉にショックを受けていた少女の顔が頭から離れない。
 ティティーツイスターに辿り着いてから、胸のざわめきを忘れるために度々ここに酒を飲みに来る。しかし酒に弱いマイラは、酔って嫌な感情を忘れるよりも、気分を悪くすることの方が多かった。

「あの子、あなたの知り合いだったの?」
 派手な髪型に赤いドレスを着た女が、カウンターの中から気安げに話し掛けてくる。この酒場兼宿屋の女将アンジェラだった。
「もしかして、この前愚痴ってた例の手紙を寄越したっていう姪子さん?……ずいぶん向こう見ずなのね」
「マルチナを知ってるのかい?」
「あら、以前この町に来ていたわよ」
 マイラが思わず顔をしかめたためか、アンジェラはそれ以上突っ込んで聞いてはこなかった。しかし客商売の長い彼女はこちらの考えを見透かしているように感じられ、マイラは苛立ちを増した。
……そうだよ。例の能天気なお人好しの母娘の、娘の方さ」
 アンジェラの視線を避けるようにグラスを傾ける。
 マイラは懐の寂しさから、この店では安酒しか頼んだことがない。質の良くない強い酒をこれ以上飲めばほどなく限界がくるのもわかっていたが、だからといって素面でいられるほど内心は穏やかでもなかった。
「わかりあいたいとか許すとか。臆面もなくそんなこと言う相手ほど、何にもわかってないモノよ。それこそ詐欺師か、良いトコ相手の気持ちも考えられない大馬鹿者ね」
 アンジェラのドライな言葉に、なぜか苛立ちが募る。グラスを持つ指に力が入った。
——アタシに言わせれば、だけど」
……そうかい」
 吐き捨てるように呟くと、残り二口ほど残っていたグラスの中身を一気に呷った。後味の悪いアルコールが喉をひりつかせる。
「邪魔したね」
 使い込んで飴色になった木製のカウンターに、空のグラスと酒代を残し、ふらりとマイラは席を立った。
「またどうぞ」
 その声にちらりと振り向くと、アンジェラが目を細めて見送っていた。

 背中でスイングドアが閉まる軋んだ音を聞きながら、酒場を後にする。近くの小屋を通り抜けて酒場の裏手にまわった。
 既に夕日は地平線に沈もうとしている。これからの時間帯、この町の大通りをあまりうろうろしたくなかった。荒くれ者達からすればマイラは年老いた羊でしかないからだ。
 早足で歩くと、飲んだ酒のせいで胃が痛み、胃液がせりあがってくるような気がする。
 この苛立ちと悪心 おしんが体調のせいだけでないことは、マイラ自身が一番よくわかっていた。


 あの時、自分は何を望んでいたのだろう?
 夫の残した宿屋を奪い取られるような隙を、マイラに見せたミレイユが悪い。
 そして、マルチナに入手できるような証拠を残していたマイラが悪い。
 相応の因果が巡ってきただけのこと。
 ミレイユとマルチナが、マイラを憎み、怒り、蔑むような母娘であれば話は簡単だったのに。
 曇りのない瞳をまっすぐに向けてくるマルチナと対峙するのは、マイラにとってひどく苦痛だった。
 肉親からの裏切りさえ許すような、筋金入りのお人好し。
 それを目の当たりにする度に苛立つが、かといって悲しげに歪んだ姪の顔を見て溜飲が下がることもない。

 今、自分は何を望んでいるのだろう?
 なぜ自分だけが、これほど惨めに取り残されているのだろうか。
 マイラの足取りは、どこまでもおぼつかなかった。

 ティティーツイスターには空き家が多い。
 マイラはその中の一軒を勝手に拝借していた。
 壁の一部が壊れて空いた穴を、体を屈めてくぐり抜ける。長年の乾燥でそこかしこに木材同士の隙間があり、ほとんど雨が降らない気候に感謝せざるを得ない。しかし少し動き回ると、その隙間から吹き込んだ砂と埃が舞い上がり、マイラの荷物と散乱したゴミの上に舞い落ちていった。
 それを気にも留めず、ひっくり返して椅子替わりにした木箱に腰掛ける。胸のむかつきが落ち着くまで——結局真夜中まで、まんじりともせずにいた。
 ふと思い立って、マイラは動き出す。
 わずかに射し込む月明かりで、傍らの木箱の中に隠したものを探し出し、筋張った細い手で取り出した。
 それはクレイボーンからここへ渡って来る時に、荒野で偶然見つけたモノ。どこかで何かに役立つかもしれないと拾って持っていたモノ。
 ホルスターに納められた拳銃タイプのARM。
 ポーチに入った弾薬。
 そして、整備用の工具一揃い。
 行き倒れた【渡り鳥】か誰かの持ち物だったのだろう。
 この町のアームマイスターに査定を依頼したところ、量産品で希少性に乏しいため二束三文にもならないという。年季は入っているが手入れは行き届いているため、自分自身で使うのが最も価値があるだろうとも聞かされた。
 しかし身を守るためだとしても、ARMを手に取ることには拒否感を抱いた。殺し合いの世界に足を踏み入れる覚悟など、マイラにあるはずもない。
 その覚悟が決まらない限りは、売って生活費の足しにでもするしかない。

 マイラがARMに触れるのは、実は初めてではなかった。
 まだ少女だった頃、両親の知人が訪ねてきた時のことだ。
 両親が不在の折、その男にARMを触らせてもらったことがある。今手元にあるものによく似たハンドガンタイプで、組み立てから弾込め、射撃訓練までさせてもらった。筋が良いと褒められた。
 しかし帰宅した両親はそれを知って激怒し、男は謝罪を残して去っていった。
 両親はマイラに言った。お前は引金の重さを知らないと。
 その後、手解きをしてくれたその男がARMで射殺されたと両親から聞かされて、ようやく理解した。
 自分の手には余る代物なのだと。

 冷たいARMを手に取る。細く射し込む月光に反射し、かろうじてその形が見える。
 痩せた腕には重すぎる、竜の化石の塊。
 ——これを作動させるにはどうすれば良いのだったか。
 遠い昔の〈想い出 きおく〉は、簡単には掘り起こせなかった。

 結局マイラはARMをどうするか、翌朝まで考えあぐねていた。結論は出ないものの、今後の生活やARMのことを考えていれば、一時 いっときだけでもマルチナやミレイユのことを思い出さずに済んだ。
 しかし悩む時間が無駄に思えてきて、ARM一式を古布で隠して外へ持ち出す。裏路地を回ればアーム屋にはすぐに辿り着ける。
 使う気になれないモノを後生大事に持っていても仕方がない。迷いを無理矢理断ち切るために、売却しようと思った。

 その時、建物と建物の間から、表通りを走る緑の小柄な人影が視界に飛び込んできた。
 反射的にその姿を目で追う。見間違えるはずがなかった。
「マルチナ……?」
 そして——少女を追いかけるふたりのならず者も。
 マイラは反射的に走り出していた。建物の間には隙間こそあるものの、無造作に置かれた大きな木箱やメモリーフィギュアが邪魔をして、簡単には通り抜けることができない。
 慌ててARMを取り出し弾を込める。慣れないながらもどうにか発射可能な状態にした。
 しかしその間にも男達は遠ざかって行く。やむを得ず裏路地を走り彼らに追い付こうとするが、体力のないマイラはすぐに息を切らした。
 ——今更マルチナを助けてどうしようというのか。
 苦しい呼吸の中で自身の行動に苛立ち、無力感に苛まれながらも、どうにか建物の間を抜けた。物陰に隠れて表通りの様子を窺う。
 すると、二人の男は立ち止まっていた。理由はわからない。
 手にしたARMに目をやる。
 今なら背中から撃ち抜くことができるだろうか?
 心臓がうるさく鼓動し、手が震えてくる。殺す側が恐怖するのは普通のことなのだろうか?
 そんな状態でも、ARMが反応したのがわかった。持て余していた拳銃に己の血が通うように、手の中にぴたりと収まり、冷たさと重量感が和らぐ。
 これなら、撃てるかもしれない。
 震える右手を左手で包み込んで抑え、二人の男に狙いを定める。
 引金にかけた右手人差し指に全ての力を込める。
 ——しかし。
「ッ……!!」
 引金はびくともしなかった。
 目の前が真っ暗になる。

 その時、若く勇ましい女の声がティティーツイスターの大通りに響いた。
 啖呵を切る声は、マルチナが走って行った方向から聞こえた。そちらを見ると、覚えのある渡り鳥チームがマルチナを背に庇っている。
 母親を探すマルチナを行く先々で手助けしたという四人だった。先陣を切るように二丁拳銃を構えた女渡り鳥には、強い意志が見て取れた。そして、マルチナを捕らえようとしていた男達は彼らを恐れて逃げ出して行く。
 マイラはそれを見て、思わずその場にへたり込んだ。膝には力が入らず、ARMを力の限り握り込んだ指はうまく動かない。
 必死に心を落ち着かせて物陰に隠れたままマルチナの様子を窺うと、女渡り鳥と何かを話し合い、やがて五人で連れ立ってティティーツイスターを出て行った。無鉄砲な姪も、彼らと一緒なら無事に母親のもとへ帰り着けるだろう。
 もう二度とここへは来ないで、無事に過ごしてほしい。マイラは沸き上がったその気持ちに戸惑い、同時に感じたわずかな寂しさにも困惑する。
——しかしマルチナが大人しくしている姿を、マイラは思い描くことができなかった。


 それからマイラはARMの使い方を思い出そうと、幾度か町の外で試射を行った。
 最初の試射の時、ARMがいかに感応しようとも、使用者の鍛練は必須であることを思い知らされた。目標を定めようにもARMを保定できず、引金を引くこともできない。自分自身の膂力 りょりょくの無さに呆れ、背筋に嫌な汗が流れる。
 あの女渡り鳥達がマルチナを助けていなかったらどうなっていたか。
 マルチナがさっさと諦めてくれさえすれば、こんな実るかもわからない努力なんかしなくていいものを。思わず悪態をきたくなる。
 全て投げ出したくなる心を叱咤し続け、どうにか引金を引けるようになるまでに一ヶ月ほど掛かっただろうか。
 リュックマンがマイラの元を訪ねてきたのはそんな時だった。

 大きなリュックを背負った旅人の姿を見て、マイラは嫌な予感を抱いた。行商を生業とするリュックマンは、個人的な手紙や荷物を届けてくれることがある。
 案の定、マルチナから手紙を預かったという。
「俺がここにいる間なら返事を預ることもできますよ。いつ届くかはルート次第ですけど」
 マイラは黙したまま自分宛ての手紙にその場で目を通し、いつにも増して渋面を作った。
 黙って待っていたリュックマンに目を向ける。
「いや……返事は出さないよ。その代わりに女物のブーツと、黒い裁縫糸があったら多めに売っておくれ」

 マイラの拝借する空き家の中は、移り住んできた時に比べればずいぶん整理されていた。今は砂や埃も定期的に清掃されている。
 壁際には木箱をいくつか配置し、作業台と椅子の代わりにした。着替えが無いため、腰に大判の布を巻いてスカートの代わりにする。そして脱いだスカートの糸をほどき解体していく。傍らには、少ない荷物に忍ばせて持ち込んだ裁縫道具があった。

——五年でも十年でも、待っています。いつか一緒に暮らせることを願っています。

 手紙はそんな内容だった。
 あの娘はまだ諦めないというのか。
 確かにその言葉で、マイラの孤独感はわずかに晴れた。
 しかし二人と共に暮らすということは、マイラにとっては自分自身の業の深さを突き付けられ続けるに等しい。
 マルチナがマイラに会うためにこの町を訪れ危険な目に遭うのを目にしたとき、自覚せざるを得なかった。ミレイユとマルチナに対して、自身が強い罪悪感を抱いていることを。
 もしもティティーツイスターでマルチナの身に何かあれば、マイラは自分自身を許せなくなるだろう。

 十一歳のマルチナにマイラの葛藤などわかるはずがない。
 彼女の願いと行動は、マイラの不安と苛立ちを掻き立てる。だから反射的に辛く当たってしまう。
 だがそもそも、マイラが彼女達を裏切らなければこんな状況にはならなかっただろう。
 因果は巡ったということだ。

 ただひたすらに手を動かす。
 涙を流すことも、酒に逃げることも、今のマイラには許されなかった。


「何か素人向きの仕事をくれないかい?」
 ティティーツイスターのアームマイスターは、頭のてっぺんから爪先まで、値踏みするようにマイラを見た。はっきり言って無礼な態度だが、気にしても仕方がないと無視した。
「酒場の女将から、素人にいきなり危険な仕事はさせられないと言われてね。ここで、何か頼まれ事でも探せってことだったんだけど」
 モスビーという名だったか。口髭を整えた中年の小柄なアームマイスターが、好奇心を隠さずに言う。
……ARMの査定に来た時以来かい?アンタ、少し見ない間にえらく変わったね」
 さもありなん、とマイラは肩をすくめた。
 黒いハイネックのトップス、襟に巻いたリボン、カーディガンは変わらない。白髪混じりの髪も以前と同じアップスタイルにしている。
 しかし足元は以前と全く違い、編み上げの頑丈なブーツを履いている。乗馬ズボンに近い型のニッカーボッカーズは、ずっと着用していたスカートを仕立て直したものだ。
 そして左脇にARMを一丁、カーディガンに隠すように、革製のショルダーホルスターで吊っていた。
「ただね、荒事も辞さないってんなら上はジャケットとかの方が良いと思うがね」
 ARMが隠しきれていないのはわかっているし、そもそもカーディガン自体が屋外活動には不向きな着衣だ。
 助言してくれるということは、印象は悪くないと考えて良いのだろうか。
「今は素寒貧 すかんぴんでね。報酬が入ったら考えるさ」
「ううん……あいにくだけど、今は良さそうなのがないんだ」
 モスビーはそう言うが、マイラへの不信感から仕事を振るつもりがない可能性もある。
 マイラは会話の中で相手の本心を推測するのが得意ではなかった。とはいえ、こんな生き方を続けるのなら交渉ごとを避けては通れない。
 どこまで食い下がって良いものか、慎重に探っていく。
……少しでも稼がないと、明日の食事もおぼつかなくてね。雑用でも何でもかまわないから、何か無いかい?」
 モスビーもまた、こちらの事情を読み取ろうとしているらしい。口髭を撫でながら尋ねてくる。
「この前は荒事を嫌がってたじゃないか。どういう心境の変化なのか、教えてほしいもんだね」
 問われて、諦めの表情でマイラはモスビーを見つめた。
「荒事を避けたいってのは今もそうさ。正直生き残る自信も無いし、殺しもしたことないしね。ただ、この先避けられなくなるかもしれないから」
「というと?」
……口外しないと約束してくれるなら、話しても良いけどね」
 どうなんだい?と目線で問うと、モスビーが顎に手を当てる。彼の表情からして少しは興味を引けたらしい。
「うちをご贔屓にしてくれるんなら、いくらでも。顧客の情報はおいそれと漏らせないからね」
 それはそうだろう。こんな町では顧客から得た情報は慎重に扱わなければ自身の身さえ、危険に晒されかねない。
……アンタは知ってるかい?たまにこの町に来るマルチナって娘」
 モスビーが頷く。
「怖いもの知らずで有名だよ。そのくせ、住人を味方に付けるのが上手い。面白い子だな」
 マイラはその言葉を聞いて呆れた。マルチナは天性の人たらしだ。こんな場所でもその気質を遺憾なく発揮したらしい。
「マルチナは、アタシの姪なんだよ」
 事情を簡単に、実の妹と姪を詐欺にかけたことも含めて説明する。しかし、アームマイスターが表情を変えることはなかった。
……つまり、何をどうするつもりなんだ?」
 相手はまだこちらを探っている。そんな相手の前で、こんなことを言うのはなんとも気まずかった。
「マルチナがアタシに会いに来て……もし危ない目に遭ったら、アタシが守るしかないじゃないか。そのために、ARMの扱いに早めに慣れておきたいんだよ」
「ほう?」
 モスビーの感心したような反応にマイラはため息をついた。
 妙な誤解をされるのは御免だが、本心を全て明かす気はない。明かしたところで理解してもらえるとも思えなかった。
「とりあえず無事を確保してから追い帰す。あの強情な小娘が根負けするまでね」
 マイラが口を閉じると、モスビーがにやりと笑った。
……何が面白いのさ。ニヤニヤして」
「いやぁ、見た目によらず子煩悩だなと思って」
 やはりこの男は妙な誤解をしているらしい。
「くだらないことを言ってるんじゃないよ」
 マイラは睨み付けたが、モスビーはどこ吹く風と、楽しそうな表情を崩さなかった。
——しかし、なるほどな。今アンタに必要なのは日々のたつきとARMの指導役ってわけだ」
 このアームマイスターは顎に手を当てるのが癖なのかも知れない。しかしその仕草でニヤつかれると、どうにも警戒心が湧き上がる。
——クレイボーンのマイラ。アンタ、一時とはいえ宿屋をやってたってことだよな?」
 思わず顔をしかめる。この男は何を話しても驚かなかった。おそらく、最初からマイラ自身の情報が出回っているのだ。
 その可能性は考えていたが、当然いい気分はしない。嫌な記憶を刺激されるのも辛かった。
 ただ、下手に嘘をついたり隠し事をしなかったのは正解だったのだろう。
「少しの間だけさ」
「それでもアンタならわかってくれるだろ?店を構えると雑用と事務作業が案外面倒なもんだって。そういうのにばっかり時間取られてると、肝心の納期に追われちまってな」
 モスビーが何を考えているのかわからなくなり、マイラは困惑した。
……つまり、この店の仕事をくれるってのかい?」
「重要な仕事はこっちでやるから、給金はあんまり出せないがね。代わりにARMの整備とか、基本的な取扱いとかならいくらでも教えられるよ」
……
 どう返答すべきか迷うマイラに、モスビーはいたずらっぽく片眉を上げて「どうだい?」と答えを促す。
「なんでアタシなんかにそんなことを……
 実妹に詐欺を働いたことは既に知られている。こういう人間が店に出入りして、店主にとって良いことがあるとは思えないが。
「単純に人手不足なんだよ。サボらないことと売上に手を付けないってことさえ約束してくれるなら、誰でも良いんだがね」
 冗談めかしてはいるものの、モスビーの目は本気だった。この町ではそもそも真面目に働く人間は少数なのだろう。
 マイラはそれでも答えあぐねていた。

 マイラには誰にも言えない目的が、もうひとつあった。
 これからどう生きていくのか。
 その問いに対する、言葉にするのも馬鹿馬鹿しい結論が。

 それはマイラ自身が幸せに生きていくことだ。

 ミレイユ、マルチナとの縁そのものを断ち切らなければ、マイラは穏やかには生きられないだろう。だから彼女達にマイラには家族など必要ないと思わせたい。
 そのためには、少なくともマイラ自身が独力で生きる姿を見せなければならない。しかし問題なく暮らしている程度では、彼女達は納得しない。
 つまり、幸福に暮らしていると信じさせなければならないのだ。
 幸福なふりをするだけでは、おそらくふたりを納得させることはできない。本当の幸せを知る相手に偽りの幸せを見せても、騙し通せるわけがない。
 なんと馬鹿馬鹿しく、難しい結論だろうか。
 自己嫌悪と罪悪感に苛まれるマイラにとっては、自分の幸せなどさっさと諦めて、泥沼に身を沈める方がよほど楽なのだ。

 ティティーツイスターに逃げ込んでから、自分の限界を思い知らされることばかりだ。
 独りでどうにかしようと足掻いても、泥沼に引きずり込まれるだけ。かといって他人を信じすぎれば足元をすくわれる。
 どちらかを選ばなければならないのなら、他人の力を借りた方がいくらかはマシな結果に辿り着けるのだろう。
 生き延びるため。そして幸福に生きるために。
 差し伸べられた手を取る——他人と自分を信じる覚悟が、どうしても必要だった。
……わかったよ。アタシにできることがあるのなら」
「そうこなくっちゃな!よろしく、マイラ」
 モスビーが右手を差し出す。マイラはちらりと見やり、
「こちらこそ、よろしく。モスビー」
ぎこちなくその手を握り返した。
 

 その日の夕刻、依頼された仕事を片付けながら、モスビーは遠くに聞こえるARMの発砲音に耳を傾けていた。
 あれからマイラに店内と業務の簡単な説明を行い、明日からは試用期間となる。当面の報酬は昼食代、弾代、いくらかの金銭ということで落ち着き、契約書も作成した。いずれ任せられる仕事が増えたら、改めて報酬額を交渉することになるだろう。
 マイラは昼前に帰って行ったが、その後独りでARMの訓練を行っているようだ。
 アームショップから姿が見えるわけではないが音でわかる。この一ヶ月、度々聞こえていたのと同じ発砲音がしばらく続いた。

 ティティーツイスターに流れてくる者達は、大なり小なり脛に傷を持っている。
 彼らのほとんどはそれを忘れようと傲慢に生きるか、引きずられて無為に時を過ごすかだ。アームマイスターであるモスビーは、その末路を山ほど見てきた。モスビーがARMの整備を請け負ったことで起こった惨事も数えきれない。やるせない想いを抱えることも多々ある。
 それでも他の土地へ移住しないのは、稀に今日のような面白い出来事が起こるからだ。
 ARMを持つことの意味を理解していながら、必要にかられて訓練を始める者は多い。マイラのように、肉親を守ることをその理由にする者も珍しくはない。
 しかしマイラが戦おうとする本当の理由は、それだけではないように思われた。

 ——マイラがどこまで自分自身を追い込み、目的のために足掻けるか。
 それを見届けるのが、モスビーは楽しみになってきていた。


エピローグ 伸ばした手で掴み取るモノ


「マルチナ!一緒に行くからちょっと待って!」
 ヴァージニアは、大通りに面した小さな廃屋へ早足で入り込んでいく少女を小走りに追いかける。ヴァージニアは【渡り鳥】としても身軽な方なのだが、俊敏なマルチナに追いつくのは骨が折れた。
 今日のティティーツイスターは風が強く、辺りには砂塵が吹き荒れている。裏路地に入ると遮蔽物で多少はマシだが、砂が目に入り込んで痛くなってくるほどだ。
「マルチナったら!」
 マルチナの手を掴む。少女が反射的に振り返ると、砂塵をものともしない輝く新緑の色の瞳が目に飛び込んできた。出会ってからずいぶん背が伸びた彼女は、ヴァージニアの鼻先で目をしばたたかせた。
「護衛を置いて先に行ったら意味ないじゃない!」
「ごめんなさい……。ここに来るのは久しぶりだから、待ち遠しくて」
「そうね、マルチナ」
 苦笑しながらもう離れないように手を繋ぐと、マルチナも笑顔で握り返してきた。護衛としては手に余るが、この輝く笑顔で何もかも報われたような気がしてしまう。大切な家族の無事を確認しに来たいと言われれば、ヴァージニア自身も彼女達のために一肌脱ぐのはやぶさかではないのだった。
 マルチナを諦めさせようと四苦八苦する彼女の伯母には、内心同情するしかない。むしろ強情で気難しいとはいえ、伯母が折れない理由の方が気になってくるほどだ。
 そんなことを思いながらもぐんぐん進むマルチナに手を引かれ、アーム屋の扉を潜る。
「こんにちはー!」
 薄暗いモスビーの店の中に、明るい挨拶が響き渡る。
 店のカウンターで事務作業をしながら来客を待っていた壮年の女が、驚きもせずにマルチナを睨み付けた。
「うるさいね。仕事の邪魔だからさっさと帰りな!」
「伯母さん、元気だった?」
 取り付く島もない伯母の言葉にもマルチナは全くめげる様子がない。むしろ気にしたのは店の奥にいた店主のほうだ。
……マイラ。マルチナだけじゃなくてお客さんも一緒なんだから、いらっしゃいくらいは言ってくれ」
 ヴァージニアと目が合うと、モスビーはいつも大変だね、とでも言うように会釈をし「いらっしゃい」と声を掛けてくれる。ヴァージニアは「こんにちは」と苦笑した。モスビーさんも大変ですね、とでも言いたくなってしまう。
 そこに、遅れて後を追ってきたジェットが入って来る。開いた扉からギャロウズとクライヴが店外に待機しているのが見えた。
……いらっしゃい。マルチナと一緒じゃなきゃ大歓迎なんだけどね」
 不機嫌さを隠しもせずにそうに言うと、マイラは席を立つ。
「モスビー。キリの良い所までは済んでるから、もし何かあったら酒場に知らせに来ておくれ」
「はいよ」
 左脇にホルスターでハンドガンタイプのARMを吊り下げ、ジャケットを羽織って隠しながらマイラが言った。その言葉にモスビーが気安い様子で応える。
 マイラがアーム屋で働いているのを知った時は驚いたものだが、幸い店主のモスビーとは良い仕事仲間になっているらしかった。
 何度か訪れるうちに、商売の邪魔だからと、マイラとマルチナは酒場に移動するのが当然になっていた。目もくれずに歩き出すマイラに、マルチナは満面の笑顔でくっついて行った。
 二人はいつも話し合いとは名ばかりの言い合いをする。数ヶ月に一度のこととはいえ、酒場では半ば名物になっていた。しかもその間ヴァージニア達は暇を持て余すことになる。
「おい」
 店外に出ると、鈍い銀髪の青年が不機嫌そうにヴァージニアに話し掛けた。ジェットも出会った頃よりずっと背が伸びており、ヴァージニアは彼を見上げることが多くなっていた。
「なあに?ジェット」
「次からは俺は別行動を取るからな。ただの親子喧嘩みたいなモンじゃねえか……。こんなんで時間を無駄にするくらいなら、単独で他の仕事でも受ける方がいい」
「良いじゃない。私はこの仕事、結構好きだけどなあ」
 数年来チームを組む仲間達と連れ立って、マイラとマルチナの関係を見守るこの仕事……というかお使いが、ヴァージニアにはなんだかんだ楽しかった。ジェットがその面倒さと進展の無さに呆れ果てていることも、ギャロウズとクライヴが楽しんでいることもわかっている。
「荒事にならない仕事は貴重だしよ、たまには良いじゃねえか!」
「僕ももう少し付き合いたいですね。マイラさんがいつまで拒否できるか、見物じゃないですか」
 案の定二人はリーダーの意見に笑顔で賛同した。ジェットは先を行くマイラとマルチナのかしましいやり取りを聞きながら、精悍さを増した顔を不機嫌そうに歪める。
……ッたく、うんざりだぜ」
 その口癖を聞いて、ヴァージニアは笑った。
 マルチナとミレイユの願いが叶うのか、マイラの意地が貫かれるのか。
 今の彼女達は平行線に見えて、実はなかなか幸福なのかもしれなかった。