拠点は大混乱に陥っていた。帰還した大隊は拠点から向かって西方面への調査に向かっており、どうもそこで巨大な地底生物に遭遇。討伐せんとしたものの、大敗。多くの怪我人を出し、引きずるように戻ってきたのだ。しかも伝令兵がそれを拠点に伝えてきたのは、大隊到着の三十分前。とても受け入れ態勢が作れる状況では無い。
「あぁ〜! こりゃえらいこっちゃ〜!」
シロツメ新聞社のミツバはその惨状を嘆きながらも筆を走らせ、克明に記録していった。
『拠点に帰還した兵士たちは、瘴気に中てられただけではなく、ベタついたそれにまみれた者もいた。瘴気とは、これまで空気に混じって害を成す煙のようなものだと思ってきた。しかしどうやらそうでもないらしい。瘴気を直に浴びてしまった者は服が焼け落ち、皮膚が爛れ、悲惨な状態だ。瘴気を無害化する技術が求められるが、果たしてそんなことが可能なのだろうか。瘴気の実態を解き明かす研究者が必要だ。研究者と言えば……』
と、そこでミツバは筆を止めた。いや、止めざるを得なかった。
「ヘイ! そこのジャーナリスト! 負傷者をキャリングするのをヘルプしてくれないか!」
「へっ、ウチ!?」
「キャットの手もレンタルしたいんだ!」
この悲惨な状況を少しでもリアルに伝えるには、自らその現状に飛び込むべきだろう。奇妙な言葉を交える男に請われ、ミツバは板金鎧を纏いながらも怪我をした兵士を運ぶのを手伝った。脱力した成人男性の身体はずっしりと重い。指からスルリと落としてしまいそうだし、こめかみや額から汗が滲む。
「しかし、ユーもわざわざとんでもないところに来たもんだな」
「ウチの仕事は真実を伝えることや。虎穴に入らずんば虎子を得ず。危険な目にあってこそだと思っとるで」
「そのブレイブリーさ、リスペクトしたいものだ」
珍妙かつ無骨な機械で作られたゴーグルで目元を覆った男を、ミツバはよく観察した。見事な白髪を簪で纏めた髪型を見るに、恐らくシーカー族の、それも研究者なのだろう。王国軍総司令官である王太子は、国王に比べてシーカー族に対する姿勢が温和だと聞く。かつて優れた文明を所有していた彼らを研究者として招聘するのは、賢明な判断だろう。何より、『恐るべきシーカー族』という古い価値観に囚われていない証拠だ。
「あっ、ロベリーじゃん! しばらく見ないと思ったら!」
ミツバとはまた違う明朗さに溢れる女性の声に、男がそっちの方を見る。駆けてきたのは二人組で、その片方はシーカー族だった。ロベリーと呼ばれた男は、彼女の姿を見るとゴーグルが盛大にずり落ちた。
「なっ、プルア女史!? ホワイ、ユーがここに……!?」
「姫様にお願いをしてね。彼に同行させてもらうことにしたの!」
プルアがにこやかに紹介したのは、白髪に白衣の彼女とは正反対の色合いをした、恐らく男性。ミツバは同僚から聞いた話を瞬時に思い出す。
「アンタ、アストルさんやろ! あの有名な占い師の!」
彼はポカンとしつつも、自分が『アストル』であることを否定しなかった。
「貴方は、一体?」
「あぁっ、自己紹介がまだやったな」
ミツバは胸元のポケットから小さな薄いケースを取り出す。パカリと口を開けば、そこには長方形の紙が何枚も収まっていた。それを一枚手に取ると、ミツバは恭しくアストルへと差し出した。
「ウチ、シロツメ新聞社の記者で、ミツバって言います」
「シロツメ新聞社……。あのハイラル初の民間報道機関の?」
「覚えててくれはったんですね! いやぁ〜嬉しいわ〜あのアストルさんに覚えがめでたいなんて……」
テレテレとミツバは後頭部を掻く。だがアストルは正直反応に困った。ガノンはミツバの腕章を見て、その反応の根源を理解する。
「ほう、お前の元に以前来ていた連中のお仲間か」
「別に取材されるような人間でもないからと、断ったんだがな……」
「いいや! 噂話でその評判を集めたアンタは、まさにウチの紙面に相応しい人や! 今からでも遅くないで!」
アストルがガノンにした返事を自分との返事だと思い込んだミツバの大盛り上がり。自分の居場所が王に知られることを恐れていたので、アストルからするととんだ迷惑な話である。それがミツバには謙遜に見えたらしい。ますます食いついていく。
そんなミツバの様子にやや呑まれつつ、ロベリーはプルアに訊ねた。
「ヒーはそんなにポピュラーなのかい?」
「そっか。アンタは先にこっち来てたから知らないのよね。アストルは結構すごいのよ。なにせ瘴気が効かないんだからね」
プルアの一言にロベリーは「ゥワァッツ!?」と大声を上げた。
「それより、この状況をどうにかするべきだろう。あのボロ小屋に大人数が入るわけあるまい」
アストルは迫るミツバを掻い潜り、ロベリーに問いかけた。だがロベリーの反応は芳しくない。曖昧な対応を改めてもらうべく、アストルは迫った。
「拠点に滞在しているならば、多少は詳しいはずだろう。計画としては、どうするつもりなのだ?」
ロベリーはゆっくりと頭を横に振った。顔色が悪いのは、瘴気のせいだけではないのだろう。
「……実は、ミーは何も知らない。今後どうするのかも、何も」
その言葉にプルアが渋い顔をする。彼は技術畑の人間として呼ばれただけで、計画の方針決定に関して何の権限もないのだ。思い浮かぶのは、やはり『シーカー族だから』ということ。融和の方向で動いている王太子も、今上王の施策に対して完全に逆らうことは難しいのだろう。
「ユーに瘴気が効かないのは何故だ?」
「私にもわからない。……ただ、この地底にも瘴気から身を守れる場所を今しがた見つけた」
アストルはプルアに視線を向ける。『関係者』であるロベリーと親しいのは彼女なのだから、バトンは今渡してしまったほうが良い。
「少し歩いて、崖を降りた先にあるの。それが結構大変なんだけどね。ねっ、案内しましょアストル」
「……いや、それはできない」
この言葉にガノンですら耳を疑った。アストルは苦しんでいる者のために動いていたのではなかったのか。賛成は当然のことだと思っていたプルアはギョッとしつつ、だが声にそれが乗らないよう気をつけながら問いかける。
「そんな、なんでよ?」
「私たちの受けた対応を覚えているだろう? 彼らは私たちの協力を拒んだ。こちらから勝手をすればきっと更に溝が深まる。そうは思わないか」
「そりゃ……そうかもだけど……」
ロベリーがゴーグルをかけ直す。それだけの所作でありながら、妙に意味深長に見えた。
「ユーは、ミーに何をお求めなのだろうか?」
「ただ一つ、地底調査隊に加わる許可を」
なるほど、とガノンはアストルの立ち回りに得心する。彼は大多数からの拒否を受けた。そこに無理やり入り込んでいけば、非難は必至。だが被害が一気に増大した今なら、誰であろうと協力者は欲しくなるはず。アストルはそれを待っていたのだ。
「ミーが許可しよう。しかし、ワンモア……佐官レベルからの許可も必要だ。トゥゲザーしてくれるか?」
「勿論だ。是非頼みたい」
「ではフォローしてくれ」
三人は連なって拠点内へ向かい出す。ミツバは「取材させてーな!」とそれを追いかけた。
「ダメに決まっているだろう! こんなひ弱そうな奴に、何ができるという!」
再びの訪問も虚しく、早速断られた。ロベリーが「ルックスで判断するのはバッドだぞ!」と反論するも、アストルはそれに加勢する様子は見られない。
「昨日も言ったが、無才の姫のお気に入りを受け入れる余裕などここにはない! 地底は未知の世界なのだ! 戯れ半分にするのも大概にせよ!」
また姫叩きが始まったとガノンは呆れる。調査隊側の協力者を得た上でこれでは、どうにもならなさそうだ。ならばそろそろ絶望してくれるだろう。ガノンはアストルの浮かなげな顔を見た。
「……?」
いや、浮かなげな顔などアストルはしていない。唇を引き締めているのではなく、噛み締めている。歯が薄いそれに食い込んで、血が滲んですらいた。服を強く握り込み、事を荒立ててはならないと、ひたすら我慢している。自分が感情的になれば、姫の名誉を傷つけることになるからだ。ともすれば暴れ狂うであろう己の中の獣を、理性を総動員して押さえつけている。それだけアストルにとって、姪御は大切な存在なのだろう。
その事を思った途端、ガノンの胸がヒリついた。だがガノンにすらその理由がわからない。しかしひとつ明確なのは、『奴ら』がのさばる限りアストルの人生は停滞し続けることになる。アストルの『舞台』が見たいガノンには、それが不満だった。
「そんなことばかり言うておるから、いつまで経ってもここが地獄なのではないか」
ガノンはトライデントを握る。そして空気を切り裂くように振り下ろした。
「少しは聞く耳を持てい! この愚鈍めが!」
切っ先から放たれるプレッシャーの波動。佐官どもはビリビリとした気迫を原液で食らい、目が点になった。
「全く……これで組織の上層とは聞いて呆れる」
フンと大げさに鼻息を吹かせば、アストルがポカンとしてガノンのことを見ていた。胸のヒリつきが消えて、ガノンは思わず両の口角を吊り上げる。
「勘違いするな。このままでは埒が空かないと思ったまで。お前を絶望させたい我のためでしかない」
突然腑抜けになった佐官に、これ幸いとロベリーが迫る。胸ぐらを掴み、かけたゴーグルを先方の額に押し付け「とにかく! 二人に活動許可を!」と目をギラつかせた。
「わ、わかった……許可する……」
「ベリーセンキュー! じゃあ二人とも、例の場所へナビゲーションを頼んだ!」
✽✽
『光の根』の効果は無事証明され、それまで拠点内に詰め込まれ苦しんでいた兵士たちは柔らかな光の下で次々に回復していった。さすがの佐官らもこの発見には渋々ながらも礼を述べ、一兵卒たちからは深い感謝を告げられた。だが問題はここから。地底調査の進捗は、マイナスがようやくゼロに戻ったようなものである。瘴気の源流はどこなのか、それを突き止めなければならない。
そんな状況の中、頼られたのがアストルの占いであった。どの道を通れば安全なのか、魔物がどこに潜んでいるか……。一寸先は闇の世界を歩くには、明かりだけでは心許ない。だがアストルの専門分野は『占星術』である。地底に星はない。
ガノンは訊ねた。
「どうするつもりだ?」
「どうするもこうするも、星は常に空の上にあるだろう」
アストルは全天星図と暦を用いて、地底にいながら今現在地上から星がどのように見えるかを割り出した。それを基に、各人からの要請を受けて運勢を導き出すのである。
地底にやって来てから一ヶ月、アストルは調査隊のあちこちの部署から相談を受けていた。その結果、粗末な小屋としか言えなかった拠点は、地底にある巨木を切り出して立派な建物に建て替えられ、アカリバナという開花した途端自ら発光する植物の発見にも繋がった。困った時はアストルの元へ占いに行け、というのが兵士たちの中で半ば合言葉と化していた。
城から離れた村で占星術師をしていればよかったろうに。自ら多忙の中に足を突っ込んだアストルを見ていると、ガノンはそう思わざるを得なかった。
「だが、多くの人の役に立てるのは楽しいぞ。城の中では、そんなことも無かったからな」
「あの村にいればよかったのでは?」
「瘴気を放っておいてはいつか総てが駄目になる。そう思ったまでだ」
「……そうか」
アストルは机に向かったまま、静かに筆を走らせている。そのせいか、廊下から扉を叩く上品なノックが鮮明に聞こえた。
「はい、今出ます」
椅子から立ち、扉を開いた。途端に、ノックの主が抱きついてきた。
「叔父様ッ!」
「なっ、ゼ、ゼルダ!?」
「お久しぶりです。元気なようで、安心しました!」
「な、あ、ちょ、ちょっと待て! どういうことだ? 一体どうしてここに」
「ふふ、驚きましたか?」
アストルから身体を離すと、ゼルダはニコリと笑った。最後に彼女に会ったのは、地底へ向かう直前。ひと月顔を見ない間に、ゼルダの髪はすっかり短くなっていた。
「それに、お前、その髪……」
「長いままだと、調査の邪魔になってしまいますから」
ということは、ゼルダも地底調査隊に加わるのだろうか? 厄災が今、アストルの元にいる以上復活はありえない。かと言って、封印の力を目覚めぬままにしておくなど、あの横暴な王が許すはずないはず。
「というのは半分冗談で、今回は視察に来たのです」
「視察?」
「はい。王家の人間は、未だ誰一人地底に足を向けたことはありません。祖父は政がありますし、父も多忙ですから……消去法で私が」
「そうだったのか」
彼女を追い詰めるものが減っているのか、それとも地底という物理的に距離を取っているからなのか、ゼルダは絶えず笑顔だった。
「おっ、アストルはん。おつかれさんです〜」
「ミツバさん」
「ひょっとしてそちらの方は……ゼルダ様で?」
ミツバのあまりある慧眼にアストルはヒヤッとした。だがゼルダは誤魔化すどころか、その対応が気に入ったらしく「はい。こんにちは」と答えた。
「ひぇっ、ガチモンの姫様やったわ!」
自分から食いついておきながら、まるで怪物でも見つけたかのような反応である。
「もしかして、記者の方ですか?」
「ども……ウチはシロツメ新聞社のミツバっちゅーモンです。アストルはん、ゼルダ様とはどういうご関係で?」
ミツバはニヤニヤとした、ミーハーな笑みを浮かべる。真面目なジャーナリストだと思っていたが、そう言えば彼女が紙面で持っているコーナー名は『ウワサのミツバちゃん』だった。スキャンダラスに捉えられるのもまずい。抱きつかれる瞬間は見られていないはずと信じ、「殿下が私を地底調査に送り出してくださったのです」と答えた。
「はぇ〜さすが姫様、素晴らしい人脈をお持ちで」
「彼は瘴気に強い耐性があるので、調査に向かうようお願いしたのです」
ふむふむ、のミツバはいつの間にか筆を走らせメモを取っている。これがいつか新聞記事になるのだろうか、などと思っていると、ゼルダのチラチラとした視線がアストルの肩を越えたところを見ていた。
「で、姫様がアストルはんを選んだのは、姫巫女の勘なんです?」
「勘……というより、実績と、あと……」
ゼルダの視線は、ジロと睨むようなものに変わる。
「彼の背後に……途方もなく大きなものを感じて……。ともすれば、彼を取り込んでしまいかねないような……」
女神の加護だと喜んで言っていたのが、まるで嘘のようだ。アストルの側にいる存在がガノンだとわかっているらしい口ぶりである。
「殿下、良い着眼点です。そう、私の隣にいるのは女神様ではなく、そういう感じの奴でしてね。けどそれまでは私を守ってくれる、結構良いヤツなんですよ」
「なッ!? 我が『良いヤツ』だと!?」
いつかのようにガノンはぎゃいぎゃいと異議申し立てをする。アストルは困り笑いを浮かべて両耳を塞いだ。
「……賑やかな御方ですね」
ゼルダのにこやかな嫌味に、ガノンは堪忍袋の緒が切れた。
「おい、小娘ッ! 見えておるならこっちに来い!」
「まあ、良いのですか?」
何かを見透かしたような言い方に腹が立ち、ガノンはゼルダを連れて廊下の向こうへ行ってしまった。ハイラルの姫と厄災を一緒にさせるのは少し危ないような気がしたが、今のガノンならば下手なことはしないだろう。二人がどんな会話をするのか興味があったが、今は仕事が先だ。
「あ〜姫様行ってもうたわ。ほなアストルはん、ウチは別の用があるさかい、これで」
「あぁ、また今度」
軽く挨拶を交わし、アストルは机に戻った。
ガノンがいないこの部屋は、驚くほどとても静かだ。常に自分が絶望するタイミングを待ち、それでいながら何度も自分を助けてくれた。彼がいないことが、どうも寂しくてならない。
「随分大変そうね。本当なら、御母様の故郷でのんびり暮らしていたでしょうに」
「いえ……これが私のしたかったことなので」
「そう。けど、お義兄様や姪のお姫様と一緒にいたくはないの?」
「あそこは、本来私のいるべき場所じゃない。王太子様も、ゼルダも、途方もなく大きなものを背負っている。私をそこに加えたくないだけだ」
自分のこぼした言葉に、アストルはふと気づいた。
『扉が開いてもいないのに、自分は誰と喋っているのか?』
顔を上げると、見知らぬ女性が立っていた。いや、似ている人物ならば、ひとりだけいる。彼は先程、ゼルダを連れて部屋から出ていった。完熟直前の橄欖に似た肌の色艶、爛々とした瞳、……結い上げられた赤銅色の髪からは、女性的ななめらかさを感じる。落ち着いた色の衣服だが、裏地は孔雀の羽のように鮮やかかつ豪奢。
部屋の中に照明はあるのに影は無い。つまり、彼女は物理的に存在していないことになる。
「あなたは……」
「サヴォール、ハイリアのヴォーイ」
続く
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