澄み渡った青空、穏やかな風、爽やかと評するのが相応しい気温。愛する水龍達のご機嫌を映したような好天である。早く早くと可愛い息子に手を引かれ、リオセスリとヌヴィレットは『シュヴァルマラン映影ランド』へ足を踏み入れた。
「おお…」
「賑やかだな。盛況なようで何よりだ」
さざめきに目を細めてつい立ち止まりかけるも、「あっ!」と声を上げたレヴィの足は止まらない。物理的な力は強くないが精神的に二人への多大な影響力がある小さな手とその持ち主に身を任せて歩みを進めると、息子はこのテーマパークのメインキャラクターであるシュヴァルマラン婦人の立て看板の前で足を止めた。
「パパ、とうさま、おっきいふじん!」
振り返ったレヴィのアイオライトが見て見てと言わんばかりに輝いている。先ほどの“あっ”はこれを見つけたからだったようだ。レヴィの知るシュヴァルマラン婦人はその腕でも抱えられる大きさなので、自分の身長の二倍ほどの婦人は新鮮だろう。
「本当だ。レヴィよりずっと大きいなぁ」
「なるほど、こういうものを『フォトスポット』と言うのだな」
周囲にちらと目をやったヌヴィレットが小さくうなずく。アトラクションの前やメインステージ、展示されている映影のポスターの前で写真を撮っている人々の目的に気づいたように。
「それでいくと、このテーマパークの看板婦人の隣は最高のフォトスポットだろうな」
ぱちんと鳴らした指に呼ばれるように姿を現した『凛流の監視者』を見たレヴィが心得たとばかりに婦人の隣に立つ。婦人の邪魔をしないようリオセスリとヌヴィレットが小さな背中の後ろに立ち位置を定めれば、これで決まりと言わんばかりにレヴィの手が二人のそれを捕まえにきた。
「りんりゅーしゃん、いいよ!」
きゅ、と手に力を込められ、愛らしい声が響く。見なくてもわかる。今のレヴィは満面の笑みを監視者へ向けているのだろう。捕まっていない方の指を振って撮影の指示を出し、レンズを見つめる。ランプが白く光った瞬間、動く何かが飛び込んできて、レヴィがわあ!と驚く声が響いた。
動く何かは仄かに光る青色の体躯を持っていた。それほどサイズは大きくない。流線形のボディに可愛らしい頭のリボン。ほよんほよんと頬擦りされているレヴィがくすくすと笑っている。
「ふじん!!」
こんにちは、というお利口な挨拶に答えるようにぷかぷかと泡を吐き出す“動く何か”は、見間違いようもなくシュヴァルマラン婦人だった。
「御本人…いや、御アベラントがフレームインしてくるとはな」
「良い『サプライズ』だったな」
「フリーナちゃん!」
顔を見合わせて小さく笑ったところでレヴィの快哉が上がる。婦人がいるのだから保護者がいないはずはない。踵を鳴らしてやってきたフリーナが、ひらひらと手を振った。
「やあ、お歴々! ようこそ、シュヴァルマラン映影ランドへ!」
ああレヴィ、今日も可愛いよ!…とロマンス映影のキャラクターの如き台詞を口にしながら頬を寄せられたレヴィがこんにちはと熱いハグを返すのを微笑ましい気持ちで見守る。実はパーソナルスペースがそこそこ広いこの仔はフリーナにはとびきり懐いている。気安さがメリュジーヌたちと同じくらい、と言えば伝わるだろうか。ヌヴィレットは元より、リオセスリも彼女に対してはそれなりの思い入れがあるから、もしかしたらその辺りもレヴィの彼女に対する気安さに影響しているのかもしれない。
「素晴らしいテーマパークになっただろう? 楽しんでいるかな」
「ちょうど入園したばかりでな。今現在、このシュヴァルマラン婦人の立て看板との記念写真を終えたところだ」
「なるほど。急に婦人が飛び出していったから何かと思ったら、君たちと写真を撮りたかったのか」
ナヴィアと旅人がすごく頑張っててね、と語ってくれるのにそう答えたヌヴィレットに、フリーナは鈴を振るように笑う。邪魔しちゃったかな、と微かに萎れた様子で窺い見られるのには否定を返しておいた。“おっきいふじん”と“いつものふじん”と一緒に写真を撮れる幸運な機会を提供してもらえて逆に有難いくらいだ。レヴィも大喜びだった。現像するのが今から待ち遠しい。
「フリーナちゃんもいっしょにおしゃしんとろ!」
「えぁ?! いや、でも、せっかくの家族写真に混ざるのは…」
レヴィの誘いにごにょごにょと尻込みするフリーナの様子に、二人苦笑を見合わせる。
「何を今更」
「広義では家族みたいなものだろ?」
互いに口にした言葉はお互いの心中をしっかりと代弁していた。ぱち、とオッドアイを瞬いたフリーナは、うろうろとそれを彷徨わせてからくしゃりと笑う。
「家族…そっか、家族かぁ……うん。じゃあ、僕も混ぜてもらおうかな!」
へへへ、と彼女らしくなく照れを隠しきれていない声で笑ったフリーナの色良い返事にやったぁと大喜びしたレヴィが「フリーナちゃんはここね!」と指定したのは自身の隣だった。
「僕がここなら、公爵はこっち、ヌヴィレットはこっちに立って。ああ、婦人はそっちじゃないよ、レヴィの反対側だ。僕はレヴィの隣に屈むとして…うーん、色合いがイマイチかな…よし、僕ちょっと黒くなる!」
フリーナの指示の通りに位置につくと、彼女はふむとなにやら思案の素振りを見せた――かと思うと、言葉と共にポーズを決める。眩いオーラが彼女を包んで、フリーナの衣装が黒を基調にしたそれに変わった。
「何度見ても手品みたいだな」
「実は僕もよくわかってないんだよね、原理」
「すごいねぇ!」
「ありがとうレヴィ! これで最高の写真が撮れるとも!」
「アルケーの切り替えを写真撮影のためだけに行うとは…」
「言いっこなしだよヌヴィレット! 君だってアルバムには最高の写真を残したいだろう?」
呆れたように呟くヌヴィレットにウインクをひとつ。裾を払いレヴィの隣に膝をついたフリーナが高らかに謳う。
「さあみんな、レンズを見つめて! この素晴らしい日を写真に残そう!」
「のこそー!」
間違いなく意味を理解していないレヴィの愛らしい復唱に伴侶の呆れ顔が笑顔に変わったのを確認して指を振る。今度は闖入者もなく、白が灯ってゆっくりと消えた。
「パパ、とれた?」
「ああ、ばっちりだ。フリーナ大監督に感謝だな」
「おしゃしんいっしょにとってくれてありがとぉ、フリーナちゃん!」
くるりと振り返りそわそわと問われるのにうなずいてやれば、レヴィは大監督へ惜しみない笑顔を向ける。「きゅ」、と個性的な呻き声を上げたフリーナは、どういたしましてとくすぐったそうに笑った。
「パパがおしゃしんみれるようにしてくれたら、フリーナちゃんにもみせるからね!」
「勿論複製も作る予定だ。是非もらって欲しい」
「…ありがとう、レヴィ、ヌヴィレット。楽しみにしているよ。…そういえば君たちここについたばかりだったよね? プランは決めてるのかい?」
嬉しそうにうなずいたフリーナに首を傾げられるのに首を振る。横に。それほど敷地も広くなさそうだし散歩がてら回ってみる予定なのだと答えると、それが“散歩”の醍醐味だよねと彼女は肩を揺らした。
「それならまずは近い所から、『名演! 映影ベストシーン』で遊んでいかないかい? 何を隠そう、僕が特別顧問を務めてるんだ。最近ステージにキッズコースを新設してね。結構好評なんだよ。きっとレヴィも楽しめると思う」
ステージクリアのちょっとした記念品もあるんだ、と耳打ちされたレヴィの触角がふわりと浮き上がる。同じくらい輝くアイオライトにじっと見つめられるのに、伴侶とちらと目を合わせ。
「せっかくのオススメだ。そこに行こうか」
「レヴィの勇姿が見られるのだな。楽しみだ」
目的地をそこへと定めれば、レヴィの小さな手がそれぞれの手を握る。期待に背を押されているのか半分駆け足の息子の後を着いていけば、程なくして聳えるテントの前に到着した。
「…へえ、結構種類があるんだな」
「これでも厳選したらしいよ。候補には挙がったけど満足のいく再現度にできなくて、涙を呑んで次回送りになった作品も沢山あるんだって」
挑戦可能なコースの一覧を眺めて思わず漏らした呟きにフリーナが解説を入れてくれる。愛するものへの拘りと推しの強さが実にフォンテーヌ国民らしい。このブースに関わっているスタッフ達はもうすでに、次回に向けて行動し始めているのだろう。
「遊んでみたいものはあるだろうか」
「これ!」
『キッズコース』と書かれた一部分を並んで眺めながら首を傾げるヌヴィレットへのレヴィの返答は早かった。指の先にはマシナリー工房を彷彿とさせる写真。推定工房の中にはパンチンググローブが並んでいる。
「これ、これね、パパになれるでしょ!!」
振り返った瞳はきらきら輝き、蒼い二筋はふよふよと浮いている。
「やっぱりそれを選ぶよね。レヴィだもの。絶対そうだと思ってたよ」
溢れんばかりの期待に煌めくレヴィの様にフリーナが楽しそうに笑って、それからあちゃあとらしくない声を上げた。
「ちょっと混み合ってるみたいだ。待っている間にこっちも遊んでみないかい? 図書館でこのスライム風船に捕まらないようにコインを集めてゴールを目指すんだ。並んだ本棚が迷路みたいになってるんだよ。いつもパレ・メルモニアの図書館を探検してるレヴィにはきっと楽しめると思うんだけど、どうかな?」
勿論記念品もあるとも!
フリーナのプレゼンを真剣に聞いていたレヴィはこくこくとうなずく。
「ぼくね、めいろとくいだよ。いつもパパのおしろたんけんしてるから!」
「ふふふ、確かに公爵の城が遊び場なら迷路は得意かもしれないね」
顔はレヴィに向けたまま、はい、と肩越しに差し出された手のひらに無言の催促を見て、購入したチケットを乗せる。
「僕が手にしたこの道しるべで、勇敢なる小さな紳士を知識の宝庫へご案内だ! 君の知略と俊足で、見事真実への鍵を手に入れてみせてくれたまえ!」
カードを操るかに指先にそれを挟んだフリーナは、ひらりとチケットを振り優雅に腰を折る。さあ、と芝居がかった仕草で背を押されたレヴィは、行ってきますと手を振ってアトラクションへと踏み込んでいった。
「…フリーナ、付き添いは、」
その小さな背中を見送ったヌヴィレットが我に返ったように口を開く。アトラクション入り口と自身の顔を行き来する美貌に、彼女は微笑ましげに肩を振るわせた。
「親御さんたちはこっち。レヴィの勇姿をゴールで見守っててあげてよ。一応説明しておくと、このアトラクションのキッズコースの対象年齢は三、四歳からを想定してる。転んだりぶつけたりしても怪我をしにくい素材を採用してるし、スライム風船に捕まってもホイッスルが鳴るだけさ。勿論心配なら同伴もオーケーだけど…」
「ヌヴィレットさんも見ただろ、あの勢い。着いてっても「ひとりで頑張る」って言うと思うぞ」
「一緒にこないの」と言われなかったことと、当然のように手を繋がれなかったのが論拠だとフリーナに倣って笑うリオセスリに、ヌヴィレットも一理あると(一応)納得してくれた。
「行こう、ヌヴィレットさん。早くしないとレヴィの頑張りを見逃しちまうかもしれない」
小さくとも龍の仔であるし、と言葉を転がしつつ我が仔の消えていった方向を見つめている伴侶の手をそっと引き、特別顧問の案内でゴール地点へと移動する。このあと何らかの演出が入るからだろう、まだ薄暗いそこには、ホログラムでできた鍵が浮いていた。少し離れた場所にはスクリーンがあり、アトラクションの内部が映し出されている。
「日頃から思っちゃいたがかなり動けるな、レヴィ」
「君の血も継ぐ仔なのだから、身体能力が優れているのは道理だろう。…パレ・メルモニアはあの仔には狭すぎるかもしれないな」
「要塞内再点検した方がいいか…?」
時折立ち止まって周囲を確認しながら、スライム風船を躱しチャリンチャリンという音(コインを取った時の効果音らしい)をお供に身軽に迷路を駆けていくレヴィの様子に、普段目にする機会のない『探検中』の息子を見て得をした気分になりつつそんな会話を交わす。実に順調だ。優秀すぎるうちの仔には少々易しすぎたかもしれない、この分だとあと五分足らずでよくやったとあの仔の頭を撫でることができそうだ――笑顔を見合わせた、まさに五分後である。
レヴィはその足を止めていた。小さな本棚を挟んだ向こう側にはスライム風船がぴたりと張り付いており、きょろきょろと左右を見ては小さく唸るレヴィの両手は胸の前で拳を作っている。躊躇ったり困っている時の息子の癖だった。レヴィが右に動けば右に、左に動けば左に、同じだけ移動してくるスライム風船と本棚越しに見つめ合ってそこそこの時間が経つ。エリアとしてはこの次で終わりなのだが、こんなところに罠があるとは思いもしなかったな、というのが、フリーナを含めた――レヴィの足が速すぎた故の“想定外”の動きらしい――保護者席の総意だった。
「今のところパーフェクトだから、一回や二回捕まってもクリアはできるんだけど」
「龍は誇り高い生き物だ。意識にせよ無意識にせよ、あの仔の矜持がそれを許さないだろう。それに」
「それに?」
「あの仔はこの手の――便宜上の言い回しとはなるが、荒事の向こうにリオセスリ殿を見ているところがある。パパならば捕まらずにクリアできるはずだと信じているから、自分もそうありたいのだろう」
まるで息子と共鳴しているからわかるとでも言わんばかりの声音と横顔にフリーナがそれはもう華やかな笑顔を向けてくる。のに頭を抱えたい自分とその場に蹲りたい自分と心のまま呻き声を上げたい自分の全てを叩き伏せてリオセスリは震える腕を組んだ。それくらいしかできることがなかったので。
「鍛錬の時間、増やすか……」
レヴィの向けてくれる信頼と親愛と尊敬の眼差しは愛おしくて嬉しくて眩しくてくすぐったい。その眼差しに恥じないよういつでも“格好良いパパ”であるべく努力はしているけれども、あと少しばかり上乗せしてもいいかもしれない。
「鍛錬によって君が健やかであれるのならば止めないが、私たちに構う時間は確保しておいて欲しい」
「グッ……」
さらりと飛んできた追撃に逃がせなかったときめきが唸り声になって空気を揺らすのに、フリーナの笑顔が華を増す。
『パパたすけて!』
仲良きことは美しきかな、と女神様が謳うと同時に響いた息子の声にスクリーンへ目を向ければ、先と変わらぬ微笑ましい――レヴィはそれどころではないのだろうけれども――光景がまだそこにあった。右へうろうろ、左へうろうろしているレヴィは可愛らしいが、ご指名を受けた以上誠心誠意応えねばなるまい。
「フリーナさん、このアトラクション、親の途中参加はありかい?」
「避難用兼メンテナンス用通路があるから参加することは可能だよ」
「追跡者を掻い潜って我が仔を救出するのも心が躍るな。だがとりあえず声だけ送れればいいんだが」
声だけ。呟いたフリーナは首を傾げつつ拡声器を指さす。アトラクション内で流れるBGMや効果音のためのスピーカーに繋がっているらしい。緊急時は避難誘導用に使われるそうだ。
「レヴィ」
『パパ!』
架空の図書館に流れた声にレヴィの触角がぴょいと跳ね上がり、小さな頭がきょろきょろと自分を探すのに口角が上がってしまう。可愛い。が、笑み混じりの声で対しては真剣にアトラクションに挑んでいる息子に失礼だろう。心の中で咳払いをして口を開く。
「周りをよく観察するんだ。行きたいのはどっちだい?」
『あっち!』
その指が行き先を迷いなく示す。本当に妨害に困っていただけのようだ。であれば話は早い。
「よし。じゃあまずは反対方向に走って、魔法のボタンを押すんだ。ボタンを押すと何が起こるかは覚えてるかい?」
『えっと、ふうせん、ゆっくりになる!』
レヴィがはっとしたように首から下げたリモコンを握りしめる。持ち前の感知力と素早さでここまでそれを使わずに来た息子はその存在を忘れていたのだろう。アトラクション開始時に首にかけられた可愛らしい見た目のそれは、一時的にスライム風船の移動速度を下げるものだ。再使用には一定の時間を空けなければならないが、それほどシビアな時間設定でもない。
「そうだ。風船がゆっくりになっている間に思い切り行きたいところに向かって走れば風船は追いつけないさ。レヴィはかけっこが速いからな。できそうかい?」
『…できる! ぼく、パパととうさまのこだもん!』
ふすん、と鼻の鳴る音が聞こえてきそうだ。傍らのヌヴィレットが可愛らしい、と呟く声が、拡声器に拾われていないといいけれど。
「よし。…これは内緒の情報なんだが、もうすぐゴールだ。とうさまとおまえが来るのを待ってるよ」
『あい! パパ、ありがと!』
「どういたしまして」
恐らく笑顔で、レヴィがぶんぶんと手を振ってくれる。恐らく、なのはここから見えているのがその背中だからだ。レヴィは自分がこういう形で見守られていることを知らない。リオセスリの声がする方へ――スピーカーの方へ手を振っているのだろう。フリーナが「可愛い〜〜〜…!」と押し殺した呻きを上げながら顔を覆ってその場にしゃがみ込むのが見えた。
さて、天の声――と言うとヌヴィレットが機嫌を損ねそうだ。海の声、と言うことにしておこうか――はまだ必要だろうか。保護者席が見守る中レヴィがたどり着いた最終エリアは広間のような空間だった。二機のスライム風船が巡回する中に、真っ直ぐにコインが配置されている。
『…はやいー…』
むむむ、とレヴィが唸ったとおり、エリアを巡回するスライム風船の速度はこれまでより早かった。『魔法のボタン』は覚えているかな、と言わんばかりに。
「最適なタイミングで速度を下げ、走り抜けるのが解か」
ヌヴィレットが呟く。彼の言う通り、部屋の半分ずつを各々の哨戒範囲としているらしい二機のスライム風船はほとんど同じ速さで部屋中央から壁沿いをくるくると回っていた。二機が中央を通り過ぎた辺りでボタンを押せば間に合う設計になっているのだろう。
『魔法のボタン』の存在を、レヴィは思い出したばかりだ。それを使う発想も、息子なら勿論できるはずで。
「ヌヴィレットさん、ここに立って」
「うん?」
とある予想のもとホログラム製の鍵の向こう側にヌヴィレットを導く。
「視線は正面な。腕は広げて。――来るぞ!」
スクリーンの向こう側で、決意の表情を――ヌヴィレットさんそっくりだなぁと思った――浮かべたレヴィが地を蹴った。
コインの奏でる歌。扉の開く音。軽やかな足音。
ゴールへ思いきり突撃してきたレヴィのちいさな身体は、ヌヴィレットの腕の中に飛び込んで無事に止まった。
「……とうさま!」
「…うむ…お帰り、レヴィ」
よく似た二つの顔がお互いを見つめて首を傾げるその背後で、鍵の開く効果音と共にファンファーレが鳴り響く。
「よくやった、レヴィ。さすが俺たちの自慢の息子だ。偉いぞ」
「…ん! ぼくがんばった!」
「ああ、頑張ったな」
疑問符を浮かべる銀色の頭をくしゃくしゃと撫でてやると、やっと実感が湧いてきたらしい。手のひらにぐいぐいと頭を押しつけながら、レヴィは誇らしげに笑った。
「レヴィの動きを読んでいたのか?」
「読んでたというか…止まれないだろ、レヴィ」
「…確かに」
白い頬を撫でてやっているヌヴィレットが首を傾げるのに笑み混じりに答えると、ぱちりと胎海の瞳を瞬いた伴侶も思い当たる節があるように楽しげに笑う。元気を有り余らせている可愛い息子は、おいでと招こうものなら基本的に自分たちに体当たりしてからなあにと答えるのだ。床の柔らかさや周囲の壁の素材を見るに子ども達が思い切り飛び込んでも怪我をしないように配慮されているのだろうと察しはついたが、可愛い我が仔に絶対に怪我をさせまいとする存在が二人もいるのだ。床や壁に頼るより、自分たちを使う方が余程安心だろう。
「ああ、実にドラマティックな挑戦だったよ! 最高の演技を見せてくれてありがとう、小さなエトワール!」
フリーナがぱちぱちと拍手をくれて、これが約束の記念品だよと取り出したのは鎖のついた小さなメダルだった。本と鍵が型打ちされているそれは記念品と言うにはなかなかの仕上がりで、アトラクションに懸けるスタッフの熱意が伝わってくるようだ。
「きらきら! ありがとぉ、フリーナちゃん!」
「どういたしまして。本棚の迷路と鬼ごっこは楽しんで貰えたかな?」
「ん!」
受け取ったメダルを大切に両手で握りしめたレヴィがにこにことうなずくのによかったと微笑んだフリーナがウインクを一つ。
「それじゃ、“パパ”みたいになりにいこう!」
「あい!」
お待たせと飛ばされたそれに、レヴィは元気に手を挙げたのだった。
「えへへ、ごっつんしちゃった」
少しばかり恥ずかしげに笑う息子の額に、リオセスリは氷元素を纏わせた指先を当てる。
リオセスリが手ずから嵌めたボクシンググローブを煌めく眼差しで見つめ、ルール説明に真剣にうなずいてアトラクションに臨んだレヴィの成果はグローブが型打ちされたメダルと赤くなった額だった。
「勇敢だったな」
驚いたぞ、と微笑みながら、ヌヴィレットがその頭を撫でる。
二つのレーンを流れてくるパンチンググローブに素早く拳を当てるアトラクションにレヴィは大いに士気を上げ、「えい!」「やあ!」とそれはもう愛らしい掛け声を上げながら拳を振っていた。正直いつ「オラオラァ!」などと言い出すか不安で仕方がなかったのだが(いつの間にか覚えてしまっていたのだ。不覚だった)それを聞くことがなくて心底安心したのは秘密だ。
『これが最後のミッションだ!』のアナウンスのあと始まった最終ウェーブは今までよりも少しベルトコンベアの動きが早かった。レヴィは頑張って着いていっていたが、力及ばず打ち漏らしてしまった最後の一つになんと体当たりしていったのだ。「だめ、まって!」の言葉とレヴィの頭を受け止めたグローブは当たり判定を返し、めでたくパーフェクトの文字とゴングの音が挑戦の終了を飾った。駆け寄ったリオセスリとヌヴィレットの前でむく、と起き上がったレヴィは照れ照れと笑って――冒頭に戻る。
「パパみたいにかっこよくできなかったー…」
「充分かっこよかったさ。とうさまも言ってたが、最後の体当たりは物凄く勇敢だったぞ。あれはパパにもできないかもなぁ」
「うむ。私も同じ気持ちだ。パパのようにかっこよかったとも」
むうと唇を尖らせる息子に心からの賛辞を贈りその頭を撫でれば、レヴィはへにゃりと相好を崩した。
「ねえレヴィ、『かっこいいパパ』、見たくはないかい?」
レヴィに怪我がないことを確認した後は慈愛全振りの笑顔でこちらを見守っていたフリーナが立てた人差し指に、アイオライトが煌めき、フロスティブルーは警戒に細まる。もしかして何か無茶振りをされようとしているのでは、と。
「このアトラクションには秘密の特別コースがあってね。最高難易度のコースをクリアできた人が遊べるんだけど…君のパパはすごいもの。きっと前のコースで練習しなくたってクリアできてしまうよね?」
「…できるよ! ぼくのパパすごいもん!」
ね!…と輝く瞳を向けられて、無理だと言える父親はこの世に――一定数はいるかもしれないがリオセスリは一定数ではないので――いないだろう。ちなみにリオセスリはどちらかといえば家族の前では格好つけたいタイプの父親だ。尊敬されたいとかではなく、自分がただそうありたいので。
「勿論できるさ、と言いたいが、実際に見てみないことにはなんともだなぁ。もしかしたら腕が四本ないとクリアできないコースかもしれないだろ? …ということでフリーナさん、その特別コースとやら、推奨レベルは幾つだい?」
「僕らの友人が「いーやいやいや」って言ったくらい」
「うーん、歯応えがありそうだな…」
フリーナの答えに思わず唸る。かの旅人が突っ込むくらいだ。一般人にはとてもクリアできない、とんでもない難易度だったのだろう。
「作品を検証して、実際はこのくらいだろうって計算した結果を忠実にシミュレートしたらしいよ。この映影の主人公は何某のエージェントって設定なんだけど、特殊訓練を受けてるから」
けど流石にアトラクションとしてはダメだろうってことで、みんなで調整していったんだってさ――だけど血気盛んで意欲旺盛なゲストのために特別コースも残してるんだ、までを特別顧問の口から説明されて、深呼吸をひとつ。ベストは尽くすつもりだが正直荷が重い。
「可愛い息子と大切な伴侶に幻滅されたら傷心の男との茶会に付き合ってくれ」
同じ説明を隣で聞いていて俄然輝き始めたヌヴィレットの期待に満ちたオーラに極力気づかないふりをしながら浮かべた笑顔に、フリーナは任せてよと親指を立ててくれた。公爵なら大丈夫だよという激励と一緒に。
――結果としてクリアはできた。なんとかギリギリ綱渡りで、という前置詞はつくけれども。いやまあ、胸の内でしっかり存在を主張してきた『かっこいいパパでありたい気持ち』に勝てずに用意されていたリモコン(ベルトコンベアの動きを一定時間下げる事ができるそうだ)を使わなかった自分も悪いのだ。それは十二分に理解している。フリーナは「敢えて難易度を上げていくスタイルかぁ…」なんてころころと笑っていた。
それはそれとして正しく『歴戦の旅人が「いーやいやいや」と言うほどの難易度』だったとは思う。特巡隊や看守の一部ならリモコンを使ってワンチャン、くらいだろうか。少なくとも一般のゲストでクリアできるレベルではなかった。これをブラッシュアップしたスタッフの苦労が偲ばれる。けれども確かに楽しくはあった。これをこのまま残したのは正解だろう。話題性もあることだし。
すごいすごいと自分のことのように喜ぶ水龍ふたりに懐かれつつ安堵のため息をついたリオセスリの耳がぱちぱちぱち、と軽やかな拍手を拾う。
「最高の演目を堪能したよ! ありがとう公爵! …さっきの挑戦、宣材PVに使っていいかな?」
「……俺とわからないように編集してくれるなら」
ああしてこうしてと既に編集方法を考えているらしいフリーナの弾んだ声には肩をすくめてそう答えておいた。
◇
「あどべんちゃー、キラキラですごかったねぇ!」
椅子に腰掛け、興奮に足を揺らしながらレヴィがにこにこと笑う。二つ目のアトラクションを堪能して、休憩ついでのランチのためにパーク内のレストランにやってきたところだった。
引き続き楽しんでいってくれたまえ!…と笑顔で手を振るフリーナと別れ、水と船に惹かれるまま向かった先にあったのは『カラフルアドベンチャー』なるアトラクションだった。名の如く元ネタの多くをアドベンチャー映影から得ているらしいそのアトラクションは二つのコースに分かれているようだ。
「こっちのコースは大人の人でもしょんぼりヨロヨロになる人もいるから、もしかしたら坊っちゃまもそうなっちゃうかも…」
受付スタッフのメリュジーヌ、マインからありがたい助言をもらい、動いてるところが見られるよ、と案内された仮ごしらえの桟橋の端から“こっちのコース”――アクション映影コースの様子を偵察する。見慣れたフォンテーヌ船が、見たことのない速さで水路を動いていた。時折上がっているのは歓声だが、レヴィはぴんと張らせた触覚を縮めてリオセスリに張り付いている。レヴィの向こう側のヌヴィレットも、興味より戸惑いの色の濃い表情で高速移動する船を見つめていた。
「マインさんに感謝だな」
「うむ…私も、可能ならばアクション映影コースは辞退したいところだ」
「…あれ、のる?」
不安そうに見上げられて小さく笑う。可愛い我が仔を徒に怖がらせる趣味はリオセスリにもヌヴィレットにもない。
「いいや。マインさんに怖いコースだって教えてもらったから偵察に来ただけだよ。怖くないコースがあるそうだから、俺たちが乗るのはそっちだ」
「……うん……」
未だ不安そうなレヴィの頭を、ヌヴィレットがそっと撫でる。
「マインが言うのだから大丈夫だ、レヴィ。それに私もパパも一緒だ。だが…ふむ、もし怖くないコースでも怖くなってしまったら、私が一緒に船を降りよう」
「あー、ヌヴィレットさん? 参考までに聞くんだが、それは海の上で途中下船するってことか?」
「無論」
そうしながらとんでもないことを言い出した伴侶に小首を傾げると、秒で首肯を返された。相変わらず龍の親心は深くて規模が大きい。
「映影ばりのダイナミック下船になりそうだ」
思いきりの良さに笑ってしまった。これから乗るのが家族連れに人気の『アドベンチャー映影コース』だという事前情報を得ていなければ、このアトラクションそのものを諦めていたかもしれない。
そんなこんなで乗り込んだ『アドベンチャー映影コース』の船の上で、レヴィは大興奮だった。海の上に造られた水路に張り巡らされたスクリーンに、フォンテーヌの各所の風景が映し出される。花火や光が名シーン(だそうだ)の演出を再現し、船に搭載されたスピーカーからの音楽と添乗スタッフのアナウンスが花を添える中を航行する船の動きはゆったりとしたそれだ。ホログラムで編まれた幻の魚が船の中を横切っていった時が、レヴィのテンションの最高潮だった。息子の隣で同じ演出に花を飛ばすご機嫌麗しい伴侶の様子も見られてリオセスリとしても大満足の船旅を終え、テーブルに落ち着いた三人の前にはプレートが三つ。ランドの目玉、スペシャルセットである。こちらにも最近キッズメニューが追加されたらしく、そこここでその評判を耳にしていた。婦人のシンボルである頭のリボンの形のオムライスは、左側と右側で包まれているライスの味が違うらしい。魔法だとはしゃいでいたレヴィが一番喜んだのが可愛らしいカップで添えられていたスープだったのはやはりというかなんというかである。
「とうめいなのにおやさいのあじするの」
食べて、と差し出された子どもサイズの小さなスプーンの中で危なっかしく揺れるスープを、ヌヴィレットと一口ずつ分けてもらう。ぱちりと合わせた瞳を瞬いて。
「本当だ。見た目コンソメスープなのに野菜の味がする。セロリかな」
「うむ。不思議な感覚だ。美味だな」
「ね!」
美味しいが伝わったのが嬉しかったのだろう、終始にこにことキッズスペシャルを完食したレヴィは、カップに少しだけ残ったスープを前にむむむと唸る。
「たべたらなくなっちゃう…」
「…本当に気に入ったんだなぁ」
「そうだな。…少々妬ける」
息子の表情を映したかに小さく眉を寄せる伴侶につい笑ってしまった。スープには一家言あるヌヴィレットだ。息子に惜しまれるスープを目の前に、悋気とはいかないまでも面白くなさは拭えなかったのだろう。
「シェフにレシピを教えてもらえないか掛け合ってくるか。ついでに単品売りをしてるかどうかも聞いてこよう」
「パパ、どこいくの?」
リオセスリが椅子を引く音に、カップを睨んでいたレヴィが顔を上げる。
「今からそのスープのおかわりがもらえないかどうか聞きにいくんだ」
「ぼくもいく!」
「着いていくなら食事を終えてからにしなさい」
「あい!」
椅子から降りようとするのをヌヴィレットに穏やかに制されて、レヴィははっとしたように座り直し、最後の一口をこくんと飲み込んだ。おかわりがあるかもしれない事実が背中を押したようだ。
「ごちそー、さまでした!」
綺麗になったプレートを前に元気にご挨拶も終えたレヴィに、ヌヴィレットは良くできましたと微笑む。
「行っておいで」
「あい!」
“とうさま”の腕で床に下ろしてもらったレヴィがにこにこと伸ばしてくる手を握って、ついでに食器も返してしまおうと三人分のトレーを片手に――スープカップだけはレヴィが大切に持っていた――リオセスリはカウンターへ向かった。
「…あら。ナヴィアから聞いてはいたけど、本当にお子様がいらしたのね、公爵様。まあ…思った以上にヌヴィレット様にそっくりな、利発そうな御令息ね」
こんにちは、と手を振られたレヴィは、ぴゃっと背後に隠れてそろりとカウンター内のシェフ――エスコフィエを見上げる。
「ありがとう。自慢の息子なんだ」
半分だけ出ている頭を撫でて微笑むと、噂通りの溺愛ぶりみたいね、とエスコフィエも笑う。
「…だあれ?」
「エスコフィエさんだ。ナヴィアお姉さんの友達で、そのスープを作ったお姉さんだよ」
流れる空気に警戒を解いたらしいレヴィにひそりと問われて答えると、レヴィは青い二筋を跳ね上げた。大切に持ってきたカップを背伸びをしてカウンターに置くのを見て、リオセスリはその身体を抱き上げてやる。
「おいしいスープのおねえちゃん! あのね、スープとってもおいしかったの。ありがとぉ!」
エスコフィエにカップを差し出すレヴィの満面の笑みと純粋な賛辞を真正面から受けた彼女は猫の鳴き声のような呻きを上げた。どうだ可愛いだろううちの仔だぞとひっそり胸を張りつつ、差し出されたカップを受け取る彼女の様子を見守る。
「こちらこそ。残さず食べてくれて嬉しいわ」
「あのね、スープおいしかったから、もっとのみたいの。おかわり、くだしゃい」
「単品販売とかしてないかい? 難しければプレートをもう一つ貰おうかと思うんだが」
半分とろけた笑顔の向こうでマシナリー仕掛けの尾をふりふりと揺らし答えるエスコフィエにレヴィと二人首を傾げると、「おかわりくだしゃい」に会心ダメージを食らったらしい彼女は二度目の鳴き声の後やや形を取り戻した笑顔でうなずく。
「残念だけど、このスープはキッズスペシャル専用よ。単品販売はしてないの。でも今日は特別。素敵なお客様に褒めてもらえて気分がいいから、おかわりをあげちゃうわ」
どうぞ召し上がれ、と新しいカップを差し出されたレヴィが、ふよふよと触角を揺らす。
「よかったな、レヴィ」
「ん! …ありがとぉ、おいしいスープのおねえちゃん!」
「…っ、どういたしまして」
キュ、と今度はラッコのような鳴き声を漏らしたエスコフィエが、それでも完璧な笑顔を浮かべられるのは流石だなぁなんて思いつつ、『特別なおかわり』を手に取る。レヴィのために丁重にテーブルまで持って帰らなければ。
「ありがとう、エスコフィエさん」
「ばいばい、おねえちゃん!」
「待って!!」
それじゃあと返した背をどこか鬼気迫った声に止められて思わず立ち止まる。揃って振り返ると、エスコフィエがカウンターに小さな瓶を一つ乗せたところだった。
「よかったらこれも召し上がって。来期のスペシャルデザートなの。ナタのショコアトゥルの種を使ったチョコレートプリンよ」
上のクリームはフォンテーヌの高原で育った牛のミルクを使っているの、なる説明を聞いて、美味そうだ、が出る前に高待遇すぎないかが口から出てしまった。
「だって…だって、可愛いんだもの…あんまりにも……」
それに私はシェフよ。作ったものをこんなに喜んでもらえたら誇らしくなってしまうじゃない不覚だったわ――エスコフィエが呻く。レヴィの愛らしい所作と素直な賛辞は、彼女の料理人のプライドを健全に刺激したらしい。
「ぷりん…!」
突然出てきたデザートに瞳を輝かせたレヴィの、カップを返して自由になった両手が大切に瓶を抱きしめて。
「ありがとぉ、おねえちゃん! パパととうさまとたべるね!」
向けられた笑顔にどういたしましてと笑った彼女が「その歳でシェアの発想があるのね」と感心したように呟くのに、リオセスリは優しい仔でねと小さな頭を撫でたのだった。
◇
『特別なおかわり』と『内緒のデザート』を美味しく完食して、最後に残ったアトラクションに向かう。これから向かう場所には動物がたくさんいて、シグウィン看護師長がお手伝いをしていることを知っているレヴィは見てわかるほどにそわそわとしていた。
「しぐいんちゃん!」
「あっ! こんにちは、レヴィ君! ヌヴィレットさんと公爵も! 『のんびりガーデン』にようこそなのよ!」
受付のそばに立っていたシグウィンが、レヴィが元気に振った手に同じものを返してくれながら迎えてくれる。お散歩楽しんでいるかしら、の問いにうなずいたレヴィにポンと手を合わせ、よかったわと笑った彼女は、大人しい動物ばかりだから怖がらなくて良いことと、ナタから来たカピバラとモコモコ駄獣には触ることができるが動物たちの気持ちを尊重してあげてほしいとガーデンの楽しみ方をレクチャーしてくれる。
「注意事項は他にもいくつかあるんだけど、レヴィ君は優しい仔だもの。きっとウチが言わなくても、自然とわかってるのよね?」
「うむ。この仔は動物の前で大声は出さぬし、彼らを徒に追い立てたりする仔ではない。安心してほしい」
穏やかに応じるヌヴィレットに流石ヌヴィレットさんと公爵の御仔様ね、とにっこりうなずいたシグウィンの「行ってらっしゃい!」に送られて、揃って柵の内側へ足を進める。入り口と逆側に設置された柵の外側は大自然だ。動物たちがストレスを感じにくいよう、ガーデンそのものの配置が配慮されているのがわかる。海岸線を活かして造られた水場では、プクプク獣や水キノコンが寛いでいた。
「とりさん、おっきいね…?!」
餌を啄むヤマガラを見たレヴィがぱちくりとアイオライトを瞬く。そして「おそとのとりさん、これくらいだよね」と両手を受け皿のように合わせるのに、ヌヴィレットと二人うなずく。そう、自分たちの見知ったヤマガラは手のひらサイズだ。目の前にいるような一抱えサイズではない。そういうぬいぐるみみたいだな、と近くで林檎を齧るこちらも通常の三倍ほどの体長のリスたちも視界に入れつつマイペースに過ごす彼らの横を通り過ぎ、水辺で遊ぶ風スライムとぷかぷか水キノコン(特殊な訓練を受けているらしい)のそばで足を止めた時だった。
一匹のキノコンがこちらを見てくるりと回転し、ちゃぷんと浮き上がる。ふよふよと杭の上に降り立ったキノコンは、リオセスリやヌヴィレットが(主に秘境で)相手取るそれよりひと回りほど小さい。キノコン族に対する正しい表現が不明だが、まだ子どもに見えた。
「えっと、こんにちは…?」
「〜♪ 〜〜♪♪」
こてりと首を傾げて挨拶するレヴィにほよんと体を揺らしながら答えるキノコンの鳴き声(?)は、言葉にするならぷわーだとかぽわーだとか、そんな表現になるだろうか。声というよりは音に近い。フルートに似ていた。
「〜〜♪」
フルートを響かせたキノコンはふわりと浮き上がり、今度はレヴィの頭の上に着地した。ゆらゆらと体を揺らし、収まりのいいところを見つけたのか満足げにぽわーと鳴くのにレヴィの戸惑いの声が重なる。
「ヌヴィレットさん」
「問題ない。どうやらこの小さなキノコンは、レヴィに親和性を感じているようだ。キノコンも元素生物。龍たるこの仔に惹かれるものがあるのだろう」
「そうかい」
警戒はするべきか、シグウィンを呼ぶべきかの問いに否を返されて、それじゃあ遠慮なくと指を振る。姿を現した凛流の監視者に、今度はヌヴィレットが首を傾げた。
「リオセスリ殿?」
「うん。…イファ先生みたいで微笑ましいなと思ってさ」
撮影の指示を出しつつ揺らした肩に、ああ、と呟いたヌヴィレットも確かにと同意を示してくれる。テーマパークの敷地内で行われた大捕物と直接ではないものの浅からぬ関係のある小さなハプニングによって知遇を得た、遠く炎の国の竜医殿とその助手は、よくこうしてタワーになっていた。ちょうどキノコンに頭の上で落ち着かれているレヴィのように。
「とうさま、たすけて!」
ぼく動けない、と眉を下げる息子に蕩けるように笑って、ヌヴィレットは少しだけ身を屈めキノコンの顔をまっすぐ見つめる。
「ごきげんよう。君の歓迎に感謝する。しかしながら、君を乗せたまま歩いては君を振り落としてしまうのではないかと、この仔が心配している。君さえよければ頭の上ではなく、腕の中ではどうだろうか」
居心地は保証しよう。ナタからのお客竜にも満足してもらえたものだから。
大真面目に語りかけられたキノコンは、ぷわーと鳴いて小さな頭の上を退去した。ふわふわと降下し、自身に向かって伸ばされたレヴィの腕の中に収まると、ゆらゆら揺れて動きを止める。ぽわー、と満悦の鳴き声が響くのに、ヌヴィレットと二人顔を見合わせて笑った。
「ありがとう。君の配慮に感謝する」
「パパ、とうさま、このこ、ぷにぷに!」
「確かに弾力のありそうな見た目はしてるよな。タイダルガとかに近いのかね」
「体組成はクラゲに近いものを感じるな」
腕の中のキノコンをそろりそろりと撫でたレヴィがそのラベンダーを輝かせる。そのまま音だけで会話を始めた――概ね意思の疎通ができているとヌヴィレットが感心していた。リオセスリとしてはぷわーぽわーるーで成立しているらしい会話に驚くことしきりだしその意味を解せるヌヴィレットにも驚きなのだが――ひとりと一匹の様子を微笑ましく見守りながら、秘境で出遭うキノコンにも話が通じたらいいのにな、なんて会話をした。勿論世界一可愛らしいおしゃべりを録画することも忘れずに。
たくさんおしゃべりして満足したらしいキノコンと別れ、木の板で作られた階段とまではいかない段差を上ると、本格的にナタを感じる風景に迎えられた。足元に敷かれた藁と簡易的な庇。小さな水場とカラフルな餌箱。近くの芝生や木の下でのんびりと草を食む、白や茶色の毛皮の生き物たち。
「もこもこ…!」
「ネーミングどうなんだと思ったが、確かにこれは『モコモコ駄獣』としか表現しようがないな」
「うむ。彼らの特徴を捉えた、的確な表現であると言えるだろう」
三様の感嘆を漏らして周囲を見回す。食事中や睡眠中の駄獣にちょっかいを出すのは「動物たちの尊重」に反する。のんびりと日光浴をしているあの一頭ならば、触ってもストレスにならないだろうか。
脅かさない程度に足音を立てながら近づいた駄獣は、手を伸ばせば触れられる距離に三人が立ってもゆったりと瞬いている。こんにちは、と挨拶をして、触れてもいいかな、と聞いてみた言葉を理解しているのかいないのか、もふんと寄せられた頭のふわふわモコモコとした感触に思わずため息が口をついた。
「ふかふか…!」
ちいさな手を毛皮に沈ませたレヴィの触角はふわふわと遊んでいる。興奮と感動がこれでもかと滲み出ていた。
「なるほど、これは…うむ。心地良い手触りだ」
隣で息子に倣いそっと毛並みを撫でたヌヴィレットがしみじみと呟く。どうやら愛する水龍達のお気に召したらしい駄獣を、リオセスリも撫でさせてもらうことにする。
「おお…見た目通りのふかふか加減だな。へえ、毛は柔らかいのか。刈った毛で織物を作ると聞いてるが、このまま布団とかクッションにするのもよさそうだな」
極上の手触りだ。野生動物は風雨から身を守るために強く硬い毛を持つ種が多いが、このモコモコ駄獣の毛は柔らかく滑らかで、手のひらがどこまでも滑っていってしまう。触れた手を半ば包み込む程の豊かな毛の内側で、温もりがとくとくと脈打っていた。
もふん。
思わず埋めた顔が柔らかく受け止められるのに最高の心地になってすうと息を吸い込めば、土と緑と太陽の香りがした。
「あーー…干したての布団……」
既視感の正体になるほどと一人納得して肩を揺らす。これはまずい。モコモコ駄獣、飼いたい。
…あとで聞いた話によると、その時のモコモコ駄獣はそれはもう得意げに見えたのだそうだ。まるで「アナタ達にはこの素晴らしい毛皮はないでしょう」とでも言わんばかりに。『素晴らしい毛皮』に埋まっていたリオセスリには知りようもなかったことだけれども。
ぐいと常にない力で手を引かれ、毛皮から顔を上げる。眉を寄せ、ぷくりと頬を膨らませたレヴィがこちらを見ていた。
「ぼく、ぼくもとうさまも、もこもこはしてないけど、ふわふわでさらさらだもん! ね、とうさま!」
「そうだな。ふわふわでさらさらでつやつやだと自負している。パパが手ずから整えてくれるからな」
「ずっとおそとにいたから、おひさまのにおいするもん!」
「その通りだ」
「だからぼくたちにして!」
――ああ、なんてこった。全部可愛い。
まるでパレ・メルモニアを臨む海岸で爽やかな風を受けたような心持ちだった。ちなみにそんな風に吹かれつつ心臓はものすごい勢いで脈打っている、と言うか縮こまっている。感覚的には。
必死に己の手を掴むちいさな両手も。
ご機嫌斜めが思いきり出た顔も。
懸命に自分の『ふわふわ』について語る声も。
当然のようにぼく“たち”なのも。
ついでに息子のプレゼンに戸惑うでもなくしれっと補足まで入れて深くうなずく伴侶も。
「……………あ〜〜〜〜〜〜…………」
全部可愛い。ずるずるとしゃがみ込んでしまった。天を仰ぐだけでは足りなかったので。
「レヴィ」
「あい!」
「おわ…!」
リオセスリの様に息子の名を呼んだ伴侶の声の響きは、親愛なる看護師長が「イケるわ!」とそれはそれは楽しそうに口にする時のそれにどこか似ていて。
“とうさま”の意図するところを正確に感じ取ったのだろう息子の元気な応えのあと、小さな身体が思いきり体当たりしてきた。当然ついた尻もちに、思ったほど衝撃は感じない。動物たちが足を痛めないよう芝生の質にも配慮されているのかもしれないな、なんて、この場では全く関係のないことをつい考えてしまった。
「ん!」
掴まれていた手が、のそのそと膝に乗り上げてきたレヴィの頭の上にぱふりと乗せられる。どうですかとでも言わんばかりの誇らしげな表情にまた心臓を鷲掴まれて、手ずから整えさせていただいている銀髪を撫でた。相変わらず天鵞絨のようになめらかで絹のように艶やか。世界一の手触りだ。
「君には特別にもちもちですべすべもつけよう」
息子の頭を撫でているのとは別の手が不意にさらわれたかと思うと、言葉通りの感触が指先に触れる。傍らに膝をついた伴侶の頬が、ぴとりと己の手に懐いていた。これはモコモコ駄獣にはあるまいと、息子に劣らず――そもそも息子のそれが伴侶譲りだ――得意げに瞳を細める伴侶に綺麗な追撃をくらって、それぞれの腕であまりにも可愛いことをしてくれる家族を抱き寄せる。
「うん、太陽と水のにおいだ。俺の大好きなにおいだな」
銀髪に半分ずつ埋まりながら呟くと、腕の中の家族の、くふくふと笑う声が耳のそばで聞こえる。パパの一番ぼくたちだもんね、当然だとも、なる会話も聞こえてきて、設置型の水元素スキルは考慮してないんだよな、と腕に力を込めてから、ふと気づく。さすがに警戒を怠りすぎたか、と。
幸い自分たちへの周囲の受け入れは好意的で、三流新聞社に写真を撮られたところで痛む腹はない。伴侶と秘密裏に交際していた時ほど周囲の目を気にしてはいないしその必要もないとは思っているが、それにしてもはしゃぎすぎてしまっただろうか。
顔を上げると、目の前に白い毛皮があった。ぴるぴると耳を動かしながら、さも日光浴中ですと言うように、大きな体が腰を据えている。それはちょうど、ゲストたちの視線を概ね遮れるような位置だった。
「…賢いなぁ、あんた」
思わず呟くと、モコモコ駄獣はふっすんと鼻を鳴らした。「デキる駄獣なので」なんて声が聞こえてきそうだ。
「…このアトラクションで水龍サマと触れ合う予定はなかったんだが」
「何か問題が? 我々も広義では動物だが」
「判定でっかいなぁ」
ともかく改めて警戒レベルを引き上げる必要はなさそうだ。ふわふわとさらさらともちもちとすべすべを堪能しつつ(自宅での過ごし方と変わらない、はこの際言いっこなしだ)苦笑したのにぱちりと瞬いて首を傾げる伴侶に、リオセスリは耐えきれず肩を揺らしたのだった。
◇
澄んだ青空は色づき始めたバブルオレンジの色に染まっていた。パーク内には灯りが点り始めている。日が落ちれば昼間とは違った顔を見せてくれるのだろう。
恋人たちにはこれからが本番なのかもしれないが、朝から一日ここで過ごしたリオセスリたちはそろそろ帰路に着く時間だった。
「たのしかったねぇ…」
ヌヴィレットの腕の中、空気を揺らしたレヴィの口調はいつにも増して辿々しい。小さな身体がくてりととろけて、輝いていたアイオライトは目蓋に隠れては覗いていた。
「そうだな、楽しかったな」
「たくさん遊んだなぁ」
今にも夢の世界に旅立ちそうな息子に、伴侶と共にうなずく。『のんびりガーデン』を(色々な意味で)堪能してシグウィンに別れを告げ、ナタで評判の果樹園の出張販売ブースで搾りたてのフルーツジュースを楽しんだ直後くらいから、レヴィの足取りは目に見えて覚束なくなった。よたよた、とたとたと一生懸命歩いている息子の限界を繋いだ手から感じ取り、おいでと囁いたヌヴィレットに半分唸り声の「ん」を返したレヴィは吸い込まれるように伴侶の腕に収まって、現在に至る。
「パパと、とうさまと、またいっしょに、こようね」
眠気と戦っているのだろうレヴィの言葉は降り始めの雨のようにぽつぽつと空気を震わせる。
「ああ、絶対また来ような。三人で」
「次はどんなアトラクションがあるのか楽しみだな」
ちいさな手が目を擦るのをそっと制したヌヴィレットと微笑むと、息子は満足げに笑って吐息を寝息に変えた。
「…来年もあるかな」
「『シュヴァルマラン映影ランド』はかなりの反響を得ていると聞いている。評判も良いようだし、少なくとも来年はまた開催されるのではと予想しているが」
「だったらいいが。旅人が総責任者って話だし、旅人とナヴィアさんに次回開催よろしくって感想を伝えておくか」
「良い考えだ。この類の娯楽施設の継続営業に、ゲストからの反響は大きな影響力を持つからな」
水の上と下のトップが連名で継続開催の要望書など出そうものなら運営責任者はひっくり返るだろう。ただし一般市民であれば、の注釈はつくが。一般市民ではない彼と彼女は二人のことをよくよく知っているので、ああ御仔さんがめちゃくちゃ楽しんだんだろうな、と生温く笑、いや、微笑ましく思うだけに違いないし、大正解なので特に訂正するつもりもない。
「ヌヴィレットさん、帰る前に一枚撮らないか?」
レヴィの背を撫でながらゆったりと歩いていた伴侶に提案すると、彼は首を傾げる。
「レヴィは眠ってしまったが…」
予想通りの答えに小さく笑って。
「目一杯楽しんでくれた最高の証になるだろ?」
元気一杯の息子が、見事にそれを使い切るほど全力で今日という日を楽しんでくれた、という事実を是非残しておきたいのだと理由を告げると、伴侶はなるほどと微笑みうなずく。
「君の言う通りだ。この仔に退屈を感じさせることなく、慣れぬテーマパークという環境下での一日を過ごせたことは、私たちにとってとても喜ばしいことだな」
揃って首を巡らせれば、ライトアップが始まったばかりのシュヴァルマラン婦人の立て看板の前が、おあつらえ向きに空いていた。
「ここでいいかな」
「うむ。これ以上なく良い場所だろう」
くすくすと笑みを交わして、互いに寄り添って。
「…楽しかったな」
「ああ。とても楽しかった」
滲むような二つの笑顔と安心しきった一つの寝顔を記録に収めるべく、監視者がふわりと位置につく。
ランプが白く光っても、今度は青い影は飛び込んでこなかった。
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