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tonami
2025-07-05 00:11:09
3575文字
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ホラー
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おとなしさん 後日談
ぴくしぶ加筆部分
しんしんと雪が降り積もる。雨戸の向こうで雪が落ちた音がして、重さにずいぶん積もっていることを知った。冷えるので閉め切っているが、雨戸を開ければ雪明りが障子を透くだろう。
囲炉裏で温めた燗をちびりと舐める。すっと馥郁とした香りが鼻腔を抜けた。良い酒だ。近所の呑兵衛が珍しく絶賛するだけある。つまみに近所のばあさんから貰ったおでんに箸を伸ばす。魚を捌いた礼だと土鍋いっぱいに押しつけられたが、あいにく食べるのはゾロ一人しかいない。そんなにいらねェ、と言ってもまだ若いのだからたくさん食べろと爺婆連中は人の話も聞かずに食べ物を寄越してくる。おかげで食事に困ったことがないのはありがたいことではあるが。
昔から村の人間はゾロのことを何かと気にかけてくれていたが、祖母が他界してからはより顕著になった。生まれてすぐの頃に亡くなったため父の顔は知らず、母は五つの時に流行り病で亡くし、以来ゾロを育ててくれていたのは祖母だ。けれどその人も、十三の時に儚くなった。
あっという間に独りになったゾロの面倒を見てくれたのは道場の先生だ。村の人々もなにかと良くしてくれた。あの村はほぼ自給自足で成り立っている。困っていれば互いに助け合い、手を差し伸べる。なにくれとゾロのことを構う大人が多く、特に爺婆は自分の孫のように可愛がってくれた。だから独りになったからといって、寂しいとは思わなかった。人はいつか死ぬ。ゾロの家族は、それが周囲より少し早かっただけだ。父を知らないぶん、自分が母も祖母も看取れることができたのはよかった。
最後の一杯を猪口に注いで煽る。鍋にはまだおでんが残っていたが、朝に回そうと囲炉裏の火を消した。そろそろ時間だ。
帯に一振り差し、行燈を片手に廊下に出ると、ひやりとした空気が身を包んだ。足裏から伝わる床は凍えるようだ。襦袢の上に着物を羽織っていはいるが、今夜は特に冷える。雪も積もるはずだ。もう雪ではしゃぐ歳ではないので感慨も何も湧かないのだけれど。
──コンコン。
格子戸を叩く音がする。足音を当てないように玄関までやってくると、戸の前に影が見えた。
──コンコン。
影が器用に木枠を打ち付ける。今年も来たんだな、と内心息を吐く。行燈を床に置いて、自身もその場に胡坐をかいて座り込んだ。座布団か何かを持って来ればよかった。尻が冷たい。
──コンコン。
三度みたび、影は戸を叩いた。玄関にゾロがいることに気づいたのだろう。影は伸び縮みすると、やがて背の低い姿を象った。ひゅ、と息を呑む。その背の高さ。すとんと下りた髪の短さ。両手に抱える刀がアンバランスな成長途中の細い手足。なにより、常に伸ばされた背筋のまっすぐさ。そうか、と目を閉じる。今年は、お前なのか。
「ゾロ」
少女の声が名前を呼ぶ。あの頃、ゾロと親友の声の高さはたいして変わらなかった。いまのゾロは声変わりを経て、彼女よりも低い。親友が亡くなってから、それだけの時間が経っていた。
「ゾロ」
帯に差したままの愛刀を撫でる。念のため和道一文字を持ってきていてよかった。もし、親友の姿で害を為そうとするのならば、ゾロは見逃すことができない。親友本人でなくても、否、そうでないからこそ彼女の高潔さを穢されることが我慢ならない。ゾロの元に来ているのだ。ならば斬るのは、ゾロの役目だろう。
「ゾロ」
一度目にやってきた時は、父の姿だった。顔も声も知らない父親。ゾロにとっては知らない人間に等しかった。祖母曰く、気性はゾロによく似ていたらしい。顔立ちが父に似ているのは母を見て知っていた。緑の髪は母からだ。父の髪は、祖母譲りの群青色だった。
「ねえ、ゾロ」
二度目は母の姿を取った。病で苦しかったろうに、ゾロにはいっさいその姿を見せない人だった。可愛らしい容姿に反してとんでもなく気の強い人で、反抗して一を言えば十が弾丸のように返ってくる。気風はさばさばしていて、そのくせ負けん気の強さが邪魔して素直に人を頼ることができない。嵐みたいな子だったとは祖母の言だ。祖母も祖母でまた気が強いから、たびたび喧嘩になったらしい。それでも少し経てばころりと二人とも忘れて仲良く話す姿は嫁姑というより姉妹のようだったと、コウシロウが語っていた。
「ここを開けて、ゾロ」
三度目は祖母だった。ゾロの実質的な育ての親。最期まで孫のことを案じる、厳しくて優しい人だった。祖母はいろいろなことを教えてくれた。いま思えば、自分が長くないことを察していたのだろう。ゾロを早々に一人にしてしまうことをわかっていたから、できうる限りのことを唯一の孫に叩き込んだ。なるべく孫が苦労しないように。
「ゾロ、おねがい」
お前は好かれやすいから、気をつけるんだよ。一度目の翌朝に、祖母はゾロの両手を握ってそう言った。私がいる間は守ってやれるけれど自分の身は自分で守れるようになりなさい、と。和道一文字は常に傍に置いておくことも、その時に言い聞かされた。親友の形見であるこの刀は、ゾロのことを守るだろうと。
「ゾロ、中に入れてよ」
涙混じりの声に目を開く。親友が泣いたところを見たことはそう多くない。ゾロが覚えている限りで三度だけだ。ゾロの母が亡くなった時と、村のジジーことくいなの祖父の葬儀。それから、約束を誓ったあの日。結局、くいなには一度も勝てなかった。
「ゾロ、ねえ、ゾロ」
小さな子供が縋りつくような弱々しさで、影ががしゃんと格子戸に触れる。三度繰り返して、ゾロは確信していた。以前コウシロウが言っていた通り、これは寂しいのだ。家の中に入りたくて、誰かの家族になりたくて堪らない。村にはもっと暖かな家庭があるのにゾロのところに来るのは、ゾロが独りだから。祖母が言っていた好かれやすいというのも、少なからずあるのだろうけれど。
「おねがい、ここをあけて。いえのなかにいれて」
声が二重三重にぶれた。くいなの声以外に聞き覚えのないものが混ざる。舌足らずの幼い子供、ゾロと同世代ほどの声変わりをすませた少年、年老いた女性。雪明りが差し込む三和土に落ちた影が歪に崩れる。──そろそろか。
「あけて」
声が不協和音に歪んで、影が崩壊していく。格子戸に映っていた少女の姿が頭から溶けていく。それを、ゾロは見ていた。影はそれほど長い間、形を保っていられないらしかった。そのことに気づいたのは三度目だ。二度目は祖母が心配するから早めに戻ったが、唯一の肉親が亡くなってすぐにやってきた三度目はなんとなく最後までいたらどうなるのか気になって、今回のようにただ見ていた。
「おねがい」
上半身まで溶けると、もはや人間の姿ではなくなった。小さな山になったそれが、どこからか伸ばした手でがしゃがしゃと格子戸を揺らす。
「かえりたい」
風が吹き込んでもいないのに、行燈の火が揺れた。格子戸の前には何もなく、三和土には雪明りだけが落ちている。行燈を下げて裸足のまま三和土に下り、年季が入って軋む戸を開ける。外は一面、白く染まっていた。村の子供らがさぞ喜ぶだろう。これだけ積もっていれば雪かきがいい鍛錬になりそうだ。
からからと戸を閉め、適当に足の裏を汚れを落としてから部屋に戻る。すっかり体が冷えてしまった。もう少し呑んで寝るか、と残っている酒を思い浮かべた。近所から貰った酒がまだ残っていたはずだ。村の連中はここ数年、ずっとゾロの元へあれが来ていることを知っている。良い酒を寄越してくるのは詫びの代わりだ。コウシロウでさえ今夜あれが来ることを伝えてきた時に申し訳なさそうな顔をしていた。けれど、──たぶん、今夜が最後だ。最後なら、手を合わせるくらいはしてやってもいい。
還ることすらできない存在を憐れんでいるわけではない。むしろ、すでに亡い人間を模すことに腹立たしさすら感じている。それでもゾロ自身に斬ってやれるほどの力はなく、和道一文字もまた同様だ。確かに和道は良い刀だが、妖刀とは違う。たとえどれだけ清らかな気配があっても、あの手の存在を斬る刀ではない。どうしようもなくなった時以外に斬らせて、無理をさせたくなかった。くいなの姿を取った時点で、いざとなれば斬る心算ではあったが。和道一文字もそれを望むだろう。多少無理を押してでも、元の持ち主を貶められたくはない。
とさりと雪が落ちていく音を聞きながら行燈の火を囲炉裏へ。冷えきった体に暖かな温度が心地好い。瓶から直接酒を流し込めば高い酒精が臓器を焼いて、かっと内側から熱くなる。無意識に指が傍に置いた和道一文字の鞘をなぞった。返すようにかたりと愛刀が揺れる。
”おとなしさん”がゾロの元へ来たのは、この年が最後になった。
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