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もち粉
2025-07-04 23:27:45
2738文字
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手を伸ばすにはやや遠い
カブ→ミス
自覚の寸前くらい
カブルーが、ミスルンを訪ねるのは夜が多かった。夏の低い月が昇り、酒場では酔客が一番盛り上がる頃、扉を叩く。
悪魔の滅亡に立ち合って以来、成り行きのまま、新生メリニの悪食王の側近として働くことになったカブルーだが、宮廷の人間関係というのは人間オタクのカブルーにとっては、大変に楽しいものであった。
宮廷内をつぶさに観察し、派閥を見極め、こちらの陣営に取り込んだり、時には対立を煽ったりもする。
王の周囲の穏やかさから、ほんの半歩離れれば、いずれ劣らぬタヌキとキツネの化かし合い。後ろ手にナイフを隠して、笑顔で手を握りあう。
正直負けてないとは思う。
まだ22年の短い人生で、その大半を迷宮の謎を解き明かすために捧げてきた。
政治の事は門外漢だし、得意の人心掌握術も酒場で冒険者相手に使う容易さとは雲泥の差だ。
だが相手もこちらを読もうとしてくるところを、丁々発止のやりとりをするのはとても心躍るものだった。それこそ迷宮で魔物を相手にするなどよりもよっぽど。
養母の授けてくれた、高い基礎学力に感謝しながら、宰相のヤアドに政治学を学び、充実した日々を過ごしている。
しかしそんな日々に疲れることもある。常に相手の出方を伺って、相手の望む自分を演じてみせることは、既に習い性であってカブルーにとっては、息をするようなものだったのに。
宮廷の空気が纏わりついて肺を防ぐように感じる夜、カブルーはミスルンの邸宅の扉を叩く。
時が過ぎてから、ゆっくりと思い返せば、初めて肩の力が抜けるような感覚を覚えたのは迷宮だった。
二人で深層部に落下して、エルフたちの隠匿する迷宮の謎に迫るため、本来ならミスルンを懐柔するべきだったのに、最初カブルーは彼に不思議なほど興味がわかなかった。
普段のカブルーなら、迷宮調査のカナリア隊、ましてその隊長など、真っ先に取り入りたい立場の人物だったはずなのに。
やがて彼が欲というものを悪魔に奪われてしまっていたと知ったわけだが、ミスルンと過ごした迷宮の六日間、相手の欲に合わせる必要がない。
――
この人は俺が何をしようとも変わらないと思えることは、常に相手の望む自分を演じるのが習い性だったカブルーにとって、初めて感じた解放であり、自分でも長らく会っていなかった何の武装もない自分自身を引きずり出されるような日々であった。
そして久しぶりに再会した自分は、なかなかどうして、悪くはなかった。
ミスルンを訪ねての時間の過ごし方は様々だ。早目の時間ならば、一緒に食卓を囲むこともあり、遅い時間であれば途中の酒場で一人分の料理を包んでもらい、持ち込むこともある。
ミスルンは度数の低い果実酒をちびちび舐めながら、カブルーの話に耳を傾け、言葉少なに相づちを打つ。風呂沸いたぜと呼びに来たフレキへ素直な応えを返して、そのまま席を立つ。びしょびしょの髪で戻ってくるのを、フレキが手巾を持って追いかけてくる。
ぶつくさ言いながらも、フレキの手つきは意外と丁寧だ。
おとなしく髪を拭かれているミスルンを見て、迷宮ではキノコの生えた彼の頭を自分が拭いてやったことを思い出す。
2人で黙って本を読んでいることもあれば、宮廷で議題に上がった政策が腑に落ちないとボヤけば、古今の事例を交えて解説してくれることもあった。
やがてミスルンの持つ、ドワーフ製の懐中時計がちりんと鳴ると「就寝準備の時間だ」と静かに背を向ける。
それは、そろそろ帰るようにと促しているかのようであった。
カブルーは一つ提案をしようかと、ほんの少し唇を動かして、結局はただにこりと笑う。「
……
おやすみなさい」と辞去を告げる。
フレキが毎度もう遅いから馬車を出してやろうか?と言うのを、子どもではありませんよと毎度断りひとりで帰る。
中天の月、満天の星。
カブルーにべったりと纏わりついていた宮廷の空気は消え、軽さがかえって、かすかなさみしさとなる。胸の空白を連れて、夜道をゆくのも悪くない。
夜の帳、月下の花。
ねっとり甘い夜来木の香りを嗅ぎながら、ひとりごちる。
「
……
ちゃんと眠っているのかな」
迷宮で会った彼は眠れていなかった。己の身体の限界に気づけず気絶をするか、薬か魔術で無理矢理寝ていた。
でもカブルーがブーツを脱がせてちいさな冷たい足をマッサージしてやると、子供のようにスコンと寝たのだ。
今の暮らしぶりを見る限り、ミスルンは迷宮外では時間を決めて生活することで日常生活くらいは送れているらしい。本人の主張は、本当だったようだ。
それなら、カブルーがわざわざ世話を焼いてやる必要もない。
それでも。
ちりんと懐中時計が鳴る度に、足のマッサージをしましょうか?と唇まで出かかるのだが、結局一度も口に出せずにいる。
上あごに柑橘系の甘さが残っている。水が飲みたい。
ミスルンの飲んでいた果実酒を一口分けてもらったが、カブルーの舌には甘く、アルコールも弱すぎた。
夜風に乗って、口の中の香りが逃げる。
山の端に、流星が落ちる。
すいと消えた星の瞬きに、ミスルンが使った転移術を思い出す。
あの迷宮で、ミスルンの生命維持の為に世話をした。それはいっそ介護と呼べるものであったが、ミスルンの圧倒的強さに守られながら、庇護すべき対象のようにも感じていた。
二人きりの六日間の後、合流したカナリア隊に「お前隊長の扱いうまいな」と言われたことは、ひそかにカブルーの優越感をくすぐった。
暗がりの中、燭台の灯り越しに見るミスルンは、長い時を生きてきた年長者の顔を見せる。
年若い短命種を導くように、低い声で歴史を語って聞かせるミスルンの白い頬には、赤みが差して見える。だがそれもランプや蝋燭の炎の照り返しかもしれず、テーブル越しに手を伸ばし、その頬に手を滑らして感触を確かめるにはテーブルの幅が広すぎた。
昼間が嘘のように肌寒い風が、袖の広い夏用の衣服の中を通り抜ける。上着をもってくるべきだったか。
あの寒い迷宮で、彼に防寒具を着せかけて、紐を結んでやったのだった。幼子のようにされるがままのミスルンと、いれば不思議と自分もよく寝れた。
迷宮内で熟睡するなどとんでもなかったが、地上ですら不眠気味の自分があの六日間に眠れなかった記憶はない。
今夜自分は眠れるだろうか。
あの人はちゃんと寝てるだろうか。
一瞬雲に隠れた月が、カブルーの影を地面に溶かし、再び顔を出す。
青く光る雲、草の香り。
足元で乾いた草がカサカサと鳴る。迷宮でぐしゃりと踏んだ苔とはまるで違う。
黄金城が見えてきた。
カブルーは、道連れのさみしさを胸にしまい、ひとり宮廷への帰路を辿る。
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