mineml
2025-07-04 18:40:02
3774文字
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【SS】Zodiac school ネタバレ


名付けられた子供たち

 体当たりする鈍い音とともに鉄扉が開かれる。
 小さな部屋だ。防具を雑然と積まれたスチールラックがある他、壁の一面はガラス張りになっており、コンクリートが冷え冷えと打たれた隣室の様子を見られるようになっている。その大きなガラス窓の前、パイプ椅子に大柄な黒人男性が座っていたが、闖入者を一瞥するばかりである。
 勢い任せに重い扉を開けたのは若い男で、その勢いのまま自らの頭からプロテクターをむしり取り、足元へ叩きつける。
『だからあのガキ相手は嫌なんだよ!』
『認定試験も通ってないルーキー相手にガタガタ言うなよ』
『試験もクソもあるか、もうとっくに実地に出てんだろうが!』
 喚き立てられるのは中米訛りのスペイン語、片や淡々と返されるのは南米アクセントのポルトガル語だが、概ね意味は通じているらしい。
『毎回毎回殺す気でかかってきやがって、わからねえとでも思ってんのか!?』
『あれだけやりあって元気なことだ』
「っせえな、聞いてるだけで余計疲れんだろ」
 言いながら、脱いだプロテクターを小脇に抱え部屋へ入ってきたのは浅黒い肌をした少年である。十代はじめの年頃にしては体つきが頑健と言っていいだろうが、鬱陶しげな表情を隠しもしない面立ちはアジア系の、まだ子供のものだ。
「なんて?」
「毎回殺されそうになるのは嫌だと」
「そんな言い方はしてない」
 少年は肘や膝のプロテクターをぞんざいに剥がしながら、黒人の男に話を振る。彼の意訳に、青年が食ってかかる。いずれも日本語に切り替えている。共通語が日本語なのは、この施設を統括するのが日本の冒前家であり、そのように定めているからだった。
 明らかに小馬鹿にした風に、は、と笑いを漏らし、剥がした装備を片隅の箱に放り込んだ少年はゆらりと身体を揺らして振り返る。目を引くのは板バネの足。両足が膝ごと失われていて、スポーツ用途のそれで補って立っている。
「殺しの稽古なんだから殺しにかかるに決まってんだろ、何チキってんだよアマチュアか?」
『このクソガキ、』
 唸った青年が鋭くローキックを繰り出す。避けた少年がお返しに肘を叩き込もうと身体を捻る。青年がそれを叩き落とす。
 どちらが劣っているという動きではない。見ればふたりとも頭から水をかぶったかのように汗だくであるし、青年は唇を切り、少年は目の上を腫らし、それぞれ異なる肌の色の上に青痣が散っている。
 隣室で先ほどまで訓練に駆り出されていたのはこの少年と青年であり、レフェリーを任されたのがこの部屋で監視していた男である。死に物狂いの組手を繰り広げていたというのに、血の気の多いふたりはまだ動き足りないとでも言うのだろうか。
 なおも掴みかかろうとした青年の肩が、男にすかさず掴まれる。ちょうど痣でもあったか力加減に容赦がないのか、呻いて動きを止めた青年を少年とは逆側に放り出し、男は呆れた目を向けた。
「こんなところで暴れるな、今のは先に手を出したお前が悪い」
 次いで少年へ視線を向け。
「パーユ」
「“資産が殺し合うな”だろ。わかってるよ、じゃあな」
 両手の指2本で引用符を作ってみせ、さして堪えた様子もなく少年は部屋を出ていった。
……まったく』
 わかっているのかいないのか、と溜息を押し殺し、男は突然の乱闘の煽りを食って転がったパイプ椅子を立て直す。
『そんなに気に入らないか? 叩きのめされたわけでもあるまいに』
『勝った負けたとかじゃねえし』
 転がされていた青年が床に座り直し、怪我の具合をあちこち確かめながら舌打ちをした。
『あいつ気色悪いんだよ』
『気色悪い?』
『あんたも思わねえ? オカザキの買われっ子denominado “OKAZAKI”どもが一番やべえとは聞いてたけどよ、あいつだけ毛色違うだろ』
 冒前家の家業は暗殺請負である。直接の血筋にある者は折衝や指揮監督に回る者が多く、実働隊はここにいる青年や男のような本職への委託、あるいは主に海外から人身売買で仕入れた子供という構造になっている。実のところは超常のものも関わっているのだが、部外者である男たちや期限の限られた子供たちには知る由もない。
 買われてきた子供など、一回限りの使い捨てにされることがほとんどだが、暗殺業に長く従事できる資質を持った者が稀に紛れていることがある。そういった者は国内で動かしやすくするために、「冒前」の姓を与えられて日本の制度に組み込まれ、長く飼われることになる。
 パーユと呼ばれた少年はそのひとりだ。
『ぶつかってくる調子がおかしいって。どんだけ訓練したって残る躊躇があんだろ、反撃されるにも防御捨てるにも一切の躊躇がねえのはまともじゃねえよ。ヤク中か狂信者みたいにキマっちまってんじゃねえかって風なのに、シラフだろ』
 青年の呟きは、あの少年の性質を端的に表していた。
『怖くねえのかよ、あいつ』

 訓練室を出たパーユは、蛍光灯が白々と照らす廊下を歩いていく。シャワールームへ向かう道すがら、向かいからやって来る人物に気がつき、誰に合わせるでもなく恬淡としていた表情を和らげた。その人物もまた、パーユに軽く片手を挙げてみせる。
駿哥ジュンガァ(駿兄)」
「よお。今日の相手は?」
「エミディオだった」
「また無茶苦茶やったんじゃないだろうな」
 少し眉をひそめる彼は、パーユよりいくらか年上のようだった。そのいくらかの年の差が、少年たちの年代には随分と大きいのだ。アジア系といっても少年と異なり、東アジアのルーツを思わせる風貌である。
「無茶苦茶やんないと訓練にならないし」
「やり返されないように気をつけろよ、あいつ頭に血の上るタイプだろ」
「まさか。俺を殺せるような奴じゃねえよ、そしたらあいつだって処分されるんだから」
「殺されないったって、」
 言いながらパーユの足元に目をやり、緩く首を振る。
……怖くないんだもんな、お前」
 兄貴分に、パーユはただ小さく笑ってみせた。
「それはそれとして」
「まだなんかあんの?」
「お前が素直にはいと言えばすぐ終わる。相変わらず子供らのとこに顔出してんだって?」
「ああ。うん」
「やめとけって言ったよな」
 何の気もない調子で肯いたパーユは、駿の声が低くなるのに目を瞬き、視線をじっと彼に合わせる。
「愛着が出るからって話だろ」
「むしろ酷だとも話したはずだ」
「それも聞いた」
 買われてきた子供は適当な人数に分けて管理される。稀に逸材が混ざっているとはいえ、本職の大人や訓練を受けた年長の者を凌駕できるわけもない。警戒する必要などないために、会おうという気を起こしさえすれば会うのは難しくない。
 義足よりも怖がられないからと、パーユはわざわざ車椅子に乗り換えて、折を見て子供たちに会っているのだった。
「一瞬だけ優しくしたって逃がしてやれない」
「逃げられないのは俺が一番よく知ってる」
「無駄な期待を持たせたらかわいそうだろ」
「それも理解するけど」
 逃げ損ねて両足を潰され、それでもなお使われている少年は平行線を知っていて、淡々と言う。
「親兄弟から引き離されて、最後まで誰も優しくしてくれなかったって悲しむ方がかわいそうだ」
「それも功徳ってやつか?」
「中国も仏教の国だと思ってたんだけどな」
「あの子らの年頃に何拝んでたかなんて覚えてねえよ」
 駿もまたパーユと同様、その年頃からの稀有な生き残りであり、冒前の姓を与えられている。それだけ付き合いも長く、子供を巡る話については平行線であることを彼も承知の上である。
「ただでさえ目つけられてんだ。李の下で手を上げるなよ、小风暴」
「試験さえ通れば連中も黙るだろ」
「そうか、お前ももうそろそろだもんな」
 少し言葉を切り、落とした視線を泳がせる。それから再び顔を上げ、逡巡も色濃いままちらと微笑んだ。
「小风暴なら楽勝だ。がんばれよ」
「ん」
 どんな逡巡であったのか、励まされた側にもわからないはずがなかった。短く応え、同じだけの微笑みを返した。
 それじゃあ、と別れ、元々向かっていた方向へすれ違う。何を思うでもなかったがパーユはふと足を止め、振り返った。廊下を行く後ろ姿を黙って眺めていると、角に突き当たったところで駿もまたこちらを見た。目が合い、屈託なくおかしげに笑い、軽く片手を振る。
 そうして角を曲がり、去っていった。
 少年は踵を返す。火照っていた肌もTシャツをしとどに濡らした汗も冷えて、冷たい布が思い出したように身体に張り付く。
 何を拝んでいたかを忘れていないのは、小さな仏画を一枚、母に持たされたから。言葉を忘れていないのは、相手がいなくてもひとり、繰り返し口遊んでいるからだ。
 それでも仏の微笑が色褪せるごとに祈りの言葉を忘れていく。家を手伝うのに精一杯で学校にろくに通った覚えがないのだから、読み書きのできない母語も異国の言葉に上書きされていく。
 ここは既に地獄だったのかもしれないが、来世とてまた地獄だろう。
 廊下を歩いていく。鞭打った身体のそこここが軋む。舌の根に薄ぼんやりと纏わりつく、怨嗟と、絶望を、ずっと舐めつづけている。