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tonami
2025-07-03 23:40:19
3448文字
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航海ラブレター
⚔️誕。航海日誌という名のラブレターの話
ぱさりと落ちてきたものに、ゾロはひとつ、目を瞬いた。煽っていた酒瓶をテーブルに置いて、ベッドから立ち上がる。この潜水艦の中で最も広い部屋だとはいえ、目的の物までは数歩で辿り着ける。
「手帳か?」
この部屋の主が仕事で使用している机のそばに、落ちてきた物はあった。やけに分厚いそれを手に取って、ひっくり返してみる。表紙には何も書かれていない。使い込まれた色をした革のカバーと、年季が入った万年筆が一本差さっているだけの、何の変哲もない手帳だ。ここにあるからには、ローの持ち物なのだろう。普段なら他人の手帳なんぞいっさい興味を引かれないのに、今日はやけに好奇心を刺激された。
とりあえず最初のページを見てみる。書かれているのは日付と天候と航路に加えて、起きたトラブルやちょっとした日々の出来事が記されていた。他のページも同様。なるほど、ロー個人の航海日誌らしい。
ハートの海賊団の航海士はベポで、ポーラータングの航海日誌は彼がつけている。だが船長であるローは一人でふらふらと放浪することがあるせいか、その間どこで何をしたのかを記録しているようだ。自船での記録も含め、たびたび日付が飛んでいるのは面倒だったのか、書けない事情があったのか。ぱらぱらと読み流しながらなんとなしに考えていると、ふとゾロは手を止めた。
『東の魔獣は、存外人懐っこいらしい』
日付はいまより少し前。書いてある内容からして、ドレスローザに向かう道中だ。ローがサニー号に乗っていた時期でもある。
東の魔獣、というのは間違いなくゾロのことだろう。自分で名乗った覚えはないのだが、いつからかそう呼ばれるようになっていた。通り名としては海賊狩りのほうがメジャーなのだが、時々揶揄を込めて魔獣と呼ぶ人間もいる。
人懐っこいと言われるほど、ローと親しくしただろうか。思い返してみても、そんな記憶はない。確かにあまり警戒はしなかった。そもそもがルフィの命を助けてくれた恩人で、本人が信用している。パンクハザードでの言動を見ていても、こいつなら大丈夫だという妙な確信はあった。隠し事はあるようだが嫌な気配はしない。チョッパーやナミ達も彼に懐いている。眠る時だって甲板にいたような男だ。向こうから同盟を申し出たくらいなので下手なことはしないだろうと、ゾロは早々に警戒を解いた。その代わりに、離脱するまではサンジが気を張っていたようだが。
──そういえば、深夜にも甲板にいる男が気になって、話しかけたことがある。一緒に酒でも呑むか、という問いにローは少し考えて一杯だけ、と答えた。隣に座って何を話すでもなく、ただ酒を呑んでいるだけの時間だったが、不思議と居心地は悪くなかった。その出来事で人懐っこいと称しているのであれば、納得はいく。過剰な気はするけれども。
『酒があると、魔獣は機嫌が良い』
次の日付は少し飛んでいた。右腕の怪我の記述があるので、ドレスローザ直後のようだ。その場にいた海賊達で広かれた宴で、隠れるように隅で呑んでいたローを引っ張り出した覚えがある。嫌そうな顔をしていたが逃げられなかったので、そのまましばらく肩を組んでいた。その時も別にたいして話はしていない。むしろ他の海賊と話すことのほうが多く、ローは大人しくゾロの隣でちびちびと酒を呑んでいた。さも自分はむりやり付き合わされていますという顔をしていたが、本気で嫌なら能力を使ってでも逃げればよかったので、あくまでポーズでしかない。ゾロだって心底から嫌がる人間をわざわざ引きずり出したりしない。どうせなら、酒は美味いほうが良い。
『魔獣は包帯を巻くのがけっこう上手い』
航路はゾウへ向かっている。あの、一味を模した妙な船に乗っている時だ。何度かローの右腕の包帯を変えるのを手伝った。普段は一人で巻いていたようだが、たまたま通りかかったゾロが見かねて手を出したのだ。怪我には人一倍慣れている。包帯も巻き慣れたもので、意外そうにローは上手いな、と呟いていた。それ以来、タイミングが合えばゾロが巻いてやっていた。胸から腹にかかる傷を聞かれたのはその時だったか。自分で縫ったと言えば、医者である男はひどく呆れていた。
『傷痕が残らないように、縫い直してやりたい』
袈裟懸けの傷を指先で辿って、おれが縫い直してもいいか、とぽつりと零した言葉に、ゾロははっきりと否を返した。この傷は驕っていた自分への戒めで、いつかへの誓いだ。それを誰かが奪う権利はない。ましてや、他船の人間にはなおさら。そう言い切ったゾロに、ローは大きく目を見開いて、くしゃりと笑った。意外と子供みたいに笑うのだなと思ったのを、覚えている。
その日を境に、航海日誌でのゾロの呼び方が、魔獣からゾロ屋に変わった。
『ゾロ屋がいつの間にかはぐれていた。実は方向音痴なのか?』
『ゾロ屋に触れられても鬼哭が怒らない。刀に愛されている奴だ』
『ゾロ屋に近づくと三代鬼徹に警戒されている気がする。話をしたいだけなんだが』
『ゾロ屋が迷子になったあげく緊急ハッチを開けようとしていた。説教』
『ゾロ屋に迷ったら鬼哭の気配を辿っておれの部屋に来るように言い聞かせた。世話が焼ける』
ゾロ屋、ゾロ屋と、毎日のようにゾロの名前が出てくる。途中から自船に戻っているにもかかわらず、クルーより圧倒的に出現率が高い。こいつおれのことしか見てないのか? と思いながら、次をめくる。
『ゾロ屋と呑む酒は美味い』
「
……
おれもだよ」
つい零れ落ちた言葉に唇を引き結ぶも、この部屋にはゾロ一人だけだ。聞くべき相手は、クルーと航路の打ち合わせでいない。
『ゾロ屋の傍は、心地が好い』
「お前の傍は、息がしやすい」
癖の強い文字を指でなぞる。とうに乾いたインクはゾロの指を汚すこともなく、さらりとした紙に意思はない。けれど、綴られた言葉には確かに、温度があった。あの日の、ゾロの傷痕を辿った時よりもからりとした、それでも甘さを含んだ温度が。
──このまま、目的をすませるまではなにも気づかないふりをしようと、思っていたのだけれど。見てしまったものはしかたがない。これを受け取るなと言うのは、あまりに酷だ。
「悪いな、ゾロ屋。待たせた」
がちゃりと扉を開けて、部屋の主が入ってくる。自分の机のそばに立っているゾロに訝し気に、形の良い眉が寄せられる。そうして手に持っている物に気づくと、表情を凍りつかせた。しかしそれも一瞬のことで、すぐさま手帳をゾロから奪い取る。
「あっ、なんで取るんだよ」
「おれの手帳だろうが! 勝手に見てんじゃねェ!」
「そこに落ちてきたんだよ。何かと思って確認するだろうが。
……
勝手に見たのは、悪かったよ」
素直に謝ったゾロに気概が削がれたのか、ローの勢いもみるみるうちに萎んでいく。自分が悪いとわかっている相手にこれ以上怒ることもできず、決まり悪げに目を逸らした。
「
……
中、見たんだな」
「おう。最近のとこまで読んだ」
「なら、おれのほうこそ悪かったな。気持ち悪かっただろ」
「あ? なんでだよ」
ローが言っている意味がわからず、ゾロは首を傾げた。勝手に人の手帳を読んだ自分は当然としても、読まれたローが謝る必要なんてどこにもない。気持ち悪いなんてもってのほかだ。
「なんでって
……
読んだなら、おれがどういう目でゾロ屋を見てるか、わかっただろ」
「だからって、気持ち悪がる必要はねェだろ。少なくとも、おれは読んでて嬉しかったぜ」
「なにを
……
」
戸惑うローの手から、隙を見て手帳を取り返す。慌てて伸びてきた手を掴んで、勢いのまま唇を重ねた。真っ赤な顔で絶句するローに、ゾロはにかりと笑う。
「だって」
丁寧に手入れされながら使われてきたことがよくわかる、革の手帳と万年筆。ローが個人的に書くほど、忘れたくないものの記録。その中でも、ゾロに関する内容だけ、やたら強弱のついた筆跡。時折名前がこすったように掠れているのは、書いてから指でなぞったのだろう。どう書くべきか迷ったのか、いくつもインク溜まりがついていたこともあった。始めは戒めのように淡々としていた航海日誌には、いまでは感情豊かにゾロの名前が躍っている。
「おれへのラブレターだろ、これ」
ずるずると扉に背を預けたまま両手で顔を覆って沈み込んだ手帳の持ち主は、そうだ、と細い小さな声で、それでもはっきりと肯いた。
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